第60話 蝶々
うわ、マジですか、神様によるありがたーい新能力授与のお時間ですか。と、いつもの暗黒空間にいることに気づいた瞬間、理解する。
「新たな加護を授ける」
「はい、ありがとうございます、ルインヒルデ様!」
だから痛いのは勘弁してください! 毎度恒例の懇願である。
「混沌とは、原初のうねりのみを意味するわけではない」
あ、また何だかよくわからない神様説法が始まったよ。正直、この加護授与のタイミングで意味深なことを語られても、僕としては痛いかどうかで気が気じゃないから、ほとんど頭に入って来ないんだよね。
いやでも、出来るだけ頑張って聞こうとはしてますよ。その姿勢は評価してはもらえないでしょうか。
「人が二人集わば、敵か味方となる。三人寄らば、さらに中庸か、あるいは蝙蝠となる。さらに増えれば、思惑は入り乱れる。すなわち、混沌である」
ルインヒルデ様は混沌の概念について滔々と語りながら、大きく両手を広げた。すると、どこからともなく光が灯る。四方八方、全方位から桜吹雪のように舞い踊る。
赤、青、黄、緑。色とりどりの光点が明滅して――いや、違う。それは蝶。黒アゲハみたいな黒い縁取りの羽に、それぞれの色を輝かせながら羽ばたいている。何百、何千もの光る蝶が乱舞する様は、なるほど、如何にも神の奇跡に相応しい幻想的な光景だ。
「我が信徒、桃川小太郎。そなたはまだ人の身であるが故、まずはとっくりと混沌に沈むがよい。我を失い入り混じり、流されることがなければ……ふむ、ひとまずは上出来であろう」
「は、はぁ……って、ぶわぁっ!?」
多分、物凄くありがたいのであろう神のお言葉を理解するべく考え始めた時点で、闇を舞う蝶が一斉に僕へ殺到する。ば、馬鹿野郎、僕は美味しい蜜を出す花じゃないっての、見れば分かるだろう!
「わっ、うわっ、ふわぁああああああああああああ――」
蝶の嵐に飲み込まれて、僕は神様時空からログアウトした。
『逆舞い胡蝶』:薬を触媒に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る。
という新たな呪術を授かってから、僕が晴れてサブリーダーに就任した新生『最悪ハーレムパーティ』は、ダンジョン攻略を再開した。
当然のことながら、メンバー間の雰囲気は悪い。皆、表面上は何てことはないすまし顔でいるけれど、常に一触即発のヤバい気配が漂っているのを感じ取れない者はいないだろう。
それでも、道行そのものは順調だった。ひとまずは、僕も認めるリーダーとして、委員長が責任をもって指揮をとり、戦闘での連携がそれなりに上手く機能するようになったからだ。ちょっとその判断はどうなの、と思うことは何度かあったけど、大した問題ではないから、口は一切出さなかった。
委員長の仕切りで無事に戦い抜けるなら、それに越したことはない。僕が口出しする時は、自分の身が脅かされるヤバい敵と遭遇した時だけでいい。
そう、例えば、あの強敵のカマキリ――魔法陣情報の更新によって『ナイト・マンティス』という正式名称が判明した、ソイツが二体同時に出現した時だとか。
「委員長、メイちゃんを前に出す」
「でも、後ろは――」
「沼を張った後に氷で塞いで。カマキリ二体は全力で当たらないと、そのまま押し切られる危険性が高い」
「小太郎くん、大丈夫?」
「支道は何百メートルも前に通過してきた。後ろから蟻が来ても、沼と氷で時間は稼げる。その間にカマキリを片方だけでも仕留めれば、あとは楽勝だから」
「分かった、じゃあ、行ってくるね!」
晴れやかな笑顔を残して、メイちゃんは疾風となって前衛へ向かっていった。
現在、僕らの基本的な陣形は、前衛に剣崎・夏川、中衛に委員長と蒼真桜、後衛に僕と小鳥遊、そしてメイちゃんを置いている。以前との変更点としては、委員長・蒼真桜の魔術士コンビをはっきり中衛として一段階前に出したこと。そして、前衛からメイちゃんを後衛に下げて、後ろの守備を固めたことだ。
この変更はどっちも、出発前に僕が言い出したことだ。委員長は理由を二つ三つ質問してきただけで、それに僕が答えればすぐに納得してくれた。
