アウトロー
「それじゃあ、各自の仕事に取り掛かりましょう」
ちっ、何が仕事だよくだらねぇ————と心底思いつつも、反抗心だけで黙って座り続けることもできずに渋々と立ち上がるのは、横道一。
その言動と性格から、クラスからは腫物扱いされる問題児は、当然のことながら素直にみんなと学園祭を楽しめるメンタリティなどしていない。彼の胸中としては、去年の小太郎と同様、上の奴らが勝手に決めて勝手に盛り上がっているだけで、彼らの都合で巻き込まれて雑用を押し付けられている俺は理不尽を被っている、といったところ。
もっとも、去年の学園祭においては小太郎は勝と共に多少の無理を押してでも全責任を押し付けられた店舗設営をやりきっていたが、今年の二年七組での横道に大した仕事は割り振られてはいない。
下手に波風が立たぬよう、当たり障りない仕事を割り振った杉野の采配だ。
しかし、それに気づかぬのは本人ばかり。杉野がどれだけ気を使って各人に仕事の割り振りをしているか、その苦労と成果を正確に理解しているのは、涼子と小太郎、そしてヤマジュンといった極一部の生徒のみであろう。
「高坂君、雛菊さん、教室の方は任せるよ」
「おーう、了解だぜ」
「はい」
「何かあったら、すぐに連絡して」
裏方チームは三手に分かれる。教室内で作業する内装班と、小道具班。そして屋外で大掛かりな外装を手掛ける大道具班。
内装班は高坂宏樹、女子中心の小道具班は雛菊早矢をリーダーとして教室作業を任せ、杉野は大道具班を率いて、あらかじめ確保しておいた作業場へと向かった。
「クソっ、なんで俺がこんな奴らと……」
到着早々、横道は小声で呟くことも憚られる台詞を心中で叫んだ。
視線の先は、杉野の前に立つ二人に固定されている。
「協力してくれて、助かるよ」
「へへっ、杉野に睨まれちゃあサボるワケにはないかねーしなぁ?」
軽薄なヘラヘラ笑いを浮かべているのは、樋口恭弥。横道が最も毛嫌いするDQNの代名詞みたいな男子生徒だ。
実は一年から同じクラスであり、折に触れて樋口からぞんざいな扱いを受けており、それは二年になっても変わりがない。横道は去年の学園祭ではクラスの奴隷として働かされていたが、樋口は興味ないのか面倒臭いのか、派手めな女子を連れてどこぞをほっつき歩いていたという、これ見よがしに気に食わない行動をしていたので覚えがあった。
だが今年は真面目に大道具班として働きに来ているところを見て、ちょっと強そうな相手にはすぐに従うクソザコ三下ムーブしやがって、と盛大に心の中で罵倒をするのだった。
「つまんねー授業受けるより、日曜大工していた方がマシだからな」
そしてもう一方は、樋口を超える最強の不良生徒、天道龍一だ。
一年の時に黒高四天王を一人で全滅させただとか、バイクで撥ねられても無傷だったとか、嘘か真か様々な武勇伝がクラスでほぼ交友関係皆無な横道にも聞こえてくるほど。そんなワケねーだろ、不良漫画じゃねぇんだぞ、と思っていたが、二年七組となって初めて本人を目の前にした時に、その迫力に圧倒された。
別に天道に睨まれたワケでもなんでもない。恐らく自分のことなど認識すらしていないだろう。しかし気分は、サバンナで運よく先にライオンを発見したトムソンガゼルの気持ちになってしまった。
恐れを誤魔化すように嫌悪し、社会のゴミと見下していた不良を相手に、一目見ただけで存在の格を勝手に思い知らされたのは、横道のコンプレックスを意識的にも無意識的にも大いに刺激したのだった。
「ちっ……」
結局のところ、今の横道に出来ることは小さく舌打ちをするだけで、唯々諾々と指示に従って作業をするのみ。
現場監督たる杉野がいるだけでも手は抜けないのに、樋口と天道もこの場にいるのだ。
意外と器用なのか、そつなく制作作業をこなしていく二人を前に、早速カッターで指を切ったりした横道はすでに劣等感でイラつきが止まらなかった。
「ちくしょう、クソ共が偉そうにしやがって……どうせお前らなんて異世界転生したら復讐されてざまぁされるだけの雑魚のくせに……」
