第412話 奴隷の子
アストリア王国、東の端にある辺境の町イーストホープ。
国境線たる雄大なエレメンタル山脈の麓に広がるこの町は、大きな農園が方々に広がっていることで、辺境とは思えぬほどの活気に満ちている。
そんなイーストホープの中央に軒を連ねる、この町唯一の奴隷商会『ベルベット・サーヴァントサービス・イーストホープ支店』にて、二人の男が顔を合わせていた。
「よぉーくぞお越しくださいました、ウィンストンさーん」
「いやぁ、お久しぶりですな、プリングルトさん」
間延びした独特の口調を発するのは、プリングルト・ベルベット。他でもない、アストリア東部を代表する奴隷商会ベルベットの商会長その人である。
丸々とした顔と体は小柄であり、シルクハットと燕尾服をやけにキッチリと着込んだ姿は、一度見れば忘れられないほど印象的である。
対して、白い歯を剥き出しに豪快に笑いながら握手をするウィンストンは、このイーストホープで最大規模の農場主である。
ラフなシャツとベストを着た恰幅の良い中年男性は、この辺境の町を歩けばどこにでも見かけるような恰好だが、彼自身はイーストホープにおいてはトップ3に入るほどの資産を持つ人物であろう。
辺境の農場主とはいえ、立派な上客。商会長たるプリングルトが直々に取引するには相応しい相手だ。
実際、大農園の働き手として、これまで幾度も大量の奴隷を彼に購入してもらっている。今回もまとまった数の奴隷を仕入れて、現在も拡充を続ける好調な農園へ卸す手筈であったが……
「うぅむ、流石はプリングルトさん、活きの良い働き盛りばかり! よくぞここまで集めてくれた!」
「ええぇー、そうでしょうともぉ。何といっても、ウチの売ぅーりは奴隷の質でございまーす」
いつにも増して、気力と体力に満ち足りた健康体の奴隷が揃っていることを自分の目で確認したウィンストンは、上機嫌である。
「よし、全て買った! 幾らだ?」
「はぁーい、今回は特別にぃ……こちらのお値段で、ご奉ぉー仕させていただきまぁーす」
「んんっ……いや、これは……幾ら何でも、間違っているのではないかね?」
デカデカと金額の明記された契約書を自信満々に突き出すプリングルトに対し、ウィンストンは思わず笑顔が引っ込むほどに驚いた。
「いーえいえいえ、この価格でお間違いありませぇーんよぉ」
「だが、これは前回の半額以下ではないか。一体、どういう腹積もりですかな?」
「んふっふっふ、そこに気づくとーは、やはりやり手でございまぁーすねぇー」
どんな間抜けでも、商売人なら相場の半額以下を提示されて、喜んで飛びつく奴はいない。
ウィンストンは当然、この異様な値引き価格には、何かしらの理由があると察するが……少なくとも、自分には納得のいく理由は思いつかなかった。
「実はぁ……今回の奴隷の中に、曰くつぅーきの子がおりまして、ねぇーえ?」
「曰くつき、とは?」
「くぅーれぐれも、詮索はナッシーンで、お願いしまぁーす」
怪しい、と幾ら何でも思ってしまう。
先ほど見てきた奴隷は、市場に流れてくるには不自然はない顔ぶれであった。見るからに曰くつき、などと言われるほど異様な風体の者はいなかったように思える。
「私としても、この取引がでーきそうなお客様は多くはありませーん。中でも、ウィンストンさんほどの信頼、実績、そぉーして、何よりも人数をお求めくださる方はおりませーんのでねぇ……是非とも、ご紹介させていただきたぁーいのでーっす!」
「うぅむ、分かった。貴方ほどの男がそこまで言うなら、まずは見るくらいはしておきましょう」
「さぁーっすがの度胸! それではぁー、すぐに『あの子』をここへー」
途端に胡散臭さの感じる笑みを浮かべて、プリングルトはパンパンと手を叩き、部下にここへと『曰くつき』を連れてくるよう命じた。
最初から近くで待機させていたのだろう。すぐにノックの合図と共に、その奴隷は現れる。
部下の男が手に握るのは、鋼鉄の鎖。その鎖の先に繋がるのは黒い革の首輪だ。
奴隷といえど、今時古風な拘束である。その身に纏う色褪せた麻のボロも、まるで百年前に売られていたのかと思うほど、古い時代を彷彿とさせた。
「ほぉーぅら、貴方の新しいご主人さぁーま、ですよ。自己紹介なさぁーい」
「むぅー、あぁ……んもんもぉ……」
「ううぅーん、モモちゃぁーん、今日は上ぉー手にできましたねぇーえ!」
「コイツは、物狂いか……」
深い溜息と共に、ウィンストンは尋常ではない様子の子供を眺めた。
黒い髪、黒い瞳。噂に聞く異邦人のような特徴は、珍しいと言えるだろう。
麻布に包まれているのは、白い子供の柔肌。顔立ちは、どこか猫を思わせる異国風。総じて、小奇麗な容姿ではあると評価できるが、
「もぉあぁー」
焦点の定まらぬ、茫洋とした瞳。口から漏れるのは、意味のない呻き声。
