第442話 青い小鳥(1)
大きな竜災を無事に乗り越えたヴァンハイトの街は、祝勝に湧きかえっていた。
黒化サラマンダーを討ち果たした、その翌日には早々にヴァンハイト領主が特に戦功のあった冒険者達を讃え、勲章と褒賞を盛大に送り、その勝利と栄光を存分にアピールする。
そんな勲章を賜るような英雄ではなくとも、竜災で活躍した冒険者パーティは多い。
年若い少年少女のパーティ『大地賛歌』もその内の一つである。
「おおぉーっ! これでハピナ達も、ついにランク3なのです!」
更新されて銀色に輝く免許証を手に、パーティーの要であるヒーラーのハピナは、子供のように飛び上がって喜びを露わにしていた。
実際、彼女はまだ子供であった。パンドラ聖教の孤児院で育った少年少女によって構成された『大地賛歌』は非常に若いパーティであるが、14歳の未成年でメンバーになっているのはハピナだけである。
あと一年で15歳の成人を迎えるとは思えない、小さな背丈に幼い顔立ち。深い藍色の長髪を大きなポニーテールに、聖教の白と濃紺の修道服を着込んで大きな長杖を携えた姿は、子供の仮装のように見えるだろう。
ただ一点、彼女が子供離れしているのはやけに大きく膨らんだ胸元。
ランクアップの嬉しさで無邪気に跳ねる彼女と共に弾む、不釣り合いなほどに大きすぎる乳揺れに、管理局のロビーで通りがかりの男冒険者達の中には、露骨に不純な視線を向ける者もいた。
「ほらほら、更新終わったらさっさと行くよ。もうお店も予約してるんだから」
「はーい!」
パーティリーダーである、天職『剣士』の姉貴分である少女と手を繋ぎ、ハピナは仲間達と共に祝勝会の会場である、行きつけの大衆食堂へと向かうのだった。
「そこで俺の武技が炸裂してよぉ!」
「はぁー、あそこは俺が抑えてたから何とかなったんだろうが!」
「アンタらどっちも死に損ないにトドメ刺しただけでしょうが」
「へへっ、やっぱチャンスが目の前に転がってると、なぁ?」
「いいじゃないですかー、それで討伐数が稼げて、報酬も増えるんだし」
「誰が前線支えてやってると思ってんのぉ」
「姉さんいつもありがとう!」
「流石は天職持ち!」
メンバー達は今回の竜災での活躍を、正しく武勇伝として語る。仲間内での自慢話とバカ話の連続に、笑い声は絶えない。
すでに成人に達した彼らが、こうして酒と一緒にバカ騒ぎするのを見る度に、ハピナは早く自分も大人になりたいと思う。特に今日のような、大手柄を上げた後の宴には。
「でも、やっぱり一番活躍したのはハピナですよねー」
「だよなぁ、やっぱスゲーよハピナは」
「これが才能の違いってヤツ?」
「バーカ、信仰心の違いでしょ。アンタらと違って、ハピナは良い子なんだから。ほーらカワイイカワイイ」
「えへへっ」
剣士の姉貴にギュっと抱き着かれて、照れ笑いを浮かべる。
天真爛漫、無邪気であり能天気なハピナは、本当に末っ子の妹のように可愛がられてきた。
だからこそ、本来ならば自分達と共に冒険者なんて危険な仕事はして欲しくない。
それでも未成年のハピナをメンバーに加えなければいけないほど、彼女は特別だった。
天職『祈祷師』。
信仰する神への祈りによって、様々な恩恵をもたらす。
この『祈祷師』そのものは、天職としてそこまで珍しいものではない。それなりの規模のパンドラ聖教の教会なら、一人か二人は所属している。
けれどハピナの『祈祷師』の力は特別だった。何故ならば、彼女は天職を授けた地母神の言葉を聞いたことがあるほど、神へと通じる選ばれし存在だから。
「なぁ、ハピナは成人したら、やっぱ司祭になんのか?」
「いやでも、今回の活躍で騎士団からも声かかってるでしょ」
「そっちの方が安定はするかもなぁ」
「ううぅー、どうするかは、ハピナも迷っているのです」
「でも、聖女になるって夢は変わらないんでしょ?」
天職『聖女』は特別だ。アストリアでも『聖女』はごく限られた者にのみ授かる。少ない時には一人。どんなに多くても、四人以上の『聖女』が現れることは、アストリアとそれ以前の大陸時代から見ても無かったこと。
そんな特別にして、絶大な力を誇るからこそ、パンドラ聖教では称号としての『聖女』も存在している。
パンドラ聖教では多大な功績を上げた者は聖人として認定されるが、聖女の称号は現役で特に強力な癒しの力を持つ女性に与えられる。いわば象徴。実力も兼ね備えたアイドルとも言える。
