第464話 オーマの沙汰
「――――その栄誉を讃え、ここに『祈祷師』ハピナへ、勲章を授与する!」
「はっ、はひ……ありがとうございましゅぅ……」
如何にも貴族の紳士然としたワイルダート伯爵から、ガチガチに緊張して引きつった表情のハピナが、鷹を模したエンレブムを受け取った。
すると、大勢の人々から拍手と喝采が送られる。このアストリアにまた一人、新たな若き英雄が誕生することを祝福して――――
遡ること数週間前。
小太郎の手引きによって、ハピナは無事にゴーマ村からの脱出を成功させた。
それも、ただの成功ではない。大成功である。
最初は小太郎の言う通り、夜になるまで大人しく戻された地下室で待ち、鐘楼の音と共に行動を開始した。
有無を言わさずハピナが『ガイアパワー』の強化を発揮して扉をぶち破れば、博士達ももう後に続くより他はない。
予定通り、地下室と通路の警備についていたのは、屈強なゴーヴ戦士ではなく、ただのゴーマ。それも、持たされていた電撃刺股は、何故か電撃が発生しない欠陥品である。
一方ハピナは、戻る前に小太郎にこっそり渡されていた、三段式に伸縮できる警棒(電撃付き)で、一方的に叩きのめした。
それから忘れることなく、面会した地下の別室に装備の回収を行う。そこには全員分の装備に加えて、オマケとばかりに銃やグレネードなどの追加武装に、ポーションや携帯食料といった充実のオプションも取り揃えられていた。
そうして万全の装備を整えて公民館を脱した後は、召喚したハピマルの誘導に従って村の外を目指し始めたのだが――――その道中で、他にも囚われていた人間達も救出することとなった。
結果的に、ハピナは博士一行に加えて、この村の住人に、自分達と同じようにたまたまここを訪れて捕まった不運な商人や旅人、と結構な大所帯となって村を脱してきたのである。
そうして終わってみれば、ハピナはゴーマに生け捕りにされるという絶望的な状況にも関わらず、貴族に名を連ねるワイルダート博士を筆頭に、多くの人々をゴーマの魔の手から救った、一番の功労者となった。
これに最も謝意を示したのは、博士の弟である、ワイルダート伯爵その人。次に救い出した人々とその関係者。そしてついでに、ここ最近はずっとオーマ率いるゴーマ軍団のせいで大損害を被っているギャングと太い繋がりを持つ、南聖卿であった。
敬愛する兄の窮地を救った小さな祈祷師へ、ワイルダート伯爵が感謝を讃えるべく、勲章授与を申請。それに相乗りする形で、オーマの軍団に一矢報いたという成果のアピールのために、南聖卿も強く賛同。有力な伯爵と四聖卿の一人の後押しもあって、ハピナの勲章授与がトントン拍子に進んでいった。
そして今日、本人には全く実感がないまま、英雄へと祭り上げられたハピナは勲章をその手にすることとなったのだ。
「いやぁ、改めて振り返っても、見事な大脱出だったね」
「あはは……そ、そうですね……」
無事に勲章授与式を終わった後、ハピナは博士と二人で面会していた。
そもそも二人が知り合ったのも、偶然のようなもの。今はただのソロ冒険者に過ぎないハピナと、アストリアで名の知れた魔物学者。元より依頼が終われば、二度と会うことはないような、立場の異なる二人である。
故にこの面会も、きちんと挨拶をして別れるための場であるのだと、ハピナも理解していた。
「さて、改めて言わせてもらおう。ハピナ君、本当にありがとう。君がいなければ、私たちは全員、ゴーマ神への生贄として捧げられていただろう」
「いえ、ハピナはただ、自分に出来ることをやっただけなのです」
