珍客万来(2)
「あひぃーっ! 龍くん、これは違うの、まだ違法な勧誘はしてないからぁ!」
「うるせぇ、こっちはすでに迷惑してんだよ」
情けない悲鳴を上げつつも自己弁護に余念がないピンクに対し、天道君はアイアンクローをかましながらジリジリと教室外へと追いやりつつある。
まさか黒服の最初の出番がこんなことになるとは。いや、実際に迷惑行為ではあったので、正しい仕事ぶりではあるのだが。
さて、ウチの店はエースを筆頭に衣装も本格派。なので黒服役も当然、ちゃんと黒服を着用している。
天道君はワイシャツの襟元を大きく開いて袖をまくり、ベストを着用したスタイル。ただの黒スーツを着こんだだけの量産型黒服とは異なり、その逞しい体格とワイルドな風貌から、さながらギャング映画の主人公みたいな風格が漂う。
ピンクを掴む腕にはアスリートか格闘家のような筋肉が盛り上がり、男らしい力強さを感じさせる。というか、この腕に掴まれてギャアギャア喚き続けられるピンクも大概、頑丈だな。
「お願い待って、あともう少し、確かな手ごたえを感じているの!」
「待つわけねぇだろ」
勿論、ピンクの半分脅迫染みた説得に、全く僕は揺らいでいない。一体どこに手ごたえとやらを感じたというのか。
でも人の上に立ち、非凡な才能を持つ経営者ってのは、それくらいポジティブに、自分の都合を最大限にして最優先で押し通すパワーがなければ務まらないのかもしれない。うん、全く参考にならないし、しようとも思えないスタンスだ。
「桃子ちゃん! 連絡待ってるからぁあああああああああああああああ!」
「二度と来んな」
最後まで粘り続けるバイタリティ溢れる断末魔を残して、ピンクは天道君によって叩き出されたのであった。
「ご主人様、お嬢様、お騒がせして大変申し訳ございませんでした」
何はともあれ元凶が排除されたので、僕は凍り付いたような教室内の空気の中、深々と頭を下げた。とりあえず、こうでも言っておかないと収集つかなそうだし。
「お詫びも兼ねて、お茶菓子をサービスさせていただきます。どうぞご賞味くださいませ」
詫び石ならぬ詫びクッキーでも配っておけ、の精神である。
勿論、僕が今思いついて勝手に言い出したことではあるが、クッキーは料理チーム全員による量産体制が確立されているので、当店では最も潤沢に在庫が確保できているお菓子だ。コイツをさして多くもない客席全てに配ったところで、大した痛手にはならない。
むしろ、こんな一手間だけで微妙な空気感を払拭できるならば、十分すぎるコスパだろう。
「はい、お騒がせして、申し訳ございませんでした」
僕の思惑に即座に乗ってくれたのは、やはり流石の理解力である委員長であった。
手早くキッチンからクッキーを引き出し、接客中のキャストを即座に集めて、クッキーを持たせてお詫びに動かした。
こちらの素早い謝罪ムーブで、客も騒動が終わった感を受けて、クッキーを受け取りながら、再び談笑を始めるのであった。
「――――天道君って、ピンク店長と知り合いだったんだ」
ひとまず騒ぎが収まり再び店が元通りになったところで、一息つくのに引っ込んだタイミングで、僕は気になっていたことを天道君に聞いた。
「……まぁな。昔、ちょっと仕事でな」
現役高校生が昔の仕事? どういう事情だよ、と思いつつも、天道君の苦い表情を見るに、あんまり楽しくお喋りしたくなるような過去ではないのだろう。
「まさか天道君もメイドをやっていたとは」
「そんなワケねぇだろ。ピンクはメイド喫茶の他にも色々と手広くやってんだ。お前も、興味本位で関わらないことだな。必ず面倒に巻き込まれるぞ」
「それは面倒に巻き込まれたことのある、当人からの忠告ってことかな」
「まぁ、そんなところだ」
「へぇー、龍一にそんな過去があったなんて……私、一度も聞いたことないのだけれど?」
瞬間、ヒヤっとした冷気を錯覚するような声音と共に、やけに不機嫌そうな表情で委員長が割って入ってきた。
「ごめんね委員長、あんなトラブルになっちゃって」
「いいえ、これについては桃川君に非はないわ。むしろ、穏便かつ迅速にあの場を収めてくれたのは、本当に助かったわよ。ありがとうね」
「クッキー配りに委員長もすぐ合わせてくれたからだよ」
ふむ、どうやらピンク騒動について怒っているワケではないようだ。委員長は嫌味で褒めたりするような人ではないから、純粋に評価してくれているとは思うのだが……
「ったく、何をヘソ曲げてんだよ、涼子」
「ふん、別になんでもないわよ」
本当に何でもないなら、そんなあからさまな不機嫌さは滲み出ていないだろう。
「ただ、アンタにしては随分と気を許しているようじゃない。そんなに桃子ちゃんのことが気に入ったの?」
「はぁ……なにアホなこと言ってんだよ……」
もしかして委員長、嫉妬してたの? こんなちょこっと話してただけで?
