第67話 怒り
転移魔法の白い光に包まれながら、剣崎明日那は、あの時の決闘――最悪の恐怖と屈辱の記憶が、脳裏にフラッシュバックしていた。
「あっ、あ……」
自分の両手を見つめる。
掌に、小太郎の背中を押した感触が、まだ残っている気がする。
明日那の頭の中は真っ白で、けれど、転移の光はすぐに収まる。
目の前に広がる光景は、すっかり見慣れた、どこも同じ造りの妖精広場。しかし、ここは絶対安全の安住の地ではない。
「ひっ――」
明日那は、自分がたった今、地獄に落ちたのだと思った。
何故なら、彼女の目の前には、怒りに燃える、悪鬼羅刹の如き狂戦士が立っているのだから。
「剣崎ぃ、明日那ぁああああああああああああああああああああああああああっ!」
その瞬間の状況を、正しく認識できていた者は、きっと、この怒り狂った咆哮を上げる『狂戦士』双葉芽衣子だけだったろう。
転移魔法は、適切に発動した。しかし、転移が始まるその瞬間、剣崎明日那が桃川小太郎を突き飛ばした。
そして、魔法陣から弾き出された小太郎を置き去りに、妖精広場までやって来た。
間抜けな事故でも何でもない。剣崎明日那は、明確な意思を持ち、狙って桃川小太郎を突き飛ばしたのだ。
そんな凶行を目の前で見せつけられて、双葉芽衣子が怒らないはずがない。
「ひっ、い、いやぁあああああああああっ!」
絹を裂くような悲鳴を上げたのは、メンバーで一番の怖がりである小鳥遊小鳥ではなく、剣崎明日那。
だが、そんな悲痛な声をあげるのも無理はない。何故なら、彼女にとって双葉芽衣子は、絶対的な恐怖の象徴。理不尽な暴力の権化。つまり、トラウマである。
芽衣子の殺意と怒気を真正面から浴びた明日那は、戦意喪失どころか、今にも気絶せんばかりに恐れおののいている。
そして、そんな無防備にして惨めな姿の明日那に、怒り狂った狂戦士は、力の限りその拳を――
「やめるんだ、双葉さん!」
バァン! という衝撃波さえ伴う炸裂音が妖精広場に響き渡る。
繰り出された拳、いや、『狂戦士』の武技『鎧徹し』が発動した、赤いオーラを纏った拳という名の凶器を、蒼真悠斗がその手でもって受け止めたのだ。
荒れ狂う破壊力が炸裂し、悠斗の掌はズタズタに裂かれたような傷が走り、俄かに血飛沫が舞う。真正面からしっかりと受け止めたはずなのに、あまりの衝撃にズズズと踏ん張った足が芝生を抉りながら滑る。ほんの少しでも気が緩めば、そのまま吹っ飛ばされてもおかしくない。それほどの威力。
もし、この赤く燃える拳が、無防備に泣き叫ぶだけの明日那の顔に当たっていれば……悠斗の背筋が凍る。
「どいてくれる、蒼真君」
双葉芽衣子のその声に、さらに体が震えた。まるで、浄化する前の呪われた刀から発せられる怨念の声のよう……否、それ以上に、恐ろしい響きであった。
「それはできない。頼む、双葉さん、やめてくれ」
だが、どんなに恐ろしくても、いや、本当に人を殺せるだけの恐ろしい相手であるからこそ、蒼真悠斗は引けない。引くわけにはいかない。
剣崎明日那が泣き叫ぶところなど、見たのは初めてだった。今起こった状況に、完全に理解は追いついていない。それでも、明日那を守らなければ。それだけは、決して揺らがぬ意思として、悠斗の体を突き動かしていた。
「……そう」
芽衣子の目が、鋭く周囲を見渡す。
まずい。蒼真悠斗は直感で分かった。双葉芽衣子、彼女はもう、この場にいる全員を敵に回しても構わない。それほどの覚悟でもって、剣崎明日那を襲おうとしているのだ。
その異常な敵意は、皆も察したのだろう。
蒼真桜は弓を構え、夏川美波も緊張に強張った表情ながらも、その手にナイフを握っていた。
「くっ……双葉さん、頼む、明日那を、許し――」
「明日那っ! 貴女はなんてことをしてくれたのよ、この大バカ者っ!」
悠斗の台詞をかき消す、ヒステリックな絶叫と共に、バチーン! と音が響きわたった。
誰もが見た。委員長・如月涼子が、明日那の頬を思いっきり引っ叩くその瞬間を。
「あっ、涼子……」
「バカ、バカっ! 貴女は、最低ですっ!」