正に地母神の加護を賜るに相応しい、純粋な微笑みを浮かべるハピナを眩しいものでも見るような眼差しで、深々と礼をした後――――博士は本題を切り出すこととした。
「ところで、ハピナ君はオーマを指して『コタロー』と呼んでいたね」
「えっと……ただの勘違い、だったので、ちょっと恥ずかしいですぅ……」
嘘が上手に吐けないハピナは、あからさまな苦笑いを浮かべて視線を逸らす。
脱出した後に、この件は一度、博士に問いただされていた。その時は小太郎に言われた通りの弁解をした。それを聞いた博士は、特に追及することもなく話は終わったが……最後の最後に掘り返されたことで、ハピナはちょっと焦ってしまった。
「『コタロー』とは、実に不思議な響きだ。少なくとも、アストリア語圏の名前ではないね」
「えへへ、変わった名前、ですよねぇ……」
「それにディアナでも、こうした名前は聞かない。強いて似た響きがあるものを挙げるなら……異界からの来訪者、異邦人くらいだろう」
「異邦人……?」
異なる世界から、この世界へ迷い込む者がいる、というのは有名な話である。パンドラ聖教に伝わる数多の伝承の中にも、異邦人に関する話は幾つか存在し……なにより、アストリアでも異邦人の存在は現実として確認されてもいる。
だが、何故このタイミングで異邦人の話が出るのかとハピナは思ったが、
「東の迷宮都市ヴァンハイトで話題の『黒髪教会』というクラン。率いているのは、『モモカワ・コタロー』という名の少年なのだが……同じ名前が出て来るのは、偶然が過ぎるとは思わないかね」
「えっ、それじゃあ……コタローは、異邦人なのですか……?」
「悪いが、少し調べさせてもらったよ。ハピナ君、まさか君があの『無限煉獄』第三階層突破を成し遂げた、フルヘルガー討伐戦に参加していたとはね」
「うっ!? そ、それは……」
ここまで言われれば、ハピナもまずい、と瞬間的に理解した。
ハピナとしては、黒髪黒目に変わった名前の響きから、指摘されるまでどうして小太郎が異邦人の特徴を持っていることに気づかなかったのか、と驚愕していたが、隠さなければならない秘密が明らかになりそうな危機に直面し、気にしている余裕は無くなった。
不運だったのは、フルヘルガー討伐によって、五十年ぶりに階層が更新された一大事とあって、小太郎の名は広く知れ渡ったこと。そして伝説的な討伐戦ともなったフルヘルガーとの戦いに参加したメンバー、中でもフルヘルガー本体と直接相対し討ち取った討伐組の名もまた、広く公にされている。
博士でなくとも、ヴァンハイトの管理局でちょっと調べれば、すぐにでも分かることだった。
「黒髪教会の御子コタローと君は顔見知り、あるいは、もっと深い仲にあるのだろう」
「えっと……はい……」
「そしてあの時、オーマを見た時の君の反応は――――いや、これ以上はよそう。私はね、ハピナ君、命の恩人である君を困らせたいワケではないのだ。君がこの事を秘密にしたい、と思っているならば、それを無理に暴くことはしないよ」
ハピナのあまりにも素直すぎるリアクションを前に、博士もそれ以上の追及は無駄だと悟ったようだ。
少なくとも、自分が知りたかった反応は、すでに得られたのだ。台詞の通り、これ以上ハピナを追い詰めるのは本意ではない。
「この話は、ここまでとしよう」
「はひぃ……」
もうギブアップ、と言いたげな様子のハピナに、落ち着くようコーヒーを勧めてから、博士はもう一つの本題を話すことにした。
「さて、君は私の命の恩人。私なりに、何が返せるだろうかと考えてみたよ」
