ハーレムパーティ
まだ学園祭は一ヶ月近く先とはいえ、すでに準備期間に入った学園は全体的に浮ついた雰囲気が漂い始めて来た。廊下を歩くだけで、出し物や企画の話で持ち切りだ。
一方、僕らの二年七組は、委員長という絶対的なトップが君臨してくれているお陰で、早々に大まかな方針を決め、各自が動き始めている。
準備期間はまだ始まったばかり。アレをやろう、コレをやりたい、と活発な意見が交わされる楽しい時期。だからこそ、ついつい楽しいお喋りに興じてしまう、またはクラスの意見を取りまとめるのが遅れがちになってしまう。
そこのところを委員長は理解しているので、昨日の放課後の打ち合わせ結果を朝のHRでざっとクラス全体に共有し、一日でも早く準備のスタートダッシュが切れるよう差配していた。流石だよね、本当にやることに無駄がない。僕なんかついて行くのに精一杯だよ。
なんて他人事のようにフワフワ思っていた朝の時間である。
「桃川、ちょっといいか」
「なんだい蒼真君」
わざわざ蒼真君が僕に話しかけて来るなんて珍しい。
「今日の昼、一緒にしないか。昨日の打ち合わせで決まったこと、詳しく聞いておきたいんだ」
なるほどね、用があるのは僕ではなくメイド長としての方だと。当然と言えば当然か。真面目な蒼真君は早速行動を始めたい模様。
どの道、放課後にはメイドチームを集めて話をしないといけないのだ。とりあえず蒼真君と打ち合わせしておけば、騒いで遊ぶ奴らが多い中で話し合いするよりも、スムーズに決められるだろう。
「分かったよ」
「それじゃあ、昼休みは学食に来てくれ」
「うん」
などと安易に了承したことを、僕は昼休みにのこのこ学生食堂へやって来た瞬間に後悔した。
「おーい、こっちだ桃川」
目敏く僕を発見した蒼真君が呼んで来る。
けれど僕はもうこの時点で回れ右をして教室に帰りたくなってきた。
「ねぇ、早く食べようよー。レイナお腹空いたー」
「ちゃんと全員揃うまで待ちなさい、レイナ」
蒼真君の隣に座るのは、例によって妹の桜と幼馴染のレイナ。
「なんで桃川君呼んでるの?」
「アイツがメイドのリーダーをやるらしい」
興味なさげな視線を向けて来る小鳥遊小鳥と剣崎明日那のコンビ。
「これで全員集合ね」
「席ギリギリだよー」
そして委員長と夏川さんもいる。
クラスの綺麗どころを集めておきながら、蒼真君は平気な顔して混じっている。とんでもねぇハーレム空間だ。
昼休みの学食という大勢が集まる中でこんな空間を形成しているのだから、良くも悪くも視線は集中。いくら蒼真ハーレムの存在が初見ではないとはいっても、こんな面子が集合していれば注目を集めるに決まっている。
うわぁ、嫌だなぁ……この中に混じるのかぁ……
「桃川くん、隣空いてるよ」
「ありがとう双葉さん」
本当にありがとう。ハーレムメンバーのど真ん中になんざ座りたくない。僕はその大きな体の影に隠れるように、双葉さんの隣へと座った。
「いただきまーす!」
そして給食の時間を待ちわびた腹ペコ小学生のような勢いで綾瀬さんががっつき始めると、やれやれといった様子で蒼真兄妹も食べ始めた。
昼休みの時間は限られている。気後れしている暇はないので、僕もさっさと食べよう。
「桃川くんのお弁当、可愛いね」
「昼に沢山食べると、午後つらくなるから」
元より小食気味だから、弁当箱も普通よりワンサイズ小さめくらいのものだ。
飯は多ければ良いというものではない。別に弁当一個だけ持たされて、いきなりサバイバルに放り出されるワケじゃないんだし。
「双葉さんのは大きいね」
「こ、これは試食用のも入ってるから!?」
隣に置かれた重箱みたいなのと並ぶと、より一層に僕の弁当箱は小さく見えてしまう。
イメージ通りというのもアレだけど、そんなに焦ったような言い訳をされると、ちょっと悪いことを言ってしまった気になってしまう。うん、ここはなるべく双葉さんが気に病まないような流れにしなければ。
「試食用って、もしかして喫茶店メニューの?」
「うん」
「昨日の今日で、凄いね」
