ネコミミモード
「頼む、あと30分待ってくれ!」
「ええ、分かったわ、蘭堂さん。それくらいなら大丈夫よ」
珍しく真剣にお願いをしてくる杏子に、ビシっと男装姿をキメた涼は頷く。
リライトの持ってきたメイド水着には委員長をしても絶句したが、杏子が上手い具合に衣装を仕上げるという言葉を信じることにした。
幾ら小太郎とはいえ、あの露出度の水着を着せてそのままお出しするのは、あらゆる意味で危険に過ぎた。ここまで順調に経営してきたが、一発アウトで閉店となる可能性もあるだろう。
なにせこれは学園祭。飲酒よりも、性的な要素はさらに厳しく取り締まられるのだから。
「みんな、泣いても笑っても、今日が最終日。最後まで思い切りやりましょう!」
おう、と威勢の良い返事と共に、逆転メイド&執事喫茶は三日目の営業を開始した。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あの、桃子さんは……」
「申し訳ございません、桃子は現在シフトから外れております」
「そう、ですか……また来ます」
一般客のいない三日目は、生徒のリピーターが増えていた。
特にエース級に魅了された者は多く、お目当てのキャストがいるか様子を窺う動きもある。
指名制度はやるにやれない以上、こうなるのは仕方がないだろう。委員長としても、よほど店の妨害にならなければ、そういった様子見やタイミングを図る動きは見逃さざるを得なかった。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「わっ、凄い、如月さん! 似合ってる!」
「ありがとうございます。お嬢様も、大変よくお似合いですよ」
やって来た生徒会の知り合いを相手しながら、チラと時間を確認する。
そろそろ杏子と約束した30分が経過する。それくらいの時間なら大丈夫だろうと思ったが、すでに開店直後から桃子のご指名が複数人来ているので、あまり登場が遅れるのは良くないとプレッシャーを感じてしまう。
「……ッ!?」
「……」
キッチンの奥に誂えたメイクルームをそれとなく窺えば、何やら小太郎と杏子がコソコソ言い合っているのが聞こえた。まだ、なのか。それとも、もういいのか。
流石に小太郎をして、メイド水着で出てくるのは渋っているのか……
頼むわよ、蘭堂さん――――そう心で祈りながら、涼は貴重な眼鏡執事として自分のお嬢様の相手を勤めるのであった。
「お帰りなさいませ、ご主人様――――って、先輩!? マジで来たんすか!」
「いよぉ、葉山、見に来てやったぜー?」
「ふん、俺はこんな店嫌だと言った」
次のご来店をお迎えした葉山は、偶然にもバスケ部の先輩コンビに当たった。
二人は名実共にエースであり、今年の白嶺学園をインターハイへ導き、ベスト8にまで辿り着かせた立役者である。
三年生は今年の夏で引退とはいえ、影響力は絶大だ。万年ベンチがいいところのリライトでは、頭の上がらない相手である。
「部長めっちゃ嫌がってますけど、いいんすか?」
「あぁ、いいのいいの、気にしないで。ほら、コイツお堅いから、こういうトコ慣れてないだけー」
「黙れ、一人は嫌だとゴネたのはお前だろうが」
「いやいや、こういうトコは連れと一緒に来てナンボでしょ」
お堅い部長と軽薄な先輩は正反対の性格で全く反りが合わないように思えるが、これで長い付き合いの親友同士としてやって来れてきたのがリライトは不思議であった。
ともかく、先輩コンビがやって来てしまった以上、自分がお相手するしかないなと、リライトはにこやかに言い放つ。
「それではー、このライムライトが担当させていただきまーす」
「ええぇー、葉山はヤだなぁ」
「女装したお前に給仕されるなど、鳥肌が立つぞ」
「酷っど!」
ここまでストレートに拒否られたのは初めてだよと叫べば、先輩はギャハハと笑い、部長は冷めた目線を送った
「もっとカワイイ子つけてよー。すね毛の生えたメイドにご奉仕されたくないでしょ」
「お前じゃなければ、誰でもいい」
「ええぇー、ウチそういうの困るんですけどぉ」
