第95話 ジュリアとマリア
下水道を抜けた先には、バジリスクがいた毒沼のような水辺のフィールドが広がっていた。ただ、ここは土も紫色ではないし、水もそれほど濁ってはいないので、ごく普通の沼地といった雰囲気だ。
幾つか見える、大き目の沼のどれかにジーラの巣でもあるのか、ここには奴らが徒党を組んで現れた。この辺は俺らの縄張りだぜ、とでも言うように、地上でも水かきの付いた両足で、バタバタと大地を駆けて襲い掛かってくる。
ソロだったら速攻で逃げ出すほどの人数だったけど、まぁ、天道君がいれば消化試合みたいなもんだ。
引き抜いた火竜の剣を一閃すると、紅蓮の業火が迸り、前方から駆けてくるジーラは揃って焼き魚へと早変わり。魚が焼けるちょっといい匂いを漂わせながら、僕は黒焦げの死体が転がる道を歩くだけだった。
「今日はここで休む」
下水出口から少し歩くと、沼地エリアの妖精広場が建っていた。バジリスクの毒沼よりも、造りが立派な感じ。小さな神殿のように、石造りの建物である。
「お前らはここにいろ。周囲を見てくる」
それじゃあ私達も一緒に、と駆け寄るジュリマリ。
「お前らもだ。飯の用意でもしてろ」
そうして有無を言わさず、天道君は一人で周辺警戒に向かっていった。
もしかして、ジーラを倒して新たなスキルを獲得したから、一人で試したいとか、そういう意図があるのだろうか。食べてたようには見えなかったけど……まぁいい。天道君の同行を不用意に探るのは死亡フラグだ。情報は欲しいが、下手に嗅ぎまわって不信を買えば、元も子もない。
「んあぁー、疲れたぁー、ってか、臭くなってなーい?」
蘭堂さんはいつものようにヤル気のない文句を言いながら、だらしなく足を投げ出して、綺麗な芝生の上に座り込む。うおっ、このアングルは、危険だ。
「水浴びする?」
「天道君もいないし、まぁ、ちょうどいいんじゃない?」
どうやら、ジュリマリも蘭堂さんと同意見らしい。確かに、下水道をずっと歩いてきたのだから、臭いが体や服に沁みついていそうな不快感は覚えるだろう。僕だって、出来ることならお風呂に入りたい。
「蘭堂さん、水浴びするなら、僕は外に出ているから。終わったら、呼んで」
「桃川ぁ、覗くなよー?」
「そういうの、ホントやめて。野々宮さんも芳崎さんも、簡単に僕を殺せる力を持ってるんだから。つまらない誤解でも、僕にとっては死を招く」
「えっ、あ、ゴメン……」
僕のかなりマジな反論に、蘭堂さんは驚いたような、それでいて、罰が悪そうな表情で謝ってくれた。そこまで考えてはいなかったのだろう。実際、これが元の世界だったら、僕だって冗談の一つで笑って流せる。
でも、もう二度と、剣崎明日那に詰め寄られた時のような事は御免だ。あの時は僕のオナニーバレでああなったけど、もし女性陣の水浴び覗きが容疑だったなら、きっと僕は即死だった。
力を持つ、ってのはそういうこと。男女に限らず、些細な諍いでも、簡単に人を殺せてしまうのだ。そして、弱い僕はまず間違いなく、何かのはずみでウッカリ殺されちゃうマヌケ野郎の側。
「じゃあ、何かあったら呼んで」
「うん、ゴメンね、桃川」
「気を付けてくれるなら、それで十分だから」
なんてカッコつけたことを言い残して、妖精広場を出た僕だけれど――水浴び、めっちゃ覗きたいよ! ジュリマリの二人はどうでもいい。でも蘭堂さんのダイナマイトバディは是非とも拝みたい。日焼けした褐色肌の豊満な肉体は、メイちゃんとは違った魅力炸裂である。
ええい、レムと視覚共有とかして、上手く中を覗けないものか。
そんなことを、僕は大真面目に考えてしまうのだった。そりゃあ、命は惜しいけど、性欲だってある。
結局、心頭滅却して、我慢する苦しみを味合わなければいけないのだった。
「はぁ、薬草でも探すか」
バカなことを考えてないで、暇つぶしがてら、周囲を散策しよう。勿論、妖精広場の建物から、何十メートルも離れたりはしない。
周囲は背の低い草むらになっていて、木々もまばら。もしジーラの群れが攻め寄せてきても、すぐに発見できる。念のため、用心はするけども。
レムを護衛に立たせて、僕は四葉のクローバーを探す女子小学生のように、草むらをガサガサやり始めた。
「あっ、こ、コレはっ!?」
そこで、僕は大発見をする。
「蛇だ!」
草むらの中で、シャーと威嚇しながら舌をチロチロさせているのは、魔物には分類されない、純粋に動物の蛇である。
そう、メイちゃんが首を飛ばし、皮をはぎ、そしてかば焼きにして食べた、思い出の蛇だ。
「黒髪縛り!」
僕は何の恐れも躊躇もなく、黒髪を出して拘束。このダンジョンで安全確実に食える、貴重な肉。逃がしはせん、逃がしはせんぞぉ!