「そんなことないよ。簡単なメニューばかりだから」
双葉さんの屈託のない微笑みが眩しい。
あれ、もしかして今の僕って、気になるあの子とランチを一緒という実は美味しいシチュエーションにいるのでは。
「むぇー、レイナこれきらーい。ユウくん食べて?」
「こらっ、好き嫌いしない」
「しょうがないな、半分だけ食べてやるから、残りは頑張るんだぞ」
「もう、兄さんはそうやって、すぐ甘やかすんですから」
「あはは、レイナちゃんまた好き嫌いしてるぅー」
「小鳥だって結構、好き嫌いしているじゃないか」
「私は頑張って食べてるもーん」
はぁ、このどうしようもないハーレムの渦中にいなければ、もっと素直に双葉さんとのランチを楽しめたというのに。蒼真悠斗という男一人を中心に、これほどキャッキャとはしゃげるなんて大したものだ。
そして周囲の視線などものともせず、どこまでも自然体で彼女達と談笑している蒼真君も大したものだよ。
こんな面子の中で僕を呼ぼうってんだ。思っていた以上に空気が読めないのだな、蒼真君。
「騒がしくてごめんなさいね、桃川君」
「いやこれマジで何で僕呼ばれたのさ」
「最初は進捗報告の集まりのつもりだったんだけど」
だからこそ双葉さんも試食品を引っ提げて、この場へやって来ているのだろう。
「だったら杉野君は」
「お昼は気心の知れた友人と、静かにとるのが信条と言われてしまって」
杉野君、なんて勘のいい男だ。ちくしょう、今頃は大山君と仲良く二人きりでいつも通りの平穏なランチタイムというわけか。
「蒼真君に呼ばれて、のこのこついて来た僕が馬鹿だったよ」
「そう言わないでちょうだい」
「ねぇねぇ、双葉ちゃんの試食品ってもう食べてもいいのかな?」
目敏く重箱を発見&試食品発言を盗み聞いていたらしい夏川さんが、目をキラキラさせながら聞いて来る。
「うん、勿論だよ。みんなに食べてもらって、どれがいいか感想が欲しいんだよね」
朗らかに言いながら、パコっと重箱の蓋を外せば、そこから輝く黄金と見紛うほどに、見事な焼き加減の卵に包まれたオムライスが!
「わぁーっ、なにコレっ、カワイイ!」
「これはまた、凄いですね」
御開帳となった重箱を見て、わざとらしい女タレントみてぇなオーバーリアクションを素でやっているらしい綾瀬さんと、素直に感嘆している蒼真さん。
他の面子の反応も、概ねこの二人と同様。
「凄い、っていうかどうなってんのコレ……」
美味そうというより、見た目のインパクトに圧倒される。
重箱は一面のオムライスなのだが、デカいのがドンと入っているワケではない。小さいオムライスが整然と敷き詰められており、隙間には緑の野菜が埋められ彩りと同時に、動いて型崩れするのを防いでいる。
小さなオムライスは確かにカワイイ見た目ではあるものの、この数が一分の乱れもなく綺麗に揃っている完成度に戦慄してしまう。こんなのどうやって作ったんだ。芸術品か。
「それぞれ味が少しずつ違うから、食べ比べてみて欲しいな」
「なるほど、それでこんなに沢山あるのね」
「双葉ちゃん、これってどう違うの!」
「えーっと、こっちから順に————」
双葉さんの説明もそこそこに、試食会が始まる。
この人数が好き勝手にスプーンを突っ込んだら、綺麗に作ったのが一瞬で台無しに、と思ったが、双葉さんは取り分けるのも上手かった。それぞれ混ざることも、形を崩すこともなく、サクサク人数分が配られて行った。
「それじゃあ、双葉さん、いたただきます————おおっ、美味いなこれは!」
「ほわぁ、美味しぃ! これすっごい美味しいよ、明日那ちゃん!」
「ああ、確かに。立派なものだな。もうほとんど店の味ではないか」
双葉印のオムライスに舌鼓を打ち、大変な盛り上がりをみせている。実際、それだけ美味しいことは、僕も現在進行形で味わっている。
「流石というか、これは想像以上ね。どれも美味しくて、一つに選ぶのは難しいわ」
「双葉ちゃん、おかわり!」
「んんー、レイナこれ好き!」
「ちょっと綾瀬さん! それ小鳥のなんだけどぉ!?」
