第64話 人殺しの覚悟は
横道一の襲撃を辛くも凌いだ僕らは、ルーク・スパイダーの縦穴を出発した。残念ながら、ここには転送用の魔法陣は見当たらなかった。もっとも、あったとしても蜘蛛のコアがないから起動できなかっただろうけど。
再び始まる洞窟の行軍。無言。誰もが、無言だった。
「……」
僕からすれば、言いたいことは山ほどある。結局、横道にトドメを刺し損ねたのは、誰も援護をしてくれなかったからであり、アイツを撃退したのも僕とメイちゃんの活躍が大きい。
ふざけんな、お前らヤル気あんのかよ。特に蒼真桜、お前はいつもいつも余計なことばかりしやがって……と、不満など言い出せばキリがないが、そんなことを正直に叫ぶほど、僕は馬鹿じゃない。
とりあえず、反省会は後回しだ。あんな危険な場所で、ダラダラと言い合っている場合じゃない。妖精広場についてから、今後の方針を話し合おう。
「あっ、そ、そんな……」
陰鬱な雰囲気で洞窟を歩き続ける中、先頭を行く夏川さんが何だか絶望的なニュアンスの言葉を発した。嫌な予感がする。
「うわっ、マジで……ここも、蜘蛛の巣なのかよ」
進んだ先にあったのは、横道と戦ったのと同じような、巨大な蜘蛛の巣が張られた縦穴であった。しかも、さっきのよりも二回りは広いような気がする。
「桃川君、このまま飛び込むのは、危険じゃないかしら」
「でも、ここを進むしかないんじゃない?」
「そうね……今から前の妖精広場に戻るというのも、現実的ではないし」
今の僕らに必要なのは、確実な休息のとれる妖精広場である。
というのも、横道との戦闘によって、僕らの戦力は半減している。夏川さん、剣崎さん、そしてメイちゃん、前衛組みは全員、横道の麻痺毒によって体の痺れがとれていない。僕の解毒薬で多少は緩和されているらしいけど、回復させるにはより効果的な薬か、時間が必要だ。
委員長も麻痺は受けているけど、魔法職だから影響は軽い。ついでに、僕も麻痺は受けているはずだけど……呪術師だからなのか、全く体に麻痺の影響が出ていない。毒無効、とかの隠しステータスがあったりするのだろうか。
あったとしても、とりあえず実際に毒を煽って確認しようとは思わないけど。
あとは、横道にタックルをかましたレムが半身を砕かれて消滅してしまった。僕にとっては貴重な駒を失ったことになる。次の妖精広場に着き次第、素材を集めて再召喚しなければ。
「それじゃあ、ここで一旦小休止して、それから覚悟を決めて突入、ということになるけど」
「ええ、そうしましょう」
他の人からも、反対意見は出なかった。かといって、賛成といった風でもないけど。
僕らは縦穴を目前にした洞窟で、そのまま腰を下ろして休憩に入る。勿論、いつ縦穴の方か後ろから、蟻やカマキリが襲来するか分からない。洞窟の前後に交代で見張りを置いて、順番に休むしかなかった。
正直、そんな体勢では休んだ気がまるでしない。安心して休息できないということが、これほど辛いとは。
「……小太郎くん、ごめんね」
最初の見張り当番を終えて、ぼっち状態だった僕の隣にメイちゃんが座り込むなり、そんなことを言った。
「どうして、謝るのさ」
「横道君を、逃がしちゃった。あと、もう少しでトドメを刺せたのに」
横道君、と当たり前にクラスメイトの名前を呼びつつも、殺し損ねたことを真面目に謝るとは、道徳心やら倫理観やらが狂いそうになる。
メイちゃんが悔いているのは、ただ、あのチャンスの時に、舌を掴み取ったせいで左腕が痺れてしまい、攻撃するまで余力が回らなかったという点に尽きる。左腕が使えれば、僕を飛びかかる横道から引っ張って助けるだけでなく、そのままハルバードを叩きこめたという。
「人殺しをせずに済んだんだから、アレが最善だったのかもしれないよ」
「ううん、横道君、また必ず小太郎くんを狙って襲ってくるよ」
どこか確信を持っているように、メイちゃんが断言する。否定したいところだけど、僕もそんな気がする。
「安全のために、あそこでトドメを刺すべきだった」
そう、何より、奴の『スキルイーター』は食えば食うほど強くなる。次に会った時は、間違いなく新たな能力を宿して、襲い掛かってくるに違いない。
今でもギリギリの勝負だったのだ。あれ以上、厄介な能力を身に着けてしまったら……ああ、くそ、今はそんなこと、考えたくもない。
「……メイちゃんはさ、躊躇したり、しなかったの?」
「何が?」
本気で、何を聞いているのか分からないというような顔。その意味を、あえて気づかないフリをして、僕はそのまま質問を捕捉することにした。
「人を殺すこと」
「しないよ。小太郎くんを守るためなら、私、クラスメイトだって殺せる」
その淀みのない解答に、安心感を覚えてしまう僕は、最低だろうか。
メイちゃんは狂戦士の影響なのか、人の道を平気で踏み外しそうな気配がする。きっと、横道との戦いだって、本気で殺すつもりでハルバードを振るっていた。
けれど、彼女が僕を守ると言ってくれるなら、殺人さえも厭わず敵と戦えるというのなら……人として、男として、そんなことは許されない、そう、蒼真桜のように綺麗事を言うべきだ。
でも、僕は嬉しかった。こんなに心強い味方はいないと。やっぱり、頼れるのはメイちゃんだけだと。そんな風に、自分を守ってくれる彼女の存在を喜んでしまった。
「そっか。ありがとう」
「うん、だから、気にしなくていいんだよ、小太郎くん」
ああ、見抜かれていたか。僕のくだらない葛藤なんて。
「ごめん」
「いいの。横道君は、もう長江さんを殺している。殺人鬼、じゃなくて、食人鬼、だっけ? だから、もう人間じゃない。ゴーマと同じように、倒さなきゃいけない敵だから」
「そう、だよね」
横道は化け物だ。人を喰らい、血をすする化け物。一体、どんな邪神が『食人鬼』なんて天職を授けたのか知らないが、横道には最早、人間らしい理性がないのは明白だ。
あんなモンスターを前に、道徳や倫理に悩んでいれば、あっけなく殺されるだけ。
そうと分かっていても、簡単に割り切れないのが人間ってものか。
「大丈夫……僕だって、槍を刺せたんだ。迷いはなかった。だから、もし次があるのなら、僕も一緒に、やるよ」
「うん、ありがとう、小太郎くん」
終わってみれば、悩みもする。蒼真桜の言うことは正しかったのでは、と考えもする。本当に、僕なんかが人を殺せるのか。人を殺すことに、耐えられるのか。分からない。
けれど、殺人という罪の十字架があるのならば、それをメイちゃん一人に押し付けようとは思わなかった。せめて、一緒に背負おう。
それだけは、こんな僕でも、はっきりと決意できるのだった。