第472話 真血党(2)
「さぁ、跪け! 俺達、吸血鬼は慈悲深く寛大だ。最初に下僕を誓った奴は、この俺の侍従長に取り立ててやってもいいぞ。どうだぁ、んん?」
事ここに及んでも、双葉芽衣子は正直、状況がよく分からなかった。
ジュリアス達は吸血鬼がどうのと喋っているのだが、芽衣子にとって吸血鬼とはダンジョンに出現するモンスターの一種でしかない。
エルドライヒの存在も名前こそ知っているが、ただの外国だと思っている。そこの王子様だというアレンは顔も名前も知ってるし、多少の会話もしたことがある。だが、彼は普通の人間だった。
だから芽衣子は、割り切ることにした。
『真血党』を名乗る者達は、人間ではない。ただのモンスターだと。
「くくっ、怖くて動けんか? まぁ、仕方ない、なにせ俺達は首を撥ねたって死なない、本物の吸血鬼だか――――らぁ?」
まずは定番の急所、首を撥ねるところから始めた。
飛び掛かった自分の攻撃に対して、相手がほとんど反応しきれていないことに安心する。これくらいなら、倒すに大した問題はない。
首筋が赤く光ると、少々硬くなるが、それも装甲自慢のモンスターと比べれば無いも同然。『狂戦士』の自分は、甲殻や鱗の一枚程度、力ずくで粉砕してきたのだから。
しかし、首を断ったものの、殺した手ごたえのようなものを感じなかった。
首と胴が別れてあっけなく倒れ込む男の体を見ると、まだ確かな生命力を感じる。そして、魔力が急速に首元に集中し、今にも再生が始まりそうな気配を察する。
しかし同時に、芽衣子は見抜いた。断ち切られた首さえ元に戻そうと働く力の源。それが心臓から発せられていることに。
「あっ、あぁがぁあああああああああああああああっ――――」
「良かった、首を切って心臓を刺せば、ちゃんと死ぬんだね」
いつか戦った大型ゾンビのようなボスモンスター並みの再生力があると、非常に面倒くさいと思ったが、これなら許容範囲。潰せば確実に殺せる弱点が判明していれば、正面切って戦うのに何の憂いも無い。
「こ、この女ぁ――――」
「殺せっ! コイツは危険すぎるっ!!」
だが吸血鬼もさる者。仲間が瞬殺されたものの、怯えて立ちすくむことなく、即座に芽衣子を脅威と定めて全員が臨戦態勢を取る。
どうやら彼らは、伊達に冒険者の恰好をしているワケではないようだ。剣士は剣を持ち、射手は弓を引き、魔術師は詠唱に入っていた。
それらから向けられる殺気のどれ一つとして、芽衣子に脅威を覚えさせるほどの強さはないが……如何せん、数が多い。
一人殺したところで、まだ人数は相手の方が倍近い。これだけの人数が一斉に攻撃を仕掛けてくれば、自分は平気でも、班の仲間達は危険だ。
『狂戦士』は強力だが、結界のように広範囲で覆って仲間を守るようなスキルは持ち合わせていない。
「破ぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
咆哮と共に放つのは、武技『烈破断』。
心臓を穿ったまま突き刺さっていたハルバードを引き抜き、そのまま地面へと叩きつける。地を揺るがすほどの衝撃が駆け抜け、凄まじい戦意の籠った咆哮が響き渡る。
そのあまりにも凄まじい迫力に、今にも攻撃をかける寸前だった吸血鬼達は怯んだ。
それだけで、ダメージはない。彼らの怯みは明確な隙となったが、そこを芽衣子が突くことも無かった。
これはただの威嚇に過ぎない。欲しかったのは、敵が一斉攻撃の機を逸する僅かな時と、流れだ。
戦いの流れ。それにさえ乗れば、戦いに向かない者ですら、立ち上がって戦うことが出来る。
戦闘に向かない力を授かった友人でさえ、いざという時には戦ったのだ。まして、ここにいる仲間は自ら望んで、最強のクランへと集った者達。
多少の恐れなど、勝利の希望が僅かでも輝けば、すぐに吹き飛んでくれる。
「みんな、大丈夫だよ」
自分にカリスマなどない。あるのはただ、料理の腕前と『狂戦士』の力だけ。
人を奮い立たせるような、素晴らしい演説や説得などできない。
だから芽衣子は、ただ素直な言葉だけを口にする。それだけで、彼らが立ち上がるには十分だと信じて。