「お礼なんて、とんでもないです! 脱出したのだって、ハピナだけの力じゃなくて、みんなで頑張ったからなのです!」
「そう言ってくれる君は、実に地母神の信徒らしい清い心根だ。そんな無欲な君には、一つ大きな願い、いや、夢があるだろう」
聖女になる、というハピナの夢は、確かに旅の道中で博士にも語っていた。
そのために、今の自分は修行の身であるとも。そして修行をするにも生活費は必要で、割りのいい依頼に飛びついてしまったと。
「今回の功績を持って、君を『勇星十字団』の入団に推薦しようと思う」
「ええぇーっ!? あの『勇星十字団』ですかっ!?」
このアストリアにおいて、他に『勇星十字団』を名乗る者は決して存在しない。本物の勇者が率いる、真の英雄クラン。
すなわち、ここに所属して活躍するのは、パンドラ聖教において聖女の称号を獲得するに至る、近道でもある。実際、聖女の多くは『勇星十字団』の出身であり、現役にもいる。
その筆頭が、本物の天職『聖女』にして、アストリアの姫君でもあるサリスティアーネである。
「君の夢を叶えることは出来ないが、叶えるための助けにはなるかと思っての申し出だよ。余計なお世話と思うならば、断ってくれても構わない。その場合は金銭での褒賞という、味気ないものになってしまうがね」
「はっ、ハピナが……『勇星十字団』に……?」
子供でも知っている、憧れの英雄クラン。ハピナとて、自分が聖女に至るための道として、ここに入団して大活躍する、という妄想は何度となくしてきた。それこそ子供じみた夢の如く。
けれど、いざそれが現実のモノとして目の前に提示されれば……
「どうかな。君にはそれだけの資格があると思っているのだが」
博士の覚悟を問うような視線を、ハピナは受け止める。
きっと少し前の自分だったら、そんなの畏れ多い、未熟な自分には早すぎる、と断っていただろう。謙遜でも何でもなく、純然たる事実として己の力不足を痛感して、故郷を飛び出し流離いの祈祷師となったのだから。
だがしかし、博士の他にも、もう一人、自分の背中を押してくれた人がいた。
『聖女になるんだろ。精々、この活躍を活かして、名を上げるといいよ。応援はしてるから』
そのメモは、愛用の地母神キョーコ像の胸の谷間に挟まっていた。宛名は無くとも、誰のものかは一目瞭然。
そしてハピナにはもう、踏み出すことを思いとどまる枷もない。すなわち、自分のお腹に子供などいないという事実を、ハピナは受け入れいていた。
村を脱して人心地ついた後、ハピナは恥を忍んで現地の地母神を祀る神殿を訪れ……本当の赤ちゃんの作り方、を懇切丁寧に修道女から学んだ。
そこで明かされる衝撃の事実に、天地がひっくり返ったような驚愕を受けたが――――確かに、男女が裸で抱き合った『だけ』では、子供など出来ようはずもないという事実を知ったのだ。
自分に守り育むべき子供などいない。そして、ここまで自分の夢を応援してくれる人がいるのだ。
ハピナにはもう、迷う気持ちはなかった。
「是非、お願いします! ハピナを『勇星十字団』に入れてください!!」
◇◇◇
「流石はオーマ様!」
もう幾度となく口にしてきた賞賛を、ダンは叫ぶ。
それに続いて、配下の戦士達も口々にオーマの叡智を讃え、そして再びニンゲンとの戦いに勝利したことを喜んだ。
「よもや、こんな場所にも隠れ潜んでいるとは、俺には思いもよりませんでした」
「はぐれ者は逃げ隠れすることに長けておる。引いては、巣を巧妙に偽装することにもまた、長けておるものよ。ニンゲンはこのような手も使うのだと、覚えておくがよい」
