準備期間の始まり
キーンコーンカーンコーン、と一日の終わりを告げる鐘と共に、真っ直ぐ帰宅する予定だったはずの僕は、いまだに教室で席についていた。
「それじゃあ、打ち合わせを始めましょうか」
放課後なのに当たり前に仕事をしようとする委員長。サビ残上等の企業戦士かよ。
「ふふ、なかなか予想外の面子が集まったわね」
などと言いながら、委員長は放課後に居残りさせられた面子を面白そうに眺めた。
今この場に集まっているのは、僕を含めて四人。『逆転メイド&執事喫茶』をやるにあたって、各部署のリーダーが集まった形である。いわゆる幹部会議ってヤツだ。
「はい、メイド長の桃川でーす」
「それなら私は、執事長になるのかしら」
僕がヤケクソ気味に言えば、委員長がクスクスと微笑みながら続く。
ちくしょうめ、チンチクリンの女装メイド野郎と比べれば、委員長の執事姿はさぞや様になるだろう。今から二人で並ぶ姿をお見せするのが憂鬱になる。
「えっと、それじゃあ私は、料理長かなぁ」
料理部、双葉芽衣子。料理長の肩書を名乗るにあたって、彼女を置いて他にはいない。
自前の包丁やらこだわりの調理器具をただの部活動でも持ち込む、比較的緩い感じの料理部においてガチ勢筆頭と有名である。
形から入るミーハーなタイプなどでは断じてなく、腕前もかなりのものらしい。双葉さんの料理を食べたことのある者は、揃って絶品だったと言う。残念ながら僕は一度も食べたことないけれど。
間違いなくクラスにおいて、もしかすれば学園でもトップに君臨する双葉シェフが、調理部門の長となることは当然の帰結。僕みたいにノリと勢いで担ぎ上げられたのとは違って、満場一致だったことだろう。
「裏方作業は、まとめて私が引き受けることになったよ。よろしくね」
と、やけに爽やかな微笑みで言う圧のある巨漢が、柔道部、杉野貴志。
「あれ、東君じゃないの?」
「彼はあまり工作が得意ではないようでね」
「それなら、東君には会計を担当してもらいましょうか」
部門のリーダーを選出するなら、自ら立候補して男子委員長を務めるような東君しかいないと思っていたが、確かに適材適所ってのはある。流れるように委員長の一声で会計担当とされてたが……彼が委員長に代わってクラスの代表になるのは無理だろうね。
実際の工作スキルは置いておくとしても、天道君や樋口みたいな不良生徒もまとめて放り込まれたチームのリーダーを務めるなら、彼らに対しても一切の気負いも気兼ねもなく話をすることができる杉野君は適任だろう。コミュ力最強のヤマジュンでも可能だが、彼は自己犠牲の精神で自らメイドを希望したのだ。やっぱ聖人ですわ。
ともかく、不良に物怖じすることもなく、それでいて優等生でもある杉野君は、正直なところ妙に仕切りたがりな東君よりも上手くチームを纏めてくれそうだ。
うーん、参ったな、僕以外の全員がチームリーダーに相応しい人選になってるぞ。これは僕も覚悟を決めて真面目にやらないと、学園祭の後には村八分かもしれない。
「放課後なのに、わざわざ残ってもらってごめんなさいね」
「ううん、全然気にしないで」
「どうせこの期間は部活もないからね」
僕はちょっと気にしてるし、そこまで熱心に文芸部やってるワケでもないから、正直早く帰りたいなって気持ちの方が強いけれど、そんなしょうもない悪態はわざわざつかないよ。
しかし双葉さんと杉野君、どちらも温和で朗らかな感じで言うけれど、この二人が並ぶとデカさがヤバいな。二人の間に僕が挟まったら、親子みたいなサイズ感になってしまう。
「今日のところは、ただのアイデア出しみたいなものよ。さっきのHRで、それぞれ何がやりたいか話はしたでしょうから、まずはそれを聞かせて欲しいの」