「私が吸血鬼を倒すから、みんなはトドメを刺して」
そう言い残し、芽衣子は振り返らずに前へと踏み出した。
有言実行。吸血鬼を倒すために。
「ちいっ、怯むな、迎え撃てぇ!」
単なる威嚇行動にまんまと竦んでしまった自らの反応を恥じるように、殊更な大声を上げて吸血鬼達が今度こそ狂戦士を迎撃すべく動き出す。
まず芽衣子の身に殺到するのは、矢と攻撃魔法。
迫り来る矢は正確な狙いと鋭い威力でもって放たれているが、その鏃が赤々と光っているのが嫌でも目についた。
攻撃魔法も同様で、質感こそ氷の矢のようだが、ドス黒い血が固まったような、禍々しい色合いをしている。
恐らく、矢も魔法も吸血鬼の力で強化した『血闘術』の一種なのだろう。
だが、全て合わせてもヤマタノオロチのブレス一本にも及ばない。回避もできるし、弾き飛ばすこともできる。
「――――『剛撃』」
芽衣子が選んだのは突進。本来はシールドバッシュの武技だが、盾が無くとも自らの体一つで突進しても、武技の効果は発動する。
『血闘術』の矢と魔法が降り注ぐのを、ただ真っ直ぐに走り抜けることで被弾を減らし、少々の直撃弾を勢いで弾く。
止まるどころか破壊力を増して迫る狂戦士の突進を、吸血鬼の前衛が食い止めるべく立ち塞がる。
「うぉおおおお……来ぉい!」
「『血闘術』の力、見せてくれる!」
全身を赤々と輝かせた吸血鬼の剣士と戦士が、突っ込んでくる芽衣子に真っ向から挑みかかり――――直後、衝突。
鈍い肉を打つ音。骨が折れる音。そして、どこか結晶が割れたような音、全てが同時に入り混じった耳障りな轟音が響く。
「ぐっ、はぁ……」
「ううっ……ぁああああ……」
トラックにでも轢かれたような有様で、吸血鬼の剣士と戦士が転がった。
派手に吹っ飛ばなかったのは、『血闘術』による強化の賜物か。二人がかりで、狂戦士の突進を食い止めるパワーを発揮したが、そのまま成す術もなく撥ね飛ばされた方がダメージは浅く済んだであろう。
下手に力が拮抗したせいで、彼らは全身で『剛撃』の威力を全て受けた。
結果、その肉体は壊れた。筋肉はズタズタに断裂し、骨は随所が折れ曲がり、そして全身に漲る万能の血の力も、粉々に砕け散った。
それでも死なずに命を繋ぎとめていられるからこそ、吸血鬼。
こうも全身が壊れてしまえば、時間はかかるが治る。すでに心臓から次々と溢れ出る生命力が供給され、再生が始まっている。
しかし今この場において、悠長に治癒の時間など与えられるはずもない。これは訓練でも試合でもない、人間と吸血鬼の殺し合いなのだから。
「首を切って、心臓を刺して」
吸血鬼の殺し方を簡潔に叫びながら、芽衣子は目の前で倒れ込んだ戦士の足を掴み、後ろへ放り投げた。
「早くトドメを」
さらに剣士も掴んで投げる。
とても再生時間が足りない死に体の吸血鬼二人が、班員達の前に転がった。
それでも、彼らはまだ動けなかった。
狂戦士の、あまりにも圧倒的な武威を前にして。
「――――お願い、ジュリアス君」
「めっ、メイ……」
そこで、ついに狂戦士が、否、芽衣子が振り向いた。
怒るでもなく、恨むでもなく、ただ静かな眼差しが、立ち竦んでいたジュリアスに向けられる。
そんな風に見つめられて、ようやく思い出す。
彼女は吸血鬼を凌駕する怪物ではなく、仲間なのだと。この『勇星十字団』に所属する、仲間。
生まれはこの世界ですらない異邦人。ただ勇者パーティになれるかもしれない、という私欲のためだけに、接近していただけ。
料理の腕は確かだし、強いことも間違いないが、闘争心とは全く無縁な優しい彼女の姿に、侮っていたに違いない。
今、ジュリアスはようやく思い知った。『狂戦士』双葉芽衣子の力を。
そして今この時、彼女こそが救世主だ。
絶望的な吸血鬼軍団を打ち倒せる、ただ一つの希望。
きっと、このまま自分達が何もしなくても、あまりの恐ろしさに身動き一つとれなかったとしても、彼女は救うだろう。たった一人で、吸血鬼を殺し尽くすに違いない。
けれど、それでいいのか。
否。断じて否である。
ジュリアスの胸に宿るのは、騎士の誇りか、男の意地か。あるいはもっと別の何かか。
