開催一週間前
十月十一日、火曜日。
振替休日の月曜休みも開けて、僕は気怠い体を引きずるようにして何とか登校を果たした。
「おはよー、桃川君」
「……おはよう、姫野さん」
たまたま校門前で出くわしたのは、先日の試食会のお陰で随分と気安く喋れるようになった姫野さんである。
僕のローテンションな様子にニヤつきながら彼女は言う。
「昨日はいい夢、見れたんじゃない?」
「いい夢過ぎて、現実に戻って来るのに苦労したよ」
冗談ではなく、そんな気持ちであった。
和やかに終わるはずだった試食会で起こった、衝撃のおっぱいインパクト。
正直、双葉さんが悲鳴を上げた後、どうやってあの状況が収まったのかあんまり記憶にない。なんだかワイワイ騒いでいたような印象と、あんなに叫んでいたのに手に持った紅茶のお盆は絶対に落とさなかった双葉さん凄いな、と思った記憶しかない。
お陰様で、叫び終わってからお盆を置くまでのたっぷり数十秒間、白き女神の双峰を堪能させてもらった。あの奇跡の光景は、一生僕の脳みそメモリーに焼き付いて離れないことだろう。
あまりの感動に、期待のSF抜きゲーさえ霞んでしまったほど。やっぱリアルには敵いませんわ……
「ホントにちょっとクマできてるし。コンシーラー貸そうか?」
「自分のがあるからいいよ」
姫野の意趣返しに苦笑いで返しながら、僕らは教室へとやって来た。
「————それでは、今週からついに本格的な準備期間に入ります」
鐘がなるなり朝のHRを、極限まで影の薄い担任から流れるように教壇を奪い取った委員長が、早速音頭を取る。
いよいよ白嶺学園文化祭が、一週間後に迫って来た。ここからの一週間は、授業は全て休止され、学園祭に向けての準備時間に充てられる。
そんなに時間を割いて大丈夫かと思うケチな保護者もいるようだが、伝統的に白嶺学園では学園祭準備は生徒の自主的な活動を行う貴重な教育の一環とされており、これだけの時間を与えられるのだ。私立は伊達じゃないね。
「まずは杉野君」
「うん、今日から早速、店舗設営に入るよ。完成イメージは前にみんなに見せた通り。材料は揃えたし、作るモノも決まっている。後は時間との勝負だから、集中して作業して行こう」
裏方チームも今日から本格的な制作へと入る。
クラスによっては、早々に大道具小道具作りを始めているところもあるけれど、大体そういうところは見切り発車でやっているか、お化け屋敷担当のように設営が大がかりなところくらいだ。
まだ授業やってるのに、デカい壁やらインテリアやら作られても置き場所に困って邪魔になるだけだしね。そういうのに限って、前日くらいに壊れたりするんだよ。
杉野君はその辺をよく分かっているようで、これまでの間に裏方チーム全員に対して完成イメージの共有と、材料調達に作業手順といった事前準備に力を注いでいた。
効率的なプランだけれど、ついすぐ制作に取り掛かりたくなるところを、グっと堪えてチームを統一して事前準備だけに集中させた杉野君の手腕は凄い。去年のクラスに彼がいてくれれば、あんなグダってクソ進行にならなかったことだろう。
「裏方チームはこれからが一番忙しくなるわね。私達も応援に入るから、何でも言ってちょうだい」
「ありがとう、助かるよ」
委員長と杉野君がこういう風に話しているのを見ると、完全に社会人だよね。ガンガン出世していく若きエリートみたいな。
僕は出来るだけノンビリ働きたいけどね。趣味が最優先なもので。あーあ、適当に書いたラノベがうっかり大ヒットして平均的生涯年収2億を一発で稼げたりしないかなぁ。
「次は双葉さん、お願いね」
「はい。今日中にメニューを全て決定してから、食材の発注を最優先でします」