えっ、実は委員長って恋愛面になると途端に地雷化しちゃう系の女子だったのか。
「くだらねぇこと勘ぐってないで、さっさと仕事に戻れよお前ら」
「はーい」
手を払って早く行け、と言わんばかりの天道君に乗っかって、これ幸いと僕はこの場を離脱する。
「実は男の子が好きだとか、そういう歪んだ性癖に目覚めたりしてないわよね?」
「うるせぇ、お前もさっさと行けよ」
「本当は桃子にあーん、されたかったんじゃないの。私、昨日見てたんだから」
「あるワケねぇだろ、しつこいぞ……」
「私、アンタのこと信じてるからね、龍一!」
背後で修羅場っぽい台詞が飛び交っているが、君子じゃなくても目に見えて危うきには近づかないよ。さぁて、気を取り直して、お仕事お仕事。
◇◇◇
「ぎゃぁああああああああああああああああああああ!」
さて、お次のトラブルはウチのメイドが野太い叫びを上げたところから始まった。
「なんで来てんだよ母ちゃん!?」
「ぎゃははははは! 淳、ホントに女装しとる!」
学園祭二日目の一般客解放における、最もポピュラーかつ最も危険なイベントが、このリアル親襲来イベントである。
ウチにおいて最初の犠牲者となったのは、上中下トリオの下の方こと、下川だ。
下川母は、眼鏡をかけたどこでにもいる普通のオバサンといった風貌で、強いて言えば目元は結構、下川に似ている。顔が似ている、という何よりも確かな遺伝子の証明によって、実の母親であることを示していた。
「あっ、オバさん、チィーッス!」
「お久しぶりでーす」
「ああっ、洋平君と将太君、アンタ達もやってんのかい」
「三人でメイドやってまーす」
「写真撮ります?」
「撮る撮る!」
「おい、ちょっ、やめれやお前らぁーっ!」
母親を前に下川だけがダメージを受けている。やはりトリオだから顔見知りなのだろう、親し気に上田と中井を下の名前で呼びながら、下川母は息子の苦悩など意にも介さず楽し気にカメラを回していた。
「あれ、恭弥君はいないの?」
「樋口はあっちに」
「あら恭弥君、その黒服いいじゃないの!」
「どうもー、オバさん。ご来店ありがとうございまーす」
黒服役として教室の隅に待機している樋口にも、下川母は笑顔でご挨拶。こういうとこ見ると、コイツらホントに仲良いんだなって感じるね。
ギャアギャアと騒がしいことこの上ないが、親襲来イベ発生中な以上、致し方あるまい。親御さん相手には丁重に接客、というのが学園祭における暗黙の了解だ。このまま当人である下川にお任せしておこう。
さて、そういうワケで僕は通常営業だ。すっかり慣れた営業スマイル全開でご主人様、お嬢様をお出迎え。
「ええぇウッソ、ママなんで来てんの!?」
「――――すまない、早矢ちゃんのお母様がお見えになられた。ここは俺に任せてくれないか」
下川に続き、親襲来イベントがクラスメイト達の間でそこそこ発生し始めている。お相手は各員に任せて、僕ができることは援護くらい。いやぁ、親が来ちゃうとどこも大変だねぇ。
その点、ウチの親は今日来る予定はないから、僕は安心して仕事に集中できる――――そう思っていた時期が、僕にもありました。
「ほら、急いでよ桃川君! もう交代時間過ぎちゃうから!」
「はいはい」
と、慌てた様子で教室に帰ってきた姫野の姿を見た瞬間、僕は背筋が凍り付いた。
何故か姫野に子供のように手を引かれて、一緒に教室へと入ってきた人物は、僕だ。否、本物の僕はメイド長としてここにいる。だから、僕ソックリというだけ。あるいは、それも逆なのだろう。ただ、僕が似すぎているというだけのこと。そう、残酷な遺伝子の証明である。
「あれっ、桃川君……? なんでいるの?」
「な、なんだ、桃川が、二人いる……?」
教室ですでに働く僕の姿を見つけた姫野が固まり、来客の対応に出ようとしていた蒼真君もまた、姫野に連れられたもう一人の僕を見て固まった。
本物の僕は当然、メイド長としてバッチリとメイド服を着こんでいる。
もう一方は、セミロングの黒髪を後ろで一本縛り、ワンピースにカーディガンを羽織ったカジュアルな装い。
恰好こそ違うものの、その顔と背格好はどう見ても同じ。同一人物が二人、同じ空間に現れたのだ。
勿論、僕に影分身のスキルなどあるはずもなく、ドッペルゲンガーが出現したワケでもない。
直後にみんなもこの異常事態を察し、再び教室の時が止まるのだった。
