第455話 入団式
結局、俺はサリスの言う通り『勇星十字団』というダンジョン攻略の組織に入ることとなった。
今のところ、サリス含めてパンドラ聖教の者からも、俺が『勇者』としての使命を遂行することに疑問を持たれている様子はない。その辺はやはり、宗教の権威が強いからこそなのだろうか。
正直、自分がいつまでも演技で奴らを騙し通せる自信はないが、現段階では大人しく従っているフリをするより他はない。いつか決定的に聖教と決別する時が来るとしても、委員長と夏川さんの二人だけは、何としても守り抜かなければならない。
だから自分一人で、イチかバチかで脱走なんて手段は取れないし、慎重に行動するべきだ。
「二人とも、本当にそれでいいんだな?」
「勿論よ。悠斗君にだけ戦わせて、自分達だけ平和な場所で過ごすなんて真似できないわ」
「にはは、ダンジョン攻略なんてすっかり慣れっこだし!」
サリスは俺と同じような説明を、委員長と夏川さんにもする機会を設けた。その上で、二人は俺と共に『勇星十字団』へ入り、四大迷宮攻略に協力すると意志を表明した。
これが洗脳や記憶改変によって操られた結果なのかは分からない。俺としては、何もなくとも二人ならこう言うだろうという信頼もある。
今日まで二人と過ごしてきたが、少なくとも日常生活を送る上で、性格や言動に変化は見られない。二人は俺のよく知るままで、いきなり女神エルシオンの信仰に目覚めたような気配もなかった。
ならば二人に施されているのは、記憶の改竄だけで済んでいると見るべきか。
「二人とも、ありがとう。けど、もう命を賭けてでも先に進まなければいけない状況じゃないんだ。絶対に無理はせず、安全第一で行こう」
「あら、一刻も早く世界を救うんだ、って言うところじゃないの?」
「勘弁してくれ……世界を救うよりも前に、まずは仲間を守らなきゃいけないんだ。俺はもう、これ以上仲間を失うのだけは、絶対に御免だ」
「うんうん、そうだよね!」
「ええ、仲間の犠牲覚悟で戦うような真似は、もう二度としたくはないものね」
かつての俺なら、あるいは『勇者』の力だけでダンジョン攻略を成し遂げていれば、俺は本当に「一刻も早く世界を救うんだ!」なんて馬鹿なことを叫んでいただろう。
でも、俺はもう嫌と言うほど思い知った。俺は世界を救う勇者なんかじゃない。直ぐ傍に潜んだ悪意に気づきもせず、自分の正義だけを信じて突っ走るだけだった。
その結末が、あのダンジョンでの最後の戦いだ。委員長と夏川さんは、俺の馬鹿な行動の巻き添えを喰らって、ここで一緒にいるようなものである。
「サリスはアストリアのために、攻略を急ぐかもしれない。でも、俺は安全第一で行く。準備に情報収集も抜かりなく、少しでも怪しいと感じれば、すぐに退こう」
「ふふ、なんだか昔の私みたいなことを言うわね」
俺もそれとなく探りは入れたが、どうやら記憶改竄をされた二人の間で、桃川の活躍は自分や他のクラスメイトがやったこととして分散しているようだ。
「学園塔に来た最初の頃は大変だったよねー」
「そうね、みんな一触即発だったし」
「私、学級会の時とか怖かったよぉー」
「けれど、曲りなりにも全員がまとまったし、準備と作戦があったからこそ、あのヤマタノオロチを倒せた……でも、あの時に私がやったことって……」
「倒した後も何か大変だった気がするよ。えーっと、あれ何で騒いでたんだっけ? みんなで乾杯してたのは覚えてるんだけど」
「そうだったかしら?」
「んんー、でも蘭堂さんが出て行ったり、葉山君連れて戻って来たりもしたような……」
「……まぁ、あの頃は本当に危機の連続だったからな。俺も結構、記憶があやふやなところがあるよ」
「そうかもしれないわね。私達は、あまりにも多くの仲間を失ってしまったもの」
記憶改竄は全く新しい記憶を捏造できるものではなさそうだ。明らかに二人の間に、認識の齟齬がある。
やはりダンジョン攻略の中心だった桃川の存在を消すのは、かなり無理のある改竄なのだろう。