いよいよ学園祭が迫って来たこの時期に至って、双葉さんも料理長の風格が出て来たか。堂々とした態度で委員長に応えている。
だが隣に座っている僕からすれば、その堂々とした大きな膨らみに目が奪われてしまう。
「そうね、食材発注はやっと今日からできるようになるから、先に済ませるのは正解だわ」
「モノによっては、ギリギリになりそうなのもあるから」
「頼むだけとはいえ、普段やらない面倒な仕事だから、肝心の食材をギリギリまで発注していない、なんてこともあるけれど、双葉さんに任せておけば大丈夫そうね」
「こういうの、私は初めてじゃないから、うまく進められると思うよ」
そういえば試食会の時に、食材調達について話を聞いたな。
双葉さんは料理部が誇る一流シェフとして、活動の際には自らこだわり食材をお取り寄せすることもしばしば。その上さらにプライベートでも料理をガチっている彼女は、そんじょそこらのスーパーマーケットに並ぶ凡百の食材だけで満足できるレベルはとっくに超えている。
欲しい食材を調達するためのリサーチは欠かさず、高校生なのに何か取引先みたいなのもあったりするらしい。
「頼もしいわね。何か分からないことや困ったことがあれば、すぐに言ってちょうだい」
「その時はよろしくね、委員長」
うーん、料理チームも問題はなさそうだ。双葉さんの指示に従っていれば間違いない。圧倒的な実力を持つリーダーがいると、安心できていいね。僕もそういう人の下で無責任に働きたいな。
「それじゃあ、桃川君」
強いリーダーシップを発揮する杉野君と、自分の強みを遺憾なく発揮している双葉さんに続いて発言するのは、それだけでちょっとしたプレッシャー。
休みの間はおっぱいインパクトの衝撃で呆然としてしまったが……いやぁ、金曜日の内に仕込みをしておいて良かったよ。
「まずは一番の仕事になる、衣装についてだけど————蘭堂さん」
「ほーい、用意してきたぞー」
僕の呼びかけに呑気に答えながらも、キラキラとコーデされたキャリーバックをドーンと机の上に置く。
蘭堂さんに続いて、執事兼スタイリストを務めるジュリマリコンビも、同じように机にバックを置いた。
「三連休の間に、スタイリストチームがメイド全員分の化粧品と、ウィッグや小物なんかを可能な限り調達してもらった」
「もぉー、あんま金かけずに集めんの、苦労したんだからなぁ」
「本当にありがとうね、蘭堂さん。野々宮さんと芳崎さんも、ありがとう」
「そうそう、マジ大変だったわ」
「アタシらの人脈あってこその成果だかんな」
「今度、ランチでも奢るから」
三人の働きには本当に感謝している。ただの女子高生では、これだけの収穫は見込めなかっただろう。彼女達だからこそ、というのは誇張ではない。
「化粧品が揃わなければ、賑やかしのモブメイドはすっぴんでも良かったんだけど、これだけあれば、それなりの仕上がりが期待できるよ。君達、本気で女装する覚悟は十分か?」
「おおおぉ! 俺はやるぜっ、桃川!」
威勢よく声を上げたのはやっぱり葉山君だ。
他の面子は、正直ちょっと微妙な反応。お前ら、人の女装を散々弄っていたんだ。報いは受けてもらうぞ。
「あ、これ領収書ね。十分メイドチームの予算に収まっているから、安心してよ」
朝HRの前に蘭堂さん達から回収しておいた領収書と、建て替えてもらった分のお金はすでに渡してある。どうせクラス予算で降りるから二度手間にはなるけれど、素晴らしい働きをしてくれた彼女達に、余計な手間をかけさせたくはない。
ついでに、キリのいい金額でちょっと色をつけて渡しておけば、事務的に一円単位で受取るよりもいいだろう。
「まさかここまで準備したなんて、驚いたわ。予算もかなり抑えられているし、本当に助かったわ、ありがとう」