「レム!」
「ガガッ!」
全身を黒髪でグルグル巻きにされて、焦ったようにもがく蛇を、レムはカマキリブレードでもって首を叩き落とした。
「よし、よくやった! えーと、ついでに皮も剥がせる?」
「グガァーッ!」
任せろ、とばかりに首なし蛇を拾い上げ、鋭い爪を引っ掛け、一気に皮をバリバリと剥いでいく。ああ、レム、こんなに逞しくなって。あの時のメイちゃんと全く同じモーションだ。
「やったぁ! 肉ゲット!」
血抜きのために、蛇は近くにあった木の枝に引っ掛けておく。
「よし、レム、もっと蛇を探そう」
「ガガ」
「もしかしたら、蛇の血の臭いに誘われて、ジーラや魔物が寄ってくるかもしれないから、警戒は続けて」
「グガ」
そうして、僕は水浴びを終えて、濡れた髪の毛が色っぽい蘭堂さんに呼ばれるまで、血眼になってヘビ捜索に熱中した。幸い、魔物の襲撃はなかった。
結果、四匹捕まえた。今夜は蛇肉パーティだ。
「うへぇ……無理無理、マジでコレは無理だって、桃川ぁー」
「え、蘭堂さんって、全く料理できないタイプ?」
「料理はできるけど、蛇は無理だっつってんの!」
僕は得意げな顔で蛇の収穫を蘭堂さんに伝えたら、この反応である。飼い猫がドヤ顔で飼い主に仕留めたネズミを披露している、そんな感じのリアクションだった。
「でも、この蛇は美味しいし、頑張ってみてよ」
「うぅー、ウチだって肉は食べたいけどぉ……」
さて、蛇を捌くためのナイフを手に硬直している蘭堂さんには、調理を頑張ってもらうとして……僕は天道君がいない今の内に、ジュリマリの二人と話をしてみたい。
もし、蘭堂さんがどうしても無理だったら、僕が捌いてみよう。どうせ肉は焼くだけだし、適当に切っても大丈夫だろう。
「あのー、二人にちょっと話があるんだけど」
「はぁ?」
「ウチらは別に、桃川に話すことなんてないケドぉ?」
けんもほろろ、とはこのことか。以前の僕なら、女子からこんな冷淡な反応をされれば、ショックで三日くらい学校休みそうな気がするけど……ふっ、今の僕に、言葉だけでダメージを与えられると思うなよ。なにせ、僕はオナニーバレで女子にボコられた男だぜ。この程度の冷たい返事、屁でもない。
「僕は、二人と協力したいと思っている。話し合いができれば、お互いに、もっと上手く助け合えるよ」
「別に、いらないんだけど」
「桃川って、弱いんでしょ? いる意味なくない?」
「確かに、僕は自分の身を守る最低限の力しかないよ。でも、僕には傷薬が作れる」
ふーん、と興味なさそうな二人の反応で、僕は勝利を確信する。
