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夏至祭(ユハンヌス)の夜(1)

 湖畔に作られた大きな篝火コッコに、早くも火が入れられたらしい。空はまだ昼間と変わらないほどに明るいが、わずかに温度が下がった風に乗って、かすかな煙の臭いが町の中まで届けられた。

「くそっ。もう、こんな時間か」

 ヴィルヨは額の汗を拭いながら、時間の読みづらい青空を見上げた。

 白樺の枝と色とりどりの草花で飾り付けられた巨大な夏至祭のポールが、青い空に向かってそびえ立っている。これが、今日の最後の仕事だった。

 短く刈り上げた金髪と碧眼は、この地方に多い容姿だ。彼は周囲の人々と同じような衣服を身に着け、言葉遣いにも注意し、なるべく目立たないように生活しているが、際立って良い体格と目尻から頬にかけて斜めに走る傷のある強面は、嫌でも人目を引いていた。

 町の男たちと共に後片付けをしていると、あちこちから「ご苦労様」「今年のポールは立派だね」などと声がかかる。

「おう」

 ヴィルヨは軽く手を挙げて、人々のねぎらいに応えた。

 特別な夏至である今年だけは、妹のカティヤのそばを離れたくなかった。しかし、町長に直々に頼み込まれ、どうしても祭の手伝いを断りきれなかった。かといって、妹をここに連れてくる訳にもいかない。仕方なく、「家でじっとしていろ」と厳命して家を出たのだが、一日中何をしていても、妹のことが気になってしかたがなかった。

「これで、やっと帰れる」

 祭を祝う町長の挨拶が始まり、ポールを取り囲んだ大勢の人々が歓声を上げた。

 それを背後に聞きながら、人の輪を離れようとすると、ぽんと肩を叩かれた。

 一刻も早く家路につきたかったから、不機嫌に振り向くと、そこに見覚えのある顔があった。

 首領ポモ——!

 思わず上げそうになった声を、必死に飲み込んだ。

 手入れされていない顎髭には白い物が目立つようになったが、鋭い眼光を放つ紺色の瞳は以前と変わらない。夏だというのに毛皮の帽子とベストを身に着けた異様な風貌の男は、これまでヴィルヨが必死で逃げ隠れてきた相手、盗賊団の首領カールロだった。

「よぉ、ニコ。ガキだったお前が、ずいぶん大きくなったもんだなぁ。おい」

 カールロは左頬だけを吊り上げてにやりと笑い、酒臭い息を吐きながら、十年以上前に捨て去った昔の名前で、親しげにヴィルヨを呼んだ。

 その声に、冷たい汗が背中を伝った。

「悪いが、人違いだ」

 ヴィルヨは男の手を振り払うと、必死に平静を装い、くるりと背を向けた。しかし、今度は別の男が目の前に回り込んできた。

 目尻が吊り上がった痩せぎすのこの男にも見覚えがある。いつも首領にくっついていた、古株のスルホだ。

「そんなはずはないだろう? 首領にやられたその目元の傷が、何よりの証拠だからよぉ」

 スルホは嫌な笑いを見せながら腰の短刀を抜くと、ぎらりと光る短刀の腹で、ヴィルヨの頬を数回叩いた。

「まさか今年の夏至祭に、お前に会えるとはよぉ。これも運命ってぇやつかい?」

 背後からも強烈な殺気を感じる。カールロも短刀を構えているに違いない。

「あの娘はどうした? あれからずっと一緒にいたんだろう? ちょうど今日、十五歳になるはずだ。久々に、あの娘にも会いたいもんだな、ニコ。もちろん、会わせてくれるだろ?」

 恐ろしいほどの殺気とは真逆の、楽しげな声が背後から聞こえ、ヴィルヨは奥歯を強く噛んだ。

 かき鳴らされるカンテレの旋律と、豊穣を願う歌声、ポールを取り囲んで踊る大勢の人々の熱気が辺りに満ちている。熱狂の祭の隅で起きている物騒な事態に気づく者など一人もいなかった。それはある意味、幸運だった。

 覚悟を決めたヴィルヨは、無言のまま顎をしゃくって自宅とは反対方向を示すと、そのまま歩き始めた。

 背後から、殺気立った二つの足音がついてくる。

 子どもの頃は、首領がひどく大きく見えた。何かにつけ折檻された幼い日の恐怖は、十数年たっても、身体を震えさせる。

 しかし、今は自分の方が、あの恐ろしかった男より、体格で勝っている。年齢を考えても、体力や腕力も、超えているはずだ。そして、もう一人の痩せぎすの男は、口ばかり達者で、たいして腕が立たないことを知っている。

