最後の試練
「――――芽衣子ちゃん、もう材料ないよぉ!」
飲食担当クラスの人員がひしめき合う家庭科室の喧噪の中で、北大路瑠璃華が上げる悲鳴染みた声を聞き、芽衣子はとうとうこの時が来たか、と思った。
キャストの魅力によって二年七組の『逆転メイド&執事喫茶』は大盛況。当初、心配されていたオムライスを筆頭に高価格設定のメニューも、飛ぶように売れてゆく。
そうなれば当然、用意しておいた食材の消耗も激しい。最終日である本日の終了を待たずして、大半のメニューが売り切れとなってしまう。
事実、つい先ほどオムライス用のハヤシが鍋の底をついた。
相応の時間をかけて煮込まねばならないハヤシは、その場ですぐに完成させられるものではない。人気ラーメン店が如く、鍋にある分がなくなり次第終了というのは、元より避けられない運命であった。
「こんだけ食材はけちゃったら、もうウチの店も終了でしょ。双葉ちゃん、お疲れ様」
「う、うん……」
用意した分を売り切ってしまえば終了、というのは学園祭における人気の店舗ではよくあること。売り上げ予想を大きく外したり、入荷の不手際でそもそも材料不足、といったトラブルも混みで、早々に店じまいするクラスも出てくるものだ。
その点、二年七組は十分な量を用意し、それを早々に売り切ったのだから、完全にやり切ったと言っていい。食材が尽きた時点で終了というのは、学園祭の慣習からいってクラスのみんなも認めるところだろう。
しかし、これで終わりでいいのか――――すっかり終了気分で気の抜けた表情を浮かべる姫野愛莉に、芽衣子は曖昧な返事をしてしまう。
「双葉さん、どうするの。もう片づけ始めた方がいいかな」
「後はもうドリンクとお茶菓子くらいしか、出せるものがなくなるよ」
料理チームの雛菊と長江の両名も担当した最後の調理が終わったことで、リーダーたる芽衣子の判断を仰いでいる。
聞くまでもなく、料理がないのだから終了するより他はない。
チラと時計を見れば、まだ三日目が始まって一時間が経過した程度。最後のピークとなる昼時を迎えずに終わってしまうことに、若干の消化不良感は他のメンバーにもちらほらと見受けられる。
もう全部片づけよう。芽衣子はその指示を出そうと思っても、喉元で止まってしまった。
「みんな、ちょっと待っててくれるかな。お店の方を確認して、どうするか相談してみるから」
結局、自分だけでは決断しきれず、委員長から店じまいの許可を貰おうと芽衣子は一旦、教室へ向かうこととした。
ついでに最後のオムライスを載せた台車を押しながら、家庭科室を出ると、
「おい、なんか七組スゲーらしいぞ」
「いや初日からあそこのメイド喫茶ヤバかっただろ」
「いや、今が一番ヤバいらしい」
「どうヤバいんだよ」
「メイドが脱いだらしい」
「マジかよ、ヤベーじゃん!?」
廊下を少し通っただけで、クラスの賑わいが感じられた。
講堂へ続く廊下の一番奥に当たる七組の教室には、人だかりが出来ており、その盛況ぶりを何よりも明確に示していた。
まだあれだけの人数が並んでくれているのに、もう料理の一つも出せなくなることに、芽衣子は心苦しさを覚えた。
「あのー、料理、持ってきたよー」
「あっ、双葉さん」
「双葉さんが来たってコトは、とうとう料理もお終い?」
教室のキッチンを担当している西山稔と佐藤彩の二人が、料理長が姿を見せたことで状況をお察しした。
「うん……えっと、委員長って今呼べるかな?」
「大丈夫じゃない?」
「ちょっと呼んでみる」
料理長の希望は即座に接客中の涼へと伝えられ、お嬢様に断りを入れてから、すぐこちらへとやって来た。
「どうやら、もうラストオーダーのようね、双葉さん」
委員長も事情を察しており、芽衣子の顔を見るとやや残念そうな苦笑を浮かべながらそう言った。
「うん、そのことなんだけど――――」
と、言葉を続けようとした矢先、ガラガラと教室のドアを開けて入ってきたのは、次の客ではなく、一人のメイド。撮影サービスとお見送りを終え、講堂側のドアから戻ってきたのは、
