メイド修行(1)
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ぷっ、くく……あははははははっ!」
「おい、いきなり笑うな弘樹!」
45点の僕よりぎこちない様子でメイド挨拶を言い放った蒼真君を、お客様役の高坂君が爆笑している。
二人は仲の良い友人同士だから、最初のお相手としては緊張せずにやりやすいだろう。
「まぁ、最初は誰だってこんなものよ」
「ああ、兄さん、嘆かわしい……」
「桜ちゃんも呑気に観戦してないで、練習しようよ」
腕組み後方師匠面で蒼真君の初接客を眺めている委員長と、隣で悲劇のヒロイン気取りの顔をしている蒼真さん。
だが夏川さんが、蒼真さんも眺める側ではなく接客する側であることを分からせて、強引に腕を引っ張って行った。
「おい、桃川も早くやろうぜ!」
一方こちらは、眩しい笑顔でワクワクテカテカしている葉山君がお待ちかねである。
お客様役の座をかけて、葉山君と上中下トリオと、あと何故かヤマジュンも加わった熾烈なジャンケンを制したのである。
すでに女装姿も晒しているのだ。ここからは真面目に接客練習をしよう。
というワケで、ガラガラと来店を装って葉山君が扉から入るのに合わせて。
「お帰りなさいませ、ご主人様ぁ!」
パシャッ
「おいちょっと待て、カメラ止めろ」
お淑やかなお辞儀でお出迎えをした直後に響いたシャッター音に、僕はドスを利かせた声で叫ぶ。
「なに撮ってんだよ勝ぅ!」
扉から入って来た葉山君の背後には、ご立派なデジタル一眼レフを構えた勝の姿がある。カメラには確実に僕のお辞儀姿が収められていることだろう。
「いいじゃねぇかよ、俺も練習だよ、練習。なにせ俺は専属カメラマンだからな!」
「斎藤、俺達のツーショット撮ってくれよ!」
「よし来た!」
「勝手に撮んな!」
馴れ馴れしく肩を組んで来た葉山君に、嬉々としてパシャる勝。コイツら、好き放題しやがって。
「まぁまぁ、いいじゃないの桃川君」
「もう、止めてくれたっていいじゃないか、委員長」
「斎藤君の言う通り、カメラの練習も必要でしょ? それに撮影サービスをやるなら、撮られる方だって写真映りがよくなるように慣れておかないと」
「ぐぅ……」
委員長の正論に、ぐぅの音しか出ない。
「まっ、そういうコトだ。大人しくモデルになれよ小太郎。可愛く撮ってやるからよ!」
「ちゃんと他のも撮って来いよ」
「分かってるってぇ」
ヘラヘラ笑いながらカメラを構える勝は、完全にコミケ会場でローアングルを狙うキモオタカメラ小僧である。
だがカメラマン役に推したのも、他でもない僕だ。ここは甘んじて受け入れよう。
「————それでは、お席にご案内させていただきます」
「ほーい」
ウザいカメコに張り付かれつつも、僕は接客修行を続行。ウキウキの葉山君をお席へとご案内だ。
「こちらがメニューでございます」
差し出すのはルーズリーフに手書きした Tea or Coffee の文字。
今回用意しているのは紅茶とコーヒーだけなのだから、これしかないのは当然だ。選べるだけ上等である。
「うーん、メイドさんのオススメメニューは?」
笑顔でウザいことを聞いて来る葉山君だが、この辺の対応は想定されて然るべきだろう。
「本日のオススメはミルクティーでございます。セットのバタークッキーと、コクのあるミルクティーが良く合いますよ」
「じゃあソレでお願いしゃす!」
事前に双葉さんに確認しておいたお陰で、スラスラと適当なオススメ文句が言えた。
たっぷりバターを使ったクッキーなら、ストレートの方がスッキリして合うんじゃないかと思っていたけれど、ミルクの方が相乗効果を発揮する、らしいのだ。
今さっき双葉さんから聞いたばかりの、にわか知識極まる内容だが、僕は素知らぬ顔で当然のように言い放つ。
「やっぱり、桃川君は対応力があるわ。アドリブが効く、本番に強いタイプね」
