双葉家試食会
十月九日、日曜日。
普段は降りることのない駅へとやって来た僕は、見慣れない景色の中で、見慣れた顔を一つだけ見つけた。
「こんにちは、姫野さん」
「あー、桃川君? こんにち————」
僕の声へ気怠い感じで振り向いた姫野さんが硬直する。
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「いやだって」
「別に今週、毎日見て来たでしょ」
「だからって休みまで女装して来るとは思わないわ」
「大袈裟だなぁ。ちょっとメイクしてきただけだよ」
別にスカート履いてるワケじゃないし。服装は細めのデニムに柄付きのシャツ。そして秋らしく若干の肌寒さを感じる頃合いなので、ベージュのカーディガンを羽織って来た。勿論、これも前回のデートに倣って清潔感重視で選んだだけの新しめの服というだけのもの。
「いやでも、そういう子いるよ」
「こういう格好は男女問わないでしょ」
正論を主張しているはずなのに、納得のいかない表情の姫野さんである。どうして君はそこまで頑なに、僕が気合を入れて女装してきたってことにしたがるんだい。
「むしろ姫野さんの方がラフすぎるんじゃないの?」
「私は別に、双葉ちゃんの家なんて何度も遊びに行ってるし」
「だからって、顔のシミくらいは隠そうよ。コンシーラー貸そうか?」
「アンタどこまで女子力上げてんのよ!」
化粧ポーチを持ち歩く程度には高まってしまった。メイドをやる今だけの話で、決して女装にハマっているワケではないよ。
「そのままオネエキャラになったりしないでよね」
「いやぁ、そういう方向性はちょっと」
などと姫野さんと思いのほか話が弾んでいる相手に、他の面子も集まって来た。
「ごめんなさい、少し遅れたかしら」
「今日はよろしくー」
やって来たのは委員長と夏川さんのコンビ。
委員長が来るのは分かるし、相方として夏川さんがいるのも分かるんだけど、今回のイベント内容を考えると……夏川さんは絶対に食う方メインで来ているだろう。あの昼休みの時、他人のオムライスを略奪していたのは彼女だし、双葉さんのデザートにも手を出していたのも彼女だけだ。
陸上部って、あんまり食事制限的なのはないのだろうか。食った分走るからカロリーゼロ的な? ともかく、夏川さんの食い意地については、すでに僕も与り知るところとなっている。本番の際には、盗み食いに注意しなければ。
「桃川君は女装することで、一人だけ男子であることを隠そうという魂胆なのかしら?」
「えっ、男子って僕一人なの!?」
てっきり空気の読めないことに定評のある蒼真君くらいは確実に来ると思っていたのに。
何という事だ。双葉家に招かれたことで舞い上がって、僕としたことが参加メンバーの確認を怠ってしまった。
「どうしよう、私より女の子っぽいんだけど」
「じゃあ、今日だけ小太郎って呼んでもいい?」
「男子のフリなんて出来ないよっ!」
などと反論する夏川さんだが、無地のシャツにデニムのジャケットを羽織ったボーイッシュなスタイルは、確かに化粧なんぞを施した今の僕よりも少年らしい。委員長と並んで歩くと、姉弟みたいに見えて微笑ましい感じに。
「今日の面子はこれだけよ。あまり大人数でお邪魔するのも迷惑だから」
「双葉ちゃん家なら大丈夫だと思うけど」
「双葉さんの家って、そんなに大きいの?」
「まぁ、行けば分かるわよ」
クスっと含み笑いをする姫野さんがちょっとウザい。
だがしかし、実は双葉さんってお嬢様だったのか。でもあの料理に対する見識は貧困家庭じゃ望むべくもないのだから、当然と言えば当然かもしれない。
「それじゃあ姫野さん、案内よろしくね」
「はーい」
ぼちぼち約束の時間も近づいたことで、委員長に促されて姫野さんの先導で僕らは駅前を出発した。
ほどほど栄えた駅前通りを過ぎて、ちょっとした自然公園を横断して行くと、
「ああ、やっぱり。この辺って有名な高級住宅地よ」
「へぇ、そうなんだ」
「レイナの家もここにあるわ」
「うわぁ」
「蒼真と剣崎の道場もここよ。だから通っているのは、いいところの子が多いの」
「うわぁ……」
あんまり聞きたくなかった情報を、図らずとも委員長から仕入れてしまった。ブルジョワはレイナだけではなかったのだ。金持ちは金持ち同士としか付き合わない的な?
