第445話 幸せの青い小鳥(2)
「坊ちゃまはあの女が欲しいのですか?」
「やめて、言わないで」
ルンルン気分で出て行ったハピナを見送り、一人残ったところで開口一番、リザにそう言われた。
その目には嫌悪も侮蔑もなく、本気で僕が欲しいと言えば、それでは今すぐ裸に剥いて持ってまいりますね、と言わんばかりの光り方だ。
「お願いだから勘違いしないで欲しい。アレはハピナの出方を窺うための、ただの方便だから」
「ええ、勿論、心得ております。しかし、坊ちゃまは一人であまりに多くを背負ってしまうお方。溜め込むこともありましょう」
「そ、そういうこともあるかもね……」
「私一人で事足りるなら良いのですが、そうでなければ、何人でもお世話に侍らせるべきでしょう」
「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくね」
「出過ぎた事を、申し訳ございません」
なんて恭しく頭を下げて引こうとしたリザに、僕は本当に聞きたかったことを問うた。
「ハピナは嘘を吐いていたと思う?」
「私には、裏も表もないように見受けられました。彼女は地母神の御子。ならばその人柄は純真にして敬虔である、かと」
「御子がみんな、神様お墨付きの素晴らしい人格者なら良いけどね」
「返す言葉もございません」
リザを見捨てたヤツだって御子としては本物だし。僕みたいなのも御子ということになっているんだ。ぶっちゃけ性格はあんま関係ない。全ては神様との相性だと僕は思うけどね。
しかし、リザが語るハピナの評価は、そのまま当たっているように思える。僕だって同じように感じた。
出会った時からさっきの支払いの話まで、どこを切り取ってもハピナは隙だらけ。自身の容姿と立場を活かして、最大限の利益を得るような立ち回りは一切ない。
もしハピナが小鳥遊と同じ人格であったならば……僕が支払いの話をした瞬間にギャン泣きして喚いただろう。
そんなに払えない、小鳥に死ねと言うのか、酷い、悲しい、傷付いた。この世界一カワイイ小鳥ちゃんがこんなに傷付き悲しんでいるのに、まだ金を取ろうとするなんて。なんて残酷な人でなし。たかが500万円で小鳥の笑顔が見られるんだから、それだけで十分でしょ。そんなはした金をこの小鳥ちゃんに求めるなんて、器の小さい男、キモい、死ね、セクハラで訴えて慰謝料ふんだくってやる――――くらいの事は言い出す。
ちっ、想像しただけで勝手にあのムカつくキンキン声で再生余裕で気分が悪くなる。慰謝料欲しいのはこっちの方だっての。
そんな気持ちが顔に出てしまったことを自覚しながら、リザが淹れてくれた食後のコーヒーを飲んで落ち着かせる。
「おい桃川。流石に、抱かせろ、はねぇだろ」
「ンゲッフ!」
いたましいものを見る表情で、山田が僕の対面に座った。
盗み聞き、ではない。山田にも僕とハピナのやり取りを見て、判断を求めたかったのだ。
だからって、一言目でソレは止めようよ。人がコーヒーを含んだ拍子にさぁ。
「しょうがないだろ。セクハラ紛いの発言でも、本性を見抜くには必要なことだったんだ」
「いやあんなの、女性なら誰だって断るだろ」
「そう、普通は断る……まさかあんな返しをされるとは、僕も想定外だったよ」
この要求は、まず絶対に断られる、と踏んでいた。重要なのは、その断り方。
やんわりと無理です、という意志を伝えてこちらの譲歩を探るか、男の人っていつもそうですねっ!!! と激高するか。あるいはショックで泣き出すか。僕は初手大泣き、だと思っていたんだけどなぁ。
子供のフリして気づかない演技、という可能性も考えはしたが……まさか、自ら進んで抱きしめに来る、というのは全く考えなかった。
小鳥遊的な思考なら、絶対に自分の体は安売りしない。自分の認めた男以外には、指一本触れることを許さない。アイツは自分の処女性とアイドル性をよく理解しているし、何よりも重視しているからね。
