第444話 幸せの青い小鳥(1)
「みんな、必ず助けるから、頑張るのです――――」
拘束を解いて並べられた仲間達へ、ハピナは自分が持つ唯一の治癒効果のある祈祷を発動させる。
『豊穣祈願』:母なる大地の神へ捧げる祈祷。豊かな実りは、古来より人々が祈った原初の願いが一つ。青々と茂る枝葉、色鮮やかな花々、黄金に輝く穂の海。遥かなる理想郷が如き景色を、地母神の御子が祈る。
本来は農耕牧畜に関わる祈祷だが、人間に対して祈れば、生命力が活性化し、自然治癒力が増進する。多少の傷や疲労回復と、厳しいダンジョン探索の中で大きな効果を発揮するが、大きな負傷をすぐに癒すほどの即効性はない。
そして『祈祷師』ハピナが習得している祈祷の中で、治癒効果が発揮されるのは、この『豊穣祈願』のみだった。
「ふぅん、これが祈祷かぁ……なるほどねー」
などと、縄張りに見知らぬ奴が入ってきたのを睨む野良猫のような顔で、ハピナが意識を失った仲間達へ祈祷をかけるのを間近で観察しているのが、コタローという少女。
自分よりも幼い少女が冒険者をやっていることも驚きだったが、あれほどのゴーマの群れを一人で容易く殲滅させた能力は、さらに驚くべきことだ。
だが最も驚かされたのは、彼女はすでに自分達よりも遥か高みにいる冒険者であったこと。
「コタローが『黒髪教会』の御子だったのですね。噂はハピナ達も聞きました」
「いきなり呼び捨て」
コタローが一声かければ、仲間達が集まって来る。そのメンバーは『双剣士』のジェラルドに、『守護戦士』のヤムダゲイン、とハピナでも知っている有名冒険者だ。
何故か給仕服のディアナ人女性もいるが、『祈祷師』としての直感で、彼女も天職持ちに匹敵する強力な気配を察せられた。
いずれも単独でやっていける実力者揃い。けれどそんな者達をコタローは従えていた。
噂の中には、ただ強い天職を授かった子供を担ぎ上げているだけ、なんて内容のものもあったが、適切な指示を出して仲間達を大きな牛車に収容する手際の良さを見て、彼女が強いリーダーシップを発揮していることが理解できる。
こんなに小さいのに、凄い子だ。それに比べて自分は、とつい思ってしまうほどの差をまざまざと見せつけられた。
「とりあえず、僕の拠点までは運んであげる。でも地上まで送り届けるほどの余裕はないからね」
ひとまずポーションによって最低限の治癒を全員分済ませると、コタローはどこか冷めた顔でハピナに言う。
「はい……階層主のフルヘルガーに挑むのですよね?」
「ああ、知ってたんだ」
「冒険者なら、みんな知ってるです」
黒髪教会の挑戦が成功するか否か、でヴァンハイトの冒険者達は賭けで盛り上がっているところだ。オッズは失敗の方が高いものの、『ジェネラルガード』がスポンサーに付き、『象牙の塔』の協力関係と、大手も絡んできたことで「もしかすれば」という可能性も感じられる。
そうした地上での冒険者事情を、ハピナはコタローへと話している内に、拠点とやらに到着したようだ。
「ハピナがみんなを守らないと……」
拠点とは言うものの、ダンジョン内で安全地帯など妖精広場くらいだ。第一、第二階層の浅い箇所にある、大企業の採掘場や農園、前線基地などは竜災が起こらない限り安泰だが……第三階層には、そこまでの安全性を保障できる拠点は存在しない。どこの企業もリスクを承知で小規模なものを設置しているに留まっている。
ましてこの火山神殿エリアには、拠点と呼べるものが建てられたこともない。挑戦した者はいたようだが、ここに闊歩するモンスターを相手に、拠点の維持は叶わなかった。
つまり、コタローの拠点もこれから大ボス戦に挑むに当たって、あくまで一時的に設置した拠点、ただの野営みたいなモノであるとハピナは考えていた。
牛車は自分達が踏み入った地点よりもずっと奥まで進んでいるのだ。安全性など保障されるべくもない。コタロー達は大ボス戦に挑む以上、野営地に残る自分達を守るほどの義理はない。
だからこの場で仲間達を介護し、身の安全を守るのに専念できるのは自分しかいないのである。
