第66話 勇者参上
白い、光が瞬いた。
その強烈な白光は、嵐のように吹き荒れては、地の底に蠢く虫達をバラバラに吹き飛ばす。人間と同じくらいの大きさがあるポーン・アントだけど、群れごと一塊になってぶっ飛んでいる。光に焼かれ、切り裂かれ、脚や胴が千切れ飛び、灰のようにボロボロと崩れ落ちていく。
光の奔流はさらに荒れ狂い、巨大な輝く刃となって大地を抉りながら迸る。群れる蟻を切り裂き、さらに、その向こうにどっかりと構える灰色の砦、ルーク・スパイダーさえ、一刀両断して見せた。
一瞬の内に二体の蜘蛛は崩れ落ち、カマキリも蟻も、その数を半減させていた。信じられない火力。これぞまさしく、魔法の力と呼ぶべきか。
いや、違う――これが『勇者』の力だ。
「助けに来たぞ、桜」
揺れる黒髪の向こう、強い意思の光を瞳に宿した、美しくも逞しい少年は、白く輝く光の剣を携えて、そこに立っていた。
これが勇者。これが、蒼真悠斗。
白嶺学園が誇る、清く正しく美しい、最強の男子。誰もが認める、真に勇者の称号に相応しい男である。
「兄さん!」
「無事で良かった、桜。みんなも。けど、ここは危ない、早く逃げるんだ!」
叫ぶや否や、さらに光の剣を一閃。すると、刃がそのまま巨大化したように、あの白い光が竜巻のように吹き荒れる。
その輝く破壊力の前に、ポーン・アント如きでは成す術がない。群れる蟻と、ついでに夏川さんを襲っていたカマキリまで巻き込んで、一気に消し去って見せる。
「みんな、行きましょう! 悠斗君が退路を開いてくれたわ!」
委員長が言うまでもなく、みんなの動きは早かった。強いて言えば、僕がちょっと呆然として、動きが鈍かったくらいか。
けど、それもしょうがないだろう。蒼真君の力は、あまりに圧倒的だった。僕らが散々、苦労して戦ってきたのは何だったんだと思えるくらい。
あはは、馬鹿だな横道。ここに、本物のチートがいるぞ。
「行くぞ、小鳥!」
「うん、明日那ちゃん!」
拒絶の言葉で停止していた蟻とカマキリを一刀のもとに切り伏せ、剣崎さんが小鳥遊さんを迎えに来た。僕のことなど眼中にないように、彼女の小さな手を引いて、さっさと走り出す。
「小太郎くん!」
「僕は大丈夫、蟻を近寄らせないで」
僕のことを心配してくれるのは、メイちゃんだけか。涙が出るほどありがたい。でも、僕まで手を引かれて走らなきゃいけないほどではない。まだまだ蟻は沢山いるから、蒼真君が切り開いてくれた退路が埋まらないよう、メイちゃんにはあともう少しだけ頑張ってもらわないと。
「みんな、こっちだ!」
蒼真君が、さっきほど激しくはないけど、光の剣を振るい続け、群がる蟻を倒していく。彼の後ろには、最初に探した時には見つからなかった、大きな穴が開いていた。
なるほど、通路が埋まっていたのか。恐らく、蒼真君は閉ざされた通路側からやってきて、壁を壊してこの縦穴へと現れたんだ。
そんな、待望の出口へと向かって、僕は息を切らせて全力疾走して、どうにかこうにか、滑り込むことに成功した。
「僕で最後だから! 塞いで!」
「分かった、下がってくれ、桃川」
転がるように避けると、蒼真君は光の剣を構えた。すぐ向こうには、僕らを逃がすまいと蟻達が黒い津波となって押し寄せる光景が映る。
「ハアっ!」
気合いの声と共に、再び光の刃が一閃。迫りくる蟻ごと、縦穴と通路の境目を切り払えば――ガラガラ、と激しい崩落音と共に、大量の土砂が崩れ落ち通路を潰すように塞がれた。
「……はぁ」
そこで、ようやく僕は安堵の溜息を吐く。
「ああ、兄さん、良かった、本当に……」
「ごめんな、桜、心配をかけて」
「……はぁ」
次いで出てくるのは、呆れの溜息だった。蒼真兄妹、感動の再会、といった場面だが、僕にとっては割とどうでもいい。
「みんな、疲れているとは思うけど、すぐに移動しよう。この先に転移魔法陣がある。それで、この虫の洞窟から脱出するのが先決だ」
おお、と感動の声が上がる。誰もがこの、気持ちの悪い巨大昆虫の巣窟から逃れたくて仕方がない。
そうでなくても、蟻の能力をもってすれば、この程度の崩落なんてすぐにどかせて開通できるだろう。こんなところで、のんびりしている余裕はない。
疲れた体に活を入れて、僕らは蒼真君の先導で、洞窟を歩き始めた。
「――本当に、またみんなと合流できて良かった」
「それにしても、よく、私達の居場所が分かったわね」
「近くまで来れたのは、偶然だった。でも、ある程度まで近ければ、光の精霊が桜の居場所を教えてくれるんだ」
「えっ、兄さんも『光精霊召喚』を覚えたのですか?」
「うん、気づいたら、出来るようになってたよ。でも、桜のと違って、俺のはちょっと青いんだ」
