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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第2章:無限煉獄
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第452話 祝・第四階層解放

「はぁ……」


 深々と溜息を吐きながら、僕は一番風呂につかっている。魔力を消耗した疲労感の体に、熱い湯が沁みて、溶けてしまいそうな心地だ。


 解放した妖精広場の掌握を出来る限りで終えた後、ここに繋がる周辺の部屋をざっと調べて、ひとまず拠点を設営する範囲を大まかに決めた。で、最初に設置したのがこの風呂場。僕が作ったんだから、僕が最初に入るんだよ。


 この場所はこれから、第四階層探索の前線拠点となり、第五階層まで到達したとしても、ダンジョンでの活動拠点としてずっと利用され続ける重要なポイントとなる。早々に拠点として整備しておく方がいいけれど……風呂に入りたかったから、先に作ったんだ。


「ああぁー、もぉーやってんらんねぇー」


 スライムのように湯舟で溶けながら出て来るのは、ボスを倒した興奮でも拠点を確保した安心でもなく、ただただ失望の言葉。


「帰れない……」


 結論から言えば、ここからアルビオンまで転移は出来ないことが判明した。

 同じ大迷宮、そしてこの場所からならあるいは、アルビオンまで通じる転移があるのでは……と最も期待された成果だったのだが、それが無い。


「杏子一人で、大丈夫かな……」


 これであそこに誰もいないのならば、まぁいつか戻れればいいか、で後回しにしてもいい。でもアルビオンには、杏子を残してきたんだ。

 ちょっとくらい戻れなくても大丈夫なように、しっかり分身は残していたが、それもリリスのせいでほとんど無意味になった。

 僕の無事と現状の最低限の情報だけは、何とか伝えることは出来ているのだが……孤独は心を蝕む。特に杏子みたいなギャルはぼっち耐性低いし。寂しい思いをさせているのは確定で、その寂しさが如何ほどなのかは未知数だ。