さて、問題はただ盛り上がっているだけで、真面目に試食会として役目を果たそうとしているのが委員長しかいないことだ。一部では醜い奪い合いも発生している模様。
この試食会で、喫茶で提供する力を入れた一品モノのオムライスをどれにするか、という本来の議題などすっかり忘れ去られている。何なら、みんな美味しそうに食べてくれて、双葉さん自身がもう満足そうである。
「……確かに委員長の言う通り、選ぶのは難しいと思うけど、多少は候補を絞らないといけないんじゃないの」
「そうね、桃川君。ちょうど食べ終わったところだし、ひとまず決を取りましょうか」
「えっ? このオムライス弁当を売るんじゃないの?」
そんなワケねぇだろ、原価幾らかかると思ってやがる。さらにコイツを仕上げられるのは双葉シェフのみ。技術料も加味にして、この重箱サイズ。一箱一万円でも安いだろう。
世の中には一万円でスッカスカの生ゴミみてぇな重箱おせちを売りつけるとこもあるんだ。このクオリティのものをそう易々と食えると思うな。
「しかし、これだけ美味しい中から一つに決めると言うなら……やはり定番のチキンライスのものが良いんじゃないか?」
「そうですね、シンプルだからこそ味の違いが誰にでも分かるのではないかと思います」
「レイナ、ケチャップでハート描きたーい!」
「小鳥も蒼真君に賛成だよー」
「ああ、妥当な判断だろう」
「んほぉー、このデザート堪んなぁーい」
蒼真君の意見にハーレムメンバーが一斉に賛意を示す。議論という言葉の意味を考えさせられるね。
約一名、双葉さんの自分用の重箱からデザートを盗み食いしている奴もいるが。
「うーん、やっぱり普通のが一番良いのかなぁ」
「結局、それに落ち着くのが無難かしら」
この早すぎる結論に、双葉さんも特に不満な様子はない。委員長もこれといって反対意見は思い浮かばないといった感じである。
黙っていれば、このまま決定になるだろう。あるいは、僕が一人で何か言ったところで、民主主義の力によって押し潰されるだけかもしれない。
余計なことを言って、和を乱すべきではない。そんな日本的な倫理観もある。
このまま僕が黙って頷いているだけで、双葉さんの美味しい手料理を食べられて、日常では味わえないハッピーな気分で昼休みを終えることが出来るだろう。下手なこと言ってこの面子から叩かれれば、そんな気分も台無し。
下手なことは言うな————そう全員から、あるいは僕自身からも、言われている気がした。
「だがちょっと待って欲しい。本当にそれでいいのだろうか」
でも、僕は言った。言ってしまった、反対意見。
見えない同調圧力と、それに安易に屈したい僕の心も本物だ。
だが、それでも否と言ったのは、美味しかったからだ。双葉芽衣子、彼女が僕らに食べさせるために丹精込めて作り上げたオムライスは、間違いなく人生で一番。誇張抜きで感動したと言ってもいい。
双葉さんは天才だ。本物の料理の才能と、そして誰よりも強い情熱を持っていることが、この一品だけで伝わって来る。
そんな彼女の力の使い方を、ロクに議論が機能していないハーレムパーティになど決めさせて堪るか。お前らは今、どれだけ真剣に考えて結論を出した。
それは双葉さんがこのオムライス重箱を作り上げるために注ぎ込んだ労力と気持ちに、報いるだけのものなのか。
否、断じて否だ。双葉さんの才能は、お前らが面白おかしく盛り上がるための映えアイテムなんかじゃない。
お前らはダメだ。コイツらじゃダメだ。だから僕がやる。
僕が一番、双葉芽衣子のオムライスを上手くプロデュース出来るんだ!
「定番は確かに悪いものではない。蒼真さんの言う通り、素人と比べれば一目瞭然の違いもあるだろう。でも僕は、この味なら定番の良さを超えた、もっと上を目指せるんじゃないかと思うんだけど」
「桃川君、なんか急に喋り出したんだけど?」
ああ? なんだぁテメぇ、小鳥遊ぃ、僕みたいなド陰キャオタク野郎は身の程弁えて黙ってろとでも言いたげな台詞だなぁ?