そんな格差社会についての問題提起を考えながら、歩くことしばし。
「うわっ、普通に家デカくない?」
「デカいわよ」
僕の何の捻りもないリアクションに、頷く姫野さん。初見ならこうもなるか。
塀に囲まれた広い庭のある敷地に、ドーンと三階建ての家。そりゃ一階の半分はガレージだけど、車三台並んで入るような広さだ。見上げれば庭に面して、なんか洒落たバルコニーもあるし。
有り体に言って、豪邸である。小学生くらいなら喜び勇んで突撃しそうだが、この年頃になると入るのに躊躇するね。
「ちなみに綾瀬さん家とどっちが大きいの委員長?」
「あっちは本物のお屋敷だから」
うわ、勝負にならねぇ。一体どれだけ悪いことすれば、お屋敷に住める人生を歩めるんだか。
双葉家に圧倒されてる僕を尻目に、姫野は勝手知ったるようにさっさと玄関へと向かい、ピンポーン。というか、ベルの音もリンゴーンって感じで重厚感あるね。
「みんな来たよ、双葉ちゃん」
「いらっしゃい」
そうして僕らを出迎えに扉を開けて現れた双葉さんに、家を見た時よりも圧倒された。
なんか……露出多くない? え、いいんですか、なにこれ、ボーナスステージ?
まず、胸の谷間が見える。結構見える。ふ、深い……いかん、しっかりしろ、このまま深淵に囚われてしまうつもりか。
まず前提として、普段の制服やジャージではまず、胸元が見えることはない。故に双葉さんの保有する大質量兵器が人目に触れる機会は皆無。彼女の性格からしても、魅力アピールで見せびらかすよりも、恥じらって隠す方を選ぶだろう。
だがしかし、今の双葉さんはどうだ。蘭堂さんと真っ向勝負するかのように、がっつり胸元を開いたブラウス一枚を着ており、秋というよりは夏の装い。
そして解放されているのは上だけではなく、下も同様。短い。そう、スカートも短いのだ。
これは明らかにミニのサイズ。かなり攻めた膝丈だ。僕が履けば確実に捲られるだろう、それほど男を惑わせる短さである。
そしてそのミニの裾から伸びるのは、貧相な細い足ではなく、太ももってのは、太いから太ももなんだよ、と怒鳴りつけられているかのように錯覚するほどの、太い脚。白い肉感の暴力に、叩きのめされるような衝撃だ。
「……お邪魔します」
なんとかそう声を絞りだすので、僕には精一杯だった。
双葉さんの肉体的魅力を前面に押し出す正攻法の圧倒的な物量攻撃に、僕は精神的なショックで揺らぎに揺らぎ、必死に平静を装うことしかできない。
「ちょっと桃川君、反応が露骨すぎじゃないの」
「いやでも姫野さん、あれは男子の前に晒していい恰好じゃないよ……ちょっと一言言って、何か一枚羽織ってもらえないかな」
「えー、でも家の中涼しいし」
「親友が露骨な視線に晒されてもいいっていうのかい」
「意識し過ぎだって。双葉ちゃんなら気にしないから」
まったく男子ってのはしょうがねぇ、みたいな雰囲気でクスクス笑う姫野がウザい。
こちとら双葉さんに気にされたら、死にたくなるくらい精神的ショックを受けるんだよ。適当なことを抜かしやがって、この貧相ボディめ。
「はぁ……目のやり場に困るよこれは」
「見るなら気づかれないようにねー」
うるせぇ姫野。だったら双葉さんに上着の一枚でも被せてこいってんだよ!
