第80話 樋口恭弥(2)
案外『その時』ってのはすぐに来るもんだ。
「おーい、篠原ぁ、生きてっかぁ?」
「……ん、くっ……はぁ、はぁ……」
返事する余裕もねーってか。篠原は血の気の引いた真っ青な顔で、ひたすら荒い吐息を零すのみ。鬼気迫るマジ顔で、色気もクソもあったもんじゃねぇな、ブスめ。
「まだ死ぬんじゃねーぞぉー、もうちょいで妖精広場に、っと、見えたぜ」
薄暗い通路の先に輝く、白い光。妖精広場に違いない。つい数十分ほど前に出発したばかりの場所だからな。
「で、どうよ、気分は?」
「……少し、痛みは、ひいたみたい」
「へぇー、あの草、ちゃんと効果あんのな」
驚きの回復力である。あんな四つ葉のクローバーにしか見えない雑草みてぇなモノに、確かな治癒力があるとはな。今度からは、もうちょい真面目に探してみるか。
「しっかし、馬鹿だよなお前も、ドジこきやがって」
笑い話にもなりゃしねぇ。
この妖精広場を出発して、俺達はすぐにまた森のドームに出た。で、そこでギャンギャンうるせー赤い野良犬の群れに襲われたワケだ。今の俺の能力なら、あの程度の犬コロなら何匹相手にしても返り討ちにできるが……あまりの数の多さに、このバカ女、ビビって逃げやがった。俺を捨石に、何の躊躇も罪悪感もなく、背中を向けて逃げ出したのだ。
マジでホームラン級のバカだよ。あのまま真面目に水魔法で適当に援護し続けていりゃあ、順当に殲滅できていた。全部殺さなくても、半分くらい数が減れば、奴らも敵わないと逃げていく。
だが、篠原はその僅かな戦闘時間、いや、自分が戦わなければならない負担にすら耐えられず、逃げてしまったのだ。
その結果どうなったか? 篠原は、逃げた先に潜んでいたゴーマに刺されましたとさ。あ、ここ笑うところね。
とりあえず、篠原は脇腹をゴーマの汚ぇ錆びたナイフで刺されて、深手を負った。けど、トドメを刺される寸前で、俺が間に合って『スロウダガー』でゴーマを始末した。
最初はイマイチとか思ったけど、ナイフが揃ってくると、この投げナイフの技も結構便利なんだよな。銃は勿論、弓や攻撃魔法なんかの遠距離攻撃手段が盗賊の俺にはないからな。
ともかく、結構ヤバい傷だったけど、篠原は自前の回復クローバーをつぎ込んで、なんとか傷口を塞ぎ、一命をとりとめる。けど、完治しきってはいないし、そこそこ失血してるしで、立って歩くこともままならない。
これはしばらく休ませないとイカンということで、仕方なく俺が背負って、この妖精広場まで運んでやったというところだ。おい、マジで感謝しろよ篠原。こんな距離背負って歩くなんて、彼女の有希子でさえ体験してねーんだからよ。
「うっさい……そんなことより、ちょっと、傷……傷が、塞がらないの……」
「えー、マジで?」
「まだ、血が少し……出てくるの」
「ふーん」
気のない返事。見れば確かに、まだ血は滲み続けているようではある。
まぁ、かなりザックリとナイフでいってたからなぁ。あんな傷を、何本かの草だけで完治させようってのは、欲張りな話だよな。
「ね、ねぇ……アレ、あるんでしょ」
「アレ?」
「ポーションよ!」
青ざめた顔のくせに、苛立ったように声を荒げる篠原。おいおい、無理すんじゃねーぞ、傷口が開くぜ。
「あぁ、アレね、あるよ」
俺が一番最初に『アンロック』で開いた宝箱から入手した、魔法の回復役。ゲットした時は、すぐ隣に篠原もいたから、当然知っている。
流石に、俺が自分のスキルで開けた宝箱から手に入れた品を、私に寄越せと叫ぶほど、傲慢ではなかったが。
「使ってよ、ねぇ、早く……アレを使えば、どんな傷も、すぐ、治るんでしょ?」
「らしいな」