 強いて良い点は、杏子のいる最下層は安全で、何不自由なく一生暮らしていけるだけの設備と物資は整えてあること。そこだけは、自分でもよく拠点化したと褒められるね。

 杏子がヤケになったりしなければ、いつまでだって僕らの帰還を待ち続けることが出来る。

 本当にダンジョン攻略を終わらせておいて良かったよ。ソロ攻略なんて、自分でも二度とゴメンだし、まして愛する恋人にさせるなんて絶対に許されない。


「はぁ……杏子とメイちゃんに会いたいなぁ……」


 心も体も許せる人が二人もいるなんて、三国一の幸せ者ってところだけれど、今はどちらも僕の隣にはいない。杏子は遥か遠くアルビオンの最深部。メイちゃんは消息不明。

 リリスにやられて奴隷落ちしてから、ここまで頑張って駆け抜けてきたけれど……いい加減に僕だって人肌恋しいと切実に思うくらうには寂しくなってきた。


「くそ、僕がメンタル落ち込んでどうすんだよ」


 そんなナイーブな感傷に浸ってしまいそうになる自分に、嫌悪感を吐き捨てる。桜ちゃんみたいに、自分のお気持ちばっかり気にしてどうする。


「ここがダメなら、アルビオンに戻る最短ルートは……」


 次の目標を考えろ。一番欲しかったアルビオンへの帰還ルートこそ手に入らなかったが、それ以外は全て上手くいっているんだ。

 頼れる仲間達も沢山いる。この場所も抑えた。ヒト・モノ・カネ、僕は着実に力を増してきている。このアストリア王国というフィールドで、出来ることは沢山あるんだ。


 そうして、次のベストな行動方針を湯舟でブクブクしながら考えていた時だ。

 油断、していたのだろう。僕は『剣士』みたいに鋭い直感とか気配察知とかないし。すぐ外にはリザが厳重に見張っててくれてるし。

 思考に没頭していて、全く気付かなかったのだ――――侵入者がいたことに。


「コタロー」

「っ!?」


 能天気に僕を呼ぶ声が聞こえた瞬間、本気で焦った。多分、如何にも暗殺者みたいな黒づくめの野郎が襲い掛かって来てくれた方が、まだ落ち着いていられたと思う。

 僕の名前を間の抜けたイントネーションで呼び捨てする奴は、一人しかいない。


「ハピナっ、なんで――――」


 なんでコイツが、と思った時にはもう湯煙の向こう側から、僕より小さいくせに凶悪なスタイルが露わになる。


「むふふ、ハピナが背中を流しに来てあげたですよー」


 得意気な笑顔で現れたハピナは裸だった。当たり前だが、全裸だ。だって風呂だもの。

 しっかり体にタオルを巻いていたり、実は水着でしたー、みたいなオチは一切なく、僕の目の前に惜しげもなく、あどけない幼さと凄まじい母性の主張が一体となった、彼女のアンバランスな裸体が晒されている。


「お、おいっ!」


 まずい、と反射的に腰が引ける。僕の下半身はまだお湯の下。幸いなのは、今日は真っ白い濁り湯の気分だ、と透明度皆無な自作温泉の素を使っていたこと。

 僕もハピナも腰まで湯に浸かった状態のお陰で、お互いにR18なデリケートゾーンだけは晒さずに済んでいる。


「なに勝手に入ってきてんだよ!?」

「折角、労いに来てあげたのですよ。大人しくハピナに洗われるのです」

「いらん! 帰れ!」

「あっ、もしかしてコタロー」


 僕の必死な剣幕もどこ吹く風、メスガキみたいな生意気な笑みを浮かべたハピナが、さらに間合いを詰めてくる。


「恥ずかしいのですね」


 恥ずかしいのはお前の方だよ。

 心からそう叫んでやりたい気分だったが、僕が口を挟むよりも先に、ハピナはやたら自信満々に言葉を続けた。


「見たところ、コタローは箱入りお嬢様みたいです。こういう裸の付き合い、には慣れていないのですね」


 日本人に向かってソレ言うの?

 それに今や僕は、メイちゃんと杏子の二人を相手にお風呂でやりたい放題の経験者だ。金持ちのオッサンが幾ら詰んでも体験できない天国に行ってきたのが、この『呪術師』桃川小太郎ぞ。

 そんな僕に裸の付き合いを語るとは、


「でも、恥ずかしがらなくていいのです。ハピナ達はもう、厳しい戦いを共に潜り抜けた仲間なのですから!」


 仲間でも男女の区別はしろよ――――って、近い、近いっての!

 前のめりの姿勢はやめろ。重力に引かれてバレーボールサイズの乳房がふよんふよんと揺れる様に、問答無用で目が惹きつけられる。とんでもないヘイトスキルだ、目が離せねぇ……


「だから今日、一番頑張ったコタローを、ハピナが洗ってあげるのです。絶対、気持ちいいのですよ!」

「あっ」


 何かちょっと良いこと言ってた気がするが、全部吹っ飛んだ。ハピナに抱き着かれた。

 真正面から、コイツ、一瞬で間合いを詰めて……な、何てことを……


 言葉などより、全身を包み込むように刺激する触覚が強烈に脳内を駆け抜けていく。

 首元をくすぐるハピナの青い髪の毛先。僕の薄い胸板を包んでも尚零れ落ちそうなほどに、圧倒的な質量で押し潰してくる胸。そしてスベスベしてプニプニのお腹がぐいぐい押し付けられている場所は、ちょうど僕のアレな位置で。


 ああ、何てことだ。裸でこんなに熱烈に抱きしめられるなんて、メイちゃんと杏子にしか許されないことだったのに。

 そんな僕の思いも、状況が性行為寸前なことにも、全く何も思い至らず、どこまでも純粋な目でハピナは見つめてくるが――――流石にこの期に及べば、いい加減に気づくだろう。

