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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第7章:人殺し
88/520

第85話 呪術師VS盗賊(2)

「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――『赤髪括り』」

 両手で石コロを握り、『赤髪括り』を掌から飛ばす。

 同時に、元から勝が装備していた腰の長剣を引き抜いて、レムが駆け出す。

 フォーメションは基本に忠実でいい。今のレムは前衛で戦士を張れるだけの十分な性能を持つ。お蔭で僕は後衛に徹することができる。

「おっ、何だよ、赤いヤツも出せるのかよ。これって当たったらヤバい系?」

 僕の単調な赤髪触手攻撃なんて、余裕で見切っているのだろう。樋口はゆらり、ゆらり、と体を左右に動かすだけで、薙ぎ払うように飛ばした触手攻撃を回避して見せる。いや、避けただけじゃなくて、二度目の回避の際には、ナイフで触手を斬り飛ばしていた。

「うおっ、刃がちょっと溶けてるじゃねーか」

 ジュウウ、と小さな音を立てて、僅かにナイフの刃が欠けている。まぁ、『赤髪括り』は見た目からして溶解能力持ってそうだし、すぐに効果は分かるだろう。

「ガァアアアアっ!」

 と、僕の先制攻撃を華麗に捌いたあたりで、樋口にレムが斬りかかる。

「へぇ、なるほど、斉藤よりはいい太刀筋してるじゃねぇのっ!」

 勝の天職『戦士』としてのスペックを上手く引き出しているのか、レムの斬撃はこれまでよりも鋭く見えた。だが、樋口を一刀のもとに叩き切るには足りない。

 レムは流れるような動作で長剣を振るうが、やはり樋口は見切っている。さして危機感を覚えてないような表情で、剣戟をかわし、受け、反撃していた。

「ちっ、流石は死体、痛みは感じねーってか」

 樋口のバタフライナイフが、レムの脇腹を軽く裂いた。僅かな血飛沫が出るだけで、動きは鈍らない。

 無理に攻めるのは危険と判断したのか、樋口は素早いバックステップで距離をとった。

「そこだっ!」

「当たるかよ!」

 レムとの距離が離れれば、僕も赤髪で狙いやすい。呪術で編まれた髪は、切断されてもすぐに再生できる。

 避けられても、切り払われても、僕はひたすら『赤髪括り』の遠距離攻撃で樋口を狙い続ける。

「――ちいっ、キリがねぇな」

 同感だ。僕の攻撃は、まるで当たる気配がない。

 レムは距離を離されれば、僕の攻撃タイミングと合わせて、再び樋口へと追いすがっては斬撃を見舞う。それを適当にいなし、斬り返してくる樋口。レムが下がれば、また僕の赤髪が襲う。それの繰り返しだ。

 樋口は焦れているのか。いや、このまま続けてもジリ貧になるとは思ってない。スタミナも集中力も自信があるのか、奴は焦っているというより、ただ煩わしいといったような雰囲気だ。

 どうする、このまま続けて、押し切れるか。いや、恐らくそれは難しい。

 単純な戦闘能力は樋口の方が上だ。これ以上、同じ攻撃を続けていれば、レムの性能、僕の攻撃、全てを見切って反撃してくるかもしれない。そうでなくても、僕の方が先に集中力が途切れてしまいそうだ。

 仕掛けるなら……そろそろか。

「広がれ、『腐り沼』」

 これまでの攻防で、樋口が切り払った『赤髪括り』はあちこちに飛び散っている。それは、僕の血が落ちているのと同じ。今なら、どこでも好きな場所に『腐り沼』を展開できるということだ。

「うおっ、何だ、クソっ!?」

 待ち構えていたかのように、奴の足元から急速に広がる赤い毒沼。その危険性は、盗賊の勘で瞬時に察したことだろう。

 樋口が毒沼に足を着ける。だが、すぐに跳ねて沼の範囲を脱するように飛ぶ。足がついたのは一瞬だから、上靴を少しばかり溶かすだけで、足そのものにまではダメージは通らなかった。

「広がれ、もっと!」

 僕は魔力を振り絞って、さらに沼を広げ続ける。すでに『腐り沼』は見せてしまった。ここで樋口を沼に叩き落とせなければ、二度目はもう見切られて通じなくなる。

「くっ!?」

 予想外の広がりを見せる沼に、樋口の顔に初めて焦りの表情が浮かぶ。

 よし、届いた。『腐り沼』は樋口が跳躍した距離に追いつくまで大きく広がり、奴の着地点を越える。

「落ちろっ!」

 もう一度、僅かでも足が触れれば上靴は完全に消えて、溶解ダメージは免れえない。盗賊にとって足をやられるのは致命的だ。その素早さを鈍らされれば、天職『戦士』の力を宿すレムのパワーに耐えられなくなる。