「だったら、早く、っていうか、何で先に使わないのよ、このバカ」
バカはお前の方だぜ、篠原。なぁ、どうして俺がポーションの話をしなかったのか、本気で分からないのか? 全く、俺なりの気遣いだってのに。
「まぁ、クローバーで治りかかってんだし、このまま休んでりゃ大丈夫っしょ」
よっこらせ、と俺は立ち上がる。
「はぁ!? な、なによソレ、ふざけないで!」
「おいおい、デカい声出すなって。そんなんじゃ治るもんも治らなくなるぞ」
「治んないのは、アンタがポーションを――痛っ!?」
「だから、落ち着けって。ポーションは一個しかねーんだぞ、んなポンポン使ってられるかよ」
「っつ! くっ……」
何か言いたげな顔の篠原だが、傷が痛むせいで凄い顔で声にならないうめきを発している。うん、それ女子が見せていい顔じゃねーぜ。ただでさえブスなんだから、せめて表情くらい取り繕おうぜ。
「コイツはもっとヤバい傷を負った時のためにとっておく。お前の傷は治りそうだから、このまま歯ぁ食いしばって我慢して治せよ。次にコイツがなけりゃあ、即死かもしれねーんだぜ」
なんて、心にもないことを言ってから、俺は篠原に背中を向けて歩き出す。
「んじゃ、俺はちょっとブラっとその辺を探索してくっから、お前は静かに寝てろよー」
「ちょっ、ま、待ちなさい、よぉ……」
全く、どうしようもねぇ女だな。いい加減、気づけよ。俺がお前なんかに、貴重なポーションを使うはずねーってよ。
見当はずれな恨みがましい声を聞き流しながら、俺は妖精広場を後にした。
それから、ざっと二時間くらいか。さして収穫もなく、俺は妖精広場に戻ってきた。その辺をブラっと探索、を俺は真面目に実行してたワケだ。
けど、探索そのものに大した意味はない。強いて言えば暇つぶし、いや、我ながら情けないが、実はちょっとソワソワしてた。
落ち着かない気分だが、覚悟を決めて行こうじゃないの。どうせ俺の進む道は、これしかねーんだからよ。篠原の傷が良くなっていれば、それはそれでいいし、死んじまっても、それも構わねぇ。
けど、どうしてもポーションをつぎ込まなきゃ治らない中途半端な負傷のままだったら――
「よう、篠原、まだ生きてっか?」
「……うるさい」
篠原は生きていた。傷の具合は、大して変わりはなさそうだ。うーん、こりゃあ、このまま放置し続けたら、マジで失血死かもしれねーな。
クローバーの治癒力も、限界を越えていたらそれ以上の作用はしてくれないってところか。あるいは、ほとんど即死だったのを、クローバーのお蔭でここまでもったのか。
まぁ、どっちにしろ、この草だけに治療を頼るのは危険だな。
「篠原、ポーション、使ってやってもいいぜ」
「ホントっ!?」
現金な奴め、急に元気になりやがる。
「ああ、マジだ、嘘じゃねぇ……けど、条件がある」
「何よ! 何でもいいから、早く言って!」
「ちょっと一発ヤラせてくれよ」
おい、どうした、何黙ってんだよ。何でもいいから言えつったのはお前だろ。
「あん? 何だよ、聞こえなかったのか、ヤラせろって言ったんだよ。セックスだよセックス、まさか、知らねーなんてこと――」
「ば、馬鹿じゃないのっ!」
だから、そんなデカい声出したら、また痛い思いするだろうが。
まぁ、これから声も出すし、傷口も開くくらい動くだろうし、もしかしたら、ついでに傷口以外のところからも余計に血が流れるかもしれねーけど。
「落ち着けよ。俺ら、ここに来て大体、三日くらい経つ。その間、俺は一発も出してねーんだからよ、溜まるのは当然だろうが」
「だからって、そんな……こ、このクズ男! 私をレイプしようっての!」
「人聞き悪いこと言うなよな。コイツはただの取引だって。もし、お前が男だったら、俺はこんな取引は持ちかけねぇ。払えるもんがねーからだ」