落ち着きのない子供、とは言い難い様子であるのは、一見して明らかであった。
「なるほど……この子供の奴隷を黙って私が引き取れば、この価格で取引成立、ということですな?」
「はぁーい、その通りでございまぁーっす」
ウィンストンは考える。コレはどう見ても重度の知的障害が入った、無価値どころかマイナス査定のガキ。
しかしやたら小奇麗な見た目からして、そこらの農婦が生んだような子供ではない。
恐らくは、どこかやんごとなき生まれ。こんな子供が生まれたことで、醜聞を気にするような家柄。しかし両親の希望か、この歳までは大切に育てられたのだろう。
だが事情が変わった。故に、奴隷に落とされ、秘密裡に処分をしたい、といったところかと想像した。
「この子供は、プリングルトさんが直接、買い上げたものですかな?」
「えぇーえ、懇意にさせていただている『同業者』の方から、どぉーうしても、と頼まれて、請け負ったのでございまぁーす」
どうやら、随分と仲介を通してきたようだ。念の入ったことである。
そして曰くつきのガキは流れ流れて、東の辺境で大量の奴隷を所有する自分の下へと辿り着いたのだ。
「ふぅん、まぁ……私とプリングルトさんとの仲、ですからね。私としては、取引しても構わないと考えているのだが」
プリングルトの態度と、ボーッと虚空を見つめているイカれたガキの奴隷。二人を眺めて、ウィンストンは「買い」だと判断を下した。
子供一人分のお荷物を抱えるだけで、半額以下で多くの高品質な奴隷が手に入るのだ。これで浮く金額は、ウィンストンからしても無視できないほど大きなものである。
「おおぉー、そぉーれはどぉーうも、ありがとうございまぁーっす!」
「この奴隷の扱いについては、何か注意点などは?」
「一ぉーつ、だけ――――この子、呪われた忌み子、なぁーんですよねぇ」
墓地に現れる幽霊の話でも語るかのように、プリングルトはこの奴隷にまつわる『呪い』を包み隠さず明かしたが、
「では、取引成立ということで」
「お買い上げぇー、ありがとうございまぁーっす!!」
かくて黒髪の呪い子は、アストリアの最底辺の一つ、農園奴隷となった。
◇◇◇
ニューホープ農園。
このイーストホープが町として成立した最初期にやって来たのが、若き日のウィンストン。実家からくすねてきた財産だけを頼りに、単身で新たな開拓村に乗り込み……今では王国中にその名を轟かせるコーヒーブランド『エレメンタルマウンテン』の生産者として、大成功を収めた大農場主となった。
広大な敷地面積を誇る農場にて、コーヒー豆の生産を担うのは奴隷である。
借金など金銭的な理由から半奴隷契約を結んだアストリア人の農奴から、本物の犯罪奴隷、孤児上がり。人数が多い分、様々な底辺階級が混じっているが、このニューホープ農園で働かされている者の大多数は、ディアナ人奴隷である。
ディアナ精霊同盟。
アストリアが建国するより以前から、このノア大陸に住まう先住民族である。
褐色の肌に白を中心とした淡色系の髪と目の色を持つ、人間種族。
大陸の中央部を分断するように聳え立つエレメンタル山脈の向こう側が、彼らの本拠地と呼べる領域であり、今は多少の交易がアストリアとの間で成り立っている。
コーヒー文化のないディアナには、流石のウィンストンも取引は全く無いが、農場で働かせるための奴隷として、ディアナ人とは多くの関りを持っているし、それ相応の知識も持っている。
もっとも、彼にとって重要なのは、いいようにアストリア人にディアナの領土を削り取られているにも関わらず、遅れた部族社会のお陰で一致団結することなく、同族のライバルを蹴落とすことに執心している彼らの愚かさだ。
イーストホープが建設された頃のような王国領の急拡大によるディアナ人との激しい争いこそ今は無くなったが、南東部ではいまだに小競り合いは絶えず、こちらが捕獲したり、あるいは同族によって、弱小部族の者達が奴隷として売り飛ばされてくる。
そういった者達をプリングルトのような奴隷商人が集め、ウィンストンのような資本家が買う。これが今の東部では典型的な奴隷市場の流れである。
アストリアは今もエレメンタル山脈を超えてまで、ディアナの本拠地へと攻め込むつもりはない。大きな戦争がないお陰で、山の向こうでディアナ人も増加傾向にあり、それによって追い落とされる敗北者の数も増える。向こう十年は、ディアナ人奴隷の供給に困ることはないだろうと、ウィンストンは見立てていた。
そんなニューホープ農園には、今日も新たな奴隷達がやって来た。
「残念だったなぁ、お前らんトコの新入りは、この頭がイカれたガキ一匹だぜ」
購入された奴隷は、すでに農園の各所へと配属され、その日の内から過酷な労働に従事させられている。今回は特に若く体力のある男達が多かったので、農地拡大のための開拓作業に割り振られる者が大多数であったが、
