野良の証(3)
「桃川のバカはどこですかーっ!」
いざ探すと中々見つからないのが、野良猫の常である。
確かに小太郎はトンネルを通って隠し砦へと戻ったことは間違いないはずなのだが、探せど探せど見つからない。
さっさと捕まえて後悔させてやる、と息巻いて来た桜も、影も形も見当たらない状況に怒りの叫びを上げていた。
「うーん、本当にまだ砦の中にいるのかなー?」
「これだけ見つからないなら、いよいよ怪しくなってくるわね」
「いや、アイツは間違いなくここに潜んでる」
小太郎脱走疑惑を真剣に涼子と美波が話し合っていたところに、龍一がやって来た。
「何かわかったの?」
「司令部で監視カメラをちょっとな」
「妾も見ておらぬぞ。まったく、折角荷運びのない休みじゃと言うのに、あの呪術師めは余計な仕事を作りおる」
龍一の肩にとまったリベルタが、実に人間臭く疲れた溜息を吐く。
どうやら司令部にて、監視カメラのチェックをさせられたようだ。
「死ぬほど暇を持て余してたくせに、もう休みが恋しいのかよ」
「妾は自由が欲しいのじゃ!」
「痛てて、おいやめろって」
シャー、と唸りを上げて茶化してきた龍一の首筋をガブガブするリベルタ。
流石の涼子も、小動物同然のドラゴン相手だと、ちょっとくらいイチャついても反応はしないようだ。やれやれ、みたいな眼差しの涼子を、ほっとした表情で美波は盗み見ていた。
「それで、まだ砦の中にいると言うのなら、一体どこに潜んでいるのかしら」
「目につくとこにはいねぇとなると、そこらの部屋で昼寝しているワケじゃあなさそうだ」
「猫は狭いところ好きだから。どっかダクトの中とかにも入り込んじゃってるかもね」
美波の鋭い意見に、うわぁとあからさまに面倒そうな表情を龍一と涼子は揃って浮かべた。
「やっぱり、しばらく放っておいてもいいんじゃないかしら?」
「そういうワケにもいかねぇだろが」
八方塞がりみたいな空気が漂い始めたところで、
「おい、いたぞ!」
「見つけたか。でかしたぞ、葉山」
「もう逃がしませんよ、桃川ぁ……」
リライトのもたらした発見の報告を受けて、急いで現場へと急行。
そこで彼らが見たものは、
「よーしよしよしよし」
「よしよし」
杏子と幼女レムに、仰向けでお腹を撫でられている小太郎の姿であった。
「こんな所で遊ばれてたのかよ」
「入口のすぐ手前、とは盲点だったわね」
ここは数ある砦の出入口の一つである。ドアやシャッターのある部分はしっかりとカメラで監視されているので、ここを通れば絶対に姿は映るのだが、ギリギリでカメラに入る手前の位置で、小太郎は二人とじゃれていた。
どうやら杏子はレムを連れて外に出ていたようだ。ただの気まぐれな散歩か、あるいは精霊召喚の自主練か。どちらにせよ、ちょうど砦へ戻って来たところで、小太郎と遭遇したのだろう。
「ちくしょー、蘭堂には懐いてんのかよー」
「ふん、人を選ぶなんて小賢しい」
「てか、みんなしてどしたん?」
今更ながら、ゾロゾロと集まって来たことに杏子が疑問を唱える。
「見ての通り、桃川がテメーの呪術でイカれちまってな」
「そうですよ、一体どれほど迷惑を被ったか!」
「桜、落ち着いて。猫のやったことだから」
「桃川のやったことですよ!?」
「あっ、ダメだよ桜ちゃん、騒いだら、また桃川君が逃げちゃうかもだよ」
怒りを露わにする桜を涼子と美波が抑えている間に、龍一が何度目かとなる経緯をざっと説明する。一方、リライトは再び小太郎を撫でようとして、猫パンチで拒絶され凹んでいた。
「ふーん、それで猫演技してるってワケ」
「演技じゃなくて、ガチんなってるから困ってんだよ」
どこまでも呑気な杏子のリアクションに、龍一は呆れたように言う。
一方、騒ぎの元凶たる小太郎はと言えば、杏子とレムのダブル撫で撫でにご満悦な表情。さながら、札束風呂につかって裸の美女を侍らせている金運上昇男が如き。
そんな顔で気持ちよさそうな声を上げる小太郎の姿に、一旦落ち着いたはずの桜の苛立ちはすぐにフルチャージされるのだった。