 足は守らなければならない。樋口は手をついた。

 無論、武器を握る手がやられても、戦闘力の低下は同じこと。犠牲にできるほど、安いものじゃない。

「くっ、そがぁああっ!」

 だから、樋口は自分の手も守り切った。

 沼に着けた左手、そこに握られているのは、大振りのナイフだ。そう、ソレを思い切り突き立てていた。

 刃が強酸性の毒沼に浸かり、ジュウジュウと激しい音を立てながら溶け始める。けれど、溶けて折れるまでの僅かな時間があれば、樋口には十分だった。

 奴はそのまま左手一本の力で自分の体を跳ねあげて、さらなる跳躍力としてみせた。曲芸染みたその動きは、なるほど、天職『盗賊』の身体能力があればこそと納得できる鮮やかなものだった。と、感心している場合じゃない。

「ちっ、ダメだったか……」

「今のは結構ヤバかったぜ、桃川ぁ」

 ナイフ一本だけを犠牲に、樋口は無傷で『腐り沼』から脱していた。

 くそ、沼に深さがあれば落とせていたのに。でも、あそこで深くするほどの集中力もなかったし、魔法陣もなかった。無理な勢いで広げたせいで、普通よりもかなり底が浅くなってしまっていた。

 仕方がない、僕の力不足だ、と反省するのは後回し。虎の子の『腐り沼』が不発に終わった以上は、次の手を打たないと――

「やっぱ、魔法使い相手にノンビリ構えるのは危ねーな。速攻で仕留めるべきだったか」

 樋口の目つきが変わる。舐めていたところに、手痛い一撃をくらいそうになって、本気にさせてしまったか。

 盗賊の直感なんかなくても、ヤバそうだと思いつつも、すぐに次のプランも浮かばない僕には、とりあえず赤髪を飛ばすことしかできない。

「疾っ!」

 強酸性の赤髪を華麗に掻い潜りながら、樋口はこれまでにないほどの鋭い声を発した。

 動いたのは、ナイフを失った左手。腰元から、新たなナイフを抜いて、投げた――ようにしか、僕には見えなかった。

「ガガっ!?」

 剣を振りかぶって迫っていたレムが、そこで急に倒れた。

 レムは痛みを感じない。ナイフ程度の刃渡りで刺されても、その行動に支障はきたさないはずだ。樋口の投げナイフでは、一発でレムをストップさせるほどの威力はない。

 だから、レムの転倒は投げナイフが原因じゃない。

「なんだ、ワイヤーかっ!?」

「へへっ、縛る技を使えるのが、テメーだけだと思うなよ!」

 さらにもう一度、ナイフを投げる。それで気づいた。樋口な投げたナイフは二本ある。同時に二本投げているのだ。

 そして、その二本のナイフの柄には、金属質の細いワイヤーみたいなのが繋がっている。相手にあてるのは刃そのものではない。飛んでいく二本の間、ワイヤーが張っている範囲にターゲットが入りさえすればいいのだ。そうすると、投げナイフの勢いでワイヤーが体に絡みつくというカラクリだ。

 樋口は一投目でレムの足元を絡め取り、今の二投目で上半身を縛り上げた。

「レム! 鎌でワイヤーを――」

「させるかよ!」

 倒れたレムに盗賊の脚力で急接近。樋口は思いきり蹴り飛ばす。

「ガッ!」

 うわ、マジかよ。勝の体そのままなのに、ちょっと宙に浮いてぶっ飛んだぞ。あんなキック、僕が喰らったら一発で骨はバラバラ、内臓はグッチャグチャだ。

「う、うわぁああああっ!」

 レムが退けられたことで、樋口の接近を止めるものはなくなった。後衛の僕まで、奴は一直線だ。

 無我夢中で赤髪を繰り、さらに自分の影と、樋口の影から『黒髪縛り』を放つ。縄抜けスキルがあっても、絡みつけば多少の足止めにはなるはずだ。

「おっと、こんなもんで、俺を――」

 ちくしょう、どうして当たらない! この距離、これだけの触手をけしかけているというに。

 樋口の影から触手を生やすといっても、動き続ける影にずっとくっついているワケではない。影はあくまで、触手を生やすスタート地点に過ぎない。樋口の速度をもってすれば、触手が飛び出る直前には、その場を離れていることもできる。だから、どれだけ生やしても捕まらない。右に左にステップを刻んでは、巧みに黒髪と、ついでに僕が振り回す赤髪をすり抜け、あっという間に距離が――まずい、奴はもう目の前だ!