指名制度もないが、担当拒否も安易に受けるのも困りものだ。認めてしまえば、制度を悪用して実質的に指名もできてしまう。
この際、明確にご指名がないなら、適当に上中下トリオの誰かとでも変わるか、とリライトが思ったその時である。
「――――それでは、ご主人様はメイド長桃子が担当させていただきます」
軽やかなソプラノボイス。控えめに、けれど存在感のある愛らしい声音を響かせて、桃子が名乗りを上げる。
「おおっ、桃川! 頼っ――――」
振り返った瞬間、リライトは硬直した。
桃川、お前、なんて露出度を……自分で水着を持ってきたにも関わらず、リライトが真っ先に思い浮かんだ感想がソレだった。
確かに小太郎は他のメイドと比べて、元々露出を増やしたスタイルであった。だがしかし、水着ベースの真メイド服は、完全に一線を画す布面積の減少をもたらしている。
それはさながら、ロボットアニメの最終局面において、武装や装甲をパージした最終形態が如く――――そう、正にラスボスへトドメを刺すための火力と機動力を発揮するような、確かな強化を小太郎へ与えていた。
「うぉおおおお、なにこの子すっげぇ! これ学園祭でやって大丈夫なやつ!?」
「こ、これは……」
メイド長桃子の姿に見慣れたリライトでさえ固まったのだ。初見のご主人様である二人は、リライトもバスケ部じゃ一度も見たことないリアクションをくれている。
凄いぜ桃川、この二人を初手で引き込んだ、と素直に感心する一方で、流石にリライトもそっと耳打ちして確認した。
「おい桃川、ホントに大丈夫か?」
「ふふ、大丈夫だよ葉山君。今の僕は覚醒しているのさ、メイド魂に」
「それ戻ってこれなくなるやつじゃあ……」
「だから安心して任せておいてよ、僕のネコミミは最強だニャン」
羞恥心の欠片もなく、不敵な笑みを見せる小太郎。そしてその頭上には、確かに黒いネコミミカチューシャが、どこか誇らしげに揺れていた。
「ご主人様、いつもウチのライムライトがお世話になっております。本日はお帰りいただき、誠にありがとうございます」
「いやぁ、俺今初めて葉山の先輩で良かったと思ってるわ」
「……」
軽薄な視線と睨みつけるような視線の二つを、小太郎は真っ向から微笑みで受け止める。
白嶺学園の誇るバスケ部のスーパーエース二人は、小太郎も知っている有名人だ。インターハイ出場を決めた部活は全校集会などで紹介される。
輝かしい栄光を背負って壇上に上がる二人の姿を、徹夜ゲーム明けの寝ぼけ眼で見上げながら、あんな高身長イケメンで運動神経抜群なのやっぱリアルってクソゲーだわ、とか思っていたのはほんの数か月前の話。まさかこの二人を相手に、ネコミミメイド水着で媚びることになるとは、夢にも思わないだろう。
だがしかし、すでに羞恥心はメイクルームに置いてきた。
これは虚勢でもハッタリでもない。男・小太郎、覚悟のネコミミモードなのである。
「それでは、お席へご案内させていただきます」
「待て――――」
と、声を上げたのは桃子登場からずっと眉間に皺を寄せた険しい表情で睨みつけていた部長である。
見た目の印象からも、リライトとの会話を聞いた上でも、彼はどうやら随分と硬派らしい。流石にこの恰好は不興を買い過ぎたか、と思えば、
「――――君のような可憐な少女が、みだりに肌を晒すのは忍びない。せめて、これを羽織っていてくれ」
ドラマのワンシーンかと思うような、流れるような動作で学ランを脱ぎ去った部長は、それを小太郎の肩へと羽織らせた。
「ちょっ、お前、何やってんのぉ……」
「お、俺は一体、何を見せられているんだ」
思わぬ部長の行動に、流石の相方も絶句し、リライトも困惑した。
軽い性格の先輩の方が、何かしらちょっかいをかけたりするなら、まだ分かる。だが一切、浮いた話の一つも聞かない部長が、自ら女子に対してアプローチをかける姿など、いったい誰が想像できようか。
そして勿論、謎の気遣いをかけられた当の本人たる小太郎もまた困惑したが――――その呪術の深淵へと至れる素質を持つ頭脳は、高速で回っていた。