ほら、と人差し指を立てると、その先に淡いブルーの燐光が灯る。ホタルのようにクルクルと飛び回ると、すぐに消えた。
「探知能力があるなんて、初めて知りました」
「同じ精霊を使える桜だから、分かったのかな。他の人は、上手く見分けがつかないみたいだ」
と、都合よくあの場に駆け付けられたカラクリを披露したところで、蒼真君は僕の方へと向き直った。
「ところで、桃川と、その隣の人は……」
蒼真君からすれば、妹をはじめ、他の面子ははぐれる前と一緒。新顔となるのは、僕とメイちゃんだけ。まぁ、挨拶は必要だよね。
「僕は『呪術師』。こっちは『狂戦士』の双葉さんだよ」
嘘偽りなく、自己紹介をする。小鳥遊さんが他人の天職とスキルを見抜く能力を持っている以上、すでにメイちゃんの天職を偽る必要性はない。
「天職の力で戦った影響なのか、凄く痩せたんだ」
「そ、そうなんだ……えっと、よろしくね」
若干、というか、かなり面食らった様子の蒼真君。
まぁ、ウチのクラスメイトが今のメイちゃんを見れば、誰でもこんな反応になるか。胡散臭いダイエット食品の広告でもお目にかからないような、劇的すぎるビフォーアフターだし。
「さっきは蒼真君のお蔭で、助かったよ。ありがとう」
学園一のイケメンたる蒼真君に対しても、メイちゃんは全く気恥ずかしさなど見せず、堂々とした心からの笑みで感謝の言葉を述べていた。戦闘に慣れたお蔭で、度胸もついているのだろうか。
あるいは、救世主の如き超カッコいいタイミングで救出に現れた蒼真君に惚れてしまったか。
女性というのは現実的な生き物だという。最弱呪術師な僕なんかより、遥かに頼りになる上にカッコいい勇者様に、速攻で気が向いてしまうのもおかしな話ではない。
今は何かと僕のことを気にかけてくれているけれど、その内、露骨に避けられるようになったりして……や、やめよう、これ以上考えたら鬱になりそうだ。
「あそこが、転移魔法陣の部屋だ」
どうやら、目的地に到着したようだ。蒼真君が示す先には、なるほど、洞窟は途切れて、再び石壁の遺跡ダンジョンへと戻ってくる形になっていた。
中へ入ると、ダイレクトに魔法陣部屋へと繋がっているようで、オルトロスのボス部屋で見たのと似たような、ぼんやり輝く魔法陣が床に刻み込まれていた。
「あっ、そういえば、ルーク・スパイダーからコアを回収していないわ」
「大丈夫だよ、委員長。この部屋の手前にいたボスを倒してきたから、ソイツのコアがある」
「流石ね、悠斗君」
「ケルベロスよりも弱かったから、大したボスじゃなかったさ。それより、早く転移してしまおう。これまでの構造と同じなら、飛んだ先は妖精広場になっているはずだ」
一刻も早く休息をとりたい僕らからすると、ありがたい提案である。ここは素直に、蒼真君のコアをゴチになろう。
みんなはすでに慣れたとばかりに、円形の魔法陣の中へと入る。最後に、ソフトボールみたいな大きさの赤い結晶、コアを手にした蒼真君が入った。
「それじゃあ、始めるよ」
コアはすぐにビカビカと光を放ち始めて、反応を示す。その激しい輝きに溶けるように、コアは少しずつ形を崩していく。それと同時に、魔法陣も明滅を繰り返す。その輝きが、視界全てを覆うほど激しく瞬いた瞬間に、転移は発動する。
この調子なら、もうあと十秒もしない内に、転移す――
「――わっ」
突如、体に衝撃が走る。押された。背中を、ドンと、強く。
間の抜けた声を上げると、もう、目の前には硬い石畳が迫っていて、僕は咄嗟に手を突き出して顔面を強打するのを防ぐだけで精々だった。
「痛っ!?」
ドっと全身に走る衝撃。前のめりに、地面に倒れ込んだ。僕はただ、黙って立っていただけなのに、どうして転んでいるんだろう?
そんなの決まってる。突き飛ばされたんだ――誰に?
「け、剣崎さん……」
振り返ると、両手を突き出したままの格好で固まっている、剣崎明日那の姿があった。その顔は、自分でも何をしたのか分からない、というほど、大きく目を見開いた、驚愕というか、呆然自失というか、そんな表情であった。
そして、それが僕の見た最後の光景となった。
「小太郎くん!?」
「ダメだ、双葉さん、今飛び出すのは危険だ!」
視界が真っ白い光で塗りつぶされた、その向こう。焦りで上ずったメイちゃんが僕を呼ぶ声と、それを止める蒼真君の声。
「あ、あっ――」
何か言葉を返す間もなく、静寂が訪れた。そして、視界も戻ってくる。
そこには、ただぼんやりと魔法陣が輝く、伽藍堂。
誰もいない。何もない。
「そ、そんな……」
つまり、僕は置き去りにされたのだった。