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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第7章:人殺し
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第70話 ソロ攻略再び

「うわぁあああああああああああああああっ!」

 と、叫んでみたり、床の転移魔法陣をバシバシ叩いてみたり、泣いて喚いて転げまわって、ひとしきり絶望的なリアクションを堪能してから、僕はようやく現実と向き合うだけの落ち着きを取り戻した。

「ち、ちくしょう……剣崎明日那めぇ……」

 まさか、まさかの裏切り行為である。

 蒼真君の登場で、完全に助かったと油断しきっていた。彼がいれば、僕はもうこれ以上、蒼真桜をはじめあの女子面子とギリギリの駆け引きをしながら気まずいパーティプレイをする必要もない、なんて安堵してしまっていたかもしれない。

 実際、彼女らからすれば、蒼真悠斗さえいれば、何の不安もなくダンジョンを進んで行ける。もう僕の存在を疎む必要もないし、メイちゃんを恐れることもない。蒼真君を中心に、このままみんなで協力して、ダンジョン攻略を進めていけばいいだけの話。あえて、殺人同然の行為で僕を置き去りにする必要性なんてない……はずだった。

「くそ、これが高貴な女剣士様を精神的に追い詰めたツケってことかよ」

 恐らく、剣崎明日那の犯行は、突発的なものだろう。ひょっとしたら、自分がやったと認識していないかもしれない。

 どうやら、メイちゃんにフルボッコにされて、僕の傀儡になってしまった自分の境遇に、剣崎明日那の気高い心は耐えられなかったと。

 蒼真君に助けられて、いざ転移で洞窟から脱出というところで……気が緩んだ。いや、この瞬間こそがチャンスなんだと、彼女は知っていた。何故なら、似たような方法で蒼真君と離されてしまったのだから。

 転移の瞬間に魔法陣から押し出せば、確実にソイツを分断できる。僕という存在を排除する、絶好のチャンス。狂戦士のメイちゃんは押しても動かなそうだけど、貧弱な呪術師の僕なんて、ちょっと背中を押されれば、このザマである。

「怒ってるだろうな、メイちゃん」

 メイちゃんじゃなくても、剣崎明日那への糾弾は避けられないだろう。そりゃあ彼女は少なからず僕に恨みはあるだろうけれど、それでも、一応はパーティということで、ここまで協力してやってきた。それを、危険だと分かっていながら、故意に僕を置き去りにしたのだ。

 彼女の行為は、仲間に対する明確な裏切り。純粋に犯罪行為といってもいい。電車のホームに突き落とすようなものだ。

「勢い余って剣崎を殺さなきゃいいけど」

 まぁ、蒼真君がいるから、そこまでは発展しないだろう。いくらメイちゃんでも、蒼真君と他のメンバー全員を敵に回せば、取り押さえられてしまう。できれば、委員長には頑張って仲裁してもらって、穏便に事を収めて欲しいけど……その前に、委員長の胃に穴が空いてぶっ倒れそうな気もする。胃薬、作っておいてあげればよかったかな。

「っていうか、人の心配している場合じゃないんだよね……」

 そう、切実な問題として直面しているのは、僕自身のことである。

 仲間はみんな、転移でダンジョンの先へ。一人取り残された僕には、当然、もう一度魔法陣を発動させられるコアの持ち合わせもない。

 つまり、ここから先は、僕一人でダンジョンを進まなければいけないのだ。そう、最弱の呪術師である、この僕が。

「ど、どうするよ……」

 ダンジョンに飛ばされた直後の、あの時以来のピンチである。こんなところで、もう一度僕にソロプレイをしろというのか。

 無茶がすぎる。完全に無理ゲーだ。

「いや、落ち着け、諦めるな……今は僕だって、多少は出来ることが増えてるんだ」

 まず、確認しよう。今の僕にある、全てを。



『赤き熱病』:相手を微熱状態にする。お前はマジで、もっと、こう、さぁ……


『傷み返し』:自分の負ったダメージをそのまま相手に返す。負傷はそのまま。戦闘にも駆け引きにも使えるけど、文字通り諸刃の剣。コイツに頼る時は、もうだいたい詰んでいる。