コタローの拠点だと言う、崩れかけの大きな円塔を前に、ハピナはしっかりと気合を入れてから中へと入った。
「怪我人はベッドに寝かせておいてよ。まだいっぱい空いてるし。で、ハピナは先にお風呂入ってきて」
「えっ、え……ベッド? お風呂? なんでぇ……?」
「なんでって、拠点なんだからあるに決まってるじゃん」
塔の中は、管理局本部を思わせる広々とした、白く清潔な空間が広がっていた。
中央に鎮座するのは、妖精像の噴水。綺麗な水が滾々と噴き出され、円形の縁までしっかりと水が満ちている。
間違いなく、妖精広場だ。
火山神殿エリアで稼働している妖精広場は無い、とされていた安全地帯が、確かに目の前にあった。
「リザ、案内してあげて」
「かしこまりました」
「ちょっと、ハピナはお風呂なんて――――」
「いいから早く入って来い。詠唱潰しの粉、臭うんだよ」
「うぐぅ……」
ジト目でそう指摘され、自分があの粉を頭から被っていたことを思い出すハピナであった。
リザ、と呼ばれていたディアナ人メイドに連れられ、大浴場へとやって来た。
「ほわぁ……」
そう、大浴場だ。濛々と湯気が漂う、立派な大浴場が広がっている。角の方にある豊満な体つきの女性像は、どこかの女神を象ったものだろうか。そんな装飾まで施されていて、まるで噂にだけ聞いた高級な宿のようであると思った。
「お着替えはこちらに。法衣は私の方で洗わせてもらいますが、構いませんね」
「あ、ありがとう、ございます……」
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
恭しくメイドに頭を下げられ、自分が急にお嬢様にでもなってしまったかのような錯覚を覚えてしまう。
ここは本当にダンジョンの中なのか。実は自分達はとっくに死んでいて、いつの間にか天国の住人になってしまったのではないか……そんな妄想をしてしまうほど、大浴場での一時は心地よかった。
「はふぅ……生き返ったのですぅ」
綺麗な大浴場に、普段使っているものとは比べものにならない泡立ちの良い石鹸で隅々まで洗い、清潔な衣服を纏って涼しい脱衣所の椅子に腰掛けていると、すっかり気の抜けたプライベートモードになってしまう。今この時、ハピナは間違いなく自分がダンジョンの中にいることを忘れていた。
「失礼します。先にお食事を、とのことで。食堂までご案内いたします」
「えっ、ご飯ですか!?」
「大したものはご用意できませんが」
などと素っ気ない言い方のリザであったが、
「す、凄い御馳走なのです!」
大きな食卓に並べられた料理の数々を前に、つい目が輝いてしまう。
ダンジョン探索中に口にするモノといえば、固いパンに薄いスープ。干し肉や乾物、干物、といった味気ない保存食が中心だ。
安全な浅い層の拠点ならば、流通が安定するので地上とほぼ同じ食事も可能だが……火山神殿エリアの奥地で、柔らかいパンに、香辛料で味付けされた肉、ゴロゴロと具の入ったスープ、挙句の果てにソースのかかった魚まで食卓に上がっている。
竜災後の祝勝会で食べたのより高そうな料理を前に、ハピナはやはり天国にいるのかと思う。
「まずは食べようか。安心してよ、風呂に料理は、一応、君を客としてのもてなし、ってことにしておくから」
ここで金を取るつもりはない、とやけに仏頂面で言いながら、コタローは食事を進めた。
もっとも、料金がかかると言われても、このメニューを前に我慢などできるはずもない。全滅必至のピンチから助かり、風呂に入って人心地ついたら、途轍もない空腹感に襲われている。これでお預けをくらうのは拷問に等しい。
「あ、ありがたく……地母神のお恵みに感謝を」
涎が垂れるのを堪えながら、食前の祈りを上げて、ハピナは料理に手を付けた。
美しく、高価そうな料理に対して、せめてお上品に食べようと務めたつもりが、気づけばがっついていた。美味しい。美味しい。美味の暴力。
ダンジョン探索中では絶対に味わえないはずの、濃厚な旨味の連続に抗う術を失くし、他人に奪われまいと勢いよくガツガツ喰らう孤児院流の食べっぷりを存分に見せつけたことを、全て食べ終わってからハピナは自覚した。