けど、女のお前は違うだろ。
俺は男で、お前は女。なら、立派に売れるモンがあるってことだ。
「別に、俺はどっちでもいいんだぜ? ただちょっとムラムラするくらいのとこを我慢すれば、いいだけの話だしよ。なぁ、ホントに俺が我慢できねー男だったら、とっくにお前を襲ってるだろうが」
コイツ、馬鹿みたいに眠りこけてやがったからな。噴水を挟んで、ちょっと距離置いてるくらいで、この女、アホ面かまして爆睡だぜ。悪戯する気も起きねーっての。
「な、何が我慢よ……アンタなんて、どうせ女とヤルことしか考えてない猿のくせに……」
「そうか、じゃあ、この話はナシってことで。悪かったな、篠原。俺もちょっと溜まってて、どうかしてたわ。っつーわけで、ポーションはやれねぇな」
ここで、これみよがしにポーション瓶を俺は篠原の前に取り出して見せてやる。
「そ、それを――」
「やらねーよ。コイツは俺の宝物、大事な大事なポーションだぜ」
力なく手を伸ばす篠原からは、ギリギリ届かない位置をキープ。
「コイツの効果は、魔法陣情報のお墨付き。この水色の液体をチョロっとかけるだけで、傷は全快。今すぐ傷の痛みともオサラバできるってワケだ。凄ぇよな、魔法の力ってのはよ」
「――るわよ」
「あん?」
「やるわよ、ヤラせてあげるから……早く、ポーション寄越しなさいよ、このゲス」
「おいおい、酷ぇ言い草だなぁ、萎えるじゃねーか。俺は別にお前となんざヤレなくてもいいんだっての。お願いすんのは、篠原、お前の方だろ?」
歯ぎしりが聞こえてきそうなほど、食いしばった悔しい表情。とうとう我慢の限界なのか、涙も零し始めている。
「わ、分かったわよ……お願い、だから、私を――んんっ!?」
別に、そういう台詞をコイツから聞きたいワケじゃない。色々、言わせたりやらせたりして楽しいのは、有希子みたいな美少女に限る。篠原みたいな平均以下の女は、黙って股開いてりゃいいんだ。
まぁ、それでもこうしてキスから始めてやるあたり、俺は優しい方だろう。
篠原は意を決して言おうとした屈辱的な台詞の途中でいきなり唇を奪われたことに、反射的に体をこわばらせて、俺を突き返そうとしたが……覚悟はもう済んでることを思い出したのか、諦めたように力は抜けた。口の中も、されるがまま。
「――ん、お前、ちょっと汗くせーぞ」
「……最低」
有希子はいつもめっちゃいい匂いするんだけどな。こんな状況じゃ仕方ねーか。俺も似たようなもんだろうし、萎えるほど酷くもねーし。
「お、なんだよ篠原、結構胸あるのな」
「別に……普通だから」
かもしれない。見た目からして、俺の期待値も低すぎた。
いやしかし、こうして掴んで揉めるだけあるってのは、ありがたいことだぜ。有希子は小さいからな、胸だけなら勝ってるぜ、篠原。
まぁ、欲を言えば一度は蘭堂杏子くらいの爆乳を相手にしたいもんだが。
「で、篠原って処女?」
「そんなの、どっちだっていいでしょ」
「どっちでもいいけど、一応、聞いてやってんだろ。初めてだってんなら、少しは手加減してやらんでもない」
有希子とだったら手加減とか温いこと言ってられねーし。アイツ、ベッドの上だと急に強気だからな。
折角の機会だ。こういう時くらい、自由にやらせてもらおうじゃないの。有希子のことは愛しているから、ちゃんと相手してやるし、気持ちよくさせてやっている。でも篠原はただの風俗嬢みたいなもんだ。遠慮がいらない分、気も楽ってもんだな。
「で、どうなのよ?」
「……処女よ。悪い」
「別に、フツーだろ?」
さて、そろそろ我慢も限界だ。さっさとヤルことヤって、それから……悪いな、篠原。お前とは、ここでお別れだ。
