第86話 生贄転移
しばらくの間、僕は何も考えられなかった。
仇を討ったという達成感もなく……かといって、人殺しの罪悪感に押しつぶされるワケでもなく……こんな時、何を思えば正しいのか、分からなかった。
疲れた。ただ、疲れた。ようやく、僕のやるべきことを終えたという、疲労感だけが残る。
「……そろそろ、行かないと」
樋口を落とした後、アイツの言う通り、転移の魔法陣が発動した。念のために確認してみれば、魔法陣コンパスは間違いなく、ここを指示している。ボス部屋の向こうではなく、この光り輝く魔法陣を。
ひとまず、回収できるモノを淡々と拾い集めた。勝の肉体は、いつのまにか灰になって崩れ去っていた。僕が屍人形として行使した結果だろう。ゴメン、勝、こんなマトモに死体も残らない形になってしまって……でも、仇は確かに討ったから、勘弁して欲しい。
ゆっくりと悲しんでいる暇はない。この魔法陣だって、いつまでも転移準備OKの状態を維持してくれるか分からない。ボンヤリしていて効果時間終了、乗り遅れる、なんて馬鹿らしくて仕方がない。
僕は重い体を引きずるように、落とし穴が再び床へと戻り、石版を中心に展開された光り輝く転移魔法陣に向かった――その時だ。
「行って! エンちゃん!」
鈴の音を転がすような少女の声と同時に、「ガウガウ!」とけたたましい獣の咆哮が木霊した。
「なっ――」
咄嗟に振り向いた時には、もう僕の目の前に燃えるような真っ赤な毛並みの巨躯がいる。
「――うわあっ!?」
激しい衝撃と共に、硬い石の床を転がされる。痛い、けど、大丈夫、血は流れてない。右肩の傷も開いてはいないし、どこにも致命傷は負ってない。
ズキズキする鈍痛に苛まれながらも、突如として僕を襲った存在を確かめるために、無理にでも起き上がる。
「あっ、レイナっ!」
金色のツインテールをなびかせ、いかにも可愛らしい女の子走りで広間を駆け抜けていくのは、間違いなくレイナ・アーデルハイド・綾瀬である。当然だ、彼女は樋口パーティの一員だった。僕と樋口が戦っている間も、広間の外で待機していたに決まっている。
「ガァアアウッ!」
「うわっ、何だよコイツ、来るなっ!?」
そして、僕を襲った犯人が、赤い毛並みのデカい犬だ。雑魚モンスターの赤犬とはけた違いの巨躯。オルトロス並み、いや、それ以上か。犬というか、完全に獅子というべき面構え。首の周りにはライオンのような立派なタテガミが広がっている。赤と黄色のグラデーションがかかったタテガミは、正に燃え盛る火炎そのもの。
炎の獅子は、僕が怨敵であるかのように、獰猛な赤い瞳で睨みつける。ヤバい、こんなモンスターに飛びかかられたら、僕は即死だ。
「もういいよ! エンちゃん、戻って!」
「ガウ!」
命拾いしたな小僧、とでも言うように、僕を見下した目と鳴き声を残し、真紅の巨躯を翻して、素早くレイナの元へと駆け戻っていく。
完全にレイナの命令を聞いている。そうか、コレが天職『精霊術士』の行使する『霊獣』ってヤツか……なるほど、あの樋口がレイナをお姫様扱いで手出ししない理由が分かった。こんな屈強なガードマンがいるんじゃあ、ちょっかいなんてかけられるワケがない。
「く、くそっ……待て!」
彼女は戻った『エンちゃん』なる霊獣と共に、僕が命とプライドをかけた死闘を征して起動させた、転移魔法陣へと立つ。
横取りなんて、許せるはずがない。
けれど、レイナは何も悪びれることなく……それこそ、怨嗟の声を叫ぶ僕を一瞥すらせず……
「待てよっ、レイナぁああああああああああああああっ!」
彼女はただ、自分が純真無垢な少女であるかのように、霊獣を抱きしめながら、転移に怯えるようにギュっと固く目をつぶった愛らしい表情で、光の彼方に消えてゆく。
「なっ、あ……」
何だ、何なんだ、あの女は……思えば、彼女は一言も僕と口を利かなかった。樋口と合流して、ちょっとの間パーティで行動していた時も、まるで僕なんて見えていないかのような無関心ぶり。
正直、会話する理由もないし、必要性もない。レイナが樋口とどれくらいの関係性であるかも分からなかったから、下手に探りを入れる真似も簡単にはできなかった。
彼女の立ち振る舞いから、僕は勝手に『精霊術士』という強い能力を持っているけれど、女の子らしく戦いに向いた性格じゃないから、基本的にダンジョン攻略は樋口と勝の二人に丸投げして、一緒についてきているだけ、みたいなポジションだと思い込んでいた。だからこそ、レイナ・A・綾瀬を脅威とはみなさなかった。僕が樋口と戦い始めても、樋口に肩入れして手出しはしないと。
「くそ、くそっ……ちくしょう、あの女……この瞬間を、待っていたのかよぉ……」
今なら分かる。レイナ・A・綾瀬は、樋口の仲間ではなかった。そして、僕を仲間としてもみていない。助けるべきクラスメイト、という認識さえない。