「んなぁー」
猫のような鳴き声を口にしながら、フラフラ歩いてきたのは、ただの子供。ディアナ人から見ると、十歳にも満たないような幼子にしか思えない容姿である。
今ここに集められているのは、農園のディアナ人奴隷の中でも子供が含まれる最年少グループ。
新しい子供の奴隷が、このグループに入れられるのは当然だが、幾ら小さいとはいえ、尋常な様子ではない子が来たのは初めてのことである。
自分が何者であるかも分かっていないような気配が漂うその子供を、集められた奴隷達は奇異の視線で見つめていた。
「おいリザぁ、面倒見とけ」
「はい、監督」
このグループを纏めているのは、年長のリザという少女である。
すっかりやせ細った少年少女の奴隷ばかりの中でも、彼女は一際目立つ上背と体格があった。それは食事の面で優遇されているからではない。
彼女はディアナの戦士階級の出身であり、武技を扱えるほどの腕前を持ち、教育と鍛錬を幼少期から施された、いわばディアナ人の中でエリートなのだ。
もっとも、彼女を働かせる監督からすれば、リザが優れた肉体と頭脳を持ち、上手く他の奴隷を統率できる、都合のいい長役を務められる、というスペックだけ把握していればいい。彼女がどんな戦士であって、如何にして奴隷に落とされたか、そんなものはどうでもいいこと。
誰だって自分が買った馬やロバが、どんな土地で生きてきたかなど気にはするまい。
「なぁなぁ、監督ぅ、このガキ、なんか呪われてるとかいうのマジなんすか?」
「ったく、オメーはいっつもよぉ、どっからそんな噂を聞きつけてくるんだよ」
気安く監督に声をかけたのは、同じアストリア人の部下である。奴隷ではなく、奴隷を管理するために雇われた人員。すなわち、鞭を振るう側だ。
「会長からは、奴隷共に任せておくだけで、俺らにはあまり関わるな、と言われている」
「へぇー、関わるなって、やっぱ呪われるから?」
「知らねぇよ。大方、このガキの生まれにゃあ何かがあんだろ」
「じゃあ、その辺だけ詮索しなきゃあ、問題ないってことっすね」
すでにして奴隷に落とされ、農場まで辿り着いてしまった以上、詮索も何もあったものではない。まして本人がロクに喋れもしないほど、頭がおかしくなってしまっているのだ。事情を聞き取ることすらできない。
「おいおい、あんま余計な真似すんじゃあねぇぞ」
「なんすか監督ぅ、もしかして呪いとか気にしちゃうタイプー?」
部下の軽口にうるせぇ、と小突くだけで、調子に乗った彼を強く止める素振りは見せない。
あるいは監督も、部下が何かしらちょっかいをかけて、どうなるか見てみたい気持ちもあったのだろう。
「俺はそんなのにはビビんないっすよ。てか、こーいう小奇麗なガキ見ると、ムカつくんすよねぇ」
「貧乏人の僻みかよ」
監督もその気持ちは、分からないでもない。鎖付きの首輪に、古めかしい麻の服こそ着せられているが、シミ一つない真っ白い肌は、高貴な証として輝いて見えるほどだ。
王侯貴族か、それとも大金持ちか、どちらにせよ子供ながらに苦労の欠片もしてきたことのない育ちが、その見た目だけで感じ取れる。
あらゆる悪意から大切に守られて育ってきただろうこの子は、今まさに奴隷として王国の最底辺に落ちた洗礼を受けるのだ。
ぼんやりとリザを見つめている子供の後ろに、ニヤつきながらも嗜虐心にギラつく瞳の男が立った。
「おい、俺を呪ってみろよガキぃ、オラぁっ!」
繰り出されたのは、軽い前蹴り。
泥で汚れたブーツの底が叩きつけられたのは、無防備に晒されたその子の背中。
ドンッ、と音がするような勢いで蹴り飛ばされた子は、前のめりに倒れ込み、
「ヒギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
絶叫が轟いた。
子供が顔を守るように両手をついて転ぶのと同時に、蹴った男が火でもついたかのような叫び声を上げて、海老反りの体勢になってその場に倒れ込んだ。
「っ!?」
「お、おいっ、どうしたぁ!?」
冗談でも何でもない。白目を剥いて泡を吹くほどの反応を見せる男の様子は、尋常ではないと監督も、集った奴隷達も悟った。
「いぃっ、痛っでぇ……痛ぇ、せっ、背中ぁあ……」
痙攣するような動きで、地面の上でもんどりうっては苦痛の声を漏らす男の様子に、誰もがすぐには動けなかった。
けれど、軽く転んだだけ、とでも言うように、その子だけは平気な顔ですっくと立ち上がり、振り向いた。
地面についた、小さな手と両膝、麻の服の腹を泥で少々汚した姿は、子供が外で遊んできただけのように思える。
その子は黒い茫洋とした瞳で痛みにもだえる男を見下ろしながら、指をさし、
「ぷぎゃー」
ケタケタと声を上げて笑い出した。