「蘭堂さん、いつまでやっているんですか。ほら、レムもそんなことしたらメッ! メッですよ!」
「ええー、いいじゃんいいじゃん」
「主が楽しそうでいい」
「いい加減に、さっさと正気に戻ってもらわなければ、みんなが困るのですよ」
「そこは確かに桜の言う通り。これ以上、桃川君と追いかけっこしているワケにもいかないでしょ」
不毛な野良猫探しなどもう御免だ、といった気持ちは桜だけでなく、捜索メンバー全員の顔に浮かんでいる。
「でもさ、こうでもならないと、小太郎って素直に休まないじゃん」
「あー、いっつも何人も同時に動き続けてるよねー」
「そりゃ小太郎しか出来ないことばっかだから、忙しいのは仕方ないけど、傍から見てる方からすると、ちょっと心配にもなるわけよ」
杏子の気遣う言葉に、一理あると思ってしまったのだろう。
学園塔生活を通して、小太郎の物理的に数人分の働きをしているのは当たり前、という感覚になっていたが、実際にそれをやった場合の精神疲労は如何ほどか。
同じような分身スキルでもない限りは、真にその苦労を理解することはできないだろうが、最後のダンジョン攻略を前に、いささかオーバーワーク気味だったのも否めない。
「そうね、桃川君にはもう少し休みも必要だったかもしれないわね」
「ちくしょう、やっぱ俺らって桃川に頼ってばっかだったんじゃねぇかよ」
「だからと言って、人に迷惑をかけて良いという話にはならないでしょう」
「この間まで飯も食わずに引き籠ってた構ってちゃんが何か言ってるー」
「蘭堂さん!」
全く無遠慮に桜の引き籠りを茶化す杏子。何だかんだで、桜のヤル気を引き出して立ち直らせるために、小太郎が色々と考えていたことを杏子は知っている。勿論、わだかまりのある相手であるにも関わらず、芽衣子が毎食分かかさず用意していたことも。
どれほど傷付いたとしても、結局、綺麗な寝床に美味しい食事が自動的に出て来る環境にいるのなら、人の厚意に甘えているに過ぎないのだ。
「だから今日一日くらいは、猫んなってノビノビさせてやってもいいじゃんって」
「きっちり一日で済めば、それでもいいんだがな」
「まぁ、明日も明後日も猫のままだったらウチも困るし、しゃあないか」
流石に呪印をきちんと無効化させなければ解決しないと理解はしているため、杏子も渋々ながら納得は示す。
休息が必要ならば、戻った後にでもすればいいのだから。
「で、桃川どこ行ったん?」
さぁこれで解決、めでたしめでたし、といった雰囲気だったのだが、リライトが致命的な事実に気づいてしまった。
肝心の小太郎が、再び姿を消していた。
「えっ、なんでいなくなってるの?」
「さっきまでレムを毛繕いしていたわよね」
杏子が真面目に話し始めた辺りで、小太郎はレムをペロペロし始めた。幼女を舐めると言えば犯罪的な意味にしか聞こえないが、その真剣にレムの銀髪を毛繕いする姿には、どこか子猫を世話する母猫のような趣があった。
野良猫と化しても、ちゃんとレムを自分が生み出した存在であることは忘れていなかったようだ。
そんな微笑ましい一幕がついさっきまで展開されていたのだが、気が付けばちょっとピカピカになったレムが一人残るだけであった。
「レム、桃川はどこへ行ったのですか?」
「主、お腹空いたって」
「逃げてるじゃん! 桃川君、また逃げてるじゃん!」
「まだそう遠くへは行ってないはずよ、急いで追うわよ!」
「ったく、ちょっと目を離した隙にこれかよ……」
「おい、蘭堂がなんかちょっとイイコト言うからだぞ!?」
「ええぇー、ウチのせいにすんなしぃ」
結局、再び追いかける羽目になり、慌てて走りだす面々。
しかしながら、レムの証言によって、小太郎の次の行き先には予想がついていた。
◇◇◇
「あっ、いた!」
と、発見の報告を上げるのは、いの一番に食堂へ飛び込んだ速度自慢の美波である。
