第483話 ディアナの娼婦(2)
レイナーレ・エーハルト・アーセは、全てが恵まれた少女であった。
ディアナの大氏族アーセ宗家の娘として生まれ、類稀な才を持つ御子であり、そして何より慈愛の心と気高い志を持っていた。長ずれば、彼女こそ御子の頂点に立ち、ディアナ精霊同盟は更なる繁栄を迎えるだろう――――誰もがそう思い、そうできるだけの人望も彼女は若くして得ていた。
しかし同時に、致命的な欠点もあった。
それは彼女は恵まれすぎていることと――――善良に過ぎたこと。
「自分の選択に、後悔はありません」
「こんな結末を迎えても?」
「こうなると分かっていたとしても……私には、目の前で倒れる同胞を無視することは、できなかったでしょうから」
なるほどね、これはいいように利用されるワケだ。
アーセはディアナを代表する大氏族である。だがこれだけでは説明が足りない。
アーセ氏族は、アストリアと通じることによって、ディアナで最大勢力を誇るにまで至った、売国奴の筆頭格なのだ。
まぁ、そもそもディアナ精霊同盟はその名の通りに氏族の同盟であり、国ではない。だから別に国を売ったワケではないが、同胞を売っているのだから同じようなもんだろう。
構図としては、ありふれたモノだ。ディアナ精霊同盟は元々、複数の大氏族がおり、均衡を保っていた。しかしアストリアの侵略が始まったことで、パワーバランスが崩れたのだ。
最初にアストリアに攻め込まれた地域は勢力が衰え、侵略地点から遠い氏族は相対的にその力を増した。つまり、アーセ氏族のことである。
当時のアーセ族長はアストリア侵略をディアナの危機ではなく、氏族の勢力拡大のチャンスと見た――――と、こういう目先の欲に釣られた奴が必ず出て来ると、アストリアも読んでいたのだろう。
結果的にアーセ氏族は親アストリア派として友好関係を結び、裏では間接的に侵略行為を支援した。一方のアストリアはアーセ氏族の領域は襲わず、むしろ友好を謳って交易を行い、ブラスターなどの武器の供与なんかも行っていた。
ディアナ精霊同盟は、ただでさえ強大な軍事力を持つアストリアと戦わされた上に、アーセ氏族という裏切者に背中も殴られ続けたことで、負けるべくして負けたのだ。
大勝利したアストリアは、ヴァンハイトからエレメンタル山脈まで至る東側の領域を全て支配下に治め……希望の名を冠した、新たな最東端の町イーストホープが誕生したのである。
一方、ディアナでは奪われた領域に住んでいた多くの氏族は滅び去り、ディアナ全体の戦争としてみれば大敗といっていい結果に終わった。
しかし、大敗だが滅亡ではない。アーセ氏族が相対的に最大派閥となりディアナでイキり散らしている一方、まだ生き残っている氏族もまた多くいる。ただ、他の氏族が全て結束しても勝てないほど弱いからこそ、アーセの天下が続いており――――いずれ、完全にアーセ氏族だけに統一された時こそ、アストリアは第二次ディアナ侵攻を行い、今度こそ全てを征服する、なんて説も囁かれている。
とは言え、今は全くアストリアの侵略がないかと言えば、そういうワケでもない。
それが御子レイナーレが参戦した、ここ最近では最も大きな戦いだ。
「そこはかつての大氏族が中心となって守る、南の要衝の一つでした」
天然の防壁として立ちはだかるエレメンタル山脈が途切れる南側を回り込んで行くのが、アストリア軍の主要な侵攻ルートなのだが、そこを守るのがディアナ防衛の最前線。アストリアに占領されて追われた氏族が集まった、彼らの最後の領土、パルデラという場所だ。
「パルデラは西の氏族にとって最後の拠り所であり、我々としてもアストリアの更なる侵攻を許すこととなる、何としても守り通さねばならない地でした」
「それでアーセ筆頭に各部族が……リザのタイタニア氏族も、御子と精霊戦士の精鋭を派遣したと」
「はい。流石にアーセ氏族でも、あまり易々とディアナの領地を奪われるのは困りますから、私の参戦もすぐに許しが得られました」