なぜなら、天道君から傷薬を貰っていれば、すでに持っていると言うはずだから。
「実は、天道君には僕の薬の材料も作り方もバレてるんだけど、二人は傷薬、貰ってない?」
「……ないけど。マリは?」
「アタシもない」
そりゃあ、そうだろう。あの天道君が、付き纏っている女子二人に、自分で傷薬をこしらえては分け与えるなんて、甲斐甲斐しい真似するはずない。
ぶっちゃけ、天道君から見れば、野々宮純愛と芳崎博愛の二人は、僕と同じ程度に興味がない。それを「冷たい男だ」と罵ることに、意味なんてない。恐らく、クラスでは最強級の能力を誇る天道君は、自分自身の意思を貫くことができる。このダンジョンの中では、力が全てなのだから。
「僕の傷薬は、ポーションほどの即効性はないけれど、クローバーよりも効果はあるし、数もそれなりに用意できる。最前線で魔物と戦う二人には、いざという時のために、傷薬は持っていて役に立つと思うけど」
「そりゃあ、まぁ」
「薬はあった方がいいけどぉ」
よし、喰いついた。天道君の時は、現物を見せた瞬間に敗北確定であったが、今こそ、正しい意味で回復薬の価値を生かせる交渉ができる。
「でも、僕にとっても傷薬は貴重なモノだから。魔法で作り出すワケじゃないから、材料が必要だし、数にも限りがある。誰にでも配れるほど、沢山はないから」
「なに、私らには渡せないっての?」
「舐めんなよ、桃川のくせに」
「僕は、野々宮さんと芳崎さん、二人とロクに話したこともない。二人がどういう人なのか、僕はまだ分からない」
敵なのか、味方なのか。脱出人数が三人までという脅し文句が利いた、この極限のダンジョンサバイバルでは、ただ同じクラスメイトというだけでは、信用するには足りない。
「これまで、僕は他のクラスメイトに襲われたこともある。でも、二人がちゃんと協力して、一緒に戦ってくれるというなら、僕は信用して、傷薬も提供するし、戦闘の時には、ささやかだけど、呪術で援護もするよ」
「呪術とか、何かアヤシーんだけど」
「でも、薬はやっぱ欲しいかも」
よし、いいぞ。何だかんだで、薬については有用性を認めている。
「友達になって、とは言わないけど、せめて、一緒に戦う仲間として、最低限のコミュニケーションはとりたいんだよ」
「そこはフツーにダチって言いなよ」
「だからモテないんじゃね、桃川」
うっ、心に刺さる。やっぱり僕、クラスではモテない男扱いだったんだ! いや、分かってたけどさ、でも、現実を突きつけられるのって、残酷なことだよ。
ちくしょう、過酷な経験で、女の子の言葉で一喜一憂する軟弱な精神ではなくなったと思ってたけど、普通に傷つくよ!
