第411話 呪いの処遇
「なんなんだアレはっ、一体どうなっておるのだ、シドぉ!!」
神授塔の上階にある円形の議場にて、男の怒鳴り声が響き渡る。
顔を真っ赤にして怒り狂う感情を全身で表現するような身振りをするのは、縦にも横にも大きな巨漢。彼の身に纏う白い法衣は丸々と膨れ上がり、紫藤はその姿に雪だるまを連想した。
「どう、と申されましても。南聖卿、私は再三に渡り忠告していましたが――――ダンジョン攻略者の力、決して侮ってはならないと」
叱責の矛先が向けられながらも、涼しい顔で紫藤は言い放つ。
「だからこそ、この私が万全を期して聖堂騎士団の手配を――――」
「余計な挑発でこちらの敵意を悟らせ、いざ戦いとなれば蹴散らされる。よもや聖堂騎士団の質がこれほど落ちているとは、私も驚きですよ」
「貴様っ! 我らを愚弄するか、余所者風情が!」
「二軍どころか三軍の隊長風情が、よくこの場に顔を出せたものだな」
今にも剣を抜き放たんと激怒するのは、鎧兜を纏った聖堂騎士の隊長。
紫藤は聖堂騎士の殺意に充てられても、そよ風ほどにも感じないとでも言うように、さらに挑発を重ねた。
この議場では、つい先ほどまで大暴れしていた『呪術師』と『狂戦士』の処遇に関する話し合いが、速やかに、それでいて密かに開催されている。
すでに件の二人は女勇者リリスの手によって無事に捕縛された、との一報が届けられ、最悪の事態が避けられたことに誰もが安堵した。
ひとまずの解決が見えたことで、次に議題に上がったのが、今回のあまりにも酷い捕獲作戦の責任追及であった。
始まりは紫藤ことシド大司祭が「アルビオン大迷宮に動きアリ」と観測したこと。
今回の『勇者召喚』は、想定外の連続だったとはいえ、勇者ソーマを迎えたことで、一応の成功とされた。
しかしダンジョンに居座るイレギュラーの存在は、懸念材料の一つとして残っている。
積極的に介入して排除すべきか。あるいは放置か。
新勇者誕生という最大の成果を得られたことで、残った問題には注目されず、対処が先延ばしになっていた中で、先に動いたのはイレギュラーの方だった。
この神授塔を含む、シグルーン大迷宮の管理権限を持つシド大司祭が、アルビオンからの転移をこちらに変更することで、罠を張って捕らえる、という案はすぐに紫藤自ら提案された。
しかし、そこで口を挟んできたのが、丸い巨デブの南聖卿と、彼と懇意にしている聖堂騎士団の一派閥であった。
何も知らずに罠に飛び込んでくる、異邦人のガキを始末するだけで、それなりの功績になりそう。それも、総本山たるこのシグルーン大聖堂で手柄を挙げたとなれば、リスクに対するリターンはあまりにも大きい。
そうして紫藤を邪魔するように、半ば強引にあの場に聖堂騎士が出張った結果が、あのザマである。
「静粛に、ここは神に近しい場所である。どちらにも言い分はあろうが、その辺にしておくがよかろう」
「ええ、幸いにも私達は聖女様の献身によって、こうして無事にいられるのですから」
舌戦が発展しそうなところで、諫めに入ったのは北聖卿と西聖卿の二人。
アストリアを東西南北に四分する大教区を管轄するのが、合わせて四聖卿と呼ばれる。
パンドラ聖教において、聖皇を頂点として、四聖卿はそれに次ぐ地位。次代の聖皇も、この四聖卿から選挙によって選出される。
この神授塔議場には、そんなパンドラ聖教の首脳たる四聖卿の内、三人もが顔を揃えていた。
露骨に手柄狙いに執心する南聖卿が首を突っ込むのは分かりやすいが、共に老齢の分だけ長く四聖卿の地位にある北と西の二人は、あくまでこちらの動向を見定める程度に留めていた。
こういった場における立ち回りは、流石に如才がないな、と紫藤は穏やかな表情を保つ二人を眺めた。
小太郎がけしかけた巨人の使い魔に、ピンポイントでコントロールルームを狙われた時は、流石に彼らも肝を冷やしてひっくり返っていたが、『聖女』サリスティアーネの『聖天結界』により、傷一つなくあの場は守り切られた。
南聖卿などは、その時の恐怖と屈辱を引きずって、開口一番怒鳴り散らしているというのに、二人はこれといって紫藤の不手際を責めるような様子は全く見られなかった。
「では、本題である『呪術師』と『狂戦士』についてだが――――」
「処刑だ! 即刻、処刑意外にはありえんですぞぉ!」
今すぐ殺せ、断罪だ、と声を上げたのは、案の定というべきか、南聖卿であった。
