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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第6章:食人鬼
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第69話 木崎茜と北大路瑠璃華(2)

 束の間の休息を終えた二人は、再びダンジョンを進む。

「――『炎砲イグニス・ブラスト』っ!」

 バレーボール大の火球が、茜の力強いアタックのフォームで撃ち出される。狙い違わず、群れる白い骨のスケルトンのど真ん中に飛び込んだ次の瞬間、大爆発。バラバラと貧弱な骨は砕け散った。

「やぁああああああああっ!」

 そして、攻撃魔法の大爆発で半減した残りを掃討するのは、灼熱の剣を振るうルリの役目。すでに、スケルトン程度の相手では、武技を使わなくとも圧倒できる。茜の『炎熱化イグニス・エンチャント』を宿した刃であれば、硬い骨を簡単に溶断できた。

「やったぁ! 流石ルリちゃん、圧勝だね!」

「これくらい当然よっ!」

 無邪気に喜ぶ茜に対し、ふんすっ、と平たい胸を張るルリ。けれど、本当はこう思っている。茜の方が、私なんかより、よっぽど凄いと。

 今でこそ、スケルトンを容易に何体でも切り伏せることができるけれど、ダンジョンで初めて遭遇した時、自分は怖くて震えるだけで、何もできなかった。

 怖かった。ワケも分からず、こんな異世界のダンジョンなどという危険な場所に放り込まれて。心の底から恐怖した。いや、絶望した、というのが最も正しいルリの心境であろう。

 あまりの絶望に、最初の部屋から一歩も動けず泣いていた時に、茜が現れてくれたのは唯一の救いであった。

 けれど、初めて見る骨の化け物、スケルトンと遭遇し、追いかけられた時、今度こそルリの心は折れた。


「ねぇ、茜、一緒に、死のうよ……」


 こんな場所では生きられない。あんな魔物に襲われて、無事でいられるはずがない。これは、全部、悪い夢――自殺という現実逃避を図るには、十分すぎる絶望だ。

 茜と一緒なら、自殺するのも怖くない。


「――大丈夫だよ。ルリちゃんは、私が守るから!」


 けれど、木崎茜は立ち上がる。その手に神から授かった炎を宿して。

 茜が『火矢イグニス・サギタ』でスケルトンを撃ち倒し、もう大丈夫だよ、と優しい笑顔で手を差しだされた時、ようやく、自分も勇気を出そうと決意できた。


「知らなかった……茜が、こんなに強いなんて」


 彼女の手をとり、そんなことを言った。


「ううん、ルリちゃんが一緒だから、私は頑張れるんだよ」


 太陽のように眩しい笑顔で、茜はそう答える。

 本当は、知っていた。ずっと前から。茜は自分なんかよりも、強い心を持っているのだと。

 それに気づいたのは、何時の頃だろう。小学三年生の時に、茜に身長を追い越された時か。いや、体の大きさなんて、関係ない。

 自分は、子供の頃ほど怖いもの知らずではいられないと、悟った。誰とでも仲良くなれるワケでもないし、クラスの女子も自然と派閥ができる。どんどん自分を追い越して大きくなっていく、男子のことも、少し怖かった。

 けれど、茜は強くなった。あんなに人見知りで、幼馴染の自分としかお喋りできないような茜が、気が付けばクラスの中心にいて、バレー部のエースとして大活躍していた。

 きっと、自分は弱くなった。心も体も、成長しなかった。

 それなのに、茜は……コンプレックスばかり、膨れ上がる。親友に対して、途轍もない劣等感を覚える。

 けれど、それに比例して、彼女を、木崎茜を求める心が強くなってしまう。

 離れたくない。見捨てられたくない。

 茜の友人が一人、また一人と増える度に、不安が募る。クラスの男子とも、何の抵抗もなく普通に話す茜の姿を見ると、焦りを覚える。

 弱い自分、強くなった茜。不釣り合いでも、一緒にいたい。これからもずっと、変わらず傍に居続けたい。

 思いばかりが募る。

 そして、それが『愛』と呼ばれる感情だと気付いたのは――命を賭けた極限状況となった、今になってからだった。


「ルリちゃん、絶対、元の世界に帰ろうね」

「うん、二人で一緒に、必ず」


 初めての戦いを切り抜け、薄暗いダンジョンを突き進み、ようやくたどり着いた妖精広場で、二人は、どちらともなく唇を重ねた。

 茜は、自分のことを愛してくれているのだろうか。女の子同士でキスすること、それ以上もしちゃうこと。ただの気の迷い、サバイバルのストレスから逃れる逃避行動なのか。彼女の、本当の気持ちは分からない。