自分でも分からない。けれど、するべきことは分かった。
他でもない、芽衣子が自分の力を求めてくれたのだから。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「なっ、止めっ、ぎゃぁああああああああああああああああああああっ!?」
初めてモンスターと戦った時のような、必死の雄たけびを上げて、ジュリアスは倒れた吸血鬼に剣を振り下ろした。
手足がバキバキに折れ曲がって、芋虫のように無様にもがくことしか出来ない状態の相手だが、それでも『血闘術』の力はまだ働いている。
硬い。首に浮かんだ紋様が、ジュリアスの刃を弾く。
最初に繰り出した『一閃』とは比べるべくもない、心と太刀筋の乱れた一撃は、吸血鬼の首筋を浅く切り付けるに留まり、骨にも届かなかった。
だが、それが何だ。
一度で上手くいかないなら、何度だってやってやる。
相手は丸太も同然。恐れるな。殺すのはこちらだ。
「舐めるなよっ、バケモノが……俺が上でっ、お前がっ、下だぁあああああああああああああああああああ!」
受けた絶望と恐怖と屈辱、それら全てを払拭するような叫びを上げて、ジュリアスは滅茶苦茶に剣を首へと叩きつけた。
最早、吸血鬼も言葉にならず、血の泡を吹いて白目を剥く。『血闘術』によって首は守られているが、刃が叩きつけられる度に衝撃が走りぬけ、体がビクンと跳ねる。
そうして、ついに頸椎すら叩き切り、首が落ちた。
「あぁあああああああああ! 死ねっ、死ねぇええええええええええええ!!」
転がり落ちた生首を踏みつけ、最後のトドメとして心臓に切先を突き立てる。
ジュリアスの手には、確かに胸板を貫き、心臓を穿った感触が伝わった。
「はぁ……はぁ……」
「お、おい、待て、止めろ……止めろって……」
荒い呼吸に血走った目で、ジュリアスはもう一人の倒れた吸血鬼を見下ろす。
相方がすぐ隣で、成す術もなく殺されたのを目の当たりにされたばかりだ。つい先ほどまで、劣等種の人間と蔑んでいた余裕など、もうどこにも残ってはいない。
「止めろっ、助け――――」
「みんな、やるぞ。首を落として心臓を刺せば、吸血鬼は殺せる」
一周回って冷静な指示の声を、ジュリアスは発した。自分でも、吹っ切れたことが分かる。
「おっ、おぉおおおおおおおおお!」
「やるぞっ! 俺達も!」
「ジュリアスに続けぇーっ!!」
血濡れのジュリアスの姿は、仲間達に恐れよりも、一歩を踏み出す勇気を与えてくれたようだ。
声に震えこそ残るが、手にした武器を握る力は強く、戦意が湧いてくる。
そうして彼らは勇気を胸に、もう一人の倒れた吸血鬼へと殺到した。
「みんな、ありがとう」
吸血鬼の絶叫が響き、仲間達が動き出したのを背中で実感した芽衣子は、穏やかにそう呟いた。
これなら、この場はもう大丈夫そうだ。トドメは彼らに任せて、自分は立てない程度に吸血鬼を痛めつけるだけで済む。
そして何より、怯えて固まっているよりも、自ら動いて戦闘に参加してくれる方が、よほど安全な立ち回りだ。これで流れ弾が逸れてウッカリ、なんて間抜けなことも起こらないだろう。
「それじゃあ、どんどん行くよ」
ジュリアスが雄たけびを上げて切り付けていた最中に、すでに追加で二人ほど斬り伏せている。
ハルバードで手足を斬り飛ばし達磨にされた哀れな吸血鬼を、一人は首を掴んで放りなげ、もう一人はサッカーボールでパスを出すように蹴り飛ばして後ろへ送った。
「クソッ、硬ぇんだよ!」
「おい、首は斧で叩き切れ!」
「心臓は剣で刺せ! 槍持ちは体を突いて動きを止めろ。一切の抵抗を許すな」
「ひぃいい……た、助けっ、いぃいぎゃぁあああああああああああああああああああああ!!」
ジュリアスの指示に従って、班員のトドメ作業もスムーズに流れて行く。
『血闘術』で強化された肉体は頑強だが、無抵抗なら問題なく処理できる。斧で首を落とし、剣で心臓を刺し、槍は万が一にも反撃されないよう抑えに回る。
班員をさらに二つに分けて、二人を同時進行で殺せるような体勢で、芽衣子が寄越す吸血鬼を待ち構えた。
