第479話 自暴自棄
「えっと――――誰、かな?」
衝撃の返答に、今度は僕が瞠目させられた。
は? 誰か、だって? 聞き間違いか?
いいや、そんなことあるはずない。ならば、この感動の再会の場面で白を切るようなことを言うのならば……
「だ、大丈夫だよ、知らないフリなんかしなくても」
「ごめんなさい、本当に知らない子だと思う……えっと、人違いじゃないかな?」
ガツンと殴られたような衝撃に襲われ、僕は足元がフラついてしまう。
ダメだ、落ち着け。事情が、これは何か事情があるに違いない……必死にそう言い聞かせる。
だってメイちゃんの顔は、本気で困惑している。敵の目を警戒するために演技するとしても、こうまで自然な表情を浮かべられるほど、彼女が器用な人間じゃないことを僕は知っている。
つまり、彼女は本気で僕のことを忘れている――――いや、忘れているだけなら、まだマシだ。
もしかしてメイちゃんは、もう僕とは関わりたくないと、そう思っているのかもしれない。
そんな最悪の想像に、今にも白目を向いて倒れてしまいそうな気持ちになる。
「そんな……僕は……」
「どうしたんだい、メイ。何かトラブルかな」
「あっ、ジュリアス君……」
二の句が継げずにいる僕の前に、海外モデルみたいな金髪碧眼のイケメンが颯爽と現れる。その身は壮麗な白い制服に包まれており、彼が『勇星十字団』の団員であることは明らかだ。
しかし僕は、実に気安く声をかけては、エプロン姿のメイちゃんを庇うように前へ立つジュリアス某の姿に、ボス部屋で想像を絶する凶悪なボスモンスターと遭遇したような心地になる。
いや、そんな馬鹿な、ありえない――――否定の言葉ばかりが無為に頭の中に反響する。僕がどれだけそう言い聞かせようとしても、もう直感的に脳裏に過ってしまった可能性を、無視しきれない。
メイちゃん、僕を見限ってこのイケメンに乗り換えたのでは……
「良かったら、名前を教えてくれるかな? このクランにいる人に、会いに来たんだよね?」
「確かに、見たところどこぞのお坊ちゃんといった姿だが……参ったな、クランハウスへ立ち入るには、事前の許可が必要なんだ」
迷子の子供を見る目で、メイちゃんが僕を見ている。そしてジュリアスは、親身になって手助けする彼氏のようで……なんだこれ、クソ、今にも吐きそうだ。
こんなこと、ありえるのか。僕とメイちゃんの絆は、こんなもんだったと言うのか――――なんて憤りを覚える反面、恐ろしく冷たい諦観の念も、心を蝕むように湧き上がって来る。
見限られて当然だろう。あれだけ自信満々、準備万端で飛び出したというのに、リリスにあっけなく完封負け。
そりゃあ、僕だって苦労して再起を計りここまでやって来たけれど、それでもメイちゃんを迎えに来るのに、どんだけ時間かけてるんだって話だ。あの時から、優に三ヶ月は経過している。
彼女からすると、馬鹿々々しく思えたかもしれない。所詮、僕との関係なんてダンジョンサバイバルという、生きるか死ぬかの極限状況だったから。ストックホルム症候群なんて言葉もある。生存戦略を愛と勘違いして乗り切ってきただけだったのかもしれない。
そして何より、今のメイちゃんは幸せそうだった。
知ってるよ、ついこの間に『勇星十字団』を辞めて、屋台を始めたこと。もう、彼女はダンジョンに潜って戦う必要性すらなくなった。
好きな料理だけで、生きていくことができる。普通の女の子に戻った。
けれど、ここで僕の手を取れば――――再び、あの最強無敵の女勇者リリスを相手に、勝てるかどうかも分からない、先の見えない戦いの日々に逆戻り。
そんなのは御免だろう。だってメイちゃんは、勇者のように人を救う使命感になんて燃えていない、ただ料理が大好きなだけの女の子なのだから。
すでに平穏を手にした今の彼女にとって、僕は、『呪術師』桃川小太郎は邪魔なんだ。
苦難の果てに掴んだ平穏を脅かす、敵と言ってもいいかもしれない。実際、『女神派』がただの一般市民として生きる双葉芽衣子の存在を容認したならば、最早メイちゃんにとって、敵と言うべきものは何もない。
それを僕は、意気揚々と彼氏面して「迎えに行く」だなんて……ははっ、こんな馬鹿な、これほど無様な道化があるかよ……
「……ごめんなさい、間違えました」
スっと頭を下げて、僕は踵を返す。
「あっ、ちょっと――――」
メイちゃんの呼びかけには、答えない。答えられるはずも無い。
こんな無様な泣き顔を、どうして見せられる。
◇◇◇
「い、一体、何が起こったんだ……?」
と、俺は心中でそう呟いてしまう。隣にはまだサリスがいる。下手なことを言えばボロが出てしまう。
ひとまず、目の前で起こったことをありのままに言えば、桃川が双葉さんの前に現れたかと思ったら、人違いだった、とあっさり帰って行った。
今回はただの顔見せ、ということか? 俺とサリスが付近にいることに気づいて、出直そうとした?
