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エッセイ

文学とファンタジーと感動

作者: ヒョードル

日本語の美しさと日本人の美徳を考えました。


既存エッセイの一つではなく、思うところあり、独立したエッセイにします。





 過日、僕は少し静療すると言い残し暇を頂いた。まあ勝手にだが。例年になくまだうすら寒い三月の末である。ただただ脳裡に浮かんだ文字を繋げた出来合いの節々を、まるで出来の悪いいびつな合口のように無理矢理閉じただけの文章が細々とこのサイトに残っている。短編数首、都合原稿用紙何枚だの何文字だの云云かんぬんと、さも大事のように啖呵を切り、一気呵成なるいきおいままに残した作品達は、忸怩たる悔悟の対象になっている。こんなんでよくもまあ偉そうな品評など行えたものだ。


 小学生時分にファンタジー小説を読み漁り、中学生時分には洒落た流行りものをいくつか読んだが、宮部みゆきやら貴志裕介を読んだのは覚えている。他は覚えていない。そして高校生になった頃はじめて司馬遼太郎の『覇王の家』を読んだ。邂逅と言っても間違いはあるまい。メインは岡崎や三河なので、徳川幕府ではなく徳川家康となるまでの形成過程を描いた歴史小説なのだから『覇王の()』なのだと、空っぽのおつむなりに理解はできた。その時にはじめて、読み手にも体力が必要なのだと知った。件の小説は長編とは云えたかだか一巻だ。それでもなお、読了まで数日はかかった記憶がある。あまつさえ醍醐味や大筋は理解できたものの、氏の本髄や、味と云った肉付けに対しての感動などは当時は無縁で、「面白かった」との軽微な感想しか涌き出なかった。だのに、頁を捲る速度は遅く、時には前頁に戻る作業をしたほどだった。百様の語彙や時代特有の固有名詞など知るはずもなく、当時愛読書に近かった広辞苑を引いては閉じを繰り返し、文脈から察して看過してかなわないと判断した場合のみ先に進むといった読み方なのだから、体力がいるのは当然であり、また書き手はその幾倍の体力が必要なのだろうかという単純な疑問もバスケ少年の頭に容易に浮かんだ。後日、稀代の早読みだったという司馬遼太郎の逸話を知り、得心した。


 さて、文学に片足すら浸かっていない当時の僕の話をなぜしたかと言うと、過日の暇頂戴宣言後、改めて文学に向き合おうと決心したからである。


 三月の短編集中掲載は、数年は書いていなかった小説を書くにあたり、こびりついた錆の削ぎ落としと体力回復を希って、云わばリハビリのつもりだった。ストーリーは二の次で、終点に向かっての肉付けがいかほどか知るためだった。放置気味の連載物はプロットや伏線導線までお膳立てできたのだが、大いなる矛盾が発生したため今は手付かずだが。


 前述に戻るが、時間を置いてから自分の短編を見てみると、やはりひどい文章だった。当然自分の作品なのだから好きであり愛すべき作品には変わらないのだが、いかんせん薄い。正直なところ、筋道内容は考えて構成していないので面白い面白くないで判断はしたくないのだが、『おにぎり某』は一番の駄作だった。なぜ一番ポイントが高いのかも未だ謎である。及第点を付けるにしても、『悪魔の女』が唯一だった。次点で『無くした五円玉』か。とまあ、客観視する好機といえばそうなので、全て大切にしたい。


 これからの人生においてより良く趣味を楽しむために、反省点を列挙することは必要だろうと思いあれこれ考えたのはいいが、やはりというべきか、手本となるべき(よすが)は浅田次郎だった。あえてよすが(・・・)と書いたのは、非常に美しい意味を持つ言葉で一等好きなだけなので、簡単に言うと「よりどころ」だ。


