第430話 野鼠小僧
「おめでとう、アンタは今日からランク3だ」
結局、火牛一頭を納めただけで試験は終わった。
受付オバサンからは、この試験で取得できる最高ランクとなる『3』の数字が刻まれた銀色のプレートと、同じ内容が書かれた数枚の名刺のようなカードを受け取り、晴れて山田はヴァンハイトの個人冒険者となった
ただ、シルバーの迷宮免許には、山田元気の文字はなく、ヤムダゲインという名前だけが刻まれている。異世界人に「漢字で書いてくれ」とは言い出せなかった山田は、微妙な表情で免許を受け取った
ひとまず今日のところは、もうダンジョンに用はない。管理局にそのまま納品した火牛の素材を、少し時間を置いてから受け取るくらいだ。
思ったよりも早い探索終了と相成ったが、目的は達している。
ならば、これからお世話になるだろう管理局の周辺でも散策するか、と思って玄関に向けて歩いていた最中であった。
「おい、アンタが騒ぎになってる新人だな」
「へへっ、大型新人登場ってかぁ?」
「ヒューゥ、ご立派な鎧着込んじゃって、どこのお坊ちゃんだヘイヘーイ」
まるでいつかの海外ドラマで見た、ナードの主人公に絡んでくるジョックのクラスメイト達みたいな連中が、あからさまな冷やかしの態度で現れた。
彼らの装備は、草原バッファロー相手に大騒ぎしていた新人達よりかは上等に見えるが、ベテランと言えるほど使い込んでいるようにも見えない。冒険者としては新人を抜けて、探索範囲が広がった、くらいの頃合いだろうか。
そして何よりも、取り囲んでくる彼らからは、一切の脅威を感じられなかった。これなら錆びたナイフ片手に威嚇してくる、ゴーマの方がまだ気合が入っていると思える。
「なぁに無視してんだ」
「ちゃんと先輩には挨拶しないとなぁ」
「なんだよ僕ちゃん、ビビって声も出せねーのかよ」
山田はまるで小学生のヤンキーに絡まれているかのような困惑を覚えた。コイツらは全力で絡んできているが、こっちは下手に振り払おうものなら怪我でもさせてしまいそうなのだ。
困ったことに、向こうは自分を完全に舐めている。
冒険者として先輩であること。人数が上回っていること。そして身長だけで見れば、全員が山田より高いことも、理由の一つとなっているだろう。
絶対的に自分の方が優位であると思っている者には、格下など何を言っても無駄なこと。現実の力の差に気づかなければ、自分達が巨大な猛獣の尾を突っついていることなど夢にも思わない。
だからと言って、実力行使に出るのは躊躇われた。
相手に大怪我させるのは本意ではないし、折角、迷宮免許も手に入ったばかりなのだ。喧嘩沙汰を起こしたとしていきなり免停喰らっても困る。
そういえば、学園塔で習った蒼真流の体術で、相手を取り押さえる投げ技とか締め技もあったよな……と、いざという時のことを考えながら、山田は彼らを睨みつけて言った。
「……俺に構うな」
お願いだから、本当に構わないでくれ、と心から相手を慮っての台詞だ。
そして言うだけは言ったから、後はもういいだろうとばかりに、そのまま歩き去ろうとしたのだが、
「おぉい、待てやぁテメェ!」
「構うな、じゃねーよ。カッコつけやがって」
「それで見逃してもらえると思ってんのか、ああぁ!」
格下相手に舐められた、と思ったか。ついに彼らも実力行使に出た。
歩く山田の腕や肩を掴み、その歩みを止め――――
「おっ、お、おおぉ……?」
「おい、クソッ――――」
「と、止まらねぇ!?」
山田は歩き続けることにした。幸い、殴りかかられたワケではない。ただ掴まれただけ。ならば引き摺ってでも歩き続ければ、自分達では止められないのだと諦めるだろうと思えた。
良かった、うろ覚えの蒼真流体術は使わずに済みそうだ、と山田は安堵する。
「なぁ、そろそろ離してくれないか。もういいだろう」
「ハァ……ハァ……」
玄関を出る前に、そう切り出す。掴んで離さない彼らをズルズル引き摺って、外まで出歩きたくはない。
すでに力の差など十分に理解できているだろう。
「なぁ、アンタ、もしかして天職持ち、なのか……?」
「ああ、俺は『重戦士』だ。お前らは?」
「は、ハハッ……悪かったよ、これはほんの、冗談のつもりだったんだ」
「チクショウ、天職持ちとか聞いてねぇぞぉ……」
「すまねぇ、俺らちょっと今日は荒れてて……気を悪くしたんなら、謝る。すまねぇ、もう二度とアンタに手出しなんかしねぇよ」
あからさまに焦った作り笑いを浮かべて、謝罪なんだか言い訳なんだか判別のつかない台詞をまくしたて、彼らは慌てて山田の前から走り去っていった。
「なんだ、天職はみんな持ってるもんじゃねぇのか」
天職を持ってる人の方が少ないのか、と彼らの反応からアストリアの常識を垣間見た山田は、ちゃんとその辺のこともリカルドに聞いておこうと思いながら、管理局を後にした。
