第88話 微笑みの裏
リビングアーマーと遭遇することもなく、無事に妖精広場周辺の探索は終わった。今度こそ、これで今日のお仕事終了。明日に備えて、ゆっくり休もう。
そうして就寝した、その日の夜のことである。
「そ、蒼真……」
パーティ唯一の男子である俺は、女子達とは一人離れて広場の隅で眠っている。壁こそないものの、広場の寝床はお互いにとって、男子禁制であり、女人禁制である。
しかし、遠慮がちに俺を呼ぶ少女の声に、俺は目を覚ました。
「ん、明日那か」
目を開けば、すぐ隣に屈みこんでいる明日那の姿が映る。寝巻代わりのジャージを着て、普段の凛々しいポニーテールも解かれている、ラフな格好。
何かあったのか、なんて、今更もう聞く必要はない。
「そ、その……今夜も、いいだろうか……」
「ああ、いいよ」
俺の即答に、あからさまに安堵した様子を見せつつも、彼女の顔は恥ずかしさで真っ赤に染まっている。それでいて、躊躇もなく、明日那は俺の隣で寝転んだ。
これは、いわゆる一つの夜這い……などでは、断じてない。ただの添い寝である。
「うぅ……蒼真……」
明日那は甘えたような声で、ピッタリと体を密着させてくるが、それでもこれは添い寝なのだ。
くっ、ヤバい、俺だって健全な男子高校生だ。自制心はある方だと思ってはいるが、それも絶対というワケではない。
押し当てられる明日那の体の感触が、どうしようもない魅力となって俺の理性を溶かしてくる。くそっ、これで明日那がちゃんとジャージの上着も着込んでいれば、まだ余裕をもって耐えられたのに。薄いシャツ一枚だけで、ベッタリされると、なんだ、その、物凄い柔らかい感触がほぼダイレクトに伝わってきて……
「う、うぅ……ううぅ……」
しかし、そんな魅力的な女体の誘惑も、彼女のすすり泣く声が聞こえて来れば、あっさりと吹き飛んでいってしまう。
「大丈夫だ、明日那。俺がついている」
泣いた子供をあやすように、俺も明日那を抱き返す。
「だから、安心して眠れ。俺はずっと、明日那と一緒にいるから」
「うん……うん、蒼真……」
幼児退行したような、この明日那の反応は、今夜が初めてじゃない。
明日那が桃川を突き飛ばしたあの事件、その日の夜からだ。双葉さんとの決闘で心を折られ、取り返しのつかない過ちを犯し、彼女の心はとうとう限界を迎えてしまった。
普段は、いつも通りに見える。みんなと普通に会話もするし、魔物との戦いだって問題なくやれている。
だが、夜になって眠る頃になると……ダメなのだ。起きている間は、明日那としても気を張って、いつもと変わらぬ様子で振る舞える。けれど、寝る時だけは気持ちも緩み、彼女の心に刻み込まれた傷の痛みに、あるいは、圧し掛かるストレスの重さに、耐えきれなくなる。
その結果が、これだ。明日那は、俺が添い寝しないと、安心感を得られずに眠れなくなってしまう。
特に、双葉さんが魔物と激しい戦いを繰り広げた時などは。『狂戦士』の名に相応しい、凄まじいパワーファイトで敵を屠る姿は、ダイレクトに凄惨な敗北と屈辱が刻まれた決闘の記憶を思い起こしてしまうのだろう。
今日なんかは、最初の大盾騎士を相手に、双葉さんは大暴れだった。あの狂気的な戦いを見た時に、今夜こうなるだろうことは簡単に予想できていた。
いや、それは何も俺だけの話じゃないな。
俺も桜も委員長も、夏川さんだって、真剣にスポーツに励んでいる身からすると、トラウマだとか、人の心の弱さ、というのは、知識としても学んでいるし、体感的にも知っている。だから、明日那がこうなってしまった時、誰もが、仕方のないことだと思った。
