第487話 解放派(1)
奴隷。
それは僕らの地球でも、この異世界でも、同様に存在する、人類の生み出した忌むべき制度だ。同じ人間を人ではなく物として扱い、そこに人権は存在しない。
そもそも人権、という概念があるから、人権が無ければ人間扱いしなくて良い、という逆説もありえるのでは無いだろうか。事実、ゲームによくある人権キャラだの人権装備だの言われるように、人権というのは普遍的に与えられるべきモノ、という本来の在り方から逸れて、単なる差別的な格差を浮き彫りにする言葉に成り下がったりもしているワケで。
ともかく、歴史を遡ればイギリスの大憲章から、人権に関する思想について学ぶべきことは沢山あるけれど――――残念ながら、ここは異世界であり、剣と魔法のファンタジックな存在もあるが、理不尽な死と暴力もまた同時に吹き荒れる、シビアな現実でもあるのだ。
いまだ奴隷が当たり前のように存在しているこの世界では、人権思想が普及するのはどれだけかかることか。そして今の僕には、革新的な思想家が現れて、歴史に名を遺す大活躍をするのを待っている暇はない。
「アストリアにいる全てのディアナ人を解放する」
ニューホープ農園で、僕はそう宣言した。
そうしなければ、ただ農園にいるディアナ人達を救済するだけで終わってしまうからだ。彼らが今も実質賃金0でも精力的に働いてくれているのは、自分だけでなくアストリアに囚われた数多くの同胞を救うため、という大義があるからこそ。
そして御子である僕には、その夢物語のような大義を果たすだけの力があると彼らは信じているのだ。
「全く、僕にはそんな大層な正義なんて無いっていうのに」
奴隷解放は、僕の目的にも必要だからやっているに過ぎない。そりゃあ、リザ筆頭に、すでに多くのディアナ人と交流を重ねた僕としては、奴隷制度など一日でも早く廃止して、救済されて欲しいと素直に思える程度の気持ちはある。
そう、ただの気持ちとしてはその程度。精々、恵まれない人々のために小銭募金するくらいの同情に過ぎない。僕が奴隷解放を成し遂げる救世主になるんだ! と大言壮語するほどの覚悟を、お気持ちだけで固められているワケではない。
だが必要だからやると決めた。
そのために、首都シグルーンへと先乗りした分身で、ここにやって来たのだから。
「ここが『解放派』の本拠地か」
現在、アストリアにおいて最も奴隷解放の活動を行っているのは、我らがニューホープ農園ではなく、『解放派』と呼ばれる団体だ。
正確には『自由解放党』という名の政党である。
ここでアストリアの国政の話になるのだが、この国は貴族制と民主制が入り混じった独特の体制となっている。この貴族と民衆に加えて、パンドラ聖教という国教も絡んで来るので、かなり複雑な関係性だ。
なので高校生に過ぎない僕でも分かるように大雑把に整理すると、アストリアには貴族だけで構成する『貴族院』と貴族以外の身分から成る『衆議院』があり、両院の力は今のところ拮抗状態といった安定を保っている、くらいの理解度となる。
元々、アストリアは王様が治めるよくある封建制だったようだけれど、シグルーン大迷宮を女勇者リリスが完全攻略し、その力で国の礎が固まって来ると、どうやら従来の王政だけでは対応しきれなくなっていったらしい。ダンジョンに潜って成果を上げる冒険者の活躍から始まり、多くの冒険者をまとめ上げて莫大な利益を生み出す企業が台頭し、その豊富な資金力と冒険者自身の戦力により、政治にも影響力を持つほどとなってきた。
大活躍を果たした英雄的な冒険者を貴族にすることもあったようだが、アストリアはダンジョンの国。ダンジョン攻略を通じて名を上げる者、利益を上げる者は次々と現れてくる。その全てに貴族位を授けるワケにはいかなくなるのは当然だろう。
そうして貴族にならずとも、大きな資金力を持ついわゆる資本家が数多く出てきたことで、王政の限界が見え……民衆による革命が起こる前に、衆議院を設立して国政に参加させる体制へと、徐々に移行していったようだ。
なので現在のアストリアにおいて貴族は、その領地における全ての権利を有する本来の在り方ではなく、知事や市長といったその地の行政官長としての役割に権利が縮小されている。
従来通りに己の領地で強い権力を持っているのは、大貴族と呼ばれる極一部くらい。