肌を隠すようにかけられた学ラン。冗談抜きで、どこまでも真剣な眼差しを向ける彼。ただの女装男子に過ぎない自分。
この状況下における最適な行動とは。刹那の間に、小太郎の頭脳は結論を下した。
「ありがとうございます。ご主人様は、とてもお優しいのですね」
嬉しそうに微笑みながら、小太郎は彼の両手をそっと包み込む。
初手は感謝の気持ち。
なにせ相手は本気の善意でしてくれた行動。相手が善い事だと思ってやったことに対して、否定から入るのはいらぬ争いの火種となることを、小太郎はよく知っている。
よって、まずは相手の気持ちを認めることが重要なのだ。
「ですが、桃子はメイド長。この衣装は桃子のために、心を込めて仕立て上げられたもの。肌を見せるのは少々恥ずかしさもありますが――――桃子はメイドとしての誇りを持って、この衣装に袖を通しているのです」
この服、袖ないけどね。などと、余計な事は喉元まで留めておく。
だがしかし、この衣装がスタイリストギャルズの努力の結晶であることは事実だし、覚悟をもって着用しているのも、嘘ではない。
流石にメイド水着だけでは、如何に小太郎の体とはいえ少年らしさを感じさせる部分を隠しきることはできない。
特に顕著なのは、キャミソールタイプで大きく胸元が開かれたことで露わとなる胸元。そして致命的な短さを誇るスカート。
前者はバストの概念が存在しない、少年の薄い胸板そのもの。後者はビキニラインに包まれた股間の膨らみが万が一にでも人目に触れかねない、大きなリスクを抱えている。
杏子がメイド水着を見て採用したのは。この点をどうにか誤魔化せるだろうと踏んだからだ。
まず、胸元は首元の襟だけ、いわゆる付け襟とそこからかけた大きなリボンで隠す。
付け襟は樋口が三年のバニー喫茶から、デカリボンは美波がどこかかからくすねてきたモノ。クラスメイト達が使えるかどうか分からんけど集めてきたパーツから、杏子が胸隠し用にピックアップしたのがこの二つだ。
両肩と脇にかけてのラインはモロ出しだが、最も隠したい胸板は覆うことができる。そして水着の内には、ほんの僅かな膨らみを見せるパッドを仕込めば、上半身は完全に少女のものへと偽装される。
だが杏子が最も驚いたのは、一切隠す必要がないほど綺麗なラインを描くウエストであった。
この水着は胸元にしか布地がなく、腹部は丸出し。水着なら当然のデザイン性だが、男がこれを着用した時の違和感というのは相当なものである。
基本的に男がブラのように胸元だけを隠す類の衣装を着ることはない。そんなものを着るくらいなら、堂々と上半身裸を選ぶのが、世の男性の大半であろう。無論、小さくとも小太郎とてその一人。
だが、いざメイド水着を着せてみれば、お腹はもうこのままでいいじゃん、と一目で杏子が手を付けることを放棄した。男子にあるまじきくびれを持つウエストラインをそのまま露わにすることが、魅力を最大限発揮する方法だと決断した。
そして最も手間がかかったのが、小太郎の男の象徴を絶対に隠し通すためのドロワーズである。
スカート丈というより、単なる装飾のような布地しかない水着のスカート部分は、ちょこっと丈を延長したところで、チラリズムのリスクからは免れ得ない。逆に昨日までのメイド服と同じ程度の長さまで伸ばせば、スカートのデザインそのものの違和感を誤魔化し切ることができない。
小太郎の股間を守護らねばならぬ。さりとてメイドらしいスカートにも見せなければならぬ。残された時間は一時間もない。
そこで杏子が選んだ方法が、委員長が無理を言って譲ってもらったというドロワーズだ。色は純白、フリルをあしらっており、メイド服にも合うデザイン。それもそのはず、ライバル店となる他クラスのメイド喫茶から借り受けたものなのだから。
だが問題は、そのまま履けば違和感のあるサイズだったこと。あまりにも短い水着の丈に対して、ドロワーズが長すぎる。なんとかして詰めなければ、スカートを履いているのではなく、ドロワーズそのまま履いてるような有様だ。
だが丈さえ詰めればなんとかなる。杏子はいざという時に念のため用意しておいた裁縫セットを解放し、自ら針を取ることを選んだ。