 僕でも制御しきれない僕自身が、熱さと硬さをもって強烈に彼女のお腹を押し返し始めてしまったのだから。


「……あれ、コタロー」


 ついに気づいてしまった違和感に、ハピナが青い目をパチクリさせている。


「あの、お腹に、何か熱くて硬いのが……」


 言うな。それ以上、言葉にするんじゃない。


「……」

「……」


 沈黙。時が止まったかのように、抱き合ったまま。

 ともすれば、実にロマンチックな恋人同士の抱擁に見えるのかもしれないが……僕の目に映るハピナの顔は、見る見るうちに朱に染まり、


「ぴゃぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 耳キーンなる絶叫を上げながら、ザブザブ湯舟をかき分け慌ててハピナが逃げ出した。

 その逃亡ぶりは、浅瀬で遊んでいる時にメガロドンの存在に気づいたかのようで、慌て過ぎて一回コケて溺れかけたりしながら、ハピナは湯舟を脱して、そのデカい乳と尻を盛大に揺らしながら退散していった。


「にゃんでコタロー、男の子になってるのですぅーっ!!」

「最初から男だよ」


 ドアの向こうで轟いた理不尽な叫びに、僕は心底からの溜息を吐きながら、そう返した。


「はぁ……今日はもうシコってさっさと寝よ」


 これ以上、何か考えることが馬鹿らしくなった僕は、そう心に決めて、再び湯舟に溶けた。




 ◇◇◇


 その日、ヴァンハイトは竜災を退けた時よりも大きな歓喜に湧いた。


『無限煉獄』第三階層突破――――すなわち、階層主フルヘルガーが討伐され、未知の第四階層がついに開かれたのだ。


「ええー、それではぁ、第四階層解放を祝して――――」


 乾杯! と割れんばかりの声が、階層攻略記念パーティの会場に轟いた。

 ヴァンハイトの有名ホテルの大ホールを貸し切り、『黒髪教会』は勿論、協力企業・クランに加えて、数多くの来賓も招く、一大祝賀行事となっていた。

 そこで音頭を取るのは勿論、フルヘルガー討伐作戦のリーダー、『黒髪教会』の御子モモカこと、桃川小太郎。


 本日はリザが選びに選び抜いた、こだわりの衣装で小太郎は着飾っている。御子らしい法衣という選択肢もあったが、パーティなのでアストリアスタイルの正装となった。

 老舗のオーダーメイドである高級感溢れる燕尾服だが、小太郎が着ればどこからどう見ても成金お坊ちゃんである。ジェラルドは大笑いし、山田にもちょっと笑われた。

 だがお坊ちゃんスタイル上等の小太郎は、いつも通りの堂々とした態度で、笑顔の挨拶から乾杯の音頭を取ったのだった。


 そうして、無礼講のドンチャン騒ぎが始まる。

 騒ぎの中心となるのは、やはりフルヘルガーと直接戦った、ジェラルド・リザ・山田の前衛三人組である。

 ジェラルドはいつも通り、仲間達を相手にジョッキ片手に己の武勇を高らかに語る。山田とリザも、今回の討伐作戦を通してクランメンバーとはすっかり見知った間柄。大勢に囲まれてワイワイやっているのだが、中には引き抜き目的で接近している、他クランや企業人なんかもいるようだ。

 もっとも、どれほど大金を積んだところで、山田もリザも靡くことはない。

 山田は二年七組のクラスメイトとして、生き残った仲間を助けたい。

 リザは『精霊戦士』として御子に仕えることを誓った。

 二人の望みも願いも、金で買えるものではないのだから。


「いやぁ、誠にめでたい! 御子様、我らがヴァンハイトの悲願を、よくぞ成し遂げられましたなぁ!」

「いえいえ、ジェネラルガードさんのご協力あってのことですから」


 そうして大騒ぎしている黒髪教会のクランメンバー達の傍らで、小太郎は軍事企業『ジェネラルガード』との協力を取り付けた本人である、役員のオッサンと眩しいほどの笑顔で握手を交わしていた。

 採掘基地で演技の交渉を仕掛けてきた時は「とんだ狸爺親父め」と舌打ちしていた相手だが、いざ正式にビジネスパートナーとなれば、流石は大企業で役員に登り詰めただけの人物。抜かりなく契約通りの支援を果たしてくれた。