だから要所で何かトラブルはあった気がするが、よく覚えていない。その後はみんなと一緒にダンジョン攻略をしていっただけ、という曖昧な流れになっている。
実際、俺達が天送門で飛ばされた後、どうなったのかは分からない。分からないが、俺にかかっていた『イデアコード』が解除されている以上、小鳥遊さんが桃川の手によって討たれたことは間違いない。
桃川が生きているならば、必ず動く。アルビオン、俺達が死に物狂いで突き進んだあのダンジョンの奥底で、アイツはアストリアを攻略する用意をしているだろう。
このアストリアに、俺達をダンジョンサバイバルに落とした黒幕がいるのだ。呪術師がその恨みを晴らさないはずはない。
しかし、だからといって俺がサリスに頼んで、シグルーン大聖堂の天送門でアルビオンに戻りたい、と言えば確実に怪しまれる。
あそこは勇者が多くの仲間を犠牲にしながらも攻略を果たした、悲劇の場所……ということになっている。よほどの理由がなければ、俺が自分から言い出すのは不自然だ。
だからこそ、『勇星十字団』というダンジョン攻略を目的とした組織にいるならば、きっと他の転移魔法を使う機会も巡って来るだろう。
どこかでアルビオンに通じる転移が見つかればいいのだが……
「あら、皆さんここにいらしたのですね」
表面上は入団式を前に、和やかにテラスで談笑しているといった風な俺達の元へ、やって来たのはサリスであった。
「すまない、もしかして探していたか?」
「ええ、是非とも紹介したい方をお連れしましたので」
また聖教のお偉いさんでも挨拶に来たのか、なんてウンザリしそうな心境を表には出さず、俺は当たり障りのない返答をする。
だが、直後に俺は驚愕の表情を浮かべた。
「どうぞ、いらしてください」
「……わあっ、本当にみんないる」
おずおず、といった様子でサリスの後ろから現れたのは、
「双葉さん!?」
「まさか、無事だったなんて……」
「脱出出来たんだね、双葉ちゃん!」
間違いなく、本物の双葉芽衣子だ。
最後に見たのは、俺と壮絶な斬り合いを演じた中だったけど……今の彼女は『狂戦士』とは思えない、かつて教室にいた頃のように、どこか弱気な表情を浮かべている。
「サリス、どうして双葉さんが」
「彼女はとても運が良かったようです。偶然、こちらの天送門と通じる転移に入り、アルビオンから脱出できたようですね」
嘘だ。そんなはずがあるワケない。
桃川の腹心である彼女が、一人で偶然、外に飛ばされてくるなどありえない。アルビオンから脱したというなら、それは絶対に意図的なもの……すでに桃川は動いたのか?
いや、内部への潜入目的なら、双葉さんではなく、自分の分身を送り込むはずだ。双葉さんを本物の自分の傍から離すなんて配置は絶対にしない。
ならば、これは桃川にとってもイレギュラーなのか――――
「もしかして、この間の侵入者騒ぎの時か?」
「流石はユート様。鋭いですね」
やはり、そうなのか。
あの時、『勇者』リリスが捕らえた賊、その一人が双葉さんなのだ。
ならばもう一人、あの胸に抱きかかえていた小さな人影は、もしかして……
「なぁサリス、双葉さんも、俺達と一緒にいていいんだよな?」
「勿論です。その方が彼女も安心するでしょうから」
「そうしてもらえれば、ありがたいわね」
「良かったね双葉ちゃん! ここはもう安全な場所だよ」
「う、うん……」
どうやら、双葉さんも二人と同様に記憶改竄を受けているようだ。だからこそ、平気な顔して彼女を保護した、一緒にいるといい、などと提案できるのだろう。
その態度に沸々と怒りが湧いてくるが……今は感情に任せてよい時ではない。
「ありがとう、サリス。双葉さんを保護してくれて」
「『聖女』として、当然のことです」
だから今は、笑顔で感謝を彼女に伝える。
だがサリス、お前はいつかきっと後悔するだろう。双葉芽衣子、この恐ろしい『狂戦士』をこの機に殺さなかったことを。
◇◇◇
アストリア最強の冒険者クラン『勇星十字団』には、学校のように年に一度、決まった時期に入団試験が行われる。成人年齢である15歳で、王国中から才能のある若者が集まり、試験期間の前後はちょっとしたお祭り騒ぎとなるものだ。