この異常な状況下で、日常では決してありえない出来事を体験すれば、あの剣崎明日那だって、こうなってしまってもおかしくないのだ。明日那の強さは俺も知っている、だが、それでも彼女がまだ16歳の少女であることに変わりはない。
心は傷つくし、傷つけば、その痛みに苦しみ、泣いてしまうのも当然のこと。
「明日那……」
痛ましい彼女の姿に、俺の心は揺り動かされる。傷つく明日那を、こうして添い寝して、仮初の安堵を与えることしかできない自分の不甲斐なさに、苛立つほどに。
だが、心の傷というのがどれほど厄介なものなのか、それもよく知っているつもり。これは今すぐ、どうにかなるような問題ではない。しかし、嘘でも誤魔化しでも、抑えていかなければ、生きていくこともできない。過酷なダンジョンサバイバルは、ゆっくりとトラウマを癒す時間など、与えてくれるはずもなかった。
だから、俺はこうして明日那を抱いて寝るしかない。傍から見れば不純な行為に思えるだろうが、今の彼女を見て、反対する者はいるはずがなかった。このテのアレに厳しい桜でさえ、嫌な顔一つせずに、俺に明日那を任せてくれたのだ。
一応、これでも俺が間違って手を出すようなことにはならない、と信用してくれていたってことだろうか。分かっている、明日那は魅力的な女性ではあるが、だからといって、こんな状況で性的にどうこうなろうなんて、最低の考えはない。
こうして薄着でくっつかれると、煩悩の誘惑こそあるが――心から泣いている明日那を抱きしめていれば、そんなことなど些細な雑念でしかない。
「ん、うぅ……」
彼女を抱きしめて、どれくらい経っただろうか。それほでもない気がする。
今日の戦いは激戦だったから、疲労の溜まった体はすぐに明日那を眠りの縁へと誘ってくれたようだ。
「おやすみ、明日那」
ふぅ、これでようやく、俺も安心して眠りにつける。
「……んっ」
不意に目が覚めた。妖精広場は明るいから、夜明けの感覚が分からないが、それでも、まだ夜中だと何となく察した。時計は持っているが、わざわざ確認する必要もないだろう。
起きるには、まだちょっと早すぎるかな。体も疲れているし、大人しく二度寝しようと思ったその時、視界の向こうに動く人影を見た。
「あれは……双葉さん?」
寝ぼけ眼で見間違えた、ということはありえない。彼女は確かに、静かに一人で妖精広場を出て行ったのだ。
「まさか、一人で捜索するつもりなのか」
命の恩人である桃川を心配する気持ちは分かるが、幾らなんでも、それは不安感に苛まれてやるには短絡的で危険すぎる。
説得、できるかどうかは彼女の心の持ちよう次第だが……最悪、止められない場合は俺だけでも同行しないと。
みんなを起こすか、と思うが、悠長に起こして回って説明している暇もなさそうだ。それに、あまり騒ぎは起こしたくない。明日那だってこの調子だし、桜も双葉さんには強い警戒心を抱いている。
ここはどうにか、俺一人だけで上手く収めたい。
隣で静かな寝息を立てる明日那を起こさないように、そっと抜け出して、俺は双葉さんの後を追った。
「ここか」
意外にも、双葉さんは広場を出てすぐ隣にある小部屋へと入っていった。その部屋は、中に何もないただの空き室で、どこにも繋がってはいない。夏川さんが調べても、隠し扉の類もなかった。
そんなことは、彼女も今日の探索で知っているはず。ならば、何故ここに。
ささやかな疑念が、俺を双葉さんの様子を探らせる行動をとらせた。
「っ……」
声が聞こえた。小さな声。俺の気配に気づいたワケではなさそうだ。
「う、うぅ……」
