第71話 呪術+呪術
「は、はは……やった、妖精広場だ」
カマキリとの死闘を征した疲労困憊の僕を祝福するように、妖精広場はボス部屋のすぐ近くにあった。
幸か不幸か、先客はいない。
僕は長きに渡る緊張感から解放され、一気に気が抜けてそのまま芝生に倒れて泥のように眠る――その前に、貴重な魔物の素材と思い直し、最後の気力を振り絞って、ボス部屋に放置してきたナイト・マンティスの死体運びをするのだった。
「……んがっ」
気が付いたら、倒れていた。目が覚めて真っ先に目に入ったのは、デカいカマキリの生首。なんて寝覚めが悪い。
死体を回収したところまでは良かったけど、そこでついに限界を迎えて、僕はぶっ倒れたようだ。
そういえば、ソロでナイト・マンティスを撃破という偉業を達成したのに、ルインヒルデ様からはレベルアップ代わりの新呪術授与がなかったな。やはり、ゲームみたいにただ敵を倒すだけで、機械的に新スキルを獲得できるわけではないようだ。
「あー、ダルい……」
体の疲れが抜けない。結構な時間、眠っていたのだろうか。眠気はないけれど、今すぐ戦えるようなコンディションではなかった。きっと、魔力もかなり消耗しているだろう。
うん、もうしばらく、ここで休んで行こう。あまり先を急いでも仕方がない。十分な休息をとると同時に、次の攻略に向けて準備も整えなければ。
「えーっと、洗濯して、薬作って、レムも造り直して……いや、その前にご飯か」
蛇もエビ芋虫もないから、胡桃だけのわびしい食事だけど致し方ない。味気ない胡桃をボリボリしながら、噴水の冷たい水をガブ飲み。本当に寂しい。肉が食べたい。いや、米が食べたいな。
「……はぁ」
休日は家でゴロゴロしてるだけで潰してしまう、割と怠惰な僕だけど、今はこんなにもダルいダルいと感じつつも、体は動いてくれた。全くヤル気は湧かないけれど、度重なる戦闘で酷使した学ランを手洗いで洗濯し、擬態蚕で繕い、同時進行で妖精広場の草花を採取しては薬を作る。
今や傷薬Aをはじめとした各種の生薬は『逆舞い胡蝶』を撃つための弾薬でもある。回復に消費する分よりも、大目に持っておかなくては。
それから、武器の手入れも忘れずに。特に『レッドナイフ』なんかは、もう二度と手に入らないレア武器みたいなものだ。灯りにもなるし、焚火を起こすのにも便利と、強い上にサバイバルでも役に立つ。もうこのまま借りパクしちゃおうかな。
「さて、次はレムを……いや、やっぱ止めておこう」
一通り手入れと準備を終えたあたりで、僕の体もようやく調子を取り戻してきたようにダルさは感じなくなったけれど、まだ無理は禁物だ。
今回レムを作るにあたっては、この死闘の末に撃破したナイト・マンティスの素材がある。コイツを使えば、鎧熊素材で作った時と同じか、それに近いくらいの性能でボディを作り出すことができるだろう。けれど、性能が良くなる分、それに見合って魔力の消費も大きくなる。
疲れた状態で下手に作ると、また魔力切れでぶっ倒れるかもしれない。戦いで消費した僕の血だって、どの程度回復しているのかも分からない。最悪、魔力切れと失血のダブルパンチで死亡とか、ありえなくもない。
ここは慎重に、時期を見極めたい――なんて、まるで公約を実行する気の無い政治家みたいな考えで、僕はもう一つ、別に気になっていることを試してみることにした。
「攻撃の練習をしよう」
それは勿論、『黒髪縛り』による武器攻撃方法である。すでにカマキリを仕留めたのだから、この攻撃法が実戦で有効であることは証明済み。間合いの外から一方的かつ自由自在に攻撃できるこの方法は、僕みたいな戦闘素人でもそれなりの威力を発揮できるのだ。
恐らくメイちゃん並みの前衛戦士になってくると、あっさり触手を斬って無力化してきそうだけど、ゴーマやスケルトンなんかの雑魚相手には十分な効果があるはず。安全に相手を刺せるなら、沼を張って引きずり込む、という方法よりも即効性があるし、なにより魔力と血の消費も少なくて済む。
メイちゃんが狂戦士として覚醒してから、僕は無意識的にも武器を使う戦闘そのものは彼女に任せきりだった。自分が強くなるより、どうすればよりメイちゃんという戦力を生かせるか、あるいは、邪魔をしないか。そういう発想が中心だった。
まぁ、彼女の圧倒的な戦闘力を思えば、その考えは正しかったと思う。実際、それでやってこれたワケだし。
けれど、今はもう彼女はいない。他に誰も頼れない、完全無欠のソロプレイ。だから今こそ、僕自身の戦う力が求められるのだ。
目指せ、最弱天職の汚名返上。呪術師は強い、アタリ天職、これからは呪術の時代、ルインヒルデ様万歳!