どこまで我慢が効くのか、果てしなく自分を信用できないまま、僕はニヤニヤ笑いの姫野と連れ立って、リビングへと通された。
「ごめんね、用意するのにもう少しかかるから」
「手伝うわよ、双葉さん」
実に慣れたモーションでエプロンをつけた双葉さんに、すかさず委員長が申し出る。
「私も手伝うよ!」
「美波は待ってる方がいいわね。絶対、つまみ食いしたくなるから」
「ううっ、否定できない自分がつらい……」
自覚はあったのか。そして委員長は親友の行動原理は全てお見通しで、無慈悲な戦力外通告を即時発動だ。
「桃川くんも、待ってていいよ」
「あっ、はい」
僕の身長に併せてちょっと前かがみになるの、止めてもらっていいですか。深淵が……深淵がこっちを見つめて来るんだ……
「桃川君、そこにゲームがあるから、夏川さんと一緒にやって心落ち着けたらいいんじゃない」
いまだにニヤける姫野が、大層立派なテレビを指して言う。
「えっ、この大画面でゲームしていいんですか!?」
「あはは、うん、そこにあるのは好きにやっていいからね」
僕が愛用しているモニターを鼻で笑うような特型サイズのでっかいテレビジョンに、よく見慣れた国民的ゲームハードが繋いである。
それでは双葉さんのお言葉に甘えて、堪能させてもらおう。ああ、コントローラーが手に馴染む。こちらも見慣れたタイトル画面が表示されてくると、姫野の言う通り心が落ち着いて来る。
「あっ、スマシス! 私結構、得意なんだよね!」
「ふふん、やるかい、夏川さん?」
「負けても泣かないでよね、桃川君」
選ばれたのは王道も王道、大人気対戦ゲーム『大乱闘スマッシュシスターズ』だ。横スクロールで4人対戦の、カジュアルな格ゲーというか。敷居の高い格ゲーは全く触らないけど、スマシスはやったことある、という人は多いだろう。
最早、小学校の義務教育。ガキの頃にこれで遊んだことが無ければ、健全な精神の育成に支障をきたすかもしれない、貴重な道徳教材でもある。
多分、レイナはやってこなかったから、あんなんなっちゃったんだろうな。一度でもフレンドにボコられる経験をしておけば、あんなモンスターは生まれなかったのに。
『スリィ……トゥー……ワァン……ゴーォオオオオオオオオオオオオッ!』
妙にねっとりしたバトル開始の合図と共に、僕と夏川さんの一騎打ちが始まった。
「うわっ、ちょっ、桃川君強くない!」
「えっ、なにその動き!?」
「ちょっと待って知らない、私それ知らない」
「当たれぇえええええええええええ!」
「……」
「桃川君、ズルしてない?」
「い、今のなによ……」
「はぁっ!? 今絶対避けたじゃん!!」
「避けんなっ!」
「逃げるな! 逃げるなぁっ、卑怯者ぉおおおおおおおおおおおおお!」
「挑発すんなっ!!」
「もぉもぉかぁわぁあああああああああああああああああああ!!」
「————ご飯、できたよー」
おっと、どうやら本日のメインイベントの準備が整ったようだ。
夏川さんへの接待プレイも、この辺にしておこう。
ふぅ、やはりゲームはいいね。一緒にプレイをすることで、仲良くなれるんだ。また後でやろうね、夏川さん。
「おおぉ……」
呼ばれてやって来た食卓には、きっちり飾り付けられた見事な料理の数々が。例のオムハヤシを筆頭に、代表的な喫茶メニューがズラリと勢揃い。喫茶店で豪遊しなければ、とてもお目にかかれない光景だ。
「それじゃあ、まずは食べようか」
双葉さんの言葉に、異論などあるはずもなく、「いただきます!」と元気のよい声と共に、晴れて試食会スタートである。
「どうかな?」
「前のと味は変わってないと思うわよ」
僕と委員長が最初に手を付けたのは、看板メニュー内定だというオムハヤシ。
双葉さん曰く、コストと手間を下げるために幾つか材料を減らしたり変更をしたと言う。つまり高コスト試作機から、デチューンされた量産機になったようなもの。本番の実戦仕様オムハヤシmk2である。
だがそれで肝心の味が落ちてしまっては本末転倒だと気にしているようだが……特にグルメではない僕にとっては、変わらず美味しい、としか言えない。
「今回のメニューは、料理チームのみんなと話して決めたものなの」
「それなら、特に問題がなければこのまま決定というわけね?」
「でも、かなり安く抑えたところもあるし、味に納得がいかないのも出て来るかもしれないから」
「いやぁ、この料理にケチつけられる人いないでしょ」
「うめ……うめ……」
出来立て、という付加価値を差し引いたとしても、十分すぎるクオリティではないだろうか。パスタやピザも、安く仕上げたという割には色合いも映えるようにしてあるし。
次々と皿に手を伸ばして夢中で貪っている夏川さんの姿を見る限り、味の問題もなさそうだ。
「当たり前にいただいてるけど、サラダとスープってつけるの?」