「ふむ、ひとまず予算のことは置いておいて、ということでいいのかな」
「ええ」
なるほど、いきなり踏み込んだ話から始めるより、まずはふんわりと皆がやりたい希望を聞こうと言うわけか。最初から仕切ってる奴らだけで、アレはいい、コレはダメ、予算あるから無理、と決めてしまえば、やりたくもない仕様でやらされる羽目になる生徒も出て来てしまうだろう。うん、これはまぁ、去年の僕の話だね。
クラスの陽キャ共だけが勝手に盛り上がって、勝手にやること決めて、僕みたいなポジションの生徒は唯々諾々と大道具小道具の飾りつけ、とオーダー通りの作業に従事するだけで、何一つ自主性など求められなかった。トップのやりたいこと優先、予算管理も準備計画もガバガバの見切り発車。勝と二人で最低限の見栄えだけは整えられるよう、当日朝まで粘って内装を仕上げた苦い思い出が……
ともかく、委員長のこういう出来る限り広く意見を募れるようにしてくれる姿勢だけでも、すでに一年の時のアイツらとはトップとしての格の違いってのが分かるね。
「と言っても、私達の方からは、これといって特に強い要望はないかな。無難に喫茶店としての内装が出来れば十分じゃないか、といった具合だね」
「あら、それでいいの? 店構えは個性を出す重要なポイントよ」
「ウチの目玉は見目麗しいメイドと執事だろう? それなら、店はシンプルなくらいでちょうどいい」
おお、杉野君、よく分かっているじゃないか。
我らが二年七組はこの圧倒的に充実したイケメン&美少女によるルックスゴリ押し戦法こそが、正攻法にして最適解なのだ。他のクラスにこれだけの面子を揃えることは、絶対に不可能なのだから。
「確かに、コンセプトとしては間違いないわね」
「ひとまずはこの方針で、詳細を決める時になれば、それぞれの意見も出始めると思う。よほど意見が対立してしまった時は、相談させてもらうよ」
「杉野君なら、上手くまとめてくれると思うけれど」
「なぁに、委員長ほどではないさ」
裏方担当杉野君は、さっさと話が決まってしまった。全く口の挟む余地などない、無駄のないやり取りである。
「双葉さんの方は、どうかしら?」
「え、えーっと、私は」
と自信なさげに言いながらも、机の上にドーンと出されたのはレシピが書かれたノート。
メイド喫茶といえばのオムライスに始まり、サンドイッチ、パスタ、ピザなどの軽食から、パフェやクレープなどのスイーツ、そしてオリジナリティ溢れるドリンクメニューまで。そのオムライスにしたって、定番のチキンライスから、バターライス、和風炊き込み、といったライスに、デミグラスソースやホワイトソースといった、様々なバリエーションが記されている。
このレシピノートって前々から準備してたやつ? さっきの学級会だけで、一体どこにこれだけのものを仕上げる時間が……隅の方に小さく描かれたポップな料理イラストが、さらなるクオリティの圧を放っていた。
「凄いじゃない、双葉さん。もうここまで具体的にレシピが出ているなんて」
「そんな、こんなの全然だよ。ただ思いついたのを書いただけだし」
委員長の賞賛に、実に恥ずかしそうにはにかむ双葉さんだが、僕はこの完成度のレシピノートをポンと出して来たパワーに圧倒されている。これが料理ガチ勢、シェフ双葉か。
どうしよう、このレベルの働きぶりを求められたら困る。お遊びメイド長桃川だよ。
などと戦々恐々としつつ、僕は広げられたレシピを眺め、ついでに双葉さんのおっぱいもチラ見しながら、至極真面目に内容を検討する。
「こんなに本格的なものを出されたら、私が口出しすることなんてないなぁ」
「そうね、料理に関しては双葉さんに一任した方が、間違いないんじゃないかしら」