よしよし、委員長も領収書をチェックして納得のご様子だ。
次いで会計役に就任した東君にも流れるように渡されるが、特にケチのつけようもなく、淡々と帳簿に書きこんでいるのみ。
こういうところで、良かれと思って予算をジャブジャブ使って顰蹙を買っちゃうのも、学園祭でよくある失敗である。金銭感覚は人それぞれだが、常識的なラインは見極めておかないとね。
「メイドチームはこれから全員でメイクの練習かしら? 思ったよりも騒がしく、もとい忙しくなりそうね」
「おっと委員長、僕のターンはまだ終わってないよ」
準備期間の仕事としては、本命の衣装調達に加えて全員のメイクだけで十分ではあるけれど、僕だって色々と考えて来たんだ。双葉さんのお胸様を拝謁させていただいた分くらいは、頑張らないと罰が当たるってものだよ。
「へぇ、まだ何かあるの?」
ありますとも。若干の期待が籠った委員長の視線に、僕は不敵に笑って返した。
「今日明日中に、看板とビラを仕上げる————名付けて、フライング広告戦略」
二年七組の逆転メイド&執事喫茶、最大の強みは美形で揃えたキャスト魅力だ。
蒼真兄妹を筆頭に、すでに顔も名前も学園中に知れ渡っている者もそれなりにいるから、彼ら彼女らがメイド・執事をやる、という情報だけで十分な客足は期待できる。
だがしかし、本当にそれだけでいいのだろうか。中には蒼真兄妹の存在を知らない生徒だっているだろう。一年生なんかは、部活の後輩でもなければ接点などないし、名前は知ってるけど顔は見たことない、という者もそれなりにいそうである。
だから僕は、事前に美しく着飾ったエースメイド&執事のビジュアルを全校生徒に先んじて知らしめ、本番への期待感を煽る広告戦略は有効ではないかと考えた。
どの道、撮影サービスで撮られるのだ。先に女装男装姿をばら撒いたところで、なんだという話でもある。
「そんなに早く仕上げられるかしら?」
「勿論、ウチには優秀なカメラスタッフがいるからね————勝、準備は?」
「はっ! すぐにでも撮影を始められるであります!」
すでに首から気合の入ったデジタル一眼レフを下げた勝が謎のテンションで答える。あります、って何だよ。普通に言えよ、恥ずかしい。
だが、誰でもできる雑用ではなく、明確に自分へと割り当てられた仕事に対して、ヤル気を漲らせているのは本当だ。そして僕は、こういう時には必ずいい仕事をしてくれるということを知っている。
「杉野君から、撮影用のグリーンバックが用意できてるのは確認してるから。後は文芸部室からパーティションを借りて張っておけばいい。僕らがおめかししている間に、簡易の撮影所は完成するね」
「撮影は俺が、アシスタントとして佐藤と伊藤を借りてるから」
アシスタントの佐藤裕也と伊藤誠二に声をかけたのは勝だ。二人とも、僕らよりもライトなオタなので、多少の交友がある。完全なド素人よりも、多少はコスプレ撮影について理解のある人材の方がマシというか、他に適当な人もいないというか。
「撮影が終わり次第、すぐにデータを取り込んでビラ作りに入る。デザインは勝をリーダーにして、美術部の中嶋君とイラ部の篠原さんに協力してもらう」
こっちは僕が声をかけておいた。
パソコンにデータを取り込んで、デジタルでビラを作って、そのまま職員室で印刷という流れ。とりあえず部活から、その手のスキルありそうと思って声をかければ、二人共快く了承してくれた。
二人も三連休の間に、ビラのデザインをすでに複数作り上げており、写真を少々加工して、後は貼り付けるだけ、というところまで準備は済ませているという。
「だから、午前中の間にまずは撮影会をしたいんだけど、いいかな委員長?」
「そこまで段取り出来ているなら、文句のつけようはないわね。しっかりキレイに撮ってもらいましょう」