「あ、あぅ……とっても、美味しかったのですぅ」
「そりゃそうだろうね」
呆れたようなコタローの眼差しに、恥ずかしさで頬が赤くなってしまった。
食い散らかされたような自分の食器と、綺麗に平らげた彼女の食器を見比べて、育ちの差、というのを無言で突きつけられたようで、さらに恥じ入ってしまう。
きっとコタローは、ただ強い加護を授かっただけの成り上がりではなく、元から良いところのお嬢様だったのだろう、とハピナは推測した。リザというやけに堂の入ったメイドがついているのも納得できる。
「それじゃあお腹も落ち着いたところで、話をしようか」
幸い、と言うべきか。ハピナの礼儀知らずを指摘することも怒ることもなく、コタローは酷く真剣な表情でそう切り出した。
いよいよだ、とハピナも緩み切っていた覚悟を引き締め直す。
「ここは第三階層、火山神殿エリアの奥地。ここで五人もの人間を救護することが、どれほどの手間と労力がかかっているか、理解できているかな」
「も、勿論です……ハピナ達が助かったのは、奇跡的なことなのです」
「通りがかりにポーションを恵んだ、ってだけの話じゃあない。僕らが苦労してボス戦のために建設したこの拠点があるからこそ、彼らは安静に寝ていられるワケだ」
コタローの得も言われぬ圧に、ついゴクリと唾を飲んでしまう。
ハピナは金勘定は得意ではない。そういうのは頼れる年上の姉貴や兄貴に任せきりであったから。そんな自分でも、コタローの言わんとする事は分かる。
冒険者パーティ『大地賛歌』を助けるために、一体幾らの費用がかかっているのか、と。
最低限で済ませるなら、あの場でポーションだけ買い取ること。相場の三倍と吹っ掛けられても、こういったタイミングで入手することにはそれだけの価値があり、冒険者の間では暗黙の了解といったところである。
実際、費用をケチってポーション買い取りだけに留めておけば、一命を取り留めることは出来ただろう。ただし、それはあの場に限った話である。
効果の高いポーションで傷は治っても、失った体力までは戻らない。それに無理な動きをすれば、再び傷口が開くこともある。ただでさえ自分達は、実力以上のエリアに潜ってしまったのだ。ポーションの応急処置を施した状態で、とても無事に地上まで帰還できる見込みはない。
それをハピナは分かっていたから、出来る限り万全の救護をコタローに求めたし、それを彼女は受け入れた。
「お金なら、ちゃんと払います。地上に戻れば、パーティの資金もあるです」
「そう、払う気があるなら良かった」
「その……具体的には、どれくらいになるのです……?」
コタローはニッコリ笑って、指を五本立てた掌を向ける。
「ごっ、五千も……」
「五万クランだよ」
「ゴマっ!?」
声が裏返る。五千ではなく、五万。見たこと無い桁の金額だ。
アストリア王国は他の大陸と共通の貨幣である『クラン』を採用している。冒険者クラン、と同じ言葉なのだが、それは遥か遠い大陸において、世界を支配したという大帝国の発祥が、とある冒険者クランに基づくことに由来する……という説になっている。
あまりに起源が古いために、今や誰にも真実の分からぬ通貨単位クランだが、ハピナに分かっていることは、五万クランは子供のいる家庭が一年間それなりに裕福な暮らしを送れるだけの金額ということだ。
「そっ、そんなにぃ……どうしてぇ……」
「ポーションだけなら五千で済んだけどね。そこから装甲牛車での搬送費用、高ランク冒険者のヤムダゲインやジェラルドを護衛に置いたこの拠点での滞在費を少なく見積もっても一週間分」
「一日で一万近いじゃないですかぁ!」
「まぁ、あの剣士の子の右腕を諦めるなら、四万にしてあげてもいいけど?」
どうする、とネズミを弄ぶ猫の顔で言うコタローに、まけてくれ、とは言えなかった。
「それで、右手は本当に治るのですか……?」
「黒髪教会の評判は知ってるよね」
そもそも欠損した冒険者崩れを集めたのが、クラン『黒髪教会』である。
本来なら一万クランどころじゃ済まない、途轍もない金額を欠損再生には要する。コタローの請求は違法どころか、ありえない良心価格。