「……でもこれ、結構高くつきそうじゃない?」
「うっ!?」
僕がボソっと言った一言に、双葉さんは露骨に焦った表情に。
「やっぱり、桃川君もそう思う……?」
そして観念したように双葉さんが言う。なるほど、自覚はあったのか。
「そりゃあ、これだけ色んな材料リストアップされてたら」
ずらずら並ぶ立派な食材達。それもただ食材の名前が書いてあるだけでなく、卵一つとってもナントカ農園やら、どこどこ産とか、ブランドや産地まで記載されている。
割と具材がシンプルなオムライスでさえ、この有様だ。食材のバリエーションがより増えるピザなどになると、これ原価幾らになるんだよ、と素人目にも思える感じ。
「そうね、あまりに本格的な料理を出すのは難しいでしょう」
「そこは高校生の文化祭の限度ということだね」
「うぅ、ごめんなさい……出来るだけ安く済ませられる方向で考えるね」
「だがちょっと待って欲しい」
そう、待ってくれ。このままだと僕は、つまんないケチをつけて双葉さんを凹ませただけの、嫌な男子になってしまう。
彼女には笑顔になって欲しい、と切に願う。そう、僕はおっぱいの味方だから。
「一品はこだわりのメニューを作ってもいいと思う。いわゆる、目玉商品ってやつ」
「なるほどね」
「うん、いい考えだ」
そうだろう。委員長と杉野君も、すぐにこのアイデアの素晴らしさを察してくれた。
「折角ウチのクラスには、学園一の料理人がいるんだ。味で勝負をしても行けると思うんだよね」
「そ、そんな、私なんて全然だよ……」
双葉さんで全然だったら、全員料理ド素人になってしまう。君はもっと自信を持って。
「それに、ウチは最高レベルのビジュアルを誇るメイドと執事が揃っているんだ。学生でも手を出しやすい安価なメニューよりも、むしろ他よりちょっと高値くらいの方がありがたみも増すんじゃないのかな」
「確かに、桃川君の言う事には一理あると思う。他にはない強みがクラスにある以上、安売りを目指すメリットはあまりないだろう」
「そうね……客入りが多すぎても大変だし。冷やかしで入るには躊躇するくらいの価格設定の方が、自分達のためになるかもしれないわ」
そう、委員長の言う通り、千客万来よりも、むしろある程度まで客入りを制限するくらいの方が二年七組にとっては良いだろう。
なにせウチのメイドと執事が揃っていれば、それだけで客は入る。入れ食いの馬鹿食いだ。
「ちなみに、去年メイドやった委員長はどうだったの?」
「それはもう大変だったわよ……これに蒼真兄妹が加わるとなれば、それだけで大混雑は目に見えているわね」
下手に他のクラスと価格設定を同じにすれば、明らかにビジュアルに優れる方が勝つに決まっている。学園祭ともなれば、皆が皆、舞い上がっている。面白そう、楽しそう、見物になる方を積極的に選ぶだろう。
「それじゃあ双葉さんには、力を入れるメニューと、それ以外の無難なメニューを考えてもらいましょうか。この段階なら、多少は値段のことも考慮してもらえれば助かるわ」
「うん、分かったよ。私、頑張るね!」
よし、双葉さんの笑顔が戻ったぞ。いやぁ、いい感じにまとまって、良かった良かった。
「ありがとう、桃川君。私、去年は料理ができるお店じゃなかったから……今年こそは、って思っちゃって」
「うんうん、自分の強みは活かしたいよね。双葉さんの料理にはみんなも期待しているから、しっかり協力するよ」
こんなに純粋で真剣な気持ちで学園祭に臨んでいるとは。出来る限り双葉さんの意向に沿えるよう、予算を含めてサポートしなければ。
