第417話 最初の犠牲者
「見てよ兄ちゃん、コイツら、俺の奴隷!」
「おおぉー、いいじゃん、ついに若様も奴隷持ちかぁ」
翌日、ウォンタは屋敷に訪れた年上の少年に、買ってもらったばかりの玩具を自慢するように、庭先で二人の奴隷を見せていた。
少年はデイリックジュニア。このニューホープ農園で最も好待遇で迎えられているデイリック隊長の愛息子である。
ウォンタとジュニアは親同士の関係も手伝って、非常に良好だ。
一人っ子のウォンタは、ジュニアのことは頼れる兄のように慕っており、ジュニアは若様と立場上呼びはするものの、しっかり可愛い弟分として世話をしてきた。
念願の奴隷を手に入れたウォンタが、最初に彼へと見せびらかすのは半ば必然であった。
「けどよぉ、まだまだ躾ってのが、なってないんじゃあねぇのか――――オラっ!」
「ッ!?」
突如として繰り出された痛烈なローキックを受けて、カロンは苦痛の声を押し殺しはするものの、その衝撃によって膝を屈する。
デイリックジュニアはついこの間に成人したばかりの15歳だが、その体格はほとんど大人も同然だ。
優秀な兵士であり、傭兵となった父親の血を存分に受け継ぎ、恵まれた体に、恵まれた生活、さらには本人の意志もありトレーニングまで積んでいる。
すでに彼は父親の指導もあって、そこらの新兵よりは動けるだけの体と強さを持っている。同年代の子供に敵う者などおらず、それに見合う尊敬を集めていた。
しかし、ただのガキ大将で満足などしてはいない。今年から士官学校へ入学し、卒業してアストリア軍へ幹部候補生として入隊、とデイリックは自分ではできなかったエリートコースを歩ませようとしている。そしてジュニアは父親を超える偉大な軍人を目指す、強い意志があった。
「随分と生意気な目ぇしてくれやがって。ディッキーのガキは、奴隷って立場がまだ分かってねぇのか、ああぁ?」
ありふれた言いがかり。だがカロンにその気が全く無かったとも言えない。
信じられないほどよく効いたモモカの薬のお陰で、背中はすでに痛みは引いている。これなら今日も鞭で打たれたって耐えられる。
生来の負けん気の強さを隠しきれるだけの小賢しさまでは、カロンは持ってはいなかった。
だがそんな挑発的な目を向けられて、ジュニアは黙っちゃいられない。このイーストホープで、自分は同年代の中じゃ最強だ。そして未来のエリート軍人。舐めた真似は誰にも許さない。まして、ディアナ人奴隷になど。
「若様よぉ、コイツら甘やかし過ぎじゃないのか?」
「ええぇ、昨日ちゃんと鞭打ったのになぁ」
「おいおい、ただ鞭をブンブンするだけでいいわけないだろぉ。ボンクラ監督共の真似事なんかしてちゃダメダメ、ガキじゃねぇんだからさぁ」
「ぐぁあああ……」
倒れたカロンの顔を、スパイクのついた靴底で踏みつけながら、ジュニアは弟分へと語って聞かせる。正しいディアナ人の扱いについてを。
「こいつは聞いた話なんだけどよ、親父がディッキーの村を潰した時のことだ」
デイリックは今も隊長として、兵士時代の部下も多くついて農園警備部隊を結成している。
ジュニアは彼らにも可愛がられており、一緒になって酒場で騒いだりもしょっちゅうであった。
そこでは父親があまり語らない、リアルな戦場の話も聞けた。これはその内の一つである。
「よっぽど上手く占領できたらしくてな、親父も調子に乗って飲んでたってよ。実はあんま強くねぇくせに」
それは侵略先ではよくある話。占領地での略奪、乱暴狼藉。
奪われた側にとっては悲劇だが、奪った方にとっては武勇伝である。
「酔った親父はディアナ女に言ったんだ、三分で俺をイカせられたら、お前の男だけ助けてやるってな」
向けられたリボルバーの先にいる男が、女にとっての夫なのか恋人なのか、あるいは兄弟なのか、そんなことは知らなかったし、どうでも良いこと。
所詮、それは酩酊感に溶けた頭で思いついたお遊び、余興に過ぎない。楽しく気持ちよくなりたかっただけ。
「そしたら女は必死になってしゃぶってよぉ、親父のヤツ、イった拍子に銃ぶっ放したんだ!」