前衛からメイちゃんを抜くのは不安が大きかったが、ダンジョンである以上、いつでも挟撃の危険性はある。どっちみち、後ろを固める必要性はあった。ついでに、剣崎さんとメイちゃんの関係を考慮すると……とりあえず、剣崎さんは夏川さんとだけのコンビの方が、戦いに集中できる。彼女の双剣士としての能力を最大限に引き出すための、配慮でもあった。
「『腐り沼』――っと。カマキリは剣崎さんと夏川さんで片方、委員長と蒼真さんはそれを全力で援護してあげて。もう片方は僕とメイちゃんで止める」
「二人だけで大丈夫なの?」
「足止めするなら何とかなる。その間に、早くカマキリを倒しちゃって!」
「……そんなの、言われなくても」
「了解だよ!」
あからさまに忌々しげな蒼真桜と、とりあえずは真面目な返事をくれる夏川さん。剣崎さんからの返事はないが、作戦は伝わってるだろう。
「そういうことだから、剣崎さん、なるべく早くお願いね?」
「む、無論だ……私に、任せておけ……」
カマキリ二体との接敵前に、どうにか前衛に加わったメイちゃんが、微笑みながら剣崎さんに言うと、彼女は震える声で答えていた。うん、やっぱり、剣崎さんとメイちゃんを一人の敵を相手に連携させるのは、しばらくは無理そう。
そうでなくても、お互いの人間関係と信頼関係を思えば、僕とメイちゃん、そして蒼真チームとで役割分担した方が断然、動きが良いのは間違いない。
「――みんな、来るよっ!」
天職『盗賊』の優れた聴覚によって、洞窟を飛ぶ二体分のカマキリの羽音をきっちり聞き取った夏川さんが、いよいよ敵が目の前に現れることを伝えてくれる。彼女の察知能力があるから、僕が悠長に指示を出しては説明する時間も稼げるってものだ。
さて、あとは戦うだけ。今のみんなの実力なら、カマキリ二体同時でも上手く捌けるはず。折角だから、ここで新たな呪術の力も試してみよう。
「『光矢』」
「『氷矢』」
カーブの先から予想通りに現れた二体のカマキリに向かって、まずは中衛の魔術士コンビから魔法の先制攻撃。二人はそれぞれ別の相手を狙う、なんて間抜けなことはなく、きちんと片方、右側のカマキリ、コイツをカマキリAと呼称しよう。ソイツに光と氷の矢は同時に殺到した。
けれど、敵もさる者。鋭い両手の鎌を俊敏に翻しては、二発の攻撃を弾いてみせた。
防がれはしたものの、これで剣崎さんと夏川さんも、どっちを狙うか理解できただろう。四人にAを任せて、僕とメイちゃんはカマキリBの封じ込めにあたる。
「『赤き熱病』、『黒髪縛り』っ!」
一応、AB双方に『赤き熱病』をかけておいてから、僕はBにお馴染みの触手を伸ばす。
「――シャアッ!」
鋭い鳴き声と共に、四本の足元に向かう三つ編みの触手は、大鎌の一閃によってあっけなく刈り取られる。でも、メイちゃんくらいの実力者になると、こんな程度でも十分な援護となるのだ。
「はあっ!」
気合いの声と共に繰り出された『剛鉄のハルバード』による一撃。カマキリは素早く引き戻した鎌で、大振りの斧刃を受け止める。
止めた。けれど、僅かながらカマキリがそのまま押し戻されていた。
「うわっ、メイちゃん凄ぇ……」
魔物をパワーで押すとは。メイちゃん、実は敵を倒すたびに経験値が入って、密かにレベルアップとかしてるんじゃないだろうか。
順当にステータスが伸びているとしか思えないメイちゃんの力は羨ましいことこの上ないが、僕は自分のやることに集中しよう。どうせ、僕は呪術師。せいぜい、戦う敵の嫌がらせくらいしかできないのだから。
「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――」
脳裏に刻まれた呪文の詠唱をしつつ、僕はこれまで作ったはいいが全く出番のなかった解毒薬を取り出す。いつもの傷薬Aは白花とニセタンポポと妖精胡桃の葉を少々混ぜたモノ。こっちの解毒薬は、青い花をベースに、あとはニセタンポポと妖精胡桃の葉は同じ比率で配合したモノだ。
果たして、この解毒薬がどんな毒に対して効果があるのかは、ざっくりとした説明しかくれない『直感薬学』のせいで僕もよく分かっていない。でも、何かしらの解毒効果が宿っていることには、疑いようもない。