「えっと、セットメニューとかなら必要かなって」
きっちり一人ずつ用意されているのだが、当然これをつけるにもコストはかかる。
「そうね……学園祭では、そこまで出すのはほとんど無かったと思うけれど」
「大体、単品だけ出すってイメージだよね」
「双葉ちゃんはどうしたいの?」
「折角なら、小さくてもいいからつけた方がいいかな。予算とは相談だけど、人手は十分にあるから」
「そりゃスープとサラダ盛るくらいは私でもできるからねー」
料理チームとは言っても、素人同然の方が多い。双葉さんが飛び抜けて一流シェフというだけで、その他の面子は学生バイトみたいなものでしかないのだ。日雇いバイトでも出来る簡単な作業も必要となってくる。
「優先度はそこまで高くないのなら、最後に予算と相談した上で決めましょうか」
「うん、それでいいよ、委員長」
そんな感じで、割と真面目に試食会は進んで行き、喫茶メニューの正式採用が決まったり、見送られたり、改善案が出たり、実に有意義な時間となった。
これだよこれ、やっぱ葉山君みたいにふざける奴とか、蒼真ハーレムのような害悪集団の介入がなければ、人は建設的な意見のやり取りが出来る、社会的な生き物なのだ。
ほら、女子の中に男子が一人、という状態でも、こんなにスムーズに話し合いが出来ている。
人は分かり合えるんだ……などと思ってしまうのは、きっと幸せな満腹感に包まれているからこそだろう。ごちそうさまでした、双葉さん。
「それじゃあ、みんな紅茶でいい?」
「あー、お茶を入れるなら、僕も手伝うよ」
「ふふっ、メイド長だもんね」
「うん、メイド長ですから」
食後のお茶を淹れてくれると双葉さんが言うので。僕もそれを手伝うこととした。さっきはスマシスでカモの夏川さんボコって遊んでただけったし、お手伝いの一つでもしないと罪悪感もね?
そういうワケで、双葉さんの挑発的なミニスカに包まれた大きなお尻を追ってキッチンへ。
うわっ、やっぱキッチンもデカい。大型冷蔵庫が二台もある。どんだけ食材保管できるんだ。
立派なキッチンにちょっとキョロキョロしている内に、双葉さんがさっさとお茶の準備を始めていた。
「僕も淹れようか?」
「みんなに持って行ってくれるだけでいいよ」
今週、何度も見てきた双葉さんの紅茶を淹れる手つきをここでも披露される。
今の僕に出来ることは、彼女達にミルクとシュガーが必要だったか思い出す程度。委員長はストレートで、夏川さんはミルクとシュガーはマシマシカラメマシ、姫野さんはミルクだけ、だったかな。
メイド修業のお陰で、大体のクラスメイトからオーダーを受けているからね。三人からは直接、好みを聞いているから、よほど気分が違っていなければコレで間違いないだろう。
「凄い、桃川君、そこまで覚えていたんだね」
「今度は双葉さんの好みも教えてよ。このメイド長が心を込めてお出しします」
「そうだね、ありがとう」
双葉さんにお茶を出すなら、やっぱりいつまでも頼っていないで自分で淹れられるようにならないとダメじゃん、と思いながら彼女からお盆を差し出された瞬間であった。
バチィン————
と音を立てて弾け飛んだボタンが、僕の額に直撃する。
「痛っ————」
反射的に声が出たが、途中で止まる。額の小さな痛みなど、全て吹き飛ばすほどの衝撃的な光景が目の前に現れる。
おっぱいだ。
これは、おっぱいだ。大きいおっぱいだ。
爆音を上げて飛び出て来たかと錯覚するほど、僕の頭よりデカい特大の乳房が視界一杯に広がる。
こんな状況でも頭は回るのか、双葉さんの胸元のボタンが弾け飛んだんだな、と理解が及んでしまう。だがそれだけで、適切な行動には何ら繋がることはなかった。
そこまで分かっているなら紳士的な対応をしろよって話なのだが、僕の体はピクリとも動かず、今、全身のパワーは全て両目に集中されていた。
意図せず目の前に曝け出された爆乳は、普段なら絶対にお目にかかれない、薄桃色の特大ブラに包み込まれている。バスケットボールも収まりそうなサイズのブラにみっちり詰め込まれて形成される白い谷間に、僕は視線ごと精神も吸い込まれて行きそうな気持ちであった。
「————キャアアアアアアアアアアッ!?」
絹を裂くような悲鳴が上がって、ようやく時が動き出す。
この後、僕にはきっと試練が訪れることだろう。けれど、そのことに恐れはない。
なぜなら僕は今、神様の存在を信じられるからだ。ああ、神様、ラッキースケベって、実在したんですね————
◇◇◇
「双葉ちゃんさぁ」
「あ、あれは違うの……」
「攻めた服装で魅力アピールとは言ったけど、あそこまでサービスするのはやり過ぎだと思うんだけど」
「あれは違うのぉ……」
試食会後に行われた芽衣子と姫野の反省会は、夜更けまで続いたという。