そして、すぐに気づく。彼女の声は、泣き声だと。俺にすがりついて、弱々しく涙を流す、明日那と同じように、双葉さんは、泣いていた。
「小太郎くん……」
何度も桃川の名前を呼びながら、双葉さんは何もない部屋の中で、ただ静かにすすり泣いていた。
「……」
俺は、黙って広場へ戻るより他はなかった。今の彼女に、かけられる言葉なんて、見つかるはずもない。
いや、慰めるとか、それ以前の問題だ。
「俺は……何て馬鹿だったんだ……」
何が、双葉さんは強い、だ。彼女だって、俺達と同じように、傷つき、悩み、苦しんでいたんだ。
明日那はいい。桜も委員長も心配してくれるし、こうして俺が抱きしめて眠ることだってできる。
けれど、双葉さんはどうだ。元から大した親交のない、ただのクラスメイト。深い悩みを抱えたところで、俺達ではそれを打ち明けるに相応しい相手たりえない。むしろ、彼女との経緯を思えば、俺達のことは信用できない敵と見られていてもおかしくない。
だから、彼女はこうして、一人で泣いている。
慰めの声をかける友もなく、抱きしめてくれる頼れる相手もなく。双葉さんはたった一人で、こんなダンジョンの一室ですすり泣いているのだ。
「双葉さん、俺は……」
本当に、何て俺は馬鹿だったんだろう。彼女が『狂戦士』として、あまりに激しく、勇ましく、戦う姿が眩しくて……きっと、俺も無意識の内に、その力に頼っていた。甘えていた。双葉さんは強いから、大丈夫なんだと。
気にかけることはしなかった。俺にとって彼女は、心強い味方だったから。
でも、俺はもう知ってしまった。彼女が一人で泣いている姿を、見てしまった。
だから、もう知らないフリはできない。目を背けることはできない。
双葉芽衣子。彼女は『狂戦士』の強さを持つが、同時に、年相応の少女でもあるのだ。
「……俺が、君を守るよ」
宮殿エリアに入って、一週間が過ぎようとしていた。
「ふぃー、やっと終わったよぉー」
「お疲れ様、小鳥」
「今回はかなりの大仕事だったな」
額に汗を浮かべて、寝転ぶ小鳥遊さんに、委員長と明日那が労いの言葉をかけている。今しがた、ようやく全員の装備を強化し終えたところだ。
結構な数の武具を錬成したのもあるが、リビングアーマーが持つ良質な武器集めや、アタリが多い宮殿エリアの宝箱を探していたせいで、結局、これだけ時間がかかってしまった。
しかしながら、その時間に見合っただけの成果はあったといえるだろう。
まずは、俺の装備から。
『聖騎士の名剣』:とある聖騎士が愛用した剣。切れ味鋭い白銀の刀身と、種々の魔法によって守られる、真の性能を取り戻した。刻まれた炎獅子エンガルドのエンブレムが、真紅に輝く。
『蒼炎の剣』:燃え盛る炎魔法を宿す片刃の剣。刃に迸る烈火は、不思議な青白い輝きを放つ。
『蒼雷の剣』:閃く雷魔法を宿す片刃の剣。刃に迸る雷光は、不思議な青白い輝きを放つ。
『ホワイトダガー』:光魔法の宿るダガー。刃は常に淡い白光に包まれている。
『ガード・リング』:武技『硬身』と同じ効果を発動させる指輪。
『生命の雫』:どんな傷も癒すという『生命の水』を一滴だけ結晶化させた、小さな宝石をあしらったネックレス。
武器はここまで愛用してきた、妖精広場の騎士の白骨死体からちょうだしてきた長剣をメインに、相手に応じて弱点属性をついたり、魔法での遠距離攻撃もできるよう、炎と雷の剣を用意した。
魔術士でなくても、ちょっとした攻撃魔法を放てる魔法の剣が手に入ったので、今まで遠距離攻撃用だった投げナイフや、リーチが必要な時の長柄武器であるハルバードを、思い切って装備から廃止した。そりゃあ、何でもあるに越したことはないが、持ち運ぶ手間と、戦闘時での身軽さを考慮すれば、手持ちの武器は絞らざるを得ない。