 けれど、少なくともコレが、この最早友情とは呼べない爛れた関係性こそが、本当に自分が求めていたモノに違いない。

 茜が自分を捨てて去ってしまう、漠然とした不安も焦燥も、手と手を取り合い、唇を重ね、体を合わせて一つになると、忘れられる。茜は自分にとって特別で、自分もまた、茜の特別になれている。そう、信じられる。

 刹那的な快楽。卑しい性欲。非生産的な女同士の行為。

 けれど、それが今のルリを剣士として勇敢に戦わせる、最も大きな理由である。

 愛し、愛し合う親友、木崎茜のためならば、命を賭けて戦える。彼女が私を守るというのなら、私もまた、彼女を守ろう。

「それじゃあ、先に進もうか」

「うん、スケルトンじゃコアも落とさないしね。さっさと行こう」

 本来あるべき動かぬ屍と化した髑髏を蹴飛ばして、ルリは通路の先を睨む。そこはちょうど十字路のようになっていた。

「ねぇ、次はどっちに行くの?」

「ちょっと待って、今確認するから」

 一歩遅れてついてくる茜に応えつつ、ノートに描いた魔法陣のコンパスを見る。輝く光の矢印は、左の道をを示していた。

「ん、分かった、左だって――」

 顔を上げて、茜の方を振り向こうとした、その時だった。

 黒い、大きな影のようなモノが――

「ンガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 獣じみた、醜い大声。そのはずなのに、耳に届く音は、やけに遠い。

「――ルリちゃん!?」

 グルン、と視界が反転する。何故だろう。茜の姿が、上下逆さまに見えた。

 何で。どうして。

 そんな、ささやかな疑問が脳裏に浮かんだまま、北大路瑠璃華の意識は、永遠の闇に沈んだ。

「うっ、美味ぇえええええっ! やっぱり肉は、美少女に限るぜぇえええ!」

 木崎茜は、我が目を疑う。いや、信じたくない光景だった。

 ルリが、死んだ。

 十字路から突然、飛び出してきたのは、一人の男。血と泥で汚れに汚れた黒い衣装は、ゴーマの着るボロキレなどではなく、見慣れた白嶺学園男子の制服、学ランだ。クラスメイトの顔は、男女問わず全て覚えている。すぐに分かった。

「……横道、一」

 二年七組の汚点、キモブタと忌み嫌われる醜い男の姿が、そこにあった。

 何事かを絶叫している。酷く興奮したように。それは人の言葉というより、ゴーマが騒いでいるのに近いものに思えた。醜悪にして、邪悪。

 横道の口に、鮮血が滴る。ルリの血だった。

 彼は大口――元々大きいが、今は頬の半ばまで割けて開けるようだ――その人間離れした化け物の口をもって、ルリの喉を喰い千切っていたのだ。

 気配を殺す術を持っているのだろう。剣士として順調に強くなっていたルリが、全く気付けなかったのだから。出会いがしら、文字通り不意打ちでもって、彼女の急所に喰らいついたのだ。

