第40話 遺品と戦利品
「……ハっ!?」
パッチリと目が覚めるなり、僕は慌てて飛び起きる。
「ぼ、ボスはっ!」
「おはよう、桃川くん」
あの恐ろしい赤毛のオルトロスの代わりに、僕の目の前では双葉さんがニコニコと和やかな笑顔で座り込んでいる。敵はもう、どこにもいなかった。
「え、あ……おはよう」
どうやら、ここはもうボス部屋ではないらしい。というか、どう見ても妖精広場だ。
そこまで認識すると、僕はとりあえず双葉さんに事情を聞くことにした。
「平野君と西山さんは、私が火の壁から出て来た時には、もうボスに……でも、弱っていたから、私一人でも倒せたの」
やはり、最後は狂戦士の力が頼りか。最後の一人が僕だったら、完全に詰んでいた。
ともかく、双葉さんは見事にボスを打ち倒し、フレンドリーファイアで瀕死の僕だけを連れて、ボス部屋を脱し、次のダンジョンエリアであるここの妖精広場まで逃げ延びることに成功したという。
本当に、最後の最後まで、頼りになりっぱなしだ。
「そう、だったんだ……ごめん、双葉さん」
「どうして、桃川くんが謝るの?」
「僕は全く、役に立たなかった……いや、それどころか、僕の行動のせいで、連携が乱れて、そのままボスにやられてしまったんだ」
僕が撤退ではなく、覚悟を決めてそのまま正面対決を選んでいれば、あるいは、平野君か西山さんのどっちか片方くらいは生き残れたかもしれない。
「桃川くんは、何も間違ってないよ! だって、あの二人が勝手に――」
「いいや、僕が最初に逃げ出したことは事実だから。あそこで、信頼を失ってもしょうがない場面だったよ」
「でもっ、西山さんは、桃川くんを撃ったんだよ! 私、分かるよ、ボスと西山さんが傷だらけだったの、桃川くんの『痛み返し』があったからでしょ」
その通り。僕はボスに組みつかれた状態で、西山さんの『風連刃』がクリティカルヒットしたんだ。人質をとった犯人を、人質ごと撃ち殺すような所業である。
「それも、自業自得だよ……」
正直、僕を撃てと言い出した平野君、そして、本当に僕ごと撃ちやがった西山さんに対しては、恨み言の一つや二つじゃすまない。ありえないだろ、なに撃ってるんだよ、馬鹿野郎。
けれど、それは口にはしない。死者に鞭打つ、という意味でもなく、やっぱり、僕自身がパーティの連携を崩す発端となってしまったのだから……本当に、自業自得なんだ。僕はもっと、上手くやれるはずだった。
「桃川くんは、悪くない! 何も、悪くないよっ!」
「ありがとう、そう言ってくれるだけで……ううん、双葉さんが、僕を見捨てずに助けてくれたってだけで、十分すぎるよ」
こんな役立たず、瀕死のままボス部屋に置き去りにした方が良かったんじゃないのか。それに、噂の回復ポーションまでつぎ込んだというじゃないか。信じられない、もったいない。
あの瀕死の傷をこんなに綺麗に回復させるなんて……僕の傷薬が馬鹿らしく見えるくらいのチート回復アイテムだ。こういうモノは、前衛を務める双葉さんにこそ必要だというのに。
「私は絶対、桃川くんを裏切ったりしない。もう逃げない、必ず、私が守るから!」
ありがとう。本当に、ありがとう、双葉さん。その信頼は、涙が出てくるほど嬉しいよ。僕らの性別が逆だったら、僕はラブコメのヒロインよりもチョロく惚れちゃう。
「うん、僕もこれからは、もっと頑張るよ」
次はもっと、上手くやる。平野君と西山さんは、ちゃんと仲間になれるはずの人だった。
信頼。そう、信頼が大事だ。僕にはまだ、ちゃんと他人を信じようと思う気持ちがある。
友達のはずの勝にはあっさり裏切られ、ついさっきは二人のせいで僕は瀕死になった。けれど、双葉さんは僕を助けてくれた。だから、人に絶望するには、まだ早い。