日本の知事・市長と比べれば遥かに多くの権限を持っているが、それでも民衆の支持を失えば失脚もあり得るので、お山の大将でそうそう圧政を敷くこともできない。
貴族としての力は減ったが、お陰でアストリア軍と警察によって治安維持は全国どこも一定水準が保たれ、インフラ整備なんかの面でも、全国的な整備計画によって格差が埋められると、国民からすればメリットは多いだろう。
貴族制まんまだったら、有能貴族の領地は栄え、無能領地は衰退し、と格差が激しくなる一方だし、そもそも国民ではなく領民という意識の方が強くなって、国としての結束も弱くなる。
アストリアはアメリカみたいに、移民元となった本国からの独立戦争なんかも経験しているから、貴族がそれぞれ好き勝手するより、一つの国として一致団結する必要性に迫られたことも、アストリアという国にまとまりができた大きな要因かもしれない。
貴族と衆議の両院制度なんて初めて聞いた時は、こんなん上手くいくのか……と思ったが、なんだかんだでアストリアはこれで上手く回っているようだった。だって歴史的には、貴族階級だけで形成している院は大体無くなってる印象だ。明治の貴族院とか速攻で消えたなって覚えしか無いよ。
「ふーん、衆議院にちょこっと議席持ってるだけの木端政党にしては、随分と立派な門構えじゃあないか」
僕の前に聳え立つのは、白い石造りの、高級マンションみたいな建物。ビルだけでなく、高い塀で囲われた敷地面積も結構なもので、倉庫なのか兵舎なのか、平屋の建物なんかも幾つか抱えているようだ。
ここに『自由解放党』の党本部があり、他には党を支援する企業や他の団体なんかも、まとめて入っているという。
「おおー、ディアナ人の警備兵なんてウチ以外で初めて見たよ」
流石は奴隷解放を謳う政党だ。鎧を纏ったディアナ人の警備兵が、しっかりと各所に配置されている。
その身を守る鎧こそそれなりだが、手にしている武器はメイスや長い棍など、刃のついていない近接武器ばかり。ブラスターの一丁さえ、ディアナ人警備兵は持っていない。
「シグルーンでやってくには、この辺が限界ってことかな」
流れ弾の危険性があるブラスターは勿論、刃のついた明らかな殺傷用の武装をディアナ人に持たせるのは、流石に控えているといったところ。そりゃこんな街中で、ガチ装備は必要ない。竜災でもなければ、警戒すべきは強盗くらい。冷やかしの迷惑客みたいな奴も、屈強なディアナ人がメイス担いで囲めば黙るに決まってる。
そんな警備事情を推測しながら、僕は堂々と正門へと進んでいった。
「こんにちは、ここが『自由解放党』の本部で間違いないですか」
「やぁ、こんにちは。ここが党本部ですよ。どなたかと面会のご予定でしょうか?」
僕の挨拶ににこやかに応対してくれたのは、ディアナ人ではない明らかにアストリア人といった風貌の警備兵であった。
いきなりディアナ人に応対されると嫌な顔をする人も多いのだろう。彼は来客用に違いない。そしてアストリア人なので、当然のようにブラスターで武装もしていた。
「いえ、シグルーンには来たばかりなので。ただ、自由解放党の活動に興味がありまして……私にも、何かお力になれることがあるのではないかと思い、参った次第です」
「なるほど、そういう事でしたら、まずは中へとご案内致します」
「ありがとうございます。私の連れも、一緒に入っても大丈夫でしょうか?」
「はっはっは、勿論ですよ。ここは解放派の本拠ですからね」
僕の後ろに黙って立っているのはリザ……ではなく、フルフェイスの兜を被ったディアナ人の大男である。軽鎧姿で、首元や袖から覗く褐色肌だけが、ディアナ人の特徴を示していた。
「彼は私の護衛ですので、どうかお気になさらず。一切、喋ることもありませんので」
「分かりました、そのように取り計らいましょう」
僕が堂々とディアナ人を護衛として連れ歩いているのを見れば、解放派の同胞であることなど一目で理解できよう。それでいて、余計に喋らせないし、顔も隠している、というのは殊更にアピールもしないという配慮もできていますよ、というさりげない主張でもある。
アストリア人警備の男は、こういった手合いも慣れているといった様子で、一切訝しむことなく、笑顔で僕らを案内してくれた。
「こちらで少々、お待ちください。すぐに担当者をお呼びしてきますので」