「捕えられるかよっ!」

「うわっ!?」

 樋口の腕が動く。まさか、僕をナイフで刺したわけではあるまい。この距離で、何をするつもりだ。速すぎて見えない。いや、違う、何も見えない。

「あっ、うわっ! なっ、見えなっ――」

「おらぁ!」

 突如として暗転した視界に動揺した瞬間、体に走る重い衝撃。僕は潰れたカエルみたいな無様な声を上げながら……ぐっ、い、痛い……床を転がった感触を覚えた。

「あー、くそっ、痛ぇ、もうちょい加減して蹴りゃあ良かったぜ」

 全くだ。でも、骨も折れてなさそうだし、内臓破裂ってこともなさそう。手加減としては成功してるよ、樋口。

 そんなことを思いながら、僕はようやく、視界を塞がれたカラクリに気づく。

 なんてことはない、これはただの目隠しだ。感触からして、ハンカチか何か。その小さな布地で僕の目元が覆われていて、それを固定するようにワイヤーが巻かれているようだ。

 一瞬の早業で目隠しを決めたのは、これも盗賊スキルなのか。それとも、超人的な身体能力と、樋口の器用さで成立するただの技術か。どちらにせよ、視界を塞がれていては戦いにもならない。僕はどっかの武術の達人みたいに、目を潰されても相手の殺気だか気配だかを察知して正確に反撃できる心眼スキルなんて欠片も持ち合わせてないからね。呪術師の僕には、恐らく、一生縁のないスキルだ。

 そんなワケで、早く目隠しをとらなければ、と思うけど、今度は僕の手が動かない。

 腕をとられた。

「動かない方がいいぜ、桃川。このワイヤー、そこそこ切れ味あるからな」

 僕がキックの痛みと衝撃から復活するよりも早く、樋口に腕をワイヤーでグルグル巻きに縛り上げられてしまう。同じダメージが入っても、強靭な肉体を持つ樋口の方が痛みには強い。剣崎明日那に殴られた時と同じ原理だ。

 僕にとっては必至で歯を食いしばらないと耐えられないような痛みだけれど、樋口は「くそ、痛ぇ」の一言で済む程度。痛みでダウンした僕はさぞや隙だらけ。手ずからワイヤーで縛るくらいの余裕はあるってことだ。

 キツく食い込んでくる硬いワイヤーの感触。もうすでに痛い。腕だけじゃなくて、指にまで絡みついている。どういう縛り方してるんだ、これ、下手に拳を開いたら、指がとれそうになるぞ。

「よし、こんなもんか。これで呪術も使えねーだろ、桃川」

 何言ってんだ、視界と手を塞がれたくらいで呪術が使えなくなるわけ――

「その気味の悪ぃ髪の毛、どこでも出せるみてぇだが、出すポイントは目で見て決めてるだろ。視線の動きでバレバレだぜ、だから読まれる。まぁ、剣士でもねー桃川に、そういうのを誤魔化せってのは無理な注文か」

 そうだ、僕の呪術って、全て目が見えてないとどうもならないモノばかりだ。黒髪も赤髪も、出せることには出せるけど、見えてないとどこに飛ばせばいいか分からない。『腐り沼』も『逆舞い胡蝶』も、あの使えないクソ呪術不動の一位の『赤き熱病』だって、見えてなければ当てられない。

 視界を潰された僕は、完全に無力であった。

「終わりだぜ、桃川」

「うわっ!? ああっ、やめろぉーっ!」

 ワイヤーを解こうと身じろぎする暇もなく、今度は足をとられる。足首を掴まれ、僕は強制的に仰向けに倒された。その体勢のまま、ズルズル引っ張っられていく。

 穴に落とす気、いや、それだと樋口に『痛み返し』される。なら、向かう先はボス部屋かっ!