だから僕に負けた樋口を助けることもなく見捨てたし……こうして、平気な顔で僕を置き去りにできた。自分の手を血で汚すこともなく、あの女は、邪魔な男二人を排除してみせた。
そうして、進んだ先で蒼真悠斗と出会えたならば、「ユウくん、怖かったよぉーっ!」とか言いながら、いつも教室でやるように抱き着くのだろう。
「アイツも殺しておくべきだった……いや、ちくしょう、あんなモンスターを飼っているんじゃあ、僕には無理か……」
最初から、勝負は決まっていたようなものだったか。樋口の話では、他にも雷だか氷だかの属性を司る霊獣もいるのだと言っていた。あのエンちゃんは見た目からして間違いなく火属性担当だ。あれ一匹だけでも手に負えそうもないというのに、さらに二匹、三匹、と霊獣を従えているのなら……悔しいが『勇者』に匹敵するチート能力だ。
「はっ、はぁ……くそ、落ち着け……」
腸が煮えくり返るほどの屈辱を覚えるが、すでに転移魔法を横取りされた事実は覆せない。
考えろ。先へ進むための、新たなルートを見つける必要がある。
「そんなの、あるのかよ……樋口だって生贄で転移しようとしたんだぞ……」
他のルートは幾つかある。それでも、樋口がわざわざこの転移魔法陣を使おうとしたのは、僕を排除するという以上に、これが最も安易で確実な攻略手段だからだ。樋口の戦闘能力をもってしても、この扉の先にいるゴライアスは倒せない。取り返しのつかない傷を負うかもしれない危険な相手ということ。そして、他のルートもボスに挑むのと同じ程度には危険度があると、アイツは判断したはずだ。
ひょっとしたら、今度こそ僕は、詰んだのかもしれない。
魔力は底を尽き、体はボロボロ。残った武器はレッドナイフと、樋口の形見のバタフライナイフくらい。運よく倒せたカマキリ素材をつぎこんだレムも壊れ、勝も、もういない。
このまま、妖精広場まで帰りつけるかどうかも怪しい。この広間はボス部屋前ということで特別な造りになっている気はするが、妖精広場ではない以上、近くをモンスターが通りかかれば、普通に侵入してくるだろう。あるいは、すでにこの死闘でまき散らされた血の臭いに惹かれて、獣系の魔物が向かっている真っ最中なのかも。
「大丈夫だ……落ち着け、大丈夫だ……」
まだ、全てを諦めるには早い。けれど、足に力が入らない。手に入れたと思った希望の光を、あまりにもあっけなく横取りされて、僕の体は震えたように動いてくれない。
何だったんだ、僕の戦いは。勝は何のために犠牲になった。このまま僕が死んだら、結局は、樋口と刺し違えて負けたのと同じじゃないか。
「だ、大丈夫……」
大丈夫なワケがない。頭を過るのは絶望の未来ばかり。どんな選択をしたところで、力及ばず倒れる想像しかできない。そんな情けない末路を辿るなら、大人しく樋口と相討ちになって派手に散った方が、よほどカッコついただろう。
そんなことを思いながら、僕はどれだけ情けなくもうなだれていただろう。
コツコツ。足音が聞こえた。
「っ!?」
まさか、魔物か。ついに来たか。
足音は複数。音を隠すことなく、堂々と歩いている集団といえば……スケルトン部隊しかない。
「う、あ……」
どうする、今の僕には、レッドナイフとバタフライナイフの二刀流を、黒髪触手で振るう通常攻撃くらいしかできそうにない。『腐り沼』を張れば、恐らく完全に魔力切れでぶっ倒れる。
無理だ。この攻撃手段のみで、スケルトン部隊に勝つなんて。
終わり、ここで、こんなところで、終わるのか、僕は――
「――ああ? なんだ、桃川か、お前」
二つのナイフを握りしめたまま、半分涙目で硬直していた僕の前に現れたのは、一人の男。
校則違反な金髪に、鍛え上げられた筋肉の鎧を纏った逞しい体。学ランの前は全開で、くわえ煙草。紫煙を漂わせながら、堂々と立つ大柄なガチの不良生徒など、ウチのクラスにはたった一人しかいない。
「あっ、あ……天道、くん」
蒼真悠斗と対を成す、天道龍一がそこにいた。
「何だ、お前、やんのか?」
「えっ」
ちょっと待って、僕は名前呼んだだけで、喧嘩上等でイチャモンつけたみたいな真似は一切してないんだけど。アレか、僕の目つきが悪いのか。勘弁してくださいよ、この野良猫みたいな生意気なジト目は生まれつきなんです。見た目ほど生意気なコトは思ってないです、自分、マジでただの小市民なんで……
「やるんなら早くしろ。やらねーなら――」
ズンズンと大股で突き進んでくる天道君を前に、僕は全く何の反応もできない。
「――退け、ボスは俺がやる」
ギラギラした金色の瞳を輝かせて、僕を見下ろす。その、あまりの威圧感に、僕はうんともすんとも、返事すらできなかった。
僕が完璧にビビって固まっているのを、流石に察してくれたのか、それ以上は何も言わず、天道君はそのまま真っ直ぐ、ボス部屋の門に向かって歩みを進める。
な、な、何だよ、やんのか、ってボスに挑む順番のことだったのかよ。やるワケねーだろ、僕の姿を見ろよ。こんな瀕死状態でボスに挑むバカがいるかっ!