そうして、山田は夕方頃に、再びリカルドの店へと戻って来た。
「ああ、ヤムダ様、御無事のお戻りで何よりです」
当日に出戻りしたような山田に嫌な顔一つせずリカルドは、ヤマジュンを思わせる暖かな微笑みを浮かべて、彼の来訪を心から歓迎した。
その顔を見て、山田もどこか緊張が解れていくのを感じた。
「思ったよりも上手くいってな。とりあえず、借りたモノは返そうと思って来た」
「いえそんな、とんでもない!」
今朝方に頂いた金額を半分ほど上乗せした紙幣の束を、二人はしばしの間、押し付け合っていた。
「ともかく、あれは私が正当に護衛の報酬としてお支払したもの。ですので、ここはヤムダ様が持ってきて頂いたお土産だけで、お気持ちとしては十分ですから」
結局、そう押し切られて山田は自分の懐に金は戻すこととした。
その代わりとばかりに、次にリカルドへ差し出したのはお土産、すなわち本日の獲物である火牛の素材だ。
「コイツは食う用の肉だ。一番いい部位を貰って来た」
「おお、これはこれは、どうもありがとうございます」
きちんと保存用に包まれた大きな肉塊を目に、リカルドは定番の草原バッファローだと思い、「息子もこの肉が大好きで」などと笑顔で語ったが、
「で、こっちは一応、リカルドが使えそうな素材を見繕って来たんだが……他に欲しいのがあれば、明日にでも持ってくるぞ」
ドン、と置かれた赤い文様のような筋が入った大きな角と蹄。食肉同様に包まれた臓器。そして何より、強烈な火の魔力を発する大きな核の結晶の輝きに照らされた、リカルドの笑みが固まった。
「ヤムダ様、その、コレは……」
「火牛だ」
「ああ、やっぱり……けど、試験ならば第一階層しか探索できないはずでは」
「何故かは知らんが、暴れていたからな。今日は初めてだったし、色々あってな、獲物はコイツだけなんだ」
勘弁してくれ、なんて言う山田に唖然とした表情で聞いていたリカルドであったが……たった一人で容易くゴーマの群れを始末した腕前を思い出し、彼にとっては火牛も片手間で軽く倒せる相手なのだろうと、納得してしまった。
「それでは、ありがたく素材はいただきますが……どうか、このコアだけはヤムダ様がお持ちください」
「なんでだ、コアが一番価値があるだろう」
「だからこそですよ。このサイズと質なら売却だけで結構な値打ちがつくでしょう。それにヤムダ様の武具は一級品のようですが、予備を揃えることを考えれば、装備品に使うこともあるかもしれませんし」
「なるほど……だがリカルドには素材を卸すと約束もしたし」
「ウチはしがない薬屋ですから。コアの売却なら、そのまま管理局で済ませるのがよろしいかと」
確かに専門じゃないものを押し付けると困るか、と思い直して山田はコアを仕舞った。
リカルドは天職『薬師』を持っている。
店にはアストリア全国共通規格のポーション類から、オリジナルの調合薬品、他にも日常的な傷病に対する医薬品が揃っている。小さな町の薬局といった風情の店だ。
ただの薬師ならば店から動くことはないが、リカルドは天職を持っているが故に、たまに希少素材を求めて遠出することもある。山田が出会ったのは、首都シグルーンへ出向いた帰り道だったというワケだ。
山田にはモンスター素材の目利きは出来ない。ポーションを作る、なんて真似は小太郎の領分であり、なんか錬成陣と魔女窯を回して色々やっている、程度の認識しかない。
なのでお土産に選んだ素材は、管理局で薬品に使えそうなのを選別してもらったものだ。
「よろしければ、今日のお話など聞かせて貰えませんか」
「昨日も御馳走になったんだ。連日では迷惑だろう」
「いただいたお肉はこんなにあるんですから、一緒に食べていただく方が助かりますよ」
そこまで言われれば、と山田は了承する。だが、山田も今日は初めてのことばかりで、リカルドのように裏表のない相手に話をしたい気持ちであった。
いきなりダンジョンから追放され、一人きりのままなら、不安と警戒ばかりで気も休まらなかっただろう。けれど、リカルドのお陰で随分と気持ちが軽い。
野球部やってる頃では、メンタルコントロールなんて話半分にしか聞いていなかったが、今だからこそその重要性も理解できる。天職によって超人的な肉体となっているが、己の心ばかりは、その限りではないのだから。
◇◇◇
「それでは、行ってらっしゃいませ。貴方に多くの恵みがあらんことを」
お決まりの挨拶に見送られて、山田はリカルドの店を出た。
今日の予定も、勿論ダンジョン探索だ。リカルドの護衛報酬と火牛の売却額、これだけで庶民が優に一ヶ月以上は暮らせるだけの資金はあるのだが、ダンジョンに挑む以上、様々な費用もかかる。