「ははぁーっ!」
今回は、近隣に潜んでいたニンゲンの拠点を襲撃した。例によって例のごとく、オーマが自らの使い魔によって見つけ出したものだ。
そこはただの山小屋。ニンゲンの猟師や木こりなどが利用するような、何の変哲もない木造の小屋である。
しかし床板を外せば地下に通じる階段が現れ、小屋の面積よりもずっと広い地下室が広がっていた。
ここがマーラ畑の奪還を目論むはぐれ者の勢力『ギャング』と呼ばれる者達の拠点であることは、今のダンならよく分かる。
すでに幾度となくニンゲンのギャング勢力と戦い続けているので、ギャング戦士の風体や武器、戦い方といった特徴はしっかり覚えている。この拠点には、正しく典型的なギャング戦士しかいなかった。
「しかし、この程度の規模とは。拍子抜けです」
「うむ、これは本命ではない。ただの監視拠点といったところだな」
オーマに付き従い大戦士たる自分に、村の占領に連れてきた戦士全員まで率いて襲撃を仕掛けたというのに、ギャングの拠点は予想よりもずっと小さなモノだった。
小屋の隠し階段には驚かされたが、それでも潜伏していたニンゲンは全部で十体にも満たない。
終わってみれば、確かにオーマのいう通りなのだと納得できる。この規模では、とても大勢の戦士を連れて攻勢をかけるための拠点とはなり得ない。こちらの動きを監視する、いわば広い山中で獲物を探し回るための狩猟小屋のようなものだと、ダンにもすぐ理解できた。
「これならば、オーマ様自ら出張る必要などありませんでしたね」
「うむ、余も少々心配が過ぎたようである――――最早、ここに見るべきモノは何もない、早々に引き上げるとしよう」
「はっ、オーマ様! おい、撤収だ! 急ぎ村へ戻るぞ!」
かくして、意気揚々と占領した村へと凱旋を果たしたのだが――――
「こっ、これは……一体どういうことだぁっ!!」
ダンは激怒した。
怒りのままに、目の前で這い蹲っているゴーヴの首を刎ねなかったのは、オーマの薫陶の賜物と言えよう。
「ひっ、ヒィイイ……お許しくだせぇ、戦士長様ぁ……」
「どれほどのヘマをすれば、あれだけ大勢捕らえたニンゲンを取り逃すというのだ!」
あらためて言葉にすると、本当に信じがたい大失態である。
この村はつい最近、総力を挙げて占領した新しい村だ。今まで奪ってきた村に比べると、随分と規模の大きな立派な村である。
それをオーマの巧みな指揮によって、僅か一晩で制圧してみせた。これまでで最も大きく、それでいて鮮やかな勝利と言えよう。
そうして占領した村では、そこに住む大勢のニンゲン達を捕らえた。襲撃の際に、半分ほどは逃げ出していたが、もう半分は生け捕りに成功したのである。
これほどのニンゲンを喰らえば、どれほど強くなれるか。あるいは、ゴーマ神に捧げて、オーマが新たな力を授かるか。
これまで以上の躍進を期待せざるを得なかったが――――襲撃から戻ってみれば、捕らえたニンゲンは全て脱走していた。
そしてこの大泣きに泣いて這い蹲っているゴーヴは、襲撃には参加させず、村の留守を任せていた戦士である。
村に残ったゴーヴはこの一人だけだが、それを補うだけの大人数のゴーマ兵を任せていた。
それにも関わらず、この体たらく。
「お許しくだせぇ……どうかぁ、お許しをぉおおおおお!」
「ふむ、ならば申し開きを聞こう。ダンよ、剣を抜くのは、この者が何を見たのか、よく聞いてからにせよ」
「はっ……オーマ様の、仰せのままに」
激高しているのは自分ばかりか。いやに冷静なオーマに言われては、ダンも大人しく申し開きを聞かざるを得ない。
