野良の証(2)
「たっ、大変だよぉーっ! 桃川君が、猫になっちゃった!」
「はい?」
「美波、疲れてるの?」
今日も精霊術の練習に勤しんでいた桜と涼子は、リライトのペットと遊んでいたはずの美波が大慌てで駆けこんで来たことに、怪訝な表情を浮かべた。大変だという様子は伝わるが、言っている意味が不明だったから。
「コユキと縄張り争いしてるぅ!」
「……?」
ますます意味が分からない。疲れているのは美波ではなく、実は小太郎の方なのか。
いきなり変な実験を始めたりすることはあるが、目に見えて奇行をするようなことは無い。必ず何かしらの意図を持って行動をすると、涼子は小太郎のことを評している。
「いいからとにかく来て!」
「そうですね……とりあえず、大変そうですので、行ってみますか」
「ええ、そうしましょう」
急かす美波に連れられて、隠し砦から森へと通じるトンネル入り口の辺りにまで桜と涼子が戻って来ると、
「フシャアアアア……」
「シャアアアアアッ!」
フワフワの白い毛皮を逆立てて、全力の威嚇を仕掛けるコユキと、それに対して這うような四つん這いで、今にも飛び掛かりそうな唸り声を上げる小太郎の姿がそこにあった。
「ほ、本当に桃川君がコユキと縄張り争いしている……」
「ああ、桃川、ついに頭がおかしくなってしまったのですね」
ふざけているだけ、とは思えない迫真の威嚇だ。よく見れば黒い猫耳と尻尾が生えていることが分かるし、漂う魔力の気配から、どうも小太郎が正気を失っているらしいことは察せられた。
そこまで理解して、素直に心配そうな表情を浮かべる涼子と、哀れで無様な姿だと見下すような視線の桜の違いは、小太郎に対する好感度の差が如実に表れていた。
「涼子ちゃん、これどうしよう」
「どうしよう、と言われても……これはちょっと……」
「どうもしなくてよいのではないですか? 勝手におかしくなったのなら、桃川の好きにさせておけばいいのです」
フン、と鼻を鳴らして突き放したような物言いの桜。
すると、まるでその言葉を聞いていたかのように、小太郎の猫耳がピクリと動き、桜の方へと顔を向けた。
「ああぁーおぉーう」
と、唸り声を上げながら、もうコユキのことはどうでもいいとばかりに身を翻し、ゆらゆらと四つ足で歩きながら桜へと向かう小太郎。その様子は、新たに見つけた獲物に忍び寄る獣の如く。
「あっ、今度は桜ちゃんを狙ってるよ!?」
「ええっ、どうして私が!」
「冷たいこと言うからじゃないかしら」
「桃川の自業自得ですよ! 私は関係ありません!」
ターゲットが切り替わったことで俄かに騒々しくする三人娘へと、小太郎は近づいてゆく。
「なぁうあう、あうあー、おぉーあーあーうーあー?」
「……はぁ?」
険しい目で睨みつつ桜を見上げながら、まるでいつものケチをつけてくるかのように鳴き声を上げている。
桜が困惑した声を上げると、身の危険を察した涼子と美波は黙って距離を置いた。
「んなぁうあ! シャアアーッ!」
「何を言っているのか分かりませんが、この私に手を出そうというのなら相手になりますよ」
「ちょっと、桜!」
「下がってください、涼子。今の桃川はケダモノ、言葉は通じない。元からケダモノのような男でしたけれど」
そっちがその気なら、この機会に合法的にぶちのめしてやろう、とでも言わんばかりに戦意を滾らせる桜。その気配を察したか、小太郎の猫目にギラついた野生の本能が灯った。
「安心してください。武器は使いませんから」
「フシャアアアアアアアアアアアアアア!」
猫っぽくなったとはいえ、所詮は貧弱な小太郎。徒手空拳で相手をするなら、蒼真流の技だけで十分過ぎる。
桜は余裕の態度で、どこからでもかかって来い、と真正面から相対した。
対する小太郎は、グっと身を沈めて、全力で飛び掛かる構え。
蒼真流の構えをとる桜に、猛獣の姿勢で挑む小太郎。
一触即発。両者の間に流れる緊迫した空気に、涼子と美波は息を呑んで見守る。
二人の脳裏に、争いは同レベル同士でしか発生しない、という言葉が過ったその時、
「シャアッ!」
ついに小太郎が飛びかかる――――速い!