今回の竜災においても、『東の聖女』と呼ばれる女性が参戦しており、大ボスである黒化サラマンダー戦ではパンドラ聖教の司祭を率いて、騎士団と冒険者の両方に大々的な支援と回復を飛ばし、その名に恥じない大活躍を果たしていた。
ハピナはその様子を、憧れの眼差しで見つめていたものだ。
「はい! 絶対、聖女にハピナはなるのですぅ!」
キラキラした顔で、これまで幾度となく語って来た夢を叫ぶ彼女の姿を、仲間達は眩しいものを見るように目を細めてしまう。
夢を夢のまま終わらせない。本物の才能を持った子が、ここにいる。
所詮は孤児上がり。自分達の将来などたかが知れている。でもハピナは、この可愛い妹は違うのだと。仲間の誰もが、そう信じていた。
「今回の竜災で、私らはランクアップするくらいの活躍を果たした。後はこのまま、地道に今まで通りにやっていくのもいいけど……」
「冒険者は、冒険してナンボっしょ!」
「そうだぜ、ついに俺達も第三階層に挑めるんだ」
「上手くいけば、ホントにこれ一本で食べていけるくらいになれるかもですよね」
メンバーのヤル気は満ちている。大活躍を果たしたすぐ後の今、気が大きくなるのは当然だ。まして彼らは成人済みとはいえ、20に満たない年齢。冒険者歴も今年で二年目の、新人に毛が生えたようなものに過ぎない。
それでも、早くもランク3まで到達した、自分達の力を信じてしまうのも、無理のない話であろう。
「ハピナも、これからもっと頑張りたいです!」
「そっか……そうだよなぁ、聖女になるってんなら、もっと活躍して名を上げないといけないもんね」
パーティリーダーとして、剣士の彼女は考えた。自分達の実力と、第三階層の情報、両方を考慮して、次に何を目指すべきかを。
「ねぇ、『黒髪教会』ってとこがさ、本気で第三階層突破に挑む、って話じゃない」
「ああー、最近やたら勢いあるクランだよな」
「私あそこ苦手ぇー。オジサン達がいっつも騒いでてさぁ、歳考えてよって」
「オッサンの若者ぶってる的な?」
「でもアレだろ、引退者の手足を治して復帰してきたって連中だろ。まぁ、久しぶりに元気になって冒険者やろうってんなら、そりゃちょっとくらいはしゃぐだろ」
彼らの感想は、決して穿った見方ではなく、ヴァンハイトの冒険者の間では一般的な見解だ。
いい歳こいたオッサン連中が、血気盛んな若者の如き勢いで冒険者稼業を再開し始めた。お陰で、スラムではない都市部に住むような温いチンピラ共まで幅を利かせていたような環境が、彼らによって随分と絞められた。
新人狩りや詐欺紛いの行為で小金を稼いでいた連中は、目につき次第、一方的に因縁を吹っ掛けられてボコられ「二度とダンジョンに面を見せるんじゃねぇ」と怖いもの知らずの喧嘩沙汰ばかり。
管理局としても目に見えて治安が悪いように思えるものの、実際は冒険しない冒険者が掃除されたことで、わざとらしいほどお目こぼしという名の見ないフリをしている。彼らがこのまま厄介なギャング化でもしない限りは、不干渉を貫くだろうと、もっぱらの噂である。
「更新から帰る間際に聞いたんだけど、『黒髪教会』はあの『ジェネラルガード』をスポンサーにして、さらに『象牙の塔』とも協力して、階層突破に挑むんだって」
「はぁ、マジかよスポンサーとかついてんのぉ!?」
「でも実力あるのはホントっぽいし」
「あのオッサン共、ただイキって暴れてただけじゃねーんだな。きっちりスポンサーつけて、大手クランと手を組むなんて」
「トップが滅茶苦茶キレるヤツなんだな」
「でも『黒髪教会』のトップって子供でしょ?」
「バーカ、そういうのはただの神輿で、裏で操ってる大人がいるんだよ」
「新興宗教にありがちだよねー」
スポンサーやらクランと手を組むやら、色々な組織が絡んでくる話になると途端にハピナの理解は置いてけぼりになる。だが、その『黒髪教会』というクランが本気で階層突破に挑む、ということだけははっきり分かる。
ハピナとて年単位で冒険者として活動した以上、知っている。ヴァンハイトの大迷宮『無限煉獄』は第三階層までで攻略がずっと止まっていること。
いつか自分がその偉業を成し遂げたなら、聖女に一歩近づけるかも……なんて想像をしたことは、冒険者となってからの方が多い。
現状、誰もが諦めていたはずの事に、挑む者が現れた。それは自分よりも先んじて、大いなる夢への一歩を踏みしめているのだと、ハピナは思った。