「よし、まずは一本ずつ行ってみよう」
さて、対峙するのは一本の妖精胡桃の木。ちょうど幹が人の胴ほどの太さがあって、二本の枝が両腕のように広がっている形だから、コイツを人型の的代わりにする。鞄の底で眠っていた筆箱から油性マジックを出して、頭なんかも書いてみたり。ダーツの的みたいに同心円を描いて、命中精度の目安も分かるようにしておく。
使用する武器はレッドナイフ、だと火事になりそうだからやめて、鉄の短剣を、と思ったけど、調子に乗って斬りまくってたら切れ味が落ちるからやっぱりやめて、結局、ナイフのサイズに合わせて折った枝を代用品とすることにした。
「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」
何だか、久しぶりにフルで詠唱したような気がする。すでに何度も使ってきたこの呪術、すっかりイメージは定着して、通常のロングヘア状態でも、三つ編み状態でも、好きに出せる。
足元の影から、一匹の蛇が鎌首をもたげるように、ゆっくりと三つ編みの黒髪触手が姿を現す。
「そういえば、影以外からも出せるんだっけ?」
『黒髪縛り』を出す基本条件は、影の中だ。光の当たる場所では、何故か出せない。でも、影さえあれば、自分のでも、相手のでも、ただの地形でできる自然のものでも、出すことができる。ただし、その出現させる影は僕の視界に映ってないといけない。
これが今のところ僕が認識している『黒髪縛り』の発動条件だけど……たとえば、僕の手、あるいは、頭から本物の髪の毛のように生やすことはできるのだろうか。
「――うわっ、出来た」
実験の結果、できました。自分でもビックリするくらい、あっさり成功したのだった。
「おお、長い、フッサフサだよ」
今、僕の髪の毛は踵に届かんばかりに長い、スーパーロングヘアと化している。それでいて、動けと念じれば、毛先はワサワサと蠢き、自由自在に操作できた。その気になれば、武器を握ることも。
ナイフを振るってみても、不思議と頭そのものが引っ張られるような感じはない。どうやら、普通に使うのと同じような感覚で扱えるようだ。触手の根元がどういう支えになっているのかは謎だけど、この際、細かいことはどうでもいいだろう。
でも『黒髪縛り』をわざわざ頭から生やして使うメリットは思いつかない。動かせはするものの、パワーはそれほどでもない。即戦力にはなりそうもない。爺になってハゲたら使えばいいんだろうか。
ちなみに、解除すると長髪は綺麗に消え去り、元の髪型に戻った。良かった、普通の髪の毛も一緒に消えなくて。
「あっ、でも手の方は、何かいい感じだぞ」
次に試したのは、掌から生やすパターン。ちょうど呪印のところから、三つ編みにして生やすと、ロープを握っているような感じ。
けれど、自在に動かせる触手だから、何て言うか、自分の手がそのまま伸びたような感覚がする。
「うん、武器を振るうなら、こっちの方がいいかな」
妖精胡桃の木の的に向かって何度か振るってみるが、感覚的には手から伸ばした方がしっくりくる気がする。まぁ、普通に地面の影から生やしてやっても、あまり命中率や操作精度に変化はみられないから、あくまで僕の気分、武器を使うイメージ上の問題なだけだと思うけど。
しかし、こういう気分的な面というのも、あまり馬鹿にはできないだろう。特に、武器を使って戦うような感覚的な動きなんかは、大きくメンタルが影響するというし。
「こうなると、いよいよ鎖鎌使いみたいだな」
正確には鎌でも鎖でもないけれど。こういうのは、えーと、飛刀、とかいうんだっけ? まぁ、なんでもいいか。
両手にナイフ代わりの枝を握り、適当なポーズをとる。
「風魔流忍術……疾風刃!」
ゲームか何かで見たような覚えのある曖昧な技名を叫びながら、黒髪触手を掌から伸ばし、枝で幹を二連撃。僕が狙った通り、というより、思い描いた通りに触手は動いてくれるので、寸分の狂いもなく、マジックで描かれた首元と胴をそれぞれ薙いでから、ヨーヨーみたいに手元へと戻ってくる。