「クソッ、放せ!」

「ははっ、結構いい声で泣くじゃねーの、お前、そこらの女子より可愛いぜ」

 ちくしょう、ああ、ヤバい、ヤバいぞ、半泣きで喚いたところで、事態は好転なんかしない。考えろ、この状況を脱するには――

「おい、あんま暴れんなって。俺にダメージが入ったらどうすんだよ」

 ぐううっ、痛い。必死になって暴れすぎて、変な方向に体をねじってしまった。

 けど、それくらい僕が全力でもがいたところで、樋口の拘束はビクともしない。奴のパワーを考えると、正に赤子の手を捻る、ってくらい力の差はあるんだ。僕が体一つで暴れても、何の効果もない。

 どうする。ボス部屋はすぐそこだ。レムはまだ復帰しないのか。今この瞬間にレムが拘束を解いていたとしても、もう間に合わないか。やっぱり、自分で何とかするしかない。

 でも、非力な僕にはこの体勢をひっくり返すほどのパワーはなくて、というか、僕にあるモノといえば、呪術しかないわけで。

 けれど、触手で反撃できるものならとっくにやってる。樋口は僕が掌から『赤髪括り』を放ったのを見ているからこそ、手の指にまでワイヤーで縛って開けなくしたのだろう。実際、それは正解だ。拳を握った状態だと、太さのある触手は出せない。出そうとすれば、その分押し広げられて、僕の指は落ちるだろう。

 本物の髪の毛みたいな細さなら、何本か隙間から出すことはできるが、そんな程度じゃ何もできない。いや、赤髪ならワイヤーを溶かして切断できるか……ちくしょう、視界が塞がれたこの状況で、素早く細い赤髪だけで拘束を溶断できる自信がない。妙な動きを見せれば、次の瞬間には樋口の蹴りが飛んできて、再び悶絶することになるだろう。

 この状況を覆すには、せめて普通に行使するくらいの量で触手が必要だ。少なくとも、樋口を牽制できるくらいには。

 どうする、イチかバチかで適当に触手を出してみるか。それとも赤髪でワイヤー切断を狙うか――いや、待てよ、僕にはまだ、目が見えなくても、腕が封じられていても、安定して触手を発生させられる場所がある!

「……『黒髪縛り』」

 その瞬間、頭がちょっとだけ重くなったような気がした。それは集中力のせいでもなければ、魔力を消費したからでもない。物理的な重量が増したからに他ならない。

 そう、僕は今、自分の頭に生える髪の毛をそのまま伸ばす形で『黒髪縛り』を発動させた。前に一度、実験で髪の毛発動はやっている。今の今まで忘れていた自分がバカみたいだ。

「なっ!?」

 伸ばす。僕の足を掴んだ腕を辿れば、流石に目が見えなくても体の位置はなんとなく分かる。頭から大量に伸びた黒髪触手は、今、確かに樋口の腕を絡め取ったぞ。

「ちいっ!」

 スルリ、と滑るような妙な感触と共に、髪で縛った感覚が消える。縄抜けを発動させたようだ。

 樋口は僕の縛りを脱したが、その分だけ、僕も縛られたワイヤーを解くだけの余裕も生まれる。

 伸びた前髪のあたりをワサワサと動かして、まずは目隠しを解除。ハンカチをズラして、視界を確保する。

 ちくしょう、グルグルに縛り付けやがって、と自分の腕の惨状を見ながら、即座に掌から赤髪を伸ばす。『腐り沼』と同じ強酸性の性質を宿す赤い髪の毛が、指に食い込むワイヤーに絡みつくと、シュウシュウと音を立てて溶かし始めた。

 こういう時、本当に呪術の効果が僕の生身には通じなくて良かったと思う。もし呪いの酸が僕の体も平気で溶かしてきたら、自爆もいいところである。

 指を解放すると、掌を開けるから、より多くの赤髪を使って、腕のワイヤーを切りに行ける。

「よし、これでっ」

 僕の体に再び自由が戻る。けど、樋口がそれを大人しく待っててくれるはずもなかった。

「逃がすかよぉ!」

 左手にはワイヤーナイフを構える樋口が、すぐ目の前に立つ。

「広がれ!」

 咄嗟に、僕は頭を振ってスーパーロングヘアと化した黒髪触手の束を、盾のように体の前に広げた。樋口のワイヤーナイフは、魔法でも何でもない、ただワイヤーを仕込んだだけの武器だ。障害物があれば、それに当たって阻まれる。