銃声と共に爆笑が湧き上がった。
女には上げられる声もなく、頭が弾けた男に声が出せるはずもなく。その場はただ、酒に酔った兵士達の笑い声だけが響き渡る。
その翌朝、下半身丸出しで起きたデイリックが昨夜のことを何も覚えていなかったことで、さらに爆笑した。
そんな出来事を彼らは、ディアナ女に呆気なくイカされた情けない男の息子へと、戦場であった笑えるエピソードの一つとして、今も笑顔で語るのだ。
「親父のダセー話聞かされてちょっと恥ずかしくなっちまったが、こうも思ったんだ。やっぱこういうコトをナチュラルに出来るようにならなきゃダメだってな――――おい、お前も俺のしゃぶってみるかぁ?」
「ひっ……」
視線を向けられたラティナは、息を呑む。いや、もう息ができているかどうかも自分じゃ分からない。
カロンが蹴り倒された時から、もう彼女の心から平静さは失われている。
怖い。ただただ怖く、恐ろしい。
鞭の痛みが。理不尽な暴力が。
けれど今は、昨日の鞭打ちよりも、さらに恐ろしく、おぞましい事が起きようとしている。
恐怖に震えるラティナに、ジュニアの話など半分も理解できていないが、それでも察してしまう。どうしようもなく、それが分かってしまう。
「おい、早くしろよ」
「う……あ……」
腕を掴まれる。
ラティナは頭の中が真っ白になり、抵抗など出来ようはずもない。悲鳴さえ上げられず、荒い呼吸だけが漏れるのみ。
彼女は今この瞬間になって、初めて理解する。奴隷とは、ただ脅されて働かされるだけの存在ではない。
知らなかった。気づいた時には奴隷として売られ、商会では商品として品質管理され、農園ではリザを筆頭に、大人に守られていたから。
苦しいけれど、仲間がいる。最低限、生きてはいける。
でもそれが奴隷ではなかった。
奴隷とは、気まぐれで壊されるモノ。
そこに大した意味もなく、ほんの一時の感情で、永遠に失われたとしても、気にも留めずに忘れ去られる――――そう、今これから壊されて、捨てられるのだと、ラティナは己の運命を悟った。
「ぴゃー」
だから運命を変えられるのは、神様の力。
黒い何かが、視界で弾けたのをラティナは見た。
「……あ?」
「ぴゃー」
素っ頓狂な声と共に飛んできたのは、泥だ。
ゆるく放り投げられた泥団子がぶつかったのは、ジュニアが着ている本革のベスト。最近買ったばかりのお気に入り。
それにぶつかった泥団子が弾けて、ベチャベチャに汚れをまき散らす。
雨上がりの地面に転んだだけならば、悪態を吐くだけで終わっただろう。
けれど、これをやったのは、この自分を汚しやがったのは、紛れもなく奴隷の仕業だった。
「なに、してんだっ、このガキィ……」
この農園で誰よりも粗末な、麻袋のような服を来た黒髪の子供。
幼児が泥遊びするように、得意げな顔で両手に泥団子を持ち上げ、ジュニアへ向かって投げつけた。
「ぶっ殺すぞテメぇ!!」
「あっ、まずいよ兄ちゃん、アイツは――――」
奴隷の子供などに、これだけ舐めた真似をされて黙っていられるはずがない。
怒り心頭で飛び出したジュニアに、ウォンタの声は届かなかった。
あれは呪い子モモカ。手を出すのは危険な存在だと訴える警告を叫んだところで、もう全てが手遅れだ。
ケタケタと笑い声を上げて庭の茂みの向こう側へと逃げ去ってゆくモモカを、ジュニアは腰にいつも下げているナイフを抜いて追いかけた。
頭にあるのは、ただ真っ赤な怒り。この俺を舐めるヤツは許さねぇ、というプライドを刺激するには十分過ぎるほどの挑発を受けたのだ。
恐れなど、あるはずもない。たとえウォンタから呪いの話を聞いていたとしても、ジュニアはきっと止まらなかっただろう。
だから逃げるモモカを追いかけた。屋敷の庭をとうに抜けて、広い畑に出た後も追いかけ続けた。
自分の方が脚力では上回っているはずなのに、つかず離れずのまま追いつけないことに違和感を覚えるよりも前に、足が何かに引っかかった。
「うおっ!?」