「さぁ、ゆっくりでよい。我ら戦士団が村を出た後、何が起こったというのだ?」
「へっ、へぇ……ありゃあ、陽が沈んだすぐ後のことで……突然、村から火の手が上がって……」
「ほう、火事が起こったと。誰ぞ火の不始末か?」
「わっ、分からねぇだ……」
「何故、火事が起きたかは、分からぬと」
「分からねぇ! オデ、何も分からねぇだよ!? いきなり、あちこちから火がブワァーって上がって!」
「それで、火事を消そうとしたのか?」
「消そうとした! すぐみんなで消そうとしただが……い、いきなりニンゲン共が、逃げ出して……」
「ニンゲンが、何故逃げた? しかと見張りを立て、閉じ込めておったであろう?」
「そっ、それは……分からねぇだ……」
「ふぅむ、それも分からぬ、か……」
しみじみと、考え込むようにオーマは俯く。
ここは村の中央広場であり、戦士団を筆頭に村を制圧していたゴーマ達が全員集っている。普段はギャアギャアとやかましい群れが、今は水を打ったように静まり返っている。
誰もが、オーマの沙汰を待っていた。
今はただオーマが、コツ、コツ、と杖で石畳を叩く音だけが反響する。
「では、何故か分からぬが火事が起き、何故か分からぬがニンゲンが逃げ出し――――そして貴様は、逃げ出したニンゲン一匹を取り戻すこともできず、ただここで蹲っていると」
「うっ……あ、ああぁ……」
「オーマ様、これ以上、聞いたところで無駄でしょう。即刻、処罰すべきかと」
冷淡なダンの声が響く。
だが自分の言葉以上に、これまで聞いたことが無いほど失望に冷え切ったオーマの声に、ダンは内心で冷や汗を流す思いであった。
もしも自分が、全くワケも分からぬ内に取り返しのつかない失敗をしでかしてしまったなら。もしも、この失望の声と眼差しを、自分に向けられたなら。
その想像に、ダンは絶望的なまでの暗い恐怖を覚えた。
「ダンよ、この不始末、如何に処罰するべきと思う」
「この者にはあらんかぎりの拷問を。村にいたゴーマ共は、全て役立たずとして死すべきかと」
「そうか……」
ダンの言葉と、それに頷くオーマを見て、ここに集った者達の反応は一気に二分した。
一つは、ダンの戦士団。今すぐとんでもない大失態をしでかした馬鹿どもを皆殺しにすべきと、俄かに殺意を発す。
もう一方は、村に残っていたゴーマの雑兵達。この瞬間に自分達が死刑になったと悟り、恐れ慄き、今にも泣き喚いて逃げ出しそうな悲壮な気配が漂った。
「責を負わせるならば、この者に留守を命じた余にもあると思わぬか?」
「そんなっ、とんでもございません! 全てはオーマ様より村を預かる大任を授かったにも関わらず、ニンゲン共の脱走を許した、この者の責にございます!」
「うむ、そうだ。この者には、余が託した命を授かった責がある。しかし、余は村に残ったゴーマ一人一人にまで、その重責を負わせたワケではない――――王の命を授かる重責を負うは、将の務めよ。兵にまで、その責は無い」
「そ、それでは……御沙汰は如何様に……?」
「将として失敗の責を果たすべく、自ら命を断て」
そう言ってオーマは、一振りの短剣を投げる。錆も浮かばず、刃も欠けたところのない、綺麗な鉄の短剣だ。
ただ一人責を負わされたゴーヴは、その切れ味鋭い刃の輝きを呆然と見つめる。
「何も分からず、火は点けられ、ニンゲン共は逃げ出した。そして逃げ出したニンゲンを再び捕らえることも、すでに叶わぬ。ならば後は、責を果たせなかった将としての務めを果たすのみ。すなわち、潔く自らの罪を詫びて、死ね」