いや、そもそも人間ってのは、極限状況下で試されるべきモノじゃないだろう。身の安全を確保して、衣食が満ちて、人は初めて理性的になり、ルールを守る社会的な動物となれる。
だから、モンスターと生きるか死ぬかの戦いばかり続くようじゃダメなんだ。仲間を増やして、十分な戦力を整えて……たとえ偽りでも安心できる環境ができて、ようやく十全に力を発揮できる。僕らは精神的にも未熟な子供、ただの高校生だ。尚更だろう。
「桃川くん……あ、そうだ、二人の荷物も拾ってきたから、使えるモノがないか、見てみようよ」
「ああ、うん、そうだね」
よくそこまで気が回ったな、と感心しながら、僕は彼女と一緒に、二人の遺品を漁り始めた。
もしかして、二人が犠牲になったことに、泣き叫んで悲しむほどの感情が湧いてこないのは、僕の神経が、このダンジョン生活の中で早くも狂いだしたからなのか。だって、僕は今、平気で死んだクラスメイトの鞄を、ただ役に立つものがないかという即物的な理由だけで、漁っているんだから。
「……桃川くん、泣いてるの?」
「えっ……ああ、うん、ちょっと、泣いてる、かも」
何が「泣いてるかも」だよ。僕の両目からは、こんなにハッキリとポロポロ涙が零れ落ちてきているじゃないか。
ああ、良かった。どうやら僕は、まだ、人として正常でいられるらしい。
ごめん、平野君、西山さん。二人には恨みもあるけれど、それでも、死んでいいと思えるほどじゃなかった。きっと、もっと、仲良くなれたはずだったのに……本当に、ごめん。
僕は静かに泣きながら、犠牲の重さに体を震わせた。
自分の良心を再確認できたが、それはそれとして、装備は整え直さなければいけない。
まず、一番の収穫は、何といっても平野君が使っていた質の良い長剣だろう。
「はい、この剣、桃川くんが使って!」
「いや、どう考えても双葉さんのサブウエポンにすべきだよ」
本命のバレンタイチョコを渡すみたいな勢いで差し出された長剣を、僕は速攻で突っ返す。
「え……で、でも、私ばっかり、悪いよ」
「最前線で戦う一番危険な役割は、双葉さんに任せきりになっちゃうから、質の良い武器はどんどん装備すべきだよ。そのゴーマの斧だって、あとどれくらい持つか分からないし」
「けど、桃川くんだって、もしもの時のために、ちゃんと良い武器は持っていた方がいいと思うの」
「それも一理あるけど……残念だけど、僕の腕力じゃあ満足に長剣なんて振れないんだよね」
無用の長物というヤツだ。僕は目の前から迫りくる魔物に対して、この剣一本で華麗に切り捨ててみせる自分の姿を全く想像できない。
「どうせ僕じゃ使いこなせないから、双葉さんが有効活用してよ」
「そ、そういうことなら……分かったよ、私、この剣でたくさん敵を殺して、桃川くんに絶対、近づけさせたりしないから!」
凄い意気込みだ。やっぱり狂戦士だから、女の子の双葉さんでも良い武器を手にすると、ちょっと興奮するんだろうか。
そんなワケで、最大の取り分がスムーズに決まり、あとは順当に物資を配分する。といっても、二人の持ち物にはそこまでめぼしいアイテムはなかった。
僕を瀕死の重傷から一発で救った魔法の回復ポーションも、西山さんが所持していた一つきり。あとはせいぜい、例のクローバーが数枚あるのみ。傷薬Aを持つ僕らからすると、さしてありがたいモノではない。
それと、西山さんが使っていた風魔法の杖。これは分かり切っていたことだけど、やっぱり僕も双葉さんも、全く使うことはできなかった。ひょっとしたら、と一縷の希望をかけたけど、どれだけ念じても、ついに杖からはそよ風さえ吹くことはなかった。使えない装備は単なる邪魔物。けど、ケチな僕はこの本物の魔法の杖を丸ごと置いていくのは気が引けて……