「退けぇ! この俺が止める!」
完全に押されている、その流れを食い止めるべく、吸血鬼の中でも一際大柄な男が前へと出てきた。
身長は芽衣子を超え、その全身は重厚な鎧兜に包まれている。さらに鎧男が構えるのは、分厚い大盾だ。
すでに圧倒的な狂戦士の膂力を目の当たりにしている。生中な防御では叩き潰されるだけ。
だからこそ、最大の防御を誇る自分が体を張って食い止めようというのだろう。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
気合の叫びと共に、鎧男の全身が『血闘術』によって赤々と輝き、芽衣子へ向けて突進する。
初手の『剛撃』のお返しとばかりに、突進系武技の威力も乗っている。この鎧男の身には、大型トラックに匹敵する破壊力が宿っているだろう。
「――――『破断』」
芽衣子は武技でもって、それを真っ向から迎え撃つ。
とても人の戦いで起こったとは思えない、途轍もない金属の悲鳴が轟く。
横薙ぎに放った『破断』は鎧男が突き出した大盾を切り裂き、腕を切り飛ばし、最も厚い装甲で守られた胴を両断――――するかという、半ばで止まった。
普通ならば即死。胴の半分まで巨大なハルバードの刃が食い込んでいる。
それでも吸血鬼の生命力は、戦闘を可能とさせる。
「ごっ、おぉ……いぃ、今だぁあ!!」
鎧男は体に食い込んだハルバードを、残った片腕で握りしめ、決して離すまいという覚悟で踏ん張った。
芽衣子も流石に、これほど体を叩き切られても尚、諦めずに武器を抑え続ける鎧男の気迫に驚く。よくこんなに頑張れるなと。
あと一秒でもあれば、死に体の吸血鬼が抑え込むハルバードを力づくで引き抜くこともできたが――――鎧男が決死の覚悟で作った隙を、仲間は見逃さなかった。
大振りのナイフを握った盗賊と、チェインメイルを着込んだ女の剣士、二人が素早い踏み込みと連携でもって、この瞬間に芽衣子へと襲い掛かる。
「ハッハァ! 武器を手放したなぁ!」
「よくやったわ!」
芽衣子はハルバードをあっさり手放し、バックステップで二人の攻撃を回避した。
これで芽衣子は丸腰だ。
最大にして唯一の武器を失えば、如何に狂戦士でも――――そう二人は思ったに違いない。
リーチの長い、吸血鬼でも受ければ一撃必殺級の威力を誇るハルバードでの攻撃がもう無いことで、二人は間髪入れずに強気の攻めへと出た。
次こそそのデカい体を切り裂く、という気迫を持って繰り出した一撃は、突如として芽衣子の姿が目の前から消えたことで、虚しく宙を薙いだだけに終わった。
こんなデカい女を、見失うなどありえない。そう思った時には、もう遅かった。
なんてことはない、芽衣子はただ大きく身を沈め、地を這うような体勢で回避したに過ぎない。強靭にして柔軟な肉体、そして何より超人的な身体能力による身のこなしの速さ。単純なフィジカルで、吸血鬼の反応を上回って動いているだけのことだった。
そして伏せた体勢から流れるように繰り出されるのは、長い脚が鋭く空を裂く回し蹴り。
脛を薙ぎ払うような蹴足は、枯れた細枝でも折るかのように、容易く吸血鬼二人分の足をへし折った。
「ちょっと借りるね」
足ごと薙ぎ払われて仰向けに倒れ込んだ拍子に、吸血鬼の目に映ったのは、鉄槌の如き重さをもって放たれた靴底。
二度、連続して放たれた踏みつけは、武器を握る手を正確に粉砕した。
足を折れ、利き手が砕かれ、ついに苦悶の声を上げた時には――――
「来たぞっ、殺せ!」
「コイツら片腕は無事だぞ」
「俺が抑える! まずは首だ!」
「ふぅ……ふぅ……吸血鬼、殺すぅ……」
すっかり吸血鬼の返り血で真っ赤に染まり、どちらが鬼か分からないような形相を浮かべた団員達に、二人は囲まれていた。
「あっ、ああぁ……そんな、チクショウ……」
盗賊と女剣士が、貪られるように滅多刺しにされている姿を背景に、ナイフと剣をそれぞれ握った、狂戦士が立つ。
それは、あまりに絶望的な光景だった。
涼しい顔で仁王立ちする狂戦士を前に、決死の覚悟でハルバードを食い止めた鎧男は、ついに膝を屈して倒れ込んだ。




