第416話 ノースレイブ・ノーライフ(3)
「ウォンタ、お前もいい歳だ。専属の奴隷をつけてやろう」
「ええっ、ホント! いいの、パパ!」
「まだちょっと早いんじゃないかしら?」
その日、ニューホープ農園の屋敷では、夕食の席でウィンストンは一人息子に、専属奴隷をつけることを伝えた。
父親の言葉に、息子ウォンタは素直に喜びの声を上げる。一方で、母親は難色を示していた。
「この農園を継ぐのはウォンタだ。今のうちから、しっかりと奴隷の扱いというのを学んでおかねばならんだろう」
あながち建前だけで言っているワケではない。
奴隷など買えば幾らでも、と思いがちだが、やはり右も左も分からぬ素人よりも、慣れている方がいい。それは仕事も、主人に対する行動も。
確かに妻が言う通りに少々早くはあるものの、年少の奴隷をつけておけば、今の内から躾ておける。
息子が成人を迎える頃に、使える奴隷をすでに抱えていれば、農園経営もスムーズに継いでいけるだろう。
もっとも、そんな親心などまだ十を過ぎたばかりの息子に、伝わるはずもなかったが。
「ねぇパパ、俺アレがいい、あの強くておっぱいデカいヤツ!」
「リザはウチの稼ぎ頭だからダメだ。それに危険過ぎる」
つい先日、久しぶりに間近で見たリザの戦士としての気配に、ウィンストンは内心冷や汗をかいたものだ。
少しばかり食事が良くなった程度で、あれほどまでに肉体が発達するのか。もしも今の彼女が本気で暴れれば、自慢の警備部隊でも死傷者が出かねないと思った。
「明日から連れてきてやる。しっかりと躾るんだぞ」
「はーい、任せてよ!」
そして翌朝、ウォンタの前に二人の奴隷をウィンストンは連れてきた。
「カロン、です」
「ラティナ、です……」
「なんだよガキじゃん」
期待外れといった顔のウォンタだが、人選としてはこの少年少女の奴隷以外はありえなかった。
ウィンストンがこの二人を現場から引き抜いてきた一番の理由は、モモカから遠ざけることだ。
マルコムの報告によって、最もモモカの傍にいるのがこの二人であり、今では彼の曖昧な言葉でも意図を察して、手伝うようになっていると。
僅か一週間で二人の奴隷を側近として操っているのは、意図的なのか偶然か。あの知能に障害を患っているとしか思えない言動のモモカが、意図してそれを成しているとは思いたくなかったが、事ここに及べばあの狂った様子も演技なのではないか、という疑念さえ湧いてくる。
ともかく、呪い子モモカなど絶対に自分にも息子にも関わらせたくはない。だが少しでもアレの影響力を抑えるような手は打たねばなるまい。
そこでウィンストンは、息子の専属にするという建前で、モモカの側近と化した少年と少女を引き離すことにしたのだ。
その上で、マルコムには現場の方でモモカを出来る限り他の奴隷と関わらせず孤立させるような配置にするよう指示しておいた。
「いいか、このウォンタが今日からお前らの主人だ。しっかりと尽くせよ」
いつものように威圧を込めた言葉を残し、後は任せてウィンストンは自分の仕事へと戻った。
奴隷といえど、所詮はまだ分別のつかぬ子供。万が一があってはならないので、しっかりと息子にはアストリア人の召使と警備員もつけている。
安全は保障されている。後は息子の好きにさせればいい――――そのことを、ウォンタ自身もよく理解していた。
「じゃあ、まずお前ら脱げ」
「えっ」
「早くしろよ。まずは鞭打ちの練習をすんだよぉ!」
奴隷に鞭を打つことは、この農園で育ったウォンタにとって、大人の仕事だ。兵士がブラスターを撃つのと同じように、子供が憧れる姿である。
自分の専属奴隷とは、すなわち、自ら鞭をとって叩ける相手ということ。
そこに一切の遠慮も躊躇もありはしない。ただ純粋な好奇心と期待感でもって、召使から渡された鞭を、ウォンタは握った。
◇◇◇
「――――申し訳ない、完全に見失ってしまいました」
その日の夕刻、遠出から戻ったデイリック隊長の報告に、ウィンストンは渋い表情を浮かべた。
「お前でも、ダメなのか」
「数日前から、完全に痕跡が途絶えてしまって。もしかしたら、山の奥に引っ込んじまったかもしれませんね」
「だからといって安心は出来んな……凶暴な鎧熊は確実に仕留めてしまいたいものだが」