「――――みなさん、初めまして。小太郎の母です」
僕の母親が、最もシンプルな答えを提示した。
「……」
「こら、スっと逃げないの小太郎。そういう逃げ足の早さはよくないって、お母さん教えたでしょう」
「ぐぬぬ……」
エスケープに失敗した僕を、ジト目で睨む母さん。
「恨むぞ姫野さん」
「ええっ、ちょっと私は悪くないでしょ!? っていうか、桃川君のお母さんだったの……ウソでしょ、完全に本人だと思ってたわ」
「ええ、よくソックリと言われますよ。姫野さん、ここまで連れてきてもらって、ありがとうございました」
「い、いえいえ、こちらこそ……その、桃川君だと思って失礼なことを……」
「慣れていますから」
そんなのに慣れないでくれ。というか姫野に声かけらた時点で、即否定しろよ。勘違いして余計に恥ずかしい感じじゃないか!
「桃川君、その、任せてもいいのかしら?」
「うん、僕がやるから、気にしないで委員長」
「気にしないのはちょっと無理があるかもね。完全に双子じゃない」
それは言わないで。僕は母親に、ビックリするほど似ているのだ。小学校の高学年くらいになると、もう見分けがつかないレベル。間違われたことは幾度となくあるが、その度に僕はいたたまれない思いをすることに。
おいっ、なぁに見てんだコラぁ! 見世物じゃねぇぞ! 同じ顔が二つ並んでるのがそんなに珍しいかっ、ああん!?
「それでは、お席へご案内させていただきます、お嬢様」
「小太郎、笑顔が硬いわよ」
流石にこの状況下では、鍛え上げた営業スマイルの仮面にもヒビくらい入るってものだよ。
「もう、今日は来ないんじゃなかったの?」
「ちょうど予定が空いたから」
「無理に空けたんじゃないの?」
「そういう勘繰りはよくないって、お母さん教えたでしょう」
「ふん、言うことを鵜呑みにする素直な子供がいいなんて、大人のエゴだよ――――それで、ご注文はコーヒーでいい?」
「オススメは?」
「オムライスだけど、食べるの遅いんだからコーヒーだけの方がいいよ。ウチは見ての通り繁盛してるから、テーブルにも制限時間設けてるんだよ」
「でも持ち帰れるならいいでしょう」
「まぁ、そうだけど」
「それはそうでしょう。小太郎がいながら、制限時間設けるのに持ち帰りはない、なんて片手落ちにするわけないものね」
「どうかな、僕にはそんな発言権なんてクラスにはないかもしれないじゃないか」
「今の立ち位置を見れば分かるわよ。みんなが小太郎に目を向けて、気にしてくれていた。良かったわ、クラスのみんなと仲良くなれたようで」
普段はボンヤリしてマイペースなくせに、妙に観察眼が鋭いのが困るところだ。
多分、クラスのトップである委員長と僕が気軽に話しているとこも見たうえで、クラスカースト上位にも食い込んで仲良くできていることも察しているに違いない。
一番恐ろしいのは、僕が二人いる、と騒いだ時にクラスメイト全員分の反応をチラ見で把握したところだが。そのリアクションだけで、大雑把に僕に対するクラスメイト達の好感度を推し量ったのだろう。
この察しの良さのせいで、僕は母さんに嘘が通じたことがほとんどない。なので、嘘ではないけど真実を洗いざらい吐かずにはぐらかす方向性に進化した。素直なガキなんて、バカを見るだけさ。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
「ミルクだけでいいよね?」
「ええ」
勝手知ったる親の好みで仕上げたコーヒーを渡す。オムライスの提供にはまだ時間がかかるので、一旦これで下がろうと思った時である。
「初めまして、小太郎君のお母さん。私は蘭堂杏子、小太郎君のメイクを担当させていただきました」
「あら、これはご丁寧に。小太郎の母の、桃川小萌です」
まさかの蘭堂さんが挨拶に。しかも敬語で話してるとこ、初めて見たし。
そして女子の登場にちょっと嬉しそうな気配を醸す母さんである。
「ら、蘭堂さん、なんでわざわざ……」
「そりゃ小太郎の親が来てんなら、挨拶くらいするって」
「こんなに素敵なお嬢さんが、ウチの小太郎と仲良くしてくれ、嬉しいわ」
ぐわぁ、や、やめてくれぇ……蘭堂さんは付き合っているどころか、別に僕なんかに気があるはずもない、ただのコミュ力強者なだけなんだ……変な勘繰りやめろって、自分の教えだろ!