かなり強力な武器へと強化できたことに加え、魔法を宿すアクセサリーが手に入ったことも大きい。
防御用の『ガード・リング』に、いざという時、一度だけ回復できる『生命の雫』。どちらも、戦闘における安全性に大きく貢献する装備品だ。
まぁ、俺にはすでに鎧熊を倒して獲得した『鉄皮』があるし、『生命の雫』は命綱みたいなモノだから、普通に戦う分にはあまり影響はないのだが。そりゃあ、あると安心だし嬉しいが、俺としては……
「私の弓は、あまり変わりがですね」
「桜ちゃんの弓は、使ってる内に勝手に強くなってるから、私が錬成してもダメな感じなんだよね」
一方、桜だけは武器強化の恩恵を受けてはいない。まぁ、小鳥遊さんが言っている通り、勝手に強化されているようだから、問題はないのだが。桜が使っている『聖女の和弓』は、最初の頃に比べて、微妙に形が変わってるし、色も白くなりつつある。
「だから、そんな桜ちゃんには、これ!」
「なるほど、矢ですか。ありがとうございます」
「数に限りがあるから、大事に使ってね!」
桜には光以外の属性がついた魔法の矢が渡された。桜の光魔法も強力になってきているが、他にも複数の属性が撃てるようになれば、戦術の幅も広がるだろう。
「ねぇねぇ、本当に杖は強化しなくてもいいの?」
「だから、私のはいいって。失敗したら、また素手になるじゃない」
「もぉー、今は大丈夫だってぇ!」
「万が一ということもありうるわ。他の杖が手に入ったら、やってもらうわよ」
頑なに小鳥遊さんの錬成強化を拒んだのは、委員長である。
『スノウ・ブルーム』:氷属性魔法専用の長杖。注がれる魔力に応じて、オーヴが変化し、最大時には氷の花が開き、真の威力を解き放つ。
魔術士型リビングアーマーから入手した、そのままにしてある。無理に強化をしなくても、十分な性能を持っているので、委員長の言う通りに破損のリスクを避けるのが、やはり無難だろう。
小鳥遊さんは、まだあまり弄れていない魔法の杖を錬成してみたいようだけど、今回は我慢してもらおう。
それから、桜と委員長の魔術士コンビが装備するアクセサリーは、俺と同じく『ガード・リング』と『生命の雫』、その他に、
『矢避けの護符』:矢をはじめとした、遠距離攻撃の回避率を上げるお守り。
『コンセス・カフス』:魔法を行使する際の集中力を上げる。
桜には『ガード・リング』、『生命の雫』、『矢避けの護符』を持たせている。委員長には『ガード・リング』と『コンセス・カフス』だ。
俺も持っている『ガード・リング』は沢山手に入っているので、全員分ある。しかし、『生命の雫』は二つしか入手できなかった。
俺はパーティで最大の攻撃力にして、最も危険な持ち場を担当するから、桜は唯一の治癒魔法持ちでパーティ全体の生命線だから、結果的に俺と桜で『生命の雫』を持つことにしたのだ。
その代り、委員長には『コンセス・カフス』で攻撃を頑張ってもらおうという方針。
「明日那ちゃん、魔法の剣にはもう慣れた?」
「ああ、慣れれば、これほど便利なものはないな」
明日那の装備も、俺と同じく魔法の剣に更新されている。
『フレイムレッドサーベル』:ケルベロスの爪を用いた片刃のサーベル。燃え盛る炎魔法を宿す。
『ストームサーベル』:吹き荒れる風魔法を宿す騎士剣。