野良猫と化しても、腹が空けば食堂に来るに違いないと思えば案の定。こういう時は素直な行動で助かる、と美波は思った。
「はい、あーん」
「なぁーん」
そして食堂の真ん中では、作りたての料理を蕩けるような笑顔で手ずから食べさせている、料理長芽衣子の姿が。
小太郎は自分に飯が献上されるのは当然といった顔で、スンスンと匂いを嗅ぎながら、芽衣子から差し出される料理をパクついていた。
「あっ、夏川さんも食べる?」
「食べる―、じゃなくて、お願い双葉ちゃん、そのまま桃川君を捕まえてて!」
「わあっ」
野生の勘で己に迫る危機を察したか、芽衣子がそれとなく小太郎を抱えようとした瞬間、大きな胸をグイグイ押しながら離脱した。
芽衣子のどこまでも沈み込むような巨大な胸の感触に驚いたのか、自分の手と爆乳を二度見三度見してから、そんなこと気にしてる場合じゃねぇと思い出したように、シュタっと軽やかな身のこなしで、食堂テーブルの上に着地した。
「ああっ、まずい、警戒態勢になっちゃった」
「ルルルァ……」
油断なく美波を睨みながら、周囲を窺うように警戒する小太郎。
更なる逃走のリスクに冷や汗を流す美波と、何が起こっているのか分からないけど小太郎が可愛いからいいか、と呑気な顔の芽衣子。三者三様の膠着状態に入り、それほど緊迫感はない沈黙が食堂を支配していたが、
「あー、食堂で暴動発生。即時封鎖を命じる」
『ジェネラルコード、認証。緊急戒厳令発令のため、無警告の即時封鎖を実行します』
気だるそうな龍一の命令と、無機質なシステムボイスが静寂を破った。
直後、基本的に明け放たれている食堂の正面扉と、左右の扉は自動的に閉まり、ガキンと重いロックがかかる音が響いた。
「ようやく追い詰めましたよ、桃川ぁ!」
「これで今度こそ追いかけっこも終わるわね」
「小太郎ー、もう大人しく捕まっとけー」
「そうだそうだー、大人しく俺にも撫でさせろー」
龍一の命によって、食堂は今この瞬間に完全封鎖された。如何に小太郎が素早かろうと、流石に閉ざされた空間にいては逃げ出しようもない。
勝利を確信する面々を前に、小太郎は、
「……主、怒ってる」
レムの呟きと共に、強い闇の魔力が迸った。
「お、おい、なんか桃川がヤベぇぞ! めっちゃ闇精霊とか集まってる!」
天職持ちの誰もが一瞬で危機感を察したが、即座に言葉として出てきたのは『精霊術士』であるリライトであった。
彼の目には今、どこからともなく湧き出てきた闇の微精霊達が、テーブルの上で四足で構える小太郎の下に渦を成して集まってきているのがありありと見えている。
そして『呪術師』として成長を遂げたことで増大した、小太郎自身の魔力量と、集った闇精霊の力が合わさり、ついにリライトでなくとも、目に見えるほど濃密な闇のオーラを小太郎は纏った。
「フゥウウウウウ……シャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
鋭い咆哮と共に、小太郎の髪と尻尾が爆発的に増大した。
よく見れば、それは黒髪。長く伸びた髪の毛はさながらメデューサが如く不気味に蠢き、黒髪の束で編まれた大きな尻尾が、実に九本も広がる。
不気味な紫色の瞳を輝かせて唸る小太郎の姿は、まるで黒い九尾の狐であった。
「全く、どこまでも諦めの悪い男ですね。どうやら本当に痛い目を見ないと、分からないようで――――」
「シャオラッ!」
「えっ、ああっ……キャアアアッ!?」
刹那、戦意剥き出しで前に出た桜を、小太郎の髪と尻尾が襲う。全方位から包み込むように遅いかかる圧倒的物量の黒髪を前に、さしもの桜も蒼真流の技で弾き、回避するのも5秒で限界を迎え、悲鳴と共に飲み込まれた。
「イヤァアアッ! 離しなさい、桃川っ! こんなこと、許されませんよぉーっ!!」
黒髪に飲まれた直後には、綺麗な亀甲縛りで拘束された桜が、無様にも天上から蓑虫のように吊るされていた。
桜の怒りと屈辱のキンキン声が響く中、小太郎は次は誰が縛られたい、と凄むように周囲を威圧する。