「――おお、凄ぇ、マジで一瞬で治った」
ポーションを傷口にかけると、見る見るうちに傷痕が塞がっていく。
「……あ、痛く、ない」
どうやら、痛みも綺麗さっぱり消えているようだ。クローバーのお陰で治りかけってのもあったと思うが、それでも、驚異の治癒力である。
いや、本当に驚きなのは、そんなポーションの劇的な効果じゃねぇ。
「あ、ありがと……本当に使ってくれるとは、思わなかった」
「あ? お前、俺のことどんだけ酷ぇヤツだと思ってんだよ。猟奇殺人鬼じゃねーぞ」
「いや、だって」
「いい、聞きたくねぇ。俺はお前の処女をポーションで買った。それだけのことで、そういうことでいいだろが」
よくねーよ。何やってんだよ、俺。何でこんなブスに大切なポーションくれてやってんだよ。この馬鹿さ加減というか、ヘタレぶりに、自分でも驚く。
俺は篠原をヤリ捨てて見殺しにするつもりだった。それが、俺にとって最大の『利益』をもたらす最適行動ってヤツだからだ。放っておけばどうせ死ぬ役立たず、なら最後に一発ヤってもいいだろうと、まぁ、そういう論理。
実際、篠原とヤったところまでは良かった。
別に、たぶらかされたワケじゃねぇ。処女だからといって、特別に気持ちいいとか、そういうのは一切ないし、あるはずない。普通に慣れてる有希子とした方が、気持ちいいに決まっている。
けれど、何だ、終わってみれば……ポーション使ってもいいか。何故かそんな気になった。
ちくしょう、こんなブスでも、一度抱くと情が湧くってことなのかよ。
「樋口、もしかして、照れてる?」
「バカヤロー、童貞じゃあるまいし、どこに照れる要素があんだよ」
調子に乗んなよ、篠原。あんまり舐めたこと言ってると、今度こそ見殺しにしてやるぞ。
「なにそれ、ツンデレ?」
「笑ってんじゃねーよ」
「あはは、おかしいわよ。私、レイプされたっていうのに、そんな悪い気がしないのよ」
「レイプじゃねーし、合意の上でテメーが売ったんだろうが」
「はぁ、やっぱ命の危機ってなると、大抵のことってどうでもよくなるもんなのね」
「聞けよコラ」
何か勝手に悟った顔してる篠原がやけに腹立つ。この野郎、処女じゃなくなった途端に大人の女気取りかよ。
ちったぁ有希子を見習え。アイツ、あんな淫乱のくせして普段はシレっと清楚可憐な乙女ですって顔してんだぞ。騙される男子の多いこと。
「何か私、これからアンタとちょっとは上手くやっていけそうな気がしてきたわ」
「俺はちょっとダメそうな気がしてきた……なぁ、俺ら、ここで別れね?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。溜まったらまた相手してやってもいいから、私のことしっかり守りなさいよ」
「うわ、開き直りやがったなテメー」
この女、ますます面倒臭くなってきやがった。
けど、まぁ……もう少しくらい、面倒みてやるか。半ば諦めのような気持ちで、そんな風に思えてしまった。
「――んっ、これからもよろしくね、樋口」
女の顔しやがって、篠原。わざとらしいキスを交わしてから、俺は渋々、答える。
「おう、しょうがねーな」
しっかし、これ、有希子と再会したらどうるすよ……ちょっとどんよりした気持ちで、気だるい体で立ち上がった、その時――あっ、これ、ヤベぇ。
「はぁ、とりあえず体洗うから、覗くな――きゃっ!?」
同時に立ち上がっていた篠原を、俺は完全に無意識の内に突き飛ばしていた。
「……はっ?」
気づいたのは、視界いっぱいに鮮血の華が散ってからだった。
生暖かい、血を浴びる。痛くはない。俺の血じゃない。篠原の血だ。
そうだ、篠原、お前、どうなった?