 これで討伐失敗していたらどうなっていたことか分からないが、結果的に大成功に終わった以上、『ジェネラルガード』とはこれからより良い関係が築けるだろう。


「すでに第四階層では、様々な新発見の報告が届いております」

「先行偵察隊が無事なようで何よりだよ。で、その情報は――――」

「全て『黒髪教会』さんとは共有させていただきます」

「隠し事の一つや二つは目を瞑るよ。でも第四階層は広大で、第三とは比べ物にならないほど危険だ。冒険者の命に関わるような情報だけは、しっかりとお願いね」

「ええ、勿論ですとも。ひとまず、大まかな魔物や地形調査は、我々にお任せを」

「拠点が作りたい時は一声かけてよ。力になるから」

「妖精広場を復旧させた御子様の助力が得られるとは、大変ありがたい!」


 第四階層では、早々に魅力的な資源が見つかっている。そもそも、より濃い魔力が満ちる環境になれば、それだけ高純度の光石が精製されやすくなる。各属性の光石を筆頭に、様々な魔法鉱物の存在は、ダンジョンの深層では保証されるようなものだ。

 勿論、より強力なモンスターも増えるのだが、そんなことはお互い百も承知。

 当面の間は、自分達だけで第四階層の開発を独占できるのだ。リスク込みでも、莫大な利益が見込まれる状況に、商売人としてワクワクが止まらないのは当然であった。


「あら、随分と楽しそうなお話をしているじゃない」


 商談と夢物語の入り混じった儲け話で盛り上がっていたところ、やって来たのは金髪碧眼の美女。

『象牙の塔』の魔女ミレーネ。今日の彼女は三角帽子にローブの魔女装束ではなく、煌びやかな真紅のドレスに身を包んでいる。

 肩も胸元も大きく開いた露出度の高いドレスは、小太郎曰くアストリアンドリームの体現たるスタイルの持ち主であるミレーネにはよく似合っていた。

 この会場では来賓として色々と着飾ったお嬢様方もいるが、目に見えるほど大人の色香が漂うミレーネの姿は、誰よりも光り輝いているようだ。


「おお、これはこれは『象牙の塔』の魔女様! この度はお力添えいただき、誠にありがとうございました」

「うふふ、こちらこそ」


 にこやかに握手を交わすミレーネと役員。小太郎には公に知らされてこそいないが、『象牙の塔』と『ジェネラルガード』の両者もまた、これからの第四階層探索・開発において、何かしらの協定を結んでいるだろうことは明らかだった。

 妖精広場という絶対的な地点を抑えている小太郎を排除して、更なる利益の独占を図ることは不可能である。それを分かっているからこそ、小太郎は探りは最低限で、後のことは両者の好きにさせている。

 強欲な者ほど、小太郎の利用価値を理解できるはず。目先の利益に釣られて排除するよりは、次の第五階層も同様に……と考える。

 まだまだ気の早い話ではあるが、それを現実的に思えるほどには、第四階層解放の功績は大きい。故に、今から小太郎に面倒くさい腹の探り合いや牽制に神経を割くような真似をするつもりは無かった。


「これで我らがヴァンハイトも、ますますの発展をしていくでしょう。実に楽しみなことですなぁ、わっはっは!」

「ええ、モモカのお陰だわ。もっとサービスして上げた方が良かったかしら?」


 あまり口を挟まずにいた小太郎だったが、ミレーネの露骨な流し目と、深い谷間を強調するポージングに本能的な視線誘導が避けられない。もっとも、彼女を相手に全く異性的魅力は感じていませんよ、と誤魔化すのは初対面から不可能だったが。


「いやいや、ミレーネにはもう十分、活躍してもらったから」

「でも、ハピナはお風呂でサービスしてくれたんでしょ?」

「うっ、あれは不幸な行き違いで……」

「今度、私も背中を流しに行こうかしら」

「き、機会があれば……」


 あの日のアクシデントは、すっかり『黒髪教会』で笑い話となって広まっている。

 そもそもハピナを風呂に通したのはリザだ。彼女のディアナ人的価値観としては、御子である小太郎には、同じく御子であるハピナは子供を作る相手として相応しい。それにリザから見ても、二人の関係は良好。むしろ、ここまで特定個人の世話を焼く小太郎を見たのは初めてであり、特別な思いを向けていると察していた。