なんてことを思えたのは、圧倒的な気配を放つ彼の姿がもう見えなくなったからで。というか、天道君、武器は何も持っているようには見えなかったけど……あんな自信満々にボスに殴り込みに行くってことは、やっぱり、強いのだろう。蒼真悠斗の『勇者』に匹敵する天職を授かったとしか思えない。レイナの『精霊術士』に続いて、またしてもチート級の天職能力かよ。
そんな僻み根性全開で、天道君の睨み顔を思い出すと……あれ、何で目の色が金色なんだ。髪はもともと脱色して金髪にしてたけど、流石にカラコン入れたりはしてなかった。普通に黒目だったはずなのに、でも、あんなにハッキリとギラギラ金色の輝いていたということは――
「うわぁー、桃川のヤツ、ガチでビビってんじゃーん」
「かわいそぉーっ、もうちょっと優しくしてあげなよ天道くーん」
俯いてグルグルと考えていた僕の頭の上から、かしましい女子の声が降りかかる。見上げると、そこには見覚えのある女子生徒二人の顔がある……けど、名前なんだっけ。
この二人はクラスの中では割と派手なタイプの女子で、ただでさえ女子に縁のない僕にとっては、さらに縁遠い存在だ。同じクラスだから顔は分かる、というだけで、名前から何から、全く知らない、知りようがない。
そして、そんな彼女達はやっぱり僕なんかに興味ないように、颯爽と歩いていく天道君の背中を追って、さっさと進んで行く。
何なんだ、というか、パーティなんだろう。ちょっと、いや、かなりうるさそうなハーレムパーティだなぁ、なんて思っていると――
「おぉー、桃川、アンタ大丈夫ぅ?」
二年七組で一番派手な女子が登場した。気だるげに、ゆったりとダラダラしながら歩いてくるのは、縁がなくてもフルネームで名前は知っている女子生徒。そう、あの樋口と付き合っているともっぱら噂であった、蘭堂杏子である。
緩く波打つ長い金髪を一本でしばり、眠そうな、興味の欠片もなさそうな半目で僕を見下ろす。
「うわ、血まみれじゃん、結構、ヤバい感じ?」
「あ……うん」
何とか僕はそう返事した、けれど……前かがみになって僕に話しかけた体勢のせいで、蘭堂さんの、二年七組ナンバー1と呼ばれる爆乳が、目の前で圧倒的な存在感を放つ。凄い、デカい、流石はクラスナンバー1(※ただしメイちゃんは除外する)のサイズだ。
僕の視線は、彼女の雰囲気と同じようにゆるゆるに開いたブラウスの胸元から覗く、日焼けした褐色肌が眩しい深い谷間に釘付けになってしまう。
「ふーん、とりま、ウチらと来る?」
凄いな、ついさっきまで命のピンチとか未来への絶望とかで悩み苦しんでいたのが、この褐色おっぱいを見ただけで全部ぶっ飛んだ。体のそこからみるみる生きる活力が湧いてくる。
ありがとう、蘭堂さん、貴女は僕の命の恩人です。
「よろしくお願いします」
こうして、僕は幸運にも、天道龍一率いる、新たなクラスメイトのパーティと合流を果たしたのだった。
2017年5月5日
レッドライジングブックスのHPで、書籍版『呪術師は勇者になれない』の表紙が公開されました。是非チェックして、小太郎の超絶美少年ぶりをご覧ください。