今はまだ小太郎が持たせてくれた荷物だけでも事足りるが、物資は有限。武具も近いうちにメンテナンスに出した方が良いし、各種ポーション類も補充するべき。更に本格的な野営具なども揃えるとなれば、あっという間に手元の資金は飛んでしまう。
ひとまず、回復や解毒に関わるポーション類は、薬師であるリカルドから直に仕入れることができる。自分の命を預ける回復アイテムを、信頼できる相手から仕入れられる、というのは幸いだ。
ヴァンハイトは大都市な分だけ、悪質な店もそれなりに幅を利かせているという。評判や相場を知らずに、下手に安物を仕入れて、何の効果もない薬液を掴まされては、堪ったものではない。
「おはようございますっ、兄貴ぃ!」
「んあ?」
急に路地から飛び出しては、威勢のいい声で直角のお辞儀をしてくる子供を前に、山田は硬直した。
だが、その声と姿に、すぐ子供の正体に思い至る。
「お前は昨日の」
「はい、忠実な兄貴の舎弟、ルカっす!」
「いや何だよ舎弟って……」
ニカっと笑顔で言い切るルカに、山田は溜息を吐く。
しかしながら、昨日の山田の行動を振り返れば、彼がこんな態度に出て来るのも分かるだろう。
ルカは見るからにスラムの小汚いガキである。
小太郎が近所を我が物顔で歩く野良猫なら、ルカは物置を這いまわる野鼠といった雰囲気だ。顔立ちこそ中性的な少年らしいが、頬にはそばかすが散る上に、薄っすらと煤けている。ボサボサの赤茶けた髪を革ひもで一本に縛っているだけのヘアスタイルは、恐らく昨日から解くことなく、頭も洗っていないであろう。
痩せた体に身に着けるのは、色褪せたシャツに、擦り切れた革のベストは拾い物なのか、サイズが合っていない。ズボンも靴もボロボロで、唯一の武器と思しきナイフも刃こぼれしている有様だ。
そもそも、こんな子供が第一階層とはいえ、ダンジョンの中にいるのがおかしい。たとえ迷宮免許を持っていたとしても、正規に取得したものかどうかも怪しいものだ。
さて、そんな誰からも省みられることのないような子供を、命を助けた上に、ボッキリと折れていた足を治癒術士に治させ支払いもした。さらに腹も減っていると見れば、火牛の肉まで持たせたのだ。
山田は日本人としての価値観で、つい恵まれない子供に施してしまった。そう、この街ではありえないほどの施しを。
こんなに甘い奴はいない。極上のカモだ。明日も明後日も、集れるだけ集ろう――――そう考えるのは、スラム育ちの者なら当然であろう。
「命を助けて貰った上に、あんな施しまで受けたとあっちゃあ、このルカ、兄貴に誠心誠意、尽くして見せますぜ!」
「俺はダンジョンに潜っているんだ。遊びじゃない」
「こちとら遊ぶ暇なんざぁ、ありゃしねぇ! オイラ、兄貴に命がけでついてく所存!」
一言断ったくらいでは、引く様子は見られない。
さて、どうしたものかと思っている内に、ルカのセールストークが続く。
「なぁ、絶対にオイラ、兄貴の役に立ってみせるぜ。これでもダンジョンは結構潜ってんだ。狩場は勿論、穴場も知ってる。市場の表から裏まで、良い店と悪い店も分かるし、冒険者の流行に噂話、情報収集もお手の物さ」
「情報はありがたいが、ダンジョンに連れて行くワケにはいかないぞ」
「頼むよぉ、ダンジョンに潜んなきゃ稼ぎも上がんねぇ! 確かにオイラの装備は貧弱だが、目も耳も良いんだ! 足も速いし、力だって大人並みだぜ。偵察でも荷物持ちでも飯炊きでも、何でもやるからさぁ……そうだ、兄貴ほどの男なら、ケツを貸してやってもいいぜっ!」
「おい、冗談でもそんな事を言うな」
性的なことは若干トラウマというか、後悔のある山田は、ませたガキの下ネタにも嫌な気分になってしまう。
正直、山田に子供の面倒など見ている余裕はない。今は自分の面倒だけで手いっぱいなほどなのだ。
もう無視するべきか。いや、変につき纏われたせいで、リカルドの店にまで押しかけられてはまずい。彼の一家には、絶対に迷惑はかけられない。
かといって、殴りつけて分からせる、なんて真似も出来ようはずもなかった。
さて、どうすれば上手く諦めさせることができるかと悩んだ山田の脳裏に、閃く。
「山田君、逆に考えるんだ。こんなガキ死んじゃってもいいさと」
頭の中で、小太郎がしたり顔でそんなことを言う。
幾ら何でも外道が過ぎるぞ桃川、と頭を振って否定しようとするが、
「利用できるモノは、何でも利用する!」
だから姫野も徹夜で作業させるんだ、といつだったか息まいていた姿を思い出す。
想像上の小太郎の言に従うつもりはないが、それは確かに一つの選択肢として存在するのだと、納得は出来た。
「一週間だ」
「えっ?」
「一週間、俺について来い。まずはお前の働きぶりを見て考えよう。出来るか?」
「できらぁっ!!」
そうして、山田はひとまず新たなパーティメンバーを加えることとした。