「も、桃川くん……?」
その姿に絶句する。
あまりにも挑発的な露出度の衣装を着こなしている。肩、脚、背中、そして腹部も丸出しになっている恰好でありながら、少年らしさを上手く隠し、水着グラビアを撮影する少女のような仕上がり。
初見の芽衣子は勿論、多くの客からも好奇の視線が殺到するが、それに恥じらうことなく堂々とメイド長桃子は己の使命を果たしていた。
「ああ、あの恰好は驚くわよね。実は――――」
芽衣子の分かりやすい驚愕に、委員長は苦笑いを浮かべて経緯を語った。
流石に好きで脱いでいると思われるのは、小太郎にとっても不名誉である。
「そ、そうだったんだ……」
「正直、ギリギリアウトだと思っているけれど、もうここまで来たら最後までやりましょう。何より、桃川君もあんなに頑張っているんだし」
あんな恰好をさせられて、恥ずかしくないワケがない。だがその羞恥心を乗り越えて、笑顔で働く小太郎の姿に、芽衣子の中で確かな覚悟の炎が灯った。
「うん、そっか、そうだよね……ねぇ、委員長、お願いがあるんだけど」
「なにかしら?」
「残りのクラス予算、全部私に預けてくれないかな」
「今から食材調達して、間に合うかしら」
「少しだけメニューも変更する。買い出しの人員も貸してほしい」
言いながら、芽衣子は凄まじい勢いでメモ紙に必要な食材を書き込んでいく。
どこか気迫の籠った懸命な姿に、委員長は大きく頷いた。
「分かったわ、双葉さんに任せる」
「ありがとう、委員長!」
◇◇◇
「――――失礼いたします、ご主人様。こちら、新しいメニュー表となります」
本日の終了を待たずして、食材がなくなり閉店、と思っていたのだが、どうやら双葉さんが頑張ることにしたらしい。
この恥ずかしい衣装で接客する時間が少しでも短縮できればラッキーと思っていたのだが、双葉さんがヤル気を見せたならば、僕もやるしかないだろう。
そう思い直しながら、若干の調整を加えて、新しく印刷されたばかりのメニュー表を僕は卓上で交換する。
話によれば、他のクラスで余り気味だった材料を買い叩き、買い出しが必要な分だけ急いで買いに行かせることで、短時間で出来る限りの材料を調達したらしい。
僕のいるホールから見るだけでも、キッチン側も慌ただしく人員が出入りしており、料理&裏方チームが過去最高の忙しさを見せているのが感じられた。
大変そうではあるけれど、客の矢面に立つのが僕らキャストのお仕事。出来ることは、店の裏側がバタバタしていることを悟らせずに、優雅な笑顔で接客することだ。
「あっ、オムライス、値下げしたんですか?」
「ハヤシがなくなってしまったので、こちらは通常のオムライスとなります」
そもそも元の値段を知っているということは、このご主人様はリピーターである。
冴えない顔立ちの平々凡々といった一年生だが、彼がエルペックス古参組の猛者であることを僕はすでに知っている。
今日は騒がしい友人達と一緒ではなく、一人でご来店だ。
「オムライスでお願いします」
「かしこまりました、ご主人様」
やけにキメ顔でのオーダーを受けて、僕はキッチンへと引っ込んだ。
「ねぇ姫野さん、この新オムライスって中はチキンライスになってんの?」
「うん、その方が材料の都合つくからって」
なるほど、と僕は新仕様のメニューについてレクチャーを受けておく。
勤務三日目だけどこれでもメイド長、料理の情報はしっかり頭に入れておかないと。
「もしかして、他のメイド喫茶から仕入れてる?」
「今年はウチの一強だから」
その分、普通のメイド喫茶をやったクラスの売り上げはお察しというワケだ。そこで余った材料も買い叩けると。
「女子のメイドを蹴散らした気分はどうよ、桃川君」
「いやぁ、ウチで一番強いのは執事だから。僕なんてそれほどでも」
「その恰好でよく言うわ」
「この恰好のことは言わないで。覚悟が揺らぐ」