「え、じゃあ、お友達から始めてください」
「ええー、桃川じゃちょっと」
「好みじゃないしー」
「ちょっと、何で僕がフラれたみたいな感じになってんのさ!」
勇気を出して言ったらコレだよ。ふざけんな、これだから女子って奴は……ちくしょう……
「あはは、桃川、いいリアクションできるじゃん」
「うんうん、そういう方が可愛いよー」
「やめてよ、僕は弄られて喜ぶキャラじゃないから」
でも、僕がなけなしの精神力を削られて、二人にバカにされたお蔭で、ちょっと警戒心と無関心は解けたような気がする。結果オーライというべきか。心の傷の度合いからすると、ちょっと割りに合わない気がしないでもないけど。
「でさー、桃川はどうしたいワケぇ?」
「協力つってもさー、今のままで別によくなーい?」
「それは、天道君が強いから?」
「そーだよ、天道君メッチャ強いじゃん」
「うん、マジ最強だよねー」
確かに、僕も天道君が魔物相手にそう簡単に負けるとは思わない。まだまだ強い魔物はいるのだろうけど、敵が強ければ、それだけ成長できる余地が、彼の能力にはあるはず。
でも、だからこそ、天道君一人に頼ってはいけない。けれど、それをそのまま言っても、二人は納得しないだろう。
きっと、天道君と合流するまでは、二人も苦労してきただろう。蘭堂さんというお荷物も抱えて来たんだし。そこで、圧倒的な強さを誇る天道君と出会えば、その信頼度は相当なもの。下手に彼の強さを疑うような物言いをすれば、速攻でシメられるに違いない。
「ねぇ、二人はさ、天道君のこと、どう思ってるの?」
「どうって、フツーに好きに決まってんじゃん」
「アレで惚れない方がおかしいって」
恥ずかしげもなく、二人は天道君への好意を告げる。なるほど、浮ついた気持ちというよりも、かなり本気なのかもしれない。命を賭けたダンジョンサバイバルだからこそ、強い男ってのは真の魅力を発揮する。
「でも、天道君は僕のことも、二人のことも、全く興味がないように見えるけど」
「っ!」
「おい!」
「勘違いしないで欲しいけど、二人に魅力がないとか、そういうことを言ってるんじゃないよ。ただ、天道君は誰に対しても興味がなさそう、どうでもいい、と、そういう風に感じる。自己中だとか、無気力だとか、そういうのとは違う、もっと、こう……自分が認めたモノにしか、価値を見いだせない。そんな性格に思える」
僕に人を見る目があるなんて思わない。僕は呪術師であって、占い師ではない。多くの人と接してきた、長い人生経験などあるワケないし。
でも、そんな僕でも、天道君はそういう男なんじゃないか、と察するくらいはできる。ある意味で、分かりやすい。
「うん、まぁ……ね」
「そんな感じは、するけどさ」
二人だって、分かっている。あんなに、あからさまに愛想を振りまいて、好意を剥き出しにして迫っているというのに、天道君はいまだに、彼女達をその他大勢のモブキャラみたいな扱いのまま。
そんなの、より人の心の機微には敏感な、女の子である二人が気づかないはずがない。きっと、彼の無関心に一番、傷つき、悩んでいるのは、彼女達である。
「正直、僕はいつ天道君に見捨てられるかと、不安に思っている。彼に悪気はないのかもしれない。ただ、いきなり、お前はもうこれ以上ついてくるな、足手まといだ。そんな風に言われるかもしれない」
戦力外通告の可能性が最も高いのは、ダントツで僕である。すでに虎の子の傷薬製法が知られてしまった以上、僕にさほどの価値はない。
「いくら天道君でも、流石に、そこまでは」
「しない、と、思うけどぉ……」
「野々宮さんも、芳崎さんも、強いよ。でも天道君はもっと、遥かに強い。二人じゃ敵わない強いボスが現れた時、きっと、天道君は何の迷いもなく、一人で行くと思う」
そう、何の気遣いもなく、ついて来れない奴には、振り返ることもせず、ただ、己の道を歩み続ける。そんな意思を、彼の大きな背中からは感じられる。
「天道君はいつ、自分一人で進んで行ってしまうか分からない。だから、頼り切りにはできない。天道君に置いて行かれた時、少しずつでも、自分の力で進んで行けるようになりたい」
考え込むような、二人の表情。
本当は、考えるまでもない。二人は僕以上に、天道君に置いて行かれる未来の不安を感じているはずだから。
「まぁ、そう難しく考えないでよ。みんなで仲良くやっていこうってだけのことだから」
「ふーん、そっか、そうだよね」
「アタシらだって変に揉めたいワケじゃないし、別にいいけどさ」
よし、ひとまず、協力体制の取り付けは成功ってところかな。
さて、難しいのは、ここから何だけど……
「さしあたって、二人には頼みたいことがあるんだよね」
「なにさ?」
「あんま無茶は言うなよー」
もしかしたら、無理かもしれない。でも、まずはここから取り組まないと、意味がないんだ。
僕は意を決して、二人にお願いした。
「蘭堂さんと、仲直りして欲しい」