「おおっ、何だよぉ、そこにいるのは木崎茜ちゃんじゃあないかよ! ツイてるなぁ、二年七組の百合カップルを一度に食え――」

「うわぁあああああああああああああああああああああああっ!」

 茜の視界は、真っ赤に染まる。感情的な比喩表現ではなく、事実、目の前に轟々と紅蓮の猛火が迸る。

 それは魔法であって、魔法ではない。激情のままに発した、彼女の身に宿る炎の魔力の発露。

「うおおおっ!? 熱ち、熱っち、あぶねーっ! なんだよ茜ちゃん、炎魔術士かよ!?」

 火炎放射に炙られて、堪らないといった様子で横道は太った巨躯に見合わぬ素早い動作で、身を翻しては後ずさる。

「ルリちゃん! ルリちゃん!」

 横道が視界から外れた時点で、茜にはもう、冷たい石の床に転がるルリの姿しか見えない。真っ直ぐに駆けより、彼女の小さな体を、血の海から抱き上げる。

「あっ、ああ、うあああぁ……」

 言葉もでない。名前を呼びかけることさえ、できなかった。

 ルリの死亡は、あまりに一目瞭然。

 食らいつかれた喉は、ごっそりと肉も骨も抉り取られている。文字通りに、首の皮一枚で繋がっている状況。何の支えもない頭部は、ちょっとでも体を浮かせれば、ブラブラと揺れ動き、そのまま千切れて本物の生首と化しそうだった。

 茜は、片手でルリの上半身を抱き起こし、もう片方で頭を支えた。

 大きく見開かれたルリの目。死に顔は驚愕の表情で固まっている。もう二度と、あの愛らしい笑顔が浮かぶことはない。

「ふっ、へへっ、危ねぇーな。危ねーけどぉ、炎だけで俺に勝てると思うなよぉ! 俺はなぁ、炎に対するスキルだって持っ――」

 夢だ。これは、悪い夢。最悪の悪夢。

 そう思う。そうとしか、思えない。

「ごめんね、ルリちゃん」

 だから、自分が間違っていたんだ。

 魔法の力を得て、調子に乗っていた。この力があれば、ルリを守れる。彼女のためなら、幾らでも頑張れる、強くなれる。一緒にいれば、ダンジョンだって越えられる。

 そんなこと、考えるものではなかった。

「やっぱりあの時、一緒に死ねば、良かったんだよね」

 そしたら、すぐに目覚められたのに。悪い夢は醒めて、また、あの楽しい学園生活が始まるのだ。こんな暗く危険なダンジョンの中で、恐ろしい目にあわずに済んだのだ。醜い化け物に食い殺される結末なんて、見なくて済んだ。

「ごめん、ごめんね……私も、すぐに行くからね、ルリちゃん」

 早く、自分も目を覚まそう。こんな悪夢は、終わらせよう。

 そして、また学校でルリに会ったら、すぐに伝えよう。自分の気持ちを。本当の気持ちを。包み隠さず、ありのままに。告白しよう。

 木崎茜は、そう、最期の瞬間に思った。

「ルリちゃん、大好き。ずっと一緒だよ――『火焔葬イグニス・フォースブラスト』」

 木崎茜と北大路瑠璃華。二人の姿は、太陽が爆ぜたような、強烈な紅蓮の輝きの向こうに消えた。




「――ぶはぁ!? あっ、危ねーっ! ちょっ、マジでヤバかっただろ今のは!?」

 凄まじい灼熱の爆風が過ぎ去った後、横道一は顔を上げる。変わり映えのしない石造りの灰色の通路は、今や全面、真っ黒に煤けていた。

「ああー、くそ、ちくしょう……茜ちゃん、自爆とかマジかよ、ありえねぇ……」

 いわゆる一つの勘。主人公特有の鋭い直感で、無防備に背中を晒す木崎茜に飛びかかろうとしたその時、危機を察知した。

 あ、これヤバい。そう思って急ブレーキ、全力後退。それを始めた時には、茜の背中は赤熱化した鉄のような輝きを放ち――次の瞬間には、大爆発を起こした。

 見通しの良い通路には、人影は皆無。この黒いすす汚れだけが、途轍もない威力の爆発があったことを物語る。

 地下であるらしいダンジョンの通路が崩落しなかったのは、魔法の力でとんでもなく頑丈にできているからだろう。地形って基本的に破壊不能オブジェクトだし、と、横道は思っている。

「うへっ、肉片一つ、残ってねぇ……」

 程よく腹が減った時、もう美味そうな料理が目の前に並んだというのに、いきなりテーブルをひっくり返された気分だ。結局、口にできたのは北大路瑠璃華の喉元だけ。

 比べて分かる、美少女の味。

 ここに来るまで、何体かの魔物を喰らってきたが、不味い。食えないことはないが、不味い。スーパーで投げ売り同然のクソ安い価格の怪しい中国産の肉のように、硬い、不味い、臭い、そして、不味い。

 しかし、一番の問題は味ではない。

「ちくしょう……茜ちゃんとルリルリを食えば、腹の傷も塞がりそうだったんだけどなぁ」

 思い出すと、またジクリと痛む。咄嗟に脇腹を抑えると、掌にヌルリとした血の感触を覚えた。

「くそ、痛ぇ……」

 そう、桃川小太郎に槍で刺された傷である。

 大抵の傷は、放っておけば治る。傷が深ければ、肉を喰えば治る。魔物の肉でも、食えば己の血肉となり、すぐに外傷を塞ぐ。

 だがしかし、この傷だけは別だった。いつまでたっても、塞がらない。治らないのだ。

 原因は間違いなく、小太郎の放った謎の魔法だ。光る蝶の形をしていた。あの蝶が傷口に触れて弾けた瞬間、激痛が走った。

 天職『戦士』を得て、痛みに強くなった。『食人鬼』になれば、ほとんど痛みなど忘れられた。それなのに、あの蝶は自分に、人間が持つ『痛み』という概念をこれ以上ないほど思い出させるものだった。正しく、痛感である。

「くそがっ、これ完全に『出血』とかの状態異常だろ……」

 RPGでは大抵、毒や麻痺といった状態異常効果があるが、ゲームによっては『出血』というモノもあったりする。その効果はおおよそ、毒と似たようなものだ。徐々にHPが削れたり、あとは、敵から受けるダメージが増えたりするだとか。

 今の自分は、正にこの『出血』状態と呼ぶに相応しい。血は固まってかさぶたとなるが、傷口が固まりかけたところで、思い出したようにバックリと開くのだ。そして、またジワジワと少しずつ出血を強いる。

 幸い、出血量は大したものではない。ずっと血が流れ出ているわけでもないし、魔物の肉も食っているから、今の肉体ならば体内で血が作られる方が早いだろう。

 しかし、この傷はずっと自分に苦しい痛みを刻み続けるのだ。痛みのせいで、剣士や戦士との接近戦で後れをとる可能性もある。早く治すに越したことはない。

「次の獲物を、探すしかねぇか……あー、あとウチのクラスの可愛い子って、誰がいたっけなぁ」

 消し炭となってしまったからには、木崎茜と北大路瑠璃華の肉体は諦めるより他はない。未練を断ち切るように、横道は二人の焦げ跡から背を向けて歩き出す。

「早く、早く食って治して……へへっ、今度こそ食ってやる」

 思い出すだけで、自然と涎が溢れてくる。

「桃川小太郎ぉ……」

 アイツの血は特別だ。初めて長江有希子を喰った時も衝撃だったが、桃川小太郎の血の味はそれを遥かに上回るものだった。

 有希子をはじめとした、美少女の血が最高に美味しい料理であるとするならば、小太郎の血は、麻薬だ。つまり、同じ土俵にはない全くの別物。格が違う、と言ってもよい。

『食人鬼』の自分にとって、女の子を食べることは、食欲と性欲を同時に満たすことに等しい。これを覚えたら、もうマトモに食事をしようとは思わないし、あれほど憧れたセックスにさえ興味が薄れる。満たされない。喰わないと、この餓えも渇きも満たされない。

 この食人だけで、すでに麻薬級の依存性が発生しているのだが……桃川小太郎の血の味は、それを上回る。要するに、『食欲』と『性欲』の二つに、さらにもう一つ、何か別の、物凄く満たされる『何か』が含まれている。

 その『何か』が何なのかは、分からない。分からないけれど、一度でも味わったからには、もう、求めずにはいられない。忘れることなど、とてもできない。

「絶対、絶対にぃ、喰らいつくしてやるぜぇ、桃川ぁ、小太郎きゅーんっ!」

 2017年1月9日

 第6章はこれで完結です。それでは、次回もお楽しみに!

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新たな同行者と思いきや、百合百合んで雲行きが怪しくなってこれか。 勇者、早く退治してくれ。役目でしょ。
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