 僕には樋口が盗賊の腕前で放つ投げナイフなんて見えはしないけれど、飛んでくる場所が分かっていれば、こうして防ぎようもある。

「くそがっ、手間かけさせやがって!」

 黒髪触手が、上手く放たれたワイヤーナイフを絡め取った。ナイフの刃が少しばかり髪を切り裂いただけで、膨大な量の黒髪を前には鋭いスローイングナイフも止まってしまう。

 しかし、樋口の反応も素早い。投げナイフだけじゃ僕を捕まえられないと即断し、自ら黒髪触手を右手のバタフライナイフで切り払って急接近。

 まずい、縄抜けスキルを持つ樋口が相手では、接近戦の分が悪すぎる。

「ガガァアアアアアアアアアアアアっ!」

 そこで、横合いから雄たけびを上げてレムが飛び出してくる。

 よく間に合ってくれた。割と無茶してワイヤーを脱してきたのだろう。勝の肉体には幾筋もの切り傷が走っている。

 けれど、痛みのない屍人形に軽傷など無意味。思い切り剣を振り上げ、樋口に斬りかかってゆく。

「邪魔すんじゃねぇっ、このクソデブがぁ!」

 素早い反応で、樋口は狙いを僕からレムへと切り替える。振り下ろされた力強いレムの一撃は、樋口が繰り出すナイフで受け止められる。

 このままでは、振出しに戻ってしまう。レム一人だけじゃあ、樋口を斬り伏せることはできない。僕が距離を置いて赤髪でちょっかいをかけても、それでも樋口は捌ききる。

 奴を仕留めるには、もうひと押しが必要だ。

「うぉおおおおおおおおおおおっ!」

 考えている暇はなかった。だから、僕は頭の黒髪触手の束と共に、そのままレムと斬り合いを演じる樋口に突っ込んで行った。

 もう、奴の動きを止めるには、直接この体で抑えるしかないだろう。

「桃川っ、テメェ――」

 僕の意図を瞬時に理解してくれたレムが、あえて鍔迫り合いに持ち込み、樋口の足を止める。

「だぁーっ!」

 お蔭で、僕は樋口の背中に飛び付くことができた。

 伸ばした黒髪触手で、自分ごと樋口を縛り付ける。何でもいい、とにかく、少しでも樋口の動きを鈍らせることができれば、それでいいんだ。

「やれっ! レム!」

「ああああっ、クソがっ!」

 当然、樋口は僕を振り解こうとするが、レムに真正面から斬りかかって来られれば、そっちに対応せざるをえない。僕は樋口の背中にぶら下がりながら、必死に振り落とされないようにしがみつく。

 僕という重量を背負いながらも、樋口はそれでもレムの攻撃を捌き続けた。まだ決めるには足りない。だったら、僕も攻撃だ!

「『赤髪括り』っ!」

 出せるだけ出す。僕は樋口にしがみついて振り回されている真っ最中だから、首を狙うとか、そういうのまでは無理。でも、赤髪ならとりあえずどこでもいいから触れれば、そのままダメージになるはずだ。

「あっ、熱っ、く、そぉおお――『ガードスキン』っ!」

 樋口の手足や胴に、僕の掌から伸びた赤髪が絡みついた直後、その体がボンヤリとした青白い輝きに包まれた。赤髪はシュウシュウと溶解音を発してはいるが、樋口の学ランは無傷。

 この光のオーラが全身をガードしているのか。ちくしょう、こんな便利なガード技まであるなんて、盗賊といっても完璧に戦闘職じゃないかよ!

「ガッ、ガアッ!」

「ぐっ、くっ、ヤベぇ――」

 しかし、樋口も魔法の全身防御で余裕というワケでもなさそうだ。これの発動には魔力も集中力も使うのか、樋口の動きは明らかに精彩を欠いている。追い詰められた苦し紛れに、奥の手を使わざるを得なかったといった感じか。

 いける、勝てる。あと、もう少し――というところで、僕の方も限界だった。

「オラァっ!」

 レムとの攻防の隙を突いたその一瞬で、樋口は縄抜けを発動。黒髪の拘束と赤髪の攻撃は一時的に全て解除され、僕の非力な腕だけでしがみついただけの体勢になる。そうなってしまうと、樋口の身じろぎ一つで簡単に吹っ飛ばされてしまう。

「うわっ!?」

 ドっと体を打つ鈍い痛みを振り払って、僕は立ち上がる。いけない、すぐに戻らないと、形成をひっくり返される――けれど、黒髪触手が、出ない。

「うっ、こ、この感覚は……魔力切れ、かよぉ……」

 触手を編めないほどではない。けれど、さっきまで出していた頭の分は全て消え去り、もう一度、同じ量を出そうとしたら、僕はその瞬間に気絶してしまうという確信があった。

『黒髪縛り』と『赤髪括り』、あとは広い『腐り沼』一回と、そこまで激しい魔力消費はないと思ったけれど……恐らく、レムと勝を合体させた『屍人形』の創造にかなりの魔力が持っていかれていたのだろう。