そしてその制限時間ギリギリで仕上げた成果が、今、小太郎の股を包み込んでいるのである。
「ですから、ご主人様のお気遣いは、お気持ちだけで。どうか桃子に、この衣装でご奉仕することをお許しくださいませ」
「そうか、それほどの覚悟をもっていたとは……すまない、君にとってはいらぬ気遣いだったようだ」
小太郎、迫真のメイド演技を真に受けて、部長はどこまでも真面目腐った表情で、羽織らせた学ランを再び自らの元へと戻した。
「失礼いたします」
「う、うむ」
すかさず、部長が再び纏った学ランの前ボタンを、甲斐甲斐しく止めてゆく小太郎。
思わぬサービスに、彼も平静を取り繕った返事を一言返すだけで精一杯な様子であった。
「あっ、ズルいぞお前! なんだよそのサービス、俺もしてもらいたいんだけど」
「先輩、これ以上ここでゴネないでくださいよ。後もつかえてるんすから」
「うるせー葉山!」
「ぐわぁあああ! なんで俺ばっかり!」
などと騒いでいる内に、ボタンを留め終わった小太郎は、にこやかに案内を始める。
「それでは、お席へご案内いたします」
明らかに一人だけ露出過多な衣装でありながらも、堂々と、それでいてどこか淑やかさすら感じさせる佇まいのメイド長桃子。
後ろを向けば、大きく露わとなっている白い背中と、スカートから伸びる黒い猫の尻尾に、視線が吸い寄せられる。
この小さなネコミミメイドの危うい魅力のご奉仕は、まだ始まったばかりだ――――
◇◇◇
すでに開店の賑わいをカーテン越しにひしひしと感じながらも、僕はメイクルームの内で情けなく呟いた。
「――――いや、やっぱ無理だよコレ」
分かっている。僕だって分かっているんだ。
このドロワーズの丈を詰めるために、杏子が物凄い頑張ったこと。へぇ、手縫いできるなんて意外と家庭的、なんて茶化す台詞も出ないほど鬼気迫る様子で仕上げていたからね。
杏子だけではない。クラスのみんなが集めてきてくれたパーツによって組み上げられた、絆の衣装だ。
付け襟は樋口、デカリボンは夏川さん、ロンググローブとニーソはジュリマリが。そしてネコミミカチューシャと付け尻尾は、何故かボロボロになったヤマジュンが持ってきたものである。
盗難という想定外のアクシデントを乗り越えるべく、みんなの協力によって仕立て上げた衣装を拒否するとは、とんでもない恩知らずの誹りを受けても仕方がない暴挙だが……このエロ衣装を着せられるのが他でもない自分自身となれば、この期に及んでも尻込みするってもんだろう。
今やすっかり女装にもメイド業にも慣れたと思っていけれど、すまない、どうやら僕はまだまだ覚悟が足りていなかったようだ。
「今からでも普通のメイド服で――――」
「小太郎」
完全に心が折れている僕へ、杏子は怒るでもなく、嘆くでもなく、ただ真っすぐに僕を見つめて言った。
「これ着たら、後でおっぱい揉ませてやる」
魔法の言葉、ってホントにあるんだね。
そのたった一言で、僕は覚悟が完了した。
あれほど拒否感のあった衣装を難なく装着した僕は、最後にネコミミカチューシャを被る。ネコミミモード、オン。これがメイド長桃子の最終形態だ。
メイド魂に覚醒した僕は、一切の躊躇なくメイクルームのカーテンを潜り、いざ戦場へ。もう、何も怖くない!
「――――それでは、ご主人様はメイド長桃子が担当させていただきます」
2024年1月5日
新年あけましておめでとうございます。
すまないが、また、なんだ……
本当に申し訳ありません。正月休みは1000話目前の『黒の魔王』へ集中していたせいで、こちらの更新は完全に忘れていました。昨日、予約投降するはずだったのに、明日から仕事だから最後の追い込みだ! と熱中した結果がこのザマです。
とりあえず、学園祭編はすでに書き上がっているので、エタることはありませんので。更新されなかったら、「またか」と思っていただければ……
それでは、自ら第二部やりますと断言してしまった『呪術師は勇者になれない』を今年もどうぞよろしくお願いいたします!