つまり、『薬を触媒に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る』という能力の新呪術でこの解毒薬を触媒として用いれば、本来の薬で治るような毒性を持った蝶を作り出せるのだ。
「――『逆舞い胡蝶』」
掌に盛ったペースト状の解毒薬は、次の瞬間には青い輝きを放つ黒アゲハへと姿を変えて、僕の手からヒラリと舞う。薬の量に応じて数が変化するのか。青い毒の胡蝶は十匹目が飛び立った時点で、解毒薬は綺麗さっぱり手の中から消失した。
「よし、行けぇ!」
レムに命令するのと同じ感覚で指示を出せば、毒蝶は僕の思い描いた通りにターゲットへ向かって飛翔する。ヒラヒラと優雅に飛ぶ蝶は決して速くはないが、縦横無尽に空を飛べるというだけで、命中させるには十分な機動力であった。
目標たるカマキリBは、メイちゃんと壮絶な切り合いの真っ最中。青い光を放つ蝶の姿は、そのデカい眼でとっくに捕捉しているだろうけど、まるで脅威と感じていないのか、避けるどころか振り払う素振りも見せなかった。
万が一にもメイちゃんにヒットしたりしないよう、背面に回り込ませて――命中。
蝶がカマキリの背にとまったその瞬間、自らが呪術という魔法であることを思い出したかのように、青い燐光となって弾け飛んだ。キラキラと散る青白い輝き、それこそが、毒を宿した鱗粉なのであろう。
「ちっ、やっぱり即効性はないか」
全弾命中。しかし、カマキリBにこれといって変化は見られない。
「ダメだな、これならやっぱり黒髪で縛った方が――」
「そんなことないよ。このカマキリ、さっきより力が弱まってる!」
やぁ! という勇ましい声と共に繰り出されたハルバードの一撃は、初撃の時よりも、さらに大きくカマキリを押し返していた。
「それに、反応も――鈍いっ!」
鋭い追撃。下からすくい上げるような一閃は、見事、右腕の鎌を根元から切り飛ばした。
両手の鎌が二本揃って、ようやくメイちゃんと切り合える腕前のカマキリだ。片方でも失えば、もう、勝負にはならない。
「だから、小太郎くんの毒はちゃんと効いてるよ。ありがとう、凄く助かったよ」
右腕をぶった斬った返す刀で、左前足を切り落とし、そこから体勢を崩したカマキリをダルマ落としみたいに下から順々に切り飛ばして、緑の血の海に沈んだバラバラ死体を背景に、メイちゃんはニコニコ笑顔で僕の毒蝶援護を讃えてくれた。
正直、まるで褒められている気がしない。どう考えも、ちょっぴり弱体化させた僕よりも、それを一方的に斬り刻んだメイちゃんの方が凄いでしょ。
というか、蒼真チームはまだカマキリと戦ってるんですけど……
「ふぅ、何とか倒したわね」
メイちゃんに遅れること三十秒、光と氷の矢で蜂の巣にされ、二刀流使い二人に滅多斬りにされて、カマキリAは倒れた。
剣崎さんはカマキリを先んじて倒してしまったメイちゃんを、どこか怯えたような目でチラチラと見ていた。
僕の薬と蒼真桜の治癒魔法によって、ひとまずはフルボッコされた顔面の負傷は治っている。彼女が目を覚ました後、委員長が中心となって事情説明をした。剣崎さんは今までの強気が嘘だったみたいに、一言の文句もなく大人しく従った。
そんな剣崎さんの様子に、誰も、メイちゃんも、何も言わなかった。触れられなかった、と言うべきか。
たぶん、みんな察しているのだろう。剣崎明日那、彼女の誇り高き刃のような心は、狂戦士の圧倒的な暴力の前に、へし折られてしまったのだと。
今や剣崎さんは、メイちゃんの言うことは勿論、僕の指示だって聞く。以前では考えられない対応だ。果たしてそれを、進歩と呼ぶべきか、退化というべきか……どっちにしろ、僕にとっては都合がいい。
これで、表だって僕にケチをつけてくるヤツは、蒼真桜ただ一人。
いっそのこと、メイちゃんにボコってもらった方が楽なんじゃないのか……なんて邪悪な考えが浮かぶが、僕はそこまで後先考えない馬鹿ではない。今後、蒼真悠斗が合流したら一巻のお終いである。あまりにもストレートに悪いことをすれば、僕に未来はないだろう。