 ちくしょう、ここに来てガス欠だなんて、冗談じゃない。

「グガァアアアアアアアっ!」

「うぉおおっ! 死ね、死ねっ! 死ねや、クソっ、舐めやがって、この、俺をっ!」

 レムが奮戦している。樋口は右手のバタフライナイフはそのままに、左手にはまた新たなナイフを握り、その素早い二刀流でもってレムを切り刻む。

 刃の短いナイフでは、そうそう致命傷にまで至らないのか、レムは無数の斬撃に刻まれながらも、強引に剣で攻め続ける。

「ぶっ殺してやる! 何度でも殺してやるよ、斉藤ぉ、この俺が、テメェみてぇなグズのヘタレ豚に、やられるワケがねぇだろがっ!」

 今の樋口はもう限界ギリギリなんだろう。傷はないが、かなり消耗していると感じているが故の焦り。だから叫ぶ。こんな、最弱の呪術師と奴隷のデブ、圧倒的な格下相手に追い詰められていることが腹立たしいのだ。

「ガアっ!?」

 鋭い二連撃が、レムの手首を刻む。ガラン、とけたたましい音を立てて、長剣が床に落ちる。

「ははっ、これでぇ――終わりだっ!」

 さらに二連撃、いや、四連撃か。目にも止まらぬ早業で、もう一度、勝の首を深々と切り裂いた。

 肉を切り、さらには骨まで断ち、勝の首が落ちる。いや、皮一枚で繋がり、凄惨な生々しい赤い断面を晒して、ブランと後ろ側に垂れさがった。

「はっ、どうだぁ、思い知ったかよ、テメェの身の程ってヤツ――ぉおおおっ!?」

 一閃。首を断たれて力なく倒れこんでいくレムは、その途中で右腕を跳ね上げた。その手に剣はない。しかし、死闘の末に獲得した、カマキリブレードがそこにある。ガキリ、と手首の関節が稼働し、刃が前へとマウントする。そうして、新たな剣を手にした右手が繰り出した一撃は、首を斬って油断していた樋口を襲った。

「がぁあああああああああああああああっ!」

 樋口の左腕が落ちる。これでも、致命傷は免れるよう、ギリギリで回避しようとしたのだろう。それでも、完全に避けきれなかった。追い詰められた焦りと、勝利への油断が、盗賊の勘を鈍らせた。

 ついに、樋口は大きな痛手を負った。

「うわぁあああああああああああああああああああああっ!」

 好機。ここが最後の勝負どころと心得て、僕はナイフ、今の今まで隠し持っていた最終手段のレッドナイフを携えて、樋口に突撃した。

 魔力がない? 呪術が使えない? だからなんだ、僕の体はまだ動く。炎が迸る魔法の武器があるんだ。手負いの獣を、刺して、焼いて、トドメを刺すくらいはできるだろう!

「ぐ、が、あぁ……も、もかわぁっ!」

 左腕を失いながらも、樋口は僕を迎え撃つ。右手には、元から自分の所持品だったに違いないバタフライナイフが、今もまだ力強く握られている。

「あっ、痛っ、たぁあああああああああっ!」

「ぐあぁああああ、痛でぇえええええええ!」

 樋口のナイフは、容赦なく僕の体を襲った。最早、『痛み返し』のことなど頭になく、ひたすら目の前に迫った『敵』を切り裂くのに夢中だったのだろう。

 僕が振るったレッドナイフは見事に空振り、その代わり、樋口のバタフライナイフが僕の右肩を深々と突き刺した。

 激痛。僕も、樋口も。どっちも痛みに叫んだ。

「こ、殺す……桃川ぁ、テメェは、絶対に、俺がぁ……・」

「う、あ、あぁ……痛い、痛いぃ……」

 痛みへの耐性は、やはり樋口の方が高い。それとも、脳内麻薬がドバドバ出てハイになってるのか。

 僕は思わず手離してしまったレッドナイフを、無事な左手で拾い上げるので精一杯。一方の樋口は、右肩に深手を負っても尚、僕を始末するためにナイフを握り続けていた。

「俺がっ、ぶっ殺す!」

 ゆらり、と樋口は幽鬼のような足取りで一歩を踏み出す。マズい、樋口はもう僕を躊躇なく刺し殺す気だ! ここまで追い詰めたんだ、こんな奴と相討ちだなんて、冗談じゃない!

