第408話 女勇者(1)
「女神エルシオンより、天職『勇者』を賜っております」
その手にエメラルドグリーンに輝く『光の聖剣』を握り、女勇者リリスは僕らと対峙する。
「僕は桃川小太郎。呪いの女神ルインヒルデ様から、天職『呪術師』を賜った、ごく普通の高校生でーす」
「ええ、存じております」
僕のふざけた自己紹介返しを、リリスはにこやかに受け取った。
剣こそ抜いたものの、問答無用で今すぐ斬りかかって来るつもりはないのか。あるいは騎士団が包囲完了するのを待っているのか……いや、ありえない。どう見ても蒼真君より洗練された『光の聖剣』を出せる『勇者』が、あんな雑魚連中をアテにするとは思えない。
自分一人で僕らを問題なく制圧できる。そう確信しているから、堂々と一人で待ち構えていたのだろう。
蒼真君越えの『勇者』としての力。僕の監視に引っかからなかった隠密性。逃走ルートを決定したのもついさっきなのに、すでに先回りできていた速度と予測も気になる。
ちょっとくらい煙幕炊いて逃げ出すくらいでは、この女勇者は振り切れない。というか、目隠ししてるけど、絶対目ぇ見えてるだろ。
あるいは普通に視覚がある以上に、あらゆる感知能力に長けていると想定するべきだ。少なくとも、目が見えない、というハンデを背負っているとは思うべきじゃない。盲目キャラってみんな強キャラだし。
「それじゃあ、お互いに自己紹介も済んだことだし、今日はこの辺でお開きってことに出来ないかな。僕らは今、不当な容疑をかけられて怖い騎士団に追われているところなんだ」
「それでは、私に捕まってもらえないでしょうか。決して、悪いようには致しません」
「そこを何とか、見逃してくれない?」
「私はそのために、ここで待っていたのです」
なるほど、不幸な行き違いや勘違いも全く無く、やっぱりリリスは僕らを捕らえに来ていたというワケだ。そうなると、口八丁じゃどうにもできない。
精々が時間稼ぎくらい。けれど今この時点においては、時間経過は僕らにとってアドバンテージになりえない。
「……リリスの方が絶対、蒼真君より強いでしょ。こんなに立派な『勇者』がいるんなら、もういらないんじゃないの?」
「私には、私の使命があります。女神は新たな使命を、勇者ソーマにお望みなのです」
「クソ采配じゃん。適材適所できない神とか終わってる。信じるの止めたら?」
「人間が神のご意志を量るなど、畏れ多いこと――――まして、世界を救うための大義となれば、私のような者がその深謀遠慮を解することなど、とても」
「世界を救うって? 魔王軍でも攻めてくるっての?」
「女神エルシオンは、この世界に魔王が再臨することを、何よりも憂慮しておられます。勇者ソーマには、それを防ぐための使命を授けることでしょう」
「ふぅん、『魔王』ねぇ……」
思い出すのは、追い詰められた小鳥遊の元に、女神像がエルシオンの化身となって降臨した時のこと。
どうしようもないクソチートに手も足も出ない僕の下へと姿を現したのが、他でもない我らが偉大なる女神様、呪神ルインヒルデである。
そしてあの時のルインヒルデ様は、黒い大剣を手にこう言っていた。
「魔王の剣。神魔を滅す黒き凪、『無命首断』――――なるほど、昔、自分が斬られた腹いせってところかな?」
「素晴らしい。すでに神話の一幕を知ることを許されているのですね。流石は御子、と言うべきでしょう」
「ふん、無様に自分がやられたのは黒歴史で封印ってか。やってることは学生レベルだな」
何となく構図が見えてきたな。
過去には魔王が実在した。エルシオンは魔王に負けた。その結果、今の世界は女神と魔王の影響力が二分された拮抗状態で、それをひっくり返すための駒が勇者。
結局は単なる勢力争いに過ぎない。世界を救う? 自分を救うだろ。魔王勢力が世界を支配したら、女神勢力は殲滅されるんだろう。
ただ、魔王というのが天職『魔王』を授かった人間なのか、あるいは魔王神と言うべき神様本人なのか、その辺はよく分からない。元々はただの人だったが、伝説的な英雄となり、死後に神様として昇華するパターンもあるし。
ともかく、この世界の全てが女神エルシオンの支配下にあるワケじゃない、ってことが確定しただけでも十分だ。
そして僕らは自動的に魔王勢力になるわけで。
だってルインヒルデ様は、どうも魔王の娘らしい。自分で「我が父の剣」と大剣を構えて、『無命首断』によってエルシオンの化身を消し飛ばした。
「他にお聞きしたいことがあれば、どうぞ。私に答えられる範囲であれば、喜んでお答えいたしますよ」
「聞きたいことはまだまだ沢山あるけれど――――」
