メイド修行(2)
人ってのは、慣れる生き物だ。大体のことは一週間も続けていれば、慣れて来るものである。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「うん、かなり様になって来たわね、桃川君」
満足気な笑みを浮かべて、委員長が僕の挨拶に太鼓判を押してくれる。
女装するだけで大騒ぎなのも最初だけ。毎日やってりゃ僕だって慣れるさ。それも基礎の基礎である簡単な接客。そんな御大層なものではない。
「お帰りなさいませ、ご主人様―」
「やっぱり悠斗君は、まだちょっとぎこちないわね」
一方、いまだに恥じらいを忘れられないのか、蒼真君はちょっと動きが怪しい。
昨日はいつものよりも短いスカートを履かされたせいで、気が気じゃなかったみたいだし。そして上中下トリオに絡まれて「ウェーイ!」って奇声を上げながらスカートを狙われたことで、さらに大騒ぎだったし。
全く、蒼真君もスカートの長さなんていつまで気にしているんだか。ちゃんとスパッツ履いていれば、何も恥ずかしいことなどない。
見ろよ、僕なんてもう当たり前のように蘭堂さん並みのミニを履いているのだぞ。腰元ちょっとヒラヒラする程度のアクセサリーみたいな感覚でいればいいんだよ。
「も、桃川君、足! 足を閉じないと!」
「んん? ああぁ、ごめんねヤマジュン」
おっと、あまりにも慣れ過ぎたせいで、机に座っては堂々と大股開きだったよ。仮にもメイド役をやるならば、お淑やかにスカートガードもしなければ。
しかし、男と分かっていてもミニスカートが広がっていれば、つい覗いてしまいたくなるのが本能なのか。チラホラと視線は感じたね。
勿論、僕はそれを咎めたりはしない。何故なら、僕だって同じだから。蘭堂さんが同じように座っていたら、バレるの覚悟でガン見しちゃうだろうからね。
ヤマジュンのご指摘通りに足を揃えてお行儀よく座り直していると、ぼちぼち仕事の時間がやって来る。
「失礼します。空いたお皿をお下げいたします」
飲み切ったカップと小皿を手早くトレーに回収。
喫茶とはいえ、あくまで学園祭の模擬店である。いつまでもお喋りされて居座られても困る。なので暗黙の了解として、皿を下げたらもう出ろよ、という合図なのだ。
まぁ、食べきった直後に下げるのもアレなので、ちょっと一拍置いてから声掛けするのがマナーか。こういうところで、学園祭の投票ポイントにかかってくる。
そういうワケで、適度なタイミングを見計らって、僕はやって来たというワケだ。
「なんかマジで桃川、慣れて来たよな」
「女装してるだけの簡単な作業だよ」
本日のお客様は、平野君である。出席番号18番、僕の手前の番号なのでちょっとした縁がある男子だ。
彼は頬杖をつきながら、素直に感心したようにそんなことを言われた。
「その格好で堂々としていられるのがスゲーよ。女子に混ざっても違和感ないぞ、お前」
「ありがとうございます」
パっと営業スマイルが出せる辺り、自分でも慣れて来たなと感じるね。
「おおー、メイド長の貫禄だな」
僕の対応に笑いながら、平野君はお客様役を全うするべく一旦、教室から出て行くために自分の席を立ちあがった。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
そしてお見送り。
この一連の流れも慣れているので、昼休みの間に2,3ループは出来る。
「ああっ、オイ、勝手にクッキー獲んじゃねぇ!」
「邪魔くせぇぞ、退けやぁ!」
「ぎゃははは!」
一方、他の男子メイドはいまだに接客練習する度に、なんやかんやと騒いで遊んでいる。お世辞にも捗っているとは言えないが、まぁいいだろう。とりあえず今の時点では、各々、女装の格好に慣れさえすればそれでいい。
そんな雑魚メイド共を尻目に、僕は次なるお客様をお出迎え。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「チィーッス。ここが噂のメイド喫茶? へぇ。キミ結構カワイイじゃーん」
げっ、樋口。
チンピラ全開の台詞をニヤニヤ笑いで言い放つ樋口は、どうやら自分のキャラというのを良く分かっているらしい。
カワイイじゃーん、と心にもないことを言いながら、無遠慮に手を伸ばし僕の頭に触れた。
「当店はお触り禁止でございます」
「いいじゃんいいじゃん、ちょっとくらい」
ヘラヘラ笑って撫でてから、樋口はパっと手を離す。
次の警告が飛んで来る前に手を離すあたり、コイツなんかこういうの手慣れてるなって思う。
「お席へご案内いたします」
と、先導するべく僕が背を向けたその瞬間、
バッ!