 ならば二人が結ばれることに何の憂いもありはしない。呪いの女神と地母神、二人の御子の間で生まれた子は一体どれほどの存在となるか……そんな未来を夢見た結果の行動であり、互いにとって特大のお世話となってしまう結末を迎えたのだ。


「うふふ、どんなサービスをしたのかハピナに直接、聞いてみようかしら?」


 ちょうどそこに本人が、とミレーネが指せば、今日も相変わらず白い法衣姿のハピナがいた。

 すっかり全快した姉貴と兄貴に囲まれている彼女は、小太郎の視線に気づくと、


「うっ、ううぅ……」


 あからさまに恥ずかしそうに目を逸らすと、何故かお腹をさすりながら、逃げるように歩き去って行った。


「笑ってよミレーネ、あの日からずっとあんな調子だよ」

「まだ照れているのよ。可愛いじゃない」


 セクハラで教会に訴えられたら面倒臭いなぁ、と思っていた小太郎だが、不思議とハピナからは罵倒の一つも無かった。流石に自分から来た以上は、こちらに非がないと分かっているのか……いや、そんな理屈など関係なく怒るのが女というもの。少なくとも、桜ちゃんだったら向こう一週間は烈火のごとく怒り続けるだろう、と小太郎は確信していた。


 しかし結局のところ、ハピナが恥ずかしそうに小太郎を避け続けているので、彼女がどう思っているか聞き出せてはいないのだが……そういう展開になっているのが可愛いなぁ、と微笑ましい目で眺めていたミレーネだったが、次の瞬間にその表情を引き締めた。


「モモカ、どうやら今日の本命が来たようよ」

「みたいだね」


 仲間達と逃げ去ったハピナと入れ替わるように、彼らは現れた。

 一人は貴族のように華美な衣装の、いいや、実際にその人物は本物のアストリア貴族である。

 そしてもう一人は、ハピナと同じ白い法衣を纏っているが、その胸元に輝く金色の紋章が、その高い位を示していた。


 迷宮都市ヴァンハイトを治める領主と、パンドラ聖教の大主教。二人の統治者が、小太郎の前にやって来た。




 ◇◇◇


 エルシオン大聖堂の広大な庭。そこにある妖精広場の噴水に、女勇者リリスは静かに腰掛けていた。その姿は実に自然体であり、ただ散歩で寄ったついでに座って涼んでいただけ、といった風情である。

 そして何より、その自然な姿がこの上なく美しく、神々しい。ただの司祭風情では、声をかけるどころか、近づくことすら憚られる神聖な気配が漂っていた。


「ここにおりましたか、お姉様」


 そんな場所へ平然とやって来たのは、アストリア王国第二王女であり、天職『聖女』を持つサリスティアーネである。

 リリスはいつもの穏やかな微笑みを浮かべて、彼女へと挨拶を返した。


「お姉様にはご報告とご相談が」

「桃川小太郎、のことですね」

「すでにご存じでしたか。あの男は今、ヴァンハイトで『黒髪教会』というクランを立ち上げ、ダンジョン攻略を始めています」


 その一報をサリスティアーネが聞いた時は、耳を疑った。ありえない。よく似た別人に違いないと。

 何故なら、小太郎はリリスが直々に頭を弄って無力化し、奴隷落ちしたのだ。それも過酷な辺境へと売り飛ばされた。頭の狂った無力な子供が、生き残れるはずもない。まして、再びダンジョンに挑む冒険者として台頭してくるなど。


「信じ難いことに、先日『無限煉獄』の階層主に挑み、これを撃破。五十年以上閉ざされていた、第四階層への道を開いたそうです」

「ええ、素晴らしい偉業ですね」


 ヴァンハイトの『無限煉獄』の状況はサリスティアーネも知識としては知っている。あまりにも強力なボスが階層主として居座っているせいで、攻略が頓挫し、ヴァンハイトは完全に第三階層までの活動で止まっている。それで今に至るまでも発展し続けていられるのだから、大迷宮の産出する莫大な資源量は驚くべきものだが……その誰もが納得していた豊かな停滞を、よりにもよってあの男が破ったのだ。