僕はお前が余計なこと言い出したせいでメイドやらされる羽目になった恨み、忘れてないからな。
「蒼真君は本気で、このケチャップでチキンライスのオムライスが一番良いと思ってる?」
「一番というか、どれも甲乙つけがたいからこそ、定番を選んだんだが」
「じゃあ、それが一番売れると思った?」
「これだけ美味しいのだから、どれを選んでも売れるだろう。そこまで人気に差がつくようなものではないと思うが」
「それなら僕は、一番美味しくて、一番効率よく、一番売り上げが上がるオムライスを選びたいかな」
「へぇ、いいじゃない、桃川君。詳しく聞かせて欲しいわね」
「そこまで大見得を切ったからには、くだらないことを言うんじゃないぞ、桃川」
素直に興味を持ったような委員長に対して、剣崎明日那はやけに棘のある言い方。
なんだお前、小鳥遊の舐めた発言を僕如きにシカトされてイラついてんのか? 全く、議論と関係のないところで感情的になる奴の方こそ、発言権を認められないべきだろう。
「僕はこのオムハヤシを推す」
オムライスにハッシュドビーフ、すなわちハヤシライスのルーがかかっているタイプのものだ。一般家庭ではオムとハヤシの二度手間になるので、出てくることはあまりないだろう。オムライス専門店か洋食屋でしかありつけない一品である。
「ええ、でも……多分それが一番手間がかかると思うんだけど、大丈夫かなぁ? 材料費も高くつくし」
真っ先に懸念を口にするのは、他でもない双葉さん。自分で作っているからこそ、即座に問題点が分かるのだろう。
「労力とコストは最大の問題だよね」
オムハヤシは実質、二品分に相当する。ただでさえ双葉さんの負担が大きいことが予想される中で、一品の比重を高めるのはリスクがある。
「だから数を絞る。いわゆる高級路線だ」
例えば定番チキンライス型オムライスを採用したとしたよう。労力もコストもそれなりで、値段も平均的とする。
その場合、何が起こるのかと言えば、
「そもそもこのクオリティのオムライスを提供すれば、注文が殺到してパンクする恐れがある。なら最初から一部の客だけが頼むような価格設定にしておく方が、いいんじゃないのかな」
「なるほど、前に話した価格設定を高めに、というのをさらに尖らせようというワケね」
「確かに、ちょっと高めくらいで、ここまで美味しいと評判になれば、捌けないほど繁盛するだろうな……」
流石の委員長が真っ先に理解を示し、次いで蒼真君も想定される状況に思い至ってくれたようだ。
白嶺学園文化祭は三日間ある。一日だけなら口コミが広がるよりも前に終了だが、三日もあれば人気店には客が集中する。ただでさえ学園内の狭いコミュニティだ。口コミは爆速で広がる。
実際、去年は委員長のメイド喫茶が繁盛したし、毎年どこかしら注目の店は出て来るものだと、文芸部の先輩に聞いてもいる。
「それにどうせ、喫茶をやるのは他にも沢山あるんだ。定番オムライスを出すところも多いでしょ」
「差別化という意味では、強みにはなるでしょうね」
「うん、このオムハヤシを作れるのは双葉さんだけ。他では絶対に食べられない味になるよ」
「そ、そんな、大したものじゃないから……」
恥ずかしそうにはにかんでいるが、実際、この味を作れる生徒はいないだろう。逆にいるんだったら、料理対決とかして欲しいね。
「桃川君の意見はしっかりと考える必要があるわね。今この場にいるメンバーだけで、早急に決めるべきではないわ」
「そうだな。この辺のことも考えて、今日の放課後にでも料理チームと相談して、どうしたいか意見をまとめてからの方が良さそうだ」
「僕もそうした方がいいと思うよ」
よし、これでひとまず舐めた流れでつまらん決定がなされることは回避したぞ。
別に僕のオムハヤシ案が却下されようが、結果はどうでもいい。双葉さんが料理チームと話し合った上で結論を出してくれれば、それで良いのだ。
「……桃川くん、ありがとね」
そして昼休みが終わった後に、それとなく僕の意図を察してくれたらしい双葉さんが、そう言ってくれただけで意地を張った甲斐は十分にあっただろう。