そう思ったのは傍から見ていた涼子と美波だけでなく、相対していた桜も同じであった。信じられない脚力だ。少なくとも、ただの人間を超えた初速であり、強化系武技でも使わなければ実現できない速度であった。
「ハアッ!」
しかし桜とて前衛を張れるだけのスペックを持つ『聖女』だ。タワー攻略戦に向けて、ここ最近は薙刀の鍛錬も積んでおり、如何に速くとも、真っ直ぐ突っ込んできた小太郎に対応できた。
鋭い呼気と共に、爪の伸びた小太郎の手を絡めとり、突っ込んできた勢いを利用して振り回し、投げる。
かなりの勢いが乗ったまま吹っ飛んだ小太郎の体は、投げた先にある大木に背中を強打するであろう。
『痛み返し』によってそのダメージが飛んでくることを見越した桜は、自ら治癒魔法を発動させると同時に、来るべき衝撃へ備えるが、
「ンミャウ!」
「なっ!?」
正しく本物の猫が如く、クルクルと宙で身を翻した小太郎は、そのままぶつかるはずだった大木に足から着地してみせた。
とても貧弱な術者とは思えない、機敏な動きに驚きの声を上げてしまう。
そして小太郎は足をつけた木の幹を思い切り蹴とばし、再び勢いに乗って桜へ飛び掛かった。
「ならば、次は抑えて――――」
捕らえて抑え込む、と心得て桜は腕を伸ばしたが、もうその手は食わないとばかりに、小太郎はスルリと桜の掴みをすり抜けた。真っ直ぐ突っ込む勢いのまま、寸前で軌道を変えて、鋭角に回り込んだのだ。
「くっ、後ろに!」
背後をとられた。不覚。
桜がそう思った時には、小太郎の一撃がその身に届いた。
「なぁーう!」
「ヒャアアッ!?」
鋭い爪の斬撃を覚悟した拍子に届いたのは、グニャリと尻に拳がめり込む感触。
痛くはない。ないのだが、スラリとしたスタイルながらも、女性らしいボディラインを描く桜の美しい臀部に、小太郎の猫パンチが情け容赦も忖度もなく、思い切り叩き込まれていた。
「にゃうにゃうにゃうなぁーう!」
「イヤァアアアアッ!? セクハラっ、セクハラですよこんなのっ!!」
予想外の感触に一瞬固まったせいで、小太郎から繰り出される連続猫パンチが桜のケツにフルヒット。存分に尻をグニグニされて、桜は瞬時に顔を羞恥に赤く染め、怒りの反撃を涙目で繰り出した。
そのまま殺すような勢いで、あまりにも鋭い後ろ蹴りが空を裂く。
敏感に殺意に反応した小太郎は、素早く飛び退き、すでに間合いを脱していた。
「兄さんにも揉まれたことなんてないのにぃ!」
「んなぁー」
真っ赤になりながら尻を抑えて睨みつける桜に、小太郎は素の時にも見せる生意気な薄ら笑いを浮かべていた。
「くぅううう……許さない、絶対に許しませんよぉ、桃川ぁ!!」
桜の怒りの雄たけびを聞いて、もうコイツで遊ぶのは満足した、と言いたげに一声鳴いてから、小太郎は身を翻して隠し砦へ続く入口へとさっさと駆けこんで行った。
「はぁ、一体どうしちゃったのかしら、桃川君は」
「ホントにずっと猫みたいだったよねー」
「何をもう終わったように呑気なコトを言っているのです! あんなケダモノ、放っておけませんよ!」
尻を連打されて一人だけお冠な桜に、微妙な目を向ける涼子と美波。正直、これ以上面倒なことに関わり合いになりたくないなぁ、という気持ちの方が強い。
猫のやったことだ、仕方がない。たとえ小太郎が素面であったとしても、一計を案じてまで、桜の尻を揉みたいとは思わないだろう。彼の性癖は、二人も理解している。
「おーい、今ここに猫になった桃川が来なかったか!?」
「あっ、葉山君だ」
「龍一、アンタも桃川君を追っているの?」
「なんだ、まぁ、成り行きでな」
小太郎が隠し砦へと戻った直後、入れ替わるようにリライトと龍一が現れた。
やって来たのは二人だけで、姫野は工房に置いてきた。こんな面倒なことに関わるくらいなら、仕事していた方がマシだと不貞腐れながら、錬成陣へと向かい合っていた。
「あの桃川は一体、どういうことなのですかっ!」
「俺にキレんなよ」
お怒りの桜の姿に、これはすでに小太郎がやらかした後だなと察した龍一は、心底面倒くさそうな表情を浮かべてしまう。
「あの呪印ってのがスゲー桃川にキマっちまって、猫化しちゃってんだよ」
「そういえば、手の甲に肉球マークみたいなのが光っていたけれど……そういうことね」
「やはり桃川が悪いのではないですか」
ざっくりしたリライトの説明だったが、呪印の話は全員が知っているので理解はすぐに出来た。
桜は責任の所在を小太郎一人に押し付けて憤慨しているが、当の本人が猫と化して暴れている以上、どうしようもないことだ。
「アレは放っておけば、その内に収まるものなのかしら?」
「えっ、いや、分かんねぇわ……」
「アイツの呪印は、使い切りの魔道具じゃない。効果が永続するタイプだ」
「確かに……呪印に自分の魔力を流すことで起動すると言っていたから、術式そのものを体に刻んでいるような状態ね」
「マジでお前らが何言ってんのか分かんねぇ」
小太郎から聞いた呪印の概要と実際の効果発動を見て、龍一と涼子が真面目に推測するのを、完全に話についていけない表情でリライトが見守っている。
「全く、厄介なものですね。呪印とやらがそういう構造ならば、桃川は自らの魔力でずうっと猫になったまま、ということでしょう」
「それじゃあ、術式ごと壊さないといけないから、えーっと、肉球マークが消えるように洗ってみるとか?」
そんな、夏川まで話について行っているのか!? と愕然とした表情を浮かべるリライト。美波は完全に自分側だと思っていたところ、突然の裏切りにあったような気持ちだ。
待ってくれ、夏川、俺を置いて行かないでくれぇ……と捨てられた子犬のような視線を向けるリライトを他所に、解決への具体的な意見が出たところで、四人は頷きあった。
「しょうがねぇ、まずはあの野良猫を捕まえるところから始めるか」
「えっ、それ私もやるのですか?」
龍一がやるなら、丸投げした方が楽だし、嫌な思いもせずに済みそう……と、先ほどの怒りを天秤にかけた結果、やっぱりもう関わらない方が良さそう、という方へ傾いたのだろう。心底イヤそうな顔の桜に、やれやれどこまで面倒なんだコイツ、と眉をひそめながら龍一は言った。
「このまま放っておいて、風呂やベッドでアイツがいきなり襲い掛かって来てもいいってんなら、好きにしろよ」
「一刻も早く、あのケダモノを始末しましょう」
そうして、野良猫小太郎の捕獲作戦が始まった。