 エッセイにて散々神の如く崇め、盲信的な敬虔を発揮してきたが、それはあまりにも氏の認知度が低いからひたすら躍起になっているだけなのは諾ってほしい。


 なぜ僕が同氏を敬愛するのか。それは日本人に対して危機感を投げ掛けているからだ。持っているだけの無責任者でも、呼び掛け押し付けるような左的な思想者でもない。


「日本人たるは何か」を盛んに唱え、その答えを探している道半ばで『街道をゆく』と共に逝去した司馬遼太郎の後継として、文豪の責務を矜っている数少ない小説家だと思うからだ。その最たる作品が『天切り松 闇がたり』シリーズだ。これはエッセイには載せていないが、浅田文学の真骨頂であり本髄でもあると僕は疑わない。赫奕たる喝采を浴びてもよいと思うが、なかなかどうして映像化が難しい作品だけに、陽の目を見るのは先になりそうだ。


 概要を書く。


 時は明治後期から昭和初期。東京に実在した、二千人からなる盗人集団を纏めていた『仕立て屋銀次』。桃鉄に登場する『スリの銀次』のモチーフになった大親分だ。その跡目とも謳われた『目細の安吉』の部屋住みになった主人公松蔵。つまり銀次の孫分にあたる。その松蔵が、石川五右衛門以来大江戸の盗人の華と云われた「天切り」なる盗人技を二つ名に持つことになるのだが、完璧な勧善懲悪ではない。俗に云う悪漢小説(ピカレスクロマン)だが、五巻が出ているなかで、胸のすく場面は数十回と形や言葉を変え登場する。


 何がそう思わせるのか。


 ひとつ目は言葉だ。


「普通の(やさ)にゃ見向きもしねぇ。狙うは千両万両盗られて困らぬどこぞのお大尽だ。忍び返ぇしに見越しの松。長屋門をひょいと登りゃあ闇夜に浮かぶ仁王立ち。八百八町を見渡して、取りだしましたるは伝家の七つ道具。その最後は心意気だ。そいつら使って甍を割るから天切りよ。抜き足差し足息あわせ。呑気に鼾なんざかきやがるお大尽に闇がたりをすりゃびびって声も出せねぇお始末だ。やい、若え()、これが大江戸以来盗人の華と謳われた天切りだと思いねぇ」


 と、こんな調子の会話がちりばめられている。河竹黙阿弥が大好きな同氏、つまり歌舞伎に造詣が深い浅田次郎だからこそ多少誇張した物言いだが歴とした江戸弁を味わい深く表現できるのだ。


 この喋りが何を意味するかは後述する。


 ふたつ目は、心意気。


「男は星勘定も銭勘定もしちゃならねえ」


「おぎゃあと泣いた日から男てぇ稼業じゃねえのかい」


「飯食う銭欲しさにやった盗みなんざぁたったのいっぺんもねえ」


「どんなやぶれかぶれの世の中だって、人間は畳の上で死ぬもんだ」


「ものの善悪は数の多寡で決まるもんじゃねえだろ」


「粋」や「鯔背(いなせ)」という言葉があるとおり、お天道様に背を向けても真っ直ぐに生きていく尊さをまるで説法ご高説のように随所でとなえている。一巻でも読めばその尊さが解るので言及はしないが、これが彼らの正義なのである。鼠小僧ではないが、弱きを助け弱きに耳を傾ける一本道は男の鑑だろう。


 さて、ひとつ目の言葉。ちゃきちゃきの江戸っ子が日常話している話し口調だが、同氏が言うにはもう既に失われつつあるのだそうだ。テレビや落語、歌舞伎にあっては連綿と続く方言の一種に思えるが、かつては山の手言葉と言われた上品な標準語が東京の方言になっているのだ。江戸弁はえらく粗暴で伝法だが、かつて美徳として扱われた一本気や男気にはなくてはならない相方のような存在だ。その美徳は、まだ東京が江戸と呼ばれた時代を最後にいなくなってしまった侍の矜る武士道に通ずる。