そりゃあ、リリスが僕の敵だって言うなら、何も遠慮せずにセクハラ質問だってぶつけられるし。こんな爆乳美女を相手に、合法的にスリーサイズとかパンツの色とか、AVの冒頭インタビューみたいなこと聞ける機会なんて、なかなかないよ。
それが出来ないのは残念だけれど、こっちも時間が押しているからね。ここから先は、推して参るのみ。
「――――全力で行くぞ、オーマ、横道」
右手に『亡王錫「業魔逢魔」』、左手に『無道一式』を握りしめ、全力全開で魔力を流し込む。
「背中がガラ空きだぜぇーっ!」
そしてリリスの背後から飛び出して来るのは、こちらへ引き返させていた先行陽動部隊の面々。僕の分身と増魔器官を装着した召喚獣部隊が、一斉にリリスへと襲い掛かる。
「『完全変態系』解放、『巨竜大顎』」
正面からぶつけるのは、とにかく大質量と咬合力を重視した、巨大な継ぎ接ぎドラゴンの頭。
「来たれ雷雲、暗黒に孕む閃きよ、裁きの御手を振り下ろせ――――『荒天落雷』」
前後を数と質量で圧しつつ、逃げ場を潰すよう頭上から落雷の範囲攻撃。こっちの繰り出した奴らも当然、巻き込まれるけど生身の人間じゃないから、幾らフレンドリーファイアしたって構わない。
けれど本命は勿論、頼れる『狂戦士』だ。
「――――『黒凪』」
轟々と呪いのオーラが渦巻く『八つ裂き牛魔刀』を、大上段から振り下ろす。
一連の攻撃は、全て同時に実行されている。この辺の連携はお手の物、特に僕とメイちゃんならね。
情報収集の建前でリリスとお喋りしているのは、先行部隊を戻すまでの時間稼ぎ、だなんてわざわざ説明しなくても理解してくれる。
そして到着と同時に僕が杖を振るえば、それが開戦の合図となる。
殺到する召喚獣と肉塊。降り注ぐ落雷。
そして迫り来る狂戦士の刃を前に、リリスはついに聖剣を構えた。
「光よ、在れ」
一言だ。
そのたった一言で、消えた。
「……はぁ?」
最初に消え去ったのは、意気揚々と飛び掛かった分身の僕。あわよくばリリスのボディを堪能せんと『黒髪縛り』全開で自分ごと絡みついて拘束する気だった。
しかし、掲げられた『光の聖剣』から淡い緑のフラッシュが瞬いた瞬間に、分身は消滅したのだ。サラサラと灰と化すように、魔力の粒子となって霧散する。
次に消えたのは増魔器官で武装したスケルトン。間を置かずに、筋力増強したハイゾンビも消え、さらには巨体を誇るタンクさえも、一秒と持たずに消え去ってしまった。
だがタンクよりもさらに巨大な質量を誇る『巨竜大顎』さえも、あまりにもあっけなく消滅していくのが、俄かには信じられなかった。
なんだよコレ、光属性はアンデッド特攻とか、そんなレベルじゃない。リリスの聖剣が放つ光に照らされただけで、全てが消え去る即死効果も同然だ。
しかも消えたのは、それだけには留まらない。
リリスの頭上で渦巻き、落雷を振らせるオーマの黒雲も、お前も効果対象内だと言うように消し飛ばされてしまった。
何なら雲だけでなく、まだ降り注いでいる途中の雷光さえ消えたからね。不自然に空中で止まった稲光が、次の瞬間に消えていくのは目の錯覚みたいだった。
そうして、ただの輝きで全てを無に帰して、最後に残ったのはメイちゃんだけだった。
「くっ……」
「鋭く、重く、そして何より必殺の覚悟をもって放たれた一撃。これが『狂戦士』の、いいえ、貴女の才ですか」
じっくりと検分するような態度で、メイちゃんの『黒凪』を片手一本で握った聖剣で難なく受け止めているリリスが言う。
聖剣の光の効力は、呪いの武器たる『八つ裂き牛魔刀』にも及んだようで、その刃に煙るオーラが消失していた。
それでも、鍔迫り合いの状態でメイちゃんが押し込めば、再び力が湧き上がるように赤黒い呪いのオーラを纏い直している。
「『天職』を授かって一年にも満たないというのに、この力。本物の天才というのは、恐ろしいものですね。私はこの域へ至るのには、20年もかかりましたよ」
「小太郎くん……逃げて」
一人で逃げろ。たった一合、刃を交えただけでメイちゃんにそう言わしめるのか。
くそ、こんなにも実力差があるのかよ。ダンジョン攻略を乗り越えた僕らを、優雅な微笑み浮かべてお喋りしながら、余裕で完封されている。
女勇者リリス。
コイツの底が見えず、そして付け入る隙も見えてこない。
「早く、逃げてっ!」
「迷わず自己犠牲を選べる精神力。それも『狂戦士』のスキルですか? それとも――――」
「決まってるでしょ、私にはこれしか……小太郎くんに出来ることは、これしかないのっ!!」
「愛、ですか。少しばかり、妬けますね」
それだけの覚悟をメイちゃんが示しているというのに、僕はいまだに一目散に逃走できていない。
