デートの成果
「ああ? もしかして一緒にいるの……桃川かぁ?」
まずい、と僕は瞬間的に凍り付いた。
そもそも樋口は基本的にお近づきになりたくないタイプだ。オタの天敵がDQNなのは、火属性が水属性に弱いのと同じくらい自明の理である。
だが問題はそれだけではない。樋口は蘭堂さんと付き合っている、あるいは狙っている、とのことはもっぱらクラスでは有名は話である。それこそ僕でも一度は聞いたことがある程度には。
実際、教室で話しているのを見たことは何度もあるし、少なくとも僕よりかはずっと彼女と近しい距離感にある。
さて、そんなDQN野郎が、俺の女(予定)の傍に陰キャオタクのドチビ野郎がくっついていたらどう思うか。
ちくしょう、こんなリスクを完全に頭から抜け落ちているなんて、どうやら僕も浮かれていたらしい。
「おおぉー、なんだよ、なんかカワイクなってんじゃねぇか。こりゃ本格的に女装に目覚めちまったかぁ!?」
「おい、桃川に触んなよ、セット乱れるだろ」
ギャハハ、と笑い声を上げながら無遠慮に伸ばされた手を、蘭堂さんがバシーンと弾く。
今ちょっと、不良に絡まれている女の子が、蒼真君に守られた時の気持ちが分かった気がする。
「てか樋口、なんでいんだよ。暇なのか」
「おいおい、女も連れねぇで休みに街中まで出て来るかよ」
「じゃあデート?」
「おうよ」
「バカヤロー、デート中に他の女に声かけてんじゃねぇよ!」
「痛って!?」
全く容赦のない蹴りが樋口のケツに炸裂する。
「い、いいじゃねぇかよ、ちょっとくらい。なんか怪しい二人組みを見かけちまったら、声くらいかけんだろぉ?」
へへへ、とケツをさすりながら下世話な笑みを漏らす樋口を、蘭堂さんがジト目で睨んでいる。
「今日は桃川の髪整えに来てやっただけだって」
「みてぇだな。えらいサマになってんじゃねぇか。こりゃあマジで化けそうだぜ」
絡みつく様な視線とはこのことか。半分以上、馬鹿にしているようにしか聞こえないが。
「まぁ、本番楽しみにしてな」
「そうだなぁ、なかなか面白くなりそうじゃねぇか」
とりあえず、話の流れからして荒事にはならずに済みそうで、ちょっとホっとしている。
というか、樋口の口ぶりから、自分もデート中だと言うような感じだが、
「いつまでも絡んでないで、さっさとユキんとこ戻ってやれよ。待ってんぞ」
蘭堂さんの視線の先には、店の軒先に身を潜める様にしてこちらを覗き込んでいる少女の姿が。あの子がユキという、樋口の彼女なのか?
結構な厚底ブーツを履いて、ダボっとした黒いパーカーに、なんかジャラジャラついている、パンク? V系? なんかそういう雰囲気のファッションだ。まぁ、筋金入りのヤンキーである樋口と付き合っていても、あんまり違和感はない恰好。
なんだけど、どっかで見たことあるような気が……
「おっ、そうだ桃川」
カノジョの方へ注視していると、ガシっと樋口が肩を組んで来た。
いきなりなんだよ。やっぱり生意気なチビに一発かましておいてやろうって魂胆か!