現役合格で入団できれば、スーパーエリート人生が確定するとあって、夢と希望に満ちた少年少女達で首都シグルーンは大いに賑わい――――その一ヶ月の後に、実力を認められた真に才ある者達だけが、この入団式への参列を許されるのだ。
入団式、そのめでたい門出の日に神々の祝福を得るため、伝統的にシグルーン大聖堂にて開催される。今年もまた、王国中から選び抜かれた者達が、その栄誉と誇りを胸に荘厳な礼拝堂へと並び立っていた。
今年の新団員も例年通り、定員100人きっかり。
王国と聖教、両方の要人も出席する一大式典となる入団式だが、新団員100人が最も注目するのは、そんなお偉いさんなどではない。
「それでは、『勇星十字団』団長、『勇者』リリス様より、祝いのお言葉を賜ります」
その瞬間、美と芸術の極地である礼拝堂が、真の意味で神々しい輝きに照らし出された――――そう、彼女の姿を初めて見た者は錯覚したに違いない。
若く美しいシスター、というのはあくまでリリスの外見を端的に示しただけに過ぎない。その圧倒的な存在感に、誰もが一目で理解する。彼女こそが、アストリアが誇る伝説の勇者だと。
「ようこそ、『勇星十字団』へ。新たな仲間の入団を、私は心より歓迎します」
例年通りの、決まり切った挨拶。しかし本物の勇者の声によって届けられるその言葉は、深く心に染み渡るようだった。
内容はシンプルに、新団員達への歓迎と祝福。そして最強のクランに所属する者として、これより研鑽を重ねて、より高みを目指してくれることへの期待。
ただ肩書が偉いだけの者が言えば、何の面白みも感心もない言葉はしかし、リリスが語りかければ、これ以上なく奮い立つ。故に、新団員達へかける言葉は、これだけで十分。いつもなら、これでリリスの出番は終わる。
「ここで、私から皆さまへ紹介したい方々がおります」
思わぬ続きに、新団員達はザワめく。勇者直々に紹介する必要のある人物など、彼らにはまったく思い当たることがない。
だが彼らの困惑など他所に、リリスはすぐにその答えを提示する。
「ソーマユート」
リリスの呼びかけに応え、壇上に上がるのは一人の少年。
新団員と同じ、真新しい純白の隊服に身を包んだ姿は、誰よりも凛々しく精悍だった。神々しい気配を纏うリリスと並んでも、彼には見劣りしない覇気のようなものが感じられた。
「彼こそ、女神エルシオンが選んだ、新たな『勇者』です」
もう一人の『勇者』の登場に、新団員全員に衝撃が走る。しかし、驚いているのは彼らだけで、出席している王国、聖教、クランメンバー達は黙り込んだまま、ただ見守っているのみ。
目端の利く者は、驚きの中にありながらも、周囲の様子を窺って、どうやらとっくに新勇者の存在は周知されていたようだ、と察した。
「そして、彼女達は勇者ソーマのパーティメンバーです」
続いて壇上に上がるのは、何れも異なる輝きを放つ美少女達だ。
理知的な美貌の『氷魔術師』と明るく溌剌とした『盗賊』。
だが最も目を引いたのは、頭一つ抜けた長身に、リリスに勝るほどの凄まじいスタイルを誇る、『狂戦士』だった。
「彼らはすでに大迷宮を一つ攻略しており、その実力は私も認めるところ。ですが、アストリアに残る四大迷宮を制するには、さらなる力が必要となるでしょう」
新団員達のざわめきが治まらぬ間も、リリスは淡々と話を続けていた。
彼らが今すぐ、正確に内容を理解することも、納得することも求めてはいない。この入団式の目的は、新勇者の存在を公とする、その最初のお披露目なのだから。
「勇者ソーマとその仲間達も、皆と同じ新団員として始めてもらいます。互いに切磋琢磨し、一日でも早く四大迷宮を攻略する力が育まれることを、祈っております」
リリスの挨拶は、そんな言葉で締めくくられた。
かくして、『勇星十字団』には定員100名に、勇者ソーマと仲間が加わり、新団員総勢104名となって、今年のクラン活動が始まりを迎えた。
◇◇◇
パァン! パァン! パパァン!!