僕の対応を鋭く観察していた委員長が、うんうんと満足げに頷いて評価してくれた。
「へぇ、なるほど……じゃあ、オススメはなに?」
「えっ、オススメ? どっちも美味しいんじゃないか?」
こちらのやり取りを見ていたらしい高坂君が、同じようにオススメを聞いてみれば、蒼真君はこの対応。
「はぁ……悠斗君には、基礎からしっかり叩き込んだ方が良さそうね」
そうですね。蒼真君、慣れないことには咄嗟の対応がイマイチなようである。
「はい、桃川君。頑張ってね」
「ありがとう、双葉さん」
すでにオーダーを聞いていた双葉さんが、トレーに載せたミルクティーセットの用意を完了し、僕へと手渡してくれる。
ポットから紅茶を入れる、ミルクを混ぜる、トレーにクッキーを載せる。どれも単純な作業ではあるものの、迷いのない洗練された動きは、プロの手つきである。
「お待たせいたしました。ミルクティーでございます」
双葉さんと比べれば素人丸出しの所作で机にセットを広げて、一礼。
ひとまず、これで食後までは僕の仕事はお終いだ。
「熱いからフーフーしてくれる?」
「そちらは別途サービス料金をいただきます」
「金取んのかよ!」
「特別サービスはお高いので、ご自分のお財布とよくご相談なさってくださいねー」
「ちくしょぉー」
残念そうな葉山君を尻目に、僕は静々と下がるのだった。
さて、適当にあしらわれた葉山君であるが、双葉さん謹製のバタークッキーを頬張って「美味ぁい!」と満足そうに舌鼓を打っている。
その一方で、蒼真君もたどたどしくコーヒーセットを配膳し、さらにもう一方では……
「美味しい……クッキー美味しい……このチョコチップのやつ美味しい……」
「ちょっと美波、食べすぎですよ!」
「おかわり!」
「これ以上はダメですって! 涼子!」
「……ごめんなさいね、美波は甘いモノには目が無くて」
「あのジャンキーぶりは目が無いってレベルじゃないのでは?」
「ちょっと行ってくるわね」
親友のとんでもない醜態ぶりを誤魔化すような微笑みを浮かべて、早くもヘルプコールを出す執事桜の元へと委員長が駆けて行く。
いやぁ、まさか夏川さんにあんな一面があるとは。出されたクッキーを貪り食っては、ミルクとシュガーたっぷりの紅茶をガブ飲みする様は、正しく暴食の体現。甘いモノは別腹ってレベルじゃねぇぞ。
「こらっ、美波、いい加減にしなさい。ステイッ!」
「ガルルぅ……」
「あっ、ちょっと斎藤君! 撮らないで、今は撮らないでください!!」
委員長が暴走する夏川さんを躾けているドサクサ紛れに、白嶺学園の陸上部エースのスキャンダルだとばかりにデジカメ構えて駆けよって来た勝を、蒼真さんが慌ててインターセプトしていたり、ちょっとしたカオスな状況と化している。
「賑やかで楽しいね!」
「桃川、お前いい性格してるよ」
なんとなく隣にいた桜井君に、爽やかな笑顔で言うと、呆れた表情でそう返された。こういう対岸の火事は、ポップコーン片手に楽しむってのが粋なんじゃあないか。
「それより桜井君は、こんなところでノンビリしていていいの?」
「何がだ?」
「ほら、アレ」
と僕が指で示す方向には、執事剣崎の接客練習中の席がある。
「コーヒー、熱いから気を付けて」
「あっ、はぃ……」
お前は宝塚のスターか、っていうほどに華麗な微笑みの剣崎にコーヒーを勧められているのは、何となくジャンケンで勝ってしまってお客様役となった、雛菊さんである。
「あ、あのっ、そんなに見つめられると……」
「どうして? お嬢様を見守るのが、私の仕事だから」
「うぇえ、でもぉ……」
「そうだ、クッキーも食べさせてあげようか?」
「ふぇええ……」
ああいう光景、何か女性向け作品で見たことあるような気がする。自称、平々凡々な地味子の主人公ちゃんが、何の因果か超絶イケメン様に尽くされてたじたじ、みたいな。