「これやるよ」
と、樋口は僕へコソっと何かを押し付けて来る。
「ちょっ、これ、コンド————」
男子中学生辺りから、絶対にその存在を知ることになる、あの薄いゴム製品が、
「どうせ持ってねぇだろ?」
お前のような女子に縁のないオタク野郎の生態などお見通しだぜ、とばかりのニヤついた笑みで、複数枚のゴムを僕へと握らせた。
「まっ、頑張れや」
一方的にそう言い残して、樋口は去って行った。
「どした桃川、アイツに何か変なこと言われた?」
「えっ、あ、いや、別に何も。ちょっとメイドについて聞かれただけ……」
「ふーん」
と、分かっているのかいないのか、特にそれ以上の追求が来なくてホっとする。
いや、マジでこんなの見つかったら、気まずいどころの話じゃない。思いつつも、僕はそれとなく樋口から貰ったゴムをポケットに押し込んだ。
い、いかん、コレを持っている、というだけで変な気分というか、変に意識してしまう。
「ところで、蘭堂さんは樋口の彼女のこと知ってたんだ」
「ん? ああぁ、アレ長江有希子」
「あの人、長江さんだったの!?」
道理で、見たことあるような気がしたワケだ。てっきりヨソの子かと思ったが、ウチのクラスの女子、そしてクラスで唯一の僕と同じ文芸部員である。
あの絵に描いたような文学少女である長江さんが、樋口とねぇ……
文芸部でも、隠れ美少女である長江さんのファンというか、そういう輩は多い。勝手に親近感がわいて、絶妙に手が届きそうな彼女は、オタク野郎共からはかなりの支持率を誇るだろう。
けれど、よりによって樋口のような奴に持っていかれているとは……
「このことは、ここだけの話にしておくよ」
「まぁ、知ってる奴は知ってるけどな」
「知らない人は、知らないままの方がいいことってあるんだよ」
「そうかもな」
少なくとも文芸部存続の危機、という程度には荒れるだろうよ、この情報は。
「なんか邪魔入ったけど、行くか」
「……うん」
衝撃の事実を知りながらも、再びデートへ戻ると、僕の心はついさっきまでとは別な意味でもドキドキし始めてしまうのだった。おのれ樋口……ありがとう……
◇◇◇
休みも開けて、十月三日。月曜日。
「なんだよ、何もなかったのかよ」
「あるワケないだろ……」
朝、登校するなり僕は勝に土曜日のデートモドキについて、根掘り葉掘り聞かれたので、ぼちぼち話せばこのリアクションである。
「こんな奇跡的なチャンスだってのに、もっと進展あるかと思ったぜ」
「なんだよ進展って。あくまで蘭堂さんは善意で誘ってくれただけなんだから」
言いつつも、正直に言って若干ガッカリした気持ちがないとは言い切れない。そりゃ樋口からコンドーム渡されて、めっちゃ意識しちゃってたからね。
だが勿論、勝に語った通り、嘘偽りなく特に何事もなくあの日は終わった。いや、普通にコスプレ専門店巡りとかして、楽しかったんだけど。
夜は適当なファミレスに入って食べて、その後に駅で解散した。実に健全なデートである。
「おはよう、桃川」
「あっ、おはよう蒼真君。ランド楽しかった?」
「本当に済まなかった。これはせめてものお詫びだ」
「うわっ、結構本格的なのキタ」
お菓子の小袋一つくらいかと思っていたら、綺麗にラッピングされたデカい缶に詰まったクッキーアソートをくれた。
「そんなに気にしないで良かったのに。土曜はなんだかんだで、楽しくやれたから」
「そのようだな。それにしても、美容室に行くだけで、随分と雰囲気が変わるものだ」
しげしげと僕の顔を眺めて来る蒼真君。なるほど、これをただの女の子がやられたらコロっと落ちるよね。ホントに顔はいいんだから。
「そんなに変わった感じする? メイクも何もしてないんだけど」
「髪もそうだけど、眉も整えたのか? これはセーラー着てたら本当に女子にしか見えないぞ」
確かに髪型をさっぱりさせて、眉を細目に整えると、かなり野暮ったい感じが抜けたように見える、らしい。美容室で仕上がった後での、概ねそういった感想が寄せられた。
そっから盛り上がって、本格的なメイクが始まったりもしたのだが、それはまぁいい。