「よし、やって、双葉さん!」
「えーいっ!」
金太郎みたいに堂の入った斧の振り下ろしによって、杖を切断。いかにも魔法の力の核です、みたいな先端についた緑の玉だけを切り離す。双葉さんの一撃は力強くも正確無比で、見事に玉と杖のつなぎ目部分を両断し、綺麗に玉だけをゴロっととることに成功した。
とりあえず、何かの役に立つかもしれないと信じて、緑の玉を鞄の奥底に仕舞い込んだ。
「役に立つかどうか分からないけど、ボスの大きい牙をとってきたよ」
モンスターから素材を剥ぎ取るゲームのプレイヤーキャラみたいな真似を双葉さんがしてくれたお蔭で、オルトロスの牙×2をゲットした。いわゆる、ドロップアイテムである。違うか。
手にしたオルトロスの牙は、流石にナイフよりは小ぶりだけれど、それでも僕の親指より一回りほど太くて長い。恐竜の牙かと思うほど、立派である。
「これ、ちょっと強く叩くと、火花が出るんだよ。火打石みたいに」
「うわっ、ホントだ、凄いよコレ!」
試しに妖精広場の噴水の縁を叩いてみると、ボっと結構派手に火の粉が散った。どうにも、ただ摩擦の衝撃だけで火花が散っている以上に、火が噴いているように見える。
オルトロスが炎を吐いていたことを思うと、魔法の牙なのだろうか。それとも、可燃性のガスを風魔法で誘導するだけで、この牙は点火用にすぎないのか。
「これ、使えるかな?」
「火炎放射は出せそうにないけど、火種としては使えるよ。今はライター持ってるけど、燃料が尽きたらお終いだから」
実は隠れ喫煙者だったらしい野球部高島君の荷物から拝借したライターが、手持ちの火種である。これのお蔭で、ヘビも美味しく焼けたわけだ。
とりあえず、ちょうど二本あるから、僕と双葉さんとで一本ずつ分け合うことにする。
「そうだよね、ふふっ、良かった」
「魔物の中には、コア以外にもそのままで役に立つ部位があるかもしれないから、何かあったら出来るだけ集めておこう」
うん、と笑顔で快い返事をくれる双葉さん、何て良い子だろう。本当に剥ぎ取りなんて血生臭い作業を、苦とも思ってなさそう。
でも、僕もあんまり人任せにしないで、少しは覚えて手伝うべきだろう。今度、それらしいモンスターを倒したら、それとなく教えてもらおう。
「あ、そうだ、桃川くん、これ」
最後に双葉さんは、ポケットをゴソゴソしながら取り出したモノを、僕に差し出す。果たして、そのプレゼント第二弾は――
「あっ、これ、平野君のGショック!?」
黒いバンドにシルバーの本体をした、アナログ式の腕時計。その見覚えのあるデザインに、僕は一発でピンときた。
「腕時計、欲しそうに見てたから」
「あ、うん、便利だから欲しいとは思ってたけど……」
まさか、僕はそんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。自分はそこまで物欲に塗れた人間ではないと思ってたけど……気を付けよう。
「ホントに、貰っていいの?」
「勿論!」
断言する双葉さんだけど、僕としては平野君の気持ちの方が気になる。死人に口なし、といえばそれまでだけど……折角、使えるモノをセンチメンタルな感傷で放棄するほど、僕はロマンチストじゃない。
一日にも満たない、ほんの短い間だったけど、それでも仲間として、この遺品はこれからのダンジョン攻略に役立たせてもらおう。
「ありがとう」
さて、これで準備は整った。もう少しだけこの妖精広場で体を休ませたら、また、先の見えないダンジョンを進んで行こう。