「ヤバい、これカッコいい」
正に自画自賛、である。
いやしかし、冷静に考えてみて欲しい。この数メートルの距離を隔てて、現実に鎖鎌で正確に狙い通りの場所を切り裂ける人が、一体どれだけいるのか。恐らく、達人並みの腕前でなければ、思い通りの場所を切るどころか、的に当てることも、上手く投げて回収するのもままならないだろう。
それを思えば、自由に動かせる上に、伸縮自在の『黒髪縛り』という『鎖』を持つ僕は、十分にチートな武器を持っているということになるのではないだろうか。実際、僕はこれでカマキリをアウトレンジから切り刻んでトドメを刺すことにも成功しているのだ。
「これは『黒髪縛り』と武器さえあれば、僕は鎖鎌の達人になれるんじゃないのか、マジで」
いや、ダメだ、待て、落ち着け。僕の名前は小太郎というだけで、風魔一党のお頭とは何の関連性もないから、忍びの才能なんてものは欠片も持ち合わせてはいない。
「これで満足してたらダメだ。もっと、もっと強くならないと」
この先のダンジョンでは、カマキリ級の敵が雑魚としてワラワラ湧いてくるようになってくるかもしれないのだ。ただの人間を相手にするには十分だけれど、上手に鎖鎌的な攻撃ができるというだけで、やっていくには威力不足も甚だしい。
なにか、今のスキルの範囲内で火力に貢献できるモノはないだろうか。
「うーん……」
とりあえずは、手数を増やす、だろうか。今では『黒髪縛り』もそれなりの本数を同時に出して使える。ということは、何も二刀流にこだわる必要はない。三本でも四本でも使って、四方八方から斬りつければよいのだ。
「ゴーマあたりから、適当な武器を奪えればいいけど……それに、数が増えれば制御も難しい……でも、これは練習次第かな……」
武器が確保できれば手数を増やし、そうでなくても、本来の使い方である敵の動きを縛るようなサポート技として併用できれば、より安定した攻撃ができそうだ。
心配なのは、複数制御だと一人の相手に集中しすぎて、周囲への警戒がおろそかになることだ。メイちゃんをはじめ、前衛がいたから僕は割と余裕をもって後方へも注意を向けられた。 でも、自分が最前線で戦うとなると、あんなに分かりやすい蟻の挟撃にさえ、気づけない可能性がある。
けれど、こういった部分はどうあがいてもソロの弱みであろう。近接戦闘とは別に、方法を考えよう。
「単純に火力を上げるには……火でもつけてみるか」
火は、ただそれだけでダメージを与える凶器だ。小さかろうが、大きかろうが、そこに宿る高熱は同じ。レッドナイフがあれば、炎魔法を使えない僕でもお手軽に種火を用意することができる。
モノは試しとばかりに、早速、黒髪触手に火を灯す。普通の髪の毛と同じ質感だから、炙れば火はつくと思うのだけれど……
「うわっ!? 臭っ! ちょっ、これ無理だ!」
すぐに解除。幸い、触手が消えるのと同時に、火も消えた。
火が点くからといって、綺麗に燃えるとは限らない。変な煙を出して、チリチリと燃え広がるのだが、とても相手に炎で攻撃ができるほど燃え盛るワケではない。
そして何より、臭い。
当たり前だけど、髪の毛は焦げると嫌な臭いがするもんだ。これは確か、髪の毛を構成するタンパク質に硫黄が含まれているから、だったような気がする。『黒髪縛り』も髪の毛と成分は同じなんだろう。
何にせよ、威力に繋がるような炎にはならないし、嫌がらせのように臭くなるだけなのだから、使い物にはならない。赤犬みたいに臭いに敏感そうな魔物だったら、こういう刺激臭は有効だろうか。まぁ、あまり積極的に使いたい手ではないな。
「火属性のエンチャントは無理か……他に付加できそうなモノなんて、もうないし――」
あ、待てよ、何か肝心なことを、僕は忘れてないだろうか。
「――そうだっ、『腐り沼』!」
