野良の証(1)
小鳥遊の立て籠もるセントラルタワー最下層への攻略を目指し、準備に勤しんでいた頃。それぞれやるべき仕事が確立され、全員が忙しく働いていた、そんなある日のことである。
「おい、ヤベーぞ天道! 桃川が猫になっちまった!」
「はぁ……?」
今日も渋々といった面持ちで、押し付けられた仕事に出向こうかと言う矢先、やかましく妙なことを叫びながらやって来たリライトに、龍一はこれ以上ないほど怪訝な表情を浮かべた。
「何言ってんだお前」
「だからぁ、桃川が猫に!」
「猫っぽいのは元からだろうが」
ふてぶてしい野良猫みたいな印象だが、クラスメイトをまとめ上げる手腕はボス猫の器と言ってもいいだろう。そんなイメージの話など、学園塔生活の頃に分かり切っているだろうし、学園塔にはいなかった葉山にしても、一緒に旅をした経験があるので、何を今更騒いでいるのかと。
どうせ猫耳装備でも作ってはしゃいでいるんだろう、くらいに考えて早くもウンザリしてきた龍一だったが、
「いいから来いって! とにかく大変なんだよ!」
「ったく、しょうがねぇな」
半ば強引に引きずられるような形で、龍一はリライトに連れて行かれる。
コイツは黒高の不良相手にはビビリ散らすくせに、俺には全く遠慮しないんだよな、とリライトの謎の距離感の近さを改めて実感しつつ、ひとまずは大人しくついて行くことにした。
向かう先はどうやら工房らしい。すでにして、工房メンバーたる姫野達の騒がしい声が聞こえてきた。
本当に良い予感が一つもしない、と思いながら睨みつけるように龍一が工房を覗き込めば、
「シャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「いやぁーっ! なんで私ばっかりぃーっ!!」
四足歩行になった小太郎が、黒い毛並みの耳と尻尾を逆立たせて、ガチめの威嚇をしていた。
壁際で涙目になってる姫野に向かって。
「なんだコレ」
「おい、何やってんだよ姫野! あんだけ刺激するなって言っただろぉ!?」
「なんで襲われてる私が怒られてんの!? 私は何にもしてないって!」
「キシャアアアアアアッ!」
「キャアアアアアアアーッ!?」
牙を剥き出しに今にも飛び掛かりそうな小太郎を前に、姫野が迫真の悲鳴を上げる。
なんだこのくだらない茶番は……心底そう思いながら、龍一は背後からヒョイっと小太郎の小さな体を抱きあげた。
「おい桃川、いつまでふざけて遊んでんだよ。俺ですら働いてやってんだぞ。ボスのお前が一番仕事しろっての」
「んなぁーおぉーう」
しかし小太郎から返って来た言葉は、どこまでも猫らしい鳴き声。声真似にしても上手すぎる。本物の猫がゴロゴロ言っているようだ。
一体どこまで本気で猫のフリしているんだと思うが、そこでようやく龍一は違和感に気づいた。
「お前、さては呪術に失敗しやがったな?」
「んなぁー」
こうして抱え上げると、乱れた魔力の気配が感じられた。
何より、間近で見ると小太郎の体には明確な変化をしているのが分かる。
頭から生えている黒い猫耳と、ベルトの上から飛び出している尻尾は、どちらも本物のように動いている。そして龍一を見上げる瞳は、獣らしい縦に割れた瞳孔となって、爛々と輝いていた。
「おおっ、凄ぇ! 天道が抱えたら大人しくなった!」
「天道君、そのまま抑えててよ! 絶対離さないでよね!」
「分かった分かった。それより、説明しろ。この馬鹿、何をやらかしたんだ?」
とりあえず小太郎が静まったことで事情聴取を始めた。
どっかりと胡坐をかいて座り込んだ龍一の膝の上で、昼寝をする猫の如く、小太郎が丸くなった。
「今日は俺が桃川と一緒に、呪印って新技の研究をしてたんだよ」
「私はいつもの強制労働」
どうやら本日の工房は、小太郎、姫野、リライト、の三人がいたようだ。
『呪導刻印』、という新たな呪術の話は聞いている。これを利用することで、様々な強化能力を付与できそう、ということで小太郎が熱心に研究開発を始めたと。
「最初に『猛き獣』っていうパワーとか上がる呪印が上手くいったんだよ」
「それでもっと効果的な呪印が作れないか試すー、とか言って、色んな動物モチーフみたいなのを作ってたわ」
「なるほどな」
ここまでは理解できる。すでに成功したモノを起点として、さらに発展させるというのは開発の正攻法であろう。
それに『猛き獣』という猛獣の印象から、特定の動物をイメージすることで、より特化した能力強化が引き出せるかもしれない、という考えも納得できる。