「それで、まんまと陰謀に乗せられたワケだ」
「返す言葉もございません」
確かに当時のレイナーレの判断は正しかった。守るべき要地が危機に瀕しており、実力も十分な自分が援軍として名乗り出る。アーセ氏族もこれ以上の領地を譲る気が無かったというのも、嘘では無いだろう。
事実、アーセ以外の大部族や、余力のある各氏族は出来る限りの援軍を送り出した。集結した精霊同盟軍の規模は、第一次侵略戦争後では最大であったという。
パルデラは要衝というだけあって、大きな町だった。
その町を二分するように、ディアナとアストリアが覇権を巡って争っていた。そんな中に、レイナーレを筆頭とした援軍がやって来たというワケだ。
その戦力は伊達ではなく、パルデラの半ばまで侵攻していたアストリア軍を見事に跳ね除けた。
一週間ほどで、パルデラ全域をディアナの手に取り戻すことに成功。華々しい大勝利に、ディアナの戦士達もパルデラの住民も喜びに沸いた。
そうして撤退を余儀なくされたアストリア軍だったが、簡単に引き下がることは無かった。
パルデラからは引いたものの、手前の町に強固な陣地を敷き、徹底抗戦の構えを見せる。そうして、互いに様子見の小競り合いと、睨み合いが続いた。
「パルデラ防衛は想定外の長期に及びました。その結果、徐々に物資の供給が滞り、兵糧も尽きかけるほどに」
「そして内部分裂と。連合の悪いところがモロに出た……いや、最初からそういう仕込みもあったんだろうね」
「仰る通りです。私がパルデラ防衛を成功させて、他の氏族からの求心力も得るのは困る対立派閥に、アーセ以外にも色々な思惑を抱えた者も、あそこには多かったでしょうから」
困窮する物資に指揮官は足の引っ張り合い。恐らく、アストリアはディアナ氏族の結束がクソゴミカスだと見抜いていただろう。パルデラ全域が奪還されたところで、ディアナ側に維持するだけの兵站が整ってないと知っていたから。そうして内部崩壊で戦力が低下するのを待っていたと思われる。
「で、ホントに戦線放棄しだす奴らも出てきたと。リザの前の御子みたいに」
「まだ年若い、未熟な御子でございましたので。パルデラの状況に耐えられなかったのです」
「でもソイツ僕より年上だったんだよね?」
「御子にも才能と実力の差はございますれば」
「だよね、それで最年少のレイナーレにパルデラの皆が頼ったんだから」
リザの前の御子は、この戦いで名を上げようという、幼稚な功名心だけでやってきたワガママお嬢さんである。僕より二つか三つは年上の年齢だったというが、それでも大学生のお姉ちゃんといった年頃だ。ディアナの氏族間にある権謀術数を理解して動け、ってのは難しいだろう。
華々しい勝利を遂げた最初こそ良かっただろうが、長期間の従軍に、明らかに劣勢になってゆくパルデラ。
そしてある日の晩、緩んだ警戒網の隙を突かれて夜襲を受け、御子の元にもブラスターの光弾が届くほどの窮地になったという。
リザ含めて精霊戦士達の活躍によって事なきを得たが……自分の身の危険を感じた時点で、彼女は限界になったようだ。
そしてそういったトラブルは、リザのところ以外でも頻発し始めた。
「精霊戦士を連れて部隊ごと退却なされば良い方でした。私を含めて、少なくない精霊戦士が、役立たずと罵倒され、死ぬまで帰って来るなと命じられパルデラに残されました」
「よくそれで反乱起きないね」
「そうなれば本当にパルデラはお終いです。だから私が、そういった見捨てられた精霊戦士達を指揮下に置きました」
「精霊戦士一同、レイナーレ様には心から感謝をしております。あの時、貴女が手を差し伸べてくれたからこそ、私たちは戦い抜くことができました」
「いいえ、全員へ満足に力を与えられなかった、自身の力不足を悔いるばかりです」
