珍客万来(3)
母襲来という最大の窮地を乗り越えた僕は、いよいよ昼時のピークタイムに突入したことで、目が回るような忙しさに翻弄されていた。
無論、忙しいのは僕だけではない。ホール担当のキャストを筆頭に、少しでも回転率を上げるために奔走している。やっぱりこういう時に、葉山君が抜けたのが効いてくる。たかが一人、されど一人だ。
「おいちょっと待て、綾瀬さんどこ行った」
「す、すまない桃川……お腹空いた、と言ってさっき走って出て行ってしまって……」
あのクソガキャァアアアアア!!
ただでさえ一人抜けてるってのに、追加で抜けるんじゃねぇよ! しかも一番忙しい時間帯に、わざとやってんじゃねぇのか?
「蒼真君さぁ」
「すまない! 本当に申し訳ない!!」
ええい、このクソ忙しい中で、蒼真君を詰めている時間も惜しい。
勝手に抜けたレイナがギルティなのは当然だが、みすみすそれを見逃した蒼真君も相応の責任を取ってもらわなければ。屈辱的な罰ゲーム考えておくから、震えてお沙汰を待つでおじゃる!
「――――いってらっしゃいませ、坊ちゃま」
「お姉ちゃんバイバーイ」
小さい子連れのママ客を見送って、ようやくピークが過ぎて客足も落ち着いてきた。
現在進行形で客は並んではいるものの、さっきまでの混雑ぶりは緩和されている。確か昼時を過ぎた辺りから、体育館のステージではメイン級のイベントが始まるので、そっちに流れる人も増えるからだろう。
そういえば、葉山君のバンドもこの辺の時間帯で演奏となる。うーん、上手いこと抜けて、ちょっとでも観られればいいんだけど。状況次第だな。
などと考えながら、ピークを過ぎても油断せぬよう営業スマイルを引き締めて、次の客をお出迎えだ。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「これは可愛らしいお嬢ちゃんが出てきたもんだ。大当たりじゃのう、ハッハッハ!」
キャバクラにでも来たかのような言いぐさをするのは、真っ白い髪と髭を蓄えた、仙人のような風貌をしたご老人である。
高い年齢層はクラスメイトの親御さんが精々で、見るからに年寄りといった人が来るのは珍しい。少なくとも僕は初めて見た。
しかし、結構お年は召しているように思えるが、背筋は曲がらずピンと伸びており、スラリとした細身の長身は逞しさすら感じる。
プロ棋士みたいな着物に羽織を纏ったご老人は――――んっ、この感じ、母さんと同じように教室をざっと眺めて全体を把握しているな。一見、目の前で対応する僕に注目しているようで、さりげなく背景の全てに意識を向けている。
ついさっき母さんが来てたから気づけたけど、そうでなければ全く気にも留めなかった、実に自然な視線の動きであった。
ということは、このご老人は見た目通りの達人か。そういえばこの顔つきには、見覚えのある面影が……
「もしかして、蒼真さんのお爺様ではありませんか」
「うむ、如何にも、この儂が蒼真流師範、蒼真悠士郎じゃ」
うわ、蒼真君の祖父ってガチで達人みたいな爺さんなんだな。みたいな、というか正真正銘、本物の達人だけど。今の蒼真君より強い、と言われても納得できる風格だ。
「げえっ、爺ちゃんなんで来てるんだよ!?」
「お爺様、来るなら来ると言ってください」
蒼真祖父が名乗りを上げたところで、ようやく蒼真兄妹が気づいた模様。如何に蒼真君とはいえ、親襲来イベントに遭ってはみんなと同じことしか言えないようだ。
「はっはっはっは! お前ら、よう似合っとるじゃないか!」
「笑いながら言っても説得力なんてないぞ」
「もう、恥ずかしいです……」
さて、蒼真兄妹が出てきたので、僕はこの辺で失礼して、
「おっと、儂のお相手はお嬢ちゃんがいいのう。女装した孫なんぞ、茶を噴き出してしまうわい」
まさかのご指名である。ウチそういうのやってないんですけど……