気のない男に演技でも抱き着く、なんて真似は絶対にしない。そんなのは姫野みたいな体を売る以外に選択肢がない底辺女のすること、だと思っているだろう。
「俺もあの子は、ただの良い子だと思うぞ。教会の孤児院は教育が厳しいから、良い子ちゃんばかり、ってルカも言っていたしな」
「山田君も、そう思うか」
「俺だって小鳥遊に良いようにやられちまったんだ。警戒心が出るのも分かるが……ちょっと似ているからって、疑い過ぎているんじゃないのか。怪しむ感情優先で、どうもお前らしくないぞ」
「はぁ……やっぱり……?」
「というか、俺はお前が言うほど似てないと思うんだが」
山田の言葉に、それはもう深ぁい溜息が出てきてしまう。
ああ、認めよう。ハピナの小鳥遊ソックリで怪しい疑惑は、僕のトラウマ染みた感情のせいだけだと。
「本当は自分でも分かってたさ。一言目に逃げろ、って叫んだ時点でね」
「そうだろ」
ハピナは小鳥遊じゃない。
それに彼女が本物の地母神から天職を授かっている、というのも他でもない、『神威万別』でルインヒルデ様のお墨付きだ。
彼女が女神エルシオンの手先である可能性は、限りなくゼロに近い。このレベルの人物を疑うようでは、誰も信用などできなくなってしまう。
「それで、本当にあんな新人みたいな連中から五万クランも取る気かよ?」
「ぼったくってるって? 実際、この拠点建築にどれだけの費用がかかっているか、知らないとは言わせないよ」
「お前は、取れるところから取るヤツだ。呑気に十年ローンで支払いされても、メリットにならんだろう」
「なんだよー、やっぱり分かってるじゃないか」
正直、すでに建築した拠点に怪我人寝かせているだけで、そんなコストが増すワケじゃない。でもここを宿泊施設とするならば、ガチで一日一万クランとってもおかしくない充実ぶりでもあるのは本当だ。
だから、僕が欲しいのは金ではない。
「後はハピナの実力次第さ。随分と『祈祷師』に自信があるようだけど、その力、しっかりと見極めて来るよ」
◇◇◇
「我らが大いなる母よ、天上より見守り給え」
やけにゴツく角ばった長杖を握りしめ、ハピナが詠唱、というよりは祝詞というべきか、高らかに謳いあげる。
やたら自信のある様子だったが、確かに祈祷を行う姿は割と堂に入っている。
「大地を行く子らに、その深き慈悲を与え、災厄を跳ね除けん」
魔法の詠唱と異なるところは、魔術言語と言うべき、専用の言葉を使わないことだ。僕の呪術と同じように、詠唱は母国語でいいらしい。
魔術師の天職があれば、あの魔術言語も何て言っているのか正確に聞き取り、意味も理解できるのだろうが、残念ながら『呪術師』では翻訳対象外のようだ。古代語みたいにイチから勉強して覚えることも、出来ないことは無いけれど、僕のマルチタスクにも限界はあるんだよ。
ともかく、ハピナの祝詞はアストリアにおける共通語で発音されているので、僕にも普通に聞き取れる。内容的には、如何にも地母神に祈りを捧げてますというような、無難な言葉である。
「その身は健やかに、心は強く、清らかに」
それにしても、まだ続くのか。ゆったりとしたスローテンポの子守歌みたいなメロディのせいで、すでにそれなりの秒数が経過している。僕のどの呪術でも、フル詠唱したってもうとっくに終わっている頃だ。
「長きを伸ばし、弱きは補う。やがて子は育ち、使命を果たす力を得ん」
これだけ発動時間かけといて、強化魔法一つ分だったらどうしよう。
でも『祈祷師』は別にハズレ天職として扱われている風潮はない。パンドラ聖教の教会にいれば、普通にありがたがられるレベル。
いやしかし、もしかすれば『祈祷師』は宗教的に扱いが良いだけで、戦闘能力に貢献する冒険者向きの効果は薄い、とか?