「あっ、そんな……お、オデは……オデのせいじゃ……」
「案ずるな、余がしかと見届けてやろう。その刃にて、喉でも腹でも、好きな場所を裂くが良い。さすればお前は将の務めを果たしたとみなし、一人の戦士として弔う――――遥かなる地の底にて、ゴーマ神はお前の魂を気高き戦士として迎え入れるであろう」
「うっ、うううぅ……」
「さぁ、刃を手に、名誉の死を余と神に捧げよ」
言われた通り、ゴーヴは短剣を手に取った。
しかし、それは獰猛なゴーヴの本能によって、自らに死を強いる理不尽に抗うためだ。目の前が真っ赤に燃えるような怒りと共にゴーヴは俯いた顔を上げると――――そこにあるのは、オーマの凍えるような視線。
そして、隣にあるのは部族唯一の大戦士にして戦士長たるダン。彼の目は、最初の怒り狂った感情はすっかり消え失せた、どこか憐れみすら感じる目だった。
それを認識すれば、ゴーヴはさらに気づいてしまった。
自分を取り囲むゴーヴ戦士達は、さながら困難な使命を果たしに向かう者を、見送るような目をしていると。
そのさらに外側、昨晩から自分と同じくワケも分からず大火事とニンゲンの大脱走に右往左往していた大勢のゴーマ達。彼らの縋るような目。
そんな視線に晒されていることに気づいた時、ゴーヴは理解した。
今ここいる全員に、心から自分の死が望まれているのだと。
それはゴーマにありがちな、ただの瞬間的な怒りによって殺されるのではない。死んだ方が良い。死ななければならない。
自分のために。部族のために。
そんな、誰からも望まれた死があるのだと、ゴーヴは初めて理解した。
だから、死ねば助かる。
オーマと戦士達に見送られて。そしてゴーマの神が、奈落の楽園に迎え入れてくれると。
こんなどうしようもない大失敗をしでかした自分が、戦士として、将として、報われるというのだ。これを救いと呼ばず、何と呼ぶべきか。
「ああっ、オーマ様ぁ……務めを、果たせず……申し訳、ございません!!」
そしてゴーヴは、自ら首を斬った。
元より膂力に優れたゴーヴ戦士。覚悟を決めて振るった一太刀は、見事に己の首を半ばまで切り裂いた。
「見事、よくぞ将の務めを、最後まで果たした」
オーマの言葉に、ゴーマ達の歓声が村一杯に木霊した。
◇◇◇
「よーし、これで万事解決だっぜ!」
いよっ、名奉行! なんて歓声が聞こえてきそうなほどの大盛況で、村の大火事&ニンゲン大脱走は、ゴーヴ一匹に全ての責任を負わせて、解決と相成った。
まぁ、僕が火を点けてハピナ達を逃がしたんだけどね。こんな綺麗なマッチポンプ、なかなか出来ないよ。
しかし、ゴーマの死生観など分からないけれど、何となく戦国武将的な価値観と、死んだら天国行けてハッピー的な定番宗教観を、厳かに押し付けてみれば……こんなに大当たりするとは。
ゴーマの天国が地の底にあるとか云々は全部僕の思いつきだけど。本物オーマが本物のゴーマ神に供物を捧げた時、魔法陣からタコの触手みたいなのが出てきて引き摺り込んでいたから、深き者系のイメージあったんで。
それで将の名誉と死後の天国行きを保障してやれば、最初は言い訳全開だったゴーヴも、なんやかんやその気になって、自ら首を切ってくれたってワケ。
ありがとう。君の無様な泣き喚きぶりと、見事な自決の覚悟。正しくこの僕、オーマが望んだ百点を超える、百二十点の反応だ。天国、行けるといいね。
「それに比べてハピナは……」
アイツは一体どこまで、僕の期待を斜め上に裏切ってくれるのだろう。
まさかこんなところで、のこのこゴーマに捕まってるとは。お前いっつもゴーマに捕まるな!?