つい先ほどのカマキリ戦では、ほとんど思いつきのぶっつけ本番で、レムの肉体を『腐り沼』を取り込み再構築してみせた。その効果のほどは、ご覧のとおり。
レムが頑張ってくれた、というのもあるだろうけど……もしかすれば、呪術同士は組み合わせて使うこともできる仕様なのかもしれない。
そもそも『腐り沼』は僕の肉体を溶かすことはないし、『黒髪縛り』を溶かすこともない。そのお蔭で、触手で沼に引きずり込む僕の必殺コンボが成立しているわけだ。
お互いの効果が邪魔しあわないようになっているのは、偶然というより意図的なものを感じる。まぁ、天職の能力ってのは元々は神様の技のはず。それなら、ルインヒルデ様がそういう風に呪術を創ったのだとすれば、このゲームシステムのように都合の良い呪術の仕様も納得がいく。
すでにレムの毒沼人形は成功しているんだし、他にも複合技ができる可能性は十分にある。そうとくれば、早速試してみよう。
『黒髪縛り』と『腐り沼』の合体呪術だ。
「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」
実験する時くらいはフル詠唱で。こっちも『黒髪縛り』と並んで、久しぶりに呪文を唱えた気がする。
ちなみに、妖精広場の芝生に毒沼を広げるのは気が引けたから、入り口から外に向かって展開させておいた。『腐り沼』は適切に効果を現し、石の通路の幅ギリギリの大きさで広がった。
さて、本番はここからだ。魔法はイメージ、しっかりと思い描く。
「逃げ足を絡め取る、髪を結え――」
正しい『黒髪縛り』の呪文であるが、合体させるときは本当にこれでいいのだろうか。レムの時はこれでも大丈夫だったけど……うん、何事もチャレンジだ、この際、思い切って呪文もイメージに沿うよう変えてみよう。
文芸部員舐めるなよ。このテの呪文詠唱を考えるのは、中二病的ラノベ作者の得意分野なのだ。
「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――」
完全に勢いだけで適当なイメージ詠唱を口走った瞬間、ソレは現れる。まるで、僕が呼び出すのを待っていたかのように、勢いよく『腐り沼』の水面から飛び出してきた。
「おおっ、赤い『黒髪縛り』だ!」
ユラユラと背の高い草むらのように、水面から生え出た赤色の黒髪触手である。その鮮血のようにドロリとした質感を一本一本に纏っているのを見れば、僕が思い描いた通り、『腐り沼』の毒性を宿した『黒髪縛り』であるように思えた。
「よし、試してみるか」
期待に胸を高鳴らせながら、僕はナイフ代わりの枝を放り投げる。放物線を描いて、広げた毒沼を越えていく途中、僕はこの赤い黒髪触手を操り、枝を絡め取る。
不気味な赤い毛先が枝に届いた瞬間、ジュっと音を立てて、枝は綺麗に両断された。
二つになって落ち行く枝へ、さらに絡みつかせると、触れる端から切り落とされ、細切れになってから毒沼へ落ちて沈んで行った。
「お、おお……成功だ……」
いや、想像以上の大成功である。
「これは、凄い攻撃呪術だぞ!」
いわば地雷のような設置型の『腐り沼』であったが、コレを使えば、自ら望んで相手にこの強烈な酸性毒液をけしかけることができるのだ。僕はついに待ち望んだアクティブな効果の攻撃呪術を手に入れたといっても過言ではない。
「行ける、これは行けるぞぉ!」
鰻登っていくテンションのままに、僕はこの記念すべきオリジナル攻撃呪術に名前をつけた。
「よし、この呪術を『アシッドワイヤー』と名付けよう!」
『赤髪括り』:触れれば皮膚を焼き、絡めば肉を腐らせ、括れば骨さえ溶け落とす。猛毒を宿した赤い髪。
と、次の瞬間に頭に思い浮かんだ名前と説明。ああ、ルインデヒルデ様、呪術の名前に横文字を使ったらダメですか、そうですか……
神様からのダメ出しもあったけど、ともかく、僕はこうして新たな呪術を編み出すことに成功したのだった。