『直感薬学』:素材の効能を直感で理解し、それに応じて様々な薬品を作ることが出来る。僕にとっての命綱。呪術師の存在価値的な意味で。そろそろ毒薬も欲しいな。


『黒髪縛り』:影の触手を相手の足に絡みつかせる。三つ編みにすると便利。汎用性抜群。でも、もっとパワーが欲しい。


『汚濁の泥人形』:主の意のままに動く人形。絶対服従。レムはマジでいい子だよね。


『黒の血脈』:その血は呪いか祝福か。祖より受け継ぐものがなくとも、血は命の源の一つに変わりない。肉体、呪術、魔法、信仰――様々な要因に影響を及ぼす。人によっては、美味しいらしい。


『腐り沼』:一歩踏み込めば、たちまちに肉が溶け、腐り落ちる猛毒の水辺。攻撃系呪術のエース。


『逆舞い胡蝶』:薬を対価に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る。薬を消費するから、乱発できないのが惜しい。



 この八つが、僕が使える呪術だ。

 次に装備。


『レッドナイフ』:ケルベロスの牙を用いたナイフ。放火魔も愛用する、火つけに適した一本。


『鉄の短剣』:一般的な品質の短剣。


『カッターナイフ』:僕が元から持ってた文房具。替刃付き。


『石コロ』:投石用に集めた丸い石。『腐り沼』を天井に張る時にも使う。


 僕のメインウエポンである鉄の槍を、横道戦で失ってしまったのは痛いが、夏川さんの『レッドナイフ』をそのまま持ち続けていたのは、本当に不幸中の幸いである。

「これがなかったら、洞窟も進めなかったよ」

 革製の鞘から抜き放つと、赤熱化した刀身に、薄らと炎が纏うように立ち上る。これを掲げるだけで、ひとまずは松明の代わりになる程度には明るいのだ。

「洞窟はまだ続いてるみたいだし……行くしかないのか」

 この魔法陣の部屋は遺跡ダンジョンの一角だが、どういうワケか、ここだけ離れたようにポツンと存在しているようだった。洞窟の途中に、遺跡の転移部屋が一つだけ繋がってるような感じ。

 つまり、僕らがやって来た洞窟とは別に、蒼真君が辿って来た方の洞窟がまた繋がっているのだ。

「蒼真君はボス部屋を通って来たと言ってたから、遺跡に戻るまでそんなに遠くないはず」

 少なくとも、彼の『光精霊ルクスエレメンタル』で妹を探知できるくらいの距離。歩けばすぐ、だと思いたい。

 現状、僕にこの魔法陣を起動できない以上、別ルートで進むしかない。まずは蒼真君がやって来た方の遺跡に戻って、それから道を探して行こう。その前に、まずは妖精広場で一息つきたいところだけど。

「覚悟を決めて、行くしかない」

 このままここでジっとしていても、助けは来ない。メイちゃんは僕を探そうとしてくれるだろうけど、魔法陣で飛んだ以上、後戻りはできない。最も合流できる可能性があるのは、最深部の脱出用転移魔法陣を目指して、進むことだけ。だから、僕も一人で先へ進むしかない。

 メイちゃんと再会できるか、それとも別にマトモなクラスメイトと出会えるか。あるいは、魔物かイカれたクラスメイトに襲われて死ぬか。後者の可能性の方がダントツで高いが、もう運を天に任せていくしかない。

 けれど、自分で出来ることは、少しでもやっておこう。

「一応、レムは作っておくか」

 僕はそそくさと洞窟から泥を集めて人型を造り、他に何の魔物素材もない、最弱スペックの泥人形モードのレムを創り出した。

「うーん、やっぱり頼りない」

 泥だけで構築できるレムは、初めて作った時と同じように小さなサイズであった。今なら、泥オンリーでも普通の人間サイズまでデカく作れそうな感じがしたけれど、この脆い体のまま大きくしても、あまり意味がない。魔力だって消費するし、最悪、作ったはいいけど、動けば自重で潰れるかもしれない。

 だから、人形サイズにしておいた。

 復活したレムは、どこか申し訳なさそうに縮こまっている。いや、気にしないでよ、横道戦ではよく頑張ってくれたし。

 それに、こうしてレムを呼び出すと、一人の寂しさも紛れる。精神的に、これほどありがたいことはない。

 さて、あまりこの魔法陣部屋に留まっているワケにもいかない。別に妖精広場ではないから、蟻共が定期的にここを巡回して来ないとも限らない。塞いできたルークスパイダーの縦穴とも、今頃は開通しているかもしれないし。