二度、三度、容赦なく明日那の頬を叩く委員長の姿に、硬直しかけた桜と美波が動き始めた。
「や、止めてください、涼子!」
「涼子ちゃん!」
慌てて明日那に掴みかかる涼子に、二人が駆け寄り、両脇から抑えにかかる。
かなり本気で叩かれたのだろう。明日那は頬を真っ赤にしていて、何が起こったか分からないような、呆然とした表情をしていた。
「い、委員長、どうして、そんな……」
芽衣子の前に立ちふさがりつつも、悠斗は背後で抑え込まれている涼子へと振り向いて問うた。
「どうしても何も、明日那は人として許されないことをしたのよ。転移の寸前に桃川君を突き飛ばした」
「あれは……何かの事故じゃないのか? 確かに、明日那が突き飛ばしたようには見えたけど、でも、そんなことをする理由なんて――」
「理由なら、あるわ」
つい今しがた、虫モンスターの大群に襲われたピンチに駆けつけた、蒼真悠斗は知らない。悠斗と離れた彼女達が、どういう経緯でダンジョンを進んできたのか。そして、道中で出会った桃川小太郎と双葉芽衣子。その二人と、どう関わってきたのか。
「双葉さん、ごめんなさい……謝ってすむ問題じゃないっていうのは分かるわ。でも、これからのこと、桃川君を助けるなら、私達が協力しあうのが最善のはずよ。明日那を許してとは言わない。けれど、償いはできるはずだから!」
そう訴えかける涼子を、芽衣子は冷たい視線を向けたが……目を閉じ、一つ、深呼吸をしてから、静かに言った。
「いいよ、聞いてあげる」
その言葉に、誰もがホっと安堵の息を吐いた。ひとまず、芽衣子は今すぐ明日那を殴り殺さんばかりに襲い掛かるほどの、怒りの矛を収めてくれたのだから。
「まずは、悠斗君に聞かせてあげる。これまで、私達と桃川君の間に、何があったのか――」
その複雑に絡み合ってきた恨みと不信の関係性など知らない悠斗は、一体何があったのかと困惑した表情を浮かべながらも、静かに語り始めた涼子の話に耳を傾けた。
「そ、そんなことが……」
涼子がこれまでの経緯を話し終え、悠斗はようやく状況を理解した。いや、彼からすると、話に聞くだけでは、信じがたい出来事である。
桜と委員長の二人が揃いながら、お世辞にも一致団結とはいえない険悪なパーティになっていたこともそうだが……温厚な双葉さんが、あの剣崎明日那と決闘し、その結果、見るも無残なほどの暴行を加えて勝利したこと。
一度、本気で明日那と戦ったからこそ分かる、彼女の強さ。けれど、ついさっき芽衣子の一撃を受け止めたことで、狂戦士の強さもまた、悠斗は実感してしまった。
双葉芽衣子という女子生徒は、その姿も心も、全く変わってしまったのだ。そんな彼女に、明日那は変えられた……圧倒的な暴力に晒されたことで、剣士としての誇りをへし折られてしまった。
信じがたい。いや、信じたくない、という方が正確か。
けれど、明日那が現実に、お化けを恐れる子供のように怯えきった姿を見せつけられると、真実であると理解せざるを得ない。今や剣崎明日那にとって、双葉芽衣子という存在は恐怖のトラウマなのだと。
「明日那は、双葉さんが桃川君の呪術によって洗脳されていると思っていた。だから、彼を排除すれば――」
「ち、違う! 私は、ただ……」
「何が違うのよ、明日那。貴女は恐怖に負けて、桃川君を……殺そうとしたのよ」
この世の終わりのような表情で、頭を抱える明日那の姿を、涼子はかすかに痛ましい表情を浮かべながら、見下ろしている。
明日那のトラウマは分かる。同情したいし、助けてやりたい。だがしかし、彼女は人としてやってはいけないことをした。
善悪の境界など、この法律の及ばないダンジョンでは無意味かもしれない。けれど、涼子は一度、仲間を見捨てるという罪を犯したからこそ、許せない。もう二度と、あんな思いはしたくないし、そういう真似を許すこともするまいと。
「お、おい、委員長、それはちょっと、言い過ぎなんじゃないのか」
「そうです、涼子。明日那だって、とても思いつめた末に、こんなことを――」
「やめて。悠斗君も、桜も、これ以上、明日那を擁護するような発言はしないでちょうだい」