翻るスカート。捲られた、と瞬間的に理解はするものの、咄嗟にスカートを抑える手が出ないあたり、自分が男だなと実感した。
女子がスカート抑えるのって、あれ完全に反射行動だよね。
「樋口ぃ……」
幾ら何でもおいたが過ぎるぞと、僕はメイド役を投げうって睨みつけるが、
「へへっ、気をつけろよ、桃川。黒高生みてぇなサルは考えるより先に手が出るからなぁ」
全く悪びれずに笑いながら、樋口はトンと僕の肩を押す。
「そーいう奴には、手の届く間合いに入るんじゃねぇぞ」
「……ご忠告、どうも」
ふざけて言っているようだが、そこに一理はあると僕は思った。
確かに、如何にもすぐ手が出そうな相手を前に、手を伸ばせば届く距離に立つのはまずい。
特にこの店は女装メイドと銘打っている。男相手ならスカート捲りしても大丈夫、くらいの頭の軽さと衝動的な実行力を持つアホならば、これ見よがしにヒラヒラと短いスカートを前にすれば、これくらいやらかすだろう。
なるほど、ヤバそうな奴、と分かっていたくせに、近すぎる間合いに立った僕の落ち度というワケか。
仕方ない。ここはコンドームをくれた恩に免じて許してやろう。
「コーヒーで頼むわ」
「かしこまりました」
ドカっと席に座った樋口のオーダーを受けて、僕はいつも通りにシェフ双葉の下へコーヒーセットを取りに向かう。
「桃川くん、大丈夫……?」
「別に大丈夫だよ。こんな教室のど真ん中で、大それたことなんてできないんだから」
不安そうな表情でトレーを渡してくれた双葉さんに、僕は苦笑いでそう応えた。
「お待たせいたしました、コーヒーセットでございます」
配膳はもうルーチンワークみたいなもの。さっさと置いて離脱しようと思ったが、
「ちょっと待てよ」
ちっ、なんだよ。思わず舌打ちが出そうになる気分を抑えて、僕は作り笑顔全開で振り向いた。
「はい、なんでしょうか、ご主人様」
僕の笑顔と返事に満足そうにニヤつきながら、樋口は湯気の上がるコーヒーを指さした。
見たところ、コーヒーに何も異常などないが、と当たり前の結果を目の当たりにしている最中、樋口はおもむろに自分の頭へと手を伸ばした。
その染められた金髪を一本引き抜くと、
「————おいコラぁ! 髪の毛入ってんじゃねぇか!!」
「はぁ!? 今、自分で入れたよね?」
「あ? なに口答えしてんだ、舐めてんのかテメェ! どうしてくれんだぁ、こんなモン出しやがってよぉ!!」
ガツン! と振り上げた足が机の上に叩きつけられる。その表にカップも揺れ動き、コーヒーが少し零れた。
「ちょっと、樋口君! やり過ぎよ!」
と、そこですっ飛んできて介入してきたのは、流石の我らが委員長である。
きつい視線を向ける委員長に対して、樋口は怒りの形相を一変。先ほどのニヤニヤ笑いに戻りながら、口を開いた。
「へっ、悪ぃ悪ぃ。けどよぉ、こういうパターンも想定しておいた方がいいだろ、委員長?」
「それはそうだけど、限度ってものがあるでしょう」
「そんなにビビったか? ちょっと演技に熱が入っちまったか」
「イチャモンつけるのがあまりにも慣れてることにビビったよ。やってたでしょ、樋口君」
「はっはっは、言うじゃねぇの、桃川ぁ」
僕が皮肉を言えば、樋口は何故か上機嫌に笑いながら、コーヒーに手を伸ばす。
机の上に足を載せた最悪のお行儀で、ズズズとブラックを飲む。
まったく、委員長の後ろで蒼真君と剣崎が目を光らせて臨戦態勢に入っているのが分かっていても、この堂々とした悪びれない態度。この辺、なんちゃってヤンキーな上中下トリオと違って、肝が据わっているんだよな。
「おっ、マジで美味いじゃん。零したのもったいねー」
一息で飲み干してから、樋口は改めて僕と委員長へと目を向ける。
「で、こういう輩が来た場合はどうすんのよ?」
「幾ら何でも、このレベルの輩は考え過ぎだと思うけれど」
「いやいや甘いぜ、委員長」
大なり小なり、イベント事にトラブルは付き物だ。学園祭のような大きなものになれば尚更である。
去年の学園祭は、特に僕は何もなかったけれど、ちらほらと揉め事があったとか、どこの模擬店の装飾が壊されたとか、それくらいの噂は耳に入ったものだ。
流石にチンピラが喫茶の注文にイチャモンつけて大暴れ、みたいなのは聞いたことないが。
「学園祭に来るのは、何もお行儀がいい白嶺生だけじゃねぇだろ」
「確かに、一般客も大勢来るけれど……」
三日間の開催期間となる白嶺学園文化祭だが、二日目は学園外からの一般客も来る。