いや、桃川に限って、こんなアクシデントを想定しないはずがない。アイツなら俺達が『勇星十字団』に所属していることは知っているし、サリスがいることなんかも調べはつけているはず。その上でクランハウスに堂々と乗り込んできたのだ。自分がここにいるのだと、隠す気は無かったと思われる。
それにも関わらず、ああも簡単に引いたのは――――まるで、双葉さんに赤の他人扱いされたことがショックで、呆然自失として逃げ帰ったようである。
「そんなコトありえるのか、アイツに限って」
そう心底思うものの、双葉さんに「知らない」と言われた桃川は、表情こそ繕っていたが、かなり動揺しているように見えた。最後なんて、今にも泣きそうな子供が必死にこらえているかのような雰囲気さえ漂っている。
正直、俺には判断がつきかねる状況だ。今のやり取りが何だったのか、全て演技なのか、それとも桃川をしても想定外の展開だったのか。
すでに桃川は足早に去っている。追いかけて真意を問いただしたいところだが、俺がアイツと接触するには細心の注意を払わなければ。少なくとも、サリスには俺が自分の意志で接触したことを悟られないようにしなければならない。
サリスが俺への洗脳と記憶改竄も成功していると思っているなら、俺自身もまた桃川小太郎という男子の存在を忘却している、という風に装う必要がある。
ならば、後はこの場で出来ることは、双葉さんにそれとなく聞いてみることくらいか。
「双葉さん、今の人は知り合い?」
「ううん、何だか人違いだったみたい。けど……」
如何にも興味本位の野次馬根性を出したかのように、俺は正門前で立ち止まったままの双葉さんの下へと歩み寄って、問うてみる。
やはり「桃川のことは知らない」というスタンスを貫いているように見えるが、
「どこかで会ったことあるような……何か、気になるっていうか……」
もしも演技なら、「赤の他人の人違い」であると言い切って、何事も無かったことを装うだろう。
だが明らかに何か含みのあるような物言いと、困惑しているような表情は――――
「そうか、何かトラブルがあったら、すぐに言ってくれ。必ず力になるから」
「それは俺の台詞だ。メイ、困ったことがあれば、先に俺に教えてくれよ」
「あはは、二人ともありがとう」
謎の対抗心を出してくるジュリアスのお陰で、サリスから見ても違和感のないやり取りになっただろう。
ひとまず、これ以上は余計なことを問いただすのは止めておこう。
双葉さんの記憶改竄は、まだ効果を発揮している。桃川と出会っただけで解除されてはいないようだ。しかし、全く何の影響もないワケでもなさそうだ。
ここは様子見しかない。俺自身が解除に手を出せば一発で警戒される。
双葉さんだけでなく、委員長と夏川さんの記憶改竄も解かなければならないが、それは桃川の協力を得てからでなければ、動くべきではない。俺には戦う力ばかりで、そういった方面での能力は期待できないからな。
だから今の俺が考えるべきは、
「サリスにバレず、どうやって桃川と渡りをつけるか……」
ついに桃川がこのシグルーンにやって来たのだ。俺が呑気にクラン生活を送るのもお終いだ。
いよいよ、ここから『女神派』に、いいや、女神エルシオンに反旗を翻す戦いが始められる。
◇◇◇
「やれやれ、まさか若様にこんな弱点があったとはのう」
「笑っている場合ではありません、ジェラルド。これは由々しき事態です」
ソファに寝転がって、如何にも面白おかしい色恋話を聞いたとばかりに笑うジェラルドに、表情こそいつも通りだが、一筋の冷や汗を流し切羽詰まった様子のリザが、黒髪教会のラウンジにあった。
ここは小太郎が先んじて用立てていた、黒髪教会シグルーン支部である。ヴァンハイト同様に、ここを拠点として利用しているので、普段寝泊まりする私室も設けられている。
その黒髪教会の教祖たる御子は今、失意のどん底に沈み寝込んでしまっていた。
「いやいや、これは笑ってやらねば若様も惨めというものよ。儂はむしろ安心しておる、あの神がかった御子モモカも、好いた女に突っぱねられれば泣いて寝込んでしまうのだからのう。ああ、同じ人の子なのだと思わぬか」