ここ最近はすっかり呪い子モモカに振り回されていたが、目下最大の悩みは、エレメンタル山脈から降りてきた、鎧熊の存在であった。
遡ること三ヶ月ほど前から、イーストホープ周辺で目撃情報が寄せられ、ほどなくして牧場が襲われ始めた。人的被害こそないものの、結構な数の家畜が食われてしまっている。勿論、町からもその危険性から討伐や警備の兵士は出されているが、そこは辺境の町であるため限度がある。
ウィンストンは町の安全を守る社会貢献、という建前を打ち出しつつも、いつ自分の農園が襲われるかというリスクのために、デイリック隊長率いる優秀な傭兵部隊をわざわざ山狩りへと出していたのだが……
「鎧熊の痕跡は消えちまったんですが、その代わりに見つけましたよ。奴隷共の飯の出所を」
「本当か!」
「それなりの人数で採取した形跡が、確かにありましたぜ」
本当にディアナの神とやらが食料を湧き出しているのではないか、と疑いかけていたウィンストンだったが、確かに人の手による犯行というのが分かり、安堵するような気分になった。
「それで、ソイツらの足取りは?」
「残念ながら、そこまでは。上手いこと痕跡を隠しているようでして」
「一体、何者なんだ」
「もしかすれば、自分でやってるかもしれませんね。なにせアイツは、分身の術を使えるようですし」
誰もモモカが二人並んでいるのを見たことがあるワケではない。
しかしながら、ここ一週間の様子を聞く限り、どう考えても分身しているとしか思えない目撃情報が上がって来る。同じ時刻に、異なる場所、それも複数個所でモモカの姿が確認されているのだ。
自分が初めて目撃した、この執務室を覗き見するモモカを追いかけた時に、小さな客室で姿を消し完全に見失ったことも、分身の魔法によってその場で消えたと考えれば辻褄はあう。
「分身とは、本当にそんな魔法があるのか?」
「まぁ、氷魔術師が幻覚を見せる、みたいのはありますが、実体を持って自在に動かすってのは聞かんですね。ただパンドラ聖教にはない異教の神の御子だってんなら、どんな能力を授かってるか分からんですよ」
「うぅむ……だが最悪の場合、本当にモモカを組織的に支援する者達がいるということもあるわけだ」
「ですね。流石にこれ以上、抱え込むのは危険なのでは?」
「……そうだな。何とか上手いこと、モモカを他所へ売り飛ばせるよう、渡りをつけておこう」
元より、呪いで重傷を負った瞬間を目の当たりにしたのだ。あんな危険人物、一刻も早く手放したいと思うのは当然。
その上さらに、外部に協力者と思しき者まで存在するとなれば、もう一人の奴隷だけの話には留まらない。モモカが呪い子であることは明らかで、そんな子供に味方するとなれば、どう考えても怪しげな呪術師か魔術師の集団だろう。あるいは恐ろしい邪教徒か。
そんな奴らに目を付けられるなど、絶対に御免である。
呪いのことがなくても、モモカ一人のせいで、たったの一週間で奴隷達の待遇が改善されたのだ。予算と権限を持たせた部下ではなく、ただの奴隷が。
改めて考えると、あまりにも異常な存在だ。こんな奴を一年どころか、一ヶ月も放置していればどうなるか……それこそ、大規模反乱さえありうるのではないか。
「俺らは鎧熊狩りと並行して、採取している奴らの方も探ってみますよ」
「ああ、それで頼む。もっとも、先にモモカを処分できれば、それも無駄足かもしれんが」
「なぁに、最前線の無茶な命令に比べりゃあ、楽なもんですよ」
そう軽く言い放ち、デイリックは執務室を出て行った。
必要な報告は済ませた。後はこのまま家へと帰るだけ、と気楽な気分で屋敷の階段を軽快に降りていくと、
「おっとぉ、マルコム、お疲れさん」
「お疲れ様です、デイリック隊長。もう戻っていたんですね」
この農園を支える要の二人は比較的、年齢も近い。荒くれ傭兵といった風情のデイリックに王都のインテリ感丸出しのマルコムは、正反対の印象だが、両者共に仕事上での付き合いは良好な関係を保っていた。
「今日はもうお帰りですか」
「おうよ、俺のセクシーワイフとマイサンが待ってるからな」
「はは、いいですね」
「お前も早いとこ結婚しとけ。いつまでも高嶺の花なんざ眺めてたって、いいことねぇぞ」