「ありがとうございます」
如何にも応接室といった部屋へ通され、案内の男は退出していった。
その間に僕は、小さな蜘蛛の使い魔をそっと放つだけで、大人しく待つこととする。
さて、今の僕は分身だけれど、かなり普段と印象が変わるように変装している。僕個人の変装で大事なポイントは、目元だ。通常状態だと生意気だの野良猫だの言われる目は特徴的なようで、ここを抑えることでかなり印象を変えることができる。
柔らかなアイラインにすれば女装で美少女感が出せたりする。だが今回で言えば、細い糸目にすることで、関西弁の胡散臭い裏切りキャラみたいな雰囲気を演出している。
実際、今回の分身はそういう方向性での変装だ。明るいブラウンの髪はカッチリと整髪料で整え、幼さを抑えるために渋めの肌艶に塗り、一見すれば子供というよりは、背が小さいだけの成人と思えるような仕上がり。
身に纏うのはホワイトカラー御用達のスーツに、魔術師であることを示すローブを羽織っている。スーツもローブも、ついでに革靴も、アストリアでは有名なハイブランド。指輪、腕輪、ネックレス、ピアス、といった装飾品も全てマジックアイテムで揃えた、高額コーディネートだ。いわゆる高級腕時計を巻いてアピールするのと同じような感じ。
傍から見れば、本物のエリートか、ハッタリの詐欺師か、といった印象だろう。
そして連れているのはディアナ人の護衛――――と見せかけた、ただの『屍人形』である。コイツは手持ちの素材をやりくりして、護衛に置くには相応しい性能と、ディアナ人らしく見えるガワだけ誂えた、結構手の込んだ一品だ。それでもレムと違って、自律行動する能力はスケルトンとどっこいなので、呪術としての『屍人形』としては格落ちである。
まぁ、コイツを連れてダンジョン攻略する気はないので、別に問題ないけれど。
そういうワケで今の僕は、解放派から見れば金は持ってそうな身なりの良さに、平気でディアナ人奴隷を護衛として連れ歩ける、理解ある同志、と見えるはずだ。少なくとも、奴隷解放などとんでもない、と訴えかける面倒な輩ではないと思ってくれるので、ひとまず素直に話し合いに乗ってくれるだろう。
ましてこちらが、まとまった金額の援助なんかを申し出れば、笑顔で乗りに乗ってくる。
「お待たせいたしました」
程なくして、担当者を名乗る小奇麗なお姉ちゃんがやって来た。これも解放派のアピールなのか、わざとらしくスーツ姿のディアナ人女性を秘書のように伴って。
僕は彼女達が来るとともに、席から立ちあがり、怪しい糸目面で満面の胡散臭い笑みを浮かべて、挨拶をした。
「どうも、初めまして。私、グレゴリウスと申します」
◇◇◇
「――――へぇ、それは興味深いね」
グレゴリウスと名乗った来訪者を担当した秘書から、景気の良さそうな報告を聞いて、そう声を弾ませるのは、解放派こと『自由解放党』の党首を務める青年だ。
解放派の活動は、ディアナ人も一人の人間として扱い、これからの新たなアストリアの同胞とすべし、という先進的な人権思想に基づいた新時代の平和を実現する――――と言うのは、万人に聞こえの良い建前に過ぎない。
しかしながら、解放派に所属する大多数のアストリア人支持者と保護という名目で所有しているディアナ人奴隷達は、このお題目を信じており、自分達がアストリアを変える高潔な革命者であることに疑いは無い。
だが綺麗な理想論だけで人は動かず、金も集まることは無い。解放派が多少とはいえ議席を獲得し、曲がりなりにも全国に轟くほどの知名度と活発な活動が出来ているのには、それ相応のスポンサーがついているからこそ。結局のところ、そのスポンサーが解放派の存在を求めているから、大々的に活動が出来ているだけの話である。
では解放派を操る一番のスポンサーは誰か、と言えば真っ先にこの名前があがる。
四聖卿が一人、北聖卿パウエル・イグナティウス。
アストリア北部のパンドラ聖教を統括する北聖卿だが、北部ではディアナ精霊同盟の大氏族アーセと公然と交易がされている。エレメンタル山脈の北限は大陸で最大の内海を臨み、そこを通じてノア三公国との大規模な交易が可能となっていた。
そしてその内海は、ディアナ領へも通じている。