「何でも、竜災直後でダンジョン内のモンスターが減った今が、大規模な人員を投入する好機なんだって」
「なるほど、確かにな」
「でもボスは普通にいるじゃん?」
「だから、そのボスに挑むまでの消耗を減らせるってことでしょ」
竜災後にモンスターが減る、という環境は探索を進める好機だ。
この機会に未探索エリアに挑んだり、新たな拠点建築を進める、という動きは見られる。だが階層突破の大ボス戦に臨む者はいなかった。
道中での消耗を減らしたところで、ボスの強大さには変わりがない。確実にボスを倒せるという算段がつかない限り、挑むのは身の程知らずの馬鹿だけ。
しかし今回、有名な軍事企業である『ジェネラルガード』がスポンサーにつき、魔術師クラン最大手の『象牙の塔』も協力を表明し、かつてない期待が寄せられた。『黒髪教会』は新参だが、それでもすでにその実力を示している。
「おいおい、まさか――――」
「まさか、私達も参加する、なんて馬鹿なことは言わないわよ」
「いやしないのかよ!」
「この話の流れでー?」
「向こうだって、ランク3成りたてのパーティなんてお呼びじゃないでしょ」
「そりゃそうかぁ」
「だから私達がするのは、ただの宝探しよ」
「宝探し、ですか……?」
「ハピナも聞いたことあるでしょ、院長先生の現役時代の冒険話」
「あっ!」
と、同じ孤児院の仲間なら誰でもピンと来る。
孤児院の院長は、昔はそれなりに名の売れた冒険者として活躍していたらしく、現役時代には第三階層の奥地である、火山神殿エリアの探索もしたことがあると。
「この機会に、私達も火山神殿まで行ってみない?」
◇◇◇
初めて第三階層に挑んだ『大地賛歌』は、拍子抜けするほど順調に火山神殿まで辿り着いた。
「マジで全然モンスターいねーな」
「この感じなら最悪、お宝が見つからなくても、そこらの鉱脈で採掘するだけでも元はとれそうですねー」
「ここまで楽勝だったからって、気を抜かない。ここからは潜んでるモンスターも増えるし、情報だって限度あるんだから」
この火山神殿エリアは、現時点で探索できる『無限煉獄』における最も深い場所だ。ランク3から探索許可こそ出るものの、実際にここへ挑むのはランク4からが普通。
限られた高ランク冒険者しか探索されないため、このエリアにはまだまだ未知の部分が多い。自分達の手に負えないような強力なモンスターがいつ出るとも限らない、とパーティーリーダーの剣士少女は注意を促してから、警戒を密にいよいよ火山神殿エリアへと踏み入った。
「ちっ、またゴーマかよ!」
そこで彼らを待ち構えていたのは、未知のモンスターなどではなく、この道中で何度か遭遇したチャバゴーマの群れであった。
ゴーマは竜災に加わらず、終息後のダンジョン内に我が物顔で出て来る、というのは有名な話。このエリアに出没するのも当然だが、こうも連続でエンカウントするとウンザリもしてくる。
「ひょっとしてコイツらも、俺らと同じ目的なのかもな」
「このチャンスにお宝漁りってかぁ?」
「ちょっとぉ、ゴーマなんかと一緒にしないでよー」
そうしてゴーマの群れを蹴散らしながら、進み続けてどれほどか。ひとまず目的地とした、ほとんど未探索とされている区画の手前までやって来た頃である。
「あっ、まずい!? 退くわよっ!」
最初に察知したのは、リーダーである。天職『剣士』として前衛を張ると同時に、優れた気配察知能力によって索敵も担う彼女は、周囲に多数のゴーマが潜んでいることを察したのだ。
「チャバァアアアアアアッ!」
「ウンジャッ! ババグンドリャァアアア!」
これまで遭遇してきた群れの何倍もの数のゴーマが、岩場の影から、あるいは崩れた遺跡の上から中から、ゾロゾロと現れる。
しかし包囲の内まで踏み込む寸前で危険を察知したお陰で、まだ撤退できるだけの余地はあった。相手は数が多いとはいえ、所詮はゴーマ。貧弱な武装に、汚いだけの小さい体。数体に行く手を阻まれたとて、突破できるだけの力はある。
さらに自分達には、地母神に愛された妹の加護があるのだ。
「アンタら二人で退路を! 私は殿、ハピナ、頼んだわよ!」
「はいです!」
リーダーの鋭い声に、ハピナは気合を入れて長杖を振り上げて『祈祷師』の祈りを歌い上げる。この窮地から仲間を救うための力が得られるよう、信じる女神へと祈りを捧げるのだ。