「じゃ、小萌ママの相手はウチがしとくから、小太郎は戻ってていいぞ」
「名前で呼ばれるのはいいものね。杏子ちゃんって呼んでいいかしら」
「どうぞー、気軽に呼んでください」
いいのかこれで、と思いつつも蘭堂さんの厚意(?)に甘んじて僕はこの場を離れることにした。
「それにしても、本当によく似ていますね」
「そんなにマジマジと見比べないよ、蒼真さん」
ちょうど小休止に入っている蒼真さんが、改めて僕と、向こうで蘭堂さんとの会話に花を咲かせているらしい母を眺めながら言った。
「蒼真の家系は若作りな人も多いのですが……あそこまで若々しい人は初めてですよ。本当はお姉さんだったりしませんか?」
「マジで母親なんだな、これが」
あの見た目で一児の母、と言えば大抵驚かれるからね。
だって僕に似ているということは、まだ高校生に過ぎない思春期の年頃の人間と同じように見えるということだ。まして僕は老け顔どころか、美容室の姉さんに中学生と疑われるレベルの童顔。
逆説的に、三十代半ばを超えて中学生レベルの童顔の母が一番ヤバい。
「それに、随分と視野の広い方のようですね。ほとんど意識に隙がありません。古い流派の達人だったりします?」
「そんな設定あるの、君たちの家柄くらいでしょ。ウチの母さんはごく普通の専業主婦だから」
「けれど教室に入った瞬間に、私にも意識を向けていましたからね。驚きましたよ」
「気のせいじゃなくて、ホントに気配察してる蒼真さんに驚くよ」
流石は蒼真流ということか。母さんの観察眼に気づいているとは。
やっぱ武術やってると人間離れするのか。僕も今から修行すれば達人に……いや痛いの無理だしダメだわ。
「兄さんと龍一、明日那は気づいていますよ。みんな、同じように驚いたでしょう」
「人の母親見てそんなに驚くの、止めて欲しいんだけどなぁ」
「桃川君、オムライス来たわよー」
蒼真さんとの雑談もそこそこに、料理が到着。さて、持っていくとしよう。
「――――今日はとても楽しかったわ。ありがとう、杏子ちゃん」
「いえいえ、ウチも小太郎のこと色々聞けて楽しかったでーす」
楽しい時間が過ぎるのはあっという間、というのが適応されるのは存分に楽しんだ母さんだけであろう。正直、蘭堂さんがずっと相手してくれたから、かなり助かった。
たまにキラーパス飛んできて死ぬとこだったけど。クラスの女子に小学生の頃の話するのは禁止カードだろ。
そんな苦難を乗り越えて、僕はようやくお見送り。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「帰りはちょっとくらい遅くなってもいいからね」
さっさと行け!
最後まで余計なことを言って、母さんは去って行った――――
「あっ、もしかして桃子さんですか!? 写真一枚いいですかっ!」
おいソレは偽物だ、メイド長桃子と思って話しかけるんじゃねぇ!!
「――――全く、最後の最後まで迷惑かけて」
「しょうがないじゃん、小萌ママめっちゃ可愛いし」
僕だと思われて生徒に絡まれたら困るので、本当に仕方ない緊急措置として、僕と蘭堂さんで母さんを校門までお見送りをしてきた。流石に学園から出れば大丈夫だろ。
これでダメだったら天道君に送ってもらうしか打つ手がなくなってしまう。
ともかく、これで今度こそ僕の親襲来イベントは終了だ。
まったく、ピークタイムもまだなのに、こんなに消耗させられるとは……
「ハァ、ハァ……ねぇ、桃川くんのお母さんが来てるって、ホント!?」
ガラガラと扉を開け放つなり、息を切らして飛び込んできたのは、白いエプロンを纏った料理長双葉さんであった。
「えーっと、ちょうど今帰ったところだけど」
「そんなぁ……一言ご挨拶したかったのに……」
いやなんでそんなに僕の母親に挨拶したがるんだ。
疑問に思いながらも、残念がる双葉さんをなだめる。オムライスは絶品だったって言ってたから、自信持っていいよ。