「な、んだよ、これ……」
篠原はうつ伏せに倒れていた。俺が突き飛ばしたんだから当たり前だ。けど、ただ転んだだけで、その傷はねーだろ。
何でだよ。何で、お前の背中、そんなにザックリ斬られてんだよ。
俺とヤった後だ、篠原は裸のまま。その白い背中に、切れ味鋭い刃で切られたような、深い傷跡が刻み込まれていた。その一撃で、致命傷だと分かるくらい、派手な斬られ様だ。すげー血が出てる。
血の海に沈むってのは、こういうことを言うのかよ。
意味が分からねぇ。どうして、こうなった。
「ああああああっ!? ちょっと、何で恵美に当たってんの!」
「ちゃ、ちゃんと狙ったって! 樋口がいきなり篠原を突き飛ばしたから、それでっ――」
見覚えのある顔が、妖精広場の入り口にあった。
クラスメイトの男子と女子。男は佐藤、女は飯島。
佐藤は如何にも俺のような男が苦手そうな、眼鏡のオタク系男子。横道ほどキモくはないし、斉藤ほどうるさくはない、かといって桃川ほど可愛げのある顔もしていない、マジで目立たない地味なヤツだ。
なるほど、篠原を攻撃魔法で撃ったのは、テメーか。
飯島は、確か篠原の女子オタグループの一員だった気がする。一応、友達だったと思う。けど、詳しいことは知らねぇ、有希子と交友もなかったし、篠原からも飯島について何も聞いてないからな。
ともかく、すぐに状況は飲み込めた。
「おい、テメぇら――」
奴らが殺したかったのは、俺だ。篠原は助けるつもりなのか、それとも見捨てるつもりなのか、そこまでは分からないが、どうでもいい。
とにかく、奴らは妖精広場で篠原と一発ヤって裸でいる俺を、隙と見て攻撃魔法で狙い撃ちやがった。けど、俺の『サーチ・ハイセンス』が反応した。
危ない、とにかく、それだけしか思えなかった。
その結果、俺にはその気がなくても、反射的に体が動いて篠原を突き飛ばし――結果、彼女を盾にしてしまった。
俺のせいで、篠原が死んだ。俺が篠原を殺した。俺が悪い――なんて、思うわけねーだろ。悪いのは、撃った奴。
ふざけんなよ、佐藤、テメぇ、殺す。
「――なにしてくれてんだよぉ!」
こんなにキレたのは久しぶりだ。有希子と付き合ってからこっち、中学の頃みてぇにヤンチャすることもなく、すっかり丸くなっちまってた。だから、こんな後先考えずにブチキレたのは、本当に久しぶり。
けど、燃えるような怒りとは裏腹に体はどこまでも迅速、正確に動き出す。サっと身を伏せて、近くで脱ぎ捨ててある学ランの上着に手を伸ばし、そのままポケットに滑り込ませる。
引き抜くと同時に、金属音を立ててバタフライナイフが展開。狙いを定める。
落ち着け。攻撃魔法ってのは、マシンガンみてぇに連射は効かねぇはず。モノによっちゃ詠唱も必要らしい。無詠唱だとしても、まだ、次が飛んでくるには僅かな余裕がある。
杖を持ってるのは、佐藤。飯島の方は剣を持っているから、天職は剣士か戦士か、ともかく、後回しでいい。
すっかり使いなれた『スロウダガー』のお陰で、投げナイフの速さと命中率はかなりのもんだ。逃げるべきか、追撃すべきか、悩んで突っ立ってるだけの間抜けな魔術士なんざ、いい的だぜ。外す気がしねぇ。
「うぎぃいっ!?」
俺の投げたナイフは見事、佐藤に命中。刺さったのは右肩辺り。致命傷には程遠いが、魔法を撃つだけの余裕は完全にない。死ななくても、痛ぇもんは痛ぇからな。
「ぁあああああああああああああああっ!」