「我らが大いなる母よ、天上より見守り給え。大地を行く子らに、その深き慈悲を――――」
バフッ! と祈りの言葉を紡ぐハピナのすぐ脇に、そんな音を立てて何かが飛んできた。そう彼女が認識した瞬間には、視界が黄色く濁った。
「んぶっ!? ゲフッ、ゲッフ、カハァ……」
それは花粉のような粉末だった。ハピナには見えなかったが、目端の利くリーダーは、群れるゴーマの向こう側で、大柄なゴーヴ戦士が縄で結ばれた包みを振り回し、こちらへと投擲する姿を捉えた。
着弾した包みから、濛々と煙幕のように立ち上るのは、薄っすらと刺激臭のする粉末。ゴーマ特性の目潰し――――否、それは魔術師に対する『詠唱潰し』であった。
「ハピナっ!」
「ゴッホ、ゴホ……ぶぅうえぇえええええ……」
至近で炸裂した粉末を吸い込んだハピナは、激しく咳き込み、目からは涙が止まらない。
当然、発動させるはずだった祈りは止まり、詠唱どころではない。
「うっ……ううぅ……」
どれだけの間、激しい催涙反応に苦しんだか。ようやく呼吸が落ち着き、霞んでいた視界がハピナに戻って来た時、全ては終わっていた。
「ンジャアッ、バァアアアアアア!!」
「チャバ! チャバ!」
「ウンババチュビジャバ!!」
目の前にゴーマが立っている。脂ぎった汚らわしい暗褐色に赤い斑点模様の体は生理的な嫌悪感を掻き立てるが……それ以上に、鱗や甲殻の鎧を纏った筋骨隆々のゴーヴ戦士が、何体も混じっていることが絶望的であった。
この大きな群れを率いていると思われる、角のついた兜を被った一際大きなゴーヴ戦士が、拳を突き上げて叫ぶと、ゴーマ達は大いに勝利の雄たけびを上げていた。
そう、すでに勝負は決していた。勝ったのはゴーマで、自分達は負けたのだ。
「あっ、あぁ……みんなぁ……」
血濡れの仲間達が、原始的な豚の丸焼きにされるかのように、太い棒に手足を括りつけられた状態で、ゴーマ達が担いでいた。
まだ死んではいない。かすかに息がある、ということを幼くともヒーラーとしてやってきたハピナは真っ先に確認するが、とても安心など出来ない。生きてはいるが、すぐに治癒魔法かポーションを使わなければ、死んでしまいそうな容体だ。
もっとも、たとえ万全の状態であったとしても、捕まっていては意味がない。ゴーマが人間を捕らえる。その意味を知らぬアストリア人はいない。それはたとえディアナ人でも、大陸の辺境に住む蛮族だろうと、等しく知れ渡っているに違いないだろう。
ゴーマとは、人食いの化物。不倶戴天の人類の敵であると。
「くっ、う……ハピナ……」
「っ!?」
捕まっている中で、リーダーの剣士少女だけは意識を保っていたようだ。
ゴーマに囲まれる愛すべき妹の姿を目にした彼女に、決死の覚悟が宿るのをハピナは見た。
「ハピナを……離せぇええええええええええっ!!」
それもまた天職の恩恵か。固く縛られていた手を強引に抜いた彼女は、腰のベルトに残ったままだったナイフを抜く。
素早い一閃で間近のゴーマの喉を裂き、そのまま自分の縛られた他の手足を切るべく刃を振るったが、
「チャンバァー?」
その手は、角兜のゴーヴ戦士によって掴まれ、止められた。
「くっ、このぉ!」
「チャァーッバッバッバ」
必死の形相の剣士を嘲笑うように、牙を剥き出しにわざとらしいほどの大笑いをゴーヴ戦士が上げると、
「ンジャバっ!」
「がぁあああああああああああああああああああああああああああっ!」
その腕にゴーヴが食らいついた。
鋭い牙と乱杭歯が少女の柔肌をあっけなく貫き、肉を引きちぎり……そして、バキボキと音を立てて、骨を噛み砕いた。
「イヤァアアアアアアアアアアアアアッ!?」
頼れる剣士の姉貴分が、今まさに人食いの化物に喰らわれる様を見せつけられ、ハピナは絶叫を上げた。
怖い。恐ろしい。最早、祈るどころではない。
愛し、愛され、仲間にも神にも恵まれた彼女は今、初めて残酷な現実という絶望を目の当たりにする。
もう祈りは届かない。剣を握るはずの右腕があっけなく食い千切られた。
ゴーヴ戦士は実に美味そうに、その腕を掲げて鮮血を啜り、人肉を貪った。湧き上がるゴーマ達の大歓声に、ハピナの悲鳴はかき消された。
「うわっ、近くで見ると、ホントに似てるなぁ」
だから、そのウンザリしたような呟きは、ゴーマ達の耳には届かなかった。
その存在に気づいたのは、ただ堂々と姿を現したから。
「青い小鳥遊かよ。2Pカラーかぁ?」