ディアナと言えばアストリアが征すべき敵対勢力という認識が主流なのも、今では過去の話。アストリアの大規模なディアナ侵攻が終わってからは、東の方で小競り合いが続いているな、という程度の感心だ。ただでさえ広大なアストリア、遥か東の端での諍いなど、東部一の大都市ヴァンハイトであっても、遠い出来事という認識になる。
現在の傾向としては、上流階級ほどディアナ人への差別意識が高い。それは彼らこそが奴隷としてディアナ人を使役する当人であるから。
逆に奴隷を雇う余地などない一般人は、昔に戦った他所の国の人、といった程度の認識に留まる。奴隷といえばディアナ人、とはいえ、近所に彼らを使役する農園なり鉱山なりがなければ、実際に奴隷を見かける機会も無いのだ。
少なくとも、シグルーンのような大都市で見かけることのできるディアナ人奴隷といえば、娼館に売られた女性くらいである。
故に、大多数のアストリア人にとってディアナ人の存在など、興味関心の薄い事柄であり、奴隷解放を叫んだところで、全国から即座に批判が殺到してくるほどセンシティブな話題では無くなっていた。
そうした世論が許容する背景もあり、北聖卿パウエルはアーセ氏族と通じて、友好路線を公に主張していた。あくまで北部における交易を通じることで、アストリアとディアナは友好関係になる方が互いの利となる、という建前である。だが実際にディアナからの輸入でしか得られない希少な素材や物品、あるいはダンジョンからの産出品などで利益は十分に上がっていた。
無論、それも表向きの建前の一つに過ぎないが……解放派を支持する理屈としては、正当なものと言えた。
ディアナのアーセ氏族と友好関係にある北聖卿パウエルがバックについている、となれば大抵の者は安心して支持を表明できる。平和理念に共感という建前で、それぞれの思惑によって。
北聖卿に次いで解放派を強く支援しているのは、ディアナ人の奴隷労働の恩恵に預からない企業であった。これは単純な利害関係からくるもので、自分達に奴隷制は有利に働かないのに、余所では安い奴隷を存分に酷使して利益を上げられるとくれば、相手だけが持つ強みを潰そうというのは、当然の戦術であろう。
ディアナ人奴隷の恩恵がないのは、まずディアナとの友好路線を打ち出しているアストリア北部。次いで、奴隷の供給地たるディアナ精霊同盟のある東側とは正反対の、アストリア西部。中でも特に、他の大陸との海洋交易で発展した西海岸一体の地域だ。
逆にディアナ人奴隷で最も恩恵を受け、最大の奴隷市場を形成しているのは、俗物と名高い南聖卿が統括するアストリア南部であった。
ディアナに最も近い東部では、あまりにディアナ人奴隷が増えすぎると反乱のリスクと、ディアナからの再侵攻があった場合の危険を鑑みて、東聖卿が一定の規制をかけている。南部に比べれば、東部のディアナ人奴隷の数は半分以下に留まっていた。
「グレゴリウス、か……南部地方、それも東南の出とはね。もしかして、ギャング関係だったり?」
「はい、彼が役員として務める企業は、東南部ではそこそこ有名なギャングのフロント企業でした」
それは本来ならば、解放派と敵対する立場にある勢力だ。南部に流通するディアナ人奴隷は、当然のことながらその地で活発なギャングも利用する。奴隷労働は勿論、体のいい兵隊としても使えるとあって、奴隷需要の一翼を担っている。
「そんな彼が、どうしてウチに?」
「ボスがディアナの女に入れ込んでいる、と」
「ああ、なるほどね……そういう物好きは、たまにいるから」
ディアナ人の容姿は、様々な人種的特徴が入り混じっているアストリアにおいては、特別に良くも悪くも映ることは無い。強いていえば、その色の濃い褐色肌と淡色系の髪色が多い、色彩的な特徴で区別が分かりやすいくらいだ。
基本的にアストリア人の美的感覚としては、肌の色は美白と、髪の色は艶やかな黒、この白黒二色のコントラストが至上とされている。パンドラ聖教における主神格と名高い女神エルシオンも、白い肌と黒い髪の美女の姿で描かれることが多い。
その点、ディアナ人の肌色と髪色は人気の色合いとは対極にあり、殊更に魅力的と捉えられることはまず無い。
しかし、それはあくまで一般論に過ぎず、性癖は十人十色どころか、二百色あっても足りないほどに千差万別。ディアナ人の褐色肌に魅了される者は、男女問わず少数ながらも、確かに存在していた。