「雨でも傘をささず、路をひとつ曲がるにも直角に歩くのが侍であった」と、司馬遼太郎はかつて書き、そこに「武士は食わねど高楊枝」の諺が交じれば、江戸っ子と侍の道が繋がってくると僕は思う。


 江戸っ子の気風といえば、思ったそばからべらんめえ調を口にする、今の日本では考えられない激情家の側面を持つだけでなく、それをテコでも動かさない男気の塊であったはずだ。明治の御一新で一番割りを食ったのが武士であることは皆ご存知だが、その性根はしっかりと民草に受け継がれていたのだと思う。


 それが言葉と共に今は昔と忘れ去られる事に危惧しているのだ。だからインタビューなどでもしきりに言っている。浅田次郎は決して一介の懐古主義者ではない。天切り松を読めばそうではないことが手に取るように解るはずだ。


 そして日本人に対しての危機感の投げ掛けは、戦争という未曾有の災厄にも及ぶ。


 この天切り松闇がたりは先述した通り、明治後期から昭和初期が舞台なのだが、日本が太平洋戦争に向かわざるを得なくなってしまった背景が、一時代の錯誤によって引き起こされたものではないとはっきりと解りやすく弁明している。


 これを読んでいる皆さんは、先に勃発した大戦をどうお考えだろうか。大小あれど、二度と起こしてはならない事だということはお分かりだろうが、七十年も前の話なのだから、多方面からのオピニオンがほとんどだろう。僕も当然その一人だ。そしてそれは歴史の授業で習ってきたにも関わらず、全く別の括りで教わらなかっただろうか。


 簡潔に言うならば、幕末、無血開城が行われた時にもう決定していたのかも知れないということだ。いや、遡れば江戸時代からレールは曳かれていたのかも知れない。現代の学者も過去の文人も当然三島由紀夫も、議論をしただろうし、すればきりがないだろう。もしかしたら遠く室町や鎌倉時代、下手したら神武天皇が産まれた二千五百年前からの決定事項なのかも知れない。その繋がりの可能性を、この天切り松では実に解りやすくフィクションに乗せて描いている。


 故人であり、当然口はないのだが、史実に沿う程度に様々な武人が登場する。山県有朋、森鴎外、東郷平八郎、溥儀の弟溥傑、犬養毅など、溥傑を除けば幕末御一新の立役者が次々に登場するから、なおさら解りやすい。


 浅田次郎は戦争についてひとかたならぬ思いを持っているが、自身が陸上自衛隊に所属した過去や、三島由紀夫の自刃の斟酌が小説家としての屋台骨になっているそうだ。だからこそ平和を甘んじて享受しようという正しい解釈と、反戦を唱える事ができるのだと思う。


 それらあるべき日本人たる生き様を、浅田次郎はその稀有な表現力で示してくれている。もちろん(よすが)に従った結果、僕は何度目か分からない読み返しを行い、近くのドトールにて何度も何度も涙した。どう抗っても必ず泣いてしまう。他の客からしたら異質に思えただろう。


 浅田次郎の名誉と偏見の阻止のために付け加えるが、浅田次郎は右も左もない小説家だ。大江健三郎のように左派ではないし、盲者たる右でもない。ペンクラブの設立理念と同じ、駄目なものは駄目だと言おう精神が宿っているだけだと思う。まあ反論すれば取りざたされることが多い昨今のメディアなのだから、左派と言われても仕方ないが、ことさら荒立てることはお嫌いなはずだ。


 さて、首題のファンタジーという単語。


『天切り松 闇がたり』は紛れもないローファンタジーだ。時代小説と言ってしまうにはモダンだし、現代でもない。なおかつ、登場する「目細の安一家」の扱う盗人の技は、ルパン一家よりも鮮やかで芸術的だ。ロマン溢れる手捌きは、作中の言葉を借りれば「お釈迦様でも気付くめぇ」だ。


