第62話 牙を剥く食人鬼(1)
「ちょ、ちょっと、小鳥!?」
とうとう我慢の限界か。恐怖の表情で泣き叫びながら、近くにいた委員長に抱き着く小鳥遊さんを見て、そう直感する。
まずい。これは交渉決裂か……いや、まだだ。どんなに嫌だろうが、ここは小鳥遊さんをはじめ女子達には我慢してもらうよう説得しなければ――
「逃げて! みんな、早く逃げて! 小鳥達も、食べられちゃうよっ!」
「……えっ?」
一瞬、思考が固まる――けど、小鳥遊さんが叫んだ言葉の意味を、僕はすぐに察した。察してしまった、というべきか。
横道一は『スキルイーター』を持っている。ルーク・スパイダーの糸を吐いたこと、かつ、その肉を喰らったと明言したこと。この二つから、自然と『スキルイーター』は倒した魔物を食べることで、能力を奪う効果であると導き出される。
ありがちな能力だ。そのテの能力で主人公が最弱から成り上がっていく作品を、僕は幾つも見たことがある。最初はゴブリンとかスライムとか、角の生えたウサギとかを偶然倒して、そこから能力を獲得して成長していくというワケだ。
でも、僕は失念していた。食べてスキルを奪う対象は、やられ役の魔物だけなのか? その疑問の答えを。
「教えて、小鳥! 横道一の天職を!」
蒼真桜が叫んでいた。僕が何か言う暇もなく、小鳥遊さんは即答していた。
「『食人鬼』だよ! もう、長江さんを食べてるのっ!」
彼女の答えを聞いて、僕はきっと、名前の知れないクラスメイトの女子を喰らっていたゴーマを見た時よりも、戦慄を覚えていた。
ゴーマは見た目通りの醜悪な魔物だ。人間ではない化け物。ならばこそ、人間を餌として喰らうのも、おかしくはない。
だが、人間が人間を喰らうというのは――
「『光矢』っ!」
気が付けば、光の矢が横道のすぐ足元に突き刺さっていた。
「横道君、これは警告です。私達も人殺しはしたくはありません。大人しく立ち去ってください。そして、二度と私達の前に現れないで」
「……はぁ?」
呆れたような横道の返事。悔しいけど、僕も同感だった。
蒼真桜の警告。その意味と意図が分からないほど、僕は鈍くはない。
小鳥遊さんは、恐らく僕には秘密にしていた相手の天職や能力を盗み見るスキルによって、横道のステータスを見た。そんな秘密の賢者スキルがあったことも驚きだが、今は置いておく。
そして、長江さん、というと、僕と同じ文芸部員の女子生徒、長江有希子であろう。彼女を『食べた』、つまり、殺して捕食した、という情報を知った。
いくらなんでも、人を殺してその肉を食べる、マジモノの猟奇殺人鬼を、仲間に引き入れるワケにはいかない。僕としても、この事実を知った以上は……いや、もし勘違いであったとしても、僅かにそういう可能性がある、というだけで、横道と手を組むことはキッパリ断念しよう。
けど、その言い方はないだろう、蒼真桜。
「なに、なんなのその態度? 折角、この俺が守ってやるっていうのにさぁ」
「貴方のような殺人鬼と交わす言葉など、これ以上はありません。さぁ、早く立ち去りなさい。さもなければ――」
勝手なことを言いやがって、と、横道じゃなくても思う。どうしてお前は、そこまで高圧的な物言いができるのか。完全に横道を舐めている、いや、勘違いしているというべきか。
要するに、蒼真桜は横道を自分達が一方的に追い返せるような、取るに足らない存在だと認識している。
ああ、ちくしょう、馬鹿野郎。どうして僕がここまでへりくだって横道と話していたのか、この女はまるで分かっちゃいない。
僕は確信している。この『食人鬼』横道一と戦うのは、こちらも犠牲者を出すほど危険だと。だからこそ、戦う道を選ぶなら、警告なんて余裕ぶったことなどせず、奇襲のように一発で始末するべきだった。
蒼真桜の勝手な警告行動によって、僕は貴重な先制攻撃の機会を失ってしまった。
「――うるっせぇんだよ、このビッチがぁ! 有希子みたいに大人しくしてりゃあ、俺のハーレムメンバーとして可愛がってやろうと思ってたのによぉ!」
案の定、横道は激高した。完全にキレている。交渉決裂というのは、一目で明らか。
覚悟を決めよう。もう、後戻りはできない。
「やれっ! メイちゃん!」
叫ぶと同時に、突風が吹く。
いや、風じゃない。ハルバードを振り上げて飛び出す、メイちゃんがすぐ傍を通っただけ。
「『黒髪縛り』っ!」
蜘蛛糸に縛られたお返しとばかりに、横道へ最大本数での黒髪触手をけしかける。
ヤツは僕の能力を知らない。そして、メイちゃんの強さも。触手拘束からの狂戦士の一撃、そう簡単に捌けるものじゃないはず。
僅かながらの罪悪感はある。横道というクラスメイトの人間を殺すという、殺人に対するものではない。メイちゃんにそれを押し付けてしまうことにだ。
まぁ、いくらメイちゃんでも何の躊躇もなく殺人はできないだろう。恐らく、利き腕の一本でも切り飛ばすつもりで、ハルバードを振り下ろしているに違いない。
そのはずだ。どう見ても脳天目がけて振り下ろされているけど……ヤバい、横道、死んだか?