今の僕は魔法の一言で正気を保っていられるのだから。
そうでなければこんな露出度……この状態でいることに気持ちよくならない当たり、自分が露出癖に目覚めてはいないんだなと、ちょっと安心できる。
「はい、オムライス来たよー」
そうこうしている内に、料理が到着。ここから新仕様のノーマルオムライスになる、と通達される。
了承の意を伝えてから、僕は配膳へと向かった。
「――――あの、桃子さん」
オムライスをお出ししてから、ちょっとしたトークも挟んだ後、ご主人様が何やら改まって切り出してくる。
「良かったら、俺と後夜祭、踊ってくれませんか!」
後夜祭、そういえばそんなイベントもあったね。
最終日は昼過ぎまでが営業時間で、そこからは全校生徒が集まって閉会式兼最優秀賞の発表式だ。それから後片付けの時間をとってから、放課後の時間帯に後夜祭が開催される。
由緒正しくでっかいキャンプファイアーをグラウンドのど真ん中で焚いて、フォークダンスを踊ったり、花火が打ち上ったりするのだ。
この学園祭を通して急接近しちゃったカップルなんかが、後夜祭で踊っては幸せなキスをして……という眩しいほどの青春イベントである。
勿論、去年の僕は全く縁がなかった。後夜祭が始まっても終わらない片づけを押し付けられ、花火の音を聞きながらゴミを捨てに行く虚無感といったら。最後は勝と二人でラーメン屋で愚痴りあったのが、去年の学園祭最終日の思い出である。
「あの、桃子さん……?」
おっと、あまりにも灰色の思い出過ぎて、ちょっと沈黙してしまった。
それにしても……いまだにウチの店の逆転要素を理解していない人がいるとは。もしも次があるなら、看板にデカデカと女装・男装と明記しなければいけないな。
「申し訳ありません、ご主人様。後夜祭が始まる頃には、もう桃子はおりません」
「そ、そんな……」
当たり前だろ、営業時間が終わればこんな恰好でメイドやる理由はなくなるんだからな。
メイド長桃子はお終い、僕は元の桃川小太郎というただの男子に戻るのだから。
「ご主人様が素敵なお嬢様と後夜祭を踊れるよう、桃子は祈っております」
「そんな、俺には桃子さん以上の人なんて……いや、すみません。余計なことを言いました、忘れてください」
「かしこまりました、ご主人様。お気持ちだけ、受け取らせていただきます」
そうして、ちょっと肩を落としながら帰って行ったご主人様をお見送りして、僕は改めて思った。
「後夜祭、か……」
もしかしたら、今年こそはワンチャンあるのでは。
そんな期待に胸を膨らませて、僕は次のご主人様を迎えるのであった。
◇◇◇
いよいよ本日の営業時間も終わりへと近づいている。
多くの生徒も自分のクラスに戻りつつあるのか、終了一時間を切った状況下では随分と客足も減ってきた。
「桃子さん、お願いしゃす!」
「よしきた」
こういう時間帯だからこそ、撮影サービスなんかでも遊ぶ余裕が出来てくる。
僕はご主人様が持参したロケットランチャーを構えて、撮影に応じた。
グリーンバックには即座に勝がネットから切り抜いてきた素材である、原作映画の爆発大炎上する屋敷の背景を差し込んでくれている。完成品を見ると、うーん、このクソコラ感。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
でもご主人様は喜んでいるようなのでオッケーだ。
「お疲れ様、桃川君」
「ありがとね、ヤマジュン」
ロケラン担いだご主人様をお見送りして戻れば、ヤマジュンがカップ片手に出迎えてくれた。
相変わらずの気遣い上手。僕はメイクの力と金のかかった衣装でメイドスペックを強化したエースではあるけれど、ご主人様の心を開く接客という点では、ヤマジュンメイドには到底かなわない。
普段から柔和な微笑みの似合うヤマジュンは、女装するとその雰囲気が増す。フワフワっとしたわざとらしい金髪ウィッグと大目に盛った胸パッドの、一見して女装と分かる感じでありながらも、なんかアリだと思わせる気配が漂う。メイクのお陰もあるのか、自前の泣き黒子もセクシーに見える。