彼と懇意にしているらしい聖堂騎士の一派を代表する隊長も、それに賛意を示している。
自分の立場としてのパフォーマンスだけではない、感情的な処刑の声に、紫藤は内心で溜息を漏らす。
しかしながら、高みの見物を決め込もうとしたところに、命の危機を感じさせる攻撃に晒されたのだ。戦場に出たことも、ダンジョンに潜った経験もない、温室育ち同然の聖職者と騎士には、怒り高ぶるのも致し方ないことか、と納得できた。
「ふぅむ、確かに元より反乱分子として見られた者達。あれほどの力を振るう危険性を考慮すれば、即時の処刑も妥当か――――」
「――――お待ちください。すでに彼らの処遇については、御沙汰が下っております」
これといった反対意見を出す者もなく、議長役を務める北聖卿が処刑案の支持を表明しようとしたところで、議場の扉が開かれ、一人の少女が入室する。
「おお、これはサリスティアーネ様。先ほどは我らをお守りいただき、誠にありがとうございます」
「いえ、『聖女』として当然の働きです。私としても、大きな怪我がなく安心しております」
あの混乱の中で、逃げた二人を追ってサリスティアーネもまた飛び出して行った。
改めて顔を合わせたことで、北聖卿と西聖卿が深々と頭を下げて謝意を示し、渋々といった感じで南聖卿もそれに続いた。
流石に命の恩人を前に、礼を欠くような真似をするほど我を忘れてはいないようだ。
「して、御沙汰とは」
「『呪術師』モモカワコタローと『狂戦士』フタバメイコは、『勇者』リリス様のお預かりとなります。皆様方には、その後の処置に関するご協力を得たいとのことです」
「なっ、それでは……」
「それは素晴らしい。女神の勇者様が御自ら処断なさってくださるとは」
「そうですね、これならば我らも安心してお任せできます」
文句を言いたげな南聖卿を押しのけるように、二人の四聖卿は賛成の声を上げた。
アストリアが誇る伝説の勇者にして、最強の戦力。四聖卿であっても、その行動においそれと口は挟めない。
しかしながら、女神の使命を全うする、と公言し、勇者となってよりひたすらアストリア王国の守護にのみ務めてきた彼女は、パンドラ聖教にて日夜熾烈な権力争いを繰り広げる者達にとっても、都合の良い存在でもあった。
放っておけば勝手に魔物や外敵を駆除してくれる。彼女の戦いにかかる予算など微々たるものであるし、彼女自身の姿勢によって聖教内で派閥も作らず、それ故に政治的影響力も発揮しない。
勇者リリスは、正に女神がアストリアに遣わせてくれた天使のような存在だ。
だからこそ、今回のように半端な手柄争いに介入するとは思わなかったし、彼女が手を出すならば、大人しく引っ込めばいいだけの話。
北と西の四聖卿は、すでにしてこの件に関しての興味を失いつつあった。
「サリスティアーネ様、その、勇者様は奴らにどのような処断を下したのでしょうか……?」
しかし自分の命を脅かした異邦人に対して、引くに引けない思いの南聖卿は、食い下がるようにサリスティアーネへと問いかけた。
「『呪術師』は追放刑、『狂戦士』は忘却刑の後、勇者ソーマの傍仕えとして利用するように、と」
「そんなっ、処刑は!? あんな危険な奴らを、殺さずに放っておくと言うのですかっ!」
「落ち着いてください、南聖卿。貴方のいう通り、あれほど危険な力を持つからこそ、安易に殺すわけにはいかないのです。特に『呪術師』は」
まるで聞き分けのない子供を諭す教師のような顔と声音で、サリスティアーネはリリスより聞かされた処断の理由を語った。
「あの『呪術師』は呪いの御子。すなわち、呪いの神と直に通じています」
「馬鹿なっ、あんなガキが御子だとぉ!?」
「神が人を選ぶのに、歳は関係ありませんよ」
パンドラ聖教においても、直接、神の声を聞いたり、姿を見せたり、といった奇跡の体験者は老若男女問わずに起こっている。
「呪いの御子を、処刑などで直接手をかけたりなどすれば、それに関わった者達にどれほどの災いが及ぶか――――南聖卿、貴方にそれを試す度胸がおありですか?」
「うっ、ぬぅ……仰る通りでございます。呪いに対する一番の対処法は、関りを持たぬこと」
聖職者だからこそ、呪い、という魔法とは異なる術に対する警戒心と恐怖感は強い。
アストリアの歴史を見ても、凶悪な呪術師が途轍もない災いを招いた例は見られる。それはただ強力なモンスターが暴れるのとは違った、おぞましい被害をもたらすものばかりだ。