それも一目で変装見破ってくるし……しかも他の人目があるところで、僕の名前を一言目で叫ぶという。あまりにも早い情報漏洩。僕じゃなくても見逃されない。
「とりあえずの口止めと言い訳は仕込んだけど――――ハーディン・ワイルダート、高名な魔物学者様ともなれば、ハピナの発言の意味に気づけるし、調べをつけることもできだるだろう」
博士の名前は僕でも知ってる。特にヴァンハイトで冒険者活動を始めた頃は、とりあえず管理局でモンスター情報調べておこうと資料を漁ったら、ほとんどこの人の著書だったからね。アストリアの魔物生態学を一人で支えてんのかっていう、実に偉大な学者先生である。
まぁ、モンスターの研究には冒険者と同等か、それ以上の命の危険があるから、よほどの覚悟と興味が無ければ手を出せないから、発展しにくいのも仕方ないかもだけど。
よりによってそんな人物に僕の名前を聞かれてしまったのは問題だが……『黒髪教会』の御子コタローに辿り着いたところで、この南東部で猛威を振るっているオーマ軍団との繋がりなど一切、分からないだろう。
だって分身の僕が完璧なゴーマ変装でもって、単独行動しているだけなのだから。幾らでもシラなど切り通せる。オーマたるこの身が捕まって、変装を暴かない限りは。
「まぁいい。どの道、オーマの侵攻もこの辺で止めるつもりだったし」
アストリアの支配も及ばないジャングルの中に開かれた麻薬密造畑の占領から始まった、ギャングへの侵攻だが、いつまでも続けるワケにはいかない。このまま調子に乗って進軍し続ければ、次の村か、その次の町で間違いなく全滅する。
この地域に流れる大河であるミドガルド河、その支流がこの村のちょうど目の前を流れている。支流とはいえ、なかなか立派な大きさの川である。首都側から村へと入るためには、川にかかった古臭い橋を渡らなければならない。
つまり、地形的に守りやすい立地にあるのだ。この村を攻めようと思えば、橋をかけるか、船で渡るしかない。大軍をもって一気に攻めづらい。アストリア軍も、奪還するためには相応のリスクを負わねばならないため、攻めるには二の足を踏むだろう。
もしもギャングが多額の賄賂を送って、即座にアストリア軍が動いたとしても……ゴーマなんて幾らでも使い捨てても惜しくない兵士だ。この村に築いた即席の防衛陣地と、ニンゲンへの殺意は常に全開な死兵ゴーマをつぎ込めば、かなりの打撃を与えられる自信がある。
アストリア軍が何とかこの村の制圧に成功したとしても、ここからジャングルに近いさらに僻地の村まで解放しに行くのは、さらに迷うこととなるだろう。
それでも、どれだけ犠牲を払ってでも全ての村を取り戻す覚悟で攻めらたなら、その時は大人しく、またジャングルに引っ込めばいい。
最悪、僕の正体さえ露見しなければ、このオーマ勢力など一匹残らず殲滅されたって、さして惜しくはないし。分身一人分の労力で、ゴーマを南東部に常設できる予備戦力扱いになる、と思ったからやってるだけで。ダメになったら、別にこだわる理由など何もない。
「まっ、落ち目のギャング如きに、そこまでアストリア軍を動かす力なんて無いだろうけど」
軍だって自分のとこの兵士に犠牲が出るとなれば、戦いは渋るだろう。
そしてこの辺のド田舎村は、麻薬生産の他に価値など無い。強大で狡猾なゴーマ軍団が居座ったならば、これを追い出すコストに見合わぬと、この地方を治める領主も判断する可能性が非常に高い。
是が非でも取り戻したいと願うのはギャングばかりで、軍も領主も負担が大きすぎるとなれば、早急な奪還作戦と大規模な戦力投入は決断しにくいだろう。
「僕は別にどっちでもいいけど、精々どうするか存分に議論するといいよ」
その間に、僕はこの村を拠点化し、これまでの占領地をオーマ領として実効支配していくだけのこと。ここが立派な拠点になれば、晴れて僕の目的であるタダで使える南東部の予備戦力化は最上の形で達成される。
「さて、アストリア領への侵攻はここでストップするから……次は、ジャングルの奥で随分とイキり散らしているらしい、ゴーマの大部族とやらを征服してやろうかな」
この偉大なるゴーマ王オーマ様が、未開の蛮族共に文明というモノを教え込んでやるんだぜ。