キっと鋭く睨みつけられて、蒼真兄妹も流石に黙らざるを得ない。
これは、軽い気持ちで「しょうがない」と許してしまっていい問題ではない。明日那はかけがえのない大切な友人だからこそ、自分の罪に向き合ってもらわなければいけないと、涼子は強く思う。
そして何より、剣崎明日那の命を救うには、ソレしかないことを、如月涼子だけが気づいていた。
「明日那、貴女の言い分も、一応は聞いてあげる。どうして、桃川君を突き飛ばしたの?」
恐怖と不安でかなり混乱した様子の明日那に話を聞く意味はあまりないように思えたが、それでも、聞いておかなければ納得はできない。芽衣子でも自分でもなく、明日那を信じる、友人達が。
「も、桃川……アイツが悪いのだ……全て、アイツのせいで……」
「桃川君が、何か悪いことをしたというの?」
「アイツが来てから、おかしくなったんだ!」
明日那は叫んだ。桃川小太郎は、呪いを操る邪悪な男だと。
みんなが寝静まった後の広場で、平気で自慰行為を仕出かすのは、女子をいやらしい目で見ているからに他ならない。小太郎は、この見目麗しい美少女が揃ったことを幸いにと、全員を自分のモノにしようと画策している。そう、この双葉芽衣子のように、小太郎に対して異常なまでに従順となる、恐ろしい洗脳の呪いをみんなにかけようと、虎視眈々と狙い続けている。
「明日那、そんなのは、ただの妄想よ」
「違う! 妄想なんかじゃない、そうじゃなければ、私は……私は、どうして、あんな……」
明日那は訴えた。
邪悪な洗脳に支配されているからこそ、双葉芽衣子はあそこまで残虐な暴行ができたのだと。普通じゃない、正気じゃない。小太郎くんのために、そう言って拳を振るう芽衣子の姿を、狂気と言わず何というべきか。
「……なぁ、そんなに酷い怪我だったのか?」
悠斗の問いに、誰もが頷く。明日那が傷痕一つなく、元の綺麗な顔に戻れたのは、桜の即効性の治癒魔法と、高い自然回復力を持つ小太郎の傷薬、両方が揃っていたからに他ならない。
「双葉さん、どうしてそこまで」
「だって剣崎さん、なかなか降参してくれなかったから。それに、先に小太郎くんを殴ったのは剣崎さんの方だよ。そんなの、絶対に許せない」
「そ、そんな理由で――」
「言ったでしょ、悠斗君。双葉さんにとって、桃川君は命の恩人なのよ。私が見捨てた彼女の命を、桃川君が救ったの」
救世主たる桃川小太郎と、残酷に見捨てた女とその仲間達など、どちらが大切か。そんなことは、聞くまでもないことだ。
「あの決闘の結果は、もう誰も文句なんかつけられないのよ。私だって、止めればよかったと今でも後悔しているわ……けれど、明日那も双葉さんも、お互いに譲れない思いをかけて決闘をしたの。その戦いに部外者が口を挟むことが、どれだけ無粋なことか、悠斗君ならよく分かっているんじゃないのかしら?」
「……ああ、そうだ、その通りだ、委員長。明日那が自らの意思で決闘をしたのなら、その結末がどうであれ、俺に口出しする権利なんてないんだったよ」
それでも、凄惨な暴行を加えられた明日那の姿を見てしまったら、そうは割り切れなかったかもしれないと、涼子は思った。すでに過ぎ去った出来事を話に聞くだけだから、悠斗も理解を示せる。
だから、結局のところ、あの決闘を過去のものではなく、今でも引きずって、あの恐怖と苦痛に苛まれているのは、トラウマを刻みつけられた明日那だけなのだ。
「明日那が本当に、心の底から桃川君が洗脳を企んでいると思い込んでいるのか、それとも、自分のトラウマから逃避するための理由でしかないのか……今は、そういう心理の分析をするつもりはないわ」
そして、大切な友人の明日那に対して、優しく心のケアをする暇もない。
「いい、皆、よく聞いてちょうだい。確かに、私達はこれまで、桃川君を疑ったことはあったし、心から信用していたともいえない。でも、だからといって、私達に対して何の危害も加えていない桃川君を、怪しいからと一方的に排除することは、人として、同じクラスメイトとして、絶対に許されないことだわ」