不慣れな作業をしながら、クラスで異世界召喚されて自分だけチート能力を獲得して無双する妄想に没頭。せめて空想の世界でくらい、自分が一番にならなければやっていられない。
そうして、チート能力『スキルイーター』でモンスターのスキルを奪いまくって全属性攻撃と全耐性を獲得した辺りで、鐘の音が鳴っていた。
「よし、休憩にしようか」
チャイムはちょうど二時間目が終わった時刻を示している。昼まで根を詰めて作業するのも良くないので、適度なタイミングで休憩をいれようと杉野が号令をかける。その声に各自が道具を置いて気を緩めたその時だった。
「みんなお疲れ様ぁー」
聞き覚えのある、でも初めて聞いたような愛らしい声が響いた。
蒼真悠斗に次ぐイケメンでもある天道がいるせいで、女子が色目を使いにやって来たのだろうビッチが、などと思いながら振り向けば、
「おやおや、どこのお嬢様かと思えば……化けたねぇ、桃川君」
「うふふ、ごきげんよう」
淑やかに微笑む美少女は、百合物語で描かれる深層の令嬢が如き。
純白のワンピースに、フリルのついたエプロンを被っているだけのシンプルな出で立ち。だからこそ、その輝く様な白さと儚げな小さな細身が際立っている。
だが杉野がすでに答えを言っているように、その正体は紛れもなく桃川小太郎。つまり、男だ。
「……」
そんなことは分かり切っているのに、横道は目を奪われた。奪われてしまった。
どれほど脳内で「だが男だ」と必死で連呼しても、視線が逸らせない。
「おいおい、スゲーな、マジで女子になってんぞ。普通にイケるレベルじゃん」
「蘭堂さんがガチればこんなもんだよ————おっと、樋口君、スカート捲りなんてイタズラしたら、愛しの彼女さんに通報しちゃうかも」
「へへっ、冗談だって。おいマジで余計なこと言うなよ、絶対言うんじゃねぇぞ」
ノリと勢いで手を出そうとしていた樋口を、豪邸で飼われているシャム猫のような笑みであしらう姿も品がある。
「それで、我らがメイド長様がどうしてこんな場所へ?」
「ふふん、見ての通り、差し入れだよ」
小太郎が手にした銀色の丸盆には、カフェオレの満ちたデカンタと耐熱紙コップ。そしてクッキングシートを被せられた、焼き立てのクッキーが盛られた大皿が載っていた。
「料理チームの練習成果だから、遠慮せずに食べていいよ」
「ありがとう。ちょうど甘いものでも摘まみたかったところだよ」
鷹揚に笑って、杉野は差し出された大皿からまだ熱の残るクッキーを一枚とって頬張った。
小太郎は原型ができたカウンターへと丸盆を置くと、先週から毎日欠かさずメイド修業を続けてきた成果のように、流れるような動作でカフェオレを人数分注いでゆく。
「砂糖が必要な人は言ってねー」
「そのままでいいや」
「俺は入れてくれ」
ゾロゾロと小太郎の元へと大道具班の野郎共が群がって来る。
砂糖ナシの者へ先に渡してから、小太郎はスティックシュガーの封を切り、プラスチックのマドラーを手に詠唱を開始した。
「おいしくなぁーれ」
「お、おい桃川それ……」
「そのサービスあんのかよ! ズルいぞ!」
小太郎の予期せぬ行動に面食らった山田に、先にカフェオレを啜っていた高島が文句の声を上げていた。
二年七組の野球部コンビの反応に、小太郎はニヤリとする。
「じゃっ、次は砂糖入れてくれ!」
「二杯目からは有料になりまーす」
「金取んのかよ!?」
「300円」
「コンビニコーヒーより高ぇ!」
そんな風にワイワイと騒いでいる和の中に、当然のように横道は入ることが出来なかった。
自分から向かって行ける性格ならば、こんな扱いになどなってはいない。
そして何より、そんな横道を気にかけてくれる者もいない。善意も好意も返す気のない者になど、構うようなお人よしなどいないというのも、また当然の話。
こんな横道でもイジメにまで発展せず、かといって完全にハブるわけでもなく最低限クラスのレクリエーションに参加できるよう取り計らっているだけ、恵まれた環境だと言えよう。