ここで、畳み掛ける。俺は落ちてるベルトから他のナイフを抜くよりも、佐藤と飯島が思わぬ反撃にウロたえている隙こそチャンスと心得て、威嚇するような声をあげて走る。靴を履かない裸足でも、というか全裸でも、『疾駆』は変わらず俺に人間離れした速度を与えてくれる。妖精広場を横切って、奴らに間合いを詰めるのは一瞬だ。
「オラァっ!」
加速した勢いのまま跳躍。肩を抑えて痛みに呻く佐藤の顔面に、踵を叩きこむ。渾身の飛び蹴り。
「ぶっ、んはぁ!?」
潰れた鼻から鼻血を噴き出し、ついでに割れた眼鏡の破片をまき散らしながら、佐藤が倒れる。
「よう、よくもやってくれたよなぁ、ああ!」
すかさず、腹を蹴り飛ばす。みぞおちに深々と爪先が突き刺さり、さらに衝撃で佐藤の体はちょっと浮いた。
ぐったりした様子の佐藤だが、これで終わりではない。
「なぁ、おい、俺を殺ろうとしたんだ、当然、殺り返される覚悟、できてんだろうな?」
俺はできている。一度は緩んだ殺人への覚悟ってヤツをよ、佐藤、テメーがもう一度、決めさせてくれたんだぜ。
感謝すべき、なのかもしれねーな。やっぱこの状況で、甘さをもったままじゃあ、生き残れねーよな。
もう、迷いはない。くだらねぇ感傷もない。今なら、殺れる。
「死ねよ」
肩口に刺さったままのナイフを引き抜き、返す刀で喉を掻き切る。
「かっ! あ、はっ……」
息が漏れるような、気の抜けた佐藤の声。勢いよく噴き出る鮮血の下で、俺は握りを逆手に変えて、さらに振り下ろす。
狙いは心臓。一度、二度。まぁ、こんなもんだろう。
「う、あっ……」
血の泡を吹いてもがく佐藤は、もう一分もしない内に死ぬだろう。けど、今はコイツの死に様をじっくり観察している暇もねーんだよな。
「い、いやっ! いやぁーっ!」
広場にやかましく響きわたるデカい悲鳴をあげながら、震える両手で剣を構えた飯島は、今にも俺に斬りかかってきそうだ。
コイツも、始末しておかねぇとな。
「飯島、テメーも、俺を殺る気か?」
「来ないで! わ、私の天職は『剣士』なんだから! アンタだって、殺せるんだからぁーっ!」
「へぇ、そうかよ」
その割には、素人丸出しの構えじゃねぇか。腰が引けてるぜ。
「よっと」
手だけを突き出すようにして構えられた剣。その柄尻を、俺は蹴飛ばす。
相手が握った武器を下から蹴り上げることで、手から叩き落とすというか、スポーンと飛ばす技。前に黒高のかなりヤバめのヤンキーに絡まれた時に、一回だけ成功したことあるんだよな、コレ。
野郎、キレてナイフを抜きやがったが、構えが甘かったから、物は試しとやってみれば、思いのほか上手くいって自分でも驚いたもんだ。勿論、その後はソイツに本当のナイフの使い方って奴を、身をもって教えてやったが。
「ああっ!?」
あの間抜けなヤンキーと同じように、思わぬ方向から加えられた衝撃によって、飯島の手からあっけなく剣がすっぽ抜ける。
ガラン、と虚しく音を立てて地に落ちる剣。バカか、失った武器の行く先を、ボーっと見つめるだけかよ、お前。
「おらっ」
軽い掛け声だが、割と本気で放った拳を、容赦なく飯島の顔に叩きこむ。
「んがっ!」
有希子ほどじゃあないが、細身の女子らしいスタイルの飯島は、俺の体重ののったストレートパンチをモロに食らって、吹っ飛ぶように倒れこむ。
落ちた剣を蹴っ飛ばして広場の端の方まで転がしてから、佐藤の時と同じように、腹を蹴っておく。女子なら、しばらくは起き上がれねーだろ。
「よう、まだやるかい、剣士様よ」
「ご、ごめん、なさい……許して……お願い……」
おいおい、ちょっと殴られて蹴飛ばされただけで、もう命乞いかよ。剣士の神様が泣いてるぜ。
「なぁ、飯島、お前さぁ、もしかして俺と篠原がヤってるとこ、見てた?」