「されど我ら、弱き子のまま世に溢れる悪意に挑まんとす。故に祈り、願う、打ち勝つ力を」
僕の目には、すなわち『神威万別』にはハピナはかなり色濃いオーラを纏っているように映る。ヴァンハイトで沢山の冒険者を見てきたけど、このオーラの濃さはトップクラスだ。
竜災の時に見た、黒化サラマンダー討伐に参加していた騎士団、教会、冒険者の中でも、ハピナと同等のオーラに見えたのは、ほんの数人だった。
ならばハピナは『祈祷師』としてはかなりの才能があるのに違いはない。で、そんな彼女が発動する効果がショボかったら、もう確定と言ってもいいだろう。
「今こそ我が手に、母なる大地、大いなる地母神のご加護を!」
ようやっと祝詞が終わり、柔らかな緑の輝きが発すると同時に、強化の対象者である僕の体にも、同じ光のオーラが薄っすらと湧き上がってきた。
その瞬間、僕は効果を理解する。
「うわっ、マジかコレ……」
期待外れ、などとはとんでもない。コイツはマジでぶっ壊れのチートスキルだろ。
道理で、こんな駆け出し冒険者に毛の生えたような少年少女のパーティが、ランク3にまで上がってくるワケだ。
「ハピナさぁ、この強化いっつも使ってるんだよね?」
「はい! どうです、ハピナの『母なる祈り』は凄いでしょう!!」
天真爛漫な笑顔で、ボインボインの胸を張るハピナに、僕はつい睨んでしまう。
「ああ、凄い。コイツはとんでもなく凄い強化だよ」
『母なる祈り』:母なる大地の神へ捧げる祈祷。いついかなる時も、母は子を思う。あらゆる危険から守り、どんな災厄も跳ね除けられるように。切なる母の願いと祈りは、大いなる力となって、我が子を守る。
ハピナから事前に聞かされていた公式説明文だけだと、フレーバーテキスト風味で効果の詳細はイマイチだったけど、自分で受ければ一発で分かる。
全能力の強化。
それが『母なる祈り』の効果である。
本来、強化スキルというのは魔法であれ武技であれ、基本的には一種類のステータスを上昇させる。パワー、スピード、魔法演算力。色々あるが、だからこそ重ね掛けも有効となる。
けれどこの『母なる祈り』は、
「ははっ、今なら素手でもゴーヴを殺れそうだ」
軽く駆け出してから、勢いのまま宙返りを繰り出す。着地の直後に素早いステップを刻み、『銀髪断ち』を指先から放って振るう。
同時に、近場の影からありったけ『黒髪縛り』を出しながら、『腐り沼』も広げてみた。
そうして複数の呪術を発動させつつ、僕の体はかつて蒼真悠斗から習った、蒼真流武術の徒手格闘の型を繰り出す。
呪術の発動に意識を裂きながらも、繰り出した拳は鋭く空を裂き、蹴足は軽やかに舞う。
学園塔での修業期間ではついぞ感覚が分からなかった、キレ、というやつを実感できる。今の僕の体なら、十全に蒼真流の術理が発揮されるだろう。
「おおー」
と僕の適当な動きに、素直に感心したような声を上げるハピナ。そりゃ僕みたいな貧弱野郎が、これだけ動けばそんな声も出るか。
そう、最も驚くべきポイントは、僕の本体、本物の生身でもこれほどまでに強化されていること。
分身に屍鎧と、僕の姿のまま強くなる手段を持ってはいるが、純粋な生身のまま強くなったのは初めての経験だ。少々の強化スキルを受けたところで、こうはいかない。
「なるほど、よく分かった」
「ふふーん、ハピナの凄さが分かったですか!」
「うん、仲間が全滅したのはお前のせいだ」
ハピナの笑顔が固まった。
案の定と言うべきか、自覚ナシか。厄介だ。本当に厄介だよね、天然ってヤツはさ。
「なっ、なんで、そんなコト言うですかぁ……」
「『母なる祈り』はあまりにも強力な強化スキルだ」
その性能に関しては認める。これまで見てきた中でも、こんな破格の効果はない。
体力、筋力、魔力、ありとあらゆる面で強化の恩恵が発生している。中級程度の強化魔法と比べても、『母なる祈り』だけで良くね? となるレベル。