 できる準備は整った、いざ出発。

「レムは先行して、敵を探って」

 了解、とばかりに大きく頷いて、レムは暗い洞窟へ走り去っていった。

 今のレムはちょっとした浅瀬に突っ込むだけで、ボロボロと体が崩壊するほど脆い初期状態だから、戦闘面では何の役にも立たない。一応、知覚能力はあるので、敵を警戒するくらいには使える。僕は夏川さんみたいな探知スキルや気配察知はできないから、これだけでも大分気が楽になる。

「うっ、ナイフで照らしても、やっぱ暗いな」

 これまで進んできた明るさとは、かなり違う。届く視界も半分に満たない。見えない、というだけで、もう飽きるほど進んで慣れたと思ったこの洞窟も、途端に未知の領域のような恐ろしいものに思えてくる。

 前方の警戒はレムに任せ、僕は後方と、あと自分の足元に注意しながら、暗い洞窟を歩き始めた。

「――っ!?」

 ガサ! とか、カラン! とか、ちょっとした音が響いてくる度に、体がビクンと反応する。

 今の僕は、蟻の群れに挟撃されればそこでお終いだ。群れ、というか、二体以上いればもうダメな気がする。

「お、落ち着け……蟻が出た場合は、まず、沼を張って、髪で足止めして……」

 僕は必死に、いつ敵が飛び出してきてもいいように、何度もソロでの迎撃を頭の中でシミュレーションを繰り返しながら、進んで行く。

 まるで生きた心地がしない。とんでもない緊張感だ。

 頼れる仲間がいる、というのがどれほど幸せなことなのか、僕は今、身をもって思い知らされている。

 どれだけ進んだのだろう。酷く、体が疲れてくる。けど、あまり足場のよくない洞窟内だ。まだ、そんなに距離は稼げてないはず。この緊張感のせいで、余計に体力も削られてしまう。

 いけない。こんな調子じゃあ、すぐにバテてしまって、いざという時に動けな――

「あっ、レム! 戻って来たってことは、もしかして」

 足元に、ピョンピョン飛び跳ねるようにして、慌てて戻ってくるレムが目に入った。

「蟻が出たのか」

 聞いたところで、喋れないレムには答えようがない。けれど、首を横に振っている。どうやら違うようだ。

「蟻じゃない、ということは……」

 洞窟の出口を見つけたのか、なんて甘い考えは、即座に否定される。

 ブゥウウン、という、あの絶望的な羽音によって。

「く、くそっ……よりよって、カマキリかよ」

 すぐに、あのシルエットが前方から姿を現す。レッドナイフの頼りない炎が照らす、薄暗い洞窟に佇む巨大なカマキリは、これまでに見てきたヤツよりも恐ろしく思えてならない。

「シャアアアっ!」

 向こうも僕を見つけて、両手の鎌を振り上げる威嚇のポーズ。次の瞬間には、羽を震わせて襲い掛かってくることだろう。

 勝てない。僕なんかでは、とても敵う相手じゃない。

 頭の中が真っ白になる――けれど、生存本能が恐怖を抑えつける。怖い。けど、大丈夫だ。体は動く。勝てはしないけれど、逃げ切れない相手ではない。

「広がれ、『腐り沼』」

 掌の呪印から血を飛ばして、目の前に『腐り沼』を展開。カマキリは羽で飛ぶホバー移動ができるから、ただ地面に広がるだけの毒沼にかかることはないだろう。

 けれど、僕が持てる最大の攻撃力がコレである。まず、これを出さなければ始まらない。

「――『黒髪縛り』」

 カマキリ自身の影から飛び出す、黒い髪の触手。それらが手足を縛り上げる――その前に、奴は動き出していた。

「シャッ!」

 鋭く鎌を左右に振るい、黒髪を切断。やはり、メイちゃん達前衛組みと真正面から斬り合える反応力を持つだけある。まるで寄せ付けず、カマキリは僕に向かって前進してきた。

 すぐ目の前に広がる毒沼の存在を認識しているのだろう。四足で歩くのではなく、やはり羽で飛んできた。

 洞窟の地面を滑るように飛んでくるカマキリは、その足先さえ猛毒の水面に触れることはない。

「引きずり込め」

 再度、黒髪縛りを出す。今度は『腐り沼』の中から。

 けれど、これも鎌によってあっけなく切り払われてしまう。沼の上で僅かにホバリングして動きが止まったが、的確な斬撃で、水面に引きずり込む触手の化け物のように襲い掛かる三つ編みの『黒髪縛り』を捌き切る。