改めて、涼子は語る。桃川小太郎との間にある確執は、最初に感情的となって責めた自分達の方に非はある。一度、否定的な見方になってしまえば、彼の一挙手一投足が怪しく思えて、不信は募る一方。
「あの決闘をする前に、私は言ったわよね。もし、桃川君に何も非がなかったら、どうするのって」
小太郎が小鳥の『真贋の眼』さえ欺いて洗脳の呪術を隠し持ってはいない、と証明することはできない。だがしかし、現実として小太郎の行動には怪しいことは一切なかったし、桜と口論することも、彼の立場を考えれば当然の言い分でもあった。
「どう言い訳しようとも、先に桃川君に危害を加えたのは明日那よ。転移魔法から突き飛ばすなんて、人殺しも同然の重罪。それだけは、よく理解してちょうだい」
明日那はただ、小太郎の背中を押しただけ。刃物で刺したわけでもない。しかし、その行動はいわば、電車のホームに向かって突き落とすことに等しい。
仲間とはぐれ、ただ一人取り残された小太郎がどれほど命の危険があるのか。それは、ここまでダンジョンを経験してきた者なら、誰でも分かる。
「それで、その重罪をどう償ってくれるのかな?」
ここからが話の本題とばかりに、芽衣子は委員長に向かって問いかけた。
「桃川君を、助けるしかないわ」
「どうやって?」
「それは……ダンジョンを進みましょう。転移してしまった以上、後戻りはできないから」
「探すつもりはないってこと?」
「向かう場所は同じなのだから、先に進むのが合流できる最も確実な方法のはずよ。アテもなく探し回るより、可能性は高いわ。それに、桃川君なら自分も進むのが一番だって、すぐに気づくはず」
小太郎は単独でダンジョン攻略するには、あまりにも心もとない能力である。しかし、かといって居場所を伝える手段もなく、近場の妖精広場に引き籠って救助を待つ、なんて希望の無い消極的な行動をとるとも思えない。結局のところ、小太郎だってダンジョンを進まなければ、生き残る希望はないのだから。
「……いいよ。でも、出来る限り、捜索は手伝ってもらうから」
「ええ、これからはダンジョンを探索する範囲も少し広げていきましょう」
攻略としては魔法陣が示す通りに真っ直ぐ進むのが一番だが、人を探すのなら多少なりとも広い範囲を見て回るしかない。本人を見つけられなくとも、何かしらの手がかりが残っている可能性もある。このダンジョンは複雑に入り組み、それでいて無数のエリアとルートが存在しているから、もし小太郎が同じエリアにいても、魔法陣は違うルートを指していることもあるのだ。
かといって、広大なエリアを延々と探し続けるのも時間を無駄にする。運よく、小太郎の方が先に進んでしまっていたら、合流できるチャンスを逃がしてしまうことにもなるし、ダンジョンを進むのは全員の目的でもあるのだから、これをおざなりにするわけにもいかないのだ。
「それで、剣崎さんには何もお咎めはナシってことにするの?」
「双葉さん、貴女の怒りはよく分かるけれど……でも、ダンジョンを進むにしても、探すにしても、明日那の力はきっと必要になるわ」
単純に人手としての意味もあるが、それ以上に、彼女の『双剣士』としての力は貴重な戦力だ。
「合理的なのは分かるよ、でも、それじゃああまりにも甘いんじゃないの? 人を殺そうとしたんだよ? 本当にそれで、いいと思っているの?」
「そ、それは……」
「それに私、剣崎さんのこと、信用なんてできないんだけど? こんな頭のおかしい殺人女を仲間に入れておくくらいなら、ここに置いて行った方がマシ。ううん、その方がいいよ。小太郎くんが助かったら、迎えに来てあげるから」
「なっ!?」
それでは、まるで人質ではないか。
しかし、芽衣子の提案もあながち理不尽とも言えないだろう。
剣崎明日那は桃川小太郎を、殺意を持って転移から弾き、遭難させた。小太郎の生死によらず、その行動は罪であり、罰が課せられなければならない。
芽衣子の提案は要するに、明日那をこの妖精広場という牢屋に入れておこうというものだ。その懲役は、小太郎が救助されるまで。そして、もし小太郎が死んでいれば、明日那の罪は殺人未遂から殺人へと確定し……無期懲役。実質の死刑である。
