花咲く故郷へ
主の戻った森は、カティヤが大好きだった優しい場所に戻った。
森の奥深くには太陽の光が細く降り注ぎ、鮮やかな緑の苔を丸く浮かび上がらせている。針葉樹が途切れた日当りの良い林には、色とりどりの花が咲き乱れ、甘酸っぱい香りを漂わせるベリーがそこかしこにに実っている。小鳥たちは空をさえずり、リスの兄弟が白樺の枝の上でを追いかけっこする。
「僕の知っている場所がパンキクッカなら、もうそろそろ到着するはずだよ」
片腕でカティヤを支えながら馬を操っているニューリッキが、すぐ耳元で囁いた。
キーラと名乗ったカティヤの双子の姉妹は、ヴィルヨと一緒に後ろを走る馬に乗っている。
二頭の馬は、森の中に残されていた盗賊団のものだ。おかげで予定より早く、目的地に到着しようとしていた。
「ほら、見てごらん」
立ち並ぶ木々の隙間にちらちらと見え始めたのは、目にも鮮やかな真紅。今はまだ、花かどうかすら分からないが、密集した燃えるような色が左右に大きく横たわっている。
「一気に行こう!」
ニューリッキが馬の腹を蹴って、スピードを上げた。
緑の風を切って、トウヒとマツの大木の間を縫い、白樺の明るい林を駆け抜ける。目の前の赤い花の形が徐々に見えてきた。
「う……わぁ!」
風が吹いてもゆらぐことのない、力強く大きな真っ赤な房が、密集した濃い緑の葉の上で、競うように空を目指していた。一面に咲き乱れる花は、鮮やかな色を水面に映しながら湖をぐるりと取り囲み、ずっと向こう岸までをも同じ色に染めている。
ニューリッキは花畑のすぐそばで、馬を止めた。
「なんて素敵なの! これって……ルピナス?」
「ああ、そうだよ」
ルピナスはこの国のどこにでも自生しているが、ほとんどは紫やピンク、黄色の花だ。ただでさえ珍しい赤のルピナスが一本の混色もなく群生し、赤と青と緑だけしかない鮮やかな世界を作り上げている様は、圧巻としか言いようがなかった。
「すげえな……これは」
「ここがわたしたちの生まれ故郷だったら、なんて素敵なのかしら!」
遅れて到着したヴィルヨとキーラも、感嘆の声を上げた。
四人は、ルピナスの花畑に沿った小道に馬を進めた。奇跡のような光景を眺めながらしばらく進んでいくと、弓矢を担いだ中年の男が向こうから歩いてくる。
「すみません。ここは、パンキクッカでしょうか?」
馬から降りたキーラが恐る恐る声をかけると、男は、妙な組み合わせの四人組をじろじろと見た後、「そうだ」と頷いた。
湖に沿って進み、最初の集落の二つ目の路地を森に向かって少し行くと、玄関先にナナカマドの木が立つ小さな家がある。
そこがマルヤの家だと、男は教えてくれた。
パンキクッカは、十四年前に盗賊団に襲われ、大きな被害を被ったのだという。マルヤはそのときに、幼い双子の姉妹を攫われた女性だ。彼女は三年前に夫を病で亡くし、今は一人で暮らしている。
「どうしよう。どうしよう……」
満開のナナカマドの白い花が目に入ると、カティヤの足が止まった。
そこに住む女性が自分たちの母親であることは間違いない。
夢にまで見た実の母親が、すぐそこにいるのだ。
早く、お母さんに会いたい。
気ははやるのに、大きすぎる期待と、それに負けないほどの不安が入り交じり、足がすくんで動けない。
「行こう」
隣で同じように立ち止まったキーラが、決意を込めたようにぎゅっと手を握ってきた。
「さあ、しっかり」
歩みを促すように、ニューリッキの大きな手が肩をそっと押す。
「お前ら、気合い入れて行ってこい!」
ヴィルヨに背中をばしりと叩かれて、双子は弾かれたように駆け出した。
あと少し。もう少し——。
二人は手をしっかり握り合い、息を切らせて小道を走った。
ナナカマドの木を通り過ぎ、玄関前までたどり来た時、建物の陰から大きな籠を抱えた女性が現れた。
「どなた?」
二人は、自分たちにとてもよく似た声に息を飲み、その女性の顔を見つめた。
金色の髪を後ろで束ねた女は、四十代ぐらいだろうが、充分に若々しい。そして顔立ちもやはり、自分たちに似ていた。
「あ、あぁ……あなたたち……」
彼女の、キーラにそっくりの青い瞳が大きく見開かれ、手にしていた籠が落ちる。
鮮やかな赤や紫色のベリーが、緑の草の上で弾んで転がっていった。
辺りをぐるりと見渡すと、濃い緑色の針葉樹の海がずっと向こうまで広がっていた。風が吹けば波が寄せるように枝葉がそよぎ、涼やかな音が重なり合う。夏だというのに大木の上は、思った以上に風が冷たかった。
「怖い?」
カティヤが身体を震わせると、その理由を誤解したニューリッキが、腕に少し力を込めて抱きしめてくれた。
狩猟の神とも呼ばれる精霊のニューリッキは、花嫁の力で人と変わらぬ身体を手に入れた。けれども、森の中では精霊の力も発揮する。
今もカティヤを腕に抱いたまま、木の枝から枝へと飛び移り、この辺りでいちばん大きなトウヒの木のてっぺんに登ってきた。彼が両足を乗せている枝は、二人分の体重を支えるにはあまりにも細いのだが、びくともしない。
「ニューリと一緒だから、怖くなんかないわ。ちょっと寒かっただけよ」
そう笑って答えると、彼は「そうか」と照れた様子を見せ、風にたなびく上着をたぐり寄せてカティヤを包み込んだ。
一面の緑の中、一カ所だけ丸く凹んで見えるのは、美しく澄んだ水をたたえた大きな湖だ。空の色と太陽の輝きを映したその青い色の周辺を、赤い色がぽつぽつと縁取り始めていた。
大勢の村人たちが忙しそうに、けれども楽しげに行き来し、岸辺の一角に木材や木の枝を高く積み上げている。その手前には、たくさんの草花で飾り付けられたポールが立っていた。
今宵は夏至祭だ。カティヤの瞳の色が真紅に変化した運命の日から、一年経った。
カティヤが感慨にふけりながら村人たちの様子を眺めていると、木の陰からよく知った二人の姿が現れた。
金色の髪の少女は、色とりどりの野の花をたくさん入れた籠を抱え、体格の良い若い男は二本の白樺の枝を肩に担いでいた。
二人は何やら楽しげに話しながら、家路を急いでいる。
「あの二人も、結婚しちゃえばいいのにね!」
「それは、そう遠い話でもないだろう」
仲睦まじい様子の二人を見送っていると、木の上に立つ狩猟の神とその妻の姿に気付いた村人たちが大きく手を振ってきた。
自分が精霊の花嫁だと分かったあの日、こんな幸せな未来が訪れるとは思ってもみなかった。
「今年の篝火は、ここから見たいわ」
「いいよ。夜になったら、もう一度来よう」
一年前のあの日、小さな焚き火を一緒に囲んだ彼が、新緑色の瞳を細めて穏やかに微笑んだ。
了