「み、見てない……です……」
「あっそう、まぁ、この格好を見りゃ分かると思うけど、さっきまで篠原とヤってたんだけどさぁ」
俺はバタフライナイフだけを握りしめたままで、相変わらずの全裸だ。篠原と佐藤の返り血のせいで、ボディペイントみてぇに結構汚れちまってるが。
「アイツ処女でさ、痛がるしうるせーしで、全然、満足できてねーんだわ」
結局、一回出しただけで終わってしまった。有希子だったら、さぁ、ここからが本番とばかりに盛り上がってくるところなのだが、そこで、篠原とはお終いになってしまったんだ。
だから、まぁ、まだ全然、勃つワケよ。
恥ずかしげもなく、見せつけるように、俺はいきり立ったモノを堂々と飯島の前に晒す。
「ヤラせろよ」
「う、うっ……お願い、許して……許してください……」
「じゃあ、殺してやってもいいけど、佐藤みたいに楽に死ねると思うなよ?」
死ぬか、犯られるか、好きな方を選べ。ギンギンに勃ったナニと、血塗れたナイフの刃。突っ込まれるのは、どっちの方がいいよ?
「わ、分かった……す、好きにして、いいから……だから、殺さないで……」
「そうそう、それでいいんだよ」
そうだ、これでいい。
もう一度、俺はやり直すんだ。篠原の時にはできなかった、生き残るための残酷な選択を。
「俺の言う通りにしてりゃあ、篠原みてぇに可愛がってやるからよ」
俺はやる。今度こそ。殺して、犯して、あははと笑って馬鹿どもの死体を蹴っ飛ばしてやるさ。
「――あ、なんで……嘘……どう、して……」
「ふぅ、結構よかったぜ、飯島。じゃあ、安らかに逝ってくれや」
散々やってスッキリした後、俺は飯島の胸に刃を突き立てた。後始末は早い内につけとかなきゃな。篠原みたいに、情が湧いたら面倒だ。
「あっ、が……あぁ……」
信じられない、といった驚愕の表情を浮かべて事切れる飯島を、俺は……
「はっ、なんだよ、ヤレばできるじゃねーの」
俺はちゃんと、笑って眺めることができた。
罪悪感。倫理観。嫌悪感。そんなもん、ここじゃあクソほどの役にもたたねぇ。持つだけ無駄、余計なストレスってもんだ。
即死させてやっただけ、俺は優しい方だろう。
「で、テメーはいつまで、そこで見てるつもりだ?」
やることやったら、早速、次の行動に移るとしようかね。
飯島に一発目を喰らわせた辺りで、俺はその存在に気付いた。けど、ビビっているのが丸わかりだったから、放っておいた。これも勘ってヤツか。ソイツには、佐藤のように不意打ち仕掛ける度胸もねーってな。
だから対処は後回しにしておいた。
俺の直感の通り、こうして飯島をヤリ捨てるまで、隠れているヘタレ野郎はその場を動かずジっとしていた。
「出てこいよ」
「……ひ、樋口」
「なんだ、お前、斉藤かよ。スゲービビってるから、桃川あたりだと思ったんだけどなぁ」
血の気の引いた、青ざめた顔をした斉藤勝が、妖精広場の入り口から現れる。
コイツは飯島と似たような剣を一本と、俺のと同じゴーマのナイフを一本、それぞれ右手と左手に握った二刀流スタイルだった。横道ほどじゃねぇが、肥えた体は佐藤や飯島よりもパワーはあるだろう。
けど、クラスメイトの女子が犯られてるってのに、助けようと斬りかかる勇気もなければ、不意打ちで始末してやろうという気概もない、クソみたいなヘタレメンタルだ。コイツの天職が何かは知らねーが、何であっても、こんなヤツに負ける気はまるでしない。
盗賊の勘が訴えかける。そう、コイツはカモだと。
「あ、あっ、あの……どうして、こんなこと……」
「斉藤、質問するのは俺の方だぜ」