精霊戦士の数が増えれば、力を分け与える御子の負担も増す。当たり前の話である。だから見捨てられて野良となった連中を、そう簡単に取り込むわけにもいかないが……パルデラの事情と、レイナーレ自身の慈悲によって、無理を押してでも力を与えたのだ。
たとえ力の供給が万全で無かったとしても、有るのと無いのとでは大違いである。ゾンビゲーでいえば、素手か低品質ハンドガン装備か、くらいの違いはあろう。
「けど、もうちょっと強かったくらいで、勝てる戦じゃ無かったでしょ」
「ええ、『剣聖』が参戦した瞬間、勝負は決しました」
内部分裂で戦力半減となったパルデラを、レイナーレはその実力と人望とによって、よく支えた。リザ達のように、クソみたいな状況でも諦めずに戦い抜く、優秀な戦士も残っていたから。
だからこそ、アストリアも崩し切れなかったパルデラを落とすための、切り札を投入するに至ったのだろう。
レイナーレの言葉は、決して大げさではない。紛れも無い事実として、パルデラの精霊同盟軍はあっという間に敗れ去った。
たった一人の男によって。
「『剣聖』カイル――――あの男の強さは、圧倒的に過ぎました」
果たして当時、どんな政治力が働いたのかは分からないが、アストリア軍はどうにかパルデラに勇者パーティの一員たる『剣聖』を呼び出した。
並み居る精霊戦士を次々と斬り捨て、パルデラ防衛の要である御子レイナーレの前までやって来た。
「よくそれで生き残れたね」
「私が女だったからでしょう」
身に纏った神聖な御子の衣装ごと切り裂かれ、レイナーレは忠臣と大勢の仲間達の屍の前で、カイルに純潔を散らされた――――そう恥ずかしげもなく、さりとて憎悪に塗れることもなく、淡々とレイナーレは己の無様にして屈辱的な敗北を語った。
「なるほど、『剣聖』カイルは噂通り、お行儀のいい奴じゃあないようだ」
「私を犯したのに、大した理由など無いのでしょう。戦いが終われば、私に対して何の執着もありませんでしたから」
そうしてレイナーレが見せしめにされたことで、戦線は完全に崩壊。剣聖カイルはレイナーレだけを連れて自陣へ戻って行ったという。
「リザ、精霊戦士達は、やはり奴隷に……?」
「はい。降伏の後、武装解除され、多くはそのまま奴隷商人に」
「ああ、やはり……酷い目に遭って来たでしょう」
「レイナーレ様ほどではありません。私含め、戦士の多くは労働奴隷ですから。むしろ、パルデラにいた女子供の方が、悲惨な目に」
淡々と告げられるリザの言葉に、レイナーレは静かに涙を流した。
けれど、泣き声は上げず、悔恨の言葉も出さない。自分にはそんなことを言う資格さえないのだと、心得ているかのように。
「レイナーレ様、御心配には及びません。すでに我らの前には坊ちゃまが……ディアナの救世主たる、ルインヒルデの御子が降臨なされたのですから」
「その言い方は恥ずかしいから止めて」
「ルイン、ヒルデ……?」
「呪いの女神様で、エルシオンとは不倶戴天の関係なんだけど、聞いたことある?」
「いいえ、アーセの伝承にも無い名ですが……神名まで存じ上げているとは、やはり貴方は御子としても非常に高い格にあるようですね」
そりゃあ癇癪起こして精霊戦士を置き去りにするようなメンヘラクソ御子と比べたらねぇ? リザの元御子、自分で置き去りにしたくせに、どうせ帰ったら「なんでアイツら私を追いかけてこないのよぉ!!」ってブチギレてると思うな。
「ちなみにレイナーレは何の神様から加護授かってんの?」
「私の天職は『精霊術士』で、火山の神と嵐の神、両柱より加護を賜っております」
「えっ、神様二柱とかありえんのっ!?」
「はい、希少にして強力なので、複数の神より加護を授かりし御子は、いずれも歴史に名を遺す英雄となられます」
なるほど、そりゃあアーセ氏族でも期待されるワケだ。ただでさえ強力な『精霊術士』で、さらに神様二柱によるダブルの加護持ち。名前からして、火、土、風、雷、と四属性はデフォルトで備えてそう。
もしかしてレイナーレ、レイナの完全上位互換では?
