第437話 ジェネラルガードの砦
「あ、ああ……こりゃもうダメだぁ……」
アストリア有数の軍事企業『ジェネラルガード』の採掘拠点へ山田が避難を促しに向かえば、すぐに避難は開始された。竜災はそれだけ恐れられる災害であり、真偽を確かめるよりも前に、まず逃げる、という判断こそ迅速だったが……彼らが拠点を出て少し進んだ時にはもう、眼前には川の流れのように魔物の大群が行進していた。
モンスターの向かう先は、自分達と同じ地上。すでに逃げ道は塞がれた。そうでなくても、この周囲一帯は次々と湧き出してくるモンスターによって、完全に包囲されていた。
「急いで戻れ!」
「拠点で籠城するしかねぇ!」
流石にあの数の魔物の群れに飛び込んで、逃げ道を切り開くことなど山田でも不可能だ。それも百人近い非戦闘員を守りながらとなれば、尚更である。
ここから犠牲者を出さずに済む方法としては、拠点に籠って竜災が過ぎ去るのを待つしかないだろう。
進路を魔物に塞がれ慌てて彼らは採掘拠点へと戻って来た。そこから四方八方から蠢く魔物の気配を感じながらも、全員が一丸となって籠城準備を進めた。
採掘拠点は簡易的な土の防壁が周囲を囲っている。フラっとモンスターが襲ってくる程度なら、この防壁で食い止められる。
しかし竜災の規模となれば、津波に飲まれる防波堤のように、あっけなく超えられる。壁など関係なく、空を飛ぶモンスターだって襲ってくる。そもそも、防壁一枚で食い止めようというのが無理な話である。
よって防壁での防衛線は最初から放棄され、全員で採掘拠点の本棟へ立て籠もることに決まった。流石にダンジョン内の建物として、その造りは砦同然の堅牢さを誇る。固く分厚い石と鉄の外壁に、窓は小さく、ブラスターを撃つための銃眼も備えられている。
ジェネラルガードの軍事技術の粋を集めた、最新鋭の拠点建築は第二階層に構えるには大袈裟過ぎるものだったが……今はここが、何とも頼りない鉄の箱に思えてならなかった。
「いいか、絶対に騒ぐんじゃねぇぞ」
「ここに人間がいると嗅ぎつけられたら、お終いだからな」
百人以上の人間が、息を殺してただ時の経過を待つ。山田も彼らと共に、眠るように静かな時を過ごす。
ここにいるのは、伊達にダンジョン労働者ではない。無駄にギャアギャア騒ぎ立てたり、パニックになって奇行に走るような者はおらず、トラブルは起こらなかった。
各々は最善を尽くしたが、それで見逃してもらえるほど、モンスターは、竜災は甘くはなかった。
フゴフゴ……ブゴォオオオオオオオオオオオオオオッ!
「クソ、燃豚だ……」
その荒い鼻息と鳴き声で、すぐに誰かが魔物の正体を察した。無論、すでに第三階層で活動している山田も、間違いないと判断する。
燃豚は火牛よりも狩りやすい食用に適したモンスターだ。無限煉獄で生きるための、燃えにくい脂肪分も不燃性の油などに利用されたりもする。
危険性は火牛よりも低いが、竜災で暴走した燃豚は積極的に人間を襲う。だが何より恐ろしいのは、その嗅覚に優れた大きな鼻で、隠れ潜んだ人間を嗅ぎ当てる探知能力だ。
ブギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!