「『呪術師』モモカワコタローの処刑は失敗に終わりました。お姉様は、この事についてどうなさるおつもりでしょうか」

「そうですね……特に、何も」

「何もなさらない、と」

「はい。この結果は他でもない、彼の女神が示した道です」


 確かに、絶望的な状況からたったの三ヶ月で這い上がり、今まで誰にも成せなかった偉業を成し遂げているのだ。これを神の奇跡と言わずに何と言おう。

 小太郎へ一体どれほどの加護を与えているのかと、サリスティアーネは呪いの女神の未知なる力に、一抹の不安を覚えてしまう。


「私は女神エルシオンの使命に従い、処断しました。私が成すべきことは、そこで終わりです。桃川小太郎が、そこから先の道をどう歩むのか……それを害する権利は、私にはありません」

「それでは、こちらでどのように対処しても構いませんね?」


 要するに自分はこれ以上何もしない、と明言するリリスに、サリスティアーネはどこか挑発的にそう問うた。


「はい。サリス、貴女の思うようになさい」


 女勇者の返答は、やはり穏やかな微笑みと、全て肯定する言葉。


「ありがとうございます。お姉様に、このような小さな雑事にお手を煩わせるような真似はさせません。後のことはどうぞ、私にお任せください」

「ああ、そうでした、一つだけ忠告しておきましょう」


 わざわざそう言い放つリリスに、どんな釘を刺されるかと身構えたが、


「彼を迷宮から締め出そうとすれば、逆にこちらが締め出されてしまうでしょう」


 その言葉の意味を、サリスティアーネは瞬時に察した。

 そもそも短絡的に小太郎の暗殺などは、目論んでいない。強力な『呪術師』を直接、手にかけることの危険性は、リリスが追放刑を選んだ通り。

 優先すべきは、これ以上、小太郎がダンジョンを利用して力を増すこと。


 ダンジョンの管理は迷宮管理局が行っている。しかし実際にダンジョンにある転移魔法陣などの古代遺跡を利用する権限を握っているのは、他でもない、パンドラ聖教である。

 ダンジョンの制御権限は、神聖不可侵であるとされ、厳重に聖教で管理されている。古代遺跡の機能にアクセスできるのは、聖教内でも一部の限られた者だ。


 つまり、特定個人をダンジョンから締め出そうと思えば、ソレができるだけの権限がパンドラ聖教にはあるのだ。迷宮管理局はあくまで実務を担当するだけで、聖教の機嫌を損ねれば全ての転移を停止させ、大迷宮を立ち入り禁止にすることだって出来るのだ。

 そして『聖女』サリスティアーネは、それを通せるだけの立場と権限を持つ。

 その権限を持って、小太郎とその配下である『黒髪教会』を『無限煉獄』から締め出せば、ひとまずこれ以上の勢力拡大を防ぐことが出来るだろうと思っていたが、


「交渉するなら慎重に。失敗したら、すぐに手を引い方が良いでしょう」


 だが、それは絶対に上手くいかないから止めておけ、そう言われているようにしか聞こえない。


「……ご忠告、痛み入ります」


 サリスティアーネはただそう返して、妖精広場を去った。

 あのリリスがわざわざここまで言うのだ。本当にこの策は上手くいかないのだろう。


「それならば、どんな手を使って来るのか、見せてもらいましょう」


 かくして、サリスティアーネは一つの命令を発した。

『無限煉獄』第四階層の入口である妖精広場を抑えよ、と。

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― 新着の感想 ―
500エピ記念のババア尻叩き回ありがとうございます
ハピナ地味に最強エンチャンターなのでヒロイン枠適性はありありか
大ダンジョン攻略すること自体はエルシオン勢力にとっても悲願で利益があるし、小太郎は敵勢力と言えども、リリスが出張れば小太郎は倒せるから、小太郎を排除しにいかないということかな。 恐らくエルシオンの一部…
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