メインは『清めの太刀』をそのままに、左手に握る二本目は『レッドサーベル』を強化した『フレイムレッドサーベル』になる。『ストームサーベル』との二刀流にすれば、風で炎を煽って、より強力な攻撃魔法となる。敵に合わせて、二刀を入れ替えることができ、より戦術に幅ができた。
アクセサリーは共通の『ガード・リング』と、
『毒消しの護符』:多少の毒を無効化し、毒への耐性も上昇させるお守り。
という状態耐性のお守りを持つ。化け物になったという横道と戦った際に、麻痺毒に苦しめられたという話も聞いているので、持っていて損はない。
ちなみに『毒消しの護符』は三つあるので、明日那と夏川さんと小鳥遊さんで持っている。
小鳥遊さんには武器こそないが、他にもアクセサリーを持たせている。
『バイタル・ブレスレット』:体力、スタミナを増強させる腕輪。
『疾駆の羽飾り』:武技『疾駆』を宿したように、速く走ることができる。
『勇気のメダル』:胸の奥から勇気が湧きあがり、恐怖心に打ち勝つ。
これらは、最も非力な小鳥遊さんが、いざという時でも素早く逃げられるための装備だ。天職『賢者』は身体能力の成長強化がほぼないので、普通にダンジョンを歩き回るだけでも、彼女には大変だったりする。だが、『バイタル・ブレスレット』があれば、進む速度もかなり上がるだろう。
そういえば『勇気のメダル』の鑑定結果が出た時、すぐに小鳥遊さんの持ち物にすると決まったけれど、双葉さんが随分と羨ましそうに見ていたのが印象深かったな。
どうしたの、と委員長が聞けば、彼女はこう答えた。
「ううん、何でもないよ。今の私には、もう必要のないモノだから」
無力だった最初の頃を思い出したのだろうか。俺がダンジョンで見た双葉さんは、すでに教室で見かけた時と容姿も変わり、天職『狂戦士』となっていたから、彼女が魔物相手に怖がって泣いていた、という姿が全く想像できない……なんて思うのは、失礼だよな。
そんな双葉さんの武器も、より『狂戦士』に相応しいよう強化された。
『黒鉄のナイトハルバード』:黒一色の不気味なハルバード。黒き刃は硬く、重く、無慈悲な一撃となって放たれる。
『ダークタワーシールド』:黒一色の不気味な大盾。頑強な黒き装甲が、敵の攻撃を弾き飛ばす。
『黒鉄の剛剣』:高品質の鋼鉄と金属甲殻を用いた、黒い剣。通常よりもさらに、刀身は長く、幅も広い。
双葉さんは、さらに頑強な物理攻撃力を求めて、こういう強化となった。魔法の武器も試してみたが、どうやらあまり合わなかったらしい。だから、魔法の武器は俺と明日那と夏川さんに任せると。
その代り、パーティで唯一の盾持ちとなった。ただでさえ『狂戦士』の圧倒的なパワーがありながら、強固な盾によるガードも加われば、リビングアーマーが相手でも真っ向から叩き潰せる。
しかし、ここでの戦いによって獲得した新たな武技を習得してからは、盾によるガード術など使わなくても、一発でぶっ倒せるだけの攻撃力を叩き出せるようになってしまった。双葉さん、もうちょっとしたら、俺の『光の聖剣』を越える火力を手に入れるんじゃないだろうか。俺ももっと頑張らなくては。
あ、それと一応、夏川さんの装備だけど……
『ワイルドバンデッドナイフ』:強盗殺人を繰り返し、より凶悪な形状と化した、極悪人のナイフ。
『海魔の水流鞭』:水魔法で形成された、伸縮自在の鞭。海蛇を模した先端部には毒針も仕込まれており、痛烈な鞭打と合わせて、相手に地獄の苦痛を与える。武器というより、拷問道具。
『ショッカーボルト』:電撃を放つダガー。流れ込んだ電流は、相手の心を砕く激烈な苦痛と化し、拷問から死刑執行まで幅広く悪事に応用できる。
「な、な、な……」