「――とぉっ!? 危ねぇじゃねぇかオイ! 桃川ぁ、このヤローテメェ、いきなり裏切りかコノヤローっ!?」
横道は僕が目に見えないほどの早業で、背負った大剣を抜き放ち、脳天直撃コースの刃を見事に受け止めていた。ちいっ、すでに戦闘に気が向いていたお蔭か、横道の反応は早い。
けれど、それ以上に驚くべきなのは……何だ、あの腕は。肘の辺りから、刃が生えている。見覚えのある刃は、間違いない、アレはナイト・マンティスの鎌だ。コイツで僕の黒髪を一息で切り裂き、自由になった両手で剣を握りメイちゃんの一撃を防いだのだ。
なるほど、コレがスキルイーターの力か。成長チートのスキルマスターっていうより、ただの化け物じゃないかよ。
「桃川君、双葉さん! なんてことを、人を殺すつもりですかっ!」
「黙れ、このバカ女! 戦うしかなくなったのは、お前のせいだろう――『逆舞い胡蝶』っ!」
信じがたいごとに、罪の十字架を背負う覚悟で先陣を切ってやった僕とメイちゃんを罵倒する蒼真桜に、思わず怒鳴り返しながら、イマイチ効果の怪しい新呪術である毒の蝶を飛ばす。
すでに、メイちゃんと横道は切り合いに突入している。カマキリブレードは邪魔なのか、いつのまにか肘から消え去っていた。
それにしても、真正面からメイちゃんと斬り合えるということは、それなりの剣術スキルもヤツは持っているということ。ええい、厄介なキモブタめ。
でも、その隙に僕はレムを呼び寄せて、ヤツに吐きかけられた蜘蛛糸の拘束をナイフで切ってもらう。とりあえず、体の自由は戻った。
「がっ、ぐっ、クソっ、マジで殺る気かよテメぇら! そういうつもりなら、しょうがねぇ、ヤってやんよ、クソ女ども」
剣戟の最中にありながら、横道はこれまでで最高にいやらしい笑みを浮かべた。男の僕でもゾっとするほどの、醜い笑顔。
殺すしかない。そう思った。
「全員、横道を攻撃しろ! 委員長、指揮をとって!」
「涼子! 人殺しなんて絶対にダメです!」
「ここでコイツを殺せなきゃ、犯されて殺されて食われるんだぞ、分かってんのかよ、お前らぁーっ!」
「ぶひゃはははっ! 安心しろよ桃川ぁ、俺は紳士だからビッチが相手でも優しく食ってやるからよぉ! そぉい、アイスブレスっ!」
僕らの馬鹿らしい言い合いに勝手なツッコミを入れた横道は、口から真っ白い息を大量に吐き出した。
「――くっ!?」
メイちゃんの反応は素早い。唐突に放たれた『アイスブレス』という、名前と見た目からして氷魔法の『氷結放射』らしい白いブレスの直撃を避けるように、ギリギリで後ずさっていた。でも、僕の放った毒蝶達は一瞬で吹き飛ばされてしまう。
横道はそのまま、アイスブレスを吐き出し続け――なんだ、あっという間に霧になった!?