ここで支払いを渋ったならば、大切な姉貴はスラムの落ちぶれた冒険者崩れの仲間入りとなってしまうだろう。
「全部、払うですぅ……」
「それで、君らには五万クランをポンと出せるだけの蓄えはあるのかな?」
払う意志はある。だがしかし、意志を示しただけならば、その支払いは十年後、二十年後でも構わない、という暴論も通りかねない。
請求金額のお次は、支払い期間のお話だ。
「そ、そんなには……ないです……」
「全額支払うのに、どれだけかかりそう? 一ヶ月くらいなら無利子のままでもいいけれど」
「うぐぅ……」
ハピナはお金に疎いが、利子がつくとヤバい、とは聞いている。何でも、払っても払っても、借りたお金の金額は減らないという呪いの如き契約だと。
しかし、お金を借りる時は、この利子がつくのが当然であり、アストリア王国の法に反することもない。
「そりゃあ、たかだかランク3上がりたてのパーティに、五万クランなんてすぐ払える額じゃあないよね」
それも運良くランクアップを果たせただけで、ゴーマ相手に全滅するような実力不足のパーティだ。五万クランを蓄えるためには、どれだけの時間がかかるだろうか。
少なくとも今のハピナには、速やかな返済の見通しは立たなかった。
「でも君の働き次第で、五万クランを減らすことは出来るかもね」
「はっ! そうです、ハピナが頑張るですから、それでいっぱい返すのですぅ!」
かつて食い逃げした孤児院の子が、しばらくの間、その店で働くことで弁済し、憲兵に突き出されることを免れた、という話を思い出す。
とても払えない高額請求でも、自分が冒険者として働けば、それに見合った額が引かれる。コタローも認める大活躍をすれば、大幅な減額も可能かもしれない。
今回は不運にも全滅の憂き目に合ったが、それでもハピナは、地母神から授かり、みんなが認めてくれた『祈祷師』の力には自信を持っている。
自分ならできる。今こそ、頼ってばかりだった姉貴と兄貴のみんなに恩返しをする時なのだと、ハピナは奮い立った。
「ハピナに出来ることなら、何でもするですよっ!」
「ふーん、今何でもするって言った?」
「何でもするです!」
嘘偽りなく、地母神に誓って。と、ハピナはその豊穣の恵みそのものである豊かな胸を逸らして言い切る。
フンス、と自信満々なハピナに、コタローは冷めきった目で最初の要求を突きつけた。
「じゃあ、抱かせろ」
「ッ!?」
その一言に、ハピナに電流が走る。雷に打たれたような衝撃とはこのことか。
ガタっと席を立ったハピナは、真剣な表情でコタローの元へと歩み寄る。
「コタローも、誰かに甘えたかったのですね」
ハピナは迷わずその大きな胸に、コタローの頭を抱きしめた。
「んんっ!?」
「そうですよね、どれだけ強くて、強い人達を連れていても、コタローはまだ小さいんですから」
分かる。ハピナも同じだから。
『祈祷師』としての優れた力を授かりながらも、自分が未成年なことに変わりはない。モンスターと戦うのは怖いし、自分が傷つくのは嫌だし、みんなの傷付く姿を見るのはもっと嫌だ。一人ではとても、冒険者なんて過酷な仕事はやっていけない。
けれど自分には、みんながいてくれた。いつも優しかったし、甘えさせてくれた。
でもきっと、コタローには。黒髪の御子、と祭り上げられた彼女には、年相応に甘えられる相手もいなかったのだ――――そう、ハピナは御子の孤独を察した。
「ぷあっ! もういい、十分だ」
「寂しくなったら、いつでも抱きしめてあげるのです。ハピナお姉ちゃんって呼んでもいいのですよ?」
「呼ぶか」
いざ抱きしめられると恥ずかしいのか、少し頬を赤らめたコタローはそっぽを向きながら言う。この反応は、やっぱり甘え慣れていないようだ。
自分にもついに可愛い妹ができるかと、ちょっと期待しているハピナに、コタローは大きなため息を吐いてから、再び顔を向けた。
「とりあえず、『祈祷師』としての力を試してやる」
コタローの言葉に、いよいよ自分の真の力を示す時だと、ハピナは自信満々の笑顔で答えた。