「いやぁ、今はまだちょっと仕事が忙しいので、そういうのは中々」
マルコムの適当な愛想笑いに、複雑な事情を知っているデイリックはそれ以上、突っ込むことはしなかった。
「まっ、気が向いたらいつでも言えよ、いい店紹介してやっから」
「その時はお願いしますよ。お互い、今は色々と忙しいですから、鎧熊と呪い子の件が片付いたら、飲みにでも行きましょう」
「経費でか?」
「落とせるよう取り計らっておきますよ」
「さっすが、頼むぜ若旦那」
「やめてくださいよぉ、それ聞かれたら会長に怒鳴られるんですから」
そんな気安いやり取りを経て、二人は分かれて行った。
◇◇◇
「なぁ、リザ、お前はどう思っているんだ」
イーストホープの町に向かって陽が沈み始める時刻、農地から引き上げてきた奴隷達が寝床となる宿舎へと集まって来る。
各農地の奴隷が一か所へと集まる、一日の内で朝と夕の僅かな時間だけ、他の農地で働く者と言葉を交わすことが出来る。
それとなくリザに近寄って声をかけてきたのは、正反対の農地でディアナ人をまとめている奴隷頭の立場にある男だ。
名はトーゴ。元、戦士である。
「私は、御子様の命が下るまでは、動くべきではないと思います」
「あの様子の御子様が、本当に号令をかけてくれると思うのか?」
トーゴ率いる農地でも、モモカは姿を現し、食料を配っていた。
噂に聞く、呪い子。どこから持ってきたのか、袋一杯のベリーや胡桃を配り、粥の量も倍増した。
無邪気な笑顔でそれを配るモモカに、自分達は感動の涙を流したものだし、それを監督役は力づくで止めることもなく、遠巻きに眺めるに留まっていた。
このクソッタレな環境において、奇跡のような出来事だ。それもその日限りではなく、モモカがやって来てから毎日ずっと続いている。
トーゴとしても、この奇跡の恵みをもたらしたモモカを、御子であると認めている。たとえそれが、ディアナ戦士の信仰する『大いなる巨神』ではない、全く知らぬ未知の神だとしても。
「御子様は聡明な方です。無垢な子供のように振る舞いながらも、私達に必要な施しを与えてくださいます」
「ああ、御子様のお陰で俺達がどれだけ助けられたか。俺もお前も、久しぶりに戦士らしい体つきに戻れたもんだ」
充実した食事のお陰で、戦士のトーゴも瘦せ衰えていた筋肉が往年の如く戻り始めている。
そしてそんな肉体の回復は、リザやトーゴといった戦士階級だけでなく、他の奴隷達にも少しずつ、けれど着実に変化が出始めていた。
「この間からはハチミツ漬けの甘味に、とうとう風呂にまで入れるようになったんだぞ。あの熱い湯に浸かった瞬間、俺は自分が奴隷だってことを忘れちまった」
本当に神様から恵みを受け取っているとしか思えない。
甘いモノなど男の食べるものじゃない、などと戦士時代は気取っていたものの、今になって口にする果物の爽やかな味わい、ハチミツの暴力的なまでの甘さは、頭をガツンとやられたような衝撃だ。
自分でもそう感じたのだ。女子供などは、涙を流して噛み締めるように、あるいは一滴も残さず舐めとって、心から味わっていた。
だが最も驚いたのは、これもまた神の奇跡なのか、熱い湯が湧いて、ただの水浴び場が風呂場と化していたことだ。
昨日、カビの生えたボロボロの木材で出来ていたはずの大桶は、艶やかな黒一色に染まった不気味な質感へと変わっていた。見るからに怪しい変化に警戒したが、体の芯まで沁みるような熱い湯が張られていれば、入らない選択肢は無かった。
火も焚かずにどうやって大量の湯を沸かせているのか分からない。手練れの水魔術師のように、直接お湯を出しているワケでもないようだ。
けれど大きな桶を満たす湯は冷めることなく熱を保ち続け、彼ら全員の体と心を温めた。
ついでのように、山盛りになって置かれた石鹸とタオルを躊躇しながらも使い、穢れ切った身も心も清められた気分である。
今日はそんな風呂に入るのも二日目だった。昨日のは幻ではなかったと、安堵しながら湯舟に身を沈めたものだ。
そんなトーゴは今、自分と同様にすっかり小奇麗な肌と髪を取り戻したリザと向き合う。
「力も気力も戻った、今がチャンスだろう。まだウィンストンの野郎は御子様を放っておいているが……」