 今の俺なら、この二人を倒せるはずだ。

 ヴィルヨはその機会を探りながら、白樺が立ち並ぶ、湖へ向かう小道をゆっくりと歩いて行った。

 篝火の煙の臭いと、人々の歓声が、湖からの涼しい風に乗ってくる。

「おい、まだか!」

 じれた様子のスルホが、声を荒げたそのとき。

 音もなく空を切った大きな灰色の影が、スルホの顔に飛びついた。力強い大きなかぎ爪が、顔面に深々と突き刺さり、男は悲鳴を上げて地面に倒れ込む。

「おいっ! スルホ、どうした!」

 ぎょっと足を止めた隙をついて、ヴィルヨは首領に体当たりした。不意を喰らって地面に仰向けに倒れた身体に馬乗りになり、そのみぞおちに全体重をかけた肘をめり込ませる。

 敵は「ぐっ」と詰まった声をあげ、地面の上で動かなくなった。

 その間も、スルホは大型フクロウの執拗な顔面への攻撃を受け、地面を転げ回っていた。

 ヴィルヨが近づくと、フクロウは攻撃を止めて身を引き、近くの白樺の枝に止まった。

「ありがとよ」

 ヴィルヨはフクロウを見上げてそう言うと、顔を押さえて悶絶する男の襟首を掴んで身体を起こし、容赦ない拳を腹部に叩き込む。

 思わぬ援護もあって、勝負はあっという間についた。

 地面に伸びた二人の悪党を見下ろしながら、ヴィルヨは腰の短刀に手をかけた。

「こいつらがいなければ……」

 二人を殺してしまえば、俺とカティヤは安心して暮らしていける——。

 そんな考えがちらりと頭をよぎった。

 しかし、カティヤのくったくのない笑顔が頭に浮かび、どうしても短刀を抜くことができなかった。

 血に汚れた手で、あいつと生きていくことなどできるはずがない。

 ヴィルヨはちっと舌を鳴らすと、首領を肩に担ぎ上げた。痩せぎすの手下は、空いている腕でひょいと小脇に抱える。そして、白樺の林の奥深くまで歩いていくと、二人を木の根元にどさりと下ろした。

「縄でもあれば良かったんだが」

 辺りを見回しても、二人を拘束しておくための手頃な蔓草も見当たらない。仕方がないので、男たちの着ていたシャツをはぎ取って切り裂き、手足をきつく縛り上げた。

 これで、二人が目覚めても、少しは時間稼ぎができるだろう。

「早くカティヤの元に戻らないと……」

 ヴィルヨが駆け出そうとすると、さっきのフクロウが舞い降りて、肩にふわりと止まった。ぎょろりとした金色の目の周りを同心円状の模様が縁取る、森でよく見かける種類の鳥だ。さっき、スルホを襲ったときのような凶暴さは、今はみられない。

「お前のおかげで助かった。礼を言うよ」

 頭を撫でてやると、フクロウは答えるように「ホー」と鳴いたが、いっこうに肩から降りようとしない。何度も首を傾げ、もの言いたげに、ヴィルヨの顔をじっと見つめている。

「悪いが、お前の相手をしている暇はなねぇんだ。だから、お前は森へ帰れ」

 手で払いのけようとしても、肩に爪を立て、鳴き声を上げながら抵抗する。あまりのしつこさに腹を立てたヴィルヨは、フクロウを両手でがっちりと掴んで肩から引きはがし、「すまん!」と放り投げた。そして、もと来た道を駆け抜け、人々が踊りで盛り上がる中央広場の隅を通り抜け、妹の待つ家へと必死に走った。

 盗賊団の首領と手下の一人は倒したものの、他に仲間がいてもおかしくない。もし、その仲間が、町の人に自分の家を訊ねていたとしたら……。祭で酒も入っているから、相手がよそ者でも、何の警戒もなく家の場所を教えてしまうだろう。

 今、家にいるのは、カティヤ一人。

 息が切れ、全身から汗が噴き出しているが、背筋は凍るように寒かった。

 ようやく、森の入り口近くに建つ、古い平屋の一軒家が見えてきた。

 黒っぽい板壁に、草が生えた屋根とレンガの煙突。昔は作業小屋として使われていたらしく、玄関を入ってすぐの広い一部屋と、その奥の台所だけしかない粗末な造りだ。けれども、この土地に流れついた二人が、崩れかけた小屋を見つけ、少しずつ住めるように修理してきた大切な家だった。

 夏至祭だというのに玄関や窓に白樺の飾りがないが、窓の向こう側にカティヤが飾った花が見えた。

 遠くから見る分には、家やその周辺に変わった様子は見られないが、近くに敵が潜んでいる可能性もある。ヴィルヨは妹の名を叫びたくなるのを必死にこらえながら、最後の距離を駆け抜けた。

「カティヤ!」

 玄関の扉を勢いよく、開け放つ。

 薄暗い家の中は静まり返っており、人の気配はない。室内が荒らされた様子はないから、敵に襲われたのではないのだろう。

 けれども、カティヤがいない。

「カティヤ、どこだ! いるんなら返事をしろ! カティヤ!」

 何度も妹の名を呼んだが、返事が返ってくることはなかった。

 家の奥にある台所に行ってみると、夜だというのに、食事の支度をした様子は一切なかった。かまども火が消されてずいぶん経つらしく、ひんやりしていた。

「どこへ……行った、カティヤ。今日だけは家を出るなと、あれほど言ったのに」

 今日は妹の身に、何が起こるのか分からない運命の日だった。

 しかし、何も起こらずに無事に今日という日が過ぎ去ったときには、ヴィルヨには心に決めていることがあった。

「くそっ!」

 ヴィルヨは手近にあった鍋を投げつけた。鍋は派手な音を立てて壁にぶつかり、その後、床に転がりながらも音を立て続けた。

「…………くそぉ……」

 頭を抱えて膝から崩れ落ち、唇を噛む。

 こつ然と姿を消したカティヤは、敵に捕らわれたのではないだろう。しかし、彼女の身に何かが起きたことは、間違いなかった。

「カティヤ……」

 そのとき。突然、鳥の羽音が聞こえてきて、それは目の前のテーブルの上に止まった。

 ほー。

 その声に顔を上げると、薄暗い中に金色の一対の瞳が、浮かび上がって見えた。

「お前、さっきの……? ついて来たのか」

 驚いて声を掛けると、フクロウはすぐに飛び立ち、台所を出て行くと、隣の部屋で「ほー」と鳴いた。不思議に思って後を追うと、今度は玄関まで飛んでいって、また鳴く。

 まるで、自分を誘っているかのようだ。

「お前、まさか、カティヤの居場所を知っているのか?」

 ほー。

「俺を、そこまで連れて行ってくれるのか」

 ほ、ほー。

 言葉を返すようなフクロウの鳴き声は、はっきりとした肯定に聞こえた。

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