「ちょっと待ってくれ。撮影すると言っても、俺達はまだ衣装が揃っていないだろ? 先週みたいな適当な女装姿で撮るのか?」
いきなり自分に撮影モデルという大事な仕事が出来たことで、ちょっと焦ったように蒼真君が声を上げる。
だが、彼の懸念ももっともだ。折角のビラなのだから、見栄えはしっかりしていなと恰好がつかない。
「確かに本番の衣装はまだないけど……蒼真君はどうかな」
「ど、どういう意味だ、桃川」
僕が意味深な視線を向ければ、何故か怪訝な表情を浮かべる蒼真君。
おっと、僕を見つめても答えは得られないよ。
「綾瀬さんに聞いてみたらいいんじゃないかな」
「レイナが? どういうことなんだ?」
「……やれやれ、どうやら桃川君にはお見通しのようですよ、レイナ」
「もぉー、内緒にしてたのに、なんでバレちゃったのぉ!?」
蒼真さんが僕の意図を察してレイナに言えば、プンスコしながら叫びをあげた。
「桜、レイナ、一体なんのことなんだ」
「実はですね、すでに兄さんの衣装はあるのです」
「じゃーん! ユウくんのために、レイナが用意しましたぁーっ!」
そう、金の力でね。
僕は委員長を経由して、レイナに蒼真悠斗の衣装を購入するよう仕向けておいたのだ。
彼の衣装を用意するならば、この三連休の内しかない。今週からの本格準備期間に入れば、衣装調達の仕事が最優先で始まるため、レイナがポケットマネーでどうこう出来る余地が失われてしまう。買うなら今! と強調して、情報を吹き込んでもらったのだ。
そうしてレイナはこの情報にまんまと飛びついて、金に糸目をつけずに最高のメイド服を調達してきたというわけだ。
「二人でいないと思ったら、そんなことをしていたのか……」
休日の間、妹と幼馴染が珍しく自分と別行動をとっていたのだろう。そのことに思い至ったように蒼真君が呟く。
「ちなみに、私の分もあります」
「レイナのもあるよ!」
よしよし、偉いぞレイナ。ちゃんと蒼真兄妹と自分の分の衣装を、用意してきたな。
この衣装はあくまでも、レイナ・A・綾瀬の個人的な所有物。クラスメイトから徴収可能上限の5000円には含まれず、またクラス予算にも含まれない。
「計画通りという顔ね、桃川君」
「委員長だって分かっていたくせに」
これで夏川さんみたいな人になけなしのお小遣いを費やすような真似をさせれば心は痛むけれど、即日ディスティニーランド行きのワガママが通るレベルのお嬢様なら気にもならない。実際、綾瀬さんは今回の消費など欠片も気にしていないだろう。
三人分合わせて、一体おいくら万円の衣装代となったかは知らないが、金持ちは派手に金を使ってくれないと。経済回していけぇー!
「HRが終わり次第、早速撮影準備に取り掛かりたいけど、委員長の執事チームは何かある?」
「いいえ、桃川君のお陰でこっちは二人分の衣装代が浮いたから。後は私達の分を決めるだけよ」
そもそも委員長がこの時期になって慌ててやらなきゃならんことを残しているとも思えないしね。淡々と必要なことを進めていくだけだろう。
だからこそ、僕の思い付きみたいなアイデアを実行できるだけの余裕を生み出しているのだ。去年のクラスだったら、勝手なことすんな、の一言で終わってたよ。
「それじゃあ、各自の仕事に取り掛かりましょう」
委員長の号令によって、クラス全員が席を立ちあがり一斉に動き出す。
さて、エースでありメイド長である僕は、広告用の撮影のためにこれまでで一番気合を入れたメイクをしなければならないのだけれど、ここから先は、専属スタイリストの仕事だ。
「下地までは済ませておいたから。後はよろしく頼むよ、蘭堂さん」
「ウチに任せとけ。蒼真に負けない美人にしてやる」