無論、暗殺手段としての呪いというのも、高い地位に登り詰めた者ほど警戒せねばならないことである。
あの勇者リリスが警鐘を鳴らすほどの『呪術師』である、という意味を、南聖卿はようやく悟り、怒りの熱が冷えていった。
「南聖卿のお怒りもごもっとも。ですので、『呪術師』の追放刑実施については、是非ご協力のほどを」
「そ、そのぉ、協力とは……」
「勇者リリス自ら、呪術封印の上、忘却と忘我をかけ――――奴隷として辺境へ売り飛ばします」
具体的な方法を聞き、四聖卿が唸る。
黙って成り行きを聞き届けるに留めていた紫藤もまた、小太郎の対処法としては妥当かと考えていた。
力を封じる。記憶を奪い、自我も奪う。そうなれば、小太郎はただの高校生ですらない、自分で自分も分からぬ無力な子供と化す。
そんな状態で奴隷として、それも過酷な扱いが確定している辺境送りとなれば、誰の殺意などなくとも、自然と野垂れ死ぬより他はない。
呪いは、恨む相手が明確であるほど強くなる。世界の全てを呪うよりも、人間だけを、さらに特定個人だけとなれば、呪いはその者の命を奪うほど力を増す。
だからこそ、呪術師本人の命を奪う処刑は悪手。刑の執行者とそれを命じた神判者は、必ずやその強烈な呪いの矛先を向けられる。
「お前らの顔は覚えたからな。呪ってやるから、覚悟しておけよ」
あの時、小太郎が言い放った何気ない煽り文句は、何よりも彼らにとっての脅しとして機能していた。
顔を見られた。その一点のみで、自身が呪われる危険性を持ってしまった。
「……分かりました。適当な奴隷商を手配しておきましょう」
「ええ、よろしくお願いいたします」
「この度は首都シグルーンより、多数の犯罪奴隷を取引する、という事でどうか一つ」
「勿論、後のことは専門の方々にお任せするといたしましょう」
出来る限り、自身の干渉度合いを下げる。そのため、封印後の小太郎を奴隷とする時は、その他大勢の奴隷と混ぜて扱えという意味だ。
小太郎はあの場にいた四聖卿の顔を覚えていても、彼らに刑の執行に関わる事実がなければ、呪いは大きく減じられる。
呪いに重要なのは、本人の恨み以上に、因果関係であるとされている。
すなわち、無関係な相手への逆恨みや勘違いでは、どんな強烈な憎悪を抱いていても呪いとならない。呪いとなることを、呪いの神が許さないからだ。
故に南聖教が、首都においては幾らでもある奴隷の取引の一つを手配したという程度では、小太郎の追放刑に関する呪いが及ぶには、あまりにも因果関係が弱すぎる。
この程度ならば安全だろう、と南聖教もサリスティアーネも納得した上での取り決めであった。
「では、これで話は決まったようですな。此度の一件は、全てリリス様によって解決さたも同然。まったく、我らは頭が上がりません」
「いえいえ、皆様方はどうぞお気になさらぬように、とお姉様からお言葉を賜っておりますので」
北聖卿の堂に入った社交辞令に、サリスティアーネもまた聖女らしい笑顔で答えた。
かくして、神授塔を少しばかり騒がせた、異邦人捕獲作戦は終結した。
「終わったか、これで……本当に?」
閉会後、紫藤は疑念を抱く。
勇者リリスは、初めから勇者召喚の儀式について興味を示していた。故に、最初から最後まで、紫藤は報告を欠かさず行った。
そして今、勇者ソーマとも出会い、あのイレギュラーたる呪術師も、自らの手で下した。
結局、リリスが何を気にかけていたのか、紫藤には分からなかったが……あの小賢しい少年も、ついにこれで終わりだろうと、厳重な追放刑の執行が決まったことで思った。思ってしまった。
紫藤とて知っていたはずなのに。
桃川小太郎。この少年がダンジョンの中で、どれだけ立ち上がり、這い上がり、舞い戻って来たか。
誰も彼も、それを忘れて過ごしてしまう――――
「――――聖皇猊下が、倒れた?」
後日、シグルーン大聖堂にて、紫藤はその話をサリスティアーネより聞かされた。
「はい。聖皇猊下には先の騒動に関する報告と、天送門で暴れる二人の記録をお見せしたのですが……」
「その時に、倒れたというのか」
正直なところ、今代の聖皇は就任して長い。かなり歳も召している。いつ倒れてもおかしくはない、そんな高齢の人物だ。
ついに来るべき時が来たのか、という感想が真っ先に浮かんだが、
「聖皇猊下は倒れる寸前、確かにこう呟きました……ルインヒルデの呪いだ、と」