勢いのまま前のめりに倒れ込んだジュニアだが、受け身はとっている。すぐに立ち上がろうとしたが、引っかかった方の足には何かが絡みついて動かなかった。
ロープか蔦でも絡んだのか、と思って、ナイフを握った右手を向けると、
「なんだよコレ、髪の毛、かぁ……? 気持ち悪ぃ」
黒く長い髪のようなモノが、束になって足首に絡みついていた。
なんでこんな所に、こんなものが。疑問よりも、まずは先にこの気持ち悪い拘束から脱することを優先して、ナイフで切ろうとするが――――今度はその手が止められた。
「あっクソッ、どっから出やがった!?」
ナイフを握りしめた拳ごと、黒髪の束が絡みついている。
腕を縛る黒髪は草むらの向こう側から飛び出しているようで、根本がどうなっているのか、そもそもどうやって飛んできたのかも分からない。
間違いなく、ただ地面に落ちていたものに絡んでしまっただけではない。
この黒髪は魔法のように、何者かの意志でもって操られていると、ジュニアは事ここに及んでようやく気が付いた。
「キャハハ!」
「てっ、テメぇか!」
何者か、など考えるまでもない。
黒髪に捕まったジュニアに、モモカはキャッキャと笑い声を上げながら、地べたに這い蹲った彼の姿を指さしている。
「おい、離せ! 早く離せやっ、コラぁ!!」
叫びながら地面の上で暴れるジュニアだが、刃がなければ髪の毛の束など簡単に切れるものではない。少なくとも、体がデカいだけのガキ大将では無理だろう。
そうしてもがいている間にも、黒髪の束は草の向こうから、獲物を見つけた蛇のように現れ、さらにその体を縛ってゆく。
「っざけんな! どうなってんだ、テメぇマジでぶっ殺すからな!!」
「ザーッコ、ザコザコ」
いよいよ身動きが封じられ、罵倒を叫ぶことしかできなくなったジュニアの目の前で、モモカはスクワットするような動きで、煽り文句を楽し気に歌っていた。
その時、ガサガサと一際大きな音を立てて、背の高い草むらから何者かが近づいて来る。
「おいっ、こっちだ! 早く助けろ、この奴隷が俺を――――」
助けが来た、と無条件に信じたジュニアは大声をあげて自分の居場所を知らしめる。
その声に惹かれるように真っ直ぐこちらへと向かってきた物音の主は、のっそりと生い茂った草をかき分けて、その姿を現した。
「へ……?」
それは獣だった。四足で地を歩く獣。
けれどその身は鋼のような甲殻で覆われ、ズングリとした巨躯は立ち上がれば三メートルを優に超すだろう。
それはただの獣ではなく、魔獣。
鎧熊が、現れた。
「あっ、あ……なんでぇ……」
鎧熊の姿を見た瞬間、ジュニアは気づく。コイツだ。コイツがここ最近、ずっと親父が追っていた鎧熊だと。
注意も受けていた。まだ仕留め切れていないから、万が一、農園の近くでも出没する可能性はある。もし農園に来る時は気を付けるんだぞと。
そんな親心の心配など、俺がそんなんでビビるかよ、と鼻で笑っていたのが先日の自分であった。
果たして、本物を前にビビらずにいられるか?
「いぃぎゃぁああああああああああああああああああああ!!」
ビビるよりも先に、鎧熊が牙を剥く。
涎の滴る大口を空けて、ジュニアの胴体へと食らいついた。
鋭い牙の列が深々とその身に食い込み、強烈な激痛、そして生まれて初めて感じる明確な生命の危機への恐怖が、絶叫となって口から放たれる。
「痛でっ! 痛いっ、痛いがらぁあああああああ!!」
恥も外聞もなく、ただただ恐怖と痛みで泣き叫ぶジュニアを、鎧熊は噛みついたまま持ち上げる。
その場で人間の肉を貪り食うことはなく、このまま巣へと持ち帰るとでも言うように、くるりとその身を翻す。
そして再び、この地の主は自分だとでも言わんばかりに、ゆったり四足で歩き始めた鎧熊に引きずられて、ジュニアも理解する。
自分は餌で、このまま連れて行かれる。そして二度と、帰ることはできない。
「やっ、やぁだぁあああ! 助けてっ、パパぁ! イヤだぁああああああああああああああああああああああ!!」
「バイバーイ」
モモカは笑顔で手を振って、泣き喚くジュニアと鎧熊を見送った。