けたたましい豚の鳴き声と共に、ゴォン! ゴォン! と激しく鋼鉄の扉や壁面に、重い体当たりの音が鳴り響いた。
「やべぇ、もう見つかっちまったぞ!」
「チクショウ、やるしか……やるしかねぇ……」
隠れているだけで、一体どれだけの時間が稼げただろうか。
一度、燃豚に嗅ぎつけられ、奴らが暴れ始めれば、他の魔物の群れもここに人間がいると気づき集まって来る。そして反撃に出れば、さらに騒ぎは大きくなり、より強力で大きな魔物まで寄って来る危険性は跳ね上がる。
誰もが分かっている。ここはもうお終いだ。竜災の群れに飲まれた時点で、生き残れるはずもない。ましてここは、地上ではなくダンジョンの中。一体誰が、こんなところまで助けに来るというのか。
ここで抵抗したとて、死ぬまでの時間を僅かに伸ばすのみ。
「分かった。俺が外に出る」
「はぁ!?」
「おいおい、何言ってんだアンタ」
「籠城してんだ、一回でも出たら、もう戻って来れねぇぞ」
覚悟を決めたように立ち上がった山田に、ブラスターを構えた警備兵達が慌てて止めた。
しかし、そんなことは分かっていると言うように、平然と山田は言葉を続ける。
「出たら戻る気はない。俺は外で、扉を破れそうなヤバい奴を狩る」
「無茶言うなよ!?」
「あんな群れに突っ込んでもすぐ死ぬだけだっての!」
「扉が破れてからじゃ遅い。少しでも時間を稼ぐにはこれしかない」
「けど、時間を稼いだところでよぉ……」
「最後まで諦めるな。今、自分に出来ることをやり尽くせ。援護だけ頼む」
そう言い放った山田は、三階の窓から躊躇なく飛び出した。
重武装の鎧兜に、デカい盾と斧を持った男が飛び降りただけで死ぬだろ、と誰もが思ったが、
「――――『大断撃破』」
落下の勢いのまま繰り出された武技が、凄まじい衝撃波となって炸裂する。
家畜の豚よりも遥かに大きい、凶暴な赤いイノシシのような燃豚が木の葉のように舞い散り、吹き飛ばされてゆく。
さながら小さな隕石が落ちてきたかのような威力に、警備兵達はブラスターを抱えたまま驚愕の表情で固まってしまった。
「俺は『守護戦士』だ。ここは通さん」
『不退転の誓約』を胸に、山田の戦いは始まった。
◇◇◇
「おい、頼むよ、兄貴が――――」
「うるせぇ、退いてろこのガキ!」
ルカが地上に戻った時、すでにヴァンハイトの街は竜災発生に大騒ぎとなっていた。
ここ十年以上は竜災とは無縁であり、前回も大した規模ではなかった。しかし今回は、最初に地上まで出てきたモンスターの数と種類の多さから、前回よりも遥かに大規模な竜災であると推測され、人々は慄いた。
それは戦う力を持たない市井の人々は勿論、街を守るアストリア兵も同様。今では竜災の経験がない兵士の方が多いであろう。
そして何より、ダンジョンに直接関わる迷宮管理局は、混迷を極めていた。
即時の都市内の入口封鎖こそ成されたが、冒険者達の緊急配備の手配、アストリア軍との連携、次々と飛び込んでくるダンジョン内の情報。誰も彼もが慌ただしく動き回り――――当然、ルカのような子供の相手をする者など、誰もいなかった。
「チクショウ、どいつもこいつもビビり散らしやがってぇ! こちとらモンスターの群れを突っ切って戻って来たってんだぞぉ!」
すでに天職『盗賊』としての才能を開花させているルカは、そこらの冒険者や兵士よりも腕が立つ。管理局が本部の入口を封鎖する前に戻って来れたのは、ひとえにルカの速度があってこそ。恐らく山田と一緒であれば、封鎖前の脱出には間に合わなかったであろう。
しかし、そんなことを幾ら叫んだところで、ここにルカの話を真面目に取り合う者などいない。
管理局は入口を封鎖した時点で、すでに今ダンジョン内に残っている者について救助は諦めている。たとえ物見遊山の貴族が取り残されているとしても、決して都市内部に直通となっている入口を、竜災発生中に開くことは決してない。