けれど今だけは、自分の性に合う合わないという普段の価値基準ではなく、ただ単純に近寄りがたかった。
男と分かっていながらも、どうしようもなく目を惹いてしまう美しい少女に、とても自分から近づける気がしない。
「————ほら、これ横道の分」
「んあっ!?」
ただその場に座り込んで俯いているところに、急に声がかかって横道は間の抜けた声を上げた。
目の前には、湯気の立つカフェオレを差し出すメイド長様。
「砂糖入れんの?」
「いっ、いぃ……れる」
「おいしくなぁーれ」
本人にはただの練習、その場のノリ、くらいの意味でしかやっていないだろう。
けれど伏し目がちに、ゆっくりとマドラーを混ぜる手つきは、遥か異国の教会で敬虔な祈りを捧げる修道女の如き清らかさを感じてしまう。
「クッキーの取り皿はないから、自分で持っててよ」
ならばこの掌へと、ヒョイヒョイと適当に大皿から見繕ったクッキーは聖餐か。与えられたちょっと焦げ目のついたクッキーが、どこか尊いもののように思えてくる。
一杯のカフェオレと四枚のクッキー。それだけが横道に与えられた全て。
与えるべきものを配り終えたのだと横道が悟ったのは、踵を返した拍子にワンピースの裾を翻って、フワリと華やかな香りが鼻孔を突いてからだった。
「もっ、桃川!」
「んん?」
と振り向く様は、見返り美人。呼び止めたものの、咄嗟に言葉が出てこない。
「あっ、あぁ……」
声が詰まる。
けれど、言わなければならないと思った。それは横道自身が久しく忘れていた、使命感のような感情で、
「んあぁ……りがと……」
感謝の言葉など、口にしたのは何年振りか。
他人に対して口を開けば、他人行儀か文句ばかり。いちいち何かを貶めなければ、話も出来なくなったのはいつの頃からか。
捻くれた性根と鬱屈した劣等感から、久しぶりに出た感謝の言葉は、どこまでも不格好だった。
それを小太郎は笑った。
「スマイルはゼロ円サービスしといてあげる」
咲き誇る大輪の華のような笑顔で。
颯爽と去って行く後ろ姿を見送って、何故だか涙が滲み出てくるのを感じながら、横道は紙コップのカフェオレを啜った。
そんな横道の情動などいざ知らず。小太郎は最後に残ったはぐれ者の元へと向かう。
「天道君も一杯どう?」
「ああ、悪ぃな」
作業場の隅にどっかりと腰を下ろし、堂々と一服している龍一へと小太郎はやって来た。
「砂糖は?」
「ヤニ吸ってて甘ったるいのは勘弁だな」
「ブラック派」
「そんなとこだ」
「うわ、イメージ通りだよ」
「そういうお前はどうなんだよ」
「コーヒー牛乳大好きー」
「イメージ通りじゃねぇか」
ほぼ初めての会話となるが、本気女装バフとメイド長の立場によって、龍一相手でも小太郎は気安く言葉を交わしていく。普段であれば高校生離れした威圧感を発する天道相手にロクに口も利けないだろう。
小太郎が喋りながらカフェオレを淹れ、カップを差し出すと天道の手に煙草はない。
まだほとんど吸い始めだったはずだが、もう手元から消しているところを見ると、どうやら今の小太郎を相手に紫煙を近づけるのをよしとはしなかったようだ。
最強不良生徒のさりげない気遣いに気づいてドキっと……することはなく、小太郎は意外と細かいとこ気にしてくれるんだな、と素直に評価していた。
それから、本当にただの粗暴なヤンキーだったら、蒼真兄妹との付き合いが上手くいくはずもないか、とも思うのだった。
「それで、どうかな? 感想よろ」
「まぁ、美味いんじゃねぇの」
「いや僕について」
「馴染み過ぎて怖いくらいだ」
それは単に女装の見栄えだけではない。
龍一自身は喧嘩殺法の我流だが、幼い頃から蒼真悠斗の洗練された武術の動きを見て来ている。人の動作を見抜くその優れた観察眼が、小太郎がただ女装しているだけでなく、歩き方や配膳の所作の一つ一つが、明らかに女性的な動作となっていることを捉えた。