「えっとぉ、もう一度言っておくけど、武器の説明文を考えているのは、小鳥じゃな――」
「なんでだぁーっ! 小鳥ぃーっ!」
「ピギャーっ!?」
水魔法の鞭と、雷属性のダガーを手に入れた、『盗賊』夏川さんの活躍に期待しよう。彼女は決して、悪い盗賊ではない。
「可愛い武器よこせぇーっ!」
などと絶叫しては、非力な小鳥遊さんを追いかけ回しているが、それでも彼女は、悪い盗賊ではないのだ。頑張れ、夏川さん。
「いよいよ、ここも出発ね」
「このエリアのボスは、恐らく、これまでで最も強力な魔物になるでしょう」
「万全の準備は整えた。今の私達なら、大丈夫だろう」
さぁ、覚悟を決めて、宮殿エリア突破に向けていよいよ出発だ――と、その前に一つだけ、俺にはやっておかなければいけないことがある。
「双葉さん、ちょっといいかな」
「なに、蒼真君?」
「これを」
俺は『生命の雫』を双葉さんに差し出した。
「えっ、でも、これは蒼真君の」
「いいんだ、俺は、君に持っていて欲しい」
情けない話だが、双葉さんを守るためにできることは、今の俺にはこれしかないんだ。
こと戦闘能力に限っていえば、双葉さんは強い。今では、明日那よりも確実にその実力は上だと言える。
だから、そんな双葉さんがピンチに陥ったならば、それは同時に、俺もまたかなりの苦戦を強いられる厳しい戦況であろう。とても、彼女が危ないからと、一目散に飛び込んでいける状況ではないはずだ。
そんな時だからこそ『生命の雫』に価値がある。万が一、俺のフォローが間に合わなかったとしても、一度だけなら、双葉さんを致命傷から守ってくれるはず。
「ちょっと待ってください! それは、兄さんが持っていると、みんなで話し合って決めたことではないですか。だって、兄さんが一番、戦いでは危険な――」
「桜は黙っていてくれ。これは、もう決めたことなんだ」
「……悠斗君、本当にいいのね?」
これまでの経緯から、双葉さんを良く思っていない桜は反対するだろうと思っていた。でも、こればかりは譲れない。俺も男だ。守ると決めたのなら、意思は通す。
桜なら、そんな俺の覚悟もすぐに察しただろう。まだ何か言いたげではあったが、委員長が素早く彼女を制してくれたお蔭で、それ以上の追及はなかった。
「ああ、委員長、これでいいんだ。それに、戦いでの危険なんて、俺と双葉さんとでそう違いはないさ」
「うーん、私は別に大丈夫だけど。盾もあるし」
双葉さんからすれば、メンバーで揉めるくらいなら、最初に決めた通り、俺が持っていればいいだろうという程度の気持ちだよな。
「ごめん、ほとんど俺のワガママみたいなものだけど……本当に危険な時、俺は君を助けられるか、正直、自信がないんだ」
『勇者』のくせに、本当に情けない話だ。
だからこそ、俺はもっと、もっと強くならなければ。
「そっか、うん、分かったよ。心配しなくても、私は大丈夫だけど、それで蒼真君が安心して戦えるなら、その方がいいよね」
俺のちっぽけな意地と悩みなんか、全て分かっているというように、双葉さんは穏やかな微笑みを浮かべながら、『生命の雫』を受け取った。
「ありがとう、蒼真君。大事にするね」
すぐにネックレス型の『生命の雫』を首にかける双葉さん。うっ、小さな雫の結晶が胸の谷間に落ちて見えなく……落ち着け、俺、心頭滅却だ。今はそういう、煩悩はいらないだろう。
「それじゃあ、みんな、行こうか」
これで、出来ることは全てやった。後は、これからの行動で証明しよう。
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