ヴァンハイトを含めた、四大迷宮を抱える都市は、ダンジョンへの入口を複数有している。しかし都市内にある入口は、必ず管理局によって操作できるモノに限られた。できないモノは丸ごと封印処置が施され、安全確保される。
ならば全ての入口を塞げば、そもそもダンジョン内からモンスターが溢れることは無いかと言えば、残念ながらそうはならない。
都市周辺には、管理局の管轄にないダンジョンの入口が幾つか存在している。そういった、いわゆる抜け道を利用してダンジョンに潜る違法冒険者もいるが、よほど問題にならなければ、わざわざしょっ引いたり、入口を塞いだりはしない。封印するのも、維持するのにも、コストはかかるからだ。
また、入口は新たに出現したり、閉じたりもする。いちいち全てを探して潰して回るのは、あまりにも不毛なため、目立つところ以外は基本的に放置されるのだが、竜災の時は、まずこの都市外入口からモンスターの群れが現れる。
これを確認することが、基本的には地上で竜災発生を知る最初の異常である。
「クソっ、こんなトコにいても、どうしようもねぇや……兄貴を助けに行けそうな有名クランに頼みに……いやいや、銀行で金を持ってくるのが先かぁ?」
「おい、そろそろ『ゲート』が開くぞ!」
「マジかよ、いよいよだな」
「お前、どうする?」
「俺はパス。今回のは絶対ヤバいだろ」
「防衛戦バックれたって、もう都市は封鎖されてんだ。逃げ場なんかどこにもねぇだろが」
「だからっていきなり最前線でモンスターの大群とやってられるか。こういう時こそアストリア軍の出番だろうが」
「バーカ、こういう時は、さっさと小さめのゲートで配置につくんだよ。そしたら率先して戦った冒険者の鑑って評価されるし、戦場で相手するのは小規模な群れだけで済んで安全なワケよ」
「いいなソレ、乗った!」
「悲報、ゲート全部デカい」
「はぁあああああああああああああああああああああっ!?」
半端なランクの中堅未満の連中が騒いでいるのを後目に、ルカは急いで管理局を出た。
「まずい、もうゲートが開くのかよ」
ゲート。それがダンジョンの完全封鎖による竜災阻止が出来ない最大の原因だ。
空間に亀裂が走るように割れると、そこが直接、ダンジョン内と繋がる。地上と迷宮を、門が開くように繋げることから、この現象は『ゲート』と呼ばれている。
つまり、新たな転移魔法陣が開かれるということだ。最悪、都市内にゲートが出現することもある。
深層から押し寄せてきたモンスターの大群は、第一階層まで来ると、一部は都市外入口から出てゆくのだが、大部分は新たに開かれるゲートへ、導かれるように殺到する。
そうしてゲートが開き、モンスターの大群が溢れ出てきたら竜災の本番だ。
ゲートには発生の兆候があり、少しずつ空間の亀裂が広がって行き、見た目にも分かりやすい。
迷宮都市はゲートの発生位置を即座に確認し、開くよりも前に如何に早く防衛兵力を配置できるかが勝負である。
そしてどうやら今回は、都市内部にこそゲートはないものの、形成されたゲートはどれも大型のようだった。
こうなれば日和見を決めているクランも、防衛戦の参加を急ぐだろう。
そして有名クランが総出となれば、ルカの依頼である山田救出を受けられる存在はいない。
「早く……早くしないと、兄貴が……」
「おい、お前がルカだな」
先にクランハウスか銀行か、決めかねている間に、ルカの前に男達が立ちはだかった。
「な、なんだよお前ら。オイラは急いでんだ、後にしてくれ」
「御子様がお前を呼んでる」
「大人しくついて来い」
「はあっ? 急いでるって言ってんだろ!」
「こっちも急ぎでな。さっさと来いってんだよクソガキが」
こんな時に面倒な、とルカは先制で目潰しを投げつけ脱しようとしたが、
「うぐっ!?」
「おお、結構速ぇな」
「手癖の悪ぃガキだ。流石は『盗賊』だぜ」
目潰しを放つ寸前に、腕を掴まれた。