このシグルーンでも、ディアナ人の娼婦を抱える娼館は珍しくないし、廃れる気配もないのがその証拠でもある。
「けど、それにしては随分と大きな援助を申し出てくれたものだ。本当にただ女に入れ込んでいるだけで、こんな金額は出せないだろう……もしかして、何百人も女を差し出せ、何て言うんじゃないだろうね?」
「特に気に入った女性を何人か連れて行くことはあるかもしれない、とは仰っていましたが」
「それが主目的ではない、と」
「はい。彼の企業、引いてはギャングにおいて、ディアナ人奴隷を扱う敵対組織に劣勢なのだそうです」
例えば、と幾つかのギャング組織の名を上げていくが、党首も秘書も、名前だけ聞いたことはあるといった程度で、南部ギャングの抗争の実態など専門外である。グレゴリウスの語った情報の真意を確かめるには、それなりに手間のかかった調査を要するだろう。
すぐに裏は取れない。だが、ひとまずはそうだと信じた上で、話を聞く価値が十分にあった。
「そういった事情もあり、いっそ奴隷解放派に乗り換えた方が、この先の利益になると方針を定めたと」
「それはまた、随分と先見の明があるボスだね。今は全ての奴隷の解放など夢物語だけれど……時代は着実に、解放の流れに寄ってきている」
少なくとも、党首はそう信じていた。
真実はどうあれ、自分と同じように長い目で見て将来性があると断じて、解放派に加わるという理由は理解のできるものだ。
「さらに彼は、資金援助だけでなく、戦力の提供も申し出て――――」
秘書の言葉は、突如として鳴り響いたドン、という扉を乱暴に開け放たれる音によってかき消された。
「ホーダン、いい加減にノックという文化を覚えてはくれないか?」
「党首よ、レイナーレ様の救出作戦を、何故止める」
党首の皮肉など無視し、ホーダンと呼ばれた精悍なディアナ人の大男は、明らかに怒りを抑え込んでいる顔で言い放つ。
自由解放党には保護名目で所有する奴隷は大勢いるが、このホーダンは奴隷には含まれない極一部の人間だ。
最大の後ろ盾である北聖卿から紹介されて雇った、ディアナ人の傭兵である。精霊戦士ではなく、天職持ちでもないが、実戦経験豊富であり、何より多くのディアナ人を統制するのに大いに役立っている。
公の肩書としては、自由解放党の警備隊長であり、実際に敷地を警邏しているディアナ人警備兵は全員、彼の指揮下にあった。
その立場と能力から、こうして党首の下へ直接訪問することも許されているのだが……
ホーダンの文句に対し、党首はウンザリした表情で、これまで幾度となく語った理由を口にした。
「高名な御子の救出にこだわる、君達の気持ちはよく分かっているつもりだよ。しかしだねぇ、今はまだその時では――――」
「いい加減にしろ! 議席を取れればレイナーレ様を助け出せると言ったのは、お前自身だろうが!」
「議員とはね、なっただけで権力を得られるワケではないんだ。これからなんだよ、議員として活動し、更に議席を増やさなければ、望みを叶える力は得られない」
「これから、だとぉ! ならあと何年かけるつもりだ、十年か、百年か!」
「落ち着け、ホーダン。次の選挙が近い、今は大事な時期なんだよ」
だから面倒事は絶対に御免だ、といった感情をそのまま表には出さない。
ホーダンはディアナ人だが自分の奴隷ではない。一方的に命令できないからこそ、上手いこと言いくるめる必要がある。
「なぁ、自由解放党は、順調に成長している。その確かな手ごたえは君も感じているはずだ! 次の選挙では絶対に議席を増やし、俺達は大きく躍進できる! この調子で行けば、御子の救出だってそう遠い話ではないだろう」
「……ああ、そうだ。確かに党は成長した。俺も一緒にやって来たからな」
「そうだろう。俺達は上手くやれている」
「解放した同胞の数も、随分と増えた」
「ああ、そうとも。アストリアでも、我々の元にいるディアナ人だけが、苦しまずに平和な生活を送れている。その数は、これからもっと増えていくんだ」
とは言え、さほど奴隷時代と待遇に大きな差はない。目に見えて鞭を振るわれたり、明らかな命の危険のある作業こそ強制されないが、党の支持団体である企業や農園などに、彼らは自立支援の名目で、実質的な労働奴隷として働かされている。