「中抜き 目細の安」「たたき 説教寅」「玄の前 振り袖おこん」「天切り 黄不動栄治」「百面相 書生常」


 解りやすく説明するなら、技は違えどそれぞれがルパン並み、と言えばいいか。物理的にはおそらく不可能な技だが、リアリティ溢れる描写は愉快痛快時代活劇なファンタジーだ。


 天切り松を読み返して、ファンタジーの可能性を再確認した。決して剣と魔法とドラゴンの世界だけではなく、斬った張ったの刃傷だけがアクションではないのだと。


 また、かつて頓挫していた三島由紀夫の『豊穣の月』を今読んでいるが、全四巻なる長編は、それぞれ主人公が転生する話で、完全を意味する円を秘めた三島由紀夫最後の作品だ。デジャヴュか、ここなろうにおいての主流と同じである。奇縁だと思った。


 ただ、やはり三島由紀夫である。某ノーベル文学賞ノミネート作家とは全くの別物だ。久しく離れていたからより解ったが、文章の美しさが桁違いだった。人物の内面をえぐりとったような場面なのに、選ぶ言葉がそれを倍増も半減もさせ、匂いや色、はたまた瞳からは窺えない己のみ解りうる確固たる念を文脈に沿わせて紙面に浮き上がらせている。誠に美しい日本語だ。


 先に言った「文学に向き合おう」という決心の顕れが、この三島由紀夫や吉川英治ら先人の作品に舞い戻った形になり、僕は再び活字中毒になってしまった。


 さて、いよいよ最後になるが、首題の末尾に「感動」とあるが、みなさんはこの言葉に違和感を覚えたことはなかろうか。


 何を以て感動とするか。もちろん人それぞれではあるが、ここなろうにおいて、その安請け合いが跋扈(ばっこ)している気がする。面白いものは面白いし、泣けるものは泣ける。良い作品が埋もれてしまっている現実や、明らかにつまらなく、日本語を馬鹿にしているような作品が上位のものだってあるぐらいだ。いわゆる馴れ合いや贔屓の色眼鏡だろう。それ自体は否定しないし、むしろ迎合さえまた善しと僕はする。しかし、度が過ぎるのもまた考えものだ。感想欄に書かれた「感動しました」の一言に重みを乗せているのかついつい懐疑してしまう。有名作家の単行本のあとがきに、著名人の感想が加えられているのを目にする機会はあると思うが、「感動しました」の一小節はまず出てこない。せいぜいが帯だ。それぐらい日本語として重みがある言葉なのだと僕は思う。


久しぶりに『天切り松』を読み返し、僕は失われつつある江戸っ子調の口ぶりと気っ風、その一本芯の通った背中にえらく感動をし、そんな粋な男達が正対きって啖呵を切る場面に心を震わされた。もうこのような男達がいないと思うと、たちどころに寂しさが虚をついて胸に立ちこめた。無論、三島由紀夫が選び紡いだ言葉の選択に、驚きという感動が吹き荒れたのは言わずもがなである。


 この数週間、今まで億劫に思っていた文学についてようやく片足を突っ込み、ぬかるんだ田畑から足を引き抜くことが困難であるかの如く泥気を含んだ下肢は重い。しかし、心地よい。


 読みたい本、読まなければならない本が湯泉のように溢れてくる。次は林真理子や山崎豊子あたりを買い漁ろうと思う。しかし三島由紀夫には時間が掛かりそうだ。まだまだ読み手として溌剌とした体力は足りない。


 僕が感動した言葉。よすがである浅田次郎に脳天をぶん殴られた言葉だ。



「作家になるなら本を読みなさい」



 趣味娯楽が書きから読みへ変わりそうだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なエッセイですね。 私はまだ『純文学とはなんぞや』とは明確な定義を持たぬまま、書き続けてきました。 世界にまだないもの、世界にまだない美しいものを書けるのはどうしたか純文学だと思ってい…
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