「メイちゃん、下がって! みんなも離れすぎないで!」
冷たい真っ白い霧が、どんどん周囲に立ち込めていく。気が付けば、ブレスを吐きまくっていた横道の姿も、白い霧のカーテンの向こう側に消えてしまった。
まずい、視界を塞がれた。
向こうも、こちらが見えていないのだろうか。それとも、完全に見通すスキルを持っているのか。
「み、みんな、こうなったら戦うしかないわ! 武器を構えて!」
「でも、涼子!」
「殺すかどうかは、今は考えないで。とにかく、自分の身を守ることだけに集中しましょう」
「……仕方ありませんね」
「わ、分かったよ、涼子ちゃん!」
「了解した」
「ふぇえええ、怖い、怖いよぅ……」
委員長がようやく再起動してくれたお蔭で、ひとまず、全員が戦闘態勢に移行している。
「委員長、陣形を変えよう。どの方向にも対応できるように、円形で」
「えっ、あ、そうね……小鳥を中心にして、私と桜と桃川君で囲んで、私の前に美波、桜は明日那、桃川君には双葉さんがついてちょうだい。どこから攻撃が飛んでくるか分からないわ、油断しないで!」
円形というより、三角形の陣形が完成する。小鳥遊さんを中心において、僕を含めた後衛三人組が背中に庇うように立ち、さらにその前にコンビとなる前衛が立ちはだかる。この人数と天職とで可能な、全方位対応の陣形だ。
それにしても、決して迅速とはいえない陣形変更だったけれど、その隙をついて横道が襲ってこなかったのは、舐めているのか。
「桃川君、ここから脱出はできないかしら」
「入り口はそう遠くないはずだけど……この視界じゃあ、探すのに手間取りすぎる。それに、あの蜘蛛糸で塞がれているかもしれない」
恐らく、横道が僕らを即座に襲わなかったのは、このためだろう。自分で言ってて、正解だと思った。
「それより、小鳥遊さん!」
「ひゃいっ!?」
「横道の能力で、他に分かることはない?」
ほとんど視界ゼロでも、僕はレムと並んで槍を構え、目を凝らして前方を凝視する。すぐ後ろでは、えっと、あっと、と、しどろどもどろな小鳥遊さんの気配が感じられた。そういうのいいから、早く教えてよ。
「あ、あのね、見えてないと、見えないから……沢山あって、よく、覚えてないの」
相手の姿が見えていないと、天職名や能力などのステータスは見えない、ということだろうか。
「何か覚えてないの?」
「えっと、氷の魔法が……長江さんのモノだった、とかぁ」
「――その通り! いやぁ、小鳥ちゃん、マジで俺のステ見えてるんだ」
霧の向こうから、横道の声が届く。方向は判然としない。でも、こっちの会話を聞ける程度の距離にはいるようだ。
「有希子は『氷魔術士』だったんだよね。臆病で気弱な有希子らしくてさぁ、折角、『氷矢』とかの攻撃魔法あるのに、怖くてモンスと戦えなかったんだってよ。だから、この『氷霧』で姿を隠して、敵はやり過ごしてきたんだってさぁ。そういうとこ、マジで女の子らしくて可愛い――」
「――そこだっ!」
裂帛の気合いと共に、剣崎さんは大きく一歩を踏込み、二刀を振るった。
見れば、横道らしき人影が切り裂かれていたが……何だ、幻影なのか。すぐに色を失って崩れて行き、漂う霧と同化してしまった。
「ぶふふ、コレ、『幻影氷像』。どう、俺だと思った?」
ちいっ、と不機嫌そうに舌打ちをしながら、剣崎さんが元の立ち位置に戻る。
「霧の中で幻影を作れるみたいだ」
「あぁん、このスキルを使うと、有希子の温もりを感じるナリィ」
どこかで聞いたような言い回しを聞きながら、僕の視界にも一つ、二つ、と横道らしき太い人影が見え始めた。薄く霧がかかってぼんやりとしか見えないが……ちくしょう、これは本物と区別がつかないな。
「ね、ねぇ、これ、どれが本物なのかな」
「落ち着け、美波。襲ってくる時は、大きく動きがあるはずだ」
「――そうとも限らないんだな、それが」
ヒュン、という軽い風切音が耳に届く。何故か、聞き覚えがある気がした。
「痛っ!?」
と、悲鳴をあげたのは夏川さんだった。慌てて振り向き見れば、彼女はナイフを握りながらも、頬を手で押さえていた。
「美波、大丈夫なの!?」
「う、うん、大したことない、かすり傷だから――っ!?」
一筋の血が頬を伝っている。確かにかすり傷。蒼真桜の治癒魔法なら一瞬で治るレベル。だというのに、夏川さんの顔面は一瞬の内に青ざめた。
「やだ、なにコレ……ベタベタして、く、臭い……」
よく見れば、血に混じってドロリとした透明な粘液が付着しているのが分かった。
「うーん、美味しい、美味しいよ美波ちゃん! 有希子とはまた違った味わい……流石は陸上部のスーパーエース。生命力と躍動感に溢れた、ワイルドながらも女の子らしいマイルドな血の味がするよ!」
「……舌だ」
僕は霧の向こうで、舌なめずりする横道の姿を幻視した。