コイツら、ただのゴロツキじゃない。ベテランの冒険者だ。くたびれた容姿の中年で、古びた装備から、相手の力量を見誤ったとルカは悔いる。
天職の力があっても、こういう相手にはまだ敵わない。まして二人相手で、もう手を掴まれてしまっている。
最速の不意打ちである目潰しも初動で潰されたのだ。こんな奴らに声をかけられた時点で、ルカの命運は決まっていた。
「オイラをどうしようってんだよ……」
「そんなもん俺が知るか」
「全て御子様が決めることだ」
御子様って誰だよ。如何にも素行の悪い不良中年の見本みたいな奴らのくせに、自分達のボスのことをお頭ではなく、御子様、などと畏まった呼び方をしていることにルカは違和感を覚える。
彼らはどう見たってパンドラ聖教の遣いとは思えない。
ならば御子とは何者なのか。何故今、このタイミングで自分を捕らえるのか。
良い予感など一つもしないまま、ルカはひとまず大人しく連れていかれるより他はなかった。
「……ここって」
「黒髪教会だ」
噂には聞いたことがある。だが山田も自分も、五体満足だし髪の心配など全く無縁。
スラムで落ちぶれた冒険者を治して、随分と勢いのあるクランを結成して活躍していると聞いたが、実際に見たのは初めてだった。
その噂の黒髪教会だが、流石に竜災発生中の今は、患者も客もいない。だが自分を連行する奴らと同じく、武装した冒険者が集まっていた。彼らがクラン『黒髪教会』のメンバーなのだろう。
どいつもこいつも悪そうな風貌をしたオッサンばかり。そんな奴らに睨まれながら歩かされ、教会の扉が開かれた。
「御子様、ガキを連れて来たぜ」
「良かった、見つかったんだね。ご苦労様」
そこにいたのは、自分と同じくらいのガキだった。
ふてぶてしい野良猫のような顔をした黒髪黒目の少年は、その真新しいブレザー姿から、如何にも金持ちお坊ちゃんといった風情。とても強面のベテラン連中を率いているとは思えない。
よほど金払いがいいのだろうか。ルカの『盗賊』としての直感を働かせてみても、このお坊ちゃまからは何の脅威も感じ取れなかった。
「でも、女の子相手にその扱いはあんまりじゃない?」
「なっ!?」
「はぁ、この生意気そうなガキがぁ?」
「あっ、今僕の悪口言った?」
「自覚はあるんすねぇ」
「てかホントに女なのかよコイツ」
「見れば分かるでしょ――――手荒な真似してゴメンね、ルカちゃん」
何の脅威も感じないはずの子供だったが、一目で自分の秘密を見抜かれ、ルカは言葉を失った。
「それで、山田君、じゃなくて、ヤムダゲインは今どこにいる?」
無邪気に笑っていた黒い瞳が、俄かに怪しい紫の輝きを伴って、ルカを見つめた。
その瞬間、ようやく思い出したように『盗賊』の直感が反応する。
これはただの子供ではない。もっと恐ろしい、子供の皮を被った何かであると。
「あっ、兄貴は……兄貴は、第二階層で、採掘拠点を守って、それで逃げられなくて……」
「はぁー、やっぱりね、そんなことだろうと思ったよ」
わざとらしいほどに溜息を吐くその反応に、何故だか妙に苛立つ。山田のことを、自分は全て理解しているとでも言いたげなその雰囲気に。
「それで、君だけ逃げてきたワケだ。相棒を置いて、一人で」
「違う! オイラは兄貴を助けるために、戻って来たんだ!」
そうだ、自分はただ逃がされたのではない。助けるために戻った。そうでなければ、自分で自分を許せない。必ず果たさなければ、何としても。
その焦燥感が、ルカを叫ばせる。
「金ならある! 金ならあるんだっ! なぁ、アンタんとこのクランは強いのが揃ってんだろ。お願いだ、頼む、兄貴を助けに――――」
「その依頼、引き受けた」
拍子抜けするほどの快諾に、ルカはつい言葉を失った。
そんな反応を楽しそうに笑って、謎の少年、御子は言う。
「僕は桃川小太郎。『守護戦士』山田元気の仲間だよ。だから、頼まれなくたって助けに行くさ」
 