生命と衣食住こそ保障されるが、給料など1クランたりとも支払われることは無い。刑務作業に従事する囚人と、何ら違いは無いだろう。
だが、それでも南部で酷使されるよりかは、ずっとマシな環境ではあるが。
「だが、それが問題なのだ。いい加減に、俺一人で抑えられる人数では無くなってきているぞ」
「それほどなのか? 警備隊も冒険者組も、問題なくやれているじゃないか」
党の下で最も自由な生活を送れるのは、警備隊とダンジョンに潜って稼げる冒険者をやっている者だ。両者ともに戦力に関わる人員なので、ホーダンがどちらも管理しているが……解放した奴隷の中には、元戦士も大勢おり、今でも五体満足ですぐにでも戦える者も、それなりの数がいる。
当然のことながら、そういった連中は血の気も多く、気性も荒い。そして同時に、戦士としての誇りも持ち合わせている。
「奴らの多くは、レイナーレ様の解放を望んでいる。俺もそのつもりで、結束を固めてきたのだ。しかし、いつまで経っても、何の動きも無いと来れば……俺の言葉だけで、いつまで連中の我慢が効くか」
「それでこの間の、救出作戦の計画書、か……」
ホーダンの言い分も理解できる。そして彼が、ただ自分の感情任せに、党首に無茶な救出計画なんかを提出したのではないことも分かった。
今、助け出す算段を党首と立てているのだと、そうでも言わなければ、有り余る力で勝手に暴走しかねない、とホーダンも感じたのだろう。
そして暴走した奴らが直接的な武力行使に打って出ることだけは、何としても避けなければいけない。
「前にも言ったが、御子レイナーレを所有する『エスメラルダ』は、政財界にも太いパイプを持っている。迂闊に手を出せばどうなるか、分かっているな」
「今の党でも、吹けば飛ぶ、と言いたいのだろう」
「そうだ、今までの努力は全て無に帰す。アストリアでは向こう百年、あるいは永久にディアナ人の奴隷解放が無くなるかもしれない」
そうだと分かっているから、ホーダンも部下の統制に力を入れているのだ。彼も考えなしに、感情だけで行動に出ていれば、とっくにエスメラルダへ討ち入りしている。
「だが早急に何とかしなければ、本当に動く奴は現れるぞ」
「分かっている……分かっているよ、仕方がない……」
はぁ、と重苦しい溜息を吐いて、党首はちょうど手元で見ていた資料を、ホーダンへと差し出した。
「ちょうど今日、ありがたい援助の申し出があってね――――」
資料に書かれた援助の金額は、即金でエスメラルダからレイナーレを買い取れそうな数字が記載されていた。
◇◇◇
「うーん、解放派はダメだなこりゃあ」
怪しいギャングの支援者グレゴリウス、として党本部へ乗り込んだ当日の内に、僕はそう結論付けた。
奴隷解放をお題目に、実は裏で人身売買やら人体実験という極悪でこそ無いものの、本部内を探れば、割とすぐスポンサーにとって都合が良いだけのNPOモドキだと判明した。
まぁ、内部情報など調べずとも、自由解放党の後ろ盾の筆頭が北聖卿であることは公然の事実だし、支持するスポンサーも奴隷で儲からない連中ばかりが雁首揃えていることも丸わかりだ。
保護という名目で所有権が移っただけのディアナ人奴隷達に、そんなことなど分かろうはずもないけれど。
それでも党首なりがそういった連中を利用して資金を集め、実際に奴隷解放を推進する正義感と頭脳があるなら、僕としても素直に支援するのもやぶさかでは無かったが……結局のところ、党首含め幹部連中も頭にあるのは政治的野心ばかり。
貴族の生まれではない自分達が、議員となって政界に進出し影響力を得る。彼らにとって奴隷解放運動など、そのために選んだ道具の一つに過ぎない。
本部の中をどれだけ調べても、僕から見て本気でアストリアで酷使されている、ディアナ人奴隷を救済する具体的な方策や計画なんか、一つも出ては来なかったからね。僅かとは言え、すでに議席の獲得を成し遂げても、この体たらく。
これじゃあ自由解放党が衆議院の第一党になったとしても、ニューホープ農園の奴隷が救われることは無いだろう。
そう、お前らじゃ十年かけても、リザ達は救えなかった。でも僕は一ヶ月で救った。
「残念だけど、君達はただの駒に決定だ」
どうせこの先、続けていても何の成果も上がらないのだ。それなら、僕がやる奴隷解放のための犠牲になっても、本望でしょ?