「すまないが桃川、頼めるか?」
「お爺様は言い出したら聞かないので。お願いします」
「もう、貸し一つだからね」
ここでゴネても仕方がないので、渋々了承。こうなっては覚悟を決めて、蒼真流の達人爺さんを接待だ。
「それでは、桃子が担当させていただきます。どうぞ、お席へご案内いたします」
「うむうむ」
満足気に頷く爺さんを連れて、僕は席へと案内した。
注文はシンプルに紅茶のみなので、キッチンで受け取りすぐに提供する。
「お嬢ちゃんや、どうかねウチの悠斗と桜は」
「はい、お二人共にクラスの中心を担う、魅力溢れる素敵な兄妹にございます。白嶺学園においての蒼真兄妹の人気ぶりは、お爺様も聞いたことがあるのではないでしょうか」
僕の気持ちは置いておいて、あくまで一般論としての蒼真兄妹評を、紅茶を配膳しながらスラスラと言い放つ。
実際、教師目線で見たって二人は非の打ち所がない優等生だ。ケチをつけようと思うのは嫉妬に駆られているか、僕のように貸しがある場合くらいだろう。
「そうか、そうじゃのう。彼奴らは見てくれも良く、生真面目なところもある。ただの学生として過ごすだけなら大した問題も起こさぬと信じられるが……すまんのう、お嬢ちゃんにはウチの孫共が、随分と迷惑をかけてしまったようじゃな」
「とんでもございません。同じクラスメイト、迷惑なんてお互い様ですから」
頭を下げる蒼真爺さんに、僕は即座に無難な答え方をする。
迷惑なんてかけられていない、と嘘はついてないのがミソである。
それにしても、やっぱ達人にもなると人の心が読めるのかとヒヤっとさせられるね。この爺さん、確実に僕が蒼真兄妹に対する不満を抱いていることを見抜いているよ。
まだレイナエスケープの怒りが冷めやらないか。アイツ、さっきようやく戻ってきたと思ったら、今度は昼寝始めたからな。
「同級生から話を聞ける貴重な機会じゃ。是非とも、お嬢ちゃんから忌憚のない意見を聞かせてもらいたいのだが」
「かしこまりました。それがご主人様のお望みとあらば――――」
この桃子、蒼真兄妹への愚痴を存分にぶちまけさせていただきます。
「まず悠斗さんは身内に、特に女性に対しては甘すぎるかと。これが続くようでは、悠斗さんにとっても、お相手にとっても、良いことにはならない。あるいは、健全な関係を築くに支障をきたす可能性もあるかと存じます」
「ハッハッハ、女に甘いとは、いきなり耳の痛い忠告が飛んできたわい」
蒼真君にまつわる大抵の批判はここに集約されるからね。身内の女に甘い、つまりハーレムが悪い。
「悠斗さん自身は正義感が強く聡明ですが、親しい女性の言を優先するのは著しく公平性を欠く判断に繋がります。一番の問題は、本人にその自覚がないことですが」
無意識の依怙贔屓は、意識的な忖度よりも害悪だ。なにせ本人は公平公正に判断していると、自らの正義を疑いもしないのだから。
正直、お前の周りは地雷原だぞ。ヤマジュンに言われても、まだその自覚が薄いからな。
「うぅむ、子供の色恋に口出しするのは無粋と思って、放っておいたツケが回ったか」
「基本的には本人同士の問題ですが……誤った判断で悠斗さんが誰かを傷つけてしまった時は、それだけでは済まされないでしょう」
思えば最初の試食会の時は、まだマシな方だっただろう。アレは蒼真ハーレムの同調圧力で考えなしの脳死意見が採用されるという結果になるだけだが――――もしもクラスで問題が発生した時に、僕のようなモブ男子みたいな奴が冤罪でつるし上げを食らったなら、問答無用で断罪されるだろう。
ああ、恐ろしき魔女裁判。だが蒼真ハーレムにはそんな魔女裁判を実行できる、中世の教会並みの力があるから危険なのだ。
「悠斗さんは魅力的な方ですから。好意的に集まった女性達に祀り上げられていることに自分で気づけ、というのはそもそも難しい話ですが」