恐らく、クラスの男子はあまりにも似合い過ぎた女装姿に目を奪われているだろうが、それ以上に妙な色気を感じさせている仕掛けに気づいていないだろう。その魅力の源泉が、小太郎が意図的に演じているメイド仕草であることに一目で理解できるのは、龍一の他には蒼真兄妹と剣崎の武術を嗜んでいる者だけであろう。
「ふふん、カワイイ方が守り甲斐もあるでしょ」
「勝手にボディガードにすんな」
「天道君は黒服をやるか、料理を教室まで運ぶかの二択だけど、どっちがいい? 僕のオススメは黙って座っているだけでいい黒服だけど」
「分かった分かった、やってやるって。つーか、もう涼子から聞いてんだろうが」
「まぁね」
お前が暴れたせいで黒高の馬鹿どもが襲ってくるかもしれねぇんだぞ、と非常に言いにくいことをハッキリと伝えられるあたり、流石は委員長だと、早々に龍一に黒服役を承諾させてきたと聞いた時に、心底思ったものだ。
だがそんな根回しなどなくても、龍一は恐らく黙ってクラスを守っただろうと、小太郎は本人と言葉を交わして確信した。そしてきっと、彼のそういうところが魅力であり、それを悠斗や委員長は知っているのだと。
「いざって時は、よろしく頼むよ」
「おう」
「カッコいいとこ見せてくれたら、僕もサービスしちゃうかも」
と、チラっとワンピースの裾をめくり上げて、ギリギリまでほっそりとした白い太ももを露わにする小太郎に、龍一は急な頭痛に襲われたような表情で言った。
「お前、今の格好で冗談でもそういう真似はしない方がいいぞ」
「なんで?」
小賢しいくらい頭が回るくせに、本気で分かっていない顔をしている小太郎に、龍一は溜息を吐く。
「下手すりゃ性癖歪む」
「あっはっは、そんな馬鹿な。所詮、僕なんてただの女装野郎だよ。男が本物の女体の魅力に勝てるワケがないじゃあないか」
「そりゃお前くらい筋金入りの巨乳好きならそうだろうが」
「ちょっと待って、なんでソレ知ってんの? どこ情報? ねぇどこ情報ソレ?」
急に真顔でグイグイ来る小太郎に、そういうのも止めろ、と言いながら適当にソースは誤魔化す龍一。
しかしながら、言っていることは正しい。
小太郎のような爆乳豊満を好むというのは、女性の体形でしかありえない、強烈な女体への信仰とも言える。
おっぱいが嫌いな男はいないが————それ以上に、顔を重視する者は多い。
嘘偽りなく本心のみで女性に求めることアンケートをとったならば、『顔』は不動の一位を貫くであろう。勿論、小太郎は一位『乳』二位『尻』三位『太もも』だ。
「僕だけ性癖筒抜けで途轍もない生き恥なんですけど。お詫びに天道君の性癖も開示すべき」
「いいか桃川、ツラがいい、カラダがいい、だけの女は止めておけ」
「やっぱり委員長くらいしっかりした女性じゃないとダメだと」
「ともかく、今のお前のツラはそれほどのもんだってことだ。変に勘違いするバカが出てきたら面倒だぞ」
「そんな心配してくれたの、天道君だけだよ」
優しい、素敵、とでも言いたげなあざとい上目遣いを繰り出す小太郎を、龍一は睨む。
「だから、そういうのを止めろってんだよ。今のお前は桃子だって自覚しろ」
「桃子って……安直すぎ、ぷくく」
「うるせぇ」
「はーい、桃子、静かにしまーす」
ニコニコで調子に乗る小太郎の態度に、溜息一つだけじゃ堪えきれんとでも言うように、食べるつもりはなかったクッキーに龍一は手を伸ばす。禁煙して口元が寂しいから、ついお菓子を摘まんでしまう、という話の意味を理解した瞬間でもあった。
「ねぇ、やっぱ源氏名はあった方がいいかな」
「その方がらしい、んじゃねぇのか」
「蒼真君の源氏名は何がいい?」
「桜子」
「決まりだね」
他でもない親友の命名ならば嫌とは言うまい。
「じゃあ、委員長は?」
「鬼畜眼鏡」
「……今のは聞かなかったことにしておくよ」
「そうしてくれ」
などと意外なほどに話が弾んだ小太郎だが————そんな二人の姿を、すでに歪んでしまった男子がじっと見つめていることには、流石の龍一も気が付くことはなかった