これを超える効果となれば、それこそ大山の三重強化くらいの特化型になるだろう。
「素人にこんな強化をかけて冒険者やらせて、実力がつくワケないだろ」
「ッ!?」
ガーン、という効果音が聞こえてきそうなほど、分かりやすくショックを受けた表情だ。すでにその目には涙さえも浮かんでいる。ほんとすぐ泣くなお前ら。
「君ら『大地賛歌』は結成二年目だっけ? ハピナは最初から一緒だったでしょ」
「は、はいぃ……」
「そりゃゴーマ如きに負けるに決まってる。詠唱潰しが決まった時点で、『大地賛歌』はランク1も同然の素人集団だ」
僕も文芸部員として、追放モノのテンプレは知っている。
パーティの雑用だか荷物持ちだかの底辺だった主人公が、実はメンバー全員を超強化してSランクにまで押し上げていたけど、ソイツらはそれに気づかず云々という。
大体の場合、実は超有能だった主人公が不当な扱いを受けて追放される、という構図を成立させるために、それはちょっと無理筋では、と言いたくなるような言いがかりをつけられたりするのだが……現実に、全能力強化というチートがいれば、ハピナのように大切にされるだろう。
それでも彼らは、決してハピナの強化能力のためだけに、彼女を大切に囲っていたワケではないだろう。孤児院という同じ釜の飯を食ってきた仲間、というより、家族である。
彼らの愛情は本物で、ハピナはそれを素直に受け取れるほど純真だった。実に美しい関係性。けれど、冒険者としては致命的だった。
「一度も考えたことないのか、自分の強化を失った仲間達が、どれだけ戦えるのかって」
「うぅ、それは……」
「もしかして、ハピナだけ別のパーティに移籍したら、みたいに進められたことは?」
「なんでソレを!?」
「やっぱり、君の仲間は分かってたみたいだね」
本当に良い仲間に恵まれている。恵まれた力に、恵まれた仲間。両方揃っても、こんな馬鹿みたいな悲劇が起こるのか。
あるいは、このランク3に上がった最初の探索を記念に、ハピナを送り出すことも考えていたかもしれないな。ハピナに全く自覚はなくても、彼らは気づいていたんだ。自分達が、ハピナの能力を受けるに相応しい実力にないと。
「ゴーマの詠唱潰しの他にも、第三階層からは魔術師殺しみたいな技をもったモンスターは出て来るからね。『母なる祈り』に頼った戦い方が通じる限界を、すでに感じていたんだろう」
「そ、そんなぁ……ハピナはただ、みんなのために……」
「ただの『祈祷師』だったなら、仲間達と同じペースで成長できただろうけど、『母なる祈り』の効果は破格に過ぎる。新人時代からこんな強化を使って活動していれば、何の経験にもならない。ただ、成長の機会を奪っただけだ」
「あっ、ああぁ……ううぅうぁあああああああああああああああああ!」
あーあ、また泣いちゃったよ。
けれど遅かれ早かれ。いや、もうゴーマ相手に負けたんだから、手遅れだったよね。僕らの助けが間に合ったのは単なる偶然。まぁ、地母神のお導きに感謝しなよ。
仲間の命は助かったんだ。自分がパーティから抜けるくらい、どうってことないでしょ。
「でも良かったね。これほどの能力があるなら、五万クラン分の働きも出来そうじゃないか」
「ああぅ、ふぇえ……?」
「もうこの仲間達と一緒にやっていけないとしても、今までお世話になった恩くらいは返せるさ――――ハピナ、僕らのフルヘルガー討伐に協力してよ」
新人には過ぎたる力。けれど、階層を守護する大ボスを相手に、死力を尽くすレイドバトルをしようっていうなら、その効果は十全に発揮される。
破格の全能力強化だ。これが得られるのなら、五万クランなどはした金だね。
「はい! ハピナ、やるです!」
かくして、臨時メンバーの『祈祷師』が加わることとなった。
 