「恋は盲目と言うが、誰かに害を成せば笑い事では済まされんからな……しかし、お嬢ちゃんは全く優斗に気がないように見えるが」
「はい、全くございません」
そりゃ男だしね。女装が上手くなったところで、心が乙女になるワケじゃないし。
「身内の贔屓目もあるが、優斗は面も良いし、腕も経つ。性根も真っすぐ、曲がっとらん、どこに出しても恥ずかしくない男として育てたつもりじゃ」
「はい、おっしゃる通りですが、桃子の好みではありませんので」
僕に取り入ろうってんなら、爆乳美女に転生してきてどうぞ。
「しかし、きちんとお傍の女性の手綱を握れるほどの男前になったなら、もう少し仲を深めても良いと思います」
「それは悠斗にとっては生涯の試練となるじゃろうなぁ……」
僕は死ぬまで無理だと思うけど。あれは生来の甘やかしだ。女をダメにするタイプというか、すでにダメんなってるし。
爆弾を抱えていることに気づいていないのは本人ばかり。知らぬが仏とは、よく言ったものだよね。
「して、桜の方はどうじゃ」
「桜さんについては一つだけ。いい加減に兄離れすべきかと」
やっぱりか、とでも言うように蒼真爺さんは重苦しい溜息を吐いた。
僕としても蒼真さん家の桜ちゃんの問題は、この一点に尽きると思う。
「それほどまでに、目に余るか」
「五歳の子供でも、幼稚園へ行けば母親から離れます。高校生になっても、いまだにすぐ隠れられる背中がある、というのは教育上、不健全と言わざるを得ないのでは?」
兄妹の仲が良いのは結構。兄が妹を守ろうと思う気持ちは気高いし、妹が兄に甘えるのも当然の権利だろう。
だがしかし、蒼真兄妹はその度が過ぎる。それは厳しめに見える僕だけではなく、多かれ少なかれクラスメイトの誰もが思っていることだ。
「なまじ悠斗さんに、大抵のことから妹を守れるだけの力があるものだから、桜さんも当たり前に頼ってしまうのでしょう」
「悠斗が桜を大切にしているのは……いや、流石にお嬢ちゃんに話すことではないな。だが両親がいないことは、知っておるだろう」
「ええ、存じております」
蒼真兄妹があまりにもハイスペック過ぎるから今まで対して気にしていなかったが、この歳で両親共に亡くしているというのは相当にヘビーである。下手すれば進学すらままならないほど詰んでもおかしくない環境だ。
「桜を守るという意志を尊重してきたが、この歳まで引きずるべきではなかったかのう」
「双子の妹を守り続けるなんて、普通はできません。悠斗さんの強い覚悟と意志があってのことですが、桜さんとていつまでも守られるだけの子供ではありませんから」
両親を失った双子の兄妹が、互いを思いあって支えあう。傍から見れば美談だけれど、度が過ぎれば単なる共依存でしかない。
兄はいつまでも過保護に妹を守るべきではないし、妹も兄に頼り切らず自立しなければならない。呑気な高校生の僕らだけれど、あと数年もすれば立派な大人の仲間入り。ああ、悲しいかな社会の歯車として組み込まれてしまうのだ。
そんな時になって、自立心の欠片もない甘ったれた妹ちゃんを社会の荒波にいきなり放り出すなんて、かえって残酷なことだと思うけれど。レイナなんて庇護を失えば一瞬で溺れ死ぬよ。
レイナみたいなワガママクソガキモンスターは完全に手遅れだけど、桜ちゃんはまだ間に合う、まだ大丈夫だと思いたい。
「やれやれ、厳しく育てたつもりだったが……儂も孫の贔屓目で見ておったようじゃな」
「身内だからこそ、気づきにくいこともありますから」
これほどのハイスペックを誇りながら、蒼真兄妹が傍若無人の暴君とならなかったのは、ひとえに厳しい蒼真流の教えがあったからこそだろう。良くも悪くも真っすぐ育ったのは事実である。
もしも天道君と一緒に二人がグレて、「俺らで全国統一すっからよぉ」とかイキリ倒したら、なまじホントに強くてカリスマ溢れるせいで、不良漫画が如くガチで全国制覇しかねない。嫌だよ僕は、この街が不良の聖地みたいになるなんて。