「で、そうやって『野良の証』が出来たってワケ」
『野良の証』:自由なる獣を意味する呪印。その者は何者にも縛られることはない。自由奔放にして、孤高の獣。飼いならす、などとは錯覚に過ぎない。飼われているのがどちらか、自覚した時、人は真なる自由の意味を悟るだろう。
「なるほど、もう分からん」
リライトが律儀にメモってた呪印の説明文を読み上げるが、龍一にはルインヒルデ流のフレーバーテキストは一ミリも理解できなかった。
「なんつーか、猫をイメージした呪印ってことだよ」
「効果の分からんもんを自分で試したのか」
「自分で試さないと分からないからってさ。そもそも自分の呪術だから、自爆するようなヤベーことにはなんねーだろって」
「それでこの有様じゃねぇかよ」
確かに、危険は無かったし、自分で効果を実感しなければ理解も進まない。小太郎のやり方は効率的で、この状況下では他に良い方法もないだろう。
実際、呪印開発はそれで順調に進んでいた。
「しかしコイツは、害のある副作用ってよりかは……相性が良すぎたって感じだな」
「やっぱそう思う?」
小太郎の手の甲には、肉球マークの呪印が刻まれている。赤々と光り輝き、強く効果が発揮されていることを、見た目にも魔力の気配としても分かりやすかった。
小太郎とて、いきなり新たな呪印を自分に使ったりはしない。そこは安全性を期して、まずはレムに施して効果を確認した上で使うのだが、その時は多少の俊敏性が得られた程度だった。
「まさかここまで効果に個人差あるなんて、桃川でも思わなかったんだ」
「前世が猫だったのかもな」
適当なことを言っているが、気が付けば自分の手が小太郎の頭を撫でていた。サラサラの黒髪と、如何なる原理で生えだしのか不明の猫耳はフワリとした毛並みで、触れると指が心地よい。コイツは本当に猫なのかもしれない、などと思ってしまうほどだ。
「なぁ、俺も撫でていい?」
「本人に聞けよ」
「撫でていい?」
「シャアアアア!」
ワキワキと手を伸ばしてきたリライトに、小さな牙を剥き出し不機嫌顔の小太郎。これ以上ないほど分かりやすい拒否感に、リライトは悲しい顔で手をひっこめた。
「なんで天道にはこんなに懐いてんのぉ?」
「知らねぇよ」
言いつつも、龍一が喉元を撫でると、気持ちよさそうにゴロゴロ鳴いている。
「やっぱ桃川君とはそういう関係なの?」
「なんだよ関係って」
「だ、だってぇ、委員長もずーっと気にしてるでしょぉ!?」
ギロ、と音がしそうな睨みつけをされて、姫野が慌てて弁明するが、単なる言い訳にしては的を射ている。
「まぁ、この光景を委員長が見たら、また荒れそうだよな」
「……」
呑気なリライトの言葉に、思わず撫でる手が止まる龍一。
すると小太郎は、「おい今いいとこなんだよ、もうちょい撫でろや」とでも言いたげに、頭を龍一の胸元へとグリグリし出した。
確かに、傍から見ればアレな関係にしか見えない体勢の二人であった。
「とにかく、早いとこ元に戻す方法を見つけねぇとな」
「それなんだけどよぉ――――」
と、ようやく建設的な話し合いが始まろうとした矢先。
「ふわぁーっ、くあぁあ……」
小太郎は猫耳をピンと立てながら、大あくびをして頭を上げた。
龍一の膝の上から、ジト目で周囲をキョロキョロと見渡すと、
「なぁーん」
もう膝枕は飽きた、とばかりにさっさと飛び上がっては、華麗な四足フォームでタタタッと駆け出して行った。
「ちょっとぉ、なに黙って逃がしてんのよぉ!?」
「あっ!」
「いや、あんまりにも自然な動きだったからな」
猫の気まぐれ行動そのもののモーションだったことで、何の違和感もなく見過ごしてしまった。
「っていうか、このまま放っておいて良くないか?」
「ええっ、流石にソレはまずくね?」
「いいワケないでしょ! いきなり暗がりから襲ってきたらどうすんのよ!」
その心配してんのはお前だけだろ、と目で訴えながらも、流石に口には出さない龍一であった。
「ったく、世話の焼けるヤローだぜ」
これならリベルタに乗って、運び屋のフリしながらタワーの入口探しをしている方がマシだった、とため息を吐きながらも、龍一は立ち上がった。
2024年6月28日
ちょっと期間が開いてしまいました、申し訳ありません。やっぱ一話完結の話を作るの、大変ですね・・・というワケで、続きます。
自由の獣と化した小太郎。次なる獲物は・・・
次回はもうちょっと早く投稿できるよう、頑張ります!