「蒼真君にも美容室紹介しようか?」
「俺は本番に化粧するだけで十分だよ」
巻き込まれては堪らん、とでも言いたげな苦笑を浮かべて、蒼真君はハーレムメンバーの下へと戻っていくのであった。
「……蒼真の奴、マジでディスティニーランド行ってたんだな」
「そりゃそうでしょ。嘘吐くならもっとマシなこと言うし」
逆に下手な嘘であった方が常識的で安心できたんだけどね。レイナのワガママモンスターぶりがガチだってことが証明されて、アイツには下手なこと出来ないぞと恐ろしくなっただけだ。
ああいう輩には、絶対に近づかないのが基本だね。悪意がなくても人に迷惑かけるタイプだから。
「ほら勝、好きなクッキーとれよ」
「しゃあ、いただきーっ!」
折角なのでクッキー缶を開けて、どことなく食べたそうにしていた勝にくれてやる。
おっと、こっちにも食べたそうな視線を感じるぞ。
「双葉さんも、良かったらどうぞ」
「えっ、あの、いいの?」
「イッパイあるからいいよ。一枚と言わず、二枚でも三枚でも」
「あ、ありがとう」
遠慮気味な微笑みを浮かべながら、双葉さんがクッキーを手に取る。
「その、桃川くん……土曜日って、蘭堂さんと二人きり、だったんだ……?」
「そうなんだよー。蒼真君は見ての通り、綾瀬さんのワガママでディスティニーランドに行っちゃうし。ヤマジュンは風邪で、葉山君はなんか急にバイト入ったとかで」
「そう、なんだ……」
「女子と二人だなんて、ちょっと気まずいと思ったけど、結構面白かったよ。美容室も行ってみれば、なんてことなかったし」
「桃川くん、凄く可愛くなってるよ」
「ありがとう、って一応言っておく」
ヘラヘラ笑いながら、僕は平然としてますアピールをしておく。双葉さんに急に女子と二人になってキョドる奴、って思われたら恥ずかしいしね。女装はしても僕は男、見栄は張るものさ。
◇◇◇
その日の昼休みのことである。
教室の一角では、一気に垢抜けて可愛らしくなった桃川小太郎がディスティニーランド土産の大きなクッキー缶を解放し、クラスのみんなに配っていた。
メイド長、初めてのご奉仕、などと上中下トリオに揶揄されたり、「あーん、してくれ!」とか叫んでるリライトなどなど、非常に騒々しい。
そんなおバカな男子の盛り上がりを尻目に、ここには一つの女子グループが集結していた。
「芽衣子ちゃん! 桃川君にクッキー貰って喜んでる場合じゃないよっ!」
「あっ、はい……」
小さな体で、倍のようなサイズ感の芽衣子へ吠えているのは、北大路瑠璃華。同じ料理部に所属する友人である。
遠慮のない瑠璃華の物言いに、芽衣子は大きな体を縮こませていた。
「まぁまぁ、そんなに双葉さんを責めなくてもいいじゃない、ルリちゃん」
「茜はちょっと黙ってて。これは早急に手を打たないと、手遅れになっちゃうかもしれない緊急案件なんだから!」
「ええぇ、大袈裟じゃないかなぁ」
「甘いわね、木崎さん。こういうのは、自分からグイグイ行かないと。受け身でいるままじゃあ、何も進展なんてしないのよ」
芽衣子を庇うような物言いの木崎茜に、したり顔で語る姫野愛莉。
ここに集まっている女子四人が、一つの友人グループを形成している。
二年七組ロリ三銃士の一角を担う、『正統派ロリ』であるところの北大路瑠璃華と、そのスタイルから執事チームに抜擢されている木崎茜。この二人が揃っているだけでも相当なものなのだが、如何せん二年七組に置いては、目立たたない地味なグループ扱いになってしまう。
もっとも、そんなポジションにあることに不満を憶えている者は一人もいないのだが……ともかく、今の彼女達は一つの重大な議題について語らっていた。
「来週、芽衣子ちゃんも桃川君とデートしよう」
「えっ、ええぇ……む、無理無理、無理だよぉ……」
真犯人を言い当てるかのようにビシっと指をさして瑠璃華が言えば、芽衣子から速攻で泣きが入った。
「でもそれくらいしておかないと、もう取り返しがつかなくなっちゃうよ!」
「いやぁ、まさかあの蘭堂さんが桃川君みたいなのが好みだったとはねぇ」