 やっぱり、コレじゃあダメか。簡単に切断されるから、大した足止めにもならない。

 それなら、これでどうだ。

「「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――」

 詠唱はギリギリ。もう、カマキリが触手を全て斬り終えて、沼を通過しようかという際どいタイミング。けれど、なんとか間に合った。

 僕は呪印からさらに多くの血液を絞り出して、投げつけるように『腐り沼』の水面に放った。

 その先には、どっぷり毒沼につかって、泥の体をジャブジャブに溶かして崩壊しつつあるレムがいた。

「――『汚濁の泥人形』っ!」

 再召喚、というよりも、再構築だ。

 レムの体を泥ではなく、『腐り沼』の猛毒液で作り上げるのだ。泥人形の作成に必要なベースとなる人型は、最初から人形状態だったレムの体をそのまま流用。原型が崩れ去る前に、詠唱を終えて発動させることができれば――

「そのまま抑えろ、レム!」

 僕の命に応えるように、腐り落ちる毒液を纏った、汚泥の巨体が沼から立ち上がる。

 手足は丸太のようで、胴も野太いずんぐりむっくりな体型。それでいて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどドロドロと毒混じりの泥が滴り落ちている。

 けれど、レムは確かな人型をもって、目の前にいるカマキリへと掴みかかった。

「キョワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

『腐り沼』が人の形となって抱き着いてきたようなものだ。虫型モンスターの固い甲殻さえ溶かす強烈な酸性毒液を全身に喰らって、カマキリは堪らずといったように絶叫を上げた。

 よし、今だ!

 トドメのチャンス、ではなく、逃げるチャンスである。

「そのまま抑えてて!」

 レムは足止めのための捨て駒だ。僕は沼が広がり切っていない洞窟のギリギリ端っこを、レムとカマキリが激しく揉みあうのを間近で感じながらも、どうにかこうにか渡り切る。

 レムの体は、やはり泥だけで大きくしたせいか、刻一刻と崩壊へと近づいていた。カマキリは激しくもがいて、鎌をレムの体に突き立てるが、半液状の体に斬撃はあまり効果がない。けれど、斬って、刺して、暴れる度に、着実にレムの体は崩れていく。

 恐らく、毒液でカマキリを溶かし切るより前に、レムは倒れる。そしてカマキリは、歩けるだけの脚さえ残っていれば、僕を追いかけて殺すには十分、事足りる。

 次はもう、レムを出すための泥の人型がないから、同じ手は使えない。カマキリのダメージ次第では『黒髪縛り』だけで対応しきれないかもしれないのだ。

 決め手に欠ける以上、無理に畳み掛けるよりかは、逃げの一手を打つ方がまだ安全性が高い気がする。別にカマキリを倒したところで、レベルアップして次からは楽勝、みたいなワケでもないしね。

「はっ……はっ……」

 前方への警戒は諦め、僕はとにかく洞窟を走る。今はとにかく、後方のカマキリから逃れることを最優先。

「広がれ、『腐り沼』」

 効果があるかどうかは分からないが、適当な間隔で『腐り沼』を張っておく。もしカマキリが羽を失い、かつ、壁面や天井を走れないほど脚を負傷していれば、沼にかかるか、諦めてくれる可能性がある。

「くっ、やっぱり血を使うから、多用はできないか……」

 三度目の沼を張ったところで、ちょっとクラっときた、気がした。人間は半分の血液を失うと死ぬんだっけか。量は平均して2リットルくらい。僕は平均よりも小柄だから、それよりも少ないだろう。

 呪印を使えば傷付けずに血をだせるからって、調子にのってあんまりジャブジャブ撒いていたら、危険だな。

 そんなカマキリとは別の方向性で命の危険について考えていると、行く先に光が見えた。

「もしかして、出口!」

 よく頑張った、感動した。そう僕のソロ洞窟探索を労うように、その光は確かに、洞窟と遺跡の境目にあたる、ゴールであった。

「はぁ……はぁ……やった、何とか、着いたぞ」

 転がり込むように出口を通れば、そこは、オルトロスのボス部屋とよく似た造りの一室であった。ただ、壁にはこの洞窟に繋がる穴が大きく開いている、というのが決定的な違いだが。

