第415話 ノースレイブ・ノーライフ(2)
「おはよぉー」
朝、胸の谷間から自分を見上げるモモカの笑顔に、珍しく良い寝覚めが出来たとリザは思った。
「はい、おはようございます、御子様」
下着だけの恰好で寝床から起き上ったリザは、その時に気づいた。
ただ良い気分で目覚めただけじゃない。明確に自分の体調が異なっていることに。
「魔力が満ちている……」
精霊戦士であるリザだが、その力は御子から借りなければ発揮されない。
魔力的な素養は自分自身はさほど高くなく、御子を失った今となっては、普通の戦士よりかは上等といった程度。高位の精霊戦士であれば、単独でも強力な力を行使することもできるが、リザはそこまでの才には恵まれなかった。
それでも自身のコンディションは敏感に把握できる。特に体内の魔力量とその巡りは、精霊戦士として重要な部分だ。
過酷な奴隷労働によって、頑健な肉体を維持するだけで自分の魔力の大半は消費されていた。戦闘で使えるのは徒手空拳の武技でも、基礎的なものを、それも日に数回といった程度の行使が限界である。
しかし、今日はかつてのように魔力が全快に満ちている。
原因は紛れもなく、一緒に寝ていた御子モモカであろう。
「御子様、ありがとうございます。これで今日も一日、戦え抜けます」
リザは精霊戦士として、コーヒートレント相手の採取においては不動のエースである。彼女のいる時は、トレントからの採取での死者は、この三年間でも片手で数える程度に抑えられている。
だがそれも、過酷な日々の積み重ねでいつまで維持できるか不安を覚える時期に入ったが……今日、ただの偶然であったとしても、自分の魔力が回復しきったことは新たな希望のように思えた。
◇◇◇
休みなく、毎日変わらぬ労働が始まる。
それは新たな奴隷が一人加わったことで、変わるはずもないのだが、
「おいっ、モモカの奴どこ行った!?」
「あれ、さっきまでそこに居たような……」
昨日に引き続き、同年代の子供奴隷としてリザにモモカを任されていた。
いまだ元気と気の強さを残す少年の名はカロン。あどけなく心優しさを失わない少女は、ラティナ。
二人とも奴隷商ベルベットから、抱き合わせのまとめ売りでここへとやって来た。
そんな二人は、昨日は何事もなく枝拾いをやってのけたモモカの姿に、今日も大丈夫だろうと思い、ついつい自分の仕事に集中し過ぎた結果、昼前のトレント戦が終わった後、見事にその姿を見失ってしまった。
「どうすんだよぉ……」
「えーっと、もうすぐお昼だし、炊事場に戻ったのかも」
確かに、腹が減って勝手に戻った可能性が高いとカロンも思い、ひとまず炊事場へと向かうこととした。
本当ならじっくり畑の中を探し回るべきなのだろうが、下手にウロついていれば監督役の目につかないとも限らない。他人の世話をし過ぎたせいで、自分が鞭を打たれるのは勘弁である。
そうして二人が不安を抱えながら戻ってみると、
「ああっ、いた!」
「良かったぁ」
そこには自分の服と同じような麻袋を抱えたモモカが、炊事場の近くをウロチョロしていた。
「おいモモカ、勝手にどっか行きやがって、なにやってんだよぉ!」
「これ、あげるー」
最初にビシっと言って聞かせてやる、と意気込んでいたカロンだったが、ニマニマと自慢気な笑みで突き出されたモモカの手にあったモノを見て、それ以上の注意は出てこなかった。
「うおっ、これってもしかして……」
「わぁっ、赤ベリーだ!」
モモカの小さな白い掌に乗るのは、赤い木の実。いわゆる木苺の類であり、ディアナでは赤ベリーと呼ばれて、誰でも口にするポピュラーな木の実だ。
勿論カロンとラティナも、昔は集落の周りに原生している赤ベリーを友人達と採ってはおやつ代わりによく食べていた。
けれど、この農場ではそんな子供らしい思い出が出来ることはない。ここで口にすることが許されるのは、水と粥だけなのだから。
「美味ぇ……」
「美味しい……美味しいよぅ……」
笑顔のモモカに勧められるまま、二人はいつ振りになるか分からない赤ベリーを口にした。
すると、自然に出て来るのは涙だった。
口内に広がる懐かしい酸味と甘味が、どうしようもなく消え失せようとした記憶を刺激する。
感動的な味わいが過ぎ去ると、カロンは慌てて涙を拭いてから、モモカに問うた。
「お前、こんなのどっから採ってきたんだよ」
「凄い、沢山あるね」
モモカが抱えている麻袋には、赤ベリーがいっぱいに詰まっている。
元々、この辺ではどこにでも生えている植物だが、まとまった量を集めるのは難しい。少なくとも、農場内に赤ベリーの群生地など存在しないし、あっても見過ごされることはない。
さらに言えば、運よく赤ベリーを見つけられたとしても、それの採取を監督役が見逃すはずもない。
子供のカロンとラティナでも、この大量のベリーの出所を疑うが、
「みんなにあげるー」
そう言って袋を抱えて駆け出して行ったモモカを、二人は止める気が起きなかった。
◇◇◇
呪い子モモカがやって来てから、早くも一週間が過ぎようとしていた。