「何を呑気なことを……坊ちゃまは、今泣いているのですっ!」
あくまで個人の恋愛沙汰と笑い飛ばすジェラルドに対して、リザは小太郎が寝込むほどのショックを受けた事態を非常に重くみている。
過酷な農園での奴隷生活の中でさえ、小太郎は笑みを絶やさず余裕で乗り切ってきた。ヴァンハイトでは瞬く間に仲間を集め、準備を整え、五十年もの長きに渡って君臨し続けた地獄の番犬さえも討ち果たした。
まさにディアナ神話に伝わる英雄譚の一節かの如き活躍をしてきた小太郎が挫ける姿を、リザは初めて目の当たりにしている。気が気でないのは当然と言えよう。
「ふふん、ならばこの老いぼれなんぞに怒鳴っている暇など無いのではないかぁ?」
「今の坊ちゃまに、私などが出来ることなんて、何も……」
「全く、デカいナリをしておるくせに、考えは色を知らぬ子供か。良いかリザよ、女に袖にされた心を癒すのは、やはり女にしか出来ぬのだ」
ビシッっと指をさして、ジェラルドは爛々と輝く翡翠の瞳でリザを射貫く。
事ここに及んでは、言い訳など許さぬとばかりの圧と共に。
「お前が慰めろ」
「慰める、とは……」
「ふん、その気がないワケではなかろう。お前が若様を見る目に、純粋な尊敬と敬愛のみ、とは言えぬだろうが」
「……」
ジェラルドの言葉に、リザは押し黙ってしまう。それは隠し通せたと思っていた悪事が、とうに露見していたのだと気づいたかのように。
「何も後ろめたく思う必要など無いだろう。ディアナでは御子と精霊戦士の間に子を設けることも、よくあると聞いたが」
「そっ、それとこれとは、話が違うというか……」
「何が違うのじゃ、言うてみぃ」
苦し紛れの言い訳じみた言葉に過ぎない。リザにそれ以上、的確な反論が出て来ることは無かった。
「リザよ、お前とは共にフルヘルガーと戦った仲じゃ。信頼できる戦友だからこそ、儂は応援するし、協力もしてやろうと言うのだぞ」
不敵な笑みを浮かべながら、ジェラルドは勢いよくソファから起き上る。
すると、そのままラウンジを出て行くように歩みを進め、
「今宵は誰も、ここには近づけん」
「っ!?」
人払いをしてやる、というジェラルドの宣言にリザも二の句が継げなかった。
「二人きりでどうするかは、お前の自由だが――――」
ジェラルドは念を押すように、再び圧を放ってリザへと言い放つ。
「若様はあのフタバという女を大層お気に入りじゃ。割って入ろうと思うならば、今しか機は無いと心得よ」
◇◇◇
「あぁー、ああー」
ベッドの上で寝転がり、時折ゾンビみたいな呻き声を上げる。実際、思考能力もゾンビ並みだと思う。
何も考えられない。考えたくない。
思考力と精神力がどん底のせいで、分身も全部止まっちゃったよ。
お陰でニューホープ農園でもヴァンハイト黒髪教会でも山田パーティでも、大騒ぎになっている。みんな、ごめん、今日の僕はもうダメなんだ。桃川小太郎はお終い、終了、解散!
「はぁ……メイちゃん……」
涙に沈んでひと眠りくらいはしたはずなのに、気分は全く晴れない。頭の中はグルグルと負の感情のデフレスパイラルで、自己嫌悪だけハイパーインフレーションだ。
自分でも何を言ってるか分からない。だって何も考えられないんだから。
どうしよう、もしかして僕の冒険って、もうここで終わりでいいのでは――――
「坊ちゃま」
気が付いたら、リザがベッドの傍らで僕を見下ろしていた。
やめてよ、今の情けない姿、見せられたものじゃないんだからさ。
「ご飯はいらないから」
「左様でございますか」
じゃあ、僕はもうひと眠りするから。さっき寝たから全く眠気はないし、恐らくこのまま眠れぬ夜を最悪の感情で過ごす羽目になるだろうけれど。
「坊ちゃま、一つだけ、お願いをしても良いでしょうか」
「なぁにぃー」
いいよいいよ、もう何でもいいよ。リザもこんな情けない僕を見限って、あるだけ金品かっさらってディアナに帰ったっていいよ。
何が『呪術師』だ、何が御子だ。所詮僕は非モテのオタクの陰キャのドチビ野郎だ。クラスの気になる女の子とどうこうなろうなんて、思い上がりも甚だしかったんだ。
「私に、淫紋を授けていただけませんか」
「えっ」