それにしても、明らかに強スキル揃いの天職を授ける神と、能力微妙だけど神様と対面したり、神名、いわゆる神様から自己紹介を受けて名前を知って繋がりが強い場合、どちらの方が強くなれるのだろうか。
最初は苦労したけど、結果的に僕の『呪術師』は唯一無二のスキルビルドと化しているので、何とも言えない。マジで微妙な能力しか無い天職や神様だった場合、やはりどんなに鍛えても化けることはないのだろうか。
努力が実らない可能性を考えるとモヤっとするが……最初に微妙な能力掴まされたり、大器晩成型だったりしても、現実だと命を懸けた戦いを経て鍛えられることを思うと、そもそも育成が成功する確率自体が低いワケで。
結果的に最初から強い、ある程度戦える能力持ちばかりが、順当に強くなってゆく、というのは自然な流れだろう。
僕も最初っからアストリアに異世界召喚されていれば、クソスキル掴まされたハズレ天職持ちとして、『奏者』の二人みたいな末路を辿ったかもしれない。
その点、最初から恵まれているレイナーレについて、能力的な心配は一切ない。
すでに実戦経験も豊富で、パルデラ防衛という過酷な戦場も最後まで戦い抜いて見せたのだ。さらには敗戦の屈辱をその身に刻まれ続けても尚、折れない不屈の精神。それで僕らと同じ年齢。まだまだ伸びしろのある『精霊術士』なのは間違いない。
「君の能力については色々と聞きたいこともあるけれど――――まずは、僕らに協力する意志はある、と見ていいんだよね?」
「はい、貴方が嘘偽りなく、全てのディアナ人奴隷に自由をもたらすならば……たとえ貴方がどのような陰謀を抱えていようと、私はその全てを許容いたします」
そんなぁ、僕が純粋な善意で奴隷解放するって信じてくれてもいいんじゃない? 何で邪悪な陰謀抱えている前提で話すのさ。
まぁ、最悪アストリアぶっ潰すための全面戦争も辞さない覚悟だから、過激派テロ組織に加わるくらいの覚悟はいるけれど。
僕だって本当は、元凶たるエルシオンと女神派さえ倒せるならば、アストリアという国は平和でいてくれた方がいい。何だかんだで、僕はすでにこの国に住む人々と交流しているわけで。お世話にもなれば、情も湧くというものだ。
「約束しよう。アストリアに囚われたディアナ人奴隷、一人残らず解放するよ」
「そのお言葉を信じましょう。それで、貴方は何を私に求めますか?」
「先に謝らせて欲しい。確かに僕は色々と思惑や陰謀を抱えているけれど、それでも君の境遇に同情するし、義憤だって覚えている。何よりリザの恩人でもあるしね。無体な扱いはしたくないし、ましてこれ以上、その身を汚すような真似はさせない――――そう思っていたけれど、僕は君に、娼婦としての仕事を頼まなければいけない」
「どうぞ、お気になさらず。同胞の自由と引き換えなれば、この身など如何様にも」
同胞とは言え、顔も見知らぬ赤の他人である。けれど、それを当然のように我が身を犠牲にして救うのだと言い切る精神性は、これこそ本当の『聖女』と言うべきか。
桜ちゃんさぁ……ホント危機感持ったほうがいいよ。
そんな彼女だからこそ、僕は言葉通りに本当に申し訳なく思っている。この後僕は、素直に土下座して誠心誠意、彼女にお願いすることとなる。
今この場で、直に顔を合わせて、僕はそう決めた。
「ある男を篭絡して欲しい」
「その男、とは」
「アストリアの新たな『勇者』蒼真悠斗」