「グガァアアアアアアアアアっ!」

 その時、倒れていたレムが蘇った。いや、まだ活動停止まで追い込まれていなかっただけだ。人間ではない、魔力で動くだけの屍人形であるが故の、耐久性。

 首が皮一枚で繋がっているだけでも、その顔は、勝の顔は怒り狂った形相に歪み、まるで狂暴な猟犬のように、樋口へと噛み付いた。

「あっ、な、あぁあああああああああああああっ!?」

 樋口が絶叫を上げて倒れる。足首の裏を食い千切られていた。

 その一撃で、ついに活動停止したのだろう。レムと繋がる感覚が消えた。肉片を口にして、憤怒の形相のまま表情が固まった勝の生首だけが残る。

 ありがとう、勝。最後の最後まで、僕を助けてくれて。

「死ねぇええええええっ、樋口ぃいいいいいいいいいいいいいっ!」

 痛みを堪えて、僕はレッドナイフを樋口に突き込む。狙いなんてつけてる余裕はない。ただ、外さないよう胴体を狙って、体ごと突っ込んだ。

「ぐぼぉっ! おっ、が、あが、あぁ……」

 腹のど真ん中に、レッドナイフが突き刺さる。樋口はいよいよ、悲鳴にもならない呻き声のようなものを発し――それでも、強烈な力で僕を突き飛ばした。

「あ、あぁああああああああああ!」

 燃え盛る炎を噴き出すレッドナイフ。突き刺さった腹部から、樋口の体を容赦なく焼いていく。

 ブスブスと人間の肉が焼ける臭いが早くも漂い始めるが、それでも、樋口の底知れない生命力は、まだ、自分の死を拒絶し続ける。

 レッドナイフの柄を握り、強引に引きぬいた。血反吐を吐きながら、白目を剥きながら、それでも炎の刃を腹から抜き放ち、放り投げてみせた。

「ぜぇ……はぁ……」

 これでもう、僕の手持ちの刃は尽きた。ゴーマのナイフ一本、残っちゃいない。あ、カッターナイフはある、けど……斬ったり刺したり、する必要もないんだ。

「が、あぁ……桃川、なぁ……おい……」

 僕は傷薬Aをポケットから取り出し、肩口に塗りたくる。とりあえず、応急処置はこれでいい。

「俺を、助けろ」

「ふっ……ふふ、あははははっ」

 乾いた笑いが漏れる。

 僕は魔力切れと、右肩を刺された痛みでフラフラになりながらも、樋口に近づき――蹴飛ばした。

「ぐあっ! ぐ、うぅ……桃川、頼む……助けてくれ」

「ははっ、命乞いを聞くってのは、いい気分だよ、なぁ、樋口ぃ!」

 さらに、もう一度、床の上でぐったりと倒れる樋口の背中を蹴り飛ばす。

 うん、大丈夫、これくらいなら、何とかなりそうだ。

「や、めろ……俺を殺すな」

「いいや、殺す。樋口、お前は絶対に、僕が殺す……ついでに、僕の糧になれよ!」

 倒れた樋口の体を押す。ガタイがいいだけあって、流石に重い。肩の傷も痛い。でも、動かせないほどではなかった。

「なぁ、桃川、お前、人を殺したこと、あるのかよ」

「ないよ、お前が初めてだ」

 そうだ、これから僕は、初めて人を殺す。ズルズルと樋口を押し出していく――まだ、生贄を寄越せと言うように開いている、落とし穴へ。

「だったら、やめとけ……人殺しだぞ、マジで、後悔することになる」

「なら、お前はどうなんだよ、人を殺したこと、少しでも、後悔なんてしてるのかよぉ!」

「ぐ、はっ……ははっ、俺は……クズだからな、大した罪悪感はねぇよ」

「ふん、それなら、僕だって同じだよ」

「いや、違う……お前は、俺とは違う、いいヤツだよ……だから、やめとけ」

 僕がいいヤツだって? そりゃあ、お前みたいな外道と比べれば、僕のような凡人もいいヤツってことになるだろう。

「お前は必ず、人殺しを後悔することになる……やめろ、俺を殺すな、このまま置いていけ」

「後悔、だって……」

 そんなの、するはずない――とは、言い切れない。僕は樋口ほど邪悪に染まったつもりはない。だから、もしかしたら、こんな憎い相手でも、命を奪えば後悔するかもしれない。死んだ樋口の幻影なんかを枕元で見たりして、その気がなくても思い悩むかもしれない。