ここでコイツを始末するのは容易い。けど、大した持ち物もないし、殺したところで特にメリットはない。
「お前、ここで死ぬか、それとも俺の奴隷としてついて来るか、どっちがいいよ?」
一人でダンジョンを攻略するのは難しい。仲間はいるに越したことはない。
だが、俺のクラスでのポジションじゃあ、背中を任せられる頼れる仲間、なんて素晴らしい少年漫画の登場キャラみたいなヤツは得られない。
なら、誰でもいいから多少なりとも役立つヤツを置いておくのが、次善策ってところだろう。
「ど、奴隷って……なんだよ、それ」
「別に荷物持ちでも、囮でも、いざという時の盾でも、何でもいいだろ。テメーみてぇなのでも、少しは使い道があるってことだ」
「そ、そんなの……」
「嫌なら死ね。俺は、お前に生きる権利を与えてやるって言ってんだぜ」
ちっ、グズめ。斉藤は苦しげに油汗を垂れ流すだけで、いつまでもグダグダ悩んでいるように、答える素振りを見せない。
さっさと決めろよ。いつまでも悩んでいられるほど、贅沢な身分じゃねーぞ、テメーは。
「そんじゃ、ちょっとヤル気がでるようにしてやっか」
「おい! ちょ、ちょっと待て、待ってよ! 何するつも――」
鈍い。俺が『疾駆』で間合いを詰めるその瞬間を、斉藤は全く目で追えていなかった。その両手に握る二刀流は、単なるお飾りかよ。
「――ぶはぁああっ!?」
思い切りぶん殴ってやると、おいおい、デカい図体しておいて、飯島と同じように一発でぶっ倒れてんじゃねーよ。
「どうだ、斉藤、俺は、お前より強ぇ! 俺について来りゃあ、ダンジョンを攻略できる。働き次第じゃあ、ちゃんと最後は解放してやるから――よぉ!」
まるで、鎖が切れて転がるサンドバックだな。適当に蹴って、踏んで、ボコってやる。
「う、うぅっ! やめて、やめて……分かった、なるから! 奴隷になるから!」
「よぅし、契約成立だ」
最後に、ビール樽みてぇな腹を思いっきり蹴り上げてから、俺は踵を返す。
とりあえず、血塗れだし汗まみれだし、噴水で洗ってから、佐藤と飯島の装備を漁ってと――
「じゃ、行くとするか」
準備を終えて、いよいよ妖精広場を後にする。
「おら、テメーが先を歩くんだよ。トラップがあったら、まぁ、気が向けば教えてやるから、安心してサクサク進めや」
「うっ、わ、分かりました……」
斉藤の尻を蹴り飛ばして、妖精広場の入り口まで進ませる。
最後に、俺は広場の中で一番デカい妖精胡桃の木の前に立ち寄る。
その木の根元に寝転がっているは、篠原の死体だ。
佐藤と飯島の死体はそのまま放置しておいた。けど、コイツはそのまま転がしておくのは、何故か気は引けた。
面倒だったが、血を拭いて、セーラー服を着せてやり、顔には白いハンカチを被せておく。篠原、お前、女子なんだからハンカチの一枚くらいもっとけよな。俺が有希子からいつだったかプレゼントされた、彼女の刺しゅう入りのハンカチを、しょうがないから使ってやった。
「……悪ぃな、篠原」
何に対して謝っているのか、自分でも分からないが、そうつぶやいた。
他に、言葉は出てこない。
その代り、俺が持っていた分の回復クローバーを一本だけ、彼女の傍に供えて、俺は立ち上がった。
「じゃあな、篠原。お前、ブスだし性格悪いしうるせーけど、そんなに悪くない女だったぜ」
そうして、俺は振り返ることなく、進み始める。
ただ、自分が生き残るために。どんな手段を使っても、他の何者を犠牲にしてでも、俺は俺のために、ダンジョンを進む。
かかって来いよ。蒼真だろうが、天道だろうが、関係ねぇ。
最後まで生き残るのは、この、俺だ。