 うん、ここは蒼真君が道すがら倒してきたボスのいた部屋で、間違いなさそうだ。見通しのよい室内には、一見して何者の影も形もないことが分かる。

 流石にリポップはまだか。それとも、一回倒せば、もう二度と現れないのか。何にせよ、ありがたいことだ。ただでさえソロ攻略なのだ、ボス戦なんてもっての外である。

 けれど、ここはボス部屋だから一度立ち入ったからには絶対に強敵と戦ってもらおう、とでもダンジョンが訴えかけるように、魔物が乱入してきた。

「ギョァアアアアアアアアアアっ!」

 言わずもがな、僕が華麗なスルーを決めてきたナイト・ナンティスである。

 かなりレムにやられたようで、左の鎌は落ち、羽はボロボロで飛行不能。体の各所に溶けた痕は幾つもあって、今にもぶっ倒れそう。

「ちいっ、この死にぞこないめ!」

 あのまま倒れていれば万々歳だったのだが。よほど僕のことを恨んでいるのか、満身創痍になっても追いかけてくるとは、なかなかの執念である。

「……ここで、倒すしかないか」

 追いつかれてしまった以上、背中を見せて逃げるのは危険だ。奴は羽こそ失っているが、四本の脚は健在。走れば僕より早いし、通路に毒沼を張っても、ジャンプで飛び越えるか、根性で突っ切ってきそう。

 レム本体を失ってしまったので、次は一瞬で毒沼レムを召喚することもできないし。

 それでも、カマキリは死に体だ。あともう少しダメージを与えれば、倒せそう。

 しかしながら、そのダメ押しの一発を当てる方法が、僕にはない。

 カマキリはボロボロの体でも、尚、油断なく片方だけとなった鎌を構えている。対する僕の武装は、レッドナイフと普通のナイフのみ。こんなリーチの短い刃物を、接近してカマキリに突き刺すなんて無理に決まってる。

 奴の鎌は長剣を超えるほどの長さを誇っている。僕がナイフを構えて「死ねやぁーっ!」とヤクザの鉄砲玉よろしく突撃したところで、あっけなく斬り捨てられるだろう。もし鉄の槍が健在でも、僕の腕前では返り討ちにされる。

 ダメだ、呪術師の僕にとって、とにかく接近戦はダメだ。全く勝機がない。

「シャっ! シャアアアア……」

 カマキリも警戒しているのか、甲高い威嚇の声をあげながら、一定の距離を保ったまま襲い掛かって来ない。ピンと張りつめた緊張感のにらみ合い。

 けれど実質、僕にはカマキリと張り合うだけの強さはない。もう、いつカマキリの奴が「コイツ、さては弱いな」と断じて斬りかかって来るか分かったものじゃない。そうなれば、勝負は一撃でついてしまう。

 悩んでいる時間はない。考えろ。あの瀕死のカマキリにトドメを刺す方法を。

 何かないのか。いや、何がいる? 何があれば、この炎のナイフを奴の体に届かせることができる。

 レッドナイフの威力は十分。届きさえすれば、あの鎌を超えるリーチがありさえすれば……くそ、今から枝を調達して槍に仕上げるなんてできないし、僕の腕がゴムみたいにビョーンと伸びるワケでも――いや、待てよ。