華麗な男装姿の剣崎と、自他共に認めるザ・薄顔の雛菊さんが並ぶと、マジでそんな感じにしか見えない。キラキラエフェクトもセットで幻視できるよ。
「け、剣崎ぃ……俺の早矢ちゃんに、色目使いやがってぇ……」
ギリギリと拳を握りしめ、ようやく大事な彼女に手が出されていることに気づいた桜井君が、憤怒の形相で出撃していった。
「いやぁ、賑やかで、楽しいねぇー」
「も、桃川君、あんまり煽らないようにね」
今度はヤマジュンが僕の隣で苦笑い。
「僕は善意で桜井君に教えてあげただけだよ。彼の雛菊さんを思う気持ちは本物だから」
「だからこそ引っ込みつかないこともあるんだよね……」
さぁて、そんな桜井君のご様子は、
「むっ、なんだ桜井、邪魔をするな」
「剣崎、お前ちょっと早矢ちゃんに馴れ馴れしすぎるぞ」
「執事喫茶とは、そういう接客をするのだろう?」
「あっ、おいコラ、ナチュラルに肩に手を回すんじゃねぇ!」
「わわっ、遠矢くん、大丈夫! 私は大丈夫だからぁ!」
自然な動作で雛菊さんの肩を抱いて寄せる剣崎に対し、顔真っ赤で叫ぶ桜井君。そしてそんな彼氏の反応に、頬を朱に染めながらも止めに入る雛菊さん。
剣崎は欠片も自分が悪いことしている自覚はないし、桜井君は満更でもなさそうな雛菊さんの反応に正気を失いつつあるし、雛菊さんは男装剣崎に迫られて平静を保てていない。
こっちもこっちでカオスになってきたなぁ。
「そうだよ桜井君、明日那ちゃんの練習中なんだから、邪魔しちゃダメだよ?」
「やましいことなど何もないのだ、気にし過ぎだぞ桜井。そもそも女子同士で、馴れ馴れしいも何もないだろうに」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
無邪気な顔で桜井君を刺しに来た小鳥遊が掩護を始め、剣崎が「お前が悪い」と痛烈なカウンターを喰らわせている。
「さ、早矢ちゃん!」
「もう、遠矢くん……恥ずかしいから、少し大人しくしててね」
そして最後には、雛菊さんご本人にトドメを刺され、
「うっ、う、うぅわぁあああ……」
あっ、泣いちゃった。涙ながらにすごすごと敗退してきた桜井君を、僕は営業スマイル全開でお出迎え。
「ようこそメイド喫茶へ。このコーヒーはサービスだから、まずは飲んで落ち着いて欲しい」
「ううぅ……桃川、俺は、俺はぁ……」
「うんうん、大丈夫、大丈夫だよ桜井君」
机に突っ伏して泣き言を喚く桜井君にそっと淹れ立てコーヒーを差し出し、頭を撫でる。
「だから桃川君、男子にそういう思わせぶりな行動は勘違いさせてしまうから、止めた方がいいよ」
「あはは、桜井君に限って勘違いも何もあるわけないじゃないかー」
謎の心配をしているヤマジュンに、ケラケラ笑いながら泣いてる桜井君をよしよししてあげる。うーん、今は女装しているから、多少はサマになってるだろうか。
「おい、なんで桜井は撫でられてんだよ! 俺もそのサービスして欲しいんだけど!?」
「メイド撫で撫でサービスは傷ついた男子限定でーす」
「俺、今傷ついたんだけどぉ!」
「一昨日来やがれー」
目敏くこっちを見つけた葉山君がまた喚き始めたので、笑顔でお断りをしておく。
「あら、もういい時間じゃない。練習もそろそろ切り上げないと、お昼食べる時間もなくなるわよー」
おっと、盛り上がりすぎて、もうそんな時間か。
無事に正気を取り戻したらしい夏川さんを撫でながら、委員長が声を上げて、もう半分以上も昼休みの時間が消費されたことを教えてくれた。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
「時間ないからって最後だけ雑ぅー」
追い出すように葉山君を退店させて、本日の接客修行は終了。
僕も急いで弁当を食べなければ。
「桃川君、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
ああ、これぞ正しく女神の微笑み。ありがとう双葉さん。