と、激しく肉を打つ音と共に、無様な女の声が響く。
「あひぃん! ど、どうか……お許しになってぇーん!!」
「セイヤッ! ソイヤッ!」
悲痛な謝罪の言葉など一顧だにせず、黒髪の少年はひたむきな眼差しで、一心不乱に叩いていた。尻を。
そこは妖精広場のど真ん中。司祭達に抑え付けられた女主教が、肥え太った尻を丸出しに高々と掲げられては、賑やかな祭囃子の太鼓が如く乱れ打たれていた。
「ふふん、ようやくデカいケツが温まって来たところだぜ」
紅葉のような小さな赤い掌の跡がついた尻を、小太郎がカメラ目線のキメ顔で言いながらソフトタッチする。
「んっ、あぁん……」
「なにちょっと感じてんだよ! 反省しろこのメス豚がっ!!」
「おおっほぉおおおーっ! そ、そこはダメなのぉおおおおおおおおおおおおん!!」
ブツッ、とそこで映像は途切れた。もう限界だったから。
品性下劣にして低俗極まる内容を目にしたことで、聖女にして王女たるサリスティアーネは深い、それはもう深い溜息を吐き出し、顔を覆った。
「まさか、こんなことになるとは……」
まず後悔したのは、真実を克明に記録したノーカット版の証拠映像を見ようと思ったこと。道理で、この映像データを報告用に提出した者が、「ひ、姫様のお目汚しになるかと……」とストレートに視聴をオススメしなかった理由が、今ならよく理解できる。
あの者は精一杯の気遣いをしてくれたに過ぎない。それを、不始末を全て検められるのを恐れてのことか、などと穿った見方をした自分を反省する。
何が真実を全てこの目で見届ける、だ。少し前の生真面目な覚悟で臨んだ自分を罵倒してやりたい気分だった。
だがしかし、サリスティアーネが今最も罵倒して張り倒してやりたい相手は、他でもない、あの黒髪の呪術師、桃川小太郎だ。
「よくも……よくもこんな、ふざけた真似を……」
解放された『無限煉獄』の第四階層。その入口たる妖精広場を速やかに確保せよ、と強く口利きしたのは自分である。
勇者リリスがわざわざ忠告をしたにも関わらず、あの呪術師がパンドラ聖教の正攻法にどんな手だてで抗うか見定めてやろう、という小手調べといった気持ちで仕向けた結果がこのザマだ。
あの男は、伊達にダンジョンマスターではない。本物の勇者を差し置いて、贄となるだけの運命だった者達を率いて、アルビオン大迷宮を攻略したのだ。
それがどれほどの偉業であったか、心から理解できるのは、同じく大迷宮を完全攻略したリリスだけであろう。
自分はただ、紫藤大司祭の報告だけで、彼らの手の内を知った気でいただけだった。
それは初めて小太郎がアルビオンへと出てきたあの日だけで、十分に思い知ったと考えていたが……まだ自分が甘かった。
「しかし、お姉様の忠告通りとなったのも、また事実」
サリスティアーネの下へ報告が届いた時には、もう全てが手遅れであった。
女神派が通常行使する権限を遥かに超える管理権限を握る小太郎によって、彼女はあんな辱めを受ける陰惨な罠にまんまとかけられたのだ。
自らの手で凌辱の限りを尽くしておきながら、「妖精さんがやれって言うから」という古代の防衛機能を免罪符に、表向きには素晴らしい機転を利かせて女主教御一行の命を救った偉業、ということになっているのも腹立たしい。
無論、ヴァンハイトの女神派とて間抜けではない。こんな聖教の権威が失墜しかねない恥そのもの、恥部丸出しの衝撃映像など、断じて表沙汰としてはならない。最速で揉み消しを図るべく動いたことは間違いないが……それ以上に、小太郎が手を回す方が早かった。いいや、最初から完全に情報を拡散させる手筈を整えていたのだ。
そして『メス豚女主教、悶絶ケツ叩き祭りin妖精広場』などと現地の酒場では笑い話としてその日の内に語られることとなっていた。映像も画像も方々へとばら撒かれ、最早、隠蔽工作など不可能な段階。下手な隠蔽は、更なる反感を招くだろう。
「これでヴァンハイトの、いえ、東部での女神派は、しばらく発言力を失った」
アストリア東部を制するのは東聖卿であり、ゴリゴリの『救済派』として有名だ。懐柔はまずもって不可能である。
幸い、女神派を露骨に敵視し政争を仕掛けてくることは無いが、それでも今回の大失策を受けては、東聖卿も女神派の意見に耳を傾けることは、ほとぼりが完全に冷めるまで無いだろう。
そして恐らく、小太郎はそんな東部の聖教の派閥関係も読んだ上で、あの暴挙に出たに違いない。自ら表立って聖教と対立することなく、あくまで善意の冒険者にして、最大限に協力を惜しまなかった、という姿勢と立場を貫いた。残念ながら、ケチのつけようがない。
「今は大人しく、『無限煉獄』から手を引くべきでしょう」