「シャアアアっ!」

 そこで、ついに痺れを切らしたのか、カマキリは一際に鋭い声を上げて、動き始めた。

「『腐り沼』っ!」

 反射的に、毒沼を展開。

 大した広さではないけれど、一度やられた『腐り沼』を前に、カマキリは明確に警戒心を露わに、咄嗟に後ずさる。

 よし、効果は十分だ。物理的な壁というより、心理的な障害となって、『腐り沼』はカマキリを遠ざけてくれた。

 これで、僕のターンだ。カマキリがこの小さな沼を超えたり、迂回したりする前に、先に手を打つ。

「――『黒髪縛り』」

 僕の足元に落ちる自分の影の中から、三つ編み触手を二本、呼び出す。そして、その先端にレッドナイフと鉄の短剣を、それぞれ握らせた。

 ああ、僕はなんて馬鹿なんだろう。土壇場にならないと、こんな当たり前の使い方を思いつかないなんて。

 そう、僕自身の腕は伸びないけれど、この『黒髪縛り』なら、伸びる。

「行けぇ!」

 二本のナイフを受け取った黒髪は、矢のように真っ直ぐカマキリへ向かって飛んで行く。

『黒髪縛り』は、最初こそ相手の足元を絡ませるだけの長さしかなかったけれど、色々な相手を縛ったり、毒沼に引きずり込んだりしている内に、今では結構、何メートルも伸ばせるようになっている。動くパワーもスピードも、少しずつだが着実に成長している。

 そんな『黒髪縛り』にナイフを持たせれば、槍のリーチを遥かに超えた、最早、遠距離武器といってもいい。鎖鎌みたいな武器に近いが、コレはそんなテクニカルなモノじゃない。なんといっても、触手は僕の思うが儘に動かせる。自由自在の縦横無尽、これ以上ない、抜群の操作性。

「キョォアアアアっ!」

 狙い違わず、カマキリの胴に二振りの刃が突き刺さる。片方は普通の刃だが、もう片方は炎の刃だ。刺さった瞬間、ボウっと勢いよく火を吹いた。

「よし、当たった――っと、危なっ!」

 苦しげなうめき声を上げて、確実にダメージが通ったことが確認できるが、僕はすぐに触手を引いてナイフを抜く。

 カマキリは狙っているのか、それとも苦し紛れに暴れているだけなのか、鎌をブンブン振り回している。アレに当たれば触手はあっさり斬られる。そして、斬られてしまえば当然、その先端に握っているナイフも落ちる。武器を失うわけにはいかない。

「なるべく、鎌の届かない範囲……背中と後ろ足だな」

 圧倒的に有利なリーチを生かして、相手が瀕死でもさらに地道に削っていく戦法。名付けて、チクチク作戦である。

 一息にトドメを刺し切れないのはもどかしいが、それでも、万全に万全を期さなければ、呪術師が攻撃役などやっていられない。

「当たれぇーっ!」

 部位ごとに正確に狙っていきたいところだけれど、カマキリは置物ではない。狙われていると分かって、いよいよ激しく抵抗を始める。つまり、滅茶苦茶に動くのだ。

 とても狙いなどつけられない。背面狙いはあくまで目安。どこでもいいから、当たりさえすればいい。

「うわっ、ちょっ、来るな!?」

 カマキリが些細なダメージなど気にしないとばかりに、僕に向かって決死の突撃を仕掛けてくる。まずい、そういうストレートな手段は、非常にまずい。

 僕は『腐り沼』をさらに張りつつ、それを壁にするようにしてカマキリの接近をとにかく避ける。

「キョァアアっ、キシャァアアアアっ!」

「くそっ、来るな! あぁー、やめろっ、近い、近い、近いってぇーっ!」

 沼を張りつつ、カマキリから逃れ、隙を見て触手でナイフを刺す。何度も何度も、鎌が体をかすめていく際どい場面があったけれど、僕は必死にボス部屋の中を涙ながらに叫びながら逃げ回り続け――

「キョオオ、キアアア……」

 度重なる攻撃と毒沼によって、カマキリの動きがついに止まる。あの恐怖の鎌も、力なく垂れ下がり、もう振り回す元気もないと見える。

「死ね、死ねっ――」

 動けないカマキリ。その足元には毒沼を張り『黒髪縛り』で拘束し、傷の追加ダメージを与える『逆舞い胡蝶』をけしかけ、その上で、二本のナイフで滅多刺し。

 これで、勝負ありだ。

「死ねぇえええええええええええええええっ!」

 2017年1月13日

 申し訳ありません、次回からは週一回、毎週金曜日のみの更新となります。ストックの関係上、これ以上は週二回の更新は維持するのが難しくなりました。ただ、『黒の魔王』と同様に、週一回の更新ペースは崩さないよう続けていくつもりです。

 それでは、これからも『呪術師は勇者になれない』をよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が、最初の頃と比べて、明らかに強くなっていることです。
[気になる点] くそっ……よりよって、カマキリかよ スルーを決めてきたナイト・ナンティスである
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