ヤマジュンメイドのあふれ出る抱擁力にやられて、号泣しながら人生相談してたご主人様もちょくちょくいたからな。
もしヤマジュンが女子だったら、蒼真桜とは違った方向で魔性になってそう、とか思いつつ、アイスティーを飲んで一息つく。
「いよいよ、終わりだね」
「うん」
そうヤマジュンが声をかけてくれるものの、僕の方を向いた次の瞬間には、顔を背けてしまう。
間近で男子の女装水着を見るのがキツいなら、言ってくれてもいいんだよ。
「そういえば閉会式ってなんかイベントやるんだっけ?」
年によっては全校生徒参加のイベントが開催されたりする。有名アーティストを呼んでプチライブみたいなのとか。
「いや、今年は恒例のミスター&ミスコンだけみたいだよ」
「ああー、あったねそんなのも」
押し寄せるポリコレの波に真っ向から中指を突き立てルッキズムの御旗を掲げているのが、我らが白嶺学園である。
「どうせ今年も蒼真兄妹の優勝でしょ」
「いいや、前回優勝者は殿堂入りでもう参加できなくなるんだよ」
へぇ、そうなんだ。まぁ、そうでもしなけりゃガチの美男美女が三年間無双するだけになるからね。
去年は当然のように蒼真兄妹が揃って優勝を搔っ攫っていった。二人の美形ぶりを学園に大きく知らしめたイベントと言えよう。
勿論、去年の僕はマジで興味なかったので、ステージ上の二人の姿なんて朧げにしか覚えちゃいないし、殿堂入り制度なんてのも知らなかった。
「ふーん、じゃあ今年はレイナでも出るの?」
「えーっと、ウチのクラスから出場するのは……確か、小鳥遊さんだけだよ」
「げっ」
素で嫌な声が出ちまった。
いや、まぁ、蒼真ハーレムにおいては愛人三号枠がいいとこの小鳥遊だが、まぁ美少女であるのはその通りだ。伊達に二年七組ロリ三銃士の一角を担ってはいない。
「水着審査もなかったっけ?」
「あるね。だから小鳥遊さんも、蒼真さんがいなければ勝算アリと思ったんじゃないのかな」
ちっ、汚ねぇぞ小鳥遊……桜ちゃんにはどう転んでも勝てないからって、去年の参加を見送りやがったな。
そして桜ちゃんさえいなければ、水着審査で自慢のロリ巨乳を存分にアピって優勝を狙うと。
「今から杏子を出場させたら、小鳥遊の優勝阻止できるんじゃないかな」
「いやぁ、可能性は十分にあるけれど、こういうのは本人の意志だから」
まぁ、僕も杏子の外人モデル級のダイナマイトボディをおいそれと衆目に晒すのは望むところではない。僕にだけ見せてくれ、ヒョウ柄水着で見せてくれ、とどこまでも煩悩にまみれた願望ばかりが大きくなってゆく。
「でも飛び入り参加歓迎だから、その気があれば今すぐでも出場できるみたいだよ」
「ふーん……」
メイド服の恨みだ。奴の汚ねぇ企みを邪魔してやりたい気持ちがムクムク湧いてきているのだが……ロリ巨乳の水着に対抗できる女子の心当たりなど、マジで杏子くらいしかいない。
委員長に頼むか、夏川さんを刺客として送るか。いや、ダメだ、二人とも十分に美少女ではあるが、確実に勝てるというほどの見込みはない。下手すれば引き立て役になってしまう。それほどまでに、おっぱいは強いのだ。
「も、もしかして……興味あるの?」
それって僕に出ろってこと? 水着審査もあるミスコンに男子の僕が?
あっ、もう水着は着てたな。
「ヤマジュンってさ、知り合い沢山いるよね?」
「えっ、まぁ、それなりには」
「なんとか僕に組織票を入れること、できないかな」
「ええっ!?」
マジかよ正気かお前、と言わんばかりのリアクションが返って来る。
だが、僕は正気だ。
ミスコンに僕自らが出る。意外とアリだ。なにせ、僕が組織票で小鳥遊を超えることが出来れば――――奴は男以下のクソ鳥というレッテルを張られるのだから。
「頼むよ、ヤマジュン。メイド服の恨み、僕にこのミスコンで晴らさせてよ」
「え、ええぇ……」