監督役には余計な接触は控えるように徹底し、ディアナ人奴隷に世話を任せておくだけの放任する方針によって、誰かが呪いをその身に受けることはなく、平穏に農園での日々は過ぎ去って行った……かに思えた。
「なっ、なんだ、コレは……」
大農場主として、有名コーヒーブランドオーナーとして、忙しいウィンストンだが、今日は多少の余裕があったため、自分の足で農園を見回ることとした。
特にマルコムから毎日のように上がって来る報告を目に、自分も呪い子の動向は気になっていたので、昼前の時間帯にウィンストンはモモカのいる現場へとやって来た。
そして、そこで繰り広げられる異様な光景に目を剝いた。
「御子様、今日も糧をお恵みくださり、ありがとうございます」
「ディアナの神々よ、どうか星の彼方より我らをお守りください」
炊事場には、この辺の畑を任せているディアナ人奴隷のほぼ全員が集まり、座り込んでいた。
彼らの前に立つのは、湯気を上げる粥の大釜を背にした、モモカである。
その姿は、まるで彼らの王だ。
モモカがぼんやりとした微笑みを浮かべて眺めている間に、配膳係の奴隷達がさっさと器を手渡していく。
薄い雑穀粥が入った木椀と水、それだけが奴隷の食事の全てであるはずだったが、
「おおっ、今日は魚が入ってるぞ……」
「なんかいい香りがする」
「やっぱこの妖精胡桃を食わないと、元気が出ねぇんだよなぁ」
「熱々のお茶、ありがてぇ……」
ほぐれた魚の身が入り、ハーブの香りが立つ粥は、丼のような器にたっぷりと盛られ、これまでの浅い木椀には、赤いベリーとクルミといった、木の実が入れられていた。
さらには、淡いグリーンのお茶に満たされたカップまである。
そうして食事と茶が全員に行き渡ったのを確認すると、モモカは杯を掲げて宣言する。
「いただきまぁーす」
その声に奴隷達が力強く唱和し、一斉に食事を開始したのだった。
「どういうことだコレはぁ!? アイツらが食ってるモノはなんだ! どっから出てきた!」
あんなモノを奴隷に配給を許した覚えはない。
最近は各地での需要が伸び始めたせいか、最安値で仕入れていた家畜用飼料の雑穀ですらジリジリと値上げの傾向がある。奴隷如きの飯に、これ以上金などかけていられない。
減るならまだしも、増えるなどとんでもない。
あれほどの食材を、まんまと盗まれたのかとウィンストンは怒声を上げた。
「それが、そのぉ……どこからあれだけの食材を調達してくるのか、分からんのです」
「分からんワケないだろが! お前らの目は節穴かぁ!?」
「それは勿論、あのモモカ周辺は特に監視の目を厳しくしてます! してるんですが、気が付いたらどこからともなく、食材の入った袋を引っ張って来るんですよぉ!」
「そんなバカなことあるかぁ!」
「そんなコトがあるから、こうして異常が起こっていると報告しているんです! 私達も止めようとはしたんですが、どうにもならないんですよ、こんなポンポンと色んなモノが湧いてくるんですから」
真剣にそう訴えるマルコムの様子に、幾ら何でも奴隷監視の怠慢だけが原因ではないと、ウィンストンも察してしまう。
マルコムの働きぶりは評価している。現場の監督達とは上手くやっているし、とりあえず彼に管理させておけば、自分はほとんど口出しせずとも順調に農場は回る。
さらには奴隷の反乱の兆候を見つけて、事前に防いだこともあるほどだ。素人のようにザルな見張りはしていない、という信頼はある。
それでも、こんな奴隷達の豪勢な昼食会が許されている。それも出所不明の物資によって。
「ウチから盗まれたモノではないんだな?」
「ええ、粥に使う雑穀の消費量は変わらずです。それに、あの赤ベリーやら妖精胡桃だか呼んでる木の実は、そもそもウチには置いてません。あの緑の茶葉もそうです」
「確かあれらは、ディアナ人が採ってる、元々この辺に自生してるモノだ」
「それじゃあ、監視の目を逃れて、密かに採取しているということですか」
「日中に畑から姿を消す奴隷がいるのか?」
「まさか、そんなヤツがいたらすぐに警笛を吹いていますよ」
だからこそ、食材の出所が謎なのだと、ウィンストンは納得してしまった。
確かに木の実は、エレメンタル山脈方面へと向かえば、幾らでも採取はできるだろう。しかし距離と量を考えれば、とても監視の目を誤魔化せる短時間で採ってこれるとは思えない。
それなりの人数をそれなりの時間をかけなければ、木の実も茶葉も集めることは出来ない。勿論、屋敷でも町でも、食料品の盗難騒ぎが起こったという話も聞かない。
「一体誰が、どうやって仕入れているんだ……おい、リザを呼んで来い」
「いっ、いいんですか……?」
「主人が奴隷を呼びつけるのに、何を躊躇する必要がある! さっさと連れて来い!」
監視で分からぬなら、直接、奴隷に聞けば良い。
嘘偽りは許さぬ、という気概でもって、ウィンストンは腰から下げた鞭を撫でた。
「リザを連れてきました」
「……うむ」
マルコムが呼べば、速やかに彼女はやって来た。その態度はこれまでと何ら変わらぬ、従順なモノ。
「……」
しかし、いざ無言で目の前に立たれると、得も言われぬ威圧感がウィンストンを襲った。
この女、こんなにデカかったか……?