「はぁ……コイツを取り押さえるのは苦労するぜ。おい、お前ら、気合入れろよ」
「おっ、おうよ!」
「にはは、これ武器使ったらダメなやつ?」
「武器は使うな、テメーが傷付くだけだからな。涼子、捕まえるならお前の氷魔法が頼りだ。氷漬けにする隙を逃すなよ」
「分かってるわよ。アンタこそしっかりやりなさいよね」
「おおー、みんな頑張れー」
「わぁ、なんだか凄いことになってきたね」
龍一の檄に応えた面子が前へ出る一方、小太郎捕獲に乗り気ではない杏子と芽衣子は呑気な観戦気分だ。吊るされた桜は、どこまでも小太郎に甘い二人の女子を恨めし気な目で睨んでいたが、何を言っても無駄なので文句は口から出なかった。
かくして、黒九尾と化して暴走する小太郎の前に、龍一達が立ち塞がる。
「さぁ、来いよドラ猫。遊んでやる」
「ンニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
◇◇◇
「うーん……」
寝覚めは不思議とすっきり爽快。こんなに気持ちのいい目覚めは久しぶりだ。
そんな実感を得ながら、僕はあくび交じりにのっそりと体を起こした。
「ふわぁ、良く寝たぁ……って、この状況はなに?」
最近、根を詰め過ぎたせいで寝落ちしちゃったか、と思っていたけれど、よく見ればここは食堂だ。
そして僕が寝ころんでいるのはテーブルの上で、行儀悪いことこの上ない。
しかしながら、今この食堂において行儀が云々と言えるような状況ではなさそうだ。
「なんでみんな縛られてんの?」
桜ちゃんがグッタリした様子で、エロい触手モンスターに捕まったような大股開きで天井から吊るされている。
その隣には夏川さんが逆さづりに。両者ともスカートが完全無効化されているが、スパッツを履いているお陰で女子の尊厳は守られていた。
壁際では、蜘蛛の巣に囚われたように磔になってる葉山君と、電気椅子に拘束されたような恰好の委員長が椅子に縛り付けられている。
無残な拘束者が転がる一方、調理場の方からはいつもの給食当番が如く、食事の準備している和やかな声が聞こえてくる。この声はメイちゃんと杏子と、それからレムもお手伝いをしているようだ。
さて、こんな異常事態と長閑な日常が同居する謎の状況で、僕の前に唯一、拘束を免れている男がいる。
天道龍一は、やけにボロボロになった姿で、何時にもまして不機嫌そうな表情で僕を睨んでこう言った。
「で、気分はどうよ、桃川」
「うーん、スッキリ爽快!」
連休を遊び倒したような充実感と満足感。それでいて、体中に活力が満ちているかのような感覚。すなわち、ベストコンディション。
どうしてこうなったか、心当たりは……ある。
「テメー、覚えてるな」
「うん、大体覚えてる」
迷惑をかけた自覚はある。呪印『野良の証』が何故か僕に効きすぎてしまって、本能だけで生きる猫のようになってしまったのだ。
このダンジョンサバイバルを始めてからずっと、心が休まった時などほとんどない僕にとって、あの状態はこの上なく精神的な解放感を得られたことだろう。その効果の凄まじさは、今の僕の気分が証明している。
「なら、俺らに言うことあるよなぁ?」
「ありがとう、めっちゃ気分転換になった。また今度やっていい?」
ピッカピカに輝いている自信のある会心の笑顔でそう言い放てば、天道君は額に青筋を浮かべて、拳を繰り出した。
「二度とやるな。反省しろ、この馬鹿」
「痛ってぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!」
天道君のデコピンは、めちゃくちゃ痛かった。
2024年7月26日
いよいよ来週から、『呪術師は勇者になれない』の第二部を始めます。
しばらく外伝続きでしたので、エピローグを読み返しておくと、すぐに話に入れるかと思います。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします!