「ええ、遠からず直接排除するでしょう」
収穫量増大、というメリットがあるのでモモカの好き勝手が黙認される形となっている。
ウィンストンに限らず、アストリア人は冷酷に、欲深に、利益を追及する。
どれだけ奴隷が潰れようが、それで少しでも「儲けが出る」と分かれば平気で使い潰すのがアストリア人だ。彼らはディアナ人を人の形をした家畜として認識しており、経営者が気にするのは帳簿に記された収穫量の数字だけ。
求める数字を得るために、彼らはどんな残酷な仕打ちでも、心一つ動かすことなく命じられる。
だが同時に、反乱も恐れている。
人を家畜扱いした恨みは理解できるのだろうか。アストリア人は奴隷を制圧できるだけの武力を、抜かりなく用意する。
ウィンストンは東部に名だたる大農園主だけあって、万全の警備体制を敷いている。こちらの力を削ぎ、団結を妨げ、実戦経験豊富な傭兵を多数雇って隙は晒さない。
リザとてこの三年間、幾度も反乱を考えた。しかし冷静に戦況を見極める戦士としての視点から、勝ち目など一切ないことを悟り、行動は起こさなかった。
けれど、今こそ立ち上がる時――――そう考えるのは、トーゴの他にも急速に増えてきた。
「だからこそ、焦って動いてはなりません。御子様は必ずや、来るべき時に命を発するでしょう」
「……分かった。今はまだ、お前の言葉を信じよう。他の奴らにも、まだ短慮は起こすなと注意はしておく」
「ありがとうございます」
「くれぐれも、御子様のことは頼んだぞ」
「勿論です」
そうして二人はそれぞれの宿舎へと戻って行く。
宿舎とは言うものの、粗末なあばら家に過ぎない。中は埃っぽい毛布が敷かれただけの、雑魚寝部屋である。
奴隷にプライベートなどあるはずもなく、私物もほとんどない。精々が自分の衣服くらいであろう。
それもひとまとめにして洗濯されるだけなので、サイズが合っていれば誰のと混じっていても、気にすることは無かった。
変わり映えのない、ただ眠るためだけの狭い寝床でしかない光景は、今日に限っては異なっていた。
「御子様、何を――――」
本来、奴隷が持ち込めないランタンを部屋の真ん中に置いて、モモカは座り込みながら、懸命に両手を動かしていた。
その小さな掌の先にあるのは、赤く腫れあがった背中。
「ぐぅううう……」
「カロン」
「こんなもん、大したことねぇよ、リザ姉……モモカに薬も塗ってもらってんだ、明日には、治るっての……」
うつ伏せになり、背中をモモカの手で軟膏を塗られているカロンの強がりを、リザはすぐに否定できなかった。
こんな子供が鞭を打たれたいう、痛ましい事実に、常に平静を保つよう鍛えられた心にも揺らぎが起こる。
けれど、今の自分に何が出来よう。つまるところ、奴隷が鞭で打たれたという、この場所においては誰も気にかけはしない日常に過ぎない。
その傷ついた背中に、何かが出来るのは、御子であるモモカだけ。
他の誰にも、傷薬を手に入れ、他人に塗ってやるなんて真似はできない。
何も出来ない自分には、心配する言葉など幾らはいても上辺のものにしかならない気がして、言葉はつかえたように出てこなかった。
「俺のことは、いい……けど、ラティナは……」
「まさか」
カロンの隣には、同じようにうつ伏せとなったラティナが、死んだように転がっている。
あまりの痛みに、気絶してしまっているようだ。
彼女の背中にも軟膏が全面に塗られており、モモカの処置はすでに終えている。後はもう、ただ安静に寝かせておくより他はないだろう。
「……この仕打ちは、あの息子が」
「クソ野郎が、アホみたいに鞭ばっか振るいやがって」
この二人がウォンタの専属になる、と聞かされた時は嫌な予感がしたが、現実はそれの上を行ってしまった。
子供ならば多少の嫌がらせ程度で、自ら鞭を打つような真似はするまいとは思ったのだが、とんでもない。自制の効かぬ子供だからこそ、残酷なまでに奴隷を痛めつけることを楽しめる。
専属となった初日から、この有様だ。
明日からはもう、命があるかどうかも分からない。
「御子様……」
慈しむような手つきでラティナの頭を撫でるモモカの顔は、人形のように冷たい無表情だった。