一般客と言いつつも、基本的には生徒の家族や友人知人といった実質的な招待制度だが、なんやかんやで大勢来るし、中には招待状なくても……と言う程度にはゆるい。
「ここまでの客層が混じるとは、思えないわね」
「例年通りならそうだろうが……ウチにはアイツがいるだろ?」
「まさか————」
「そのまさかよ。天道龍一、アイツのクラスの出し物メチャクチャにしてやろうぜ、って息巻いてるバカが来ねぇとは、限らねぇよなぁ?」
これには流石の委員長も、渋い顔。まるで万引きを目撃したことをネタに強請られているかのようだ。そういう導入の同人誌、読んだことある。
「はぁ……そんなことはありえない、と思いたいところだけれど……」
「うん、これは可能性ゼロとは言い切れないよ」
「だろ?」
したり顔で頷く樋口がちょっとムカつくが、指摘内容は筋が通っているから困りものだ。
「これは対策を考えておかないといけないわね」
そのまま頭痛のCMに出れそうな表情で頭を抱える委員長である。
けれど、そんなに難しく考える必要はないと思うけど。
「それじゃあ、黒服でも導入しようか?」
◇◇◇
黒服とは、大人のお店で揉め事を起こした時に「ちょっと奥に来てもらおうか」と、強制的に迷惑客を退場させる黒いスーツを着た者達のことである。
当然、高校生の僕はそんな奴らを生で見たことはない。命を賭けちゃう非合法ギャンブル漫画やヤクザ系オープンワールドゲームとかでは見かけるので、その存在に対する知名度は高いだろう。
樋口の言う通り、万が一にでも悪意を持ってやって来る奴がいるならば、即応戦力を用意しておくのは最もシンプルな解決法だ。
もし本当に大暴れする害悪野郎が現れたなら、ただの学生としては教師を呼びに行くくらいしか手はないワケだけど、ウチには最悪ヤンキー軍団黒高生を相手に無双できるチートキャラが二人もいるからね。
蒼真君と天道君を覗いても、腕っぷしに自信がある者はまだいる。いざという時に、直接的な武力介入が可能な部隊を編成しておけば安心だ。
「うーん……」
と渋い表情で委員長は僕の提案に唸っていたけれど、恐らくは黒服導入案を通すより他は無いだろう。まぁ、あとは委員長がどこまで上手く天道君に話を持っていくかである。
さて、そんなワケで樋口の厚意(?)によって問題点も明らかになり、なかなか有意義な昼休みが終わった。
今日は花の金曜日、ということで、授業が終われば後はお休みという解放感だ。先週はメイド喫茶視察という普段にはないイベントがあったし、存分にゆっくりできたとは言い難い。
だが今週末はスポーツの日の振替休日もあって三連休。この休みをフルに使って、先週ついに発売された待望の広大な宇宙を舞台にしたSFオープンワールド抜きゲーを————
「あのっ、桃川くん!」
「……っ!」
いかん、早くも桃色の宇宙へ思考が旅立ってしまったせいで反応が遅れてしまった。
彼女の声に慌てて振り向き見れば、ついついその魅惑の豊満ボディに、エロゲー仕様のパイスー姿を妄想してしまった。まずい、心頭滅却、我こそ完全無欠のメイド。
「はい、お呼びでしょうか、お嬢様?」
「あっ、今はメイドさんじゃなくてもいいよ」
ロングホームルームで女装姿のまま、ということを差し引いても、自然にメイド演技できるようになった気がする。慣れって怖い。
「それで、どうしたの」
「うん、あのね……日曜日に、料理の試食会をするんだけど」
流石はシェフ、休みの日も精進するとは。
そうでなくても、そろそろ喫茶メニューを本決まりさせたい、という面もあるだろう。土壇場で仕入れ、なんて嫌だしね。こういうのは早いに越したことはない。
「桃川くんにも、来てほしんだけど……いいかな?」
「えっ、僕もいいの? ありがとね」
タダ飯が食える! というだけで大喜びする年頃ではないけれど、それが双葉さんの手料理となれば話は別である。お高い店に食べに行くぞ、という時よりも期待感は上だよこれは。
「勿論だよ。メイド長だしね」
「そうです、私がメイド長です」
「良かった。それじゃあ、私の家で12時に集まるから。待ってるね、桃川くん」
「うん……えっ」
家? 今、私の家って言った?
それって双葉さんのご実家ということで……
先週は蘭堂さんと生まれて初めてのデートだと思ったら、まさか今週は生まれて初めて女の子のお家へお伺いすることとなるとは……コイツはまた、覚悟が必要になるな。