直後に脳裏に過ったのは、そんな思いだ。まるで子供のころ、悪戯が見つかって警邏の騎士にしょっ引かれた時を思い起こしてしまう。それほどの大きさを錯覚してしまった。
ウィンストンは歳のせいで幅は多少増しているが、背は平均を超えるといったほど。体格が良い部類に入るだろう。元よりリザの方が背は高かったが、この感覚は単純な身長の問題だけではない。
気のせいではなく、明らかにリザの体格が良くなっている。
腕、脚、肩幅も腰回りも、ついこの間までは細身と言えるほどだったが、今は戦士の体と呼んでも過言ではないほど、はっきりと筋肉が浮き上がっている。
胸は大きな膨らみを取り戻し、強い張りによって粗末なシャツを突き破らんが如く。肩や腰も同様で、女性らしいラインが強調されながら、一回り以上サイズを増したせいで、張り詰めた衣装は悲鳴を上げているようだ。
たったの一週間で、これほどの変化。
目の錯覚かと思い何度も上から下まで見直すが、リザの逞しく豊満な肉体が幻覚でも気のせいでもないと、認めざるを得なかった。
「お前らが食っている飯はなんだ。誰が、どこから、どうやって持ってきた」
「全てディアナの神々のお恵みです」
「ふざけるなっ! お前らの神がアレを天から降らせたとでも言うのか!」
「そうでなければ、奴隷である我々に、あれほどの糧が手に入るはずもありません」
リザの言い分は、自分達の疑問と全く同じモノだった。
激高する主人を前に、リザは全くの無表情を貫く。恐れも何もない、彫像のように冷たい顔を崩さない。
果たして、嘘を吐いているのか、それとも本当に何も知らないのか。ウィンストンに判断はつかなかった。
「ちっ、何も吐くつもりがないか。ならば、アレは全て没収だ。お前らに許されているのは、一杯の雑穀粥だけだ」
「今は取り上げることもできましょうが、神々のお恵みを人の手で止めることは叶いません」
「黙れ! さっさと取って来い!」
「会長、あのまま食わせておいた方が得なのでは。今週の収穫量は、明らかに先週を上回ってますよ」
「馬鹿野郎、それでは奴隷共に示しが――――」
「それに、この食事はここだけじゃなくて、他のところでも同じです」
今更なマルコムの言葉だが、ウィンストンは驚くより他はなかった。
ニューホープ農園は広大だ。ここは多くの農地の一角に過ぎない。
ディアナ人奴隷だけでもおよそ百五十人ほど。それを三十人前後に分けて、農地に割り振っているのだ。
つまり、大盛の粥と木の実盛り合わせ、お茶付きのランチを食べているのは、農園に散ったディアナ人奴隷全員であるらしい。
「どこからともなく、いきなり湧いてくる食材ですよ。食事の度に毎回、全て取り上げるとなれば、幾ら何でも私達の手が足りません。最悪、監視と警備に穴が空くかもしれませんよ」
「ぐっ、ぬぅ……」
マルコムの言葉に、現実的な手段ではないと理解してしまうだけの理性は残っていた。
怒りに任せて、目の前の奴らから飯を奪うのは簡単だ。彼らは抵抗することなく、この食事を差し出すだろう。
だがこれは、神々が与えたモノだと、ディアナ人達は信じているらしい。ならば一度、奪った程度では堪えない。
どういう原理か分からないが、百五十人分の追加食料を供給する体制が、すでに整ってしまっているのだ。今日の分を奪えば、明日からは隠れて食うだけになるだろう。
「リザ、今のままなら、収穫量は上がるのだな?」
「勿論でございます」
「いいだろう、お前らの神の恵みとやらを許してやる。だが勝手に食い始めたことまで見逃してやる気はない。鞭打ち十回の刑だ」
ウィンストンの宣告に、リザは黙って背を向け上着を脱ぎ去った。
この程度で食事が認められるなら、と言うほどにその動きに躊躇はない。どの道、主人が鞭打ちに処すと言えば、それが覆されることはないのだ。奴隷には黙って罰を受け入れる以外の選択肢などあるはずもなかった。