「それに、そう心配せずともよろしいかと。問題児もおりますが、同時に頼りになる素晴らしい仲間もいますので。お二人もきっと、自ずと問題に向き合う時が来るでしょう」
「ほう、お嬢ちゃんが導いてくれるかの?」
「いえ、桃子に大したことはできませんよ。ご主人様ならお分かりでしょう、ここはとてもいいクラスなのです」
母さん並みの観察眼をお持ちなら、ウチのクラスが蒼真兄妹相手でも対等に接せられる非凡な才能の持ち主が多くいることも察しているはず。
だから頼んだぞ、委員長とヤマジュン。あといざって時は天道君がぶん殴ってでも二人を矯正してよね。
レイナと剣崎と小鳥遊の特大地雷さえ上手く処理できれば、きっと蒼真兄妹にも真っ当な道が開かれるはずさ。勿論僕は、遠巻きに見守っているだけで十分だ。
「お嬢ちゃん、悠斗の嫁に来んか?」
「なっ!?」
「急に何てことを言い出すんですか、お爺様っ!!」
爺さんボケたか、という言葉を喉元で飲み込んでいる内に、聞き耳を立てていたのか真っ先に反応したのは蒼真兄妹であった。
あっ、こら、二人ともご主人様お嬢様を放り出して来るんじゃない。メイドと執事の使命を果たせよ。
「爺ちゃん、冗談でも度が過ぎるぞ! 桃川相手に何てことを!」
「なんじゃ、こんな良い娘そうそうおらんぞ」
「いえ、お爺様、そもそも桃川は――――」
「まぁ、聞け。いいか悠斗、女がお前の顔に惚れようが、強さに惚れようが、それは構わん。その歳にもなれば多少は色恋も嗜むもの――――だが伴侶とするならば、お前の欠けたところを理解し、至らぬところを支える、そういう女でなければならぬ」
「いやでも」
「言い訳するな。このお嬢ちゃんは正にお前の至らぬところを見事に言い当てた。儂には分かる、それは決してお前に対する恨みでも妬みでもなく、正しく見定めた上での諫言であったと」
あまりにも真剣な表情と気配を出して言い放つ蒼真爺さんの圧を前に、蒼真兄妹も反論を封じられているが……致命的な勘違いをしている以上、そこは早いとこ教えた方がいいと思うんだが。
「こんなことを言える女と出会えるのは、生涯に一度あるかないか。それもこれほどの器量よしともなれば、さっさと手を出さねば、ほれ、天道の坊主にでも搔っ攫われてしまうぞ」
あっ、急に天道君に流れ弾が!?
面白そうな表情で外野気分を味わっていたらしい天道君の表情が凍り付くと同時に、委員長もお嬢様を置いて立ち上がった。
ねぇ、これ僕も巻き込まれるやつ?
「お嬢ちゃん、まだ悠斗は君のお目にかなう男には至っておらぬが、長い目で見て付き合ってやってはくれぬだろうか。悠斗には、君のような人が必要なのじゃ」
「申し訳ありません、ご主人様。桃子は男ですので、友人になるのが限界でございます」
「ああ、よく言いました、桃川!」
君らが口ごもってる内に取り返しのつかない事態に発展しそうだから、自分でさっさとカムアウトしたんだよ。
というか蒼真さん、すでにして僕を呼び捨てである。じゃあ僕も桜ちゃんって呼んでいい?
「な、なんと、お嬢ちゃんのその姿は、女装だと言うのか……?」
「正真正銘、女装でございます。本名は桃川小太郎です」
流石にピンク店長が如く、一向に構わんと即レスはされなかった。
「まぁ、そういうことだよ爺ちゃん。桃川は男だから、嫁がどうこうとか的外れもいいとこだ。恥ずかしいから、やめてくれよ本当に」
「おお、何ということじゃ……この儂の目をもってしても見抜けなんだとは……耄碌したか」
うーん、僕の女装を見破れないのは割とガバガバな観察眼かも。
いや、達人の目をも欺くメイクを施した蘭堂さんが凄いということにしておこう。
「ところでお嬢ちゃん、蒼真流道場に入門する気はないか? 今ならお安くしておくぞ」
「お断りさせていただきます」
タダでは転ばない蒼真爺さんであった。