 だって、僕は弱いから。天職も弱ければ、力も弱い。心だって、弱いだろう。

「だから、行けよ、俺を置いて、先に進め……約束する、もう、二度とお前を襲ったりしねぇ、関わらねぇって」

「馬鹿じゃないのか……そんなの、信じるワケないだろ!」

 この際、僕の心の問題なんてどうでもいい。論理的に考えて、樋口を生かすことの危険性は計り知れない。

「どっちにしろ、お前はもう、勝を殺したんだ……僕の友達を……許せるワケがない」

「やめとけって……復讐なんて、いいもんじゃねぇ……よく、言うだろ」

「黙れっ、どの口が!」

「頭冷やせよ……くだらねぇ感情に、流されるなって」

「いいか、樋口、よく聞け……僕はお前を殺す。そして、お前を殺したことを後悔もしない!」

 そうさ、こんな奴のために、僕は苦しんでなんかやるものか。

「マジだ、一生……後悔する、ぜ」

「するかよ! たとえ僕に子供が生まれても、お父さんは昔、物凄く悪いヤツをぶっ殺してやったんだって、自慢だってしてやるよ!」

 僕は正しい。間違っていない。正義――人殺しという大罪が、正義の実行という究極の矛盾。けれど、僕にはそれを信じるしかない。それしか、信じられない。

「桃川……頼む」

「もうやめろっ! これ以上、命乞いなんて聞きたくない!」

「いや、違ぇよ……頼みが、ある……」

 この期に及んで、頼みごとだと。一体、どこまでふざければ気が済――

「あのナイフを……有希子に、渡してくれ」

「……は?」

 ナイフって、あのバタフライナイフのことか。レッドナイフを抜くために手放した、樋口が右手に握っていた凶器。刃は血塗れのまま、床に転がっている。

「まぁ、形見、ってヤツか……俺、有希子と、付き合ってたんだ……」

「な、長江さん、と?」

「ああ……結構、マジだったんだ……ガキが出来たら、もう、結婚してもいいかなって、思うくらいには、な」

 なんだソレ、初めて聞いたぞ。樋口、お前って蘭堂さんと付き合ってたんじゃなかったのかよ。長江さんとなんて、一度も話しているところ、見たことない。

「だから、頼むよ……あぁ、渡す時は、ついでに……俺は、ボス相手にカッコよく戦って……死んだってことに、しといてくれや……」

 バカだ。本物の馬鹿だよ、お前。こんな最期の瞬間に、彼女にカッコつけようとする姿がじゃない。

「……それは、できない」

「おい、ざけんな……いいだろが、ソレくらい、よぉ……」

「無理なんだよ……長江さんは、もう、死んでるんだ」

 そう、長江有希子は死んでいる。あの食人鬼、横道一によって、食い殺されているんだ。

 言うべきかどうか、迷った僕は馬鹿だ。これから殺そうとしている奴を相手に、何を気遣っているんだと。

「……そうか……へ、へへっ、何だよ……有希子のヤツ、もう、死んでたのか……」

 今更、躊躇なんてしない。まして、後悔もしない。

 僕は殺す。樋口を殺す。僕の命を狙い、友人を殺し、この憎いクソDQNを、ぶっ殺してやるんだ――たとえ、樋口の目に純粋な悲しみの涙が、浮かんでいるように見えても。

「もういい……殺れよ、桃川」

「うん、樋口……さよならだ」

 最後の最後に反撃――そんなこともなく、自分の死を素直に受け入れているかのように、樋口の体は、何の抵抗もなく、生贄の落とし穴へと落ちて行った。

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― 新着の感想 ―
残念だ。 心の底から残念だ。 何かがかけちがっていたら、友人とは言わないが、仲間になれたかもしれないのに。 食人鬼を倒す仲間に。 タイミングと出会いの運だ。 残念だ。
この、友人を殺され自分も殺されかけて尚憎い奴が好きな人が既に死んでて悲しんでいる事に動揺する、とっても人間味があって好きです。 人を殺すって簡単なことでは無い 初めてなら尚更それをよく描写されていると…
[良い点] 倫理観を捨て切る前に。 完全に道を踏み外す前に。 ちゃんと対話して、なあなあでも協力し合える関係になっていれば、頼もしい味方になっただろうになぁ。 まあ、そうはならなかったからこその結…
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