完全に他人事で面白そうに言う愛莉だが、芽衣子としてはあまり笑えない。
「ルリちゃん、あんまり無理強いするようなのはちょっと……」
「じゃあ聞くけど、芽衣子ちゃんは桃川君のこと、どう思ってるの?」
「ど、どうって……えっと、それは……」
決定的な言葉は出てこないが、無限に言い淀んでいる時点で、気持ちを白状しているも同然である。
「気にはなってるんでしょ?」
「……うん」
そっと気遣うように愛莉が言えば、芽衣子ははっきりと頷いた。
「ついに双葉さんに春が……やっぱり学園祭って凄いね」
「呑気に言ってる場合じゃないよ! 学園祭を利用して距離を縮めて来ているのは、蘭堂さんだって同じなんだから」
文化祭を通じて、男女の仲が急に進展、というのはよくある話だ。
退屈な学園生活の中では何とも思っていなかった、あるいは関わり合いの薄かった男子と女子が、文化祭というイベントを通して時間を共にすることで……という、ごく自然な結果。
あくまで一般論的な話であって、自分にはそういった色恋沙汰は全く無縁だと、双葉芽衣子は思っていたが————どうやら、今まさにソレが自分の身に起こっているのだと、実感し始めていた。
「で、でも……今更、私なんかが出しゃばっても、桃川君が困るかもしれないし……」
なんて自信のない台詞が出てくるのも、比較対象が蘭堂杏子となれば致し方ないだろう。
本来、芽衣子には自分に異性としての魅力があると信じていない。他の女子と比べて、圧倒的に大きな体は、繊細な少女の心にコンプレックスとなって刻まれるには十分過ぎる理由であろう。
身長だけはどうしようもない。しかしながら、横に増えた分については……言い訳しようもなく、自己責任であると芽衣子も認めている。
だがそれは大好きな料理、飽くなき食への探求を妥協しなかったが故の結果である、と受け入れる気持ちもあった。
だからこそ、そんな自分が好きでなってしまった体を、そんな都合よくいい男が好いてくれるなどと、期待しようとも思ってはいない。
要するに、双葉芽衣子は恋愛をほとんど諦めていた。
「双葉さん、そんな悲しいこと言わないで。私、桃川君なら邪険にするようなことはしないと思うな」
茜は知っている。芽衣子は蒼真悠斗のような美形にも、天道龍一のような逞しい男にも、あまり惹かれるタイプではないと。
だからこそ、もしかして同性が、と割と本気で不安に思ったこともあったが……どうやら自分が大きい反動か、小さくて可愛い男の子が好みらしいと気が付いた。
それは学園祭準備が始まって、少しだけれど桃川小太郎と接する彼女の姿を見ることで、確信へと変わった。
「そうだよ、大丈夫だって。桃川君って胸が大きければ、太くても全く気にしないタイプだから。むしろ太い方がイイって目をしてるわね」
そしてその観察眼は、愛莉もまた同様であった。
愛莉は知っている。小太郎が獲物を狙う野良猫の目で追っているのは、大山鳴動している芽衣子の乳揺れだけでなく、スカートに包まれた尻、裾から伸びる太もも、その全身を余すところなく捉えていることを。
あまりこのテの話題には疎い芽衣子は知らないことだが、そういう趣味の者にとって芽衣子の体型は奇跡的である。そもそも100キロ超えて太れるのも才能だ。そこからさらに、乳尻太ももがウエストを上回るようなバランスで肥えるとなると、それは最早、女神様のご加護と言ってもいいだろう。その奇跡を讃えて、時代が時代なら土偶のモデルになっている。
「うぅ、そ、そうかなぁ……」
「そうだよ、愛莉ちゃんの言う通り! 桃川君も絶対、芽衣子ちゃんのコト意識してるって!」
「うん、桃川君も双葉さんと同じように、ちょうど気になっているところだと思うな」
「そうそう、押せばコロっとイクって、双葉ちゃん」
友人の温かい励ましの言葉に、芽衣子も涙を抑えて、ちょっとだけ前向きになれそうだった。
「でも、いきなりデートに誘うのは無理ぃ……」
「ふふん、そこでこの私に秘策があるっ! それは————」
自信満々に言い放つ瑠璃華の秘策に、芽衣子も頷くのであった。