堂々と戦士の背中を晒すリザの前に、ウィンストンが呼びつけた監督役の一人がやって来る。
その手に握るのは一本の鞭。長い縄状のブルウィップというタイプの鞭である。
基本的に監督役が持つ鞭は、騎馬用の棒状のものだ。そのまま振るって叩けるので、扱いが容易。
一方、ブルウィップは与える激痛は凄まじいが、その扱いには慣れが必要だ。正確に鞭を振るって背中を叩ける、という技量を持つ者は限られている。
こういった刑罰としての鞭打ちをする時には、彼らの出番である。
「よし、やれ」
「イィーッチ!」
高らかな回数の掛け声と共に、鞭の衝撃音が轟く。
正に拷問の代名詞と呼ぶに相応しい威力が炸裂。しかしリザは呻き声一つ上げず、微動だにせず耐える。
今の自分は、ほとんど全盛期の肉体にまで回復した。そして体と力を取り戻したことは、精神力も強くする。
電撃のように駆け抜ける激痛を耐えきれるだけの覚悟はとっくに固まっていたが、
「ニィーッ!」
「らぁーめぇー」
耳に届いた声に、リザは目を見開く。
そこには、懸命に駆け寄ってくる御子、モモカの姿があった。
あっ、と思った時には全てが遅かった。
振るわれる二度目の鞭。
リザの背中を守るように、モモカは鞭の前に飛び込み、
バシィイイイイイイイイイイイイインッ!
「ッアーッ!」
変な悲鳴を上げながら、正面から鞭を受けたモモカは吹っ飛ぶように倒れ込む。
そして痛烈に叩き込まれた鞭の威力は、神聖な御子を傷つけた者へと呪いと化して『返った』。
「んがっ――――」
最早、絶叫を上げる間もなく、鞭を振るった監督役の意識は吹っ飛んだ。
肉体を駆け抜ける痛みは脳の許容量を易々と超え、瞬時に気絶したのは彼にとっての幸運であろう。
ただしその体は無事で済まない。モモカは体の正面、肩口の辺りにかするように当たっただけだったが――――恨みを晴らすかのように威力を増して返って来たダメージは、まるで剣で袈裟懸けに斬られたも同然の傷を刻みつけた。
盛大に血飛沫が噴き出し、抉れた肉が千切れ飛ぶ。その先で露出した白い骨は砕けていた。
「こっ、これが、呪い……」
話には聞いていたが、初めて目の当たりにした『呪い』の効果を前に、ウィンストンは言葉を失った。
とんでもない能力だ。感情に任せて、自分で鞭を振るわなくて良かったと心の底から思えた。
「早く、早く運んで手当を!」
上擦った声を上げながらも、マルコムが治療を叫んだことで、ウィンストンにも思考が戻って来る。
「リザっ、そのガキを連れてさっさと失せろ!」
「御子様、なんてことを……」
すでにリザは、上着を着直すことも忘れて、倒れたモモカを抱き起こした。
痛みに呻いてはいるものの、かすっただけで直撃はしなかったお陰で、軽傷で済んでいる。皮膚が切れて血が滲んでいる程度だが、御子の綺麗な体に傷がついているというだけで、リザは大罪が犯された気持ちになってしまう。
「うぅ……く、くすりぃ……」
そんなリザの心中など知る由もなく、モモカは懐から取り出した軟膏を、自分で塗り始めた。
そんな傷薬までどこから出てきたのか、今更そんな疑問を差し挟む余地もなく、リザはその大きな胸で包むようにモモカを抱きしめながら、さっさとその場を離れることを優先した。
そうして走り去っていくリザの背中を、ウィンストンは睨みつけるようにして見送る。
「くそ、まさかこれほど恐ろしい呪いがあるとは……プリングルトめ、とんだ貧乏くじを引かせやがって」
あの業突張りが半額を提示するだけの、途轍もない負債を押し付けられたのだと本当の意味でウィンストンは理解する。
しかし今更、奴隷商人を恨んでも仕方がない。
モモカ。あの呪われた奴隷を早急に何とかせねば。最悪、このニューホープ農園の存続にも関わるかもしれないと、ウィンストンは真剣に考え始めた。