と、決意を新たにする一方、気になるあの子であるところの双葉さんに真正面から謝意を述べられて、だらしない笑みが浮かびそうなのを気合と理性で抑える。男が照れてもキモいだけだからね、シャキッとしないと。
「それで桃川君、メイドチームの方はどうかしら?」
「とりあえず、これ全員分の寸法ね」
双葉さん渾身のレシピノートの後に提出するには、単なる採寸データの走り書きメモだけなのは恥ずかしいが、何もないよりはマシってことで。仕事してますアピールって大事だよね。
「ありがと、桃川君。話が早くて助かるわ」
「と言っても、全て使うことにはならないと思うけど」
「そうね、この人数分をオーダーメイドできるはずもないし」
流石、分かっているね委員長。
オーダーできる位にはみんなキッチリ採寸したけれど、大半はレンタルか安物買いする時の目安程度にしか使わないだろう。
「衣装をどうするか、チームではもう話したのかしら?」
「いや、採寸してるだけで時間終わっちゃったから」
葉山君とかがいちいち騒ぐし、上中下トリオはふざけてるし。順番に採寸するだけの簡単な作業が、ロングホームルームの時間目一杯使ってしまったのだ。
「でも、どうするつもりかは、もう決めてあるんでしょう」
「まぁね」
なんて胸を張って言えるほど大した考えでもないけど。というか委員長もすでにお察しの通り、非常に妥当な案である。
「蒼真君の衣装にだけ予算をかけて、後は全員安いコスプレで済ます」
名付けて、看板娘一点集中作戦である。
ルッキズムの御旗を掲げて、堂々と容姿格差を前面に押し出すのだ。どうせ女装してハイクオリティが保障できるのは蒼真君だけ。後の男子共など、全員賑やかしに過ぎない。
予算に余裕があれば、次点でイケメンの桜井君に回す。それ以外の男子には、金をかける価値などない。葉山君達はドンキーで売ってそうなテカテカの安っぽいコスプレ衣装を着てはしゃいでいるだけで十分だ。
「それはまた、随分と思い切った決断だね」
「予算に限りはあるから、仕方ないことだよ」
「ええ、最低限、衣装の着回しは必要になるわ。メイド服、結構高いのよね」
流石は去年のメイド喫茶経験者。
正直なところ、安いコスプレ衣装であっても、数を揃えればそれなりの金額になってしまう。大き目サイズだけ買って、後は当番が着回すのが精々だろう。
「それに容姿レベルでいえば、女子執事の方が平均高いし、衣装に力を入れるならそっちの方でしょ?」
「私は半々でも構わないわよ。そこは公平にと思うし」
「別にこんなところで予算の差が出ても、誰も文句は言わないよ」
クラス最大の魅力は執事チームの方だ。八人も集まっておきながら、賑やかしメンバーになるような人材が一人もいない奇跡の構成である。アイドルでもやるのかお前らってほどのチーム編成だ。
ここには一番、予算を注ぎ込むだけの価値がある。
「ふぅむ、しかしメイドチームの看板娘が一人だけ、というのはねぇ?」
「大丈夫、蒼真君が頑張るだけで十分お釣りがくるよ」
「けど、一日中シフトには入れられないわ。だからもう一人、メインを張れるメイドが必要よ」
「じゃあ、さくら————」
「も、桃川君がいいと思うなっ!」
ぐはぁ! よりによって双葉さんに背中を刺されるとは。
まずい、こうなる流れにならないよう、僕は柄にもなくリーダーシップをとって「僕はメイドチームをまとめるのに忙しいから」という顔ができるような雰囲気を醸し出していたというのに。
僕の小賢しい思惑を真っ直ぐストレートでぶち抜かれた気分だよ。
いや、落ち着け、まだ焦るような時間じゃない。ここから挽回するんだ。
「やっぱり、それしかないだろう。桃川君ならメイドが似合うだろうというのは、クラスの総意なわけだし」
「それじゃあ桃川君、よろしくね」
「あっ、はい……」