確かに、僕だけでもここを離脱できれば、必ず戻ってきて助けてくれる、と思ってくれるだけの信頼は築けていると思う。力は『狂戦士』の方が遥かに上だけれど、『呪術師』の僕には、情報収集から用意周到な準備を経て、敵を陥れる策が張れる。ゴーマ王国を崩壊させたように、僕なら人間の王国であるアストリアだって滅ぼせると、メイちゃんは信じてくれているのだろう。
でもね、僕はこれでも仲間思いのつもりだし……愛した女性を秒で見捨てる判断ができるほど、割り切ることもできない。
「頼む、レム。お前に賭けるしかない」
いまだ地下の天送門広場で大暴れしているレムの巨人化を解除。
そしてこっちに再召喚し、再び巨人化させてリリスにぶつける。
連続しての巨人化発動は、僕にもレムにも結構な負荷がかかるけれど、今は無理を押し通さなければならない場面だ。
「ごめんね、メイちゃん。あと少しだけ抑えてくれ」
「ダメだよ、小太郎くん……この女は……」
「まずは『狂戦士』フタバメイコ、貴女を捕らえることにしましょう――――『神聖言語「誓いの言葉」』」
再び、女勇者の聖剣が輝きを放つ。
「リリス・ゴッドランド・アストリアが誓う。狂戦士と正々堂々の決闘を――――『黒の聖櫃』」
刹那、巨大な光の柱が降り注ぎ、メイちゃんとリリスの二人を飲み込んだ。
◇◇◇
「――――ここは」
転移した時とよく似た白い暗転を経て、視覚が戻った芽衣子は困惑した。
自分がいる場所が、さっきまでいた妖精広場ではなくなっている。
「『次元魔法』は初めてですか?」
観光ガイドのように語りかけてくるリリスを認識し、素早く後退しつつ、再び呪いの刃を構えた。
芽衣子は鋭くリリスを睨むと共に、その背景も観察する。
真っ白い屋内は、大聖堂の天送門広場のよう。
しかしここは、果てが見えない。前後左右、遥か向こうまで続く真白の床と円柱。
空は見えないが、天井もまた見えない。一体、どれほどの高さがあるのか。
現実感の湧かない、不思議な巨大空間に僅かな不安も湧く。こんな場所に閉じ込められたら困る。
「安心してください。貴女が勝っても、ちゃんと元の場所に戻れますから」
こちらの不安を言い当てるような台詞を吐くリリスに、どちらにせよ今は目の前の勇者を倒すことを考えるべきだと、芽衣子は改めて覚悟を固めた。
「ええ、どうぞ全力でかかって来てください。先手はお譲りしましょう」
挑発するかのように、否、挑発そのもの。リリスは構えを解き、『光の聖剣』さえ手に取らず、ただその場で立ち尽くす。
元より闘争本能には疎い芽衣子。目に見えた挑発を受けたところで逆上することはない。
相手が先手を譲ると言って動かないのであれば、このまま自分も手を出さずにいれば、小太郎が逃げるための時間稼ぎが出来るのではないか、とすら考えた。
「ううん、この一撃に、全てを賭けるべき」
しかし、挑発に乗って最大威力を初手で叩き込むことを、芽衣子は選んだ。
勇者リリスの実力は未知数。だが圧倒的なことは間違いない。
さっき剣を合わせただけで、今の自分では勝てないという明確な差を感じさせられた。
故に自分の身の安全は諦め、小太郎だけ逃がせる可能性に賭けることにしたのだ。一分でもいい、自分がリリスを食い止めれば、小太郎は逃げられるかもしれない。
そしてこの場を脱することさえできれば、必ずや『呪術師』は恨みを晴らすべく帰って来てくれる。
そして何より、向こうの本命は小太郎にあるらしい。小太郎本人がそこまで察しているかどうかは分からないが、芽衣子は直感でそう確信していた。
何故なら、出会ったその時からずっと、この女は小太郎しか見ていない。
たとえ目隠しで両目を覆っていようとも、得も言われぬ執念か執着を感じさせる視線が絡みついていた。
この女は危険だ。明確に小太郎をターゲットにしている。
だから自分が露骨な時間稼ぎに動けば、気が変わって速攻へ切り替えるかもしれない。あるいは、本当にこの空間に置き去りにして、自分だけ戻ることも。
ならば、戦うべき。それも相手が余裕を見せている内に。
今の自分に出来る最大最強の攻撃を叩き込み、僅かでも出血を強いてやる。
「『ザガンズ・プライド』、最大刀身解放――――」
溜め時間、実に10秒。
とても実戦的ではない、あまりにも大きな隙を晒す大技。
しかしその破壊力は、巨人さえも斬り殺す。
「――――『巨人殺し』」
赤黒い雷光が刀身より放たれ、天を衝くほどの黒き巨剣が突き立つ。
崩落する塔のような巨大さをもって振り下ろされた『狂戦士』最大の一撃を前に、
「なるほど、その力は『視る』に値するようです」
リリスはただ、己の目隠しへと手をかけた。