ここでムキになって、無茶を通すような陰謀を巡らせれば、きっと更なる損害を被ることとなる。すでにヴァンハイトは、女神派の自分達が表立って動けない、相手の領域と化している。
サリスティアーネとて腸の煮えくり返る思いだが、ここは損切りせねばならぬ場面と心得た。
さっさと切り替えて、次の行動を考えるのが最も建設的であり、精神衛生上も良いと言い聞かせ、気分を落ち着かせた。
「ん……そろそろ、時間ですか」
気持ちを落ち着かせるだけで、随分と時間をかけてしまった、と自省しながらサリスティアーネは座っていた席を立ち、映像を検めていた一室を後にする。
扉から出た先は、衛兵の立つ王城の廊下では無い。
冷たくうす暗い、まるでダンジョンのような――――否、ここは正真正銘、ダンジョンの中、それも底の底である。
ここはシグルーン大迷宮、最深部。
この場所に立ち入りを許される者は、攻略者であるリリスと紫藤。聖教において四聖卿以上の者と、『勇者』のパーティメンバーだけである。
「お姉様、入団式のご挨拶、お疲れ様でした」
「はい、サリス。貴女も」
最深部の中でも、厳重なロックがかけられた先にある一室。そこでサリスティアーネは、勇者リリスを出迎える。
ここにあるのは、『系統樹』と呼ばれるシステム。
二階分吹き抜けとなった高い広間、その中央に鎮座する巨大なホロモニターは、古代に蓄積された膨大な天職のデータベースだ。
そこにはあらゆる天職のスキルに獲得条件。天職の派生条件などの情報も含まれる。
『勇星十字団』の強さの秘密は、ここにあった。
この『系統樹』を利用することで、団員に最適な育成法を実施できる。無論、システムの存在は極秘であり、通常の団員達には幹部級で構成される指導部からの指示という形で、効率的な育成は実行されている。
その『系統樹』の前で、『勇者』リリスと『聖女』サリスティアーネは、当たり障りのない挨拶を交わす。
今日の入団式は、新勇者ソーマの紹介の他には、滞りなく進行し終わりを迎えた。何かが起こるとするならば、正式にクランとしての活動が始まる明日以降のことであろう。
「一つ、謝っておかねばなりません」
「なんでしょうか、お姉様」
言いながら、リリスはモニターに向けて手を振るう。すると、大きく手前に表示されたのは、一つのスキル名。
『聖体』:神聖なる加護を纏った肉体。その身は神によって守られ、清められ、何人も侵すこと能わず。
「あの『狂戦士』は『聖体』持ちです。記憶改竄の効果は、遠からず解除されることでしょう」
「……それはまた、厄介なことですね」
悩みの種がまた一つ増えた、と言いたげにサリスティアーネは溜息交じりに呟いた。
「私の力が及ばず、申し訳ありません」
「いいえ、とんでもございません。お姉様が出来ないと言うならば、一体このアストリアの誰が出来ると言えましょう」
リリスの力は特別だ。そこに疑いの余地は一切ない。お世辞でも何でもなく、リリスで記憶改竄を完璧に施せない、というなら他の誰にも不可能なのだ。
むしろ、完全耐性に近い能力を誇る『聖体』持ちを相手に、あそこまで記憶を操作できたのはリリスだからこそである。
「ご心配なさらず。いざという時の処分は私にお任せください。いずれ解き放たれる鎖と分かっていれば、対処など如何様にも」
「処分とは、穏やかではありませんね――――サリス、貴女は桃川小太郎が如何にして『狂戦士』を手懐けたか、存じていますか?」
「それは……」
と、知識としての情報を返そうとして、サリスティアーネは留まった。
知っている、などと応えて欲しいワケではない。リリスが求める答えは、
「なるほど、流石はお姉様。確かに、あのフタバという『狂戦士』の力は驚異的。こちらに取り込めれば、正に新たな勇者パーティの一員に相応しいでしょう」
「貴女に、それができますか?」
「『聖体』持ちの強力な『狂戦士』とはいえ、所詮は一人の少女に過ぎません。乙女の気持ちなど、色恋一つで如何様にも」
小太郎はそうやって芽衣子を従えたのだと、サリスティアーネは理解している。
なるほど、互いに魅力的な異性と認識しながら、苦楽を共にし、生死をかけた修羅場を幾度も潜り抜けてきた。その絆は深く、強く、尊い。
だが、それがどうした。
今の芽衣子は小太郎という存在を忘れ去っている。ならば、強力な『狂戦士』の力を持っただけの、少女に過ぎない。
王侯貴族でも何でもない。あちらの世界では、単なる一般的な学生身分であった少女を口説き落とす手段など、サリスティアーネには幾らでも用意ができる。
「全て私にお任せください、お姉様。必ずや『狂戦士』の手綱、握ってみせましょう」
自信に満ちたサリスティアーネの返答に、リリスはただ穏やかに微笑んで頷いた。