「待って、双葉さん! お願いだから、考え直して」
「小太郎くんを助けたいと思っているのは私だけ。本当はみんな、死んでもいい、死んでくれた方がいい……そう、思っているんでしょ? ねぇ、蒼真さん?」
「わ、私は、決してそのようなことは思いません!」
「でも、助けたいとも思わないでしょ? 面倒くさいし。それに、自分はもう蒼真君と出会えたんだから、他の人のことなんてどうでもいい」
「私はそんな身勝手なことを考えたりなどしません。だから、桃川君を助けることにも協力します」
「協力? あはは、協力だってさ、委員長。蒼真さん、今までの話、聞いてなかったのかなぁ」
乾いた笑いを浮かべる芽衣子に視線を向けられた涼子は、まさに蛇に睨まれた蛙の心境。蒼真桜の潔癖な性格を、涼子は恨んだ。
「協力、じゃなくてさぁ、義務でしょ?」
「え、ええ……その通りよ、双葉さん」
震える声で、涼子は同意を示す。
協力、とはつまるところ、善意による労力の提供であろう。明日那の罪を償うために、小太郎を助けよう。蒼真桜にとって、大切なのは友人である明日那。小太郎の命など、二の次、三の次。「クラスメイトの命が危ないから、助けにいかなくては!」ではなく「友達の悩みを解決するために協力してあげよう」という意識に近い。
人一人の命と友人の感情を天秤にかけている、ということを果たして蒼真桜は自覚しているのかどうか。涼子には分からない。だが、少なくとも蒼真桜の抱く正義感や友情が、双葉芽衣子にとっては単なる悪意でしかない、ということは分かる。
「でも、これで分かったでしょ、委員長。みんな、小太郎くんの命なんてどうでもいい……だからさ、剣崎さんの命でもかけとかないと、みんな、小太郎くんのこと真剣に探してくれないでしょ?」
今、ここで双葉芽衣子と戦えば、一体、何人死ぬだろうか。
『氷矢』で先制攻撃をしかけたら、ヘッドショットで仕留めることができるか……無理だ。芽衣子は『見切り』を持ってるし、魔物との戦いを見る限り、『見切り』に頼る以上の反応を見せている。ここで魔法を撃てば、悠々と回避され、次の瞬間には自分の首の骨がへし折られている未来しか予測できない。
そうなれば、あとは地獄だ。きっと、生き残れるのは蒼真悠斗だけだろう。『勇者』の悠斗なら、『狂戦士』さえ倒せるだろうが……その時には恐らく、他の仲間は皆、血の海に沈んでいるに違いない。
双葉芽衣子と敵対してはならない。
涼子は必死に、自分に言い聞かせる。諦めるな。まだ、希望はあると。
「お願い、双葉さん……私が、ちゃんとみんなに言い聞かせるから、だから……もうこれ以上、仲間の命をかけるようなことは、やめてください」
ついに、涼子の切れ長の目元から、涙が零れ落ちた。肩が震える。きっと、仲間の身の安全を懇願する、その声も震えていた。
「そう、委員長がそこまで言うなら、いいよ。この先、まだまだ魔物は沢山でてくるし、強いボスもいるだろうから、剣崎さんには働いてもらわないといけないもんね」
悲痛な姿の委員長をどこか冷めた目で見ながら、芽衣子は言った。
「でも、剣崎さんの命は、小太郎くんの命がないと保障しないってことは、ちゃんと自覚しておいてよね」
そうして、如月涼子の決死の説得によって、血の一滴も流さずに、狂戦士を治めることができた。
しかし、誰かの命を、また別の誰かの命で贖おうとする歪な契約は、ここに集ったメンバーの間に、どうしようもなく絶望的な深い亀裂を刻み込んだ。桃川小太郎への疑心暗鬼から始まり、恐怖の暴力装置と化した双葉芽衣子、そして、剣崎明日那がトラウマに負けて凶行に及んだ……それはまるで、呪いによって徐々に狂気で蝕まれていったかのような変遷。
「剣崎さん、委員長のお陰で命拾いしたね」
笑顔で言い放つ芽衣子の言葉に、明日那はついに肩を震わせてさめざめと泣き始めた。
「待っててね、小太郎くん。絶対に、私が助けてあげるから……」
大泣きにくれる可哀想な明日那へと、慰めの言葉をかける沢山の友人達を背景に、芽衣子は一人、桃川小太郎の救